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建築教育現場/彦坂美術館の模型(3)(加筆1) [建築]


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アートデザイン遺伝子を組み替える」(長谷川裕子)という
歴史的な変換の中で、
建築とは何か?

いや、それ以上に、アーティストは、
いかにして、この「遺伝子組み換え」に対応して、
広い視野をもって、
建築をも包含して、アートとデザインの問題を直視し得るのか?

こういう問題を考えさせられました。


五十嵐太郎さんの東北大学の学生たちが、
課題制作で取り組んでいる「彦坂尚嘉ミュージアム」の構想は、
最終講評会に行って来ました。

たいへんな力作がそろて、感銘を受けました。
敷地の青山を見学し、さらに、わざわざ藤沢の彦坂尚嘉アトリエまで
来る。
途中では、建築家の新堀学さんが中間講評を行うという事まで
あって、学生たちは真摯に問題に取り組んで下さいました。

この週は、山田幸司さんのお通夜への出席、京都への出張、
そして仙台の東北大学と走り回って、
還暦を過ぎた彦坂さんとしては、ハード過ぎるスケジュールで、
帰って来てからダウン。

それもあって、
この最終報告会のブログアップが遅れてしまって、
申し訳なく思います。

いただいた資料が多いので、
アップすることの出来る範囲に絞ってご紹介して、
私の体験を整理したいと思います。

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さて、彦坂尚嘉の個人美術館の設計です。

個人美術館を設計していただくと言う体験をさせていただいて、
今までにない体験となりました。

ひとつは、若い人の設計を通して、
自分の作品と活動を改めて対象化する機会を与えられた事です。

ラカン理論の建築

その中で一番衝撃を受けたのは、北本直裕さんの建築です。
ラカンの《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ
重層的な建築を構想したのです。

五十嵐太郎さんの講評によると、最終スパーとの追い込みがすごくて、
その頑張りで、すばらしい建築構想になりました。

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私自身は、現実には、作品を《想像界》《象徴界》《現実界》
《サントーム》の4種類に作り分けて来たのではありません。
しかしこうした作り分けが必要なのではないのか?
と、改めて考えさせられました。

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普通の人々欲望を欲望する

私たちの生きている社会の80%は、《想像界》だけの人々で
構成されていると、彦坂尚嘉の《言語判定法》の測定では、
仮説できます。

ですからヒットチャートを走ってく様なメガヒットのポップスは、
ほとんどが《想像界》の音楽です。

しかし《想像界》だけの音楽という判断を
それは同一の音楽という事ではないのです。

例えばマドンナの『エロチカ』以降の音楽は、
《想像界》は《第1次元 社会的理性領域》なのです。
一方、U2の音楽は、《想像界》が《第6次元 自然領域》なの
です。
共通するのは、実は《象徴界》が共に《第6次元》である
という事です。

何故に、《第6次元 自然領域》は、80%の人々の
《象徴界=無》の基盤になり得るのか?

それはもちろん人間もまた自然であり、
その生活は《自然的な態度》でされているからです。
その自然的な態度には、《象徴界=無》という構造があるのです。


《自然的な態度》で生きる事が、人間の基本であり、
その場合、《想像界》の眼だけで、世界を見る事になります。
それは直接性の盲目的な世界です。

こうした直接性の盲目的な世界に生きる人々の欲望を、
アーティスト/あるいは建築家という専門家自身の欲望として、
再度取り込むことが出来るのか?


出来ると言えます。

こうした事は、何を意味しているのでしょうか?

建築家というものが、クライアントと向き合うという宿命の中で、
生きているからです。

施主というのは、建築学/芸術学的には生きていないのです。
つまり素人であり、建築/芸術的には《第6次元 自然領域》の
人々です。

この施主という建築学的には素人の欲望を、
建築家は、自らの欲望として模倣しながら、
かつ、建築学的建築を構想するという、矛盾の引き受けこそが、
建築と言う構造であり、設計と言う技術なのです。

つまり《純粋芸術》という概念こそが、
80パーセントの普通の人々の存在と言う現実を切り捨てる《近代個人
主義》の迷妄であったのです。

現実は単純ではなくて、複雑であり、
情報化社会の芸術は、この80%の人々の直接的な生活世界に
欲望を直視するところに成立するのです。

正確に言えば、この80%の多数者の自然的欲望を取り込みながら、
なおかつ、芸術学的純粋芸術/建築を、
同時成立させると言う技術=アート=建築
として、自らを構想する必要があるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今回の学生たちの構想は、
自分の限界を壊してくれる非常に新鮮な刺激になりました。

