中川翔子 [美人論]
しょこたん 亡き祖父に捧ぐ初武道館
アイドル・中川翔子(24)が24日、自身初となる東京・日本武道館公演
「超貪欲☆まつり」を開催し、1日に亡くなった祖父・勝夫さんに届けと17
曲を熱唱した。会場には勝夫さんの席を空け、「大事な人との約束の場所です
!!」とオープニングで天を指さしたしょこたん。3日に車にはねられた母・
桂子さんもコスプレ衣装で応援に駆けつけるなど会場には1万人が集結。最後
は涙で声を詰まらせながら、何度もファンに感謝した。
中川翔子(24)は、
日本の女性アイドル、マルチタレント
(ブロガー、歌手、タレント、グラビアアイドル、
漫画家、声優、イラストレーター、女優)
ブログ『しょこたん☆ぶろぐ』は圧倒的な人気を誇ている。
2006年4月には総アクセス数が1億ヒット、
2007年2月には5億件を突破している。
そういうスーパーブロガーの顔を分析してみます。
高田渡/ボブ・ディラン/ウディ・ガスリー/頭脳警察 [音楽の頂点]
《第41次元》論/中川晋介のアニメー(改題2改稿2加筆3) [アート論]
中川晋介さんの個展が始まりました。
搬入の様子を見て来ました。
さらにオープンにも言って来ました。
作品は今までに作ったアニメーションを中心にした作品です。
映像を写す事の新しさと、強さがあります。
封筒と、カレンダー作品が、
数点売れています。
美しいし、安いので、買いやすいと思います。
ぜひ、買って上げて下さい。
実は気体分子ギャラリーでの開催を、
ご本人は望んでいたのだけれども、
私が同意できなかったのです。
それは作品が悪いからではなくて、
倒錯領域を含んでいないからです。
《超次元》〜《第6次元》、
あるいは《第1次元》から《第6次元》という
作品を作られていて、
それは立派だと思うのですが、
情報化社会の作品は、倒錯領域の《第7次元》〜《第41次元》という
世界を持っていないと、それらしく無いと思うのです。
彦坂尚嘉が《第41次元》というブログをやっているように、
気体分子ギャラリーというのは、《第41次元》性を含んだ作家を
取り上げて行きたいのです。
繰り返しますが、
だからと言って、中川晋介さんの作品が、
すぐれていないのではないのです。
すぐれているのです。
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行き違いがあって、
白濱雅也さんはこの展覧会を気体分子ギャラリーの企画だと
思い込んで、案内状にそう印刷してしまったので、
それは否定して、シールをはってもらうようにしました。
気体分子ギャラリーのポリシーというものを明確にして行かないと、
ブランド化は出来ないのです。
白濱雅也さんの思い込みは理解できますが、
確認のメールもいただいていないし、
申し訳ないですが、同意できなかったのです。
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New Test Tube #1
中川晋介展 Tin Bird
10月24日(土)〜11月8日(日) 月火休 祝日オープン
13:00〜20:00
初日18:00〜オープニングパーティー
アニメーション作家中川晋介のTinBirdは優れたCG背景画家でもある中川がなし得た短編アニメーションの佳作です。シュバンクマイエルに代表されるアートアニメーションとセルアニメーションの境界線上に位置するTinbird、不思議な生物が羽化していくソラマイなどを含めた短編アニメーションの上映とあわせ、アニメーションを素材とした絵画作品、絵コンテなどを展示します。グッズ類などデザイン的展開をする中でも中川は非凡な力を発揮しています。
ファンタジックながら安易な結末を約束しない中川の世界をぜひお楽しみください。
(ディレクター 白濱雅也)
アニメーション作品上映
アニメーション制作絵コンテ
アニメーションキャラクターを素材とした絵画作品やグッズ類
お問い合わせ
About New test Tube
New Test Tube は若手や展歴の浅い作家の意欲的な作品をラボのスペースとディレクションとのコラボで見せていく企画シリーズです。原石のような作家たちのチャレンジを応援してください。
無芸術論/クレメント・グリーンバーグとクレンバッシング(加筆1) [アート論]
気侭な所感でお許しいただきたいですが、彦坂様の現代美術観は、限定的なアメリカ中心主義のように思えます。美術史に対する了見にはグリーンバーギアンの残滓を感じられ、彦坂様はアメリカの文脈での近代のみを注視しておられるが余り、パリ或いはドイツ等は現代美術の規準の箸にも掛からないとおっしゃっているかの印象です。戦後、欧州では美術史教育においてもグリーンバーグのごとき米国の美術史観は波及せずその中で発展をしています。英国美術が卓抜していないという御意見には賛同ですが、彦坂様のいう情報アートが世界を覆おうと、西洋世界では今後も新たな歴史が共有の価値観とともに築かれてゆくでしょう。だがそれもまた一種の貴族趣味として膠着するには違いはありませんが。彦坂様にとり、戦後〜70年代米国、また日本という文脈にしか現代美術の重要性は見られないとすれば、正直それは偏狭なものと言わざるをえないのでしょうか。
