SSブログ

初音ミク(加筆3校正1) [アート論]

文化の状況が、プラズマ化して、《炎上》状態になった例として、
初音ミクをつかった作品を例にあげておきます。

《炎上》は、『アートの格付け』としては《第21次元 愛欲領域》
なのです。




《想像界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》

《想像界》だけの表現
プラズマだけの表現

《気晴らしアート》
《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の表現
理性脳だけの表現

《原芸術》は無い。
《芸術》は無い。
《反芸術》は無い。
《非芸術》は無い。
《無芸術》は無い。
《世間体のアート》は無い
《形骸》も無い
《炎上》である
《崩壊》では無い。

初音ミクというソフトの面白さは、
音楽を作曲し、歌手に歌わせるという、エリートにのみ許された
特権的な位置に、無名で無能な大衆が入って来て、
音楽のまがい物であるにしても、音楽らしきものを作れるという事です。
つまり大衆による音楽制作の拡大なのです。

初音ミクという音声ソフトで作られた音楽は、
すでに膨大にあります。
その中で面白いものは実は少ないのです。
その面白い完成度の高いものを2つ、ご紹介しているわけです。




文化の状況が、プラズマ化して、さらに《炎上》以上になると、
《崩壊》が出現します。
『アートの格付け』としては《第16次元》です。

これも初音ミクをつかった作品を例にあげておきます。


《想像界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
プラズマだけの表現

《気晴らしアート》
《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の表現
理性脳だけの表現

《原芸術》は無い。
《芸術》は無い。
《反芸術》は無い。
《非芸術》は無い。
《無芸術》は無い。
《世間体のアート》は無い
《形骸》も無い
《炎上》でも無い。
《崩壊》である。

タグ:初音ミク
nice!(4)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

《超一流》の美術作品を集める皇居美術館(2) [アート論]

3 工芸を含む芸術の豊かさを

彦坂・私は中学生の時から美術館回りをして、東京国立博物館にお弁当を持って行って、とにかく訳の分からないままに国宝や重要文化財を目で暗記しようとしてきたのよね。

坂上・何故に目で暗記しようとしたですか?

彦坂・なぜかと言えば、東京国立博物館に行って国宝や重要文化財になっている名品をみても、何か茶色っぽい古くさいもので、中学生の私には良いものとして理解できなかったからね。

坂上・理解できない事を、何とか乗り越えよう思って、丸暗記したのですか?

彦坂・そう、とにかく国宝や重要文化財に指定されている良いとされる美術品は、眼で丸暗記しようと考えたのね。「暗記、暗記」とお題目を唱えて、目を開き、国宝を凝視して頭に刻み付けようとしたのです。

坂上・真面目ですね。

彦坂・大学生になると京都国立博物館や、奈良の大和文華館、奈良国立博物館に、新幹線に乗って繰り返し行くようになります。なぜにそういうことをしたかといえば、昔は一ドル三六〇円の固定相場性であって、日本人は貧乏で、私の家のような中流では外国に行って本物を見られないので、海外作家の目に対抗するには、自国の最高の美術品を見る事で、芸術の善し悪しを見分ける目を作ろうと思ったのです。日本のすぐれた名品というのは、何といっても奈良や京都などの関西に集中してあるのです。ですから私の美意識を育てたのは、京都や奈良であり、日本の国立博物館であり、国宝の評価システムという伝統美的な権威主義的なものなのです。

坂上・でも、彦坂さんて、国宝で、しかも国民的な人気の長谷川等伯の「松林図」を、《六流》の『ペンキ絵』であるって言って、飲み屋で喧嘩していたではありませんか(笑)。

彦坂・しかし長谷川等伯の「松林図」に夢中になる人は、下敷きにある牧谿という中国画家も知らないという教養の無い人が、大多数なのです。イメージとしては「松林図」は良さそうではありますが、きちんとした絵画としては、松ノ木も大地にきちんと根を張っていまいし、松ノ木と松ノ木の相互の関係性も空間も描けていない。つまり《真性の芸術》ではないのです。つまり日本の重要文化財を再度自省的に、自己批判的にまで参照し検証するところまで私は、成長して来て、今回の皇居美術館と言う空想美術館のプロジェクトを始めたのです。つまり彦坂尚嘉というのは、日本美術界の権威の中で育てられて、それを内側から食い破って出現して来た鬼っ子なのよね。

坂上・確かに、鬼っ子ですね。私なんかより年寄りのくせに、若いアーティストの展覧会を作ったり、そのくせに古美術も勉強し続けて、よくもそういう風に、情報化社会の先端の流行美術と、反対の古美術を同時に追いかけられますね。

彦坂・私は中学二年のときに、講談社の『世界美術全集』と『日本近代絵画全集』というものを買っています。はじめに気がついたのは、赤の色が国によって違うという事でした。たぶん、手に入る赤の顔料が違っていて。そういう中で違いが固定されて行ったのだろうと考えました。日本の赤はやや黄色みのある朱色が主流でした。イギリスの赤はそれに比べると青みがあって、赤紫に近い赤でした。つまり日の丸の赤と、ユニオン・ジャックの赤が、おなじ赤でも色相に差があるのです。美術を見る目は、あくまでも全人類史の中で見て行かないと、芸術の本質も、日本の固有性も見えては来ないのです。

坂上・日本美術しか見ないと公言する日本美術史の専門家とか、右翼を公言する文芸評論家もいますよね。

彦坂・実は私はそういう保守的で右翼的な人たちも嫌いではないのですが(笑)、しかし全人類史の美術を広範に見る中で日本美術を見ないと、自国の美術作品の赤の色すらが理解できないと考えます。
 皇居美術館建設という主張は、これでナショナリズムを鼓舞しようとしているわけではありません。むしろローカリズムです。グローバリゼーションが拡大していくときに発生するローカリゼーション、進歩があれば退化があるという原則がありますので、グローバリゼーションが進むならローカリゼーションもある。その両方のバランスを取らないと、自分たちの個人性というか個別性を失うわけです。ですから、海外にたくさん出て行って、大きな美術館でヨーロッパ美術のいいものを見る事はいいと思います。アメリカ美術の良いものを見るのもいいし、中国に行って本物を見るのもいいのですけれども、日本国内で日本美術の優れたものを見られる場所がないという現実の冷酷で貧しい事実を忘れてしまうと、単純なアイデンティティすらも取れなくなります。根無し草のニセモノの人間になって、ただのゴミのようにしか生きられなくなる。私たちはある種の日本という言語共同体の運命の中を生きているわけです。何も好き好んで日本人に生まれたわけでもありませんし、日本という島国に生まれたわけではないのだけれども、それはひとつの運命ですから、自分の運命性みたいなものとして、日本美術の《超一流》性をきちっと、自らの足元として見て自覚する必要があるわけです。
  その自覚性を欠いてしまうとただ外に出ていってグローバリゼーションの中で翻弄されてまあ消費されて消えてしまいます。そういう事に抵抗しようとすれば、皇居美術館を建設しようと言うローカリゼーションの動きというのも、それは保守反動的な思考かもしれないですけれども、しかし無意味な欲望では無いだろうと思うわけです。

坂上・情報社会特有のローカリゼーションというものを考えてみる必要があるわけですね。

彦坂・そういう意味での皇居美術館という事を主張しているのですよ。皇居美術館に日本美術の《超一流》の名品を集めて常設展示をして、誰でもいつでも見られるようにして、そういうかたちで美術館を整備して世界に日本美術を発信していく必要があるわけです。

坂上・日本は小さい国だけれども、小さいからこそ美術は《超一流》性で優れているという事ですね。小さいものが優れているという事は、今のITの時代だからこそ言える事ですね(笑)。

彦坂・日本の美術家については、すでに述べたように中学二年生の時に買った『日本近代絵画全集』に書かれている評伝と、村松梢風の『本朝画人伝』で私は勉強したのです。中学生段階で最初に買って、それから以降も結構読んでいるのですが、そうすると私が優れていると思う美術家は中国美術の大きな影響を受けているのですよね。私一番好きだった作家のうちの一人は、靉光と言う画家で、靉川光郎、本名が石川日郎です。大正天皇が崩御して昭和という時代になった一九二六年に二科に入選というかたちでデビューして、太平洋戦争中という最悪の時代に生きて、敗戦直後に上海でマラリアとアメーバー赤痢で死んだ靉光。私は高校生の時に靉光の絵画が大好きだったのです。広島出身の画家で、原爆で靉光の多くの資料な燃えてしまっています。しかし残された油彩画やデッサンに私は深い感動をお覚えたのです。
 で、もう一人は先ほど書いた墨の豚と言われた富岡鉄斎です。富岡鉄斎は、耳が少し不自由な画家ですが「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘にして実践した偉大な画家です。
 ふたりとも中国美術の影響が強い作家です。靉光ですと宋元院体画というものに大きな影響を受けています。富岡鉄斎は中国元明時代の古書画を模写して学んだ小田海僊に教えを受けているので、元や明時代の中国絵画の影響を受けているのです。
 中国の場合、美術家には二種類あります。ひとつは士太夫といって高級官僚です。軍人と文官という普通の官僚の偉い人で、それらが文武両官で、彼らが支配者層ですが、絵を描くのです。自分たちが教養があって、偉いという事を見せつけるために、絵を描く。それが文人画といわれるものです。もう一方は、宮廷が存在しますから、当時は宮廷の美術装飾品をつくっていく画院というものが当時ありました。

坂上・画院というのは入るのに試験があって、試験に通った人が職業画家になっていったのですね。

彦坂・ヨーロッパの芸術家の場合には職業画家しかいないので、その辺が日本の常識とは違うのですよ。

坂上・日本では、画家になると言うと「好きなことが出来て良いですね」という風に趣味人と区別がつかないのですよね。

彦坂・文人画家の伝統があって、それを芸術家と信じているからです。実際には職業画家の系譜がもうひとつあって、職業人であって、労働として美術品を制作し、販売をして食べて来ているのです。「絵は賎技なり」という言葉がありますが、絵画を作る技術は画工のものであり、それは下級の卑しいもののやる事であったのです。家系的にも「庶子およびその子孫」と言われるもので、私生児で、社会的な正当性が無い者とその子孫が、美術家になって行ったのです。
 中国画家で一番有名な一人は、北宋の范寛で、范寛の山水画は超一流の絵画で、台湾の國立故宮博物院にもあって見る事ができます。

坂上・私も見に行っています。もっとも現存するのは「谿山行旅」という一枚だけですね。一作品しか残っていない作家! 一枚だけ見せられて、「どうだ、すごい画家だろう」と自慢されるのも、自慢される方は、なかなか納得のいかないものですよね。それだけすごい作家なら、もっと多くの作品を、多くの人びとが守ったはずだと思うのですけれども。

彦坂・中国は戦乱を何度も体験しているので、美術品や建築が燃えてしまっているのです。范寛は職業画家であるといわれます。范寛の絵画には多くの日本人が惹きつけられています。けれどもこういう超一流の絵画が中国には実はたいへんに少ないです。 
李成も《超一流》の風景画です。郭煕も超一流ですけども、大和文華館で、この二人が作った李郭派山水画の展覧会が開催されています。私も見にいっています。もっとも李成と郭煕は同時代人ではなくて百年ぐらいの時代差がありますので、「李郭派」というのは、日本で言えば琳派というようなものであって、《系譜的流派》なのです。

坂上・モダンアートが同時代的流派に焦点が会ったのに対して、前近代には《系譜的流派》があったのですね。

彦坂・こういう「李郭派」様式は確かに優れた超一流美術で、《超一流》の倒錯した《四十一流》性も併せ持っています。しかし同じ李郭派の中でも私が六流と判断する《第六次元 自然領域》の凡庸な絵画が結構な数あります。そしてこの時期の山水画以外には《超一流》《四十一流》の絵画が中国にはほとんどなく、多くは《一流》美術です。
 中国は政治性が非常に強い大国家で、《第一次元 社会的理性領域》というものが強いようで、美術作品も《一流》に抑制されていて、社会的理性領域を超える事がむずかしいようなのです。

坂上・日本だって《一流》は強いのではないですか。

彦坂・確かに日本も《一流》は強いのですが、中国はもっと《一流》が強いのです(笑)。もちろん《第6次元 自然領域》の凡作も多いですが、中国の絵画の名品の多くは《一流》美術にすぎません。もちろん《一流》が良いという価値観で言えば中国は大絵画がたくさんあります。しかし私のように、《一流》を超えて行って、社会的理性や常識の支持を超えた《超次元》に立って、表現として真に自立した《超一流》の絵画を優れているという価値判断に立つと、《一流》というのは社会的存在ですから、社会的規範に支えられ、社会に依存した《世間体の芸術》にすぎないものになるのです。

坂上・彦坂さんのような冷めた目で見ると、たいしたことはないのですか(笑)。彦坂・芸術の歴史である《原芸術》を原点として、社会の外に規範をとって、芸術として超出したものを見ようと思うと、中国美術にはそれが少なく、「あ、これはもしかすると日本が多いのかな」という気持ちになったわけです。芸術というのは、複雑な構造していて、しかも基準が二つあるのです。ひとつは芸術の起源から始まって、純粋に芸術の歴史を刷新して屹立してくる《原芸術》に依拠した《真性の芸術》です。もうひとつは、一般社会の中での芸術の評価を基準として成立してくる《世間体のアート》を基準とする芸術です。

坂上・《世間体のアート》って、リアルで面白い見方ですね。

彦坂・ヨーロッパでだいせいこうしたティツアーノとかミケランジェロというのは、《世間体のアート》で成立していて、《原芸術》性が無いのです。中国美術の歴史を見ると、元(十三〜十四世紀)までは《原芸術》を基準とするすぐれた作品がありますが、明(一三六八〜一六四四年)や、清(一六四四〜一九一二年)になると《世間体のアート》を基準にした美術に変化しています。つまり私のような眼からすると明や清の美術は評価できないのです。 

坂上・でも日本も《世間体のアート》は強いのではないですか?

