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岸田秀の顔 [顔]


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松永氏から、下記のようなコメントをいただきました。

興味深く拝見しました。ところで、アルベルト・フジモリのストラスブール時代からの友人で、その著書の和訳を行い、フジモリ擁護論を述べている岸田秀の顔はどういう分析になるのか、興味があります。 
by 松永洋介 (2010-01-10 01:42)  


岸田秀が、フジモリの本を翻訳しているとは、知りませんでした。

大統領への道 (単行本)

アルベルト・フジモリ (著), 岸田秀 (翻訳) 

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新しい歴史教科書をつくる会の賛同者として、産経新聞にコメントを
寄せたことがある。」というのも、知りませんでした。

私自身は、岸田秀の本を、かなりの数読んでいます。
下記のようです。


  • 『ものぐさ精神分析』(青土社、1978年)
  • 『二番煎じ ものぐさ精神分析』(青土社、1979年)
  • 『出がらし ものぐさ精神分析』(青土社、1980年)
  • 『嫉妬の時代 飛鳥新社 1987 のち文春文庫
  • 『ふき寄せ雑文集』(文藝春秋、1989年)のち文庫
  • 『フロイドを読む』(青土社、1991年)のち河出文庫
  • 『ものぐさ箸やすめ』(文藝春秋、1993年)のち文庫
  • 『二十世紀を精神分析する』(文藝春秋、1996年)のち文庫

■伊丹十三との対談『哺育器の中の大人 精神分析講義』(朝日出版社、レクチャーブックス 1978年)

これだけ読んでいるというのは、まず、エンターテイメントとして
面白かったからです。売文としてすぐれていたのです。
岸田秀の唯幻論や、「人間は本能の壊れた動物である」という主張を、無批判に信じているというつもりは私にはありませんが、岸田秀の母親との葛藤に対しては、共感があったのは事実です。

さて、岸田秀の顔の分析です。

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彦坂尚嘉責任による岸田秀氏の顔の、
《言語判定法》による分析

《想像界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的人格
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的人格
《現実界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的人格

《現実界》だけの人格。《想像界》《象徴界》が無い人格。
液体だけの人格=近代人

《気晴らしアート的人格》
《ローアート的人格》

シニフィエ(記号内容)的人格

『真実の人』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《原人格》が無い。
《人格》《反人格》が有る。
《無人格》《非人格》《世間体の人格》が無い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《第8次元 信仰領域》の人物であると言うのは、
何しろ唯幻論を主張する人ですから、予想の内でした。
しかしその人格に、《真性の人格》が無くて、
デザイン的エンターテイメントだけであったのには、驚きました。
だから、あれだけ文章がエンターテイメントであったのですね。

もうひとつ驚いたのは、
《現実界》だけの人格であるという事でした。

唯幻論を主張する人が、《想像界》の人ではなくて、
《現実界》だけの人格であるというところに、
岸田秀という人の魔術があったと言うべきなのです。

つまり《想像界》だけの人格の人には、
自分が《想像界》だけに生きている幻想的存在であると、
対象化して言う事ができないからです。

岸田秀の唯幻論は、
つまり《現実界》から人間を見て対象化しているのであって、
つまり人間の《想像界》《象徴界》の2つを一緒にして幻想として
語っていると言う、混同化による解釈の単純化があったのだと言えます。

人間的にはシリアスな人ではなくて、
《気晴らし人間》であります。
そして《ハイアート》的人間ではなくて、
《ローアート》的な人間である事で、大衆的な人気を獲得したのです。

もうひとつ重要なのは、シニフィエ(記号内容)的な人格である
ということです。つまり岸田秀の唯幻論は、人間のシニフィエ連鎖という、
つまり脳内リアリティだけの世界を元に主張されていて、
人間文化をシニフィアン連鎖でとらえるラカン的な面は持ち
得ない人格であると言う事です。

その辺もあってか《原人格》の無い人です。
同時に《世間体の人格》も無い人で、その2重的な欠如が、
岸田秀の唯幻論の浅薄さと、
社会常識を否定する「価値の紊乱(びんらん)」性を持ちえた秘密が
あると言えます。



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《原-彦坂尚嘉》(加筆4) [アート論]

