山本藍子の搬入/1円オークション/フリーアート(加筆6 画像追加入れ換え) [アート論]
《形骸》について [アート論]
《形骸》について
同じ様な問題ですが、コンビニエンスストアーのマニュアル通りのしゃべり方で「ありがとうごじました」と言われる時の腹立たしさというのも、挨拶の《形骸》化であると言えるでしょうか。
しかし同時に、機能だけあれば良いのであって、精神や生命は要らないという主張もあるのです。
つまりこれらには《機能》としては、有用性があるのですが、その有用性という骨格だけであって、その中に生命や精神が欠けているのです。
《形骸》という言葉で、私が語って来たものが、
何であるのか、ようやく、少しより厳密になってきています。
昨日はフランフラン(FrancFranc) というインテリア/雑貨のショップ
に行って来たのですが、ここの美しくかわいらしい雑貨を見ていると、
この《形骸》という言葉に対応するものを見いだしたのです。
つまり私が《形骸》という言葉で対応させていたものは、
決して「百円ショップ」に並んでいるような安物というのではなくて、
お洒落で、付加価値をもったデザイン製品も含まれることになります。
《形骸》化しているのは100円ショップだけの問題ではなくて、実は産業化社会の最初から、量産品にはついてきた問題でありました。
今日では高い品質のブランドとして信じられているシャネルにしても、シャネルの5番という香水は人工香水であって、本物の香水の《形骸》から始まったし、シャネルの宝石は、偽物の宝石から始まったのです。
もともと産業革命そのものが、《形骸》の発生源であったのではないのか?
いやそれ以上に、書き言葉を発明した文明にこそ、人間の生命を《形骸》化する起源があったのではないのか?
少なくともこのことを老子は指摘しているのです。
つまり文明が進むことは、《形骸》化の進展として現れるのです。それは機能や有用性の拡大と引き換えに、本来の人間生命の意味や精神を《形骸》化して行く。さらにはその《形骸》化を引き受けることによってのみ、新しい文化を生産しえるという、こと。
つまり《形骸》という言葉から始まったにしろ、
他の言葉に置き換える必要さえある概念装置であると言えるのです。
そこで簡単に連想できるのは《レプリカ》とか、
《イミテーション》という言葉の連想です。
《形骸》という言葉を、広辞苑という辞書で引いてみると、
次のようにあります。
「①からだ。肉体。むくろ。生命や精神のないからだ。建物のさらされた骨格のみ。②中身が失われ外形だけのこっているもの」
100円ショップに並んでいるチープな雑貨類というのは、取りあえず使用する機能としては役にたつので、”機能”とか”使用価値”という面で見ると《形骸》とは言えないものであるはずですが、にもかかわらず彦坂尚嘉の《言語判定法》では、「形骸」という言葉に対応するものです。
つまりこの場合で言うと、《機能》という部分が広辞苑の定義にある「からだ」とか「骨格」というものに対応していると考えられます。そこで、次のように言い換える事が出来るのではないでしょうか。
《形骸》の拡大的意味
「①機能。使用価値。有用性。生命や精神のない有用性や使用機能。有用性のさらされた機能のみ。②中身が失われ機能性、有用性だけのこっているもの」
つまりそれはロボット的なものであるのです。「生命や精神のない有用性や使用機能」というのは、ロボットによる作業や、あるいはコンビニエンスストアーでのマニュアル通りの挨拶がもっている腹立たしさを示しているのです。
レストランでいうとサイゼリアの食事の様なものです。サイゼリアのメニューは驚くほどに安い値段です。食べている時は、安さの割にはましな食事に思えるのですが、終わって外に出てくると、異様なまでの軽さや空虚さにとらわれて、食事の中身が無かった事に気がつくのです。
このような《形骸》性というのは、何なのでしょうか?
逆に言えば、形骸化していないものの、「生命や精神」に満ちたものとは何なのでしょうか?
