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栃原比比奈展の0号小品をめぐる議論 [気体分子ギャラリー]



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山口光子さんが亡くなられて、
画廊責任者がいない状態で、ギャラリ―山口が運営されています。

ボランティアの人たちのご努力で開かれている状態で、
私も画廊に詰めていなくてはならなくなっていて、
時間がなくて、小さい作品は画像処理が追いつかなくて、
不手際が多くて、すみません。

画廊にいると、久しぶりに多くの方とお会いして、
お話をしています。
みなさん山口光子さんの訃報には驚いておられます。

しかし、いわゆる接客で、時間が取られて、
なかなかブログ更新が上手く出来なくなっています。

さて、少しでも完成をして行きます。
今晩はがんばります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

まず、0号の小品です。
すべて油彩です。
制作終了に当たっては、クオリティ・チェックを彦坂が、
《言語判定法》でやっているので、基本的には安定した完成に
なっています。

作品的には《超次元》、つまり《超1流》にすべてしてあるのですが、
しかし0号という小さなサイズの作品で、
この《超1流》性は、観客にとって良いのかどうか?

その疑問は残ります。
作品を紹介しながら、その議論をしておきたいと思います。

0_isu_02.jpg

栃原比比奈 椅子1
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、《無芸術》
《世間体のアート》の全てがある。
定価
:50,000円
最低入札価格
:10,000円

入札されています。
現在の入札価格:10,000円

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この上に掲載した作品は、最初に売れた作品ですが、
これと草間弥生の0号作品とを比較してみたいと思います。

1082122898.jpg

草間弥生0号小品のカボチャ
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の表現
液体だけの表現

《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の表現、
原始脳の表現
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、《無芸術》
《世間体のアート》の全てが無い。
つまり芸術の《形骸》である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この《形骸》の問題は、
実は少なくとも今日のアートシーンや観客の反応を問題にする時に、
重要なのです。

しかし彦坂尚嘉の視点では、歴史的にもさかのぼれるものであって、
《形骸》というのは、今日特有の現象ではありません。

ともあれ、栃原比比奈の0号小品を検討してみましょう。
まず、草間弥生作品と比較してみます。

栃原草間.jpg










草間弥生0号小品のカボチャ               栃原比比奈 椅子1
《想像界》の眼《第6次元 自然領域》のデザイン    《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼《第6次元 自然領域》のデザイン    《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン    《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》の表現                   《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界
液体だけの表現                    気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層表現

《気晴らしアート》                  《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示
《ローアート》                    《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
シニフィエ(記号内容)の表現、             シニフィアン(とシニフィエの同時表示
原始脳の表現                      理性脳と原始脳の同時表示
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】        《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、          《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、
《非芸術》、《無芸術》《世間体のアート》の全てが無い。《無芸術》《世間体のアート》の全てがある。
つまり芸術の《形骸》である。

彦坂尚嘉の眼からは、栃原比比奈の作品の方が、圧倒的に
すぐれているのですが、しかし、観客の眼にもそう写るかどうかは、
疑問では有ります。

つまり0号というサイズの問題でもあるのです。
つまり0号というのは、まともなタブローのサイズではなくて、
小さすぎるのです。
つまり安物とか、売り絵というイメージでしかないのです。

そこで、栃原比比奈の作品を、草間弥生と同じように、
《形骸》に、画像操作でしてみます。
シュミレーションです。

試作《21流》.jpg

栃原比比奈0号小品の椅子
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《第21次元 愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第21次元 愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第21次元 愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の表現
気体だけの表現

《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の表現、
原始脳の表現
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、《無芸術》
《世間体のアート》の全てが無い。
つまり芸術の《形骸》である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、こうして《形骸》となった栃原比比奈の作品と、
草間の作品を並べて見ます。
この変化を見て下さい。

栃原草間.jpg

《第6次元》の《形骸》     《超次元》の《真性の芸術》 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

試作《21流》草間.jpg


《第6次元》の《形骸》     《第21次元》の《形骸》

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

観客は、草間的な《形骸》を求めているのではないのか?

栃原《超1流》《21流》.jpg


《第21次元》の《形骸》     《超次元》の《真性の芸術》

こう並べると、
《超次元》の《真性の芸術》というのが、
いかに上品であるかが、分かります。

上品では、売れないのかもしれません。

さて、しかし今回は、この《超次元》の上品な作品だけを
制作しています。 

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日本美術の《超1流》性 [アート論]

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私のように、日本の画家として教育されてきますと、どうしても中国美術が素晴らしく、日本美術はその影響から出てきた《2流》なのだという考え方がベーシックなものとしてあります。

私は中学生の時から美術館回りをして、東京国立博物館にお弁当を持って行って、とにかく訳の分からないままに国宝や重要文化財を目で暗記しようとしてきたのです。大学生になると京都国立博物館や、奈良の大和文華館、奈良国立博物館に、新幹線に乗って繰り返し行くようになります。なぜにそういうことをしたかといえば、外国に行って本物を見られないので、海外作家の目に対抗するには、自国の最高の美術品を見る事で目を作ろうと思ったのです。ですから私の美意識を育てたのは、日本の国立博物館なのです。そういう伝統的な美意識を吸収していると、中国美術がものすごく素晴らしいものなのだという伝統的な価値観を持つようになります。