《原芸術》というものを考えると、
いままでの芸術に対する不可思議さが
驚くほどに解けて来ています。

そのついでに、《原彦坂尚嘉》というものも考え始めたのです。

《原彦坂尚嘉》というような言葉が、
何を指し示しているのか?
「自分探し」というようなアイディンティを求める事自体が、
古いとは言えますが、
たぶん《原-彦坂尚嘉》そういう事ではないのです。

《原-彦坂尚嘉》
《彦坂尚嘉》
《反-彦坂尚嘉》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《無-彦坂尚嘉》
《非-彦坂尚嘉》
《世間体の彦坂尚嘉》


一人の人間は、実に多様な存在なのですが、
このブログ執筆の、かなりの部分は、《反-彦坂尚嘉》という面で、
やっているように思います。

学問的厳密さの追求は、《非-彦坂尚嘉》の部分です。

《無-彦坂尚嘉》というのは、美的なもののこだわりです。

《世間体の彦坂尚嘉》というのは、あるにしても、
かなり無視して来ているように思います。


この2010年代という過酷な時代をサバイバルする時に、
もう一度、自分自身を考え直す言葉として、
《原彦坂尚嘉》というのは、あるのように思えたのです。

《原-彦坂尚嘉》というのは、リアルな自分というのではなくて、
理想的と言うか、観念的と言うか、
欲望です。
自分が成し遂げようとする、ある欲望です。

学生時代から「彦坂は観念的だ」と言われて、
嫌われて来ているのは、成し遂げようとする目的=欲望が
あるからです。

その欲望は芸術そのものの学問的な探究なのですが、
それが友人たちの嫌われて、
美術の話をすると、
美術家である元・親友たちから「そういう話はしたくない」と
はっきりと言われてきたのです。

美術家が美術や芸術の話をしたく無いと言うと、
不思議がられたり、信じてくれないかもしれませんが、
事実はそうであって、「芸術至上主義」というものではなくて、
今日では「自分だけ好き至上主義」という自己中毒の人というのが、
アーティストたちであるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正直に言うと、「深川いっぷく」での関わりの中で、
これ以上できないと感じた事は、結構ショックだったのです。

養老孟司の言葉を借りれば「バカの壁」が存在するという事ですが、
それ以上の伝達の不可能性があるのです。

認識的には《世間体のアート》というのが、強力に作動していて、
世間体を気にする眼でしか、作品は理解されないのです。

「深川いっぷく」で試みたのは、作品の値段を下げるために
安い価格の額縁を使ったのです。
中身の作品はきちんと描いたのですが、
人々は額縁しか見ていないのです。


ようやく理解したのは、人々は作品を見ているのではなくて、
額縁や、名声や、価格や、虚名、風評だけを見ているのであって、
作品その物は見ていないし、作品は理解できないのです。

こういう《世間体のアート》を無視する形でモダンアートは
展開して来たのですが、
1975/1991年にモダニズムが完全に終わると、
《世間体のアート》は、強力に展開して、すべてを飲み込んだのです。

言い換えると、《世間体のアート》であることと、
《原芸術》の同時表示を成し遂げる以外には、
芸術は、生き残れなくなったし、
同時にこの同時表示という表現は、新しい達成としてあるのです。

それは同時に、個人の人格の組み立ての変化も要請するものです。

彦坂尚嘉という個人で言えば、
《原-彦坂尚嘉》《世間体としての彦坂尚嘉》の統合が要求されて
いるのです。

そう考えているうちに、
ブログのデザインを久しぶりに、変える気になりました。

「君子は豹変す」という言葉がありますが、
これは『易経』の言葉です。

豹の毛は秋になると抜け変わり、美しい模様に一変するという。そのように、君子は変わるべきときは鮮やかに変化すべし。

上記の意味ですが、この場合変化を肯定的に言っています。
私は『易経』は大好きで、易をたてることもします。

日本人は変化を嫌いますが、
私は、『易経』の教えの方を信じます。そこには叡智があります。

『易経』の言葉をもうひとつ引用しておきます。

「変を通じて民を倦(う)まざらしむ」

変化することで、人びとに新たな期待と希望を持たせ得る」という
意味です。常に変化をして行く事で、作家は、観客を飽きさせない事が、
必要なのです。

《原-彦坂尚嘉》と《世間体としての彦坂尚嘉》の同時表示を目指す
方向に、この2010年代は再編しますし、
同時にブログもまた、この同時表示を目指して、再編して行きます。