例えば、飛行機で東京から四国に旅行に行きます。そうすると1時間ほどであまりに簡単についてしまい、どこにいるのか分からないといった空虚感にとらわれます。
飛行機を使わないで、新幹線で行くと、それなりの時間が使われて、四国大橋を汽車で渡って行く時の美しい風景の満足と合わさって、充実した旅行気分になるのです。
さらに自動車で四国まで走ったことがありますが、植物の形状が次第に変わって行くと言う変化を面白く味わう事ができて、旅行の面白みを満喫することが出来ました。
ですから江戸時代のように、歩いて東京から四国まで行くと、旅の面白さはもっと豊かに体験できるようになるでしょう。
つまり旅行の《形骸》化というのは、飛行機や鉄道といった近代的な機械の有用性によって生み出されているのです。こうしたことから敷衍して、文明そのものが、実は《形骸》化を生み出しているのではないか? という疑いになります。
私は子供の頃に、薪でご飯を炊いていたことがあります。薪の煙の臭い、そして炎を見つめながらご飯を炊く体験は、辛いものであって、今、繰り返したいとは思いません。私は現在の電気釜で、簡単に玄米を炊くことが出来る事を喜んでいるのです。つまり炊飯の《形骸》化を享受しているのです。
ですから《形骸》化の出現には両面性があって、これは生きる意味の重要な喪失であると同時に、生きる事の簡便化や、快適さも生み出しているのです。どちらを積極的に評価するかで、文明にたいする評価は変わるのです。
さて、こう考えてくると、芸術やアートに見られる《形骸》化も、否定的にだけではなくて、肯定的にも考えるべきなのではないか? という反省に至ります。
つまり現在の現代アートの《形骸》性というのは、コンピューターやインタネット、デジタル映像化、携帯電話の普及などの情報技術や、工業生産のコンピューターによる高度化などの様々な総合的な変化の結果によって生み出されて来たものであって、マイナス化もあるにしても、プラス化も大きくあると言う面を見失っての判断は、間違いではないのか?
鎌倉には竹をつかった塀をよく見かけるのですが、
竹を紐で編んで塀をつくるのは、職人の労賃が高くなっていることもあって、贅沢なものなのです。しかも竹はすぐに腐ってくる。したがって数年に1回、作り直して行かなければならない。そこで人工のプラスティック竹の塀が出現しています。はじめはこの《形骸》化を嫌に思ったのですが、だんだんなれてくると、しかたがないと思うようになってきています。
さて、こう考えてくると、建築で言えば最近のプラモデルのような高層建築も良しとしなければなりません。それは単なる現状の追認なのですが、遅まきながらでもそれを追認して、現実を現実として認める必要があるのです。
それはしかし同時に、古い建築の価値を認める事なのです。欧米では、大学の《格》というのは、大学の校舎の古さなのです。一番高い評価の大学の校舎は、石造りです。次がレンガ作りです。コンクリートの大学は、《格》としては落ちるのです。
欧米の図書館でも同じ様な《格》付けがあります。グーテンベルクがつくった最初の活版印刷の本を持っている図書館が、《格》が高いのです。
否応もなく文明化が進み、《形骸》化が進むから、古いものが《形骸》化の度合いが少ないのであって、その本来的な保存や所有が重要なのです。
つまり《形骸》化を避けないと同時に、本来の生命や精神の存在する美術作品の重要性は、今の情報化社会でも、変わらずに存在しているのです。しかしそれらの《真性の芸術》は、今日の流通にはなかなか乗らないという事です。世界的な流通に乗せようとすれば、芸術の《形骸》化はされなければ不可能であると言う事です。
美術作品の制作において、《形骸》化は避け得ないものであると、私は遅まきながら、現状を追認する所まで至りました。しかし《形骸》化の少ない美術作品の価値が、高いという事を、改めて強調しておきたいと思います。
八大山人 [アート論]
ディック・ブルーナ(加筆1) [アート論]
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現、
《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》は無い。
《非芸術》、《無芸術》《世間体のアート》がある。
