『アートの格付け』と《言語判定法》について(校正1) [言語判定法]
こんにちは。 何をもって顔を判断しているのか、彦坂さんご自身の 根拠を示してください。 by オオクラ (2009-10-2800:10)
上にコメントを書き終えて気がついたのですが、この「根拠を示せ」という主張はポランスキー監督に対する個人的な好意があったうえでの、感情的な叱責とかでは決してありません。 私が指摘したのは格付けそのものの問題です。 格付けの根拠が示されない限りは、他人に説明が出来ないのです。感じて共感することは出来ても真の理解は出来ないのです。どうしても、「モナリザがそうだから」とか「真の価値は多くの人には理解されない」とかいう風に逃げているように見えてしまうのです。 レスお待ちしております。 by 桑山 (2009-10-28 03:03)
今ままでも、何回か書いて来ているので、
たぶん、『彦坂尚嘉の《第41次元》アート』の1の方で読んでいただく方が、内容的には、良いものかもしれません。
でも、探すのがたいへんかもしれないので、
とにかく、繰り返し、お答えして行きます。
私の書いている方法は、基本的に印象批評です。
そもそも芸術の趣味判断というのは、印象批評です。
たとえば小林秀雄の文芸批評の基本的な方法は印象批評です。
批評や評論というのは、欧米においては、
「(個人が)物事をどう捉えるか・把握するか・判定するかを表明するもの」であるのです。
個人の私感が批評なのです。
昔の印象批評を、今日の情報化社会のものに、
《言語判定法》という方法で、書いているのが、彦坂尚嘉のブログです。
ですから、彦坂尚嘉という個人の責任で、
私的な判断を示しているのであって、
それ以上のものではありません。
つまりオオクラさんのご質問の「顔判断の根拠」は彦坂尚嘉の私的な判断とその《言語判定法》というものにあります。
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病院でレントゲン写真をとって、肺の映像の中に、
結核の病状を読み取るという場合、
そのレントゲン写真の、もやもやとしたグレーと黒のネガ画像をどう読み取るかは、
医者によって違います。
名医とぼんくら医者では、違うのです。
判断というのは、そのように医学の場合にすら印象批評であり、
個人の私性でなされるのです。
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さて、ものごとを判断するには、
3つの方法があると、彦坂尚嘉は考えます。
ひとつは『イメージ判定法』です。
もうひとつは「科学的判定法」です。
最後に、《言語判定法》があります。
私は日本ラカン協会の幹事をしていますが、
ジャック・ラカンの用語に、
《想像界》《象徴界》《現実界》というものがあって、
これは人間の精神活動が、この3界でなされているものとされています。
イメージ判定法というのは、《想像界》での判断に対応しています。つまりイメージで見て、判断するのです。そこでの問題は、本物の金と,偽物の金の区別がつかない事です。
科学的判定法というのは、《現実界》での判断に対応しています。ここでは、比重や、金属分析で、本物の金と、偽物の金は区別がつきます。
そして《言語判定法》というのは、《象徴界》での判断力を使ったものなのです。ここでは、イメージでは判断できない様な、いろいろな事象を、言葉への対応の中で、言葉に直す作業がなされます。本物の紳士と、詐欺師を区別する事は出来ます。
ですから、私たちは、
この3つの判定方で、現実を認識する必要があります。
彦坂尚嘉のやっているのは、その内の1/3の《言語判定法》だけなのです。ですからその不十分さはありますので、ご了承ください。
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私たちは、普通、言語というものを、コミュニケーションの道具と考えています。
しかし言語にはもうひとつ別の機能があって、
それは言語によって、人間が自らの環境を認識しているという、
認識の機能です。
エスキモーは雪の言葉をたくさん持っていて、
雪の変化を、非常に細かく精密に捉えることができます。
こういう言語論は宮岡伯人などの少数言語学者から私が影響を受けて、学んだものです。私の《言語判定法》というのは、こうした言語の認識機能を使って、物事を認識し、判断しようというものです。
《言語判定法》をつかって、いろいろな判断をしていますが、
『アートの格付け』もそのひとつです。