by 武蔵 (2009-10-08 21:28)
武蔵様
コメントありがとうございます。
ご指摘を真面目に受け止めると、
かなり考えさせられます。
私の意見を、「限定的なアメリカ中心主義」と感じられるお気持ちは、良く分かります。そのように受け取られる事もしかたがない発言を、確かにしています。
しかし多くの日本人は、アメリカが嫌いで、アメリカの現代アートの真の高さを直視しようとしません。一番驚いたのは、国立国際美術館の館長をなさっている建畠哲さんが、1年間、ニューヨークのチェルシーに住まわれた時で、途中で一度日本の帰ってこられてお会いしてお話をしていますが、その時に新聞に文章も書かれていますが、私の感じた事は、建畠哲氏の異様に強いアメリカへの嫌悪とアメリカ美術の凄さを見ないようにしている態度でした。こうした私感だけで建畠哲氏を規定するつもりはありませんが、しかし私にはそう感じられる屈折を建畠哲氏はもっておられたのです。
こうしたアメリカ嫌悪は、日本人の現代アートや現代美術の人の中に強くあって、それがロンドンやパリ、さらにドイツへの夢を生み出しています。
ニューヨークを見ないで、ロンドンに憧れて行くのです。同様にアメリカを見ないで、ドイツを素晴らしいと言って、ベルリンの可能性を賛美するのです。
つまり世界最大の軍事力を誇るアメリカ帝国の美術から逃れるために、ドイツやイギリス、フランスの美術へと、夢を抱いて逃亡しているように見えるのです。
こうした風潮を逆なでする発言を私はするので、「パリ或いはドイツ等は現代美術の規準の箸にも掛からないとおっしゃっているかの印象です」という、反応を生み出してしまっていると思います。1945年以降のフランス現代美術の多くはひどいと思いますが、ドイツの、例えばボイスは、《5流》で、ちょっと良いと思います。第5次元というのは、優良品という次元なのです。
ともあれ、ドイツやイギリス美術に夢を抱く日本人の根底には、アメリカへの嫌悪があると思います。
そうした嫌悪の感情が、さらに中国現代美術の《非芸術》、インド現代美術の《無芸術》に、
過大な期待の夢を流し込んでいるのです。アジアの現代美術の多くは、《芸術》でないばかりか、
《反芸術》ですらないのです。
私は機械的に、中国やインドの現代美術を否定しているのではないのです。
これらは《芸術》ではないのです。
重要な事は《芸術》そのものが解体されて、《反芸術》《非芸術》《無芸術》として、展開し、散乱して来ている事です。にもかかわらず、これらを「《芸術》の名において評価する習慣」が存在していることです。
私の立場は、アメリカ賛美ではなくて、真面目に芸術を考えみようと言うものです。つまり嫌いなアメリカ軍事帝国であっても、まずアメリカ美術を初期から見てみる事、その歴史も研究してみる事、そうすると少なくとも1940年代から1975年までは、圧倒的にアメリカ現代美術が芸術としてすぐれているものを作っているのが分かります。
第2次世界大戦後の時代の芸術としては、アメリカ合衆国以外は、かなり落ちるのです。日本はひどいものです。
2001年以後で言えば、私は、例えばアフリカの現代アートのすぐれたものを評価していますし、
中国の作家の中でも、東京画廊の田畑行人さんに教えられた女性作家のものを良いと思っています。名前は覚えられていませんが、漢字を使う作品のシューピン? という中国人アーティストの奥さんだったと思います。
フランスにも、認められない作家の中に良い作家がいると考えています。
つまり、私の考えでは、才能のある作家は夏草のように生えてくるのであって、
しかしそれが育つのには様々な要素があるので、極めてむずかしいのです。多くはすぐに凡庸なものに変貌して行きます。
私自身は、小学校1年から、後年日展理事になる清原啓一先生に洋画を習って、20歳まで師事しておりましたので,基本は日本洋画の美意識の系譜にあります。日本洋画の大半は、芸術的には貧困で、悲惨ですが、その中にでも、すぐれた作品はありました。日本洋画で曲がりなりにも形成されて来た系譜は、有元利夫が1981年に安井賞を受賞した時点で滅びたと考えています。それは1975年にアメリカがベトナム戦争に負けると、ひとつの《近代》が終わって、ポストモダンの時代になるからです。グリンバーグを批判するクレンバッシングというのは、こうした《近代》の終焉という時代変化と深く結びついていて、
その意味では正統だと思いますが、しかし多くのクレンバッシングに同調する日本人は、グリンバーグを読んでいない人々だと思います。
武蔵さんも、もしかするとグリンバーグを読まないでグリンバーグ的なるものを、批判している事に同調しているのではないでしょうか?