《超1流》の美術を集める皇居美術館(4) [アート論]
5 中くらいの美術=流通美術=鑑賞芸術
彦坂・《中くらいな絵画》というのは、西洋で言えばレオナルド・ダ・ヴィンチが始めたといわれるタブロー(額の絵画)です。レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザを持って歩いて10年かかって作品を描いているのです。そして運搬できるという事は、実は美術市場=流通に乗るという事ですので、近代になると流通美術になって行く形式です。資本主義時代のモダンペインティングの大半はこの中くらいの「額の絵画」であり、それは流通絵画であったのです。
東洋ですと、この中くらいの絵画は掛け軸です。加藤周一は、日本の禅宗が衰える、宗教が美術化して禅の美術が成立してくると書いていますが、禅宗の僧侶が床の間に掛けた風景画や禅の先生の肖像画である頂相が、掛け軸のスタイルで、典型的な中くらいの美術であろうと思います。これも運搬できる形で、流通性はあるのです。。
つまり中くらいのサイズの絵画というのは、壁面に垂直に掛けて鑑賞する鑑賞画なのですが、それは同時に流通美術という移動性を持つものなのです。建築美術というものが、例えば狩野永徳の描いた安土桃山城の壁画が焼けてしまったように、失われるものが多いのですが、中くらいの絵画は流通美術であるので、そのために戦禍を逃れて脱出して生き延びt作品も、建築美術に比して多いのです。歴史的に残りやすいという事で、骨董性をもち、さらに流通しやすさと、この2つが合わさって、鑑賞芸術というものの代表に、この中くらいの大きさの絵画がなって行きます。
肖像画 狩野永徳 織田信長像 (狩野永徳展図録参照)
水墨画 狩野永徳 芦雁図 京都 大徳寺 国宝
肖像画 伝藤原隆信 源頼朝像 京都 神護寺(京都国立博物館寄託) 国宝
自画像 雪村筆 自賛 奈良 大和文華館 重文
絵画 楊柳水閣図(部分) 雪村筆
絵画 風濤図 雪村筆 京都 野村美術館 重文
絵画 瀟湘八景図帖 遠浦帰帆 雪村筆
絵画 呂洞賓図 雪村筆 奈良 大和文華館 重文
肖像画 一休宗純像 東京国立博物館 重文
肖像画 明恵上人像 京都 高山寺 国宝
絵画 那智滝図 東京 根津美術館 国宝
絵画 恵可断臂図 雪舟筆 愛知 斎年寺 重文
水墨画 雪舟等楊 破墨山水図 東京国立博物館 国宝
水墨画 雪舟等楊 秋冬山水図(冬) 東京国立博物館 国宝
絵画 秋冬山水図 冬景 雪舟筆 東京国立博物館 国宝
絵画 枯木鳴鵙図 宮本二天筆 重文
絵画 枯木鳴鵜図 宮本二天筆 重文
絵画 寒山拾得図 狩野山雪筆 重文
絵画 連鷺図 蕭白
絵画 香巌撃竹図(旧大仙院襖絵)狩野元信筆 東京国立博物館 重文
肖像画 渡辺崋山 鷹見泉石像 東京国立博物館 国宝
浮世絵
浮世絵 歌川国貞 鵯越逆平家落城梶原働図 神戸市立博物館
浮世絵 東洲斎写楽 市川海老蔵の竹村定之進 東京国立博物館 重文
浮世絵 写楽 三世佐野川市松の祇園町の白人おなよ 東京 リッカー美術館
浮世絵 写楽 三代目瀬川菊の丞の田辺文蔵・妻おしず 東京国立博物館 重文
浮世絵 写楽 東洲斎写楽 二世大谷鬼次の奴江戸兵衛 東京国立博物館 重文
浮世絵 写楽 葛飾北斎 諸国滝めぐり 下野黒髪山きりふりの滝 東京国立博物館
浮世絵 葛飾北斎 虎図 太田記念美術館
浮世絵 葛飾北斎 富嶽三十六景 凱風快晴 東京国立博物館
浮世絵 葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖波裏 東京国立博物館
浮世絵 葛飾北斎 西瓜図 宮内庁三の丸尚蔵館
《自然》という原理と歯医者 [アート論]
《自然》という原理と歯医者 [アート論]
《超1流》の美術を集める皇居美術館(3) [アート論]
4 大きな美術=建築美術
彦坂・さて、そもそも絵画や彫刻には大中小があります。
しかも単なる大きさの違いではなくて、大中小によって絵画と彫刻の起源が違うのです。
坂上・大きさによって、美術の起源が違うのですか?
彦坂・大きな絵画といのは壁画などの建築についている《建築絵画》です。そして大きな彫刻というのは、ハーバード・リードの『彫刻とは何か』によると、ピラミッドや、アンコールワットといった大きなモニュメンタルな建造物になります。
坂上・じゃ、小さな美術って、何ですか?
