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斎藤義重 [アート論]

 斉藤義重は一九〇四年生まれで、二〇〇一年に九七歳で亡くなった日本の現代美術家です。 

 青森県広前市生まれ。父親は陸軍大佐で、高級官僚軍人で、海外への留学経験もあり、裕福な西洋式の生活をしていたようです(出典モリヤ)。父の任地変更で東京の新宿に転居して牛込尋常小学校に入学。尋常小学校を卒業後、父親のすすめで、日本主義思想家の杉浦重剛が校長を勤める日本中学に入学しています。

杉浦重剛というのは、三宅雪嶺、志賀重昂らと政教社発行の「日本人」の刊行に力を尽くし、大正時代の国粋主義的な思想家であり教育家でありました

斉藤義重は、しかし日本趣味の少年ではなくて、お気に入りの映画は「チャンバラ映画」ではなくて、「マルクス兄弟」や無表情の「バスター・キートン」らのドタバタ喜劇であったのです。キートンは「The Great Stone Face(偉大なる無表情)」というニックネームがつけられ、他にも当時から「すっぱい顔」「死人の無表情」「凍り付いた顔」「悲劇的なマスク」といわれましたが、このキートンという存在と、斎藤義重の関連性は、《もの派》の形成に影響を与える面までを持つ重要なもののように思われます。

同じ喜劇映画でもチャップリンではなくて、キートンであるところが、斎藤義重の特徴と言えるように筆者は思えるのです。

キートンは喜怒哀楽を表情に出さず、無表情の紋きり顔で、急斜面を転がり落ちたり、列車の上を全速力で駆け抜けたりするなど、非常にアクロバティック命がけのドタバタのアクションを展開したのですが、斎藤義重もまた、作品においても、モダンデザインにある空無性に通ずる紋きり的で、喜怒哀楽性をはじめとする個人の感覚や感性のニュアンスを欠いた、無表情で、空無的な作品を追究した美術家であったのです。

正確に言えば、そうした無表情な空無性を、芸術性と考えた人だったのです。それは宗教を否定した科学の時代と言う近代の根底にあるものといえます。

 この日本中学から陸軍幼年学校を受験するのですが、合格で来ませんでした。喜劇映画を見すぎたのかもしれません。つまり軍隊でのエリートコースに乗る事が出来なかったのです。斎藤義重は、次第に反逆的・虚無的意識を培ってゆき、裕福な家庭に生まれたドラ息子として定職にも就かず、体制に批判的なマルキシズムやシュールレアリズム運動の周辺に身を置きながら、熱心な革命運動家にもなりきれず、かといって、職業美術家になろうとする強い意識もなく独自の構成的作品を気の向くままに作るようになっていきます。

 軍人の父親を持つ斉藤義重のこの挫折について、三木多門(国立近代美術館学芸員)は、次のように述べています。

 

「日本中学は日本主義者として知られた杉浦重剛の創立したもので、その学校と軍人の家庭という環境は、早くから美術や文学に心惹かれた敏感な斎藤少年の心に、やがて一貫して持続する一種の反逆精神を植え付けたと思われる。反逆精神はもちろん青少年期に共通したものであるけれども、彼の場合、単なる一時的な、個別的なものでなく、本質的に固定したものから飛躍せずにいられない欲求――前衛精神として、継続し発展して行った。」(1978年の東京国立近代美術館での大規模な斎藤義重展(国立の美術館では初めての現代美術作家の個展)の図録)

 三木多門の指摘する、固定したものから飛躍せざるを得ないという斉藤義重の前衛精神というのは、関根伸夫との対話が《もの派》を生み出す大きな触媒、触媒どころか、関根伸夫をも超えて展開する精神の運動として展開して行きます。

それはキートンの無表情な喜劇性にも通ずるものでした。キートンの喜劇性というのは、日常生活を徹底的に破壊するもので、例えば建物が強風で次第に飛ばされて行くシーンなど、映画の特徴がダダイズムに通じるものがありました。

この破壊性はしかし、無声映画時代には威力を発揮するのですが、時代が過ぎてトーキーの時代になると、キートンの人気は落ちていきます。トーキーへへの移行を成功させるチャップリンとキートンの差というのは、実は近代に潜む、大きな亀裂なのです。それは単純な破壊衝動と、もう一つ破壊の後の再度の新たな構成や構築に対する情熱の有無の差なのです。

 斎藤義重の生涯を通じて展開される芸術性は、破壊衝動と言っても良いもののように、筆者達には見えるのです。なぜならば斉藤義重が晩年の九〇歳代に至り着いた木を黒塗った彫刻作品は、作品と言うよりは、作品そのものが壊れてような《第十六次元》という崩壊領域の美術表現に至り着いていたからです。

それはピカソがキュビズムを展開してヨーロッパのルネッサンス以来の絵画を解体し、ついには分析的キュビズムと呼ばれる《第十六次元》の崩壊領域に至り、抽象美術の入り口に立った地点に呼応するように見えるものだったからです。このピカソや斎藤義重の芸術にある破壊衝動の運動は、実は《もの派》を生み出す基本衝動だったのです。

 斎藤義重の美術作品の出発点としては、一九二〇年、斎藤義重が一六歳の時に、南伝馬町の星製薬会社で開かれたロシア未来派の亡命作家の作品展を見て、その新しさに衝撃を受けたというのが、あります。斎藤はロシア10月革命の混乱を避けて、アメリカに亡命する中継地として日本に滞在していたロシア未来派画家ダヴィード・ブリュークらの作品展を偶然みた時の衝撃を次のように語っています。

 

