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ジョン・ゾーン [音楽の頂点]

 
John Zornの音楽
《想像界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アートの音楽》《ハイアートの音楽》

シニフィアン(記号表現)の音楽、シニフィエ(記号内容)がない。
【A級音楽】

ジョン・ゾーンは、むかし、もっと過激だったのですが、
いつのまにか、ジャズという枠組みの中に入ってしまったのでしょうか、
最近は追いかけていないのですが、
なんとなく、そういう古さを感じています。
何か、新しい事を知っている方がいれば、教えて下さい。

別の話になって、恐縮ですが、
私の活動は、2010年代、別の次元に移行します。
晩年の作品制作と、ギャラリー活動へ集中化していきます。
そのことをジョン・ゾーンの穏健化と重ねて、書いておきます。
このブログで、追いかけて来たある「生(なま)さ」は、
あくまでも2009年代の追求であったということです。

言語としての詩的な「生(なま)さ」の追求は、
今、始めているツイッター小説の方に、移行させます。

それでも、このブログが継続できれば、
学問としての芸術の追求そのものは、
地味にですが展開できればと思います。



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《マイノリティの結合》が社会を変える/情報縁による71,314の《島》を創出せよ!(訂正加筆2) [生きる方法]

大きな社会


アメリカという社会は、

ヨーロッパでいじめられた人々が、

逃げて作った社会です。


ですので、国家をつくる最初の段階で、

マイノリティがいじめられない社会を、どのようにしたら

つくりえるのか?


という議論をしています。


その時に、大きな社会を作った方が、

多様な人々が、共存できるのだという、

結論が出ます。


「アメリカ」という名称の中には、

こうした自由を基盤にした社会と言う、

そういう共同幻想があります。


ロック/ファンクの歌のなかで、

たとえば、プリンスやジェームス・ブラウンが、

「アメリカ」と歌うときの意味は、

こうしたマイノリティがいじめられない、自由の世界への希求と

しての「アメリカ」があります。


同時に1975年にアメリカがベトナムに敗戦した以降、

「リエンジニアリング」という社会再編が吹き荒れますが、

その時に、ブルーススプリングスティーンが歌った、

「アメリカに生まれて」という歌は、

ベトナム戦争で戦った兵士たちが、帰還後、

アメリカでいじめられて行く失望が、歌われます。


同じテーマは、

『ランボー』シリーズの1で描かれた帰還兵にも言えます。


アメリカにおいても、弱者やマイノリティは、いじめられるのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