彦坂・小さな彫刻というのは、ハーバードリードによるとアミュレット、日本語で言うと「護符」です。具体的には土偶とか、江戸時代の根付けとか、今日のフィギュアとか、ストラップです。つまり、単に小さいというよりも、縮減効果といいますが積極的に小さくしてあるです。小さくする事で愛玩性を生み出している。
小さな絵画というのも、同じように縮減効果による愛玩芸術なのですが、メディウム的には本の美術です。西洋だと手描きの聖書に挿絵がはいっている写本です。日本だと絵巻物ですね。他にはミニアチュール、こういうもののなかに有るイラストレーション的な絵画が、小さな美術です。そして版画も、出自的には本の美術です。それから写真というのも、実はリトグラフの開発のなかからニセフォール・ニエプスが写真を開発したのでって、写真は実は本の美術であって、小さな美術の起源に含まれるのです。実際、本に収録されている写真というのは、現実背界を小さく縮減しているのですね。
、
坂上・ふーむ、彦坂さんの意見は、ずいぶんと常識とは違いますね。
彦坂・でも常識っていうけれども、きちんと考えていないでしょう。むしろ私の言うように、小さな美術=本の美術として、イラストレーションや、版画、写真、いっしょの起源にある縮減効果をつかった愛玩芸術であると、その基本を考える方が、まとまりが良いとおもうのですが。
坂上・わかりました。とにかく、まず、大きな美術ですね。それは絵画だと建築絵画だと言うのですね。
彦坂・まず、建築絵画ですが。ヨーロッパですとジョット・ディ・ボンドーネのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が《建築絵画》であって、「大きな絵画」です。
坂上・ジョットも《超一流》なのですか?
彦坂・ジョットは《第一次元 社会的理性領域》であって、《一流》の美術作品にすぎなくて、『帝国美術館』には収蔵されたくて排除されるのです。画家の中の画家という評価の高いベラスケスも、《一流》でしかないので排除されます。こういう排除は常識を超えたもので、《超一流》という基準で美術史を切断すると、違う顔をもって美術が現れてくるのです。日本美術でも、例えば尾形光琳は《一流》ですので、皇居美術館には収蔵されないのです。光琳の好きな方は多いので怒るでしょうが、そこを排除することが重要です。《一流》と《超一流》は、確然と原理が違うのです。《一流》は社会的な理性を基盤にしていますが、《超一流》というのは、その社会的な世俗の常識の外に出て、純粋に芸術史の原理に立っているのです。
坂上・光琳が排除されるというは,とんでもない考えですね。
彦坂・光琳と宗達を比較すれば、圧倒的に宗達が《超一流》ですぐれているのです。この宗達の有名な作品の多くが、大きな建築絵画、つまり障壁画なのです。
《大きな絵画》の基本構造は建築が持っている構築的工学的な構造に強く対応している絵画なのです。つまり構図が建築的に厳密であるし、絵画空間の組み立ても建築性があるものが多いのです。そしてもうひとつ、これら建築絵画は、鑑賞芸術というものではない作品が多いのです。たとえばラファエロはバチカン宮殿に『アテナイの学堂』などの壁画を描いていますが、これらは建築絵画であって、建築の装飾画ではありますが、鑑賞芸術の絵画ではないのです。同様の事は、日本の建築絵画である障壁画にも言えるものです。俵屋宗達、狩野永徳や狩野山楽の障壁画の多くは、建築美術であって、鑑賞芸術ではないのです。
坂上・大きな美術というのは、鑑賞芸術ではないのですか。では、何なのですか?
彦坂・大きな美術は、驚愕芸術というべきものだと思います。
坂上・驚愕芸術ですか。
彦坂・建築を見るというのは、私は好きですが、建築を見る眼差しというのは、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのような中規模サイズの絵画を鑑賞ということとは違うのですね。それを鑑賞ではなくて驚愕であると言いたいですね。「驚愕」という言葉を別の言葉に代えれば「スペクタクル」というものです。スペクタクルの語源はラテン語の"Spectaculum"で、その意味は「実際に見て壮観な」ということです。
ラテン語の「見る」を表すspecereから、英語のSecterという言葉ができて、これが「妖怪」「思わず目をみはる、目が飛び出る」という意味であるので、私は「驚愕」という単語にしたのです。
映画ですとスペクタクルというのは、ハリウッド映画がつくった「べン・ハー」「風とともに去りぬ」「クレオパトラ」等々の七〇ミリ映画がその代表でした。壮観な眺めの映画で、驚くような絢爛豪華なセットや衣装の史劇です。すさまじい数のエキストラが動員され、派手な天変地異や戦争のシーン、驚嘆の特撮映像等をくししたものが「スペクタクル」というもので、こうした視覚を、鑑賞芸術とは区別して、《驚愕芸術》と言います。
こうした《驚愕芸術》の視覚は建築絵画にも言えて、建築絵画、つまり大きな絵画は、実は鑑賞芸術ではないのです。ベネチアのドゥッカーレ宮殿にティントレットの「天国」という絵画がありますが、大きさが七メートル×二十二メートルというもので世界最大の油彩画と言われるものです。パノラマであり、スペクタクルです。こういう絵画を見るとき、その眼差しは、鑑賞というものではないのです。《驚愕》を見る眼差しであると私は言いたいのです。
坂上・大きな絵画というものとしてポロックのドリッピング絵画がありますが、あれはどうですか?