彦坂・確かに《世間体のアート》は強いですね。それでも『源氏物語絵巻』は《原芸術》性をもつ《真性の芸術》なのです。しかも《超一流》なのです。

坂上・つまり《超一流》の絵画に焦点をあわせると、日本美術は中国美術を、量と種類で圧倒的に凌駕しているというのですね。

彦坂・中国美術はすぐれていて、日本美術は《二流》であるという、小さな時から教え込まれて来た日本人の劣等感は、どうも事実に反するのではないか?と考えるようになったのです。

坂上・でも、中国の青銅器や陶磁器、そして書になると、中国の美術品は凄いですよね。夏や殷の青銅器は、ほんとうに偉大な芸術です。

彦坂・確かにそうですね。日本には青銅器の《超一流》のものは無いように思いますが、しかし日本にも鉄器というか、日本刀は《超一流》《四十一流》の鑑賞芸術性を持ったものがたくさんあります。しかも日本刀は、刀身自体が芸術的価値を発揮しているものがあって、すぐれた日本刀には《原芸術》性があって、鑑賞芸術として《真性の芸術》なのです。

坂上・日本刀の美しさは、中国人も認めていますね。

彦坂・日本刀は、日本美術の傑出した美しさの代表なのです。ただすぐれている日本刀は時代的に限られていて、平安時代後期から、せいぜい室町時代の末くらいまでが《第四十一次元》です。江戸時代になると古刀は終わってしまって、新刀になって《第八次元》の《八流》になってしまって、ただの人切り包丁に成り下がってしまいます。
 私は中学生の時から東京国立博物館で古備前派の包平の大包平(おおかねひら )などの国宝の日本刀を見て来ているから、日本刀を鑑賞する事には違和感はまったくないのです。一応日本刀の先生が私にはいて、太田丈夫さんというマニアですが、彼に教えてもらっています。しかし今日の現代アートの作家たちは、ほとんど見向きもしないのです。

坂上・「日本刀は分からない」と、現代美術の人は言います。

彦坂・しかし分かるも分からないも、そもそも彼らは見ていないのです。良い刀を見て目で覚えれば、刀の善し悪しは、次第に分かるようになります。ですからすぐれた刀、この場合は《超一流》が反転倒錯した《四十一流》のものが名刀ですが、それを常設展示して、日本人にも、海外の人にも見て欲しいですね。

刀剣 太刀 銘備前国長船兼光作   14世紀
刀剣 太刀 銘国行(山城)   東京 藤沢家 国宝
刀剣 太刀 銘奉納八幡宮御宝殿北条左京大夫平氏綱   相州住綱広 作
刀剣 太刀 銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
刀剣 大太刀 銘備前国長船兼
刀剣 太刀 銘宝寿
刀剣 大太刀 銘備州長船法光生年三十三
刀剣 太刀 銘来国光
刀剣 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗麿上 本阿(花押)   東京国立博物館
刀剣 太刀 筑州住左
刀剣 太刀 銘備前国包平作   東京国立博物館 国宝
刀剣 刀 銘奉納接州住吉大明神御宝前   大阪 住吉大社 重文
刀剣 太刀 銘一   静岡 矢部家(矢部利雄) 国宝
刀剣 短刀 銘山城国西陣住人埋忠明寿   東京 古河家 重文

坂上・刀剣の次いでに、鎧はどうなのですか?

彦坂・鎧って、きれいなものがたくさんあるのですが、ほとんどが《一流》なのですね。でもね例外もあって、一番すごいのは徳川家康の鎧が《超一流》なのですが、それはヨーロッパの甲冑を輸入して、改造した南蛮胴具足というものなのです。日光東照宮が持っています。もっともこうした南蛮胴具足というのは徳川家康だけでなくて、当時ははやっていた様です。

鎧 南蛮胴具足   栃木 日光東照宮 重文
鎧 仁王胴具足   東京国立博物館

坂上・徳川家康って、西洋鎧をきていたのですか! でも、これって芸術なのですか?

彦坂・芸術というものを鑑賞芸術に限定して、しかもモダンアートが追求した純粋芸術に限定すると、《原芸術》《芸術》《反芸術》の三種類の《ハイアート》しか、《真性の芸術》とは言えなくなります。
 しかし、《世間体のアート》、そして《非芸術》《無芸術》といった《ローアート》も芸術として認めれば、着物や鎧も芸術として鑑賞されるのです。
 実際、たとえばメトロポリタン美術間では服も西洋鎧も展示されています。同様の事は多の他の美術館でもいくらでも見られる事です。

坂上・着物はどうですか? 東京国立博物館には、着物も展示していますよね。

彦坂・橋本治さんの『ひらがな日本美術史』という連載が芸術新潮で十年間展開されて七冊の本になっています。その中に着物も入っているのですが、橋本さんが論じた着物というのは、能衣装なのです。能面や狂言面には《超一流》や《四十一流》のものがありますが、能衣装は全て《一流》しかありません。しかし着物の中には《超一流》のものもあるのですね。そのいくつかは布をつないで作ったパッチワークです。パッチワークというのは、コラージュですので、《一流》という社会的な常識を超える事がコラージュでできるのですね。

坂上・着物のパッチワークって、きれいですね!

着物 紺・緋羅紗袖替り陣羽織   山形 上杉神社 重文
着物 菊水文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 滝に受鉢菊文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 片身替鉄線扇面模様縫箔   東京国立博物館
着物 金銀欄椴子等縫合胴服   山形 上杉神社

坂上・能衣装の話が出たついでに、能面はどうですか。

彦坂・能面では、何と言っても秀吉が愛した「雪の小面」が美しいですが、他にも般若面や、翁面、そして狂言面に《超一流》があります。それと伎樂面にもすぐれた《超一流》の面があります。

面 小面 雪の小面   京都 金剛家
面 伎楽面 呉公   奈良 正倉院
面 伎楽面 冶道   東京国立博物館 重文

坂上・陶器は国宝が数点しか無いと聞きましたが。

彦坂・国宝指定されると、使えなくなるので、それもあって少ない様ですが、しかし前漢(紀元前206年 - 8年)から《超一流》の陶器のある中国に比べると、日本の陶器は《超次元》がすくなくて、ほとんどが《第一次元 社会的理性領域》ですね。 、それでも本阿弥光や長次郎の陶器は《超次元》で、日本の独自性があります。
陶磁器 色絵橘文大皿 鍋島   静岡 MOA美術館
陶磁器 本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「雨雲」   三井文庫 重文
陶磁器 本阿弥光悦 白楽茶碗 銘「不二山」   サンリツ服部美術館 国宝

  そういうわけで、《超一流》と、その倒錯領域の《四十一流》の日本美術を集めてみようと考えて、それらを皇居美術館に展示しようというアンドレ・マルロー的な空想の美術館を構想したのです。
 アンドレ・マルロー(1901〜1976年)というのは、フランスの作家で、政治家です。マルローは、印刷複製による画像によって、美術作品が場所や時代、そして大きさの違いを超えて、違う関連性を見せてくれる新しい知的な広がりを評価して『空想の美術館』と名づけたのです。
 皇居美術館というプロジェクトは、このマルローを引き継ぎつつ、皇居に巨大美術館を建築したとする空想が見せる広がりを提示したものです。そういうわけで《超一流》の日本美術館というのが『皇居美術館』です。ですから、日本美術全集として《超一流》の画像を集めて一冊の本にしようと構想したのですが、一冊が四万円もの本になるというので、出版企画としてはこの厳しい時代には無理で、とりあえず本書のような書籍になったのです。 
 その世界版で、世界の美術の中から《超一流》の名品を集めた美術館=美術全集が「帝国美術館」というものです。これも基本的な複製画像は集めているのですが、これも美術全集集として編纂して出版するのは、むずかしい情勢です。
 この両者は、美術の善し悪しを《超一流》を基準にして再度洗い直すと言う美術史批評的なコンセプチャルアート作品なのです。

nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

大衆普遍主義 [アート論]

糸崎公朗さんへのご返事です。

糸崎さんの思考の中には、
オルテガが言った大衆と言うか、
大衆普遍主義とも言うべきものがあって、
考えさせられます。


ずいぶん時間が経ってしまいましたが返信です。


>糸崎公朗さんの、リカちゃん人形には、
>デシャンの作品に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、
>なぞりつつ解体し、 伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、
>あざ笑うことに表現を見いだしていくという、
>複雑な摂取と解体の 流れである「バサラ」を感じます。

ぼくとしては、デュシャン作品をあざ笑っているつもりはないのです。
「あざ笑う」というと、呉智英が「サヨク」とカタカナ表記して揶揄した「大衆化した左翼思想」を想起させますが、それは彦坂さんのおっしゃる「バサラ」なのかも知れません。
しかしぼく自身は、それとは違うつもりでいるのです。

違うつもりでいらっしゃるというのも、感じられる事は
感じます。
なぜに、糸崎公朗さんや、辻 惟雄さんがひかれるのだろうか?
と考えていった時に、
ある種の共通性があるからではないかと考えます。

すでに指摘しましたが、
デュシャンを考えるのなら、聖地であるフィラデルフィア美術館に行く
しかないのですね。これには代用品がないのです。
しかし、たぶん『奇想の系譜』を書いた辻 惟雄さんも、
行っていないのではないでしょうか。

糸崎さんにしても、一生フィラデルフィア美術館には
デュシャンを見には
行かないのだろうと、かってに思っています。

それは糸崎さんにしても、辻さんにしても、
大衆普遍主義とも言うべき感覚があって、
認識のために必要な手続きをとらなくても良いという、
そういう普遍主義をもっておられるように思えるからです。

それはしかし、ご本人の気持ちや、具体性で申しあげている
のではなくて、
ある種の偏見で申しあげているだけで、
正当性のあるものではありません。

言いたいのは、たとえば藤枝 晃雄氏に、私が共感するのは、
まず、デュシャンにあこがれてアメリカに渡って、
そして失望しておられる事です。
デュシャンを見るという事は、こういう事なのです。
だからフィラデルフィア美術館という聖地に行かなければ
分からない事があるのです。

>私 自身は、こういう「バサラ」の系譜作品を多く見て来ているので、
>正 直に言って、「またか」と思ったのです。
>つまり、外国の高度な作品を、摸倣しつつおとしめて、
>低 俗な自分たちの文化に基礎づけて行く系譜なのです。

