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アトリエの整理と《水平の時間》(加筆1校正2) [日記]

先日から、アトリエを整理しています。

それもあって、白濱雅也さんから預かっていた作品を、
引っ越ししてもらいました。

引っ越しをする段で、
見ていなかった作品を、あらためて見るチャンスとなって、
白濱雅也さんという作家を見返すと、
私に見せないで来た作品の中に、良いものがずいぶんありました。

小規模でも回顧展的な展示をする必要がありますね。

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10月2日に上岡さんと飲んで、新宿の漫画喫茶で泊まって、
3日、そのまま甲府の志田さんの所に行って、
日帰りで志田さんの所から返って来た翌日、
つまり10月4日(日)の朝9時30分に白濱雅也さんが
アトリエに来て、2人でレンタカーを借りて、
交代で運転して、荷物を藤沢市六会から、千葉市まで、
運んだのです。

2往復しました。
レンタカーを返したのが、ほぼ24時間後の5日(月)の9時。
つまり24時間、引っ越しをしていました。

すごいですね。
何をやっているのでしょうか?

運転を交代してもらっているときは、
もちろん居眠りをしていました。
居眠り居眠りで、つないで行くのです。

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5日の午前11時には栃原さんが手伝いに来てくれて、
そのまま整理の続行で、10月6日(火)の深夜まで続いて、
さすがに、途中で私がダウンして眠って、
つい先ほど起きて、犬の散歩をしてから、
今、このブログを書いています。


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昔は、3日徹夜で制作をしていた元気はありましたが、
今はそんな気力も無いし、
実は肉体は衰えてきているので、
足は痛いし、腰は痛いといった状態なのに、
奇妙に精神は活力があって、
今の整理を、しだいに本気でやろうとしています。

白濱雅也さんが千葉市に借りたレンタルのコンテナーというのも、
8畳間大なので,
白濱雅也さんの作品もバカにならない量があって、
2トン車で2回運んでも、少しですが積み残しがありました。

白濱雅也さんも、そのまま学校にいって、
3コマの授業があったので、ひどい生活になっています。

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私の方は、栃原さんが手伝いに来てくれて、元気がよみがえって、
とにかく、前に進む気にありました。

昨日は業者にお金を払って、不要物を持って行ってもらったら、
奇妙に心が沈んだのですが、
同時に、やる気になって来て、
本気で、整理するつもりになっているのです。

先日の越後妻有トリエンナーレで、
くたびれはてていて、意欲というものが消えていたのですが、
最近は制作の意欲がよみがえってきていて、
自分の作品を作りたくなっています。

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それは先日飯田啓子さんの作品集の、途中を見せてもらいながら、
1日話をして、疲れて、その中で、
自分の制作を、2010年代に向けてスタートさせる欲望が
湧いて来たのです。

飯田啓子さんは、1990年代の村上隆の時代に、
同じ様な時期にスタートしたネオ・コンセプチュアル・アーティスト
としては、珍しく徹底した作品展開があって、
作品集をきちんとまとめれば、面白い人なのですが、
相談に乗っていると、お互いの生きている次元が違うので、
くたびれるのです。

くたびれるのは、私よりも飯田啓子さんだとは思うのですが、
私もくたびれて、深い所で怒りだすのです。

飯田啓子さんの作品展開の良さは、《第6次元 自然領域》の
【水平に流れる時間/クロノス】のダイナミズムなのですが、
私のいる場所は、
《超次元》の【永遠の現在/アイオーン】といわれる垂直の時間系で、
だから、水平と垂直の時間系で、90度食い違っていて、
怒りが湧いてくるのです。

でも実は私は反省して、
実際の時間が流れる現実は《第6次元 自然領域》だけである
ということは、認めるようになります。

彦坂尚嘉の42段階の格付けというのは、
42次元が階層をなしながら、ループを作っているのですが、
時間が流れているのは、《第6次元 自然領域》だけなのです。

それ以外の所は、実は時間は流れていなくて、止まっているのです。

つまり《第6次元 自然領域》だけが、現実の宇宙の中で、
膨張し続ける現実世界であって、
それ以外は、その変化する現実に抵抗している人間の文明領域なのです。

人間はエジプトのピラミッドのように、
変化し続ける自然に対して抵抗して屹立する文明をつくって
来たのですが、
しかし5000年間変化を拒絶したエジプト文明も滅びたように、
現実の《第6次元 自然領域》では時間は流れ続けるので、
変化しない文明は、どこかで破綻して行くことになるのです。

つまり人間の精神と文明というのは、
この変化し続ける《第6次元 自然領域》に対する抵抗と、
にもかかわらず、変化し続ける現実の《第6次元 》の勝利、
という、その格闘の歴史なのです。

私自身は、この《第6次元 自然領域》の変化し続ける動きと、
それを測定して行きながら、
不動である永遠の現在の屹立へ還元して行くと言う闘争が、
面白いのです。

越後妻有トリエンナーレで、燃え尽きていたのが、
再び元気になって来ているのは、
この変化と屹立のドラマの面白さが、
より整理されて見えるようになって来たことにあります。

結局、最終的なドラマは、自分で制作する以外には、
誰も演じてくれないので、
最後は、自分の私性の踏ん張りに戻って来てしまうのです。

こうして、アトリエの整理になって来ているのです。
晩年の制作が、何年できるかは分かりませんが、
とにかく、意欲のままに、出来る事をやろう。

正味3年、2015年までの5年間、
もう一度戦争をする。

硫黄島の栗林中将のように知力を尽くして徹底抗戦をしたいものです。
結局は破れる闘いでも、知力と体力の極限まで徹底抗戦をする。

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