彦坂・ポロックも、大きな絵画は鑑賞芸術ではないのですよ。《驚愕芸術》です。
坂上・え、本当ですかね?
彦坂・そうです。ポロックのドリッピングの大作は、《鑑賞芸術》ではなくて《驚愕芸術》です。《驚愕》という視覚で作品を作るというのは、それ以後の現代美術/現代アートには、つきまとってくるのです。たとえば会田誠の作品です。女性を犬にして手を切り取ったり、大きなミキサーに大量の女性を入れて殺しているイラストッレーションの作品が、何故に現代アートとして誤認されて評価されるかと言えば、《驚愕》という視覚が、《鑑賞》という視覚と同位であると言う誤解に因るものなのです。しかしこの《驚愕芸術》という視覚は、もともと建築美術の中に古くからあって、ストーンヘンジの環状列石にまでさかのぼるものなのです。
障壁画は字を見てもわかるとおり、そこにある襖は、実は移動壁です。建築に付属している移動壁なのです。屏風もまた移動壁が自立して立っているのですからあれは建築なのです。つまり屏風や襖というのは、移動壁面であって、壁画の一種類なのです。そういう事実がわからず、整理を付けないまま、西洋から入ってきたキャンバス絵画だけを絵画だと思うと、日本の本来からある障壁画というものが美術として不純のように見えることになってしまう現象がおきてしまいます。ヨーロッパの中にもたくさんの壁画がありますが、壁画はもちろん美術ですから、そういう《鑑賞芸術》ではない《驚愕芸術》としての広がりがりとして、日本の障壁画を意識しないと、日本美術の優秀性が見えにくくるのです。日本にはこうした移動壁画は、金箔地に群青・緑青・白緑そして朱や濃墨などを用いた濃彩色の障壁画である『金碧障壁画』や、反対の水墨を基調とした無彩色か淡彩の障壁画の、二種類の《超一流》の《建築絵画》が数多くあります。それら《超一流》の建築絵画=驚愕芸術を、皇居美術館に集めようというのです。
坂上・宗達の風神雷神図を、鑑賞芸術ではなくて、驚愕芸術であるとしてみるというのは、たしかに考えてみるべき視点かもしれませんね。
狩野元信 四季花鳥図 京都 大仙院(京博、東博寄託) 重文
狩野永徳 檜図 東京国立博物館 国宝
狩野永徳 聚光院障壁画
狩野山雪 梅に山鳥図襖 京都 妙心寺 重文
俵屋宗達 舞楽図 京都 醍醐寺 重文 十七世紀前半 紙本金地著色
俵屋宗達 風塵雷神図 京都 醍醐寺 重文
俵屋宗達 松島図屏風 十七世紀前半 紙本金地著色
俵屋宗達 松図襖 重文 十七世紀前半 紙本金地著色
俵屋宗達 白象図杉戸 重文 十七世紀前半 板地著色
俵屋宗達 唐獅子図杉戸 重文 十七世紀前半 板地著色
俵屋宗達 雲龍図屏風 重文 十七世紀前半 紙本金地著色
狩野山雪 梅に雉子図襖 重文 紙本金地著色 1631年
狩野山雪 梅に山鳥図襖 重文 紙本金地著色 1631年
狩野山雪 老梅図襖 重文 紙本金地著色 1647年
狩野山雪 籬に朝顔図襖 紙本金地著色 1631年
狩野山雪 蘭亭曲水図屏風 紙本金地著色 重文 十七世紀前半
狩野山雪 竹に虎図襖 紙本金地著色 1631年
狩野山雪 雪汀水禽図屏風 重文 紙本金地著色 十七世紀前半
久隅 守景 『夕顔棚納涼図屏風』 東京国立博物館 国宝 紙本墨画淡彩 十七世紀
久隅 守景 『鍋冠祭図挿絵貼屏風』 十七世紀前半 紙本着彩
久隅 守景 『四季耕作図屏風』 石川県立美術館蔵 重要文化財 十七世紀 紙本墨画淡彩
曾我蕭白 郡仙図屏風 1764年
曾我蕭白 月夜山水図屏風 近江神宮
曾我蕭白 四季山水図屏風 手銭記念館
曾我蕭白 商山四皓図屏風 重文 1765-71 紙本墨画
曾我蕭白 桜閣山水図屏風 ボストン美術館
曾我蕭白
彦坂・さて、「大きな美術」は《建築絵画》の他に、最初にのべたように「大きな彫刻」があります。普通に言えば、それは鎌倉大仏のような大きな彫刻であります。これは、等身大の彫刻よりもはるかに大きいことで、これを見る事は《鑑賞芸術》という見方ではない《驚愕芸術》とも言うべきスペクタクルの視覚で成立しています。