マイノリティの結合


マイノリティの中でも、ホモセクシュアルな人々に対する社会的ないじめは、

過酷を極めます。


ホモセクシュアルな人々の中でも、男性同性愛者による社会への抵抗

と、表現の自由への希求は、

過激で過剰なものとなって、

社会を変革して行くのです。


その頂点のひとつがジョン・ウォータース監督の

「ピンク・フラミンゴ」です。1972年製作。

それともうひとつがピエル・パオロ・パゾリーニ監督

「ソドムの市/サロ、或いはソドムの120日」です。

1975年に製作されています。


これらの映画は、スカとリジーに至ったものです。

こうしたスカトロジーの出現は、

実は1975年というアメリカの敗戦によって、

《近代》という《象徴界》の強い抑圧の時代が終焉して、

価値再編の時代になったことを象徴する、

そうした時代への象徴をなしたもので、

重要な結節点であり、

表現の自由の、ある臨界点であったのです。


男性同性愛者の人々は、

何よりも少数者であるために、

ナイフを使った傷害事件を起こすのを、

私は学生時代に、間接的ですが、知っています。


私の身の回りには男性同性愛者も、

女性同性愛者も多くて、

私自身は、これらホモセクシュアルな人々を差別する意識は無いか、

あるいは弱いものです。


つまり男性同性愛者の場合、昔は、恋人を見つける事が困難なので、

別れ話になると、ナイフを使って刺すということになるのです。


インターネットの出現は、こうしたマイノリティが結びつく事を、

可能にする、有効な方法になります。


マイノリティという次元では、まったく別ですが、

障害児を持つ親たちが結びつくのにも、

インターネットは、有効なものの様です。

私の場合には、弟が重度の脳性麻痺で、

浜松の天竜厚生会という私設に入っているので、

そういう問題は当事者の位置に居ます。


学術的な結びつきとか、

高度な芸術的な趣味判断の結合、

たとえば現代音楽のCDDVDの購入のためのネットの形成なども

また、ある意味でのマイノリティの問題で、

インターネットは有効なのです。


さらには老人たちの結合、

さらには疲弊した地方どおしの結合など、

マイノリティが結びつく事で、お互いの苦痛の軽減をはかり、

助け合うことが、可能になったのです。


そういう意味で、インターネットの出現は、

孤立したマイノリティを結合させ、

新たな社会勢力と、市場形成を可能にして、

未来の社会の再編を形成する重要な新しい環境なのです。


木村静さんの地域起こしのテレビ活動も、

地域の中での関係の再編を、インタネットで、

進めようというものです。


山本育夫氏の、AWや、

富井玲子氏の、ポンジャなどは、

そのメーリングリストでの代表です。


平井玄氏らの地下大学の運動や、

上岡誠二氏らの東京 F.A.T.も、そうした文化再編の運動です。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


《近代》とは、

   《村》の解体であった


《近代》という時代は、何であったのか?

そのひとつの答えは、《村》の解体運動であったという事です。


江戸時代に日本には、7万1千の《村》がありました。

正確には71,314です。


これが現在は、1,760の市町村に合併併合されているのです。


明治の大合併、昭和の大合併、そして平成の大合併の、3回を中心に、

私たちの生活世界の基本的な枠組みが再編されて、

大きな社会への変貌して来ているのです。


こういう環境の変化の中で、

「環境圧」というべきものが変わって、

家族関係も、友人関係も、そして恋人関係も激変して来ました。


つまり人間の関係というのは、実は環境が持つ圧力の中で形成されて

いるので、この「環境圧」の変化で、大きく変わるのです。


江戸時代に比べて、40分の1になった《村》の数は、

私たちの社会を変貌させ、そしてリアルな人間関係をも激変させて

来ているのです。


では、環境の圧力が、40分の1にまで、激減した時に、

何が起きなのか?


かつての《村》は、鎮守の森を中心にした神道が生きている世界でした。


《村》の解体は、同時に鎮守の森の解体であり、

神道の解体に結果したのです。


現在の日本の農村には、アメリカのファンダメンタリズムの

キリスト教である、ものみの塔などが、入り込み、

徘徊しているのです。

日本の農村が、アメリカ化して来ているのです。


神道の衰弱化は、同時に社会的なモラルの衰弱になっています。

それは一人一人の生きる意味のあいまいか、理想の喪失、そして

生きる目的の喪失に結果して行きます。


それは同時に男の衰弱化でもあります。


鎮守の森を中心とした社会規範がある事で、

男たちは、「男」である事の意味を教えられ、

「男に成る」ことができたのです。


「男である」ということは、実は生物学的な生理ではなくて、

社会的・文化的な性のありよう」の問題であり、

ジェンダーでありました。



鎮守の森と、神道の崩壊は、

同時に「男」という文化事象=ジェンダーの崩壊であり、

男は、鎮守の森を失うことで、フォルスを屹立させる契機を

失ったのです。

その結果として、「女の腐ったような男」たちが大量に出現します。


それは同時に、鎮守の森からの女たちの解放でもありました。

解放された女たちは、小さなペニスであるクリトリスを勃起させて、

かつての男たちのようにタバコを吸い、東南アジアに男を買いに

売春ツアーに参加するようになります。


こうして《村》を解体された日本社会は崩壊して行きます。

GDPは、急降下して、日本の経済力は衰弱し、国際競争力も失い、

日本は、沈没したのです。


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《マイノリティの結合》が社会を変える/情報縁による71,314の《島》を創出せよ! [生きる方法]

アメリカという社会は、
ヨーロッパでいじめられた人々が、
逃げて作った社会です。

ですので、国家をつくる最初の段階で、
マイノリティがいじめられない社会を、どのようにしたら
つくりえるのか?