「またか」と言われると、少なくともモダンアートとしてはお終いなので、ここでぼくは反論しなくてはなりません・・・

・・・という具合に書きかけて、この調子で書いても結局は対話は双方かみ合わず、空転してしまうだろうなと思い、いろいろ考えてました。
それでたまたま読んでいた『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)に、「論争は良くない」というようなことが書かれてまして(第四、八つの詩句の章)、少なくとも「論争しないで対話を成立する必要がある」と気づいたのです。
つまり、ぼくがこの場で彦坂さんに反論し、つまり「論争」を仕掛けてしまっては「対話」が成立しないわけです。

おっしゃっていることは、分かります。
単なる論争で、お互いの正当化を主張しても、意味は無いでしょう。
前に西尾康之の絵について論争をしましたが、
私自身は、今も西尾康之の絵画は『ペンキ絵』であると思っています。
問題なのは、彼の作品を良いと考える糸崎さん的な絵画志向が、
大衆普遍主義とも言うべき、地平を持っている事です。

《大衆普遍主義》、あるいは《凡庸普遍主義》とも言うべき
感覚や確信が、日本中を浸しているのです。
だから日本は沈没するのです。
いっそのこと、世界最大の財政破綻を起こして、
この凡庸普遍主義の責任を、大衆自らが取る事態に成った方が
良いのかもしれません。
これは、彦坂さんが前回の記事の返信で書かれた「分かる」と「反省」の違いとも関連するかもしれません。
つまり論争とは、双方が自分が「分かる」ことばで語る(考える)と言うことで、それはつまり「自分の正しさ」に固執すると言うことです。
これに対し「自分の正しさ」に固執しなければ、それは「外部(他者)」に開かれると言うことで、だから「反省」という態度になるのかもしれません。
彦坂さんとの「対話」においては、ぼくは彦坂さんのおっしゃる「芸術」や「ハイアート」の意味が分からないのですから、その点を「反省」しなければいけません。
「バサラ」という指摘に対して、その対概念となる「ハイアート」を理解しないまま「自分の分かることば」で反論しても、議論は空転するだけでしょう。

ぼくとしてはまず、自分のアートについて「彦坂さんのことば」で語っていただいたことに感謝しなければいけません。
ぼくはどうも「自分の正しさ」に固執する傾向がありましたので、そうなると自分のアートについて「自分のことば」のみで語る(考える)ことになります。
しかし最近は反省し、積極的に「外部」(と認識していた人たち)とコンタクトするようになり、それで彦坂さんをはじめ、いろんなアーティストや写真家から話を聞くように心がけてます。
ただ、他人の話を聞いたり対話したりすることは案外難しく、いろいろ試してる最中なのです。

>しかし《ローアート》で良いの ではないかと思います。

「スッタニパータ」には「自己に執着するな」というように書かれてますが、それは必ずしも自己否定を意味しないので、その意味でぼくも自分の「ローアート」であることの利点は否定はしません。
しかしたとえば、

>昨年11月最初に本島で催した展覧会「復元フォトモ糸崎公朗展 と蔵元秀彦展での
>本島の観客の反応を見て 頭を抱えた時のことを思い出す。
>本島のお年寄りから現代アートは難しいといわれるのは まあいいとして
>糸崎さんのフォトモについて、ほとんどの人がこれはいいと直接の反応を示した。
>その反応を期待して、選んだことだが、苦さを感じた。
>見え透いていて自分に吐き気がした。
http://setouchia8.ashita-sanuki.jp/d2010-03.html

という意見もあることもまた「客観的事実」として認識しなければならないわけです。
アルテさんには期待に添えず契約解除となった経緯がありますが、それだけにこのブログには正直な気持ちがあらわれて、貴重でありがたいものです。

>これは余計な話です。
>《ハイアート》の視点で言うと、
>糸崎公朗さんの作品を金属板で制作したくなります。
>現在の紙ですと楽ですが、しかし《ハイアート》と は言えません。
>金属で作るのです。
>しかし、実際にはたいへんです。

これは具体的なアドバイスで、ありがとうございました。
現在は水圧で金属をカットする技術もあるようなので、不可能ではないはずです。 
by 糸崎 (2010-03-26 10:55)  


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

超一流》の美術作品を集める皇居美術館(2) [アート論]

3 工芸を含む芸術の豊かさを
彦坂・私は中学生の時から美術館回りをして、東京国立博物館にお弁当を持って行って、とにかく訳の分からないままに国宝や重要文化財を目で暗記しようとしてきたのよね。
坂上・何故に目で暗記しようとしたですか?
彦坂・なぜかと言えば、東京国立博物館に行って国宝や重要文化財になっている名品をみても、何か茶色っぽい古くさいもので、中学生の私には良いものとして理解できなかったからね。
坂上・理解できない事を、何とか乗り越えよう思って、丸暗記したのですか?
彦坂・そう、とにかく国宝や重要文化財に指定されている良いとされる美術品は、眼で丸暗記しようと考えたのね。「暗記、暗記」とお題目を唱えて、目を開き、国宝を凝視して頭に刻み付けようとしたのです。
坂上・真面目ですね。
彦坂・大学生になると京都国立博物館や、奈良の大和文華館、奈良国立博物館に、新幹線に乗って繰り返し行くようになります。なぜにそういうことをしたかといえば、昔は一ドル三六〇円の固定相場性であって、日本人は貧乏で、私の家のような中流では外国に行って本物を見られないので、海外作家の目に対抗するには、自国の最高の美術品を見る事で、芸術の善し悪しを見分ける目を作ろうと思ったのです。日本のすぐれた名品というのは、何といっても奈良や京都などの関西に集中してあるのです。ですから私の美意識を育てたのは、京都や奈良であり、日本の国立博物館であり、国宝の評価システムという伝統美的な権威主義的なものなのです。
坂上・でも、彦坂さんて、国宝で、しかも国民的な人気の長谷川等伯の「松林図」を、《六流》の『ペンキ絵』であるって言って、飲み屋で喧嘩していたではありませんか(笑)。
彦坂・しかし長谷川等伯の「松林図」に夢中になる人は、下敷きにある牧谿という中国画家も知らないという教養の無い人が、大多数なのです。イメージとしては「松林図」は良さそうではありますが、きちんとした絵画としては、松ノ木も大地にきちんと根を張っていまいし、松ノ木と松ノ木の相互の関係性も空間も描けていない。つまり《真性の芸術》ではないのです。つまり日本の重要文化財を再度自省的に、自己批判的にまで参照し検証するところまで私は、成長して来て、今回の皇居美術館と言う空想美術館のプロジェクトを始めたのです。つまり彦坂尚嘉というのは、日本美術界の権威の中で育てられて、それを内側から食い破って出現して来た鬼っ子なのよね。
坂上・確かに、鬼っ子ですね。私なんかより年寄りのくせに、若いアーティストの展覧会を作ったり、そのくせに古美術も勉強し続けて、よくもそういう風に、情報化社会の先端の流行美術と、反対の古美術を同時に追いかけられますね。
彦坂・私は中学二年のときに、講談社の『世界美術全集』と『日本近代絵画全集』というものを買っています。はじめに気がついたのは、赤の色が国によって違うという事でした。たぶん、手に入る赤の顔料が違っていて。そういう中で違いが固定されて行ったのだろうと考えました。日本の赤はやや黄色みのある朱色が主流でした。イギリスの赤はそれに比べると青みがあって、赤紫に近い赤でした。つまり日の丸の赤と、ユニオン・ジャックの赤が、おなじ赤でも色相に差があるのです。美術を見る目は、あくまでも全人類史の中で見て行かないと、芸術の本質も、日本の固有性も見えては来ないのです。
坂上・日本美術しか見ないと公言する日本美術史の専門家とか、右翼を公言する文芸評論家もいますよね。
彦坂・実は私はそういう保守的で右翼的な人たちも嫌いではないのですが(笑)、しかし全人類史の美術を広範に見る中で日本美術を見ないと、自国の美術作品の赤の色すらが理解できないと考えます。
 皇居美術館建設という主張は、これでナショナリズムを鼓舞しようとしているわけではありません。むしろローカリズムです。グローバリゼーションが拡大していくときに発生するローカリゼーション、進歩があれば退化があるという原則がありますので、グローバリゼーションが進むならローカリゼーションもある。その両方のバランスを取らないと、自分たちの個人性というか個別性を失うわけです。ですから、海外にたくさん出て行って、大きな美術館でヨーロッパ美術のいいものを見る事はいいと思います。アメリカ美術の良いものを見るのもいいし、中国に行って本物を見るのもいいのですけれども、日本国内で日本美術の優れたものを見られる場所がないという現実の冷酷で貧しい事実を忘れてしまうと、単純なアイデンティティすらも取れなくなります。根無し草のニセモノの人間になって、ただのゴミのようにしか生きられなくなる。私たちはある種の日本という言語共同体の運命の中を生きているわけです。何も好き好んで日本人に生まれたわけでもありませんし、日本という島国に生まれたわけではないのだけれども、それはひとつの運命ですから、自分の運命性みたいなものとして、日本美術の《超一流》性をきちっと、自らの足元として見て自覚する必要があるわけです。
  その自覚性を欠いてしまうとただ外に出ていってグローバリゼーションの中で翻弄されてまあ消費されて消えてしまいます。そういう事に抵抗しようとすれば、皇居美術館を建設しようと言うローカリゼーションの動きというのも、それは保守反動的な思考かもしれないですけれども、しかし無意味な欲望では無いだろうと思うわけです。
坂上・情報社会特有のローカリゼーションというものを考えてみる必要があるわけですね。
彦坂・そういう意味での皇居美術館という事を主張しているのですよ。皇居美術館に日本美術の《超一流》の名品を集めて常設展示をして、誰でもいつでも見られるようにして、そういうかたちで美術館を整備して世界に日本美術を発信していく必要があるわけです。
坂上・日本は小さい国だけれども、小さいからこそ美術は《超一流》性で優れているという事ですね。小さいものが優れているという事は、今のITの時代だからこそ言える事ですね(笑)。
彦坂・日本の美術家については、すでに述べたように中学二年生の時に買った『日本近代絵画全集』に書かれている評伝と、村松梢風の『本朝画人伝』で私は勉強したのです。中学生段階で最初に買って、それから以降も結構読んでいるのですが、そうすると私が優れていると思う美術家は中国美術の大きな影響を受けているのですよね。私一番好きだった作家のうちの一人は、靉光と言う画家で、靉川光郎、本名が石川日郎です。大正天皇が崩御して昭和という時代になった一九二六年に二科に入選というかたちでデビューして、太平洋戦争中という最悪の時代に生きて、敗戦直後に上海でマラリアとアメーバー赤痢で死んだ靉光。私は高校生の時に靉光の絵画が大好きだったのです。広島出身の画家で、原爆で靉光の多くの資料な燃えてしまっています。しかし残された油彩画やデッサンに私は深い感動をお覚えたのです。
 で、もう一人は先ほど書いた墨の豚と言われた富岡鉄斎です。富岡鉄斎は、耳が少し不自由な画家ですが「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘にして実践した偉大な画家です。
 ふたりとも中国美術の影響が強い作家です。靉光ですと宋元院体画というものに大きな影響を受けています。富岡鉄斎は中国元明時代の古書画を模写して学んだ小田海僊に教えを受けているので、元や明時代の中国絵画の影響を受けているのです。
 中国の場合、美術家には二種類あります。ひとつは士太夫といって高級官僚です。軍人と文官という普通の官僚の偉い人で、それらが文武両官で、彼らが支配者層ですが、絵を描くのです。自分たちが教養があって、偉いという事を見せつけるために、絵を描く。それが文人画といわれるものです。もう一方は、宮廷が存在しますから、当時は宮廷の美術装飾品をつくっていく画院というものが当時ありました。
坂上・画院というのは入るのに試験があって、試験に通った人が職業画家になっていったのですね。
彦坂・ヨーロッパの芸術家の場合には職業画家しかいないので、その辺が日本の常識とは違うのですよ。
坂上・日本では、画家になると言うと「好きなことが出来て良いですね」という風に趣味人と区別がつかないのですよね。
彦坂・文人画家の伝統があって、それを芸術家と信じているからです。実際には職業画家の系譜がもうひとつあって、職業人であって、労働として美術品を制作し、販売をして食べて来ているのです。「絵は賎技なり」という言葉がありますが、絵画を作る技術は画工のものであり、それは下級の卑しいもののやる事であったのです。家系的にも「庶子およびその子孫」と言われるもので、私生児で、社会的な正当性が無い者とその子孫が、美術家になって行ったのです。
 中国画家で一番有名な一人は、北宋の范寛で、范寛の山水画は超一流の絵画で、台湾の國立故宮博物院にもあって見る事ができます。
坂上・私も見に行っています。もっとも現存するのは「谿山行旅」という一枚だけですね。一作品しか残っていない作家! 一枚だけ見せられて、「どうだ、すごい画家だろう」と自慢されるのも、自慢される方は、なかなか納得のいかないものですよね。それだけすごい作家なら、もっと多くの作品を、多くの人びとが守ったはずだと思うのですけれども。
彦坂・中国は戦乱を何度も体験しているので、美術品や建築が燃えてしまっているのです。范寛は職業画家であるといわれます。范寛の絵画には多くの日本人が惹きつけられています。けれどもこういう超一流の絵画が中国には実はたいへんに少ないです。 
李成も《超一流》の風景画です。郭煕も超一流ですけども、大和文華館で、この二人が作った李郭派山水画の展覧会が開催されています。私も見にいっています。もっとも李成と郭煕は同時代人ではなくて百年ぐらいの時代差がありますので、「李郭派」というのは、日本で言えば琳派というようなものであって、《系譜的流派》なのです。
坂上・モダンアートが同時代的流派に焦点が会ったのに対して、前近代には《系譜的流派》があったのですね。
彦坂・こういう「李郭派」様式は確かに優れた超一流美術で、《超一流》の倒錯した《四十一流》性も併せ持っています。しかし同じ李郭派の中でも私が六流と判断する《第六次元 自然領域》の凡庸な絵画が結構な数あります。そしてこの時期の山水画以外には《超一流》《四十一流》の絵画が中国にはほとんどなく、多くは《一流》美術です。
 中国は政治性が非常に強い大国家で、《第一次元 社会的理性領域》というものが強いようで、美術作品も《一流》に抑制されていて、社会的理性領域を超える事がむずかしいようなのです。
坂上・日本だって《一流》は強いのではないですか。
彦坂・確かに日本も《一流》は強いのですが、中国はもっと《一流》が強いのです(笑)。もちろん《第6次元 自然領域》の凡作も多いですが、中国の絵画の名品の多くは《一流》美術にすぎません。もちろん《一流》が良いという価値観で言えば中国は大絵画がたくさんあります。しかし私のように、《一流》を超えて行って、社会的理性や常識の支持を超えた《超次元》に立って、表現として真に自立した《超一流》の絵画を優れているという価値判断に立つと、《一流》というのは社会的存在ですから、社会的規範に支えられ、社会に依存した《世間体の芸術》にすぎないものになるのです。
坂上・彦坂さんのような冷めた目で見ると、たいしたことはないのですか(笑)。彦坂・芸術の歴史である《原芸術》を原点として、社会の外に規範をとって、芸術として超出したものを見ようと思うと、中国美術にはそれが少なく、「あ、これはもしかすると日本が多いのかな」という気持ちになったわけです。芸術というのは、複雑な構造していて、しかも基準が二つあるのです。ひとつは芸術の起源から始まって、純粋に芸術の歴史を刷新して屹立してくる《原芸術》に依拠した《真性の芸術》です。もうひとつは、一般社会の中での芸術の評価を基準として成立してくる《世間体のアート》を基準とする芸術です。
坂上・《世間体のアート》って、リアルで面白い見方ですね。
彦坂・ヨーロッパでだいせいこうしたティツアーノとかミケランジェロというのは、《世間体のアート》で成立していて、《原芸術》性が無いのです。中国美術の歴史を見ると、元(十三〜十四世紀)までは《原芸術》を基準とするすぐれた作品がありますが、明(一三六八〜一六四四年)や、清(一六四四〜一九一二年)になると《世間体のアート》を基準にした美術に変化しています。つまり私のような眼からすると明や清の美術は評価できないのです。
坂上・でも日本も《世間体のアート》は強いのではないですか?
彦坂・確かに《世間体のアート》は強いですね。それでも『源氏物語絵巻』は《原芸術》性をもつ《真性の芸術》なのです。しかも《超一流》なのです。
坂上・つまり《超一流》の絵画に焦点をあわせると、日本美術は中国美術を、量と種類で圧倒的に凌駕しているというのですね。
彦坂・中国美術はすぐれていて、日本美術は《二流》であるという、小さな時から教え込まれて来た日本人の劣等感は、どうも事実に反するのではないか?と考えるようになったのです。
坂上・でも、中国の青銅器や陶磁器、そして書になると、中国の美術品は凄いですよね。夏や殷の青銅器は、ほんとうに偉大な芸術です。
彦坂・確かにそうですね。日本には青銅器の《超一流》のものは無いように思いますが、しかし日本にも鉄器というか、日本刀は《超一流》《四十一流》の鑑賞芸術性を持ったものがたくさんあります。しかも日本刀は、刀身自体が芸術的価値を発揮しているものがあって、すぐれた日本刀には《原芸術》性があって、鑑賞芸術として《真性の芸術》なのです。
坂上・日本刀の美しさは、中国人も認めていますね。
彦坂・日本刀は、日本美術の傑出した美しさの代表なのです。ただすぐれている日本刀は時代的に限られていて、平安時代後期から、せいぜい室町時代の末くらいまでが《第四十一次元》です。江戸時代になると古刀は終わってしまって、新刀になって《第八次元》の《八流》になってしまって、ただの人切り包丁に成り下がってしまいます。
 私は中学生の時から東京国立博物館で古備前派の包平の大包平(おおかねひら )などの国宝の日本刀を見て来ているから、日本刀を鑑賞する事には違和感はまったくないのです。一応日本刀の先生が私にはいて、太田丈夫さんというマニアですが、彼に教えてもらっています。しかし今日の現代アートの作家たちは、ほとんど見向きもしないのです。
坂上・「日本刀は分からない」と、現代美術の人は言います。
彦坂・しかし分かるも分からないも、そもそも彼らは見ていないのです。良い刀を見て目で覚えれば、刀の善し悪しは、次第に分かるようになります。ですからすぐれた刀、この場合は《超一流》が反転倒錯した《四十一流》のものが名刀ですが、それを常設展示して、日本人にも、海外の人にも見て欲しいですね。