それはそれで仕方がないと思いますが、私は正確に、たとえば1980年代美術の芸術分析をすることをして行きたいのでって、その多くは《無芸術》です。《無芸術》と混在していた《芸術》作品が、実は生き延びて行くと言うポストモダンの芸術の複雑な構造を把握する事に重点があるのであって、《無芸術》に過大な期待や夢を見る立場とは違うのです。
真面目に芸術作品と向き合って、芸術分析を厳密にすること。私の主張はこうしたものです。
日本人の多くは不真面目です。
例えばBゼミという美術学校2代目校長の小林晴夫さんは、
私のジャスパー・ジョーンズ批判を批判して、
ジャスパーのポストモダン的な《無芸術》評価の波に乗った主張をしましたが、
しかしジャスパー・ジョーンズの東京都現代美術館で開催された回顧展を
見ていないのです。
現在のように多忙な時代に、すべてを見られないので、
見ないで議論する事も止も終えないとは思いますが、
ジャスパー・ジョーンズの評価の問題は、
実は現代美術を論じる時に重要な試金石なのです。
グリンバーグは、ジャスパー・ジョーンズも、
ラウシェンバーグも評価しないのです。
実はジャスパー・ジョーンズの作品は、彦坂尚嘉的に言えば《無芸術》
であって、芸術ではないのです。
ジャスパー・ジョーンズを評価しないという事では、グリンバーグと彦坂尚嘉は意見を一致させています。
しかしラウシェンバーグに対しては、彦坂尚嘉は《反芸術》として高く評価するのです。その理由は《反芸術》でありながらも《超1流》の作品だからです。しかしグリンバーグは、ラウシェンバーグを評価しません。《芸術》に支点を置くグリンバーグには、《反芸術》を評価する事は不可能だったのです。それに対して彦坂尚嘉の芸術観は、ジークムント・フロイト/ジャック・ラカンの理論を背景に、サントームにおいて《芸術》の成立を見る故に、逆説的ですが、《近代》の《大文字の芸術》というものが、《反芸術》《非芸術》《無芸術》に分裂して行く事もまた、容認するものなのです。
ですからジャスパージョーンズを《無芸術》として高く評価するというのも、
あり得ないのではないのですが、ジャスパージョーンズの場合には《6流》なのです。だから私は評価しないのです。つまり『アートの格付け』による高さを重視するところがあって、高みへの意思を、《芸術》精神の基本としてみるのです。
つまりポストモダンの状況の中で、
芸術そのものが分裂して行って、《反芸術》《非芸術》《無芸術》と
並列化して行きます。
《反芸術》については語られていますが、
実は《無芸術》の作品が大量に出現してくるのですが、
その先駆けとしてジャスパー・ジョーンズはありました。
《無芸術》を擁護すれば、グリンバーグを批判するしかないのですが、
しかし、多くの《無芸術》作品は短命に終わって行きます。
《反芸術》と《無芸術》というのは、実は同一ではなくて差があるのです。
《無芸術》が無意味なのでは決してありません。
美術史の中で《無芸術》作品の巨匠を見てみると、
一人は、宗達です。
西洋では、アンリ・ルソーです。
《無芸術》というのは、
装飾の肯定の態度です。装飾や手芸的なるものの延長に、
表現を組み立てていこうという態度です。
ジャスパー・ジョーンズの星条旗の制作分析が、本に掲載されていますが(書名を今、思い出せません、さまざま名画の制作分析の本です)、
手芸や工芸と言うべき緻密さと手順を持ったものです。
さて、話は戻りますが1960年、
私は中学2年生の時に、講談社判の『日本近代絵画全集』と、
同『世界美術全集』を買っていて、ここでの教養が、
私の基本を作っています。
この時期、岡本太郎の『今日の芸術』も読んでいます。
初めてグリンバーグを読むのは大学に入ってからで、
アートナウという現代美術全集が講談社から出版されますが、
ここのグリンバーグの「近代絵画」という批評が収録されていました。
【続きは下記をクリックして下さい】
ラカンと美術読書会の報告 [日記]
ラカンの読書会を昨日、立教大学の研究室で開催しました。
ここに作家の糸崎公朗さんが来てくれました。
糸崎さんはむずかしい本を読む事の問題を書いていらしているのです。
ラカンは難解で有名な人なので、その読書会に、1日だけであろうとは
思いますが、顔を出してくれたのには驚きました!