しかし、たとえば五重塔のような建築は、大きな彫刻であると、考えられるないでしょうか? 五重塔の大きさから《驚愕芸術》のスペクタクルの視覚で見るという性格をもっているのです。
そもそも建築を鑑賞するという事自体が、この《驚愕芸術》の視覚性から見ているのであって、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのような中規模の芸術をみる《鑑賞芸術》の視覚とは違うのです。同じ「鑑賞」という言葉を使うので、混乱を生みますが、中規模の《鑑賞芸術》の「鑑賞」ということと、大規模な《驚愕芸術》を見る「鑑賞」は、違うという事です。前者が《鑑賞》であって、後者の視覚制度は《驚愕》というスペクタクルなのです。この違いのために、多くの美術家は建築を鑑賞する事をしませんし、そしてまた建築家は、美術作品を鑑賞する事が苦手であったり、できない人が多いのです。つまり「タブロー」とか等身大の彫刻いう中規模の美術品の鑑賞と、大規模な建築や建築美術の鑑賞の間には、視覚の制度性に差異があるのです。この差異性を重視して彦坂尚嘉の私見を申しあげれば、実は《超一流》の建築というのは、「大きな彫刻」と同位であると考えられると思うのです。
坂上・本当ですかね? 建築は建築であって、彫刻ではないでしょう。
彦坂・だとするとピラミッドや、アンコールワットのような大きな構築物を、大きな彫刻であるとしたハーバードリードの彫刻論は間違っているということになります。しかしハーバードリードの彫刻論はすぐれています。私は大きな影響を受けました。だから私も、ピラミッドや、アンコールワットを建築であるとともに、大きな彫刻であるという同時表示物であると考えています。それは私の《言語判定法》を使っても、そのように判断されるからです。
そのような《大きな彫刻》と《建築》の同時表現というのは、たとえば金閣寺のような建築にも言えるのです。彦坂尚嘉の私見で言えば、《超一流》の建築は、建築であるとともに《大きな彫刻》であって、実は《大きな美術》の起源においては、彫刻と建築は、同一であったと考えられるのです。その重要な起源としては巨石記念物があるのです。巨石記念物は世界中に分布していて、人類史の中で、重要な位置を占めています。それは単一の立石から、立石郡、環状列石、支石を数個並べ、その上に巨大な天井石を載せたドルメン(支石墓)、さらには巨石神殿まであります。こうした巨石記念物には、巨大彫刻の原形性とともに、巨大な建築の原形性が見られるのではないでしょうか。
つまり巨大建築には、もともと、実は彫刻の性格があったのです。巨石記念物からピラミッド、日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げて建てられた聖塔であるジグラト、ギリシア神殿、そしてアンコール・ワットとつながるような建築は、実は彫刻であって、これらを見る私たちの眼は、スペクタクルな《驚愕》の視覚制で成立していたのです。
それは今日のフランク・オーウェン・ゲーリーやダニエル・リベスキンド、レム・コールハース、ザハ・ハディッド、コープ・ヒンメルブラウ、ベルナール・チュミピーター・アイゼンマンなどのデコンストラクションの建築にも言える事だと考えています。《大きな彫刻》と《建築》は同一性を持っているのです。
【続きは下記をクリックして下さい】
美術は西欧のものか? [アート論]
知人から、次のような個人メールをいただきました。
アートフェア東京の出品作品の悪さを書いた私のブログへの、
反応です。
美術という概念は、あくまでも西洋のものです。
ですから美術という概念で日本という社会を
捉えると、どこまでも悪い場所でしかなく
大衆と呼ばれる日本人がどこまでも美術については
無学な教養のない、価値のない人々ということに止まるのだと
考えるようになりました。
多くの美術家は、または美術関係者は、一体にご自分の出自をお忘れなのでしょうか?