私自身は、最初に情報アートという視点で出発するのですが、
それが建築内部のでのフロアーイベントという形で始まる
事もあって、
《建築美術》《流通美術》《情報美術》の重層し、錯綜した
展開をして来ました。

これをいかに回顧し、まとめて行くのか?
極めて至難の業なのですが、
個人美術館の建設と言う構想=空想の中で、
しかも若い学生の頭脳を介する事で、
手がかりをいただけたように思います。

もうひとつは、建築というものを、
設計構想段階から体験させていただいた事です。
以前にも1回、皇居美術館を題材にした五十嵐研の授業で
講評をさせていただいていますが、
その時の戸惑いは大きかったのです。

美術と建築の違いは、講評の場では、ずいぶんと大きくて、
自分の眼の狭さを痛切に感じさせてくれました。
今回はそれが楽になったのです。

その問題の中心にあるのが、実は《非芸術》の問題です。
《非芸術》というのは、デザイン領域です。

デザインというのは、「神が世界をデザインした」という意味の
デザインです。
つまり建築というのは、神のように建築をデザインするという問題が
あって、《非芸術》という芸術についてしっかりと考えていないと
講評も出来ないのです。

さて、パワーポイントの資料をいただいているものを、
まずアップします。
全部アップする時間がないので、
お二人に代表していただきます。

これだけでも、学生たちの思考の一端をお伝えする事は出来ると
思います。


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続いては、チェホンジュンさんのパワーポイントです。

量が多いので、ほんの少し省略しますが、

建築について良く考えていて、評価の高い作品でした。


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さてつづいて、写真を紹介します。
解説を出来ないものが多くて、申し訳ないですが、
学生たちの努力の凄さを見て下さい。

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さて、以下の写真は、別のクラスの作品も合わさっているので、
その作品写真です。

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美術作家の欲望のちがい(加筆1) [生きる方法]

 
人はそれぞれ、違った欲望を持って生きています。
そのことを知っている、当たり前のつもりが、
実際は、私はそのことを良く知らなかったという事を、
知ったのが、今回の日本ラカン協会の大会でした。

経験としては知っていても、
理論として把握できるかどうかで、違うのですね。

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朝5時半起きで、日本ラカン協会第9回大会に行って来ました。
9時からの研究発表を聞くためです。

ですので8時15分に会場について、開催の準備に参加しました。

一応、日本ラカン協会の幹事ですので、そういう準備の作業も
参加するのです。



 日本ラカン協会第9回大会プログラム

 日時:2009年12月6日(日) 09:00~17:30
 場所:専 修大学神田校舎7号館731教室(3F)
     (〒101-8425 東京都千代田区神田神保 町3-8)
 交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
 
大会参加費 : 無料

私自身は、学問というものが好きです。
何が好き家と言えば、蓄積がきくからです。
知識や理論が蓄積して成熟してく事が可能なのです。

こういう学会発表も好きです。

若い研究者の発表に、学ぶものがあるのです。

この日の3つの研究発表は、大変に刺激的なものでした。

今日、一番学んだ事は、欲望の問題です。

人によって、欲望が違うのですが、
欲望そのものの消失の問題がまず、最初に私の興味を引きました。

アーティストでも、制作の意欲の消える人や、
あるいは何を作ったら良いか分からなくなる人を、
何人も見て来ているのですが、
こういう人の問題です。


 
 1. 研究発表 09:00~11:45  (発表時間30分、質疑応答15分)

 09:00-09:45  石崎 恵子 (お茶の水女子大学大学院博士課程)

「精神分析における『絶対的差異』
       ――西田哲学との対比において」
司会: 伊吹 克己(専修大学)

概要:

ラカンが精神分析の立場として提示した「絶対的差異を得る欲望」とは、
S /対象a」及び「la Loi/les lois」における差異を求めるもので
あるが、この差異を別の角度から「一般/個物」「道徳/宗教」の相違
として捉えていたと考えられる西田幾多郎の説と の対比において、
その分岐点から浮き彫りとなる差異の諸相と、日本におけるその
可能性を探りたい。