恐るべき糸崎公朗!
おかげさまで楽しい会になりました。
アートスタディーズ第16回 [状況と歴史]
次回のアートスタディーズのゲストに、
松永康さんをお願いしたのですが、
小冊子の文章をお願いした所,
作家論を書いていただけなくて、
凡庸な状況論のなぞりだけでした。
テーマである佐々木薫論を、再度お願いした所、
辞退なさりました。
作家論というものを、理解して下さらないのです。
お会いして私はお話をしているのですが、
私の話は無視なさった文章です。
ですので、止も終えず、彦坂尚嘉がゲストを代行するつもりです。
ご参考に、その文章を読んで下さい。
題名と中身が、違うのです。
佐々木薫と名品−共時的視点から
「もの派」による一連の営みにより、イメージとしての美術を構成していた要素が
ことごとく解体された。そうした混沌状態の中で、1970年代の現代美術家たちは表現
を再構築するための手がかりを求めていた。1980年代に入り、インスタレーション、
パフォーマンス、メディアアート、ニューペインティングなどといった言葉が矢継ぎ
早に登場する。新たに導入されたこれらの枠組みは、現代美術の展開を加速させる水
路の役目を果たした。
その中のひとつの流れとして、若手女性作家の一群の動きがあった。彼らはそれま
での美術のスタイルを打ち破り、自由な発想とみずみずしい感性を発散させる作品を
発表した。そこには、生物の形態をモチーフとする、矩形の画面から離れる、アーチ
型を構成要素とする、複数の素材を組み合わせる、質感を統一させず、それぞれの材
質感を活かす、作者の容姿に訴求力があるなどの共通する特徴があった。そして彼ら
の作品の流通に伴い、世の中は大量消費時代へと突入していく。
松永康(MATSUNAGA Ko) アート・コーディネーター
1957年生まれ。埼玉県立近代美術館学芸員、国際芸術センタ−青森総括主任学芸員、
横浜美術短期大学非常勤講師、井ART画廊(上海)芸術監督を経て、現在、特定非営
利活動法人コンテンポラリーアートジャパン理事
上記の松永氏による経歴も、書き方として間違いです。
読者の読み間違いを誘発する書き方になっています。
元・埼玉県立近代美術館学芸員
元・際芸術センタ−青森総括主任学芸員
等々であって、元が抜けています。
加藤和彦氏の自殺(加筆3構成変更1) [生きる方法]
加藤和彦氏の自殺の報に接し、
たいへんに悲しく思います。
私も号泣しました。
加藤和彦氏の音楽は、心に深く残るもので、
「帰って来たヨッパライ」は最高でした。
あの時代の大ヒットで、この曲を聴きながら
渋谷の大横断歩道を渡っていた記憶は、
私の中に今も生きていて繰り返し思い出すものです。
1968年に開始されたオリコンで、
史上初のミリオンヒットとなりました。
テープの早回しが使われていますが、これはビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を連想させるもので、このアルバムの発売はアメリカで1967年6月1日で、半年遅れて1967年12月25日に東芝音楽工業からのレコード発売されたのが「帰って来たヨッパライ」です。こういう経緯から、「帰って来たヨッパライ」のテープの早回しのテクニックの使用にはビートルの影響があると推察されます。
しかしビートルズは第3次元〜6次元の音楽であって、「帰って来たヨッパライ」は第41次元〜超次元で、芸術的な『アートの格付け』は上なので、模倣ということではありません。芸術的格を上げた場合には模倣とは言わないのです。
コメント 2
「イムジン河」も学生時代に聞いて、
多摩美の映画研究会の部室で感動した事を覚えています。