「――私は学校の帰り一人で見に出かけたのですが、会場に入るとすでに作品はすっかり展示されてあるけれど、未だ開場前らしくひっそりとしていた。ただ4人ぐらいの画家が、床に絵の具を散らばせて壁の絵に向かって熱心に筆を入れていているのです。私は静かに絵を一巡して眺めましたが、今までに直面したことのない絵画で、驚きと異常な興味を抱かされて、今度は彼らが描いている様を、いつまでも飽かずに見つめていました。―――この未来派作家の絵を理解するには少しあとにならなければならないのですが、彼等が描きながら示したことは。今まで知っていた絵画の他にまったく異なる表現があるんだという発見、扉を開いて何か別の世界を示されたように、生々しい刺激があり、それが深く潜在してしまって、後々まで作用を与えたことは、私にとって一つの出来事であったように思います」(「私と抽象表現」1984年東京都美術館・斎藤義重展図録より

 

 斎藤義重が見たのは、ロシア未来派なのですが、まず、未来派そのものを理解しておく必要があります。

未来派というのは1909年にイタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ ( 1876-1944)によって起草された「未来主義創立宣言」がその発端でです。内容は前年に出版されたジョルジュ・ソレルの「暴力論」に影響を受けており、あらゆる破壊的な行動を讚美する非常に過激なものだったのです。つまり斎藤義重が、ロシア未来派展で見たものの中に、こうしたキートンの喜劇とも通ずる破壊衝動のようなものが潜んでいたのではないか、と考えるのです。

 斎藤義重の美術の制作は、しかしそれほど順調には展開しません。

 一九二五年、二一歳の時、写実的再現性の絵画への嫌悪感や、ロシアの未来派作家達の影響から絵を描くとに行き詰まり、文学への傾斜を深めています。実は、斎藤義重はもともとは美術家というよりも小説家ではないのか?と考えてみるのも一つあり得る者ものなのです。。ひとつの小説を書いたと伝説的に言われているのですが、これは筆者の聞いた伝聞でしかなくて、出典も明記できない者ものですが、次のような小説です。

 とある村の村人達が……お互いに食いあって、最後は誰もいなくなった、そういう小説です。一種のニヒリズムですけども、無に至ってしまう、そういうニヒリズムが斎藤の中にもともとあるのです。大正ニヒリズムというものです。 (つづく)


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寿命と変態 [生きる方法]

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『日経ビジネス』という雑誌によると、
企業の寿命というのは、30年だそうです。
この30年の寿命を超えて展開するのには、
変態が必要だという特集号が、
今出ている最新号「不滅の永続企業」というものです。


美術作家の寿命というのも、限りがあって、
私見を申し上げれば、普通は5年、正味3年と、
短いものです。
それはアイドル歌手に似ています。

もちろん5年を過ぎても作家活動は続けていくのですが、
それは低空飛行で、退屈なもので、ただ続いていって、
親しい友人などの少数者がつきあっていくのです。

実は次回のアートスタディーズという20世紀の美術史の検討の
勉強会で、1980年代を取り上げるのですが、
そこで、この1980年代の女性作家の台頭期の最大の勝利者である
辰野登恵子氏を取り上げようとしたのですが、
引き受けてくれる講師が見つかりませんでした。
辰野氏を一番押して、東京国立近代美術館の回顧展を開催した
本江邦夫さんにも、一番にお願いしたのですが、
ご多忙ということで、引き受けていただけませんでした。
その後も、辰野氏を押していた方々や、
女性の講師など、考えられる限りを尽くしたのですが、
みなさんご都合が会わないとか、見ていないとか、
いろいろな理由で引き受けてくださいませんでした。

困り果てて、美術評論家の峯村敏明氏にお電話したのですが、
峯村氏は、辰野氏の作品を、元々評価していなかったとのことで、
断れました。

こうして辰野氏に焦点を結ぶ事は断念せざるを得なかったのですが、
ここで何となく感じたのは、辰野氏が、賞味期限を過ぎて、
作家としては寿命がつきているらしいという空気でした。

けっこうショックの体験で、
人々が時代の変化を感じて、手のひらを返していくという、
そういう冷たさを感じたのです。

もう一つは本江邦夫さんという、
個性の強い学芸員の存在でした。
人間的には私は好きなタイプの方だったのですが、
辰野登恵子だけでなく、黒田アキ、そして大谷有花などを
積極的に押してきて、黒田アキは東京国立近代美術館で
回顧展まで開いています。
そしてまた『色彩と形象のはざま』という歴史的な回顧展を
開かれています。
こうした事が、学芸員という学問の視点から正当で、
公正であったのか、否か?

多忙であられて、アートスタディーズにご出席いただけないのは
止も得ないですが、ぜひ、文章としてご自分のお仕事の回顧と、
総括をお願いしたく思います。

私見を申し上げれば、
本江邦夫氏の活動には、えこひいきが強くて、
公立美術館の学芸員としての公正さに欠けている面が強くあった
と思います。

えこひいきが、いけないとは言い得ないところもありますが、
しかし学問性としての公立美術館での高額の金額を使う学芸員という
面から見て、当然の社会的な責任と、文化的な責任があります。

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断線光ケーブル [日記]

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アトリエの整理中に、
光ケーブルを切ってしまって、
ネットがつながらなくなりました。
今日の午後5時ころに修理が来ます。
この更新は、近くの漫画喫茶からです。
添付した写真は、乱雑なアトリエの様子です。

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アートスタディーズ第16回 [告知]


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『第16回アート・スタディーズ 』へのお誘いです。

11月2日(月)午後6時から京橋のINAX:GINZAです。


1980年代は、ニューウエイブ台頭の時代でした。これは

再度、1995年〜2008年の過剰消費の中で

繰り返されたのではないでしょうか。


              ディレクター・彦坂尚嘉

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レクチャー&シンポジウム

20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?