地味なデザインにして顔写真も新しいものに換えました。
新しい顔写真は、皇居の二重橋を背景にして撮影したものです。
撮影は白濱雅也さんです。

3月に朝日新聞出版から出す予定の
『空想 皇居美術館』という本に向けての準備です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正月そうそう電話があったのは、
山口光子さんからで、考えさせられるお話を聞きました。
電話の話は、画廊を1月31日で閉めるということでした。
ギャラリー山口は、
栃原比比奈展が最後になります。
閉廊するのです。

ここ1年、いくつもの画廊から同じ話を聞いていますが、
画廊に人が来なくなっているのです。
ギャラリー山口を閉じられる事は、誠に残念ですが、時代の激流の、
なせるわざです。

他の画廊も苦境に立っています。
この一年、いろいろな画廊と話していますが、どこも苦しい様です。
画廊の時代が終わるのです。
ひとつの時代が終わるのです。

ギャラリー山口を活動の基盤にしていたアーティストは、
大変だと思います。


建畠覚造、野見山暁治、篠原有司男、百瀬 寿
堀 浩哉、岡本敦生、根岸芳郎、水上嘉久
津田亜紀子、古池潤也、坂上ちさと、青木 惠

画廊が閉じると、そこにいた作家たちは、行き場を失って、

みな、かなり苦労をします。

私が具体的にウオッチングして来たのは、

南画廊さんが1979年に自殺なさってからの、

元南 画廊さんの作家たちの苦労でした。


ですから私自身は、自分が画廊を失う事を常に考えて来ていました。

それでもギャラリー手が倒産すると、

私自身は、金銭的な問題と作品発表の場を失う事で、危機に陥ります。

その結果は、アートフロントさんに助けを求めた事です。

アートフロントさんは、彦坂尚嘉のウッドペインティングと版画には、

興味を示してくれたのです。

一方、四国ですがギャラリーarteさんは、彦坂尚嘉の皇居美術館と、

トマトアートなどのコンセプチュアルな作品に興味を持って下さって、

契約をしてくれました。

今年はマキイマサルファインアーツからも声をかけていただいているので、

9月に1階2階の両方をつかって個展をやる予定ですが、

これは気体分子ギャラリーとの共同開催です。

ギャラリーarteさんとは話し合いをする必要があります。


私自身は、しかし、もうひとつステージをスッキリとさせたいと

思っています。

今年はカスヤの森現代美術館とか、ギャラリー由芽などにも、

お付き合いして作品を並べましたが、それは今年いっぱいに

しようと思います。

年齢的にも無理で、できるだけ自分の仕事を絞り込みたいと

思って来ています。


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内藤礼と歴史の不在

内藤礼の個展を、鎌倉近代美術館でみた。

《現実界》の作品で、《第8次元 信仰領域》の作品。

良いと思う人には、良いと思える作品だが、
しかし良いとは思えない人には、良いとは思えない作品。

イワシの頭も信心からと言いますが、
そういう信仰領域の作品で、
新興宗教のような作品です。

とは言っても《現実界》の作品なので、
宗教と言っても《象徴界》の宗教ではなくて、
禅宗ですね。
禅宗がアートという名前になったのです。

禅の言う、「空」とか「無」といった作品。
日本人は「空」とか「無」というものに、深い意味を見ますが、
実際には、雲ひとつ無い青空であって、何の意味も無いものです。
禅宗というのは、ニヒリズムであって、無意味です。
無意味というのは、意味を構成しないという事です。

内藤礼の作品も、実は何も無い《無意味性》の作品です。
《無意味性》の作品を、見る方がかってに深い意味を深読みで見ている様です。

見る方が勝手にというよりも、内藤礼自身が、
その深い意味をレクチャーで語っている様です。
巫女さんですね。
内藤礼のご神託の言葉によって、深い意味があるかのように錯覚されて成立する作品です、

驚いたのは、彦坂尚嘉的に言うと、
何も無い事です。

《原芸術》は無い。
《芸術》も無い。
《反芸術》性も無い。
《無芸術》性も無い。
《非芸術》性も無い。
《世間体のアート》性も無い。

まったく、何も無いのですね。

では、何なのか?