『悲しくてやりきれない』も、すばらしい名曲で、
加藤和彦氏の才能の凄さを感じさせます。
私自身も、学生時代は酒を飲むと、黙って涙をポロポロと流していた人なので,
この曲は身にしみて聞いていました。
サディスティックミカバンドも、その早さも含めて、
すばらしい音楽でした。
さらに『うたかたのオペラ』も、私には記憶の残るアルバムで、
忘れられないものです。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
自殺というのは、私も考えた事はあります。
一番あぶなかったのは、高校3年生の春で、
再び結核が再発して、医大進学を考えていた時期で、
ショックを受けて、それまで信じていた内村鑑三的なキリスト教への信頼を失います。この後、中村元の初期仏典へと転向していくのですが、この時期に自殺を考えています。自殺未遂というほどではなくて、高校の屋上から下を見つめていたほどです。
この時に書いた詩を、最初の著作である『反覆/新興芸術の位相』に収録してあります。
敗北の時代宣言
絶対に負けてやらぬ。
自殺はセン。
戦いは止めぬ。
復讐してやる。
絶対に負けてやらぬ。
絶対に負けてやらぬ。
自殺はセン、戦いは止めぬ。
復讐してやる。
絶対に負けてやらぬ。
こんなひどい詩を書く人間が彦坂尚嘉
という人物なのですが、この詩は1966年発行の版画同人詩『外』の第3号に収録されています。ちょうど私が20歳の時です。20歳の誕生日というのは、絶望していて暗かったですね。
この詩の格付けです。
想像界の眼で、第41次元。
象徴界の眼で、第8次元。
現実界の眼で、第21次元。
現実界の詩。
気体の詩。
シリアス・アートの詩。
ローアートの詩。
キッチュな詩。
透視詩。
『真実の人』の詩。
詩のレベルとしては、今読んでもひどいとは思いますが、今日に至までの彦坂尚嘉の基本的なエンジンだと言えます。つまり自殺はしないという意思の問題ですが、同時に常に死に向かって運動しているという感覚です。こうした事が、他人に嫌われるのは、良くわかります。しかし神と格闘するというレスリングにかけて行く以外に生きる方法が無いのですから、多くの人に嫌われることは、しかたがない事であると思っています。
神に対する徹底抗戦の戦いというのは、私性(わたくしせい)というものの戦いなのです。自然性や、公的性、社会性では無くて、自殺を拒絶した私性(わたくしせい)の屹立としての生き方であるのです。
そういう私の立場から見ると、加藤和彦氏の自死というのは、衝撃であると同時に、自分の問題と重なります。私自身は自殺の衝動を強く抑圧はしていますが、しかし自殺欲のようなものが強くあるからです。
私の多摩美術大学の先生であった美術評論家の坂崎乙郎先生も、1985年に自殺をなさっておられますが、自殺ではないということを書いている方がいるので、何とも言えないものを感じます。ただ、この前に画家の鴨居 玲が、57歳で自殺をしていて、これとの関連は言われています。
この鴨居玲という画家は、実は《第41次元》の絵画を残していて、
このことと加藤和彦氏の音楽に、実は《第41次元》のものが
多かったという事は、無関係では無いように思えます。
鴨居玲の絵画
《想像界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的絵画
《現実界》の眼で《第2次元 技術領域》のデザイン的絵画
《想像界》の表現
固体の表現
《シリアス・アート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ、加藤和彦氏は、自殺したのか?