肌の黄色いでも欧米人だとお考えではないかと感じることが多々ございます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こういう反応を持たれるお気持ちは理解できます。
明治維新以降の日本の洋画を見ると、西洋美術の輸入の歴史のように
見えるからです。
私自身も、日本洋画の末裔であります。
そういう存在に対して「多くの美術家は、または美術関係者は、
一体にご自分の出自をお忘れなのでしょうか?」という言葉を
投げかける気持ちは、良くわかります。
たとえば萬鉄五郎という洋画家がいます。
萬は、フォーヴィズムや、キューヴィズムの早い輸入で有名になった
画家です。
日本美術の近代化の先駆者として評価が高いアーティストです。
私たちはその輸入という、西洋の美術に出自のある美術に、
不満や、怒りをもっているのでしょうか?
萬鉄五郎の回顧展が国立近代美術館で数年前に開催されていますが、
晩年に至るまで、萬鉄五郎の作品は『ペンキ絵』で、
絵画として、高みに向って成長していきません。
真面目に萬鉄五郎の作品を研究してみれば、
そこにあるのは駄目さであって、輝かしい芸術家の姿は無いのです。
むしろ歳を減るごとに駄目なものへと退化して
いきます。
この辺は岡本太郎の晩年の仕事の劣化のひどさと似ています。
しかも、萬鉄五郎においては、
西欧から輸入したはずのフォーヴィズムも、
キュービズムも追求されていいなくて、
油絵で、南画という東洋画を描くという、ドジな伝統主義に回帰
していくのです。
つまり若い時は、西洋美術を輸入して始まっても、
それを真摯に追求していくという事は日本のアーティストには、
まったくと言って良いほどに見られない事で、
日本の伝統的な美術の風土に回帰して、ローカルなアートとして、
大衆の理解できる表現へと回帰していく事なのです。
一番ひどいもののひとつは今井俊満の晩年の花鳥風月や、
さらに後の政治的な絵画です。
一見、アンフォルメルから始まったように見える作品展開ですが、
あるのはいつも《6流》の愚劣な美術の連鎖であって、
人類の作り出す芸術の高みへのあこがれを欠いた低さだけです。
低いものだけの世界は、今井俊満に限らず、
岡本太郎であろうと、会田誠であろうと、森村泰昌であろうと、
日本の近代/現代美術につきまとうものです。
「美術という概念は、あくまでも西洋のもの」ということは、
本当のことなのでしょうか?
北沢憲昭の『眼の神殿』や、柄谷行人の『日本近代文学の起源』に
書かれている、近代以前に日本には○○は無かった、というパターンの
指摘は、実は虚偽であり、迷信に過ぎないのです。
つまり美術は、概念以前に存在するのです。
恐竜と言う言葉や概念がなくても、恐竜は巨大化して歩き回って
いたのであって、日本には美術は、恐竜のように存在していたのです。
エジプトにも、美術や芸術という言葉も概念もありませんでしたが、
しかし言葉以前に、美術や芸術は存在したのです。
それはビックバンの起きた宇宙の始元には、ビックバンと言う概念も
言葉もなかったのに、ビックバンが存在したように、
エジプトには、美術や芸術は存在したのです。
これはニューヨーク近代美術館のルービンという有名学芸員が、
主張している事です。
私の著作でも指摘している事ですが、柄谷行人の執筆には、
事実誤認がひどい多さで存在しています。
それは北沢憲昭の著作にも言える事であって、
基本において間違いなのです。
日本には、明治維新以前から、遠近画法も存在したし、
美術も芸術も存在していたのです。
存在していないというのは、迷信なのです。
日本人に限りませんが、人間というのは迷信を信じて生きているに
過ぎないのです。
何も調べず、何も研究しないで、答えを見つけて、
盲目的に信じるのです。
たとえば「国家」という概念も西洋のものであり、
「自動車」とか、「カメラ」とか、「映像」という概念も、
西洋のものであると、日本人は信じています。。
そもそもが「概念」というものが、西洋のものであると信じています。
しかも日本列島に生息するニホンザルが進化して日本人になったと
いうわけではないので、
日本人という人種の起源が日本になくて、
アフリカで生まれた「ヒト/ホモサピエンス」が、
日本列島に住み着いただけなので、
日本人はいなくて、
アフリカ類人猿の一種がいるだけなのだと、日本人は信じています。
事実、国技と言われた相撲は実はエジプトに生まれたもので、
紀元前2000年前のピラミッドの中に、
相撲の48手の取り組みの図柄が、
描かれているのです。