という議論をしています。

その時に、大きな社会を作った方が、
多様な人々が、共存できるのだという、
結論が出ます。

「アメリカ」という名称の中には、
こうした自由を基盤にした社会と言う、
そういう共同幻想があります。

ロック/ファンクの歌のなかで、
たとえば、プリンスやジェームス・ブラウンが、
「アメリカ」と歌うときの意味は、
こうしたマイノリティがいじめられない、自由の世界への希求と
しての「アメリカ」があります。

同時に1975年にアメリカがベトナムに敗戦した以降、
「リエンジニアリング」という社会再編が吹き荒れますが、
その時に、ブルーススプリングスティーンが歌った、
「アメリカに生まれて」という歌は、
ベトナム戦争で戦った兵士たちが、帰還後、
アメリカでいじめられて行く失望が、歌われます。

同じテーマは、
『ランボー』シリーズの1で描かれた帰還兵にも言えます。

アメリカにおいても、弱者やマイノリティは、いじめられるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

マイノリティの中でも、ホモの人々に対する社会的ないじめは、
過酷を極めます。

ホモの、社会への抵抗と、表現の自由への希求は、
過激なものとなって、
社会を変革して行くのです。

その頂点のひとつが「ピンクフラミンゴ」です。
それともうひとつがパゾリーニの「ソドムの市」です。

こうしたスカトロジーの出現は、
実は1975年というアメリカの敗戦によって、
《近代》という《象徴界》の強い抑圧の時代が終焉して、
価値再編の時代になったことを象徴する、
重要な結節点であり、
表現の自由の、ある臨界点であったのです。

ホモの人々は、
何よりも少数者であるために、
ナイフを使った傷害事件を起こすのを、
私は学生時代に、間接的ですが、知っています。

つまり恋人を見つける事が困難なので、
別れ話になると、ナイフを使って刺すということになるのです。

インターネットの出現は、こうしたマイノリティが結びつく事を、
可能にする、有効な方法になります。
性的趣味の多様性の中での結合だけでなくて、
障害児を持つ親たちが結びつくとか、
学術的な結びつきとか、
高度な芸術的な趣味判断の結合、
たとえば現代音楽のCDやDVDの購入のためのネットの形成など。

さらには老人たちの結合、
さらには疲弊した地方どおしの結合など、
マイノリティが結びつく事で、お互いの苦痛の軽減をはかり、
助け合うことが、可能になったのです。

そういう意味で、インターネットの出現は、
孤立したマイノリティを結合させ、
新たな社会勢力と、市場形成を可能にして、
未来の社会の再編を形成する重要な新しい環境なのです。

こうしたインタネットの使用法の先陣を切ったのが、
先ほども述べたホモの人々の玉砕的なまでの果敢な闘いであった
のです。
ホモに続いて、様々な性的趣味の結合が、
小さな《島》と,市場を形成して行ったのです。

それはしかし性的な問題だけではなくて、
障害児を持つ親たちの結合など、福祉関係の果敢な闘いへと、
拡大しました。

つまり性障害から、拡大して身体障害へ、
そしてさらに、学問や芸術の領域の再編が、
このインターネットによって、形成されて行っているのです。

木村静さんの地域起こしのテレビ活動も、
地域の中での関係の再編を、インタネットで、
進めようというものです。



山本育夫氏の、AWや、
富井玲子氏の、ポンジャなどは、
そのメーリングリストでの代表です。

平井玄氏らの地下大学の運動や、
上岡誠二氏らの東京 F.A.T.も、そうした文化再編の運動です。

1,760

71,314





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棲み分けの問題 [生きる方法]

いままでも、多くの人とうまく行きませんでした。
とにかく、多くの人が彦坂尚嘉は、
悪くて、嫌な奴だと言うのです。

そういう意味では、
話の通じない人の側には、
よらない事にしています。

近づくと、殴り合いになるからです。
リアルな問題なのですよ。

《第6次元》の《想像界》だけの人格の人には、
私の言っている事が、とにかく、腹が立つらしいのです。

しかし面白いと評価してくれる人も、
いるのです。

私の方から見ると、
人格的に未熟な人とは、
近ずくのが無理なのです。

私の方から見ると、
《想像界》だけの人は、
平気で嘘をつくし、モラルはないし、
逃げるし、臆病だし、
つまらないのです。

だから私は、80%の人は、あきらめているのです。
何をいっても、どのように誠実に接しても、
うまく行かないのです。


10人中2人くらいは、
私の活動を面白いと言ってくれるのです。


ですので、私は、棲み分けます。

うまく行かない人からは、離れます。
永遠に、さようなら。

このブログも、腹の立つ人は,読まないで下さい。
永遠に、さようなら。

斉藤ちさとさんの作品も、
本物を見ると、素晴らしく美しく、芸術的に高いのです。
来年、新国立美術館で展示されますので、
眼の有る人は、見て下さい。
素晴らしいですよ!