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《言語判定法》そのものを学んだのは、発端は1974年まで遡ります。その当時、六本木にある小さな印刷屋の営業兼編集の仕事をしていましたが、公官庁の入札を毎日20本くらいしていました。紙代や印刷費を計算して見積もるのですが、何しろ数が多いのと、必ずしも自分の印刷屋で取れるものでないものもあるので、細かい計算をしないで値踏みで入札する必要がありました。そこで値踏みの方法として、《言語判定法》を使いました。つまりその仕事が50万円なのか、100万円なのか、1000万円なのかを、数字を、対象物に向かって発して、そのこだまを受信すると言う方法です。
『アートの格付け』というのは、こうした値踏みの方法と経験を拡大したものです。
《言語判定法》を美術に最初に適応したのは、東京国立近代美術館で1995年に『絵画唯一なるもの』という展覧会が開催されていて、その中のゲハルト・リヒターの作品を鑑賞していて、判断に困ったときです。リヒターについては、実は印刷画像で、かなりの詳細な分析をしていたのですが、実物を前にして、どうしても良い作品に見えなかったのです。特に具象画は、評価できなくて、困りました。何回も会場を回って見て,8回目に根を上げて、判断を進める方法として、言葉を投げかけて、こだまを取るという《言語判定法》を実行したのです。その結果、『つくりもの』という言葉がフィットしたのです。リヒターの作品は、「つくりもの」であるというのです。
『アートの格付け』を初めてしたのは、韓国で開かれたアートフェアでありました。そこに東京画廊から日本人作家が何人か出品していて、私や弘田一成、そして富田瑞穂といった作家たちがソウルに行きました。困ったのは弘田一成の作品の評価でした。日本側の評価は高かったのですが、韓国側は弘田一成の作品を評価しなかったのです。その落差に興味を持った私が、それを明らかにしたくて、弘田一成の作品を、『格付け』をする事を思いついて、やったところ、《8流》という風に出ました。
《8流》とは何か? とおもって、会場の韓国側の作品を同じように『アートの格付け』をして行くと、伝統的な水墨画が、《8流》でありました。日本に帰って、《8流》を探した所、武満徹でした。
もうひとつ私の大好きな黒人音楽のPファンクでした。こうした事例を探して行く中で、《8流》というのは《第8次元 信仰領域》であるという内容の推察ができるようになりました。つまり良いと信じている人には、良く思えるのですが、良いと信じられない人には、良く無く思えるという領域です。
《第8次元 信仰領域》というのは、つまり一般的にいうとマイナーな表現の領域です。これは《第6次元 自然領域》の倒錯領域です。絵画でいうと、《第6次元自然領域》の絵画が原始平面に描かれた『ペンキ絵』でありますが、《第8次元》の絵画も、同様に『ペンキ絵』ですが、奇妙に薄暗くて、明度や彩度の差の少ない絵が多く見られます。
こうして『アートの格付け』は、多くの作品を芸術分析する中で、次第の構造として理解できるようになったのです。
さて人間の顔の分析ですが、これは一人の人間の顔を、一枚の絵画であるかのように見立てて、《言語判定法》による芸術分析をしたものです。
それは柄谷行人や吉本隆明を長い間、つまり30年近く読んで来て、それが思想としては弱く低いものであると知って失望した経験を背景にしています。本を読むのは時間がかかるので、先に顔を分析して、読むに値する人物かどうかを判断してから、読もうという、そういうショートカット手法です。
《第41次元》というのは、《超1流》の《超次元》の反転した領域です。これについても、すでに何回か書いているのですが、戦争とか、生け贄、処刑といった、ひどい状態のものが、《41流》です。
美術作品で言うと、運慶快慶の東大仁王像などの、憤怒の仏像です。西洋ではグリューネヴァルドのキリストの十字架での処刑図などです。
2009-10-28
上にも出ているのですが、顔判断の根拠を示してください。
上にコメントを書き終えて気がついたのですが、この「根拠を示せ」という主張はポランスキー監督に対する個人的な好意があったうえでの、感情的な叱責とかでは決してありません。
私が指摘したのは格付けそのものの問題です。
格付けの根拠が示されない限りは、他人に説明が出来ないのです。感じて共感することは出来ても真の理解は出来ないのです。どうしても、「モナリザがそうだから」とか「真の価値は多くの人には理解されない」とかいう風に逃げているように見えてしまうのです。
レスお待ちしております。
こんにちは。
8次元や41次元などの言葉の意味が分かりません。それらの意味と、それらの言葉を使う根拠を教えてください。
by オオクラ (2009-10-27 03:32)
こんにちは。
何をもって顔を判断しているのか、彦坂さんご自身の
根拠を示してください。
by オオクラ (2009-10-28 00:10)