第16回アート・スタディーズ 

1980年〜1989年「《想像界》の復活とニューウェーブの台頭」



ゲスト講師


【建築】テーマ ポストモダン建築の時代(仮題)


   

    講師  磯 達雄 (建築ライター)

        サブテーマ「磯崎新/つくばセンタービル−ラディカルな折衷主義」

        

    講師  浜田 由美(会社員) 

        サブテーマ「木島安史の時館『堂夢の世界』」


【美術】テーマ 《女性作家の台頭 佐々木薫/超少女たち》

           

    講師  松永 康(アート・コーディネーター)

        サブテーマ

        「佐々木薫と名品−共時的な視点から」

   

   講師

  

    三上 豊(和光大学教授)        

    サブテーマ 「雑誌感覚。『美術手帳』1986年8月号特集

          〈美術の超少女たち〉の編集をめぐって」


『アート・スタディーズ』とは?

アート・スタディーズは多くの人の鑑賞に資する、歴史に記録

すべき《名品》を求め、20世紀日本の建築と美術を総括的、通

史的に検証、発掘する始めての試みです。先人が残してくれた

優れた芸術文化を、多くの世代の人々に楽しんで頂けるよう、

グローバルな新たな時代にふさわしい内容でレクチャー、討議いたします。

いたします。


◆ディレクター

彦坂尚嘉(美術家、日本ラカン協会会員、立教大学大学院特任教授)

◆プロデューサー

五十嵐太郎(建築史家、建築批評家、東北大学教授)

◆アドバイザー

建畠晢(美術批評家、国立国際美術館館長)

◆討議パネリスト

◇五十嵐太郎(建築史、建築批評、東北大学教授)

◇伊藤憲夫(元『美術手帖』編集長、多摩美術大学大学史編纂室長)

◇暮沢剛巳(文化批評、美術評論家)

◇新堀 学(建築家、NPO地域再創生プログラム副理事長)

◇橋本純(編集者)

◇藤原えりみ(美術ジャーナリスト)

◇南泰裕(建築家、国士舘大学准教授)

◆司会

彦坂尚嘉(アート・スタディーズ ディレクター)

◆年表作成

橘川英規(美術ドキュメンタリスト)

◆日時:2009年11月2日(月)

17:30開場、18:00開始、21:00終了、終了後懇親会(別会場)


(東京都中央区京橋3−6−18/地下鉄銀座線京橋駅2番出口徒歩2分)

(当日連絡先は 090-1212−4415 伊東)

◆定員:60名(申込み先着順)

◆参加費:500円(懇親会参加費は別途)


◆お申し込み・お問い合わせは

氏名、住所、所属、連絡先、予約人数を明記の上、下記e-mailアドレスへ

art_studies2004@yahoo.co.jp


詳細情報はこちら

 HYPERLINK "http://artstudy.exblog.jp/" http://artstudy.exblog.jp/


◆主催 アート・スタディーズ実行委員会

◆共催 リノベーション・スタディーズ委員会

     

◆後援 毎日新聞社

    日本建築学会

    日本美術情報センター



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☆「アート・スタディーズ」の詳細及びこれまでの情報

http://artstudy.exblog.jp/

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ラカンと美術読書会 [告知]

加藤 力と申します。
ご案内させていただきます
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
第26回「ラカンと美術読書会」のご案内

日時10月21日(水)18時30分 〜 2時間程度
場所 立教大学(池袋) 6号館 6106研究室

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ラカンと美術読書会」とは下記の2人が共催する読書会です。

彦坂尚嘉(日本ラカン協会幹事、立教大学大学院特任教授、日本建築学会会員、
美術家)
武田友孝(元・東京スタデオ、インデペンデント・キュレーター)

ラカン『無意識の形成物〈上〉』と、
月代わりで選出される美術本の読書会です。

2007年8月より月一回のペースで開かれています。
ごくごく初歩的な読書会で何方でも参加できます。
どうぞお気軽にご参加下さい。

テキスト
     ◎ラカンは『無意識の形成物〈上〉』 (岩波書店)
     ●美術はD.モリス著『美術の生物学』(法政大学出版局) 

  参加費 無料(コピー代のみ実費で頂きたくお願いいたします)
     テキストは特に準備なさらなくても、こちらでコピーを用意いたします。

※ 研究会終了後、懇親会を予定しております。
 お時間に余裕のある方は、こちらの方にもご参加ください。
 なお、懇親会は、持ち寄りのパーティー形式で行いたいと思いますので、
 希望者の方は、あらかじめアルコールとつまみを
 適当に用意して来て頂ければ幸いです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
立教大学への一番楽な道

池袋駅西口方面へ
西口の階段は登らずに、
地下商店街の通路を歩きC3出口から立教通りへ
駅から歩いて行くと、左手に立教大学の正面のツタの生えたたてものの
正門が見えます。
右手にも、立教大学の門があります。
それを通り過ぎて、最初の小さな道を右に曲がると、
左手に6号館の建物の門があります。
建物に入ると守衛の部屋があるので彦坂の所に行くと言って下さい。
研究室は6号館の6106です。

分からなければ、彦坂の携帯に電話して下さい。
090-1040-1445
研究室の電話
03-3985-6106

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
詳しい行き方は以下よりお願いします
立教大学のサイト
http://www.rikkyo.ac.jp/
一番上のバーに交通アクセスがあります。

ページ中程に池袋キャンバスへの道順が、あります。
http://www.rikkyo.ac.jp/access/pmap/ikebukuro.html

キャンバスマップがあります。
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/index.html
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
申込・問合せ先:加藤 力(美術家、臨床美術士)
           E-mail:riki-k@mc.point.ne.jp
           FAX:0467-48-5667




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アニリール・セルカン疑惑/《象徴界》の追跡 [状況と歴史]

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宇宙エレベーターで知られるアニリール・セルカンSerkan Anilir、1973年~)に対する疑惑が浮上しています。

アニリール・セルカンは、東京大学工学系研究科建築学専攻教員です。
(上岡誠二さんにいただいた情報です。)