私は中学2年のときに、講談社の『日本近代絵画全集』と『日本近代絵画全集』いうものを買っています。中学生段階で最初に見て、それから以降も結構読んでいるのですが、そうすると私が優れていると思う美術家は中国美術の大きな影響を受けている事がわかります。

私一番好きだった作家のうちの一人は靉光でもう一人は富岡鉄斎です。ふたりとも中国美術の影響が強い作家です。靉光ですと宋元院体画というものに大きな影響を受けています。

中国の場合、美術家には二種類あります。ひとつは士太夫といって高級官僚です。軍人と文官という普通の官僚の偉い人で、支配者層。それが文武両官として絵を描くのですが、それが文人画といわれるものです。

もう一方は、宮廷が存在しますから、当時は宮廷の美術装飾品をつくっていく画院というものが当時ありました。画院というのは入るのに試験があって、試験に通った人が職業画家になっていきます。

画院は職業画家で、文人の方は教養として絵を描いているので職業画家ではありません。両方が中国の美術史の中で争っていきます。文人の方はまず高級官僚ですので、教養があります。官僚ですから書道ができます。字を書けないと官僚の役割をしないですから、字を読めて書けないといけない、つまり書はうまいです。ところが絵の具を使うというような職人技術というものはありません。ですから基本的に文人の絵というものは色をつかわず墨だけで描かれています。そして基本的に細かい描写はできませんから竹ばかりで竹の葉をぱっぱっぱと描いていく竹の絵が多いです。(李 禹煥氏の点を打つだけの作品は、こうした竹の葉だけを描く伝統的な文人画の系譜なのです。)

一方、画院の人たちは、絵の具を使って描いていく職業画家ですので、きちっとした絵を描こうとします。職人的と言えば職人的なのですが、その両方が争っていったときに、宋と元の院体画の方が、つまり職業画家の絵描きの作品が非常に高いレベルになるのです。

中国画家で一番有名な一人は、北宋の范寛で、范寛の山水画は超一流の絵画で、台湾の國立故宮博物院にもあって見る事ができます。私も1回だけですが見に行っています。

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渓山行旅図、北宋、范寛

もっとも現存するのは「谿山行旅」という一枚だけです。この人は職業画家であるといわれます。范寛の絵画には多くの日本人が惹きつけられています。けれどもこういう超一流の絵画が中国には実は少ないです。

李成も《超1流》の風景画です。郭煕も超一流ですけども、大和文華館で、この2人が作った李郭派山水画の展覧会が開催されており、私も見にいっています。もっとも李成と郭煕は同時代人ではなくて100年ぐらいの時代差がありますので、「李郭派」というのは、日本で言えば琳派というようなものであって、《系譜的流派》なのです。モダンアートが《同時代的流派》に焦点が会ったのに対して、前近代には《系譜的流派》があったのです。こういう「李郭派」様式は確かに優れた超一流美術で、《超1流》の倒錯した《41流》性も併せ持っています。


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李成 晴巒蕭寺図


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郭煕 早春図

しかし同じ李郭派の中でも六流が結構あります。そしてこの時期の山水画以外に《超1流》《41流》の絵画が中国にはなく、ほとんどが《1流》美術です。

中国は政治性が非常に強い大国家で、《第1次元 社会的理性領域》というものが、社会的に強い様です。絵画の名品の多くは《1流》美術にすぎません。もちろん《1流》が良いという価値観で言えば中国は大絵画がたくさんあります。しかし私のように、《1流》を超えていて、表現として真に自立した《超1流》の絵画を優れているという価値判断に立つと、《1流》というのは社会的理性性ですから、社会的理性性に支えられ、依存した表現ですから、冷めた目で見るとたいしたことはないのです。

ですから社会的理性を越えたものを見ようと思うと中国美術にはそれが少なく、「あ、これはもしかすると日本が多いのかな」という気持ちになるわけです。

つまり《超1流》の絵画に焦点をあわせると、日本美術は中国美術を、量と種類で圧倒的に凌駕しているのです。つまり中国美術はすぐれていて、日本美術は《2流》であるという、小さな時から教え込まれて来た日本人の劣等感は、どうも事実に反するのではないか?と考えるようになったのです。

もっとも青銅器や陶磁器、そして書になると、中国の超一流のものはたくさんあって、凄いです。

しかし日本にも鉄器というか、日本刀は《超1流》《41流》の凄いものが、たくさんあります。書も日本的な《超1流》の作品は多くあります。陶磁器は《超1流》のものは少ないですが、それで日本独自のものがあります。

そういうわけで、《超1流》と、その倒錯領域の《41流》の日本美術を集めてみようと考えて、それらを皇居美術館に展示しようというアンドレ・マルロー的な空想の美術館を構想したのです

《超1流》の日本美術館というのが、皇居美術館で、その世界版で、世界の美術の中から《超1流》の名品を集めた美術館が「帝国美術館」というものなのです。


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