刀剣 太刀 銘備前国長船兼光作   14世紀
刀剣 太刀 銘国行(山城)   東京 藤沢家 国宝
刀剣 太刀 銘奉納八幡宮御宝殿北条左京大夫平氏綱   相州住綱広 作
刀剣 太刀 銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
刀剣 大太刀 銘備前国長船兼
刀剣 太刀 銘宝寿
刀剣 大太刀 銘備州長船法光生年三十三
刀剣 太刀 銘来国光
刀剣 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗麿上 本阿(花押)   東京国立博物館
刀剣 太刀 筑州住左
刀剣 太刀 銘備前国包平作   東京国立博物館 国宝
刀剣 刀 銘奉納接州住吉大明神御宝前   大阪 住吉大社 重文
刀剣 太刀 銘一   静岡 矢部家(矢部利雄) 国宝
刀剣 短刀 銘山城国西陣住人埋忠明寿   東京 古河家 重文

坂上・刀剣の次いでに、鎧はどうなのですか?
彦坂・鎧って、きれいなものがたくさんあるのですが、ほとんどが《一流》なのですね。でもね例外もあって、一番すごいのは徳川家康の鎧が《超一流》なのですが、それはヨーロッパの甲冑を輸入して、改造した南蛮胴具足というものなのです。日光東照宮が持っています。もっともこうした南蛮胴具足というのは徳川家康だけでなくて、当時ははやっていた様です。

鎧 南蛮胴具足   栃木 日光東照宮 重文
鎧 仁王胴具足   東京国立博物館

坂上・徳川家康って、西洋鎧をきていたのですか! でも、これって芸術なのですか?
彦坂・芸術というものを鑑賞芸術に限定して、しかもモダンアートが追求した純粋芸術に限定すると、《原芸術》《芸術》《反芸術》の三種類の《ハイアート》しか、《真性の芸術》とは言えなくなります。
 しかし、《世間体のアート》、そして《非芸術》《無芸術》といった《ローアート》も芸術として認めれば、着物や鎧も芸術として鑑賞されるのです。
 実際、たとえばメトロポリタン美術間では服も西洋鎧も展示されています。同様の事は多の他の美術館でもいくらでも見られる事です。
坂上・着物はどうですか? 東京国立博物館には、着物も展示していますよね。
彦坂・橋本治さんの『ひらがな日本美術史』という連載が芸術新潮で十年間展開されて七冊の本になっています。その中に着物も入っているのですが、橋本さんが論じた着物というのは、能衣装なのです。能面や狂言面には《超一流》や《四十一流》のものがありますが、能衣装は全て《一流》しかありません。しかし着物の中には《超一流》のものもあるのですね。そのいくつかは布をつないで作ったパッチワークです。パッチワークというのは、コラージュですので、《一流》という社会的な常識を超える事がコラージュでできるのですね。
坂上・着物のパッチワークって、きれいですね!

着物 紺・緋羅紗袖替り陣羽織   山形 上杉神社 重文
着物 菊水文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 滝に受鉢菊文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 片身替鉄線扇面模様縫箔   東京国立博物館
着物 金銀欄椴子等縫合胴服   山形 上杉神社

坂上・能衣装の話が出たついでに、能面はどうですか。
彦坂・能面では、何と言っても秀吉が愛した「雪の小面」が美しいですが、他にも般若面や、翁面、そして狂言面に《超一流》があります。それと伎樂面にもすぐれた《超一流》の面があります。

面 小面 雪の小面   京都 金剛家
面 伎楽面 呉公   奈良 正倉院
面 伎楽面 冶道   東京国立博物館 重文

坂上・陶器は国宝が数点しか無いと聞きましたが。
彦坂・国宝指定されると、使えなくなるので、それもあって少ない様ですが、しかし前漢(紀元前206年 - 8年)から《超一流》の陶器のある中国に比べると、日本の陶器は《超次元》がすくなくて、ほとんどが《第一次元 社会的理性領域》ですね。 、それでも本阿弥光や長次郎の陶器は《超次元》で、日本の独自性があります。
陶磁器 色絵橘文大皿 鍋島   静岡 MOA美術館
陶磁器 本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「雨雲」   三井文庫 重文
陶磁器 本阿弥光悦 白楽茶碗 銘「不二山」   サンリツ服部美術館 国宝

  そういうわけで、《超一流》と、その倒錯領域の《四十一流》の日本美術を集めてみようと考えて、それらを皇居美術館に展示しようというアンドレ・マルロー的な空想の美術館を構想したのです。
 アンドレ・マルロー(1901〜1976年)というのは、フランスの作家で、政治家です。マルローは、印刷複製による画像によって、美術作品が場所や時代、そして大きさの違いを超えて、違う関連性を見せてくれる新しい知的な広がりを評価して『空想の美術館』と名づけたのです。
 皇居美術館というプロジェクトは、このマルローを引き継ぎつつ、皇居に巨大美術館を建築したとする空想が見せる広がりを提示したものです。そういうわけで《超一流》の日本美術館というのが『皇居美術館』です。ですから、日本美術全集として《超一流》の画像を集めて一冊の本にしようと構想したのですが、一冊が四万円もの本になるというので、出版企画としてはこの厳しい時代には無理で、とりあえず本書のような書籍になったのです。 
 その世界版で、世界の美術の中から《超一流》の名品を集めた美術館=美術全集が「帝国美術館」というものです。これも基本的な複製画像は集めているのですが、これも美術全集集として編纂して出版するのは、むずかしい情勢です。
 この両者は、美術の善し悪しを《超一流》を基準にして再度洗い直すと言う美術史批評的なコンセプチャルアート作品なのです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

《超一流》の美術作品を集める皇居美術館(1) [アート論]

以下収録するのは、坂上しのぶさんとの対談である。

これは朝日新聞出版からでる『皇居美術館』の為に行われたものなの

ですが、朝日新聞出版の担当編集者の同意が得られなくて、不採用に

なったものです。

内容がマズいという事ではなくて、対談記事が多すぎるので、

彦坂尚嘉の単独執筆にして欲しいという希望での変更でした。

坂上しのぶさんへの申し訳なさと、内容の読みやすさで、

このブログで連載で掲載させていただきます。


《超一流》の美術作品を集める皇居美術館

 

彦坂尚嘉+坂上しのぶ

 

1 故宮美術館と皇居美術館

坂上・皇居美術館って、ルーブル美術館や、メトロポリタン美術館に対抗して考えたのですか?