石崎恵子さんの発表は、《絶対的な差異》の問題です。

ラカンと西田幾多郎を比較しながらの発表は、
なかなかむずかしいものでした。

《絶対的な差異》とは何か?
彦坂尚嘉的に、分かりやすく要約すれば、それは押井守の
甲殻機動隊に出てくるゴーストの問題です。

人間が自閉するのではなく、自開して行った場合には、
個人は、もはや外部に開かれた情報の交差点であって、
情報網の中にとけ込んで行ってしまいます。

この時に、自分が自分である最小限の差異が、
《絶対的な差異》であり、ゴーストなのです。

彦坂尚嘉の芸術論の根拠は、このゴーストに依拠する
表現を芸術としている事です 

学問が蓄積が出来ると書きましたが、
ゴーストと言う私性は、蓄積がきくのです。
公共性のあるデザインは消費されるのですが、
私性を帯びた芸術作品は、
時間を超えて人に感銘を与える蓄積性があるのです。
このことを今日の多くの人が忘れているのです。


 10:00-10:45  太田 和彦 (東京農工大学農学府)
「宮澤賢治と『師』の機能――『セミネールⅡ:自我』を中心に――」
司会: 福田 肇(フランス・レンヌ第一大学哲学科博士課程)

概要:詩人・宮澤賢治(1987-1936)の心象スケッチ作品には、
ほぼ必ずそれぞれの作成 年月日が記されている。
しかし第三集に収録されている作品1020「野の師父」には、
例外的に草稿を含めてその作成年月日が記されていない――。
これを きっかけとして、賢治の詩作・推敲における「師」の機能を、
ラカンが『セミネールⅡ:自我』で行った「教える者への問い」を主に
参照しつつ考察する。そし て、〈賢治はなぜ推敲し続けたのか?〉
という前回ワークショップからの疑問に、別の視角からの回答を試みる。

太田 和彦さんの発表は、宮沢賢治自身が行っていた
心理学的な探究を問題にし、
興味深いものでした。
宮沢賢次は想像以上に面白い重要な文学者
であったのです。
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山田幸司氏 追悼記録集への追悼文のご寄稿と思い出の写真等のご提供のお願い [告知]

                               2009年12月6日


各位、


                  山田幸司氏 追悼記録集+追悼巡回展 代表発起人

                  五十嵐太郎、北川啓介



山田幸司氏 追悼記録集への追悼文のご寄稿と

                 

                思い出の写真等のご提供のお願い



謹啓


 向寒の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。


 この度、山田幸司氏 追悼記録集+追悼巡回展 発起人一同は、2009年11月20日に、

名古屋市内にて逝去された山田幸司氏を追悼し、


1. 山田幸司氏の建築活動、建築作品、言説等、また、親交のあった方々からの追悼文

   や思い出の写真等を記録したご家族への追悼記録集の制作

2. 山田幸司氏の建築活動、建築作品、言説等と、遺作のダンボール茶室を展示する

   追悼巡回展の開催


の企画を進めております。


 2009年11月20日以降に、山田幸司氏のご家族と何度かお話しているときに、

山田幸司氏のご家族に山田幸司氏の活動等を詳しく知っていただける記録集を残したい、

山田幸司氏のお子様がいつか父のことを詳しく知りたいと思った際に読んでいただける

記録集を残したい、という代表発起人のご家族への想いがきっかけです。


 つきましては、別紙の山田幸司氏 追悼記録集+追悼巡回展 企画書をご一読いただき、

本趣旨にご賛同いただき、追悼文のご寄稿、もしくは、思い出の写真等のご提供をお願い

させていただく次第です。ご寄稿、ご提供いただける方は、限られたお時間の中で大変

恐縮に存じますが、12月25日必着にて、『題名、氏名、本文、写真(文字数、

写真枚数に制限はございません)』をメール等にてお送りいただけますでしょうか。

テキストは本文メールでも構いませんし、写真はウェブサービス等でお送りいただいても

構いません。


 また、今回の追悼記録集+追悼巡回展には、できる限り多くの方から記録を募りたいと

いう山田幸司氏のご家族と代表発起人の意向がございます。是非、多くのお知り合いの方

へお話しいただき、ご寄稿とご提供をいただけますと幸甚に存じます。


 ご多用中大変恐縮ではございますが、何卒ご高配賜りたくお願い申し上げます。



                                    謹白




山田幸司氏 追悼記録集 事務局

〒466-8555 愛知県名古屋市昭和区御器所町

国立大学法人名古屋工業大学大学院工学研究科

准教授 北川啓介

電話:080-4224-4221

メール:kitagawa@kitalab.jp


山田幸司氏 追悼巡回展 事務局

〒176-0021 東京都練馬区貫井5-4-3 マーランド貫井301

松田達建築設計事務所

代表 松田達

電話:050-1188-7325

メール:office@tatsumatsuda.com




タグ:山田幸司
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専修大学に見つけた作品 [日記]

