『アートの格付け』をコントラスト操作の比喩で見る(改題1改稿加筆3画像追加複数2) [アート論]
御説拝聴いたしました。
それでは奈良の6流の画像もPCによるコントラスト調整で、超一流になるのですね。
しかし、これはいくらなんでも単純化しすぎではないでしょうか?
図式的にすぎますので、読者を馬鹿にしていることになります。
わかりやすすぎてつまらない。
今後はもう少しわかりにくく解説してくださることを期待いたします。
栃原比比奈の完成品と7点目の入札
27点目の入札/会期を2月7日まで延長 [気体分子ギャラリー]
彦坂尚嘉責任による芸術分析
- 定価
- :300,000円
- 最低入札価格
- :30,000円
一人の入札がありました。
- 入札価格
- :30,000円
達磨5点完売/コッキーシリーズ13点完売栃原展合計26点売れました/彦坂尚嘉1枚のドローイングと2点の板絵 [気体分子ギャラリー]
さて、コッキー・シリーズが、
ギャラリー山口で完売しました。
7点つくったのですが、すべて売れて、
めずらしいことに、注文を6点いただきました。
本当は画像修正をいなければいけないのですが、
もう午前2時10分、明日搬出でトラック運転手をやりますので、
寝るので、修正しない画像でお許しください。
明日最終日ですが、その前までで、栃原比比奈展では26点売れました。
値段は、デビューでしたので、安いものでしたから、数が伸びたのです。
彦坂尚嘉様
お世話になっております。昨日もお疲れさまでした。
お忙しい中大変大変恐縮なのですが、お店作品の鑑定書をお送
り願えませんでしょうか?jpgに書き出してお送りいただきま
したら、私の方でプリントアウトさせていただきます。
先方より催促のメールが届いてしまいました。今月中には先方
にお渡ししたいので何卒よろしくお願いいたします。
白濱 万亀 Shirahama Maki ( Qrr ART )
T: 070-5460-4082/E : qrrart@yahoo.co.jp
****
深川いっぷく/http://www.fukagawa-ippuku.jp/
彦坂尚嘉自身による芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》のすべてがある。
あと、ザ・マーケットというオークションで、
これも安いですが、
彦坂尚嘉のウッドペインティング2点が売れました。
近藤愛助
一昨日はどうもありがとうございました。
お会いできて本当にうれしかったです。
また滞在中、可能であればアトリエの方に
御邪魔したいと考えております。
またその時は、ご連絡します。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
それとベルリンのart情報を少し遅らせていただきます。
こちらのリンクはベルリンの主要ギャラリー(若手を含んだ)の
フリーペパーです。
Ausstellungorteという所から、飛んで赤い文字の部分が
コマーシャルギャラリーです。
ご参考までに。
このフリーペパー上のギャラリーは、ほんの
一部ではありますが、ベルリンのアートシーンの感じは
把握できるかと思います。
http://www.indexberlin.de/orte.html
このなかでいくつか思いつくところをピックアップしてリンク添付します。
大御所だと、
http://www.estherschipper.com/
http://www.galerie-nagel.de/
http://www.galeriebarbaraweiss.de/
http:/! /www.maxhetzler.com/1035.0.html
http://www.eigen-art.com/
http://www.johannkoenig.de/current.html
http://www.cfa-berlin.de/
http://johnengalerie.com/index.php?option=com_content&view=article&id=53&Itemid=27&lang=en
http://www.galerieneu.net/artists
若手だと、
http://www.galeriekamm.de/
http://www.benkaufmann.com/
http://www.croynielsen.de/
です。
またお会い出来るのを楽しみにしております。
近藤愛助
文化は学習の連鎖である(校正2) [生きる方法]
普通の意味で、勉強のできない人という範囲を超えて、
学習の出来ない人が沢山います。
学習というのは、他人の思考を学び、それを吸収する事です。
ですから、学習した人の頭の中には、他人の思考が入っているのです。
しかし自己愛性人格障害の人は、他者排除をしますから、
学習ができません。
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そもそも言語自体が、自分の造ったものではありませんから、
他者のものを使って考えるのです。
言語の他者性というのは、重要なものです。
他人の本を読まない人は、文章を書けません。
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私は今も読書会をしますが、
読書会に参加しないタイプの人がいるのです。
五十嵐太郎さんも、学生時代から沢山の読書会をして来ていますが、
私も大学時代から読書会をくり返して来ています。
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文章を書くためには、人の文章を7倍は読まなければなりません。
私の基本は、キルケゴールと、フッサールです。
フッサールの後に、ジャック・ラカンを読んで来ています。
日本人でいうと、まず内村鑑三です。それに今道友信、谷川雁。
こうした人々の思考をくぐって、考えているのであって、
それは普遍的なものです。
ラカンでいえば、ソシュールの言語学の用語であるシニフィエ、シニフィアンという
言葉を借用しつつ、意味内容を変形しています。
こういう用語の借用と、意味のずらしや、変形は、多くの哲学者や思想家に見られる
ものです。
私の使う、現実界や、サントームという用語の使い方は、
ラカンの用語の借用ですが、内容はずいぶん違ってきていますので、
そのことは、繰り替し断りを書いてきています。
ラカンのように、造語することも重要ではありますが、
他人の用語を使い、変形して行く事も、文化をつくる基本であり、
重要な事なのです。