1026a.jpg

この写真も偽造の疑いが指摘されていますが、
確かに、首と体の関係が不自然です。

セルカン氏の著書や氏に関する雑誌記事にある「セルカン氏が2004年に宇宙飛行士候補に選ばれた際の宇宙服写真」は、NASAロゴが1992年以前のものであるなど、捏造の疑いがあります。(出典;http://www29.atwiki.jp/serkan_anilir/

アニリール・セルカンについては、宇宙エレベーターの件で、
五十嵐太郎さんより教えていただいていて、
その特異な経歴で、印象深かった人です。

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アニリール・セルカンは、トルコの宇宙物理学者で、工学博士。
トルコ人としては初のNASA宇宙飛行士候補生(フライトエンジニア)であるとされていました。
しかし、この経歴も、嘘の可能性があります。


元アルペンスキー選手。
トルコ人としては初の金メダリストでもある、というのですが、

この経歴も偽造の可能性があると言うのです。


東大工学系研究科建築学専攻教員 

アニリール・セルカン博士の

経歴・業績に関わる疑惑の検証


(出典;http://www29.atwiki.jp/serkan_anilir/
 


  • アニリール・セルカン氏は「宇宙物理学者」であり11次元宇宙の研究で受賞したことになっていますが、物理学分野での論文をほぼ網羅するデータベースにも氏を著者とする物理学の論文は一編も確認できません。
  • 東京大学、およびJAXAのホームページ等で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた物理学の論文も、掲載されていたとされる論文誌に掲載されていません。
  • 東京大学で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた知的財産権2件については、一件は同じ番号で他人の特許が確認でき、もう一件はデータベースでも確認できません。
  • 「ケンブリッジ大学物理学部 特別科学賞 受賞」については記録が確認できません。また、セルカン氏は、上記のように一般の物理学者に認識される形での論文の発表がありませんので、物理学の研究によって(まともな)賞を受賞することは極めて考え難いです。
  • 同様に、U.S.Technology Award受賞の記録も確認できません。
  • 「American Medal of Honor」は、American Biographical Instituteが紳士録商法の一環として「発行」「販売」している賞であった可能性があります。
  • 「プリンストン大学数学部講師」に就任したという記録もありません。またセルカン氏の数学分野の研究業績は全く確認できませんので、数学部講師に就任するということは非常に考え難いです。
  • セルカン氏は「宇宙飛行士候補」と言うことになっていますが、NASAの宇宙飛行士候補のリストにも、宇宙飛行士のリストにも掲載されていません。
  • セルカン氏の著書や氏に関する雑誌記事にある「セルカン氏が2004年に宇宙飛行士候補に選ばれた際の宇宙服写真」は、NASAロゴが1992年以前のものであるなど、捏造の疑いがあります。
  • セルカン氏は、スキーの選手で1988年のカルガリー冬季オリンピックに出場したことになっていますが、同オリンピックの公式レポートの選手団および競技結果にセルカン氏の名前は見当たりません。
  • セルカン氏の著書等でセルカン氏の研究の説明資料として掲載された図画に、別人によって先に発表された論文や記事にある図画に酷似したものが何点もあり、剽窃(他人の業績の盗用)の疑いがあります。
  • 物理学の論文が存在しないだけでなく、その後の宇宙エレベーターやインフラフリーの研究についても図画等の剽窃が疑われるケースがあります。


すでに指摘されて、ある意味で答えの出ている人の顔を分析しても、
信頼性が無いし、リスクもないので無意味とは思いますが、

私自身の興味もあって、分析をしてみました。

070713_05.jpg

アニリール・セルカンの顔に対する《言語判定法》による分析
《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》《真性の人格》
《現実界》の眼で第8次元 宗教領域》《真性の人格》

《想像界》の人格
気体人間
《気晴らし人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『平気でうそをつく人たち』

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金メダリストで、宇宙物理学者という顔ではありません。

すくなくとも物理学者などの科学者であれば、《現実界》の顔を
しています。それが《想像界》の顔なのです。

ひとつの例として、2004年にノーベル物理学賞を受賞したフランク・ウィルチェック
の顔を見てみましょう。

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ランク・ウィルチェックの顔に対する《言語判定法》による分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》

《現実界》の人格
気体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエとシニフィアンの同時表示人間。
『真実の人』

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

二人の顔を比較してみます。

wilczek.jpg

アニリール・セルカン                ランク・ウィルチェック
《想像界》で《第8次元 信仰領域》《真性の人格》《想像界》で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《象徴界》で《第8次元 信仰領域》《真性の人格》《象徴界》で《第41次元〜超次元》の《真性の人格》
《現実界》で《第8次元 信仰領域》《真性の人格》《現実界》で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》

《想像界》の人格                 《現実界》の人格
気体人間                      気体人間
《気晴らし人間》《ローアート的人間》       《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。           シニフィエとシニフィアンの同時表示人間。
『平気でうそをつく人たち』            『真実の人』




タイムマシン.jpg

アニリール・セルカンの本には『タイムマシン』というのもある
のですが、基本として《想像界》の人で,ファンタジーの
中を生きているのでしょう。
その《想像界》の中では、彼は《真性の人格》なのです。

しかし《想像界》だけの人は、
実はモラルという《象徴界》のことを理解できないのです。
さらには事実と言う《現実界》のことも理解できないのです。

《想像界》だけの人格の人が、
それほどの数いるのか?
20%80%の法則で推定すれば、80%の人々が、
《想像界》だけの人ということになります。

80%を2乗すれば、64%の人が《想像界》だけの人々で、
彼らが『平気で嘘をつく人びと』だと推定できます。

電車などで、私が観測測定していても、
だいたい、そんな感じであると言えます。

『平気で嘘をつく人びと』に対する危惧は、
香山リカ氏が『「 平気でうそをつく人たち」の危ない読まれ方』
という文章を雑誌『諸君』(文藝春秋 1997年8月号)に
書いておられるそうですが、私は未読です。

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香山リカの顔に対する《言語判定法》による分析
《想像界》の眼で《第1次元〜第6次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的人格
《現実界》の眼で《第1次元〜第6次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な人格