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明日は、日本ラカン協会の総会なので、
神田神保町の専修大学に行って、準備に参加していました。

その専修大学の7号館の1階に、
150号の彦坂尚嘉の「アトラクター・ペインティング」が、
名札抜きでありました。
裏にはサインしているのですが・・・。
無名化してはいますが、私の作品がかかっているのを発見したのです。

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ギャラリー手で発表して、売れていた作品でしたが、
転売されて、この専修大学に入ったのです。
確か、買ったのはギャラリーアポロの秋山さんだったはずです。
アポロさんが額装して納品したのでしょう。

2点組になっている事と、
作品が、自分で言うのも何ですが良く出来ていて、
久しぶりに自分の子供に突然あったような気持ちで、かえって
精神が不安定になりました。


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携帯での撮影なので、色の美しさが出ていません。
良い作品で、自分で感動強いたのですが、
それだけにに、
残ってコレクションされたことは嬉しいですが、
同時に自分が執拗に追い続けているものが、
人間社会の亀裂のようなものを切り裂いて行くところがあって、
感慨深く思います。

どうしようもない亀裂をどうするのか?
人間や社会の秘密を見て、
何を考えるのか?

分けの
分からない事を書いていますが、
年1回の大会の新しい楽しみが出来ました。

タグ:彦坂尚嘉
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アーサー・ラッセ [若い音楽]

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Arthur Russell は、アバンギャルドチェロ奏者としての出で、
前衛音楽や、インド音楽、ミニマリズムなどの音楽にかかわってきた人。


《想像界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の耳で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》
《ハイアート》

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の総合的な芸術音楽

シニフィエとシニフィアンの同時表示

【A級音楽】



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アニマル・コレクティブ [若い音楽]

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Animal Collectiveは、ニューヨークのオルタナティヴロック・バンドです。
非常に新しい音楽で、いままでの分析言語では把握できない芸術です。
下に貼付けた【YouTube画像】の曲は、
テリー・ライーリーの1964年の名作『In C』を思い出させる音です。


《想像界》の耳で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の耳で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の耳で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の音楽
気体音楽

《気晴らしアート》でも《シリアス・アート》でもないもの。
《ローアート》でも《ハイアート》でもないもの。

シニフィエ(記号内容)の音楽。

《非芸術》の音楽。

【A級音楽】でも【B級音楽】でもないもの。

ご参考までに、テリー・ライーリーの1964年の
ミニマルミュージックの名作『In C』を
貼付けておきます。
比較してしまうと、ずいぶん違います。


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来年の予告/栃原比比奈 ジキル&ハイド2重人格展(校正1) [気体分子ギャラリー]

【来年の予告】

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気体分子ギャラリー企画/ギャラリー山口協賛巡回展

栃原比比奈の

ジキル&ハイド2重人格展

Webギャラリー

2010年1月2日(土)〜31日(日) 於:気体分子ギャラリー

http://www.kitaibunshi.com/

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

リアル巡回展

2010年1月2日(土)〜30日(土) 

    於:気体分子アトリエ

       藤沢市亀井野3-23-11


2010年1月25日(月) 〜30日(土)

   於:ギャラリー山口 B1F

      東京都中央区京橋3-5-3京栄ビル



【プレスリリース】

栃原比比奈の初個展です。

栃原比比奈は197733日生まれです。雛祭りの起源といわれるものに「比比奈遊び」というものがあって、栃原は3月3日の雛祭り(ひなまつり)に生まれたので、比比奈(ひいな)という名前を親に付けられたのでした。

 

1997年に多摩美術大学絵画科油画に入学して、

大学4年生の2000年から中野区の知的障害者施設でスタッフとして働き、ダウン症や自閉症、重度の知的障害者などが絵を描くプロセスとその作品の研究しています。


 この研究は2001年に多摩美術大学を卒業しても2003年まで続いていますが、これら知的障害者の絵画には、障害ごとに共通する構造的な特徴が現れている事を発見し、この発見で、ひとつの結論に達して研究を終えます。