眼の無い人は、
見ないで下さい。
永遠に、さようなら。

人類は均一ではないのです。

不均一なのです。

お互い、分離しましょう。

ばらばらに、なって行くのです。

意見の会う人とつながって行く。
それが良いのです。

意見の会わない人とは、離れる。分かれる。
永遠に、さようならをする。

棲み分けこそが、答えです。

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レベッカ・ホルン展とラグジュアリー・ファッションの欲望展

東京都現代美術館のオープニングに行って、

レベッカ・ホルン展とラグジュアリー・ファッションの欲望展を
見て来ました。

私には、つまらなくて、
いろいろな人に尋ねました。
どこが面白いのか? 教えて下さい。

森美術館の林さんと、深川の分部さんのいうには、
動きが面白いとの事でした。
動く彫刻のような作品と、映画があって、
とにかく大規模な展覧会でした。

というわけで、私の評価は下記のようなものです。

《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の作品、
気体美術。

《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
《原始立体》
【B級美術】

たぶん、評価を得ている原因は、
《現実界》の作品である事と、気体美術であること、
そしてシニフィエ(記号内容)の表現と言う新しさでしょう。

ファッション展も面白く無かったですが、
古い部分では、けっこう、ファッションの欲望が理解できて、
面白かったです。
川久保玲の大規模な展観は、面白く無かった。
どこが悪いのか、分析する欲望も湧かないほどに、
何かが欠けていたと言うか、
賞味期限の終の様なものを感じました。

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彦坂尚嘉 中原佑介先生、ギャラリー山口さん

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斉藤ちさとさんの写真の問題 [告知]

斉藤ちさとさんの写真に対する批評や、
批判は、
基本として、ご自分のブログや、
ご自分の管理なさる、サイトで、
ご自分の責任でなさって下さい。

批判者の自由は、そのご自分の場所で発揮して下さい。

私自身は、
斉藤ちさとさんの作品を初期から見て来て来て、
彼女の作品の内的必然性の展開を見て来ています。

私は彼女を評価して、支持しているのです。

支持を変えません。

私は、斉藤ちさとさんを誹謗する記事に賛同する筋合いは
ありません。

私の利益に反するのです。

私は私の利益を守る権利があるのです。

私は私の管理権の中で、
私の欲望と私の欲求で、
無償で記事を書いているのであって、
それ以上ではありません。

私に対して意図的に不快を与えるものや、
意図的に、私の利益を損なうコメントは、
削除します。

私に対して悪意のあるコメントを削除する
権利があるのです。

私は私自身の責任と、私自身の信念で書いているのです。

このブログを不愉快に思う人は,読まないで下さい。
読まなければ、腹は立ちませんよ。


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「桑山」の呪い [告知]

オオクラさんのご質問に
私は、自分が可能な限り誠実にお答えを書いたのですが、
そう言う内容が、嫌いで、
ギャクに「桑山」は、呪いをかけて来たのです。

ただ、そうしている間にこの場はみるみる自己破産へ向かうでしょう。
何を言っても無駄です。


この呪いによって、
ブログがひとつ、ダウンしました。

現在、神主さんに来てもらって,
お祓いをしてもらい、
悪霊を退治してもらうつもりですので、
しばらく、お待ちください。


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「こひ」「ひこ」は削除します [告知]

「こひ」「ひこ」というハンドルネームは、
私にとって不愉快ですので、
削除します。

私に不快を与えるのを目的とする
悪意を感じれば、削除します。

前に「no name」を削除すると言ったのと、
同様の問題です。

申し訳ないですが、
私の管理権によって、
運営されていますの、
その権限を行使します。

同意できなければ、読まないで下さい。

書きたければ、
他の名前で、再度お書きください。

どうぞよろしくお願いいたします。



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