《シリアス人間》
《ローアート的人間》

シニフィエとシニフィアンの同時表示人間。
『真実の人』

香山リカ氏は、彦坂尚嘉責任の顔の芸術分析では、
《第1次元 社会的理性領域》の方と言えます。
聡明な、重層性のある人格をなさっています。

香山氏の危惧は理解できますし、
私も、その危ない人の一人であると思います。

しかし私の個人的な経験からも、
《想像界》しか無い人々は実に多く存在し、
そしてまたそれらの人々は《平気で嘘をつく》のです。

それは人格障害とか、ダメな人という範囲ではなくて、
人間存在の基底的な存在と思います。

人間の多くは、実は《想像界》しかなくて、
平気で嘘をつく者なのではないでしょうか。

いかにして《想像界》だけというシンプルな状態から脱して
人格を成長させうるのか。

《象徴界》を成立させるためには、
ひとつは初期の仏典とか、聖書とか、諸子百家などの古典を
学ぶ事です。

個体発生は系統発生を繰り返すのであって、
人類の文明の歴史を、個人もまた学んで行かないと、
《象徴界》を持った人格にはなり得ません。

そしてまた、科学を学ぶ事で、
《現実界》の精神をもった人格になる必要があるのです。

さらに、今日の情報化社会では、
《サントーム》の精神を持つ事が必要なのです。
これはどのようにして獲得できるのかが、
私には、まだ分かりません。

とにかく、人格は、成長して行かないと、
低いレベルで低迷して、
多くの文明的な事象を理解できない事になります。











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アメリカ・モダンアートの崩壊(校正2) [アート論]

ロンドン帰りさんから、次の様なコメントをいただいています。

美術プロパーではないある批評家が世界の富裕層や美術館に収められた戦後アメリカ美術はサブプライム証券と同等でありアメリカの美術館はS&Pのような格付け会社としてながらく機能したと述べています。一種の洗脳ともいえるアメリカらしい方策でした。昨今のドルの暴落が象徴するようにNYを中心としたアートシーンは終焉を迎えるようです。おっしゃられるように、いわゆる教養的な芸術は本当に終了するはずです。

「ウィンブルドン現象」をご存じでしょうか。イギリス美術云々ではなく彼らが今後の帝国を組織しようとする意思があるのです。今後、ゲームの規則を彼らが提示していくはずです。イギリス美術の質とかターナー賞といった個別の事象とは違うのです。

終焉は1968年より始まっています。いま一度、ここ400年くらいの文化と経済の流れを検証する必要がありそうです。芸術とかアートとかで指示されるものが滅びても、それでも残るカタチとはどのようなものでしょうか。 
by ロンドン帰り (2009-10-08 19:50)  


「世界の富裕層や美術館に収められた戦後アメリカ美術はサブプライム証券と同等でありアメリカの美術館はS&Pのような格付け会社としてながらく機能した」というのは、
私も同感です。

ニューヨーク近代美術館(MOMA)の設立は1929年です。

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1929年というのは、世界大恐慌の年です。
この世界大恐慌によってヨーロッパ美術は没落するのです。

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恐慌で、美術品の価格も暴落しますが、底入れ後、
回復したのは、新しいモダンアートだけだったのです。
古いヨーロッパ・アカデミーの美術は値段が回復しませんでした。

この時からMOMAは、ヨーロッパに代わって、
モダンアートを積極的に先導して行きます。
それは図式的な歴史主義の展開であり、
強引なものでしたが、「アメリカ美術の勝利」として成功して行くのです。

特に建築、商品デザインポスター写真映画など、
美術館の収蔵芸術とはみなされていなかった新しい時代の表現を
積極的に収蔵品や常設・企画展示・上映などを行うことで、
世界のデザイン研究の中心としての地位をゆるぎないものにしたのです。

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長谷川裕子の企画した『アートとデザインの遺伝子を組み換える』
という現象を、歴史の中で振り返れば、実はMOMAこそがこれを
押し進めてきたのであって、決して今日の特殊な事態ではないのです。
むしろ古い過去のモダニズムの中に、こうしたデザインの革新化が
あったのです。その中心のエンジンがMOMAでありました

しかしドラッカーの名著『断絶の時代』(1969年)が、
早くに指摘していたように、
実は1920年代までに《近代》の重要な技術革新は終了していた
のであって、1929年以降の歴史は、水平飛行であったのです。
そのことは芸術にも言えて、モダンアートの決定的な展開は、
実は1920年代までで終わっていて、
MOMAが先導したかの様な、その後の芸術史は、
実は決定的なものはない水平状況の中での、実はモンンアートの、
焼き直しと、ある意味での解体史であったと、
彦坂尚嘉は見るのです。

MOMAやり方には問題はありました。
私が特に感じたのは、キリコの形而上絵画以降の展開を、
MOMAが批判して、黙殺する路線をとった事です。

キリコは、自分のリアリティで、自己史を回転するかのような
螺旋運動をすることで、奇怪な複雑系の自己展開を遂げて、
最も早いポスト・モダンと評価されるものになります。

私自身は、キリコを高く評価するとともに、
この奇怪な複雑系の自己回転に共感して、
その影響を強く受けているのです。

MOMAのキリコ批判は失敗するし、間違いであったのです。
私はキリコの大回顧展をミラノで見ていますが、
キリコは、大巨匠でありました。

ですからおっしゃるように、このMOMAが、格付け会社のように機能
したと言えます。そのモダンアートの先導には、批判されるべき所も、
多々あったのです。
しかしレオ・キャステリをはじめとするニューヨークのギャラリストは、
MOMAを見て、モダンアートの歴史を知り、何をどのように作品として
扱えば良いのかを学んで、ギャラリーとして成功して行ったのです。