彦坂・いや、そうじゃないのね。中国が、経済的にも政治的軍事的にも、そして文化的芸術的にも台頭してくるじゃない。こういう状況に危機感をもっているのです。

 中国の故宮美術館が、将来に台湾の台北にある国立故宮博物院と、北京の故宮博物院と、さらに瀋陽市にある瀋陽故宮博物院の三つが合体して、世界屈指の巨大美術館として出現して来るのではないか。

 中国が大国として世界を支配して日本を飲み込んでしまうだろうという被害妄想的な危機的未来に向けて、その日本的な対抗措置として考えたのね(笑)。 

坂上・確かに台湾と北京の故宮博物院が合併したら、すごいですね。ルーブル美術館やメトロポリタン美術館には、いろいろな国の美術作品があるけれど、故宮美術館って、中華文化のみの文物を展示した異色な博物館ですよね。

彦坂・そうですよ。だから、中国に対抗する日本の皇居美術館というのも、日本中から《超一流》の名品を、天皇の名において、超法規的に収集して、日本文化のみの名品を展示した巨大美術館なのですよ(笑)。

坂上・へえ、故宮美術館 VS 皇居美術館ですか!。巨大美術館で、日中戦争をやるのですね。面白いですね!

彦坂・もちろん空想に過ぎなくて、現実的には無理ですね。現行の所有権を超えて、日本中に有る名品を皇居に集めるのは、法的にも無理だし、現在の権力構造的にも無理です。

 故宮博物院の場合には、もともとの収集が清朝という征服王朝の所蔵品なのですね。満州族後金国が立てた王朝で、一六四四年から一九一二年という二六八年間支配した王朝ですから、日本で言えば徳川幕府のようなもので、長期政権です。この王朝権力の美術品収集の結果は一九二五年段階で一一七万件を超えていたというのですからすごいです。ルーブル美術館の収蔵数が三〇万件ですから、故宮博物院の収蔵品数はルーブル美術館の約四倍もあるのです。日本の東京国立博物館は、約九万件の所蔵品しかありませんから、東京国立博物館VS 故宮博物院=1 : 13 なのです。

 しかし,アメリカ合衆国のメトロポリタン美術館になると、収蔵品数は三〇〇万件となります。したがって、東京国立博物館と比較すると、メトロポリンタン美術館の三十三分の一が、東京国立博物館なのです。

日本には世界規模の巨大美術館が無い事がわかります。だからこそ皇居美術館を巨大美術館として作る必要があるのです。

2  中国美術コンプレックスを超えて 

彦坂・私は、小学校一年生から日展の画家について。日本の画家として教育されてきたのよね。そうすると、どうしても中国美術が素晴らしく、日本美術はその影響から出てきた《二流》なのだというコンプレックスが植え付けられてきたのね。たとえば明治時代の巨匠である富岡鉄斎の絵を、中国人は墨の豚だと罵倒していたのです。「墨豚」ですって!、ひどいですよね。自分の尊敬する画家に対して、こういう悪口を言われると中国人に対して憎しみを覚えますね。

坂上・墨豚ですか。でも富岡鉄斎の絵って、けっこう墨が塗りたくられて黒いですよね。うまい事いいますね(笑)

 彦坂・ところがこの頃は、中国人が日本のインスタントラーメンを喜んで食べているというようなテレビ報道が流れるようになります。ねえ、ラーメンというもの自体が中国料理の劣化したものなのに、、中国人がラーメン食べる、しかもインスタント・ラーメンを喜んで食べるという、私の世代に人間には信じられない状況が現実になった。

坂上・一九八〇年代後半から、中国人が日本に来るようになり、日本の美術大学に留学までしてくるのですよね。

彦坂・中国人が日本で美術を勉強するというのも、信じられない!(笑)。

坂上・さらに最近ですと、中国人が日本美術を香港のササビーズなどのオークションで買って高値になるなどという、一昔前には考えられないような事態が出現して来ているんです。

彦坂・白髪一雄や平賀敬が高いそうですね。驚きますね。そういう状況の変化の中で、日本美術や世界美術を学んできた者としては、中国美術はすぐれていて、日本美術は劣っていると言うそういう先入観は、どうも違うのではないか? と思うようになったのですよ。

坂上・つまり、日本美術の《超一流》の名品を集めた皇居美術館をつくって、中国の故宮美術館よりも、日本美術は《超一流》ですごいよって、世界の観光客にアピールしようというのですか?

彦坂・美術や建築を《超一流》という基準で見ると、日本美術・建築は、中国美術を超えたものをたくさん作り出しているのです。こうした日本建築を、巨大な皇居美術館の中に収蔵しようと言うのです。地球環境は悪化していきますから、これら《超一流》の建築を、酸性雨や嵐から保護して残して行こうという提案です。

坂上・建築を美術館の中に収蔵するというのは、迫力があって良いとは思いますが、しかし室生寺の五重塔は日本最小の五重塔すから良いですけれども、興福寺五重塔って、大きいですよね? 入るんですか?

彦坂・室生寺の五重塔は、日本最小と言っても高さ十六メートルです。興福寺五重塔になると、日本で二番目の高い五重塔で高さ五〇、八メートルですから、それだけの大きさの吹き抜け空間必要です。私も心配で、一応興福寺まで言って、「入るかな?」と、何度も眺めては来ています(笑)。ただ私の構想している皇居美術館は、高さ一千メートルンの建築ですから、高さ六〇メートルのくらいの吹き抜け空間は作れます。

坂上・建築と美術って、皇居美術館の中に一緒にあるってどうなんでしょう?

彦坂・建築と美術というのは、もともと一緒のもので、たとえばゴッシック美術とか、ロココ美術という時に、ゴシック建築やロココ建築をイメージしない限り、この時代の美術史というのは把握できないのですね。建築は、大芸術であって、美術の中心に位置するものなのです。だから、皇居美術館の構想の中心を建築の収蔵が占めるのです。

坂上・でも、例えば東本願寺なんて、大きくて、いくら皇居美術館が大きくても収容できないですよね。

彦坂・東本願寺の建築って、きれいで感銘を受けますが、あれば《一流》ですから、皇居美術館には収蔵しないのです。《一流》の建築は大きすぎるものが多いのです。

  それに対して《超一流 超次元》という基準で建築を見ると、《超一流》の巨大建築というのはどこにもなくて、ほとんど全てが小さな建築です。《超一流》にするということが、手間的にも金銭的にも、そして芸術思想的にも大変である事と、《第一次元 社会的理性領域》というものを超えたところですから、社会的な権力的な威嚇的な大きさとか、威容性の外部に出ているので、例外はありますが小さな建築が多いのです。 つまり《超一流》という基準で見ると、小さな美術や建築でよくて、その《超次元》で選ぶと、日本美術/建築は世界的にも大変にすぐれているのであるという考えに私はかわって来たのですね。

《第一次元 社会的理性領域》という基準で見ると、巨大建築で《一流》のものが世界にはたくさんあるのですが、日本の建築は世界基準からすると格段に小さいのですね。建築評論家の五十嵐太郎さんによると、世界の建築を同じ縮尺の模型にした建築公園のようなものがあって、そこで日本の建築を見ると、小さいので驚いたそうです。島国であると言う地理的な要因もあって、アメリカや中国などの大陸国家の建築に比較すると、大きさで先ず日本建築は負けるのです。だから、基準を《一流》から《超一流》に取り換えてみる必要があるのです。超一流を重視すると、小さくてもよいですから、日本建築は惨然と、世界のトップクラスに立つのです(笑)。

坂上・自国美術を最高だと思うような考え方は、偏狭な軽蔑すべき「井の中の蛙」に過ぎないとは思いますけど・・・。

彦坂・オリンピックで、日本選手が金メダルを取ったりすると、ゲームのルールを変えられてしまって、次からは金メダルが取れなくなるっていうのがあるではないですか。美術や建築の評価というのも、アートゲームであって、評価する基準の取り方で違って見えるのですね。

 『新建築』という建築雑誌がありますが、その特集号に『日本の建築空間』(新建築200511月臨時増刊)というのがあって、監修者には、青木淳(建築家)、後藤治(建築家)、田中禎彦(建築史家)、西和夫(建築史家)、

西沢大良(建築家)という日本の建築家と建築史家の六人が関わっているのですが、選ばれている建築は《第一次元 社会的理性領域》が多くて、《超一流》建築はほとんど選ばれていないのです。つまり日本建築と言う過去のものを見る目も、見る基準によって違ってくるのです。芸術や建築の評価というのが、基準を巡るゲームであって、私の提案する《超一流》という視点も、そういう建築史を書き直す鑑賞評価ゲーム作品なのです。

 日本社会という小さな社会の内側での評価なら《一流》であることでも足りるのですが、国際競争力という意味では《一流》というのは、凡庸であるに過ぎません。今日の国際的なあらゆる面での競争に勝とうとすれば、《超一流》のものを開発して行かないと、勝ち残れないのです。むかし、ソニーがいくらウオークマンで世界を風靡しても、今日ではiPodで追い抜かれてしまったように、熾烈な国際競争社会で生き残るためには、日本社会の中でも社会的常識を超えた《超一流 超次元》の建築や美術を再評価して鑑賞して、こういう《超一流》の技術開発をする精神力を養わなければ、国民の元気が出てこないのです。

坂上・それで、《超一流》の日本建築をいくつも収蔵した皇居美術館と、故宮美術館で、日中美術館戦争やるのですか(笑)!

彦坂・そうですね、隣国関係は重要ですね。まず、中国との国際競争に勝たないと、どうしようもなりませんね。しかし本当の日中軍事衝突にならないように、皇居美術館をつくって、中国人に、しっかりと見せて、威嚇して、尊敬させておかないと駄目だと思うのです。

坂上・なるほど。皇居美術館で、国土防衛ですか(笑)

彦坂・第一回目の日中戦争は日本が侵略したのだから、現在の中国軍の増強ぶりからすれば、お話的には第二回目は、中国が日本を侵略してくるという可能性はあるのですよ(笑)。旧左翼的な人びとから見れば、日本が中国に合併されて吸収されるというのも良いかもしれませんが(笑)、しかし合併されれば中国人は日本人を差別するでしょうね。中国人の少数民族に対する差別政策/搾取政策は熾烈を極めていますから、日本人が支配されるようになると、庶民の生活も悲惨なことになる。日本を軍事的に支配下に入れた時は、中国共産党政権が天皇を処刑して天皇制を廃棄するかもしれない(笑)。何が何でも天皇制を廃棄したいと思う旧左翼易な人びとにとっては、中国の共産党政権というのが、現在での天皇制を倒す唯一の政治的軍事的な力ですから、この中国軍の軍備増強は、歓迎すべき事なのでしょう。そういう、日本の右翼が怒りそうなサイエンス・フィクション的な空想も踏まえて、先手を打って、天皇制そのものを芸術化しておこうという深慮遠望があって、私は皇居美術館と芸術憲法を提案しているのです。

坂上・ほんとうに、そういう馬鹿な事を考えているのですか?