たとえば「なにものでもないもの」なのです。

つまり重要なのは、美術館という芸術の制度性の中での美術展ですが、
芸術的には何も無くて、「なにものでもないもの」が展示されているのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
内藤礼を美術館がやるのですから、
内藤礼の個人史をきちんと展示して、
武蔵野美術時代の初期作品や、最初のテント作品。
そして林容子氏プロデュースの最初のニューヨーク展とその批評など、
学問的な検証と、研究の成果を展示して欲しかったのですが、
そういう実証的な学問性は、無い展覧会でした。

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6点目入札ありました/栃原比比奈個展(加筆1) [気体分子ギャラリー]

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定価
:400,000円
最低入札価格
:60,000円

入札価格 ¥60、000円

上に掲載した作品に、入札ありました。

昨日は、土曜日ということもあって、
11人もお客さんが来て下さいました。
作品も、3点売れました。
ありがたいことです。





タグ:栃原比比奈
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倉橋ヨエコと小島真由美、戸川純、Phewとニナハーゲン(校正1加筆3) [音楽の頂点]


ニナハーゲンの音楽

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で
《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で
《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現

気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示

《ハイアート》と《ローアート》の同時表示


シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示


理性脳と原始脳の同時表示

《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、

《無芸術》《世間体のアート》の全てがある。

ニナハーゲンのヴォーカルとグローバル・ミックスチュアー・サウンド

には、今日の情報革命の時代の狂気に満ちた人間の芸術が、

非常に早く先取り的に出現しているのです。

ここに、てんこ盛り路線の頂点の表現があります。

私が買ったのは、1979年日本版のデビューアルバム

Nina Hagen Unbehagen African Reggae

http://www.youtube.com/watch?v=cVYh6bA0b78

でしたが、当時は、理解で来ませんでした。

30年たった今は、高く評価できます。

何という遅れでありましょうか。

ニナ・ハーゲンは東ドイツに生まれ。
反戦運動の首謀者として国外追放となった養父とともに、
21歳で当時の西ベルリンに渡った人。




倉橋ヨエコ「夜な夜な夜な

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で
《3次元・コミュニケーション領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で
《第13次元 漫画喜劇領域》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
ただし《サントーム》はない。


気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示

《ハイアート》と《ローアート》の同時表示


シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示


理性脳と原始脳の同時表示

《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、

《無芸術》《世間体のアート》の全てがある。

倉橋ヨエコは、1976年生まれ。
2000年、ミニアルバム「礼」でデビュー。
この中に入っている「赤い靴」は、なかなか良い。

この「赤い靴」は、
《想像界》で《第6次元 自然領域》、
《象徴界》で《3次元・コミュニケーション領域》、
《現実界》で《第13次元 漫画喜劇領域》
という組み立て。
本人はずいぶん頑張るのですが、
《象徴界》が、あくまでも《第3次元》という基本と、
《現実界》が《第13次元 漫画喜劇領域》という組み合わせの
音楽的な限界を超えることが出来ない。

結局、2008年の「解体ピアノ」というアルバムで、廃業宣言をする。

格を変えるということを知っていれば、乗り越えられたはずなのだが、
残念なことです。


Phew /坂本龍一「終曲」

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》デザイン的エンターテイメント

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
ただし《サントーム》はない。


気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示

《ハイアート》と《ローアート》の同時表示


シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示


理性脳と原始脳の同時表示

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》がある。

ただし《世間体のアート》がない。

Phewは、この坂本龍一と1980年に出したシングル終曲が、
唯一すばらしい。
当時私は、ずいぶんと興奮して期待したのだが、
その後の展開は、失速して行った。


この後のアルバムは、
確かドイツでの録音もあったのだが、
《象徴界》が《第8次元 信仰領域》という
ミュージッシャンの限界が露呈するだけで、
面白く無かった。

《象徴界》の格というのが、そのアーティストのクオリティであって、
Phewは、《8流》で、無理なのです。


小島麻由美『わいわいわい』

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元 戦争領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現