それは加藤和彦氏の才能の構造そのものに、あったと
私は思います。
それは鴨居玲の自殺が、その才能と深く関わっていた事と
似ていると思うからです。
・
帰って来た酔っぱらい
悲しくてやりきれない
サディスティックミカバンド
【続きは下記をクリックして下さい】
新しい美術館 [建築]
さて、五十嵐太郎さんの学生の方々の、今回の課題演習の最初の発表に立ち会いました。11月には、仙台に行って、最終の発表を見る予定になっています。その途中には建築家の新堀学さんが見て講評をする中間提示もあるそうです。
学生の設計という事で期待しないで見たせいもありますが、まずは、その予想を超えた新しさに驚きました。普通にというか、私の世代が考える美術館というものと、若い学生たちが考えるものは、まったく違っていて、金沢の21世紀美術館が、より開かれたものになっていっているというイメージのものでした。
観客との開かれた接点を多くするために、例えばショーウインドーのような展示で、街を歩いている感覚で、美術館が作られていて、ウインドウ・ショッピングのように観客が作品を見るという調子です。個人美術館でありながら、多様な作品と、皇居美術館や新人アーティストを展示するスペースが連動しているなど、広がりがあります。もっとも五十嵐さんが指摘していましたが、収蔵庫や館長室、学芸員室などの基本的なバックヤードがありませんでした。
空間的な変貌でいうと、作品が空中に浮いているとか、壁が曲面で、その曲面に作品をつけるなど、従来の常識としての展示壁面を超えるプランがありました。これも考えていなかっただけに驚きがありました。実はウッドペインティングは、当初から作品の裏に描くか? という課題があったのです。現在の様な情報化社会になると、美術作品を空中に浮かして、両面から見るというか、つまり3ディメンション・ペインティングというのも、リアルにあり得る状態になって来ているのです。
五十嵐さんによると、普通の課題制作は、抽象的なもので、今回のように彦坂尚嘉という具体的な作家が施主としているという課題演習は初めてだそうです。しかも敷地は青山で、まあ、あくまでも演習であり空想なのですが、それでも、考えても見なかったそういう想定というのは、極めて刺激的で、自分自身がいかに固定観念の中にいるものかが良く分かります。
自分の中では、フロアイベントのパーマネント展示のスペースを作りたいと考えるようになりました。パーマネントものは、四国のソフトマシーン美術館の馬小屋に、FRPを使ってひとつ作っています。今回は16畳間くらいで、廊下もあって、畳の部屋。そこにコタツや、家具があるのですが、床面がガラス板で、空中に浮いていて、浮いている下に畳のスペースがあって、ガラスの上に家具が置かれている。家具と畳の間にガラスの床と、その下の空間があるというようなものを考えています。ガラスの床は、壁のへりだけで支えられていて、人が歩くとしなうようなものを考えます。
展示スペースの大枠の立ち上がり
五十嵐太郎さんと学生さんたち10数人が17日16時15分くらいに来てくれました。
アトリエでリアルな私の作品を見て、
この会場で建築プラン『彦坂尚嘉美術館』の提示を
9人の学生がしてくれました。
この様子と授業内容は、次回のブログで報告します。
その前までが、アトリエの整理と改造の追い込みで、
どうにか展示会場がつくれました。
手伝ってくださったのは14日が栃原比比奈さん。私は立教大学の授業が終わった後に合流して、山口俊郎さんも夜に来てくれて、深夜まで片付けてくれました。
15日が佐々木薫さんと田島奈保子さん、栃原比比奈さん。
16日が錦織 利佳さんが、果敢にがんばってくださって、感謝です。途中から栃原さん、夜は山口俊郎さんが来てくれて、以後、まったく眠る事なく翌日17日の夕方14時過ぎまでいてくれました。
17日朝には武田友孝さんが来てくれて、志田寿人さんが13時に甲府から来てくれて手伝ってくれました。
おかげさまで、なんとか滑り込みで、展示ができましたが、時間が間に合わなかったので、床においたままのものもあります。
来る者は拒まず、去る者は追わず [生きる方法]
人間関係の基本は、去る者は追わず、来る者は拒まずです。
最近のように、自己愛性人格障害の人が増えてくると、
人間関係そのものは難しいのですが、
昔とは違うので、去る人はそのままにして、
新しい可能性を追究していった方が良いのです。
嫌いな人とか、興味を持てない人でも、
来る人は拒まない事が重要です。
新しい人間関係の中に、エネルギーが有ります。
古い関係は大切にしたいのですが、
現在のような大変化の時代に成ると、
なかなか古い関係を維持するのは難しいのです。
私の様に、自分の母なる時代からの出産と追究している者は、
古い時代に留まる事を良しとする人々からは嫌悪され、
憎悪され、足を引っ張られ、破滅を期待されるからです。
昔、私から去った小柳幹夫から始まって、
去っていく人というのは、自分のたこ壷にこもっている人です。
私の様に旅をし、移動する人間とは、彼らは違うのです。
このような古い人々から離れる意外に手が無いのです。
寂しい事ですが、
しかし若い新しき人々との出会いに向かった方が、
私には楽しいのです。
「ヨッパライ」が「制作」されたのは、もっと前だと思います。そもそもは自主制作アルバムに収録されていたものですので。
by makoto (2009-10-20 11:11)
makoto様
ご指摘ありがとうございます。
そのとおりですが、自主制作アルバム『ハレンチ』ですが、この300枚の出版も,1967年ですね。この『ハレンチ』の制作が、ビートルズの発売よりも前か、後かと言う事ですが、私は後だと思います。
解散の最後のコンサートが10月だからです。この10月に向けて制作されたのだろうと、考えるからです。
by ヒコ (2009-10-20 14:03)