尺八もエジプト生まれで、日本建築の基準であるルート2も、
エジプト生まれです。
つまり日本はエジプトであって、
「日本人はエジプト人である」と、日本人の多くは信じているのです。
もうひとつ重要なのは、書き文字です。
日本人は書き文字を発明しなかったので、
書き文字自身が中国から渡って来た外来文化です。
ですので日本の中には、
無文字文化が、実は今も息づいているのです。
つまり日本には文字は無くて、
日本文化の本質は文盲性なのです。
さらに仏教です。
仏教は中国経由で日本に入って来た外来の宗教ですので、
日本の根底にあるものではないのです。
伊勢神宮の外宮である度会(わたらい)神道が、
「神皇正統記」を産み落とし、さらに「大日本史」になり、
つまり、こういう事を言っている枠組み自身が、
国民国家としての日本という、
《近代》という枠組みの「日本」を基準にしています。
しかし明治以降の日本人が信じる「日本」は、
明治以前には無かったのです。
たとえば、今もそうですが、
「イタリア」というものは無いと言われます。
あるのは「ナポリ人」というような都市国家の人間と、
そして「ラティーノ」というラテン共同体の枠組みです。
同様の事はアメリカのスパニッシュの人びとにも言えて、
アメリカのラテン系テレビを見ていると、
国家としてのアメリカ合衆国は消えていて、
ラテン・インターナショナリズムの世界であって、
ニューヨークの次はコロンビアが写り、メキシコになり、
続いてドミニカ共和国のメレンゲの演奏になるのです。
人類そのものが、アフリカ類人猿に出自を持つという意味で、
実は「日本」を無くする事ができるのです。
一度は、「日本」を消してみる必要があるのです。
私自身は、全人類の歴史の中に自分自身を位置づけて考えます。
国民国家としての日本を、一度カッコに入れて消してみて、
考える立場です。
そして再度、近代以前の日本を再評価して、
全人類歴史の中に、「日本」を再度位置づけて見直す立場です。
東洋と西洋の区分をしても良いですが、
しかし過大にその差を意識するのは、
岡倉天心みたいで、今更と言う気がします。
つまり《近代》の西欧列強という、
帝国主義時代の枠組みで意味を持った「東洋」という言葉を、
今のグローバルな時代の中で言っても、古くさく感じるのです。
1980年代以降、世界は根本的に変わったのであり、
それを示すのは食事に代表される世界の変化です。
寿司は、もはや和食ではなくて、グローバル・フードなのです。
日本人は、コンピューターを作っていないし、
OSもすべて輸入品だといって、
それにこだわっている暇はないという思いがあります。
世界はグローバリズムの中で、食べる次元から、
根本的に変わったのであって、
「日本」とか、「西洋」とかいう言葉も、
もう一度、枠組みからの変化の中で洗い直す必要があるのです。
西洋美術は、実は1945年以降の歴史の中で、
芸術的には、極めて低いのです。
1945年以降のアメリカ美術の芸術的な高さを、
実は日本人の多くが見ていないし、見る機会も無かったし、
そしてそういう事実は知りたく無いと思っているのです。
さらには1975年以降の現代アートの多くは、
芸術的には終わってしまって、
アメリカ美術も劣化します。
少数の例外以外は、ひどいものになっているのです。
それは1991年以降、さらにひどくなって、
芸術は、地下にもぐり、
芸術や知性の劣化したひどい形骸文化が、情報化社会の、
初期20年を支配したのです。
それが、先日のアートフェア東京で完成したと言える
キッチュな美術状況です。
それはしかし、人間という存在の中では、
ある意味で普遍的な低さなのです。
人間の多くは低い存在なのです。
この人間の低さを見つめる事から、目をそらしてはいけないのです。
だからこそ、高みを見つめる必要があります。
現在もなお、実は今日の情報化文明に中には、
高度の知性と、高度な食事をつくるレストランと、
高度な演劇の舞台と、高度なコンサートホールは、
生き続けているのです。
同時にサイゼリアのようなレストランもあるのです。
アートフェア東京は、アート界のサイゼリアなのです。
さすがにサイゼリアには行かなくなりましたから、
いつか、アートフェア東京にも、行かなくなるでしょう。
結論を言えば、
今日の状況は、情報革命による変動が第一であって、
それを別の古い用語に結論として落とし込む事は、なるべく避けたいのです。
今の日本が悪いのは、
情報革命に背をむける人が多いことです。
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