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一の橋公園の噴水/マドンナと菊池凛子 [建築]

写真11.jpg


《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
芸術と反芸術の同時表示

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視立体》【A級美術】




写真:一の橋公園外観

首都高速一の橋インターチェンジの下にある公園です。

湧水を利用した噴水がこの公園の特徴で、
有名なものです。

マドンナのプロモーションビデオの撮影に使われ、
短いシーンですが出てくる所です。
これを見て来ました。

噴水が驚くべきもので、《超1流》です。

毎正時、古川の両岸から噴出する水のアーチは必見ですということでしたが、
しかし平成21年5月中ごろから東京都の古川地下調節池工事のため、
公園の一部が利用できなくなっていて、全貌はみられませんでした。

それでも、なかなかのもので、創造性の高さは評価できます。

写真12.jpg

こう見ると、ただの汚い円筒ですが、
水が円筒の上から流れ落ちていて、
人々はこの円筒をくぐって歩いて来ます。

実物は芸術的に美しいものです
菊池凛子の映画『バベル』には、
この噴水がちゃんと写っていて、美しさが分かります。

写真14.jpg

同じ様な円筒の構造が二つあって、これがもうひとつです。

さて、マドンナのプロモーションビデオですが、
2006年9月、「Confessions Tour」のため、東京に滞在中に
マドンナ自身初での撮影を敢行しています。

ダンサーは歌舞伎町や渋谷、横浜等で撮影。
マドンナは、新宿のネオン街をイメージしたセットで激しく踊ています。

東京を舞台に撮影されもで、
カタカナの「マドンナ」の字がたくさん出て来ます。

その中に、瞬間的ですが一の橋の噴水公園が出て来ます。

曲は、「Jump(ジャンプ)」です。
アルバム「Confessions On A Dance Floor」からの4枚目のシングルで、
歌詞からして、ポップなダンスソングです。



《想像界》の眼で《第1次元〜第31次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第2次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第1次元〜第31次元》の《真性の芸術》

《想像界》の音楽
気体音楽

《気晴らし音楽》《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の音楽
《原始音楽》【B級音楽】

マドンナの音楽は、1980年代のシュミレーショニズムの構造を、
非常に良く体現している音楽です。
1980年代の美術を考える時に、マドンナの成果は、
ひとつの基準になるものになっています。

1980年代のポップスは、時代的にはプリンスの時代で、
その前衛主義は、素晴らしいものでした。

そして、少し遅れて追撃したマドンナは、
音楽的にも少し落ちていたのです。
しかし両者とも《第2次元 技術領域》のポップミュージックでした。

ですが、マドンナの歌詞の傑出性と、インタビューの良さは
眼を見張るものがありました。

そして写真集「セックス」と、アルバム『エロチカ』において、
マドンナは、《第1次元 社会的理性領域》 にジャンプしたのです。
普通エロというのは、《第21次元 愛欲領域》であって、
このエロ領域は、社会的理性は厳しく禁止し抑圧しているのです。

しかしマドンナの『エロチカ』と『セックス』は、
エロを主題にしながら、見事に《第1次元》の社会的理性領域性を
獲得すると言う、サーカスの様な逆立を成立させたのです。

マドンナに見られる、下層構造への直視の視線と、
それと同時に、それを抑圧して「フリ」としてなぞる構造を乗せる
という自覚が、
写真集『セックス』の高度な表現に結実します。

そこにあるのは、従来の猥褻性ではなくて、
リアルな猥褻世界の危険な病的性を直視しつつ、
エイズに対する安全性の確保を主張しつつ示される
ファンタジーの疑似猥褻なのです。

ヘリコプターにぶら下がったり、ストリートでの全裸でタクシーを拾ったりなど、
果敢なマドンナのヌード写真の美しさは、高く評価できるものでありました。


madonnamuscle.jpg

『エロチカ』の成功で、マドンナはプリンスを打倒します。
上に載せたマドンナの筋肉を見ても分かりますが、
マドンナは男性化して行くのであり、
その知性の輝きは、従来の女性歌手のものではありません。


プリンスは停滞し、挫折し、
新興宗教「ものみの塔」に入信してしまいます。

《第2次元 技術領域》から、《第1次元 社会的理性領域》 に
ジャンプしたマドンナの展開は、
極めてまれな展開であって、高く評価できます。

人間は普通、同じ次元で生きて、
違う次元にジャンプする事は、なかなか出来ないからです。

マドンナの知性の傑出性は、
1980年代のシュミレーショニズムの基本構造を良く体現していて、
このプロモーションビデオにも良く現れていて、
私は高く評価できます。

マドンナは、ポップミュージックの歴史の推進力を、
クラブやストリートのダンスとその音楽の
《第6次元 自然領域》に見い出しています。

その《第6次元 自然領域》の上に、
この下層芸術をシュミレーションした《第1次元 社会的理性領域》 を
乗せているのです。
この二重構造性を極めて自覚的に展開する所に、
マドンナの聡明な知性が光ります。

逆に言えば、日本の1980年代の工作少女たちは、
このマドンナ的なシュミレーショニズムの手法に見られる
2重構造性を自覚し、手法化することを獲得できない事で、
失墜して行きます。


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