気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《気晴らしアート》

《ローアート》


シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示


原始脳の音楽

《原芸術》《芸術》《反芸術》がない。

《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》がある。

小島麻由美は、《象徴界》が《第41次元 戦争領域》である音楽性で、
その面白さは、馬鹿にできないところがある。

結局、アーティストの面白さは、
《象徴界》の格に支配される面が大きいと、私の観察と測定では言えます。

小島麻由美は、象徴界が《第41次元》で、
《想像界》《現実界》を《第6次元 自然領域》で組み合わせています。
この組み合わせは、《第6次元》の取り込みとと処理技術としては、
ユニークだと思います。
声量がないのは聞き苦しいですが、コメント欄で マサオさんが
紹介してくれている下記の曲は、良いと思いました。




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椎名林檎/エゴ・ラッピン/笠置シズコ [音楽の頂点]




笠置シズコ 『ラッパと娘』

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で
《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で
《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現

気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》

《ハイアート》


シニフィアン(記号表現)の表現


理性脳と原始脳の同時表示

《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、

《無芸術》《世間体のアート》の全てがある。


笠置シズコの残っている音源の中で、

この『ラッパと娘』が、最高に素晴らしいものです。




エゴ・ラッピング 『くちばしにチェリー』

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第3次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》デザイン的エンターテイメント

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現

気体と液体の表現

《気晴らしアート》

《ローアート》


シニフィエ(記号内容)の表現


原始脳の表現

《原芸術》、《芸術》、《反芸術》はない。

《非芸術》、《無芸術》《世間体のアート》はある。




椎名林檎 『歌舞伎町の女王』

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で
《第3次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で
《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現

気体と液体の表現

《気晴らしアート》

《ハイアート》


シニフィエ(記号内容)の表現


原始脳と理性脳の同時表示。

《原芸術》はない。

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》はある。


椎名林檎のはすっぱな歌い方が、飽きる。

結局は《第3次元》で《3流》である事に失望して行く。

《原芸術》、音楽で言えば《原音楽》というものが椎名林檎には無い。

それが、彼女の音楽の浅さであって、聴くに耐えなくなって行く。

エゴ・ラッピンは、もともと浅さに居直っていて、

それはそれで面白い。

それに対して笠置シズコには《原芸術》があって、

ひとつの頂点と言える。

私は、この『ラッパと娘』が最高に好きだが、

黒沢明が歌詞を書いた『ジャングルブギ』も素晴らしい。




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オキーフの抽象画 [アート論]

オキーフの抽象画

オキーフの抽象画という展覧会が、
ホイットニーで開かれていました。

これで、抽象画?
とは思いますが、画像を拾ってみました。



ピクチャ 2.jpg

ピクチャ 9.jpg

ピクチャ 8.jpg

ピクチャ 4.jpg

ピクチャ 1.jpg

ピクチャ 7.jpg

ピクチャ 6.jpg

ピクチャ 5.jpg




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芸術分析アート/カスヤの森現代美術館への追加作品 [アート論]

 

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新しい2010年になったので、作品制作を、もうひとつ違う段階へ

展開することになりました。

 

まえから考えていた事であり、そしてやっていた事でありますが、

このブログでやっている芸術分析を、作品制作の方法として、

完全に自律させて制作するという事です。

つまり『芸術分析アート』ということです。

 

『芸術分析アート』という手法を、自律させて使用できるまでに、

成長して来たといえるところまで来たからです。

 

最後の段階が《原芸術》《世間体のアート》という概念を

確立できた事です。

 

それと《サントーム・アート》とも言うべき段階を、

ようやく明確にできたことです。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

他人の作品の説明を受けても、つまらないのですが、

実際には、いろいろな事が微妙にからんでいます。

 

実例を挙げます。

カスヤの森現代美術館に、追加で送った作品です。

追加というのは、最初の3点が完売したからです。

 

完売したのだから、同じタイプの作品を送れば良いのですが、

そうはしないで、進化した作品を2点送りました。

 

小品ですが、まず、額縁がちゃんとしたものになりました。

値段も、「深川いっぷく」で売ろうとした低額路線の模索は、

完全に諦めました。

ですから、値段は高目になりました。

とは言っても、安いですが・・・。

 

