大転回(加筆) [日記]
すでに書いているように、
アトリエの整理に、ここ1ヶ月間、明け暮れています。
20年間の乱雑さの堆積を、掘り崩そうとしているのです。
この乱雑さのカオスと原始性、野蛮さは、
私自身の人生の病弱さと、虚偽と、怠惰と、無知無能の産物です。
これを整理しようという不可能に挑んでいると言えます。
昨日は栃原さん、中川さんが手伝ってくれました。
一応の目安が17日なので、余裕が無いのです。
17日は五十嵐太郎さんが、学生を20人連れて、
私のアトリエに来るということがあります。
アトリエで、作品をささやかに展示してみせる必要があります。
彦坂尚嘉個人美術館の建設を、学生に課題として出して下さると
言うのです。
学生への課題ですから、もちろん空想上の建築にすぎません。
それでも、ハチャメチャに多様化している私の作品展開を、
ひとつの美術館建築として構造化して考えてみることの、
そのきっかけとして、大変にありがたいお話です。
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フロアイベントのパーマネント展示と写真作品の展示。
トマトアートの部屋
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ウッドペインティングの年代別の展示とウッドペインティングの部屋。
彫刻と皇居美術館模型彫刻と3シーディメンションペインティング。
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アップライトシーの1972年から現在までの展示。
グラフィックワークと版画展示。
グジャグジャ君シリーズから、最近の国宝シリーズまでのドローイング作品。
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51音によるプラクティスと文字作品の展示。
まあ、多過ぎるし、
他人には分からなくなる、この多様性をどのようにするのかを
含めて、考えるのに、良いチャンスをもらったと思います。
しかしアトリエの整理そのものは、五十嵐さんの件だけではなくて、
もっと、根本的な変革に挑んでいるからです。
アトリエ自体は20年前に建てていますが、
初めての大改造で、空間的には複雑に折れ込んで来ていて、
迷路状になって来ています。
栃原さんの果敢な努力が推進力になって、
動線の合理的な追求が、構造の変化を生み出しています。
空間が知的になって来ている事に驚きがあります。
この動線の追求は、
自分の作品の整理と、まとめ方の難問を解く手がかりになります。
アトリエ改造の直接の理由は、気体分子ギャラリーの問題で、
ネットギャラリーで、展示スペースとしての箱は持たないという
原則でやっているのですが、
それでも現実的には、展示会場は必要なので、
その展示会場のひとつとして、
アトリエを改造を目指しています。
藤沢のアトリエに多くの人が見に来てくれるとは思っていませんが、
しかし、目先で、展示スペースが必要なのは、
佐々木薫さんの旧作の展示や、栃原比比奈さんの大作、
そして白濱雅也さんの旧作の回顧などがあります。
もっとも、白濱雅也さんの回顧は、志田さんの所でお願いできないかとも
考えています。
スペースそのものは、天井高5m20㎝あって、
床面積が70畳ある、小さな体育館規なので、
かたずけて、その1/3だけですが、展示をできるようにしようとしています。
そのほかにもう一棟、木工室があります。
それが、しかし半端ではない大改造になっているので、
たいへんなのです。
それは乱雑な私自身の習慣や内面の改造と重なっているからです。
完成は来年の3月を目標にしています。
それが大変であるというだけでなくて、
それを助けてくれる人たちの勢いが必要で、
他の仕事がとどこおおっても、
ここで頑張って変化をしておかないと、
晩年の仕事の組み立てが変わるからです。
伊東直昭さん、佐々木薫さん、栃原比比奈さん、山口俊郎さん、
そして中川晋介さんなどが、頑張ってくれていますが、
推進力は栃原さんの建築家的な知性です。
お父さんが建築家で、小さなときからの常識の組み立てが違うのですね。
想像を超えた変化になっていて、
新鮮ではありますが、
私自身が本気にならなければなりません。
そういう変化が,はたして可能なのかどうかは、
疑問が無いわけではありません。
人間は、一方で変化できないという現実があります。
「できない」という心理的な壁は大きいのです。
多くの人が、この不可能性の壁の前で挫折しているのです。
変化できないという現実を認めた上で、
変化するという大転回をするというのが、
実は人生の最大の目標であると言えます。
アウグスティヌスとか、ルター、親鸞にある転換の凄さは、
そういう思いをさせるものをもっています。
芸術とは何か?
という問いの前には、8個以上の様々な答えと次元が存在しますが、
最終的にあるのは、この不可能性の壁の前に立つ事なのです。
そしてささやかでも超える事。
出来ないと不可能性を認めれば、
これを超える方法は見いだせるのです。
それがARTという技術の問題だといえます。
■アトリエのお仕事大変なことになって来ているんですね.
お聞きすると片付けのカテゴリーを越えて実際はファイル操作というのか,
一種の構造を作り出す作業になって来ているようにも見えます.
その意味では五十嵐先生が出される予定の課題を
20名の学生諸氏がどうとらえるのか興味津々ですが,
授業がらみなので外野からリクエスト出来ないのが残念!
■それにしても一番気になるのは無理のうえに無理の連続,
疲労の蓄積時に事故が起きやすいこともありますから
彦坂さん,栃原さんをはじめ,皆様くれぐれも休息の確保をお願い致します.
■こちらのギャラリー改築は一段落しましたので,
シンプレクサス工房の集客力や知名度の問題をさておけば
白濱さんの企画展に使えるかもしれません.
常設作品の異動はお安い御用ですので,ぜひご検討下さい.
by symplexus (2009-10-12 00:50)
symplexus様
やさしいコメントありがとうございます。
この世界金融危機、そして1955年体制の崩壊から自民党解党への歴史的変動を捉えて、新しい時代の美術勢力を、小さくても形成して行く必要があります。
それは上岡誠二さんのフリーアートの視点と、白濱雅也のリキテンシュタインが好きだと言う《第1次元 社会的理性領域》
の両者をつなぐという、相反するものの結合を目指すものです。その歴史的なお手本は狩野元信です。
私の最後の闘いが、狩野派復権を目指しているのも変なものですが、情報化社会の美術の生き残りというのは、実はこのフリーアートでの《真性の芸術》性の展開と、同時に《第1次元》だけに特化した《産業ロック》的なものの統合化にあるのです。この統合化は、元信的であると同時にカント的なるものです。この統合を実現しなければ、この激烈な商業主義の世界の中で、美術家は生き残り得ないと考えます。
さて、先日、白濱雅也さんの隠して私に見せなかった名作を、いくつも発見しました。ぜひ、回顧展を、時代を区切ってですが、開催させていただけないかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
by ヒコ (2009-10-12 10:15)