村八分に耐える事は、日本的な処世術ではない(削除書き換え) [生きる方法]
私自身は、中学生から、村八分にされて、生きて来ているのです。
私はそれに耐えて来ているのです。
いまでも、私の悪口は沢山あるのであって、
それを平然と耐えて生きて来ているのです。
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建築家の南さんに誘われてmixiに入りましたが、
書かなくなったのは、村的で、読者の顔が見える様になるからです。
顔が見える関係になると、その人に遠慮して、批評とか言論は成立しなくなるのです。
多くの人は言論が、血によって書かれて来ている事を知りません。
言論人は、殺されるのです。
殺される覚悟で、書いているのです。
美術というのは命のかかっている職業なのであって、
当事者にとっては遊びではありません。
ギャラリー山口さんはお亡くなりになりましたが、
美術家でもゴッホをはじめとして、多くのアーティストが自殺しています。
美術家というのは、命がけなのです。
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私は日本の村の外に出続ける人間です。
ラカンの読書会に来ている人は分かっていると思いますが、
私の人間関係は、移動や、循環は早いのです。
激しく入れ替わって行きます。
固定的な村や島をつくることは、目指していません。
美術史家の富井玲子さんは「彦坂は、移動する標的だ」と書きましたが、
私自身は、脱-領土化をしつづける人間ですから、
みなさんが考えるような固定的なグループを形成してはいません。
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私はこのブログを無償の行為で書いているのです。
ブログの記事で壊れる人間関係は、沢山あります。
それに絶えて書いているのであって、
無料のブログですから、
読者に読む事をしいているものではありません。
嫌なら、読まないで下さい。
これは日本的な処世術ではありません。
この場合、私のイメージしているテキストは、安岡 正篤の本です。
陽明学者として尊敬はしますが、
私のやっていることは、彼の考え方の外部なのです。
私の方法は日本処世術の外部を生きるところにあります。
批評されない作品は、幸福なのか? [アート論]
批評というものが、衰弱しているのが、
ポストモダンな世界なのです。
これが一般の状況です。
こうした中で、作品をつくって発表しても、
何も批評されず、無視されるという状況は沢山あります。
こういう状況が、作品にとっても、作家にとっても幸せなのでしょうか。
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こういうことを書いている理由は、
私の芸術分析が、作品を不幸にしているという批判のコメントを受けたからです。
私を批判する事自体は良いと思います。
私はむかし、縁があって『ミュージックマガジン』で、音楽批評を書きましたが、
何回か、ミュージッシャンに呼び出されて殴られました。
私からみると、それは音楽批評の不成立ということに過ぎません。
ニューヨークの美術評論家が、やはり殴られたという話を読んだことが
ありますが、この場合も、殴りたければ殴れば良いし、殺したければ殺せば良い
のですが、批評というものは、殺されても書くものなのです。
殺されても書くというのが、ソクラテスから、エックハルト、
内村鑑三、レニーブルース を経由して流れて来ている批評の思考の流れなのです。
私は、高校生の時代から、繰り返し弾圧されながら書き続けて来ているのであって、
いまさら止める気はないのです。
私の文章を不快に思う人たちがいる事は良く知っていますが、
その人たちから、私は お金を取っていないのですし、
読む事を強制はしていないのです。
その範囲内でのお付き合いに限定させて下さい。
私には、私の自由があるのです。
それに私は、みなさんが考えている以上に、
作品や作家を大切にして、敬意をもって接しているのです。
問題があれば、具体的に箇所を指定してご指摘下さい。
私のミスがあれば、謝罪いたします。
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シャネルのウインドー・ショッピング [アート論]
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの中に
《第41次元》を見つけた時に、
コメントへのお返事 [状況と歴史]
「建築系ラジオ」で、彦坂様のお話に惹き込まれ、
ブログで、たくさん、新しい刺激をいただいています。
感謝しつつ、今回は、二つ、お伺いしたいことがあります。
一つは、小沢一郎氏の人格分析がなされなかったことです。
小沢氏は、田中角栄の継承者でありながら、
田中派のような組織を作れずに今に至っています。
二人の間の継承と断絶は、あるいは、
「戦後」日本の空気の変化を示しているのかもしれません。
彦坂様のご意見を、伺いたく存じました。
もうひとつは、「野蛮」と「アルコール依存」の問題です。
「インディアンやエスキモーの人々がアルコール中毒になる」
「自然人はアルコールに対して、依存しやすい」
等といった表現は、
大切な問題を見えなくさせるように思われました。
大切な問題、というのは、
適応/不適応、という問題です。
「自然人」は、自然の中においては、
依存症になりにくいのではないか。
「人格」者は、「形骸」社会において、
アルコールその他に依存しやすいのではないか。
今、時代の節目にきている、ということを、
彦坂様の言説を刺激として、強く感じています。
「これまで」とは違う時代が来つつ、ある。
「これまで」に適応してきた大多数は、
次第に、追いつめられることでしょう。
そして、「これまで」に不適応であった人々が、
生き残っていく可能性を広げている。
ただ、「これまで」の世界において、
「不適応だった人」のもっていた創造的役割を、
私は、忘れないようにしたいと思っています。
だから、「自然人」の価値は、
10年後に、きっとはじめて、
今とは全く違う形で、輝いてくるかもしれない。
それはちょうど、今のネイティヴ・アメリカンのように・・・
(イメージは、AKIRAの『COTTON100%』です)。
そう考える私は、
「自然人=依存しやすい」という表現に、
鋭い引っかかりを覚えました。
長文となりましたこと、
論点がずれているかもしれないこと、
どうぞ、お赦しください。
それでは失礼します。
川上直哉