その意味で、1929年以降のアメリカ美術の成功を推進して行った
司令塔としてのMOMAの威力は凄いものでした。
燦然として輝いていたのです。
私は、谷口吉生が改装する前の古いMOMAが好きでした。
展示もきれいであったのです。

MOMA1929NovExhibit_small.jpg

しかし今回の世界金融危機よりも前の、1975年、
アメリカのベトナム戦争の敗戦は、モダンアートの終焉として結果した
のであり、アメリカ美術の崩壊現象を産み落とします。

それはシュナーベルから始まったニューウエーヴが、
事実上崩れて行った事、さらにはMOMAの企画展として
やったキーファー展の失敗などとして見られます。

この事を象徴的に示したのは、MOMAの改装展での1980年代90年代の
展示でした。まったくひどかったのです。
新装展にはシュナーベルもキーファーもありませんでした。

そもそも谷口吉生の改装は失敗で、
MOMAは現代建築になることで、
所蔵品の多くのモダンアートの作品との時代差の違和感を生み出しました。
しかしポロックの作品は例外で、
谷口吉生の改装空間の中で、今まで以上に美しく見えるように
なりました。

moma-28.JPG.jpeg

つまり彦坂尚嘉の私見では、アメリカ・モダンアートの崩壊は1975年
に、すでに起きていたのであって、
それ以後のMOMAのコレククションは、アート状況をコントロールも、
先導も出来ないばかりか、コレクションもうまく出来ない状態に
なったように見えました。
まだしもアメリカ美術のコレクションでは、ホイットニー美術館の
方が、状況を的確に把握する事に、ましであるように見えます。

さらに2008年の世界金融危機で、
アメリカ美術の没落は、決定的な段階に入ったと言えるでしょう。
それはロンドン帰りさんと、同意見であると言えます。
だからといって、世界最大の軍事力をもつアメリカ合衆国が、
衰退して行くには100年以上の時間がかかる事であって、
短期的には、無視し得ない力を保持し続けるのです。
アート作品も同様であって、アメリカの作家の中には、
高い芸術性を発揮する新人は生まれて来ているのです。


そしてまた、アフリカ美術だとか、
中国美術であるとか、インド美術であるとか、
ブラジル美術の時代が来たとは、私には思えません。
多くの作品は、芸術水準が低いのです。
しかも、本質的が固体美術、
つまり前近代美術の段階であって、真性の情報化社会のアートには
なっていないからです。

とは言っても、アフリカ美術にも、すぐれた作家もしるし、
中国美術にも、すぐれた作家がいます。
世界中が、芸術的には高度になって、
まったく違う枠組みになって来ている事は、
確かなように思えます。

彦坂尚嘉の私見を申し上げれば、
モダンアートの美術史は、歴史が横縞のように、展開しましたが、
情報化社会のアートの歴史は、縦縞のようになっていると見えます。
系譜学や、流派的な組み立てになって来ているのです。

そのことが、まるで歴史が止まったかのように感じさせるのですが、
実際には、作家も作品も動いてはいます。

何よりも、従来には例外的な巨匠にしかなかった倒錯領域をもった
42次元の全領域をもつアーティストが現れる事で、
伝統的な区別を解体した、拡散的で、散乱したアートシーンを
形成していくように見えます。

情報化社会の芸術は、どのようになるのか?
その問いに、ここで正確に答えるのは無理です。別の機会に
書きたいと思いますが、しかし基本は予想の出来ない
複雑系の世界になっているということです。

逆に言えば、MOMAが支配し、先導したモダンアートの時代という
のは、単純系の世界であったのです。

つまり単純系の時代が終わって、
複雑系の時代になったのです。

複雑系の世界を、従来のMOMAのようには支配することは
誰にもできません。
歴史は、グローバリゼーションの進展だけではなくて、
逆流するかの様なローカリゼーションの展開と
合わさって、複雑な進展をへて、
地球環境の悪化の中で、
次第に、地域性の高い、
新・中世になっていくのではないでしょうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

最後に「ウィンブルドン現象」についてです。
この文章でロンドン帰りさんが、何を書こうとしたのか、
最終的な意味が私には読み取れません。

「ウィンブルドン現象」というのは、
テニスウィンブルドン選手権で、世界から参加者が集まるため
に強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が、勝ち上がれなくなってしま
った現象を指します
ここからはじまって、
場開放により外資系企業により国内資本企業が淘汰されてしまうことを
ウィンブルドン効果と言うというのです。


ただ「ウィンブルドン現象」は、日本の柔道や、
大相撲にも起きているし、
国際化した寿司にも起きているのです。
さらにはピアノやヴァイオリンの新人の国際コンクールにも起きて
いるし、様々な所でみられるのです。
それがグローバル化した世界の状況なのです。

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人工芝 [建築]

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家庭用のジョイント式人工芝を10枚買いました。
想像以上に高性能で、ジョイントの簡単さと強さに感心しました。

犬を飼っているのですが、犬の部屋の下に敷いたのです。
コンクリートなので、いろいろなものを使って来たのですが、
うまく行かなかったのが、今回は今の所順調で、
犬も喜んでいます。
犬はラブラドール・レトリーバーのイエローです。
年齢は10歳で、高齢化しています。

名前はルーカス。

山本陽子さんの犬と同じ名前です。
嫌だなと思ったのですが、気がつくのが遅くて、
後の祭りでした。

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マティスのブルー・ヌード(【YouTube画像】追加2加筆2) [アート論]

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私は、マティスは好きな作家でした。
しかし嫌いな人もいるのです。

マティスという作家は、今日では大衆的な人気が高いので、
誰も批判を言わなくなったという雰囲気があります。

しかし昔は、マティスは批判すべき作家で、
たとえば中原佑介氏の美術批評を展覧会批評まで読んで行くと、
1960年代ですが、このマティス批判の論調にぶつかる。
まあ、批判するのも無理は無くて、団体展の作家たちに大きな影響を
与えていたからです。


