加藤和彦氏の自殺(加筆3構成変更1) [生きる方法]
加藤和彦氏の自殺の報に接し、
たいへんに悲しく思います。
私も号泣しました。
加藤和彦氏の音楽は、心に深く残るもので、
「帰って来たヨッパライ」は最高でした。
あの時代の大ヒットで、この曲を聴きながら
渋谷の大横断歩道を渡っていた記憶は、
私の中に今も生きていて繰り返し思い出すものです。
1968年に開始されたオリコンで、
史上初のミリオンヒットとなりました。
テープの早回しが使われていますが、これはビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を連想させるもので、このアルバムの発売はアメリカで1967年6月1日で、半年遅れて1967年12月25日に東芝音楽工業からのレコード発売されたのが「帰って来たヨッパライ」です。こういう経緯から、「帰って来たヨッパライ」のテープの早回しのテクニックの使用にはビートルの影響があると推察されます。
しかしビートルズは第3次元〜6次元の音楽であって、「帰って来たヨッパライ」は第41次元〜超次元で、芸術的な『アートの格付け』は上なので、模倣ということではありません。芸術的格を上げた場合には模倣とは言わないのです。
コメント 2
「イムジン河」も学生時代に聞いて、
多摩美の映画研究会の部室で感動した事を覚えています。
『悲しくてやりきれない』も、すばらしい名曲で、
加藤和彦氏の才能の凄さを感じさせます。
私自身も、学生時代は酒を飲むと、黙って涙をポロポロと流していた人なので,
この曲は身にしみて聞いていました。
サディスティックミカバンドも、その早さも含めて、
すばらしい音楽でした。
さらに『うたかたのオペラ』も、私には記憶の残るアルバムで、
忘れられないものです。
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自殺というのは、私も考えた事はあります。
一番あぶなかったのは、高校3年生の春で、
再び結核が再発して、医大進学を考えていた時期で、
ショックを受けて、それまで信じていた内村鑑三的なキリスト教への信頼を失います。この後、中村元の初期仏典へと転向していくのですが、この時期に自殺を考えています。自殺未遂というほどではなくて、高校の屋上から下を見つめていたほどです。
この時に書いた詩を、最初の著作である『反覆/新興芸術の位相』に収録してあります。
敗北の時代宣言
絶対に負けてやらぬ。
自殺はセン。
戦いは止めぬ。
復讐してやる。
絶対に負けてやらぬ。
絶対に負けてやらぬ。
自殺はセン、戦いは止めぬ。
復讐してやる。
絶対に負けてやらぬ。
こんなひどい詩を書く人間が彦坂尚嘉
という人物なのですが、この詩は1966年発行の版画同人詩『外』の第3号に収録されています。ちょうど私が20歳の時です。20歳の誕生日というのは、絶望していて暗かったですね。
この詩の格付けです。
想像界の眼で、第41次元。
象徴界の眼で、第8次元。
現実界の眼で、第21次元。
現実界の詩。
気体の詩。
シリアス・アートの詩。
ローアートの詩。
キッチュな詩。
透視詩。
『真実の人』の詩。
詩のレベルとしては、今読んでもひどいとは思いますが、今日に至までの彦坂尚嘉の基本的なエンジンだと言えます。つまり自殺はしないという意思の問題ですが、同時に常に死に向かって運動しているという感覚です。こうした事が、他人に嫌われるのは、良くわかります。しかし神と格闘するというレスリングにかけて行く以外に生きる方法が無いのですから、多くの人に嫌われることは、しかたがない事であると思っています。
神に対する徹底抗戦の戦いというのは、私性(わたくしせい)というものの戦いなのです。自然性や、公的性、社会性では無くて、自殺を拒絶した私性(わたくしせい)の屹立としての生き方であるのです。
そういう私の立場から見ると、加藤和彦氏の自死というのは、衝撃であると同時に、自分の問題と重なります。私自身は自殺の衝動を強く抑圧はしていますが、しかし自殺欲のようなものが強くあるからです。
私の多摩美術大学の先生であった美術評論家の坂崎乙郎先生も、1985年に自殺をなさっておられますが、自殺ではないということを書いている方がいるので、何とも言えないものを感じます。ただ、この前に画家の鴨居 玲が、57歳で自殺をしていて、これとの関連は言われています。
この鴨居玲という画家は、実は《第41次元》の絵画を残していて、
このことと加藤和彦氏の音楽に、実は《第41次元》のものが
多かったという事は、無関係では無いように思えます。
鴨居玲の絵画
《想像界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的絵画
《現実界》の眼で《第2次元 技術領域》のデザイン的絵画
《想像界》の表現
固体の表現
《シリアス・アート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
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なぜ、加藤和彦氏は、自殺したのか?
それは加藤和彦氏の才能の構造そのものに、あったと
私は思います。
それは鴨居玲の自殺が、その才能と深く関わっていた事と
似ていると思うからです。
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帰って来た酔っぱらい
悲しくてやりきれない
サディスティックミカバンド
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「ヨッパライ」が「制作」されたのは、もっと前だと思います。そもそもは自主制作アルバムに収録されていたものですので。
by makoto (2009-10-20 11:11)
makoto様
ご指摘ありがとうございます。
そのとおりですが、自主制作アルバム『ハレンチ』ですが、この300枚の出版も,1967年ですね。この『ハレンチ』の制作が、ビートルズの発売よりも前か、後かと言う事ですが、私は後だと思います。
解散の最後のコンサートが10月だからです。この10月に向けて制作されたのだろうと、考えるからです。
by ヒコ (2009-10-20 14:03)