彦坂・これは芸術作品であって、空想ですからね(笑)。疑心暗鬼になるのは危険ですが、二十一世紀のアジアの国際情勢について、軍事的面もあらゆる可能性を考えて踏まえておかないと、庶民の平和な生活を守るためにもマズいですよね。誰も考えてくれないから、私の方は、アートだから考えられるので、対中国政策として、皇居美術館と芸術憲法を、故宮博物院との対比の中で空想してみたのです。平和憲法から芸術憲法に移行して、中国とは軍事対決するのではなくて、あくまでも芸術立国と言う、アートという技術を磨いて、《超一流》の技術開発をする形で、日本の未来を豊かにして行く必要があるのです。そのための皇居美術館であり、そうした「空想の自由」を追求しているだけです。そうする事で、中国美術へのコンプレックスを克服し、世界の美術の中で、日本美術の《超一流》的突出性をアピールしたいのですね。(つづく) 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ニヒリズムを超えた建築/ 建築系美術ラジオ「新春の集い」4 [アート論]

AR-美術系ラジオ
聴く: 建築系美術ラジオ「新春の集い」4
(MP3形式、10.9MB、23分15秒)

出演者:白濱雅也+栃原比比奈+彦坂尚嘉+天内大樹+南泰裕

カテゴリ:

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

バサラの系譜/糸崎公朗との対話(3)【最後に加筆】(加筆2画像大幅増加2) [アート論]

20071211213620.jpg
フェニミズムに対する敵意が生むバサラ的な表現

af_0102068.jpg
日産バサラBASSARA) ミニバン型の乗用車である。
「バサラ」はサンスクリット語の「ヴァジャラ」
(魔人を降伏させるダイヤモンドの意)から付けられた。

今回はバサラの問題を書きます、
糸崎公朗さんとの対話の3回目です。

バサラは、室町時代から日本の下層への文化の還元として
出現して来ていますが、
今日の情報化社会の中で、
文化を最下層に還元解体する運動として、主流を形成してきています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
(糸崎公朗さんのコメントです。)


返信が遅れましたが、再び興味深い記事をありがとうございます。

>この辺のところが、興味の違いだと言えます。
>私から見ると、デシャンの作品集が『トランクの中の箱』ですので、少なくとも、糸崎公朗の作品集として糸崎版トランク・レプリカ美術館を作って、エディション制作をして欲しかったのです。

ここも興味の違いと言うより「正反対」であって、そのこと自体が興味深いです。

そうですね、正反対なのかもしれません。

以前はぼくも「糸崎版トランク・レプリカ美術館」の制作を考えてことはありますが、それはデュシャンの作品に大して「シニフィエ連鎖(意味内容の連鎖)」になるだろうと思います。
横浜美術館で開催されたデュシャン点のカタログを見ると、「フルックスキット」をはじめとするデュシャンへのオマージュ作品が出展されてましたが、それらは全て「シニフィエ連鎖」によるものと考えています。
オマージュは「アート」として制作され、元となる作品もアートであり、そのように同じ意味が連鎖しています。

それに対しぼくが置いた「リカちゃんハウス」は意味内容的には「おもちゃ」であって、それはデュシャンのアートに対する「シニフィエ連鎖(記号表現の連鎖)」として提示したつもりです。
つまり「似たイメージ」に反応すると言うことは、イメージを記号表現として捉えることであり、だから「イメージの連鎖」は一種の「シニフィアン連鎖」ではないかと思うのです。
ただ、同じ要素に対し何を「シニフィアン」と捉えて何を「シニフィエ」と捉えるかは人によって(その人が採用する価値体系によって)異なるはずです。
だからおそらく、デュシャンへのオマージュアートに「シニフィアン連鎖」を読み取ることも出来るでしょうし、あるいはぼくが提示した「シニフィアン連鎖」が彦坂さんには全く通用しないのも、当たり前だとも言えます。
もちろん、ぼくが示したつもりの「シニフィアン連鎖」に何らかの妥当性はあるのか?という問題もあります。

なるほど。
ご説はごもっともと思います。

s-10.jpg

s-11.jpg

糸崎さんのおやりになったことに「バサラ」を感じます。

上林澄雄の「日本反文化の伝統」(エナジー叢書、一1973年)は、
日本社会に歴史的に存在する流行性集団舞踏狂の流を指摘し分析したものでした。

hanbunka-thumb-350x497.jpg 

上林氏は、大きな権力移動が起きる前に、
民衆の中に狂舞が繰り返し発生してきたことを発見し、
そのの分析をとおして、日本の文明構造の二元的な亀裂を
明らかにしています。

日本文化には、《文明》対《原始世界》という、重要な対立構造が潜在して
いるのです。

20a77f0d.jpg

外国から高度の人工的な新文明が日本に入ってきて、それを輸入し
喜んで学び、支配者たちはこの《輸入文明》、例えば仏教や、
あるいは西洋文化を背景にして民衆を支配するのですが、
支配される民衆の中には、文明以前の、狩猟採取文化、
つまり野蛮な文化が脈々と流れていて、上級の《輸入文明》に対して、
常に反抗的な姿勢があるというのです。しかし問題が複雑なのは、反抗的な姿勢が屈折していることです。

830basara02.jpg

反抗自体が《輸入文明》に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣
し、なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に
還元し、あざ笑うことに表現を見いだしていくという、複雑な摂取と
解体の流れがあり、これが「ばさら」とか「かぶく」とか
言われる美意識となります。

paturn1.jpg


「ばさら」「かぶく」という言葉を、辞書でひいてみると次のようにあります。
 
 「ばさら【婆裟羅】室町時代の流行語。
 ①遠慮なくふるまうこと。乱暴。 
 ②はでに飾り立てて、いばること。だて。
 ③しどけなく乱れること」

_MG_6700_a1_s.jpg

5001.jpg

16297_n20070209_18_basara_02.jpg

 
 「かぶく【傾く】
 ①頭がかたむく。かしぐ。
 ②はでで異様なふるまい・みなりをする。」
         (日本語大辞典 講談社 一九八九年)

51Z9ksxfAZL.jpg

37844.jpg


 
 つまり日本の中には乱暴で、はでに飾り立てて、
しどけなく乱れる表現の系譜があるのですが、
これが室町時代に「ばさら」とか「かぶく」というような言葉で
姿をあらわし、それはしかし不自然なものであり、異様で、派手で、
エキセントリックで、
《異端の系譜》の源流とも言うべきものになるのです。

これを戦後日本美術の中で分かりやすく言えば、
それは敗戦後の岡本太郎によって唱えられた縄文主義であり、
対極主義であり、あのどぎつい派手な色合いの絵画であり、
岡本太郎の「芸術は爆発だ」と力んでみせる歌舞伎の見栄を切る
ようなパフォーマンスなのです。

511X21XT8EL.jpg

20080425_368808.jpg

Taro 2.JPG.jpeg

taro-Heavy-Industry.jpg

岡本太郎の作品が芸術的には優れていないのは、
「バサラ」に還元する表現でしかないからです。

つまり「バサラ」への還元だけでは、
野蛮への退化しか意味していなくて、
文化ではなくて、
反文化でしかないのです。

野蛮に退化することだけでは、芸術的には無意味なのです。

糸崎公朗さんの、リカちゃん人形には、
デシャンの作品に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、
なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、
あざ笑うことに表現を見いだしていくという、
複雑な摂取と解体の流れである「バサラ」を感じます。

s-11.jpg



私自身は、こういう「バサラ」の系譜作品を多く見て来ているので、
正直に言って、「またか」と思ったのです。
つまり、外国の高度な作品を、摸倣しつつおとしめて、
低俗な自分たちの文化に基礎づけて行く系譜なのです。

コンプレックスゆえの表現です。
野蛮な人たちの、高度な文明に対するコンプレックスが生むこうした
表現に意味が無いわけではありませんが、疲れます。

その代表は、篠原有司男さんや0次元の加藤好弘の表現です。

Beams-G-10.jpg

0202-2.jpg

hanbaku.jpg

katou_01.jpg

第2次世界大戦に破れて以降の日本現代美術は、
こうした「ばさら」の系譜に満ちています。
最近で言えばシンディシャーマンと森村泰昌さの関係です。
森村泰昌のやっていることは「ばさら」です。

61537492.jpg

4562215539448_1.jpg

YasumasaMorimura.jpg


そして会田誠とフェニミズムの関係も「バサラ」です。

20071211213620.jpg

281335424.jpg

1013284723.jpg

会田誠さんの作品は、今日の《ローアート主義》と《バサラ主義》の
本質が体現されているとお思います。
ここで会田誠論を書くわけにもいかないので、
反フェニミズム系の作品の図版だけを選びました。

会田誠さんの作品集に書かれている方法は、
「美術は、世界を浅い表面的な捉え方で見ることで、
制作で出来る」とする主張です。

会田誠さんのご両親や親戚には教育者が多くて、
この身近からの文化的抑圧に対する反撃という心性があるようです。

世界を表面の先入観だけで捉えるので良しとする居直りに、
美術の根拠を見いだしているのですが、
乱暴に結論ずければ、
それは日本の下層にある反文化的な野蛮な心性に通ずるものが
あるのです。

>もともと「非人称芸術」というのは《ローアート》のことであって、民衆芸術や伝統芸術には、備わっているものだと考えます。《ローアー ト》への回帰の欲望を、理解は出来ますし、評価は出来ますが、しかし《ハイアート》の面白さを、私は評価する立場です。
>音楽も、映画も、私は《ローアート》も《ハイアート》も両方を見ますが、《ローアート》のつまらなさというのも、分かっているのです。この《ローアート》のつまらなさは、糸崎公朗さんの作品にもつきまとっています。

これも非常に興味深い指摘です。
ぼくの「非人称芸術」は「既存のアートの価値体系の破壊」でもあったのですが、それは彦坂さんのおっしゃる《ハイアート》の否定であり、その必然的な結果として既存の《ローアート》になってしまったとしたら、それは納得できる話です。

「既存のアートの価値体系の破壊」というのは、
しかし糸崎公朗さんがやったことではないでしょう。
糸崎さんのやられていることは、
「既存のアートの価値体系の破壊」を糸崎さん以前にしてきた
反芸術系の系譜の既存の仕事の流れにのって、さらにその末端に
位置しようとされてきている。
赤瀬川原平のイデオロギーや「トマソン」もまた《バサラ》ですが、
こうしたもののなぞりに、意味を見いだして来ておられる。

20041117.jpg

1255568623_photo.jpg

2200940.jpg


kaseikogyoentotu.JPG.jpg

iimura_001.jpg

tom.jpg





そして一方では、自分につきまとう《ローアート》のつまらなさを、鬱陶しいと感じてもいるのです。もちろん、結果的に《ローアート》であることのおかげで得をしていることの方が多いのですが、これは「両刃の剣」です。

なるほど、うっとうしく感じられているのですか。
でも、今までどおりで良いのではないでしょうか。

私自身は、《ローアート》を作れるつもりではいますが、
しかし作品というのは、自分自身が最初の観客として鑑賞をするので、
それに忠実になれば、自ずと限界があります。
どこまで行っても、彦坂尚嘉の作品は彦坂尚嘉の作品であり、
糸崎公朗の作品は糸崎公朗の作品なのです。
この不快感や絶望からは逃れられません。

ぼくの「非人称芸術」は、実のところシュルレアリスムの影響を受けています。
シュルレアリスムが「無意識」を重視するのであれば、それは「意識=理性」の否定であり、その思想に基づく作品は必然的に《ローアート》になるのかもしれません。個人的な「無意識」を純化させると「非人称」になるというのがぼくの理屈です。とは言え、ぼく自身シュールレアリスムについて半端な知識で語ってるのも事実で、これは今後の課題です。

私はシュールリアリストでは、アンドレ・マッソンの作品が好きですが、
彼の作品は《ハイアート》です。
無意識が入るから《ローアート》になるという事は無いと思います。

andre_masson_gallery_4.jpg

アンドレ・マッソン

もうひとつ、ぼくの作品に彦坂さんがおっしゃる《ローアート》があらわれていることは認めますが、しかしぼく自身は《ローアート》に埋没しない、外部的な「観察者および鑑賞者」に位置しており、それをもっていわゆる≪ハイアート≫のつもりではいるのです。

なるほど。
お考えは分かりました。

つまり理性によらない《ローアート》を、理性で見る目が自分にはあるつもりなのですが、ぼくの理性自体が「理性的思考に達していない」というのであれば、それを認めることもやぶさかではありません。

いや、理性的であられると思います。

>糸崎公朗さんのご意見は理解できますが、現実に糸崎さんが美術館で展覧会をしていることも事実ではあります。

ぼくが作品や美術館を否定しながら、一方でフォトモを美術館で展示するという矛盾は、自覚しています。つまりすでにぼくの中にも、互いに反転した価値体系が存在するのです。しかし「反転」というのはひとつ価値体系の裏表というだけでなく、反転のための「蝶番」は複数存在するのではないかと、最近気づきました。「反転の反転」は元の価値体系とは異なる「反転」でありえるはずで、そのような可能性を探ろうとしてるつもりです。