MatisseBlueNude.jpg



マティス批判というのは、
マティスの生きている時、特にニースで、小さな絵を書いている時には、
マティスは売り絵だという批判があった様です。

これに対する防御もあって、マティスは文章か書くようになって、
自分が何をしているのかを説明し始めます。
それがマティス著『画家ノート』になります。

私はこの本が好きで、ずいぶんと熱心に読みました。

matbnd3.jpg

私の古い友人に中上清という作家がいます。
彼はセザンヌとマティスを比較して、
マティスが良く無いと言います。

それは本当であったのでしょうか?
彦坂尚嘉の《言語判定法》による芸術分析では、次のようになります。


777px-Paul_Cézanne_179のコピー.jpg
マティス                   セザンヌ
《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《想像界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の重層表現  《想像界》《象徴界》《現実界》の重層表現
気体/液体/固体/絶対零度の多層表現     気体/液体/固体/絶対零度の多層表現

《シリアス・アート》《ハイアート》     《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術        シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』 《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
【A級美術】                 【A級美術】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

マティスのこの赤い部屋の作品には、《第1次元 社会的理性領域》
だけしか無いのです。

それは、渋谷陽一というロック批評家が《産業ロック》と、
批判したボストン、、ジャーニー、TOTO、エイジアフォリナー
スティクスREOスピードワゴンスターシップなどのバンドと
同じ構造をしています。
《第1次元 社会的理性領域》しかない音楽だからです。

商業的な成功を目的としたロックを、
渋谷陽一は、批判する目的で、《産業ロック》という言葉を
使ったのです。
今日では、《商業ロックという言葉に置き換わっています。

マティスの作った多くの作品は、
この《商業ロック》と同様の《第1次元 社会的理性領域》だけに
絞り込んだ絵画表現になっています。


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こうした《産業ロック》の出現を歴史的に検証してみると、
1976年ボストンのファースト・アルバム『幻想飛行』にあります。

アルバムは全米3位を獲得し、同年だけで100万枚を売り上げ、
2003年までに通算1700万枚のセールスを記録しています。
アメリカン・ロックの新しい時代を開く歴史的作品として、
高い評価を受けています。


この【YouTube画像】を、ライブ映像にできないのは、
《第1次元 社会的理性領域》だけという表現になっているのは、
レコードの音だけであるからです。

ライブですと《第1次元〜第6次元》という厚みのある音になって
しまっています。
つまり普通に演奏しては《第1次元》だけに特化することは、
むずかしいのです。

《第1次元》だけにするというのは、
実は洗練技術的にはむずかしいことであって、
ジャーニーのアルバムでこれを発見した時に、
私は驚いたものでした。

そして私はこういうレコードでしか聞けないジャーニーや、
ボストンなどの音楽の洗練性は、好きなのです。 



このボストンの高度な音楽性を、《産業ロック》と批判する渋谷陽一の
センスも、実は私は大好きなのです。矛盾してはいますが、
賛同する気持ちがあるのです。

しかし、芸術学的には、ボストンこそが、
エジプトなどの古代帝国の芸術以来の歴史を
集約して成立した《一流》の芸術というもののエッセンスであると
私は思うのです。

つまり全人類の歴史の中で考えると、
古代帝国の中で成立した《第1次元》の領域こそが芸術の本質であって、
このことを重視すれば、《第1次元 社会的理性領域》だけに特化する
芸術路線は、機械的には否定できないはずなのです。

そしてボストンやマティスの作品というのは、
芸術の難解さが無く、多くの人に受け入れられ、
そして愛されるものとなっているのです。

この《産業ロック》の構造にこそ、
実は情報化社会の芸術の、1つの答えがあるのです。

それはボストンの出現が1976年であって、
この音楽が《第1次元 社会的理性領域》だけであるのですが、
同時に《第6次元 自然領域》だけのセックスピストルズが、
出現している年でもあるのです。


つまり《産業ロック》と、《パンクロック》は同時に
出現しているのです。

そして前年の1975年にはアメリカがベトナムで敗戦して、
ひとつの《近代》は終わっています。

ポストモダンの代表的な音楽の出現として、
ボストンと、セックスピストルズは、あるのです。

そして、1976年以降、
このボストン的な《産業ロック》と、
セクスピストルズ的な《パンクロック》は、
バンドやスタイルを変えながらも、同時並行的に再生産し続けられて
います。
つまり情報化社会の芸術史は、
平行的な流れになっているのです。

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ボストンの音楽と、マティスの美術が、
ともに《第1次元 社会的理性領域》しかないことから、
マティスの美術が、何故に多くの人から愛され、
そしてまた同時に、美術評論家から、「売り絵でしかないもの」と
批判されたかが、良く分かります。
しかし、単なる「売り絵」ではなくて、
ここには人類の文明の中の芸術の、ある本質があるのです。

言い換えると、芸術作品の基本は、この程度のものなのです。

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マティスの、こうした切り紙の作品がもつ、
あるペラペラさは、《第1次元》しかないという単層性が生み出している
ものなのです。


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マティスの作品にある稚拙さというのは、
《第1次元》だけの稚拙さであって、そこには《第2次元 技術領域》
というものが無いのです。
だから、稚拙さが表現の質になっています。

同時に《第6次元 自然領域》では無い故に、
稚拙さは、《第6次元》の自然性の稚拙さではないのです。

つまりマティスの稚拙さは、《第1次元》という文明の稚拙さであって、
《第6次元 自然領域》の稚拙さではないことで、
芸術として成立しているのです。

BlueNudeIV52.jpg

マティスを再評価したのは、フランスの美術評論家のマルスラン・プレーネでした。
『絵画の教え』という本が1976年に出版されます。
つまりボストンという産業ロックの出現と、
マティスの再評価の時期は、同じ時代なのです。