それと、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界は省略して、

《サントーム》だけの作品です。

 

《サントーム》だけに限定した作品は、今回が初めてです。

 

『アートの格付け』としても、《超次元》だけに限定してあります。

 

《サントーム》だけ、《超次元》だけという作り方は、

ともあれ洗練はされた印象になります。

額も高くなる事で、ずいぶんとお洒落になっています。

 

私としては、本当は「深川いっぷく」に出したような低額路線での

泥臭いてんこ盛り作品の成立を希求してはいたのですが、

人間の社会というのは、

そのようなユートピア的な奇跡を実現できるところではないという事を、

ようやく、この年齢で認めたのです。

 

2点出品したので、見て下さい。

 

 

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彦坂尚嘉 「Sinthome 1」の芸術分析

 

《想像界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》

 

《サントーム》だけの作品。

気体だけの様態表現。

 

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《透視画面》と《原始平面》の同時表示
『オプティカル・イリュージョン』と『ペンキ絵』の同時表示
【A級美術】【B級美術】の同時表示

 


《原芸術》《芸術》《反芸術》

《無芸術》《非芸術》《世間体のアート》のすべてが有る。

シートサイズ:ハガキ大
額:インチ大 

紙、顔料マーカー、鉛筆、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

定価 100、000円
最低入札価格:20、000円



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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彦坂尚嘉 「Sinthome 2」の芸術分析

 

《想像界》の眼で《第41次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》だけの《真性の芸術》

 

《サントーム》だけの作品。

気体だけの様態表現。

 

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《透視画面》と《原始平面》の同時表示
『オプティカル・イリュージョン』と『ペンキ絵』の同時表示
【A級美術】【B級美術】の同時表示

 


《原芸術》《芸術》《反芸術》

《無芸術》《非芸術》《世間体のアート》のすべてが有る。


シートサイズ:ハガキ大
額:インチ大 

紙、顔料マーカー、鉛筆、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

定価 100、000円
最低入札価格:20、000円

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同時表示が、格段に増えました。

まあ、自分の作品を自分で芸術分析しているわけですが、
実は、その芸術分析で制作した作品なのです。

これはこれで、洗練の頂点性を持っていると思うので、
しばらく、この作品を制作して行きます。

同時に、もう一方の、泥臭い、てんこ盛りの作品も、
出して行きます。
それについては、別のブログで、紹介します。

 


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森本めぐみ [アート論]

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彦坂尚嘉責任による芸術分析

 

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第21次元 愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント

 

 

《想像界》の作品、ただし《現実界》の作品、《想像界》《象徴界》《サントーム》が無い。
絶対零度の作品 、気体/液体/固体の3様態が無い表現
《シリアス・アート》、ただし《気晴らしアート》はない。
《ハイアート》、ただし《ローアート》はない。

 

 

シニフィアン(記号表現)の表現。ただしシニフィエがない。
原始脳の美術、ただし理性能がない。
《原始平面》
『オプティカル・イリュージョン』でも『ペンキ絵』でもない。
【B級美術】

 

 

《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、《無芸術》
ただし《世間体のアート》が無い。

 


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接客/3点目が売れたこと/建築系美術ラジオ [日記]

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1月2日の朝に浜松から帰って来て、

2日も、3日も、4日も、5日も、少数ですがお客さんが来てくれています。


作品も、低価格ですが3点目が売れました。


気体分子ギャラリーも今回が第3回展ですが、

前の2回は、私自身がお客さんに接するということをしていなかった

のですが、今回は、お客さんが、アトリエに直に来るので、

さすがに、いろいろな事が、不備だったり、

マズいという事が分かります。


まず、看板が無いのです。


それに、テーブルも、絵の具だらけできたない。


茶碗類も、やたらに、手伝いの若い人に割られているので、

割れないプラスチックになっていて、

さすがに接客用にはマズい。


3月が正式オープンで、それまでに何とかしなければと

思っていますが、


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そういう中で、4日に建築家の南泰裕さんと、東大美学の天内大樹さん、

それに白濱雅也さんが来てくれて、

建築系美術ラジオの新春座談会が収録されました。


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