>《ローアート》と《ハイアート》の間には、人間が定住して農業を始めた 時に、大きな社会を形成したという事があります。大きな社会をつくって支配者層になった人びとと、支配される側にまわって古い自然採取の文化を残そうとす る人びとの分解が生じたのです。

「自然採集」について、ぼくは彦坂さんに何も伝えてないはずですが、見事に言い当てられました。ぼくは自分をアートにおける「狩猟採集民」を自覚しており、つまりぼくにとってアートとは「野生の芸術」を指すのであり、それによって「栽培種化された芸術」を否定し、だから普通の意味での作品制作もやめたのです。ただ、先に書いたように「野生の芸術」が単に既存の≪ローアート≫でしかないとすれば、それは問題視すべきことです。先にぼくは「《ハイアート》の否定」を言いましたが、実のところぼく自身は《ハイアート》を理解した上で解体したわけではないので、これも問題なのかも知れません。

>では2種類の美術とは、何か?
>それは素人の美術と、玄人の美術です。

>この2種類の美術の差を前提にして、
>芸術を論じないと、議論は空転します。


この言い方を受けると、ぼくはいわゆる「素人の美術」を「玄人の鑑賞眼」で論じようとしているつもりなのかも知れません。ただ、ぼくが示した「2種類の美術の折衷」みたいな立場が彦坂さんの示した価値体系には存在し得ないのだとすれば、ぼくは鑑賞眼も含めて「素人の美術=ローアート」の人でしかないのかも知れません。ぼく自身がその可能性を了解しなければ、おっしゃるとおり議論は空転するでしょう。

「2種類の美術の折衷」というのは、可能だと私は思います。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示は可能だし、
重要な表現だと思います。

>ついに、書けませんでしたが、芸術の鑑賞構造を理解できないために、骨董の視覚性をもって、代用しているのです。

これはぼく自身のことと理解してよろしいでしょうか?早い話、ぼくが「芸術」と思っていたものは実は「骨董」でしかなかった・・・と。仮にぼくがこれに反論するなら、まず「骨董」について説明しないといけないのですが、実のところ「骨董とは何か?」をあまり考えたこともなく、また≪ハイアート≫もわからないのであれば、論じようなく、申し訳ないです・・・。

以上、彦坂さんのご指摘の全てに返信できたわけではありませんが、ともかく彦坂さんのおかげでいろいろ「開眼」させられましたので、自分なりにいろいろ努力してみます。 
by 糸崎 (2010-03-13 17:51)  


糸崎公朗さん真摯な思考態度には驚かされます。
しかし《ローアート》で良いのではないかと思います。

今日の沈没崩壊する日本国の中では、
《ローアート》の成立しか
出来ないというのが社会的な現実ではあるのでしょう。

日本全体が「トマソン」化してしまうでしょう。

そうすると糸崎公朗さんが作れる対象物は増えると思います。

日本全体を衛星写真からフォトモ化できるのも、
近未来では可能なのではないでしょうか。

すでに日本の過半が骨董化しつつあるのです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【最後に加筆】

これは余計な話です。
《ハイアート》の視点で言うと、
糸崎公朗さんの作品を金属板で制作したくなります。

現在の紙ですと楽ですが、しかし《ハイアート》とは言えません。
金属で作るのです。

しかし、実際にはたいへんです。



nice!(6)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

出版をめぐって/美術系ラジオ [アート論]

art-radio.jpg
天内大樹氏が作ってくたバーナーです。

建築系美術ラジオを天内大樹さんと始めようとしています。

正月に出版をめぐっての議論のラジオを、
私がアップに気がつかなくて、
遅くなったのですが、ご紹介します。

AR-美術系ラジオ
聴く: 建築系美術ラジオ「新春の集い」1
(MP3形式、8.7MB、18分31秒)

出演者:白濱雅也+栃原比比奈+彦坂尚嘉+天内大樹+南泰裕今更......の感もありますが、新春の集いです。2006年と2008年に開かれた彦坂さんと南さんによる「建築と美術のあいだ」展に併せて開かれたシンポジウム記録を、とりあえずは出版するつもりでゲラまで作成した白濱雅也さん。栃原比比奈さんの個展を行っていた彦坂さんのアトリエに関係者が集まり、編集会議を開くことになりました。さて、これを今まで通りのやりかたで「出版するか、否か──それが問題だ」。あるいは、「誰に読ませる/誰が読むのか?」。メディアがきわめて凡庸な理解のしかたを再強化するばかりになってしまった現状で、何が有効な戦略なのか? 新たなメディア「建築系ラジオ」の中で考えてみます。連載コーナーを決める前の収録でしたが、「建築系美術ラジオ」(旧称:美術系ラジオ)第0回収録シリーズとしてお楽しみ下さい。(2010年1月4日、彦坂尚嘉アトリエ=藤沢市にて)


AR-美術系ラジオ
聴く: 建築系美術ラジオ「新春の集い」2(MP3形式、7.9MB、16分55秒)
2006年と2008年に開かれた彦坂さんと南さんによる「建築と美術のあいだ」展に併せて開かれたシンポジウム記録を印刷媒体で「出版するか、否か」。電子出版(による生き残り)の可能性が様々に探られているなかで、物質としての書物を手許に引き寄せ、紙とインクという形態で長く残すという態度もあり得ます。書物をめぐる議論は、いつしかTwitterなど新たな形のメディアについての議論を通過し、書物を支えてきたはずの都市人口が全人類に占める割合(=都市人口率)という大きな話へ。「建築系美術ラジオ」第0回収録シリーズです。(2010年1月4日、彦坂尚嘉アトリエ=藤沢市にて)。


AR-美術系ラジオ
聴く: 建築系美術ラジオ「新春の集い」3(MP3形式、17.6MB、37分30秒)
本が「売れる」ために、芸術家(建築家)はどれほど「とがる」べきか。〈売れる/とがる〉、あるいは〈ハイアート/ローアート〉は、決して二項対立ではないのではないか。芸術の、あるいは建築の役割、言い換えれば芸術家や建築家の社会における役割はなにか。人々にまだ見えぬ世界を提示するのか、人々を統合するのが先か。「意識の痛点」を突く「建築」と、凡庸で退屈な日常。建築の骨組と、絵画の骨組の比較は、時間をおいて「透明性」の議論につながります。栃原さんの作品評も含め、議論が暖まってきたので、30分越えの長大番組を「建築系美術ラジオ」第0回収録シリーズからお送りします。(2010年1月4日、彦坂尚嘉アトリエ=藤沢市にて)。



nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

鑑賞構造とは何か?/糸崎公朗の対話(2) [アート論]

イメージの連鎖(アポリネールとキャメル).jpg

糸崎公朗さんが、コメントを2つ書いて来て下さいました。
これへのご返事を書きながら、芸術の鑑賞構造の有無を書いて行こうと思います。

お送りした画像は差し替えではなく、新しい記事として書いていただいたんですね、ありがとうございます。

いろいろ考えたのですが、この記事は画像はそのままで価値があると思いますので、そのままにしていただければと思います。
メールにも書きましたが、展示について批判的なのは残念ですが、真摯で非常に興味深いご意見をいただいけたと思っております。

批判をする意思そのものは、あまりないのです。
正直な感想が基盤にあります。
1975/1991年の《近代》の崩壊以来、起きて来たのは、
古い近代芸術の崩壊と、新しいアートへの移行です。
こうした2つの潮流の混在する複雑な渦の状況の中に、糸崎公朗さんも
私もいるわけです。
その中で、糸崎さんは、真摯に問題を考えておられて尊敬できます。
ですから、私の感想は批判を目的に書いたものではないのです。
できるだけ正直に書こうとしているだけだと言えます。

s-09.jpg

s-10.jpg

s-11.jpg

s-13.jpg



ぼくがもっとも興味深いと感じたのは、彦坂さんの

>一番ひどいのは、デュシャンの携帯用美術館「旅行鞄の箱」(1941)に対して、その展示の形態への類似から、リカちゃん人形のボックスセットを対置しているものです。
>解釈は自由ですから、かまいませんが、馬鹿馬鹿しく私には見えてしまいました。

という意見です。
ぼくはこのデュシャンの『トランクの中の箱』と「リカちゃんハウスの」比較を「最大の自信作」として出展してますから、全く正反対の意見です。

そうですね。
この辺のところが、興味の違いだと言えます。
私から見ると、デシャンの作品集が『トランクの中の箱』ですので、少なくとも、糸崎公朗の作品集として糸崎版トランク・レプリカ美術館を作って、エディション制作をして欲しかったのです。

そもそもぼくは「非人称芸術」というコンセプトによって、いわゆる「一人称芸術」に対してある意味「正反対」の価値体系を提示してるつもりです。
ですからぼくの「最大の自信作」を彦坂さんが「一番ひどい」と捉えられることは、非常にまっとうな反応だとおもいます。

「非人称芸術」という価値観は、20世紀の前衛芸術の中のひとつの側面としてあって、デザインへの還元への欲望として、続いています。私の考えでは、この事実性は認めますが、もともと「非人称芸術」というのは《ローアート》のことであって、民衆芸術や伝統芸術には、備わっているものだと考えます。《ローアート》への回帰の欲望を、理解は出来ますし、評価は出来ますが、しかし《ハイアート》の面白さを、私は評価する立場です。
 音楽も、映画も、私は《ローアート》も《ハイアート》も両方を見ますが、《ローアート》のつまらなさというのも、分かっているのです。この《ローアート》のつまらなさは、糸崎公朗さんの作品にもつきまとっています。



また彦坂さんが同じ比較について「馬鹿馬鹿しい」と感じられたことも、興味深いです。
ぼく自身の「非人称芸術」の価値体系の中では、芸術家、美術館、アートマーケット、などの存在は基本的には「馬鹿馬鹿しい」と感じられるからです。この意味でも、彦坂さんとぼくの価値体系は「正反対」を示しているのではないかと思います。

糸崎公朗さんのご意見は理解できますが、現実に糸崎さんが美術館で展覧会をしていることも事実ではあります。
私自身は、美術制度の存在そのものはまず、認めます。何よりも、美術館に行くのが好きです。美術史も好きですし、個別研究者から美術研究の話を聞くのも、美術書を読むのも好きです。そして美術について考えるのが好きなのです。

ただし最近の自分は、「非人称芸術」という価値体系だけに閉じ籠もることをやめて、それとは「正反対の価値体系」を尊重しながら理解しようと試みています。
「価値体系」とはパソコンのOSのようなもので、MacのパソコンにWindowsをインストールし、その二面性を使い分けると言うことです。
この試みはまだ始めたばかりで、どのような成果に結びつくのか不明なのですが、その一環として彦坂さんに意見を伺ったり、デュシャンの本を読んだりしてるのです。
ですので、

糸崎さんのこうした探究性は、尊敬しています。
先日お会いした時にも、赤瀬川源平に対して、かなり正当な評価と批評性を示しておられて、たいしたものだと思いました。自分の論理を組み立てるだけでなくて、その外部にも興味を示されるところに、人間の精神としての正当性を見せて下さいます。なかなか、出来る者ではありません。

>糸崎さんには、デュシャンの芸術性の高さというものが見えていないように、私には見えたのです。

これも当たっているわけでして、ぼくは彦坂さんのおっしゃる「芸術性の高さ」というものに対し、意図的に目を背けてきたのかも知れません。

多くの人は、芸術を見ないで嫌っています。
それこそレオナルド・ダ・ヴィンチも、雪舟も見ないで、嫌うのです。
こういう心理を理解は出来ますが、その心理が《ローアート》の欲望と重なっています。《ローアート》と《ハイアート》の間には、人間が定住して農業を始めた時に、大きな社会を形成したという事があります。大きな社会をつくって支配者層になった人びとと、支配される側にまわって古い自然採取の文化を残そうとする人びとの分解が生じたのです。ここに《ハイアート》と《ローアート》の分裂の起源があって、それは人間が生きると言う時の、生活態度の基本的な差があるのです。その差を生み出しているのが識字問題です。つまり書き文字を媒介にして新しい精神の次元に立った人びとと、あくまでも無文字社会の伝統にたって、口承性の文化に本質を見ようとする直接性への希求をする精神の差です。
《ハイアート》の人びとの精神は、「反省」に基盤を置き、《ローアート》の人びとは、「分かる事」という了解性に基盤を置いているように、私には見えます。