マティスは、実は情報化社会の芸術のある本質を示しているように思えます。

それは高度な芸術学の極点の様な作品ではなくて、
芸術社会学的な、何よりも社会の中での多くの社会人に愛される
芸術という、そのような社会性をもった芸術のありようなのです。

マティスや、ボストンを嫌う人々は、多くいます。
その批判の視点の中心は、《第8次元 宗教領域》における、
カンターカルチャーとしての芸術観です。

メジャーな芸術を憎悪して、マイナーな表現に真実を見るという、
そういう価値観です。

メジャーなものは、普通でしかなくて、
軽蔑するのです。

この主張は理解できますが、しかし、
人類史の中で検証すれば、それは特殊な主張なのです。
それは新興宗教と同様の構造であって、
信じる人々だけの中で成立する小さな社会の価値観です。

こうした《第8次元》表現でも芸術であれば尊重はしますが、
しかし空間は小さいし、やたらに薄暗くて、
芸術としては、実はレベルの低いものです。


最終的には、人はそれぞれに好きな芸術を決定すれば良いのですが、
私は、このマティスの平明性にある《第1次元 社会的理性領域》
だけという《産業ロック》的構造を、
むげには、否定できないのです。

今日では通俗化したアートポスターの定番になってはいますが、
私は、マティスのブルー・ヌードは好きであったのです。




タグ:マティス
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大転回(加筆) [日記]

すでに書いているように、
アトリエの整理に、ここ1ヶ月間、明け暮れています。

20年間の乱雑さの堆積を、掘り崩そうとしているのです。
この乱雑さのカオスと原始性、野蛮さは、
私自身の人生の病弱さと、虚偽と、怠惰と、無知無能の産物です。
これを整理しようという不可能に挑んでいると言えます。

昨日は栃原さん、中川さんが手伝ってくれました。


一応の目安が17日なので、余裕が無いのです。

17日は五十嵐太郎さんが、学生を20人連れて、
私のアトリエに来るということがあります。
アトリエで、作品をささやかに展示してみせる必要があります。
彦坂尚嘉個人美術館の建設を、学生に課題として出して下さると
言うのです。

学生への課題ですから、もちろん空想上の建築にすぎません。
それでも、ハチャメチャに多様化している私の作品展開を、
ひとつの美術館建築として構造化して考えてみることの、
そのきっかけとして、大変にありがたいお話です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
フロアイベントのパーマネント展示と写真作品の展示。
トマトアートの部屋

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ウッドペインティングの年代別の展示とウッドペインティングの部屋。

彫刻と皇居美術館模型彫刻と3シーディメンションペインティング。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

アップライトシーの1972年から現在までの展示。


グラフィックワークと版画展示。
グジャグジャ君シリーズから、最近の国宝シリーズまでのドローイング作品。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

51音によるプラクティスと文字作品の展示。






まあ、多過ぎるし、
他人には分からなくなる、この多様性をどのようにするのかを
含めて、考えるのに、良いチャンスをもらったと思います。

しかしアトリエの整理そのものは、五十嵐さんの件だけではなくて、
もっと、根本的な変革に挑んでいるからです。

アトリエ自体は20年前に建てていますが、
初めての大改造で、空間的には複雑に折れ込んで来ていて、
迷路状になって来ています。
栃原さんの果敢な努力が推進力になって、
動線の合理的な追求が、構造の変化を生み出しています。
空間が知的になって来ている事に驚きがあります。

この動線の追求は、
自分の作品の整理と、まとめ方の難問を解く手がかりになります。

アトリエ改造の直接の理由は、気体分子ギャラリーの問題で、
ネットギャラリーで、展示スペースとしての箱は持たないという
原則でやっているのですが、
それでも現実的には、展示会場は必要なので、
その展示会場のひとつとして、
アトリエを改造を目指しています。

藤沢のアトリエに多くの人が見に来てくれるとは思っていませんが、
しかし、目先で、展示スペースが必要なのは、
佐々木薫さんの旧作の展示や、栃原比比奈さんの大作、
そして白濱雅也さんの旧作の回顧などがあります。
もっとも、白濱雅也さんの回顧は、志田さんの所でお願いできないかとも
考えています。

スペースそのものは、天井高5m20㎝あって、
床面積が70畳ある、小さな体育館規なので、
かたずけて、その1/3だけですが、展示をできるようにしようとしています。

そのほかにもう一棟、木工室があります。


それが、しかし半端ではない大改造になっているので、
たいへんなのです。
それは乱雑な私自身の習慣や内面の改造と重なっているからです。

完成は来年の3月を目標にしています。

それが大変であるというだけでなくて、
それを助けてくれる人たちの勢いが必要で、
他の仕事がとどこおおっても、
ここで頑張って変化をしておかないと、
晩年の仕事の組み立てが変わるからです。

伊東直昭‎さん、佐々木薫さん、栃原比比奈さん、山口俊郎さん、
そして中川晋介さんなどが、頑張ってくれていますが、
推進力は栃原さんの建築家的な知性です。
お父さんが建築家で、小さなときからの常識の組み立てが違うのですね。

想像を超えた変化になっていて、
新鮮ではありますが、
私自身が本気にならなければなりません。

そういう変化が,はたして可能なのかどうかは、
疑問が無いわけではありません。

人間は、一方で変化できないという現実があります。
「できない」という心理的な壁は大きいのです。
多くの人が、この不可能性の壁の前で挫折しているのです。

変化できないという現実を認めた上で、
変化するという大転回をするというのが、
実は人生の最大の目標であると言えます。

アウグスティヌスとか、ルター、親鸞にある転換の凄さは、
そういう思いをさせるものをもっています。

芸術とは何か?
という問いの前には、8個以上の様々な答えと次元が存在しますが、
最終的にあるのは、この不可能性の壁の前に立つ事なのです。
そしてささやかでも超える事。
出来ないと不可能性を認めれば、
これを超える方法は見いだせるのです。
それがARTという技術の問題だといえます。



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