ですので彦坂さんに言われて、さすがにすぐにフィラデルフィアには行けませんでしたが、東大の「大ガラス・東京バージョン」だけは何とか見てきました。
その他にもいろいろヒントを与えていただきましたが、じっくりといろいろ考えさせていただきます。
by 糸崎 (2010-03-10 13:15) お送りした画像とともに、新しい記事を書いていただいてありがとうございます。

美術作品には、キリスト教美術というのが、ありますが、キリスト教そのものは、美術ではありません。キリスト教と美術がくっついたのが、キリスト教美術です。

同じように、仏教美術というものがあります。仏教そのものは美術ではありませんが、仏教と美術が接合したものが、仏教美術です。

つまり宗教美術というのは、宗教そのものは美術ではないのですが、宗教と美術が接合すると宗教美術が生まれるのです。

同様の事は静物画にもいえます。静物そのものは、絵画ではありません。静物と絵画が接合すると静物画がうまれます。同様に風景画というのも、風景そのものは絵画ではないのですが、風景と絵画が接合すると風景画が生まれます。人物画も同様です。人物そのものは絵画ではないのですが、人物と絵画が接合すると人物画が生まれるのです。

こういう仕組みで、呪術と美術が接合すると、呪術美術が生まれます。
狂人と美術が接合すると、アールブリュットが生まれます。
子供と美術が接合すると、子供の美術が生まれます。

つまり美術というのは、美術ではないものと自由に接合して、○○美術という新種を次々に生み出すという折衷構造なのです。

そういう中で科学と接合した科学美術が、《近代》という時代の中に生み出されます。印象派が、光がプリズムで分解されるという科学的な事実に根拠を見いだしたのは、こうする事で、科学美術が成立するからです。立体派にしても、未来派にしても、抽象美術にしても、基本にあるのは、こうした科学美術という、科学的な思考への接合の構造だと考える事も出来るのです。

つまり糸崎公朗さんの「非人称芸術」というのは、非人称性と、芸術が接合したものなのです。そういう視点で見ると、非人称せいというのは、非人称性であって、芸術とは別のものです。
《非人称》ということをもって、芸術そのものや、美術そのものを説明は、なし得ないのです。

それは仏教美術において、《仏教》ということをもって、美術や絵画、芸術を説明や定義できないのと同様なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

>糸崎さんの作品は、何なのか?
>と考えると、紙づくりのジオラマとの類似性です。

彦坂さんが示されたのは、紙の模型ではなく、プラモデルですね。
彦坂さんの論旨から外れるかも知れませんが、私見ではペーパーモデルとプラモデルは性質がちょっと異なっています。
ぼくは子供の頃プラモデルを作ってましたが、これは改造して精密に作り込むほど「良く」なってきます。
ところがペーパーモデルの方は、あまり精密にすると紙という素材の限界が見えてしまいますので、むしろうまく省略してデフォルメする方が「らしく」見えたりするのです。
これはぼくの「好み」でしかないのかも知れませんが・・・ともかく「フォトモ」は工作的には省略を心がけ、精密さは写真の描写に負ってるのです。

プラモデルではありません。
ペーパージオラマですよ。
http://www.kamizukuri.jp/

糸崎さんが、工作的には省略を心がけておられるのは、正当ですね。
芸術というのは省略なのですよ。
「芸術的節約」というのは、芸術制作において、重要なものなのです。


>糸崎公朗さんの作品が立つ基盤は、《記録》性で、記録というのは芸術の鑑賞構造ではないのです。

これは自分でもそのつもりですので、同意できます。

《記録》性を重視するというのも、実は科学美術の性格のひとつ
と言えます。
科学というのは、観察や記録に於いて成立します。
だから記録美術というのは、
記録と美術が接合したものなのです。
こでも、しかし記録は記録であって、美術では無いのです。
問題なのは、記録は記録ですが、美術は美術であるのかどうかです。

美術とはなんであるのか?

美術そのものを対象化する事無しには、
分からない事があるのです。

私見を申し上げれば、美術に2種類のものが存在するという事です。
この美術の分類を問題にする思考を抜きにしは、
芸術論は成立しないと思います。

では2種類の美術とは、何か?
それは素人の美術と、玄人の美術です。

喧嘩にも、素人の喧嘩のやり方と、
玄人の喧嘩のやり方があります。
玄人の喧嘩は、例えば空手です。

素人の殴り方と、
空手の有段者の殴り方は、根本的に違います。

同じように、絵画も素人と、玄人の差があるのです。

具体的に言えば、素人の色の使い方と、
玄人の色彩のコントロール技術は違います。

こういう2種類の差があるのです。

この2種類の美術の差を前提にして、
芸術を論じないと、議論は空転します。

>鑑賞構造性が無いにも関わらず、それが骨董というレトロになることで、
>擬似的な鑑賞性を持っているのです。

しかしながら、以前にも同様な指摘がありましたが、ぼくは自分の作品に「骨董」とか「レトロ」という価値を当てはめられることに違和感を持ち、もっと言えば反発を感じてしまいます。
自分としては、レトロや骨董は異なる「価値」を提示しているつもりなのです。
とは言え、「骨董やレトロに見えてしまう」という客観的事実は否定できないわけでして、そのように見える作品ばかり作る自分にもその責任の一端はあるわけです。
デュシャンは芸術における「趣味的判断」を否定しましたが、その意味でぼくは自分の「趣味的判断」から自由ではなく、この問題をどのように考えるかは今後の課題です。
自分としては、結果として「古びたもの」をモチーフにするのは、デュシャンの以下の言葉と関係しているような気がします。
__

同時代人が、自分たち固有の時代に対して今判断を下したところで、その判断の最小限の価値すら持たないと思います。われわれは近すぎるのです。そこでは距離をとらなければいけません。

マルセル・デュシャン

イメージの連鎖(自転車の車輪).jpg

距離を取るという事の結果、「「古びたもの」をモチーフにする」ということになっているというのは、理解は出来ます。
まあ、日本の場合、レトロは、実は強いのです。
ついに、書けませんでしたが、芸術の鑑賞構造を理解できないために、骨董の視覚性をもって、代用しているのです。
デュシャンには骨董性がないわけではありませんが、糸崎さんのように生に骨董性が出て来てはいません。つまりデュシャンとは関係のない理由で、糸崎公朗さんの作品につきまとう骨董性があるのです。


まぁぼくの場合、距離がまだまだ近すぎるのかも知れませんが・・・
もしくは、ぼく自身のつもりと鑑賞者の不可避的なズレが「擬似的な鑑賞構造」と言うことかも知れません。

これも、この文章で書けませんでしたが、日本の現代美術/現代アートが、擬似的な鑑賞性に依拠しているのは、実は美術市場と深く連動しています。糸崎公朗さん個人を超えた、大きな問題があるのだと思います。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

鑑賞構造とは何か?/糸崎公朗の作品 [アート論]



糸崎公朗さんから、高松市美術館での展示作品の画像と、
個人メールをいただきました。

s-16.jpg

 


彦坂さま


このたびは高松市美術館に来ていただきまして、ありがとうございました。

アルテさんのついでであったとしても、高松まではそれなりに距離がありますので、京都から回って大変だったことと思います。

展示に関しては批判的なことは残念ですが、しかし丁寧で真摯な評論をしていただいたことに感謝します。

非常に興味深く、また刺激的な内容であり、有意義なものです。

ところで、ブログの返信にも書きましたが、高松市美術館での展示画像をお送りしますので、これを記事にお使いいただけますでしょうか。

特に「トランクの中の箱」と「リカちゃんハウス」については、展示に使用した双方とも「より似ているバージョン」を提示しないと、第三者に意味が伝わりづらいのではないかと思われます(たとえぼくが提示しようとする意味が間違っていようとも、です)。

お手数おかけして申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします。

彦坂さんのリアクションを待って、あらためてブログに返信させていただきます。


糸崎公朗


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


s-17.jpg


糸崎公朗の作品に対する彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で
《第8次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》《象徴界》の2界をもつ表現。

              《現実界》《サントーム》は無い。

固体の表現気体/液体/絶対零度/プラズマの4様態は無い。

《気晴らしアート》である。《シリアス・アート》性は無い。
《ローアート》である。《ハイアート》性はない。
シニフィエ(記号内容)である。シニフィアン(記号表現)性は無い。

理性脳と原始脳の同時表示
《原始立体》『ペンキ絵』的作品 【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。

《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》はある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

糸崎公朗さんの作品には、芸術鑑賞構造性は無い。

《記録》を骨董を見る視覚で愛でている擬似的な鑑賞作品。

 


s-15.jpg


糸崎さんの作品は、何なのか?

と考えると、紙づくりのジオラマとの類似性です。


bantam_s.jpg
bronko sdkfz221_s.jpg
n_gage2.jpg
table.jpg
diorama.jpg
n_gage2.jpg

sakurei_s.jpg

紙のジオラマに対する彦坂尚嘉責任による芸術分析

 
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
 
《想像界》の表現。
液体の表現
《気晴らしアート》である。
《ローアート》である。
シニフィエ(記号内容)である。
 
 
理性脳と原始脳の同時表示
《原始立体》『ペンキ絵』的作品 【B級美術】
 
《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。
《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》はある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジオラマには鑑賞構造性はあって、それは《愛玩》という構造です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

糸崎公朗さんの作品と並べてみます。


sakurei_sのコピー.jpg
鑑賞構造は無い。          鑑賞構造は《愛玩》
《記録》/骨董                     

ペーパージオラマと、糸崎公朗さんの作品は、
良く似ていているのですが、
一番根本的な差異は、ジオラマが《愛玩》という鑑賞構造で成立して
いるのに対して、糸崎公朗さんの作品は、鑑賞構造を持っていないのです。

しかし糸崎公朗さんの作品の《想像界》が、
《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
であるということにおいて、優れていて、芸術になり得ています。

もうひとつは、ペーパージオラマが、液体美術=近代美術であのに、
糸崎公朗さんの作品は固体美術=前-近代美術であることです。



つまり糸崎公朗さんの作品を成立させている要素で大きいのは、
レトロ感覚と言う、骨董を愛でるという擬似鑑賞性なのです。

つまり糸崎公朗さんの作品に、鑑賞構造があるのではないのです。

糸崎公朗さんの作品が立つ基盤は、《記録》性で、記録というのは
芸術の鑑賞構造ではないのです。

鑑賞構造性が無いにも関わらず、それが骨董というレトロになることで、
擬似的な鑑賞性を持っているのです。

このように、鑑賞構造を持たないものを、あえて愛でるという、
擬似的な鑑賞ゲームをして楽しむという遊び性が、糸崎公朗さんの
作品の魅力であるのではないでしょうか。

それは糸崎公朗さんの作品が《気晴らしアート》であることと
深く結びついています。

人間が作り出すものには、鑑賞構造を持っているものと、
持っていないものがあります。


このことは、糸崎公朗さんと似ている作品として、
ジョージ・シーガルを思い出してみると、良く分かります。

Segal.jpg
シーガルの作品に対する彦坂尚嘉責任による芸術分析
 
《想像界》の眼で《第1〜6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1〜6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1〜6次元》の《真性の芸術》
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
液体の表現固体/気体/絶対零度/プラズマの4様態は無い。
 
《シリアス・アート》
《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)性の作品。
 
 
理性脳と原始脳の同時表示
《原始立体》『ペンキ絵』的作品 【B級美術】
 
《原芸術》《芸術》《反芸術》
《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》の全てがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鑑賞構造としては《驚愕》性で成立している。


シーガルと糸崎公朗さんの作品を並べてみます。

糸崎Segal.jpg
鑑賞構造は無い。          鑑賞構造は《驚愕》
《記録》/骨董                     

                   糸崎ジオラマSegal.jpg
鑑賞構造は無い。         鑑賞構造は《愛玩》    鑑賞構造は《驚愕》
《記録》/骨董                           
     

糸崎公朗さんさんの作品の軽さとか、ペラペラの薄さ感は、
素材が紙であるというだけではなくて、
鑑賞構造の有無の問題でもあるのです。

実は、糸崎公朗さんの作品と、デュシャンの作品は、
この鑑賞構造の無いということで、深い関連があるのです。
このことを論じるのは、次回ということで、お楽しみに。   

 

s-10.jpg
s-11.jpg

 



nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。