 栃原比比奈の作品にある「できやよい」や「草間彌生」といった《ヤヨイ系》の感覚は、この《知的障害者》の美術に芸術の根拠を見る試みをくぐっているところにあると言えるかもしれませんが、向う方向は《ヤヨイ系》とは反対の《正気》に芸術の根拠を見いだして行く運動に反転したのでした。


 ですから栃原比比奈の点描を執拗に打つ事で成立する絵画は、「草間彌生」的というよりは、新印象派のジョルジュ・スーラや、日本でスーラの影響ではなく独自に点描画法に達した岡鹿之助の系譜と言うべきものです。


 そこには自らの比比奈という名の起源である「比比奈遊び」という、男雛と女雛をくっつける遊びが持つ性的な連想が顔を覗かせるのですが、同時に非在感や非実体性を持っていて、現代的な空無の感覚があります。


 一方、栃原比比奈は、大学卒業後に文房具などステイショナリーグッズの会社であるSan-Xサンエックス(株)に、キャラクターデザイナーとして入社するのです。

 今回出品するCOCKY(コッキー)は、入社試験のための作品として生み出されたキャラクターでありました。


 COCKYは、臼井儀人の『クレヨンしんちゃん』や、駅型ショッピングセンターの株式会社ルミネのキャラクターである「ルミ姉」を連想させる、ネガティブ・キャラです。

 COCKYは入社した当時のSan-X常務取締役であった片桐 勇氏に評価されて、栃原はSan-Xに入社することになるのですが、COCKYは、そのあまりのネガティブ・キャラのために、商品としては実現されずにお蔵入りになりました。

 それもあって2年10ヶ月でSan-Xを退社して、油彩画家としてのデビューを目指す事になります。

 

 今回の初個展では、点描画法による作品群と、COCKYというキャラクター絵画という2種類の作品を、同時に発表するものです。それは栃原比比奈が、ロバート・ルイス・スティーヴンソンジのジキル博士とハイド氏という小説にあるような善人と悪人の2重人格者/解離性同一性障害者であることを示しているのかもしれません。


タグ:栃原比比奈
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映画『頭脳警察』など [日記]

昨日は、立教大学大学院の授業を、午後やって、
その後、学生4人と、渋谷でやっている頭脳警察の
ドキュメンタリー映画を見て来ました。

授業でしゃべるというのは、
認識そのものとしては進んでいっていて、
文章で書くよりスピードが上がるという面で、
良いのです。

昨日の皇居美術館の授業では建築を取り上げたのですが、
自分でも驚くのは、
マトリックスで書いて分析をして行くと、
《近代》建築というのは、
「流通建築」と言うべきものです。

だから建築家も、自分のつくった建築が残らないで、
壊されて行く事を認めているのです。

ですから前近代の「古典建築」というものと、
「流通建築」というのは、
同じ建築とは言えないくらいの基盤的な変動があります。
基盤的な変動というのは、材料や工法の変化だけではなくて、
基本的な概念の変動があったと考えられます。

そのことは、絵画や美術にもあったのであって、
《流通美術》というものが、《近代》美術であったのです。
この場合の《流通美術》というのは、美術市場で売って行く美術
という面だけではなくて、
時間論、あるいは歴史論として流通性があったのです。
つまり歴史を「流して」行く必要があって、
それが前のエコールを否定して、次々に新手のイズムを立てて、
美術史を形成して行ったのです。

というような、話を授業で展開しています。

さて、映画『頭脳警察』ですが、
3部作の1を見たのですが、
映画としては《8流》ですが、
パンタが、良かったです。
ロックのシンガーソングライターとして、
傑出していて《超1流》ですし、
何よりも歌がうまいのに、感銘を覚えました。

《超次元》から《第41次元》まであるのですが、
《第1次元 社会的理性領域》だけありません。

さらに《反芸術》《非芸術》《無芸術》はありますが、
《芸術》性はありません。

《第1次元》と《芸術》を欠く事で、
カウンターカルチャーとしての性格を形成しているのです。


タグ:頭脳警察
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「深川いっぷく」の小品と気体分子ギャラリー [アート論]

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彦坂尚嘉 規制されたオートマティズム
シートサイズ:90×130
鉛筆、顔料マーカー

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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《非芸術》《無芸術》《芸術》《反芸術》の4つを持った重層的な芸術

《シリアス・アート》《ハイアート》
《透視画面》

「深川いっぷく」に小品を、置いて来ていた。
けっこう昔から、ここで何かを模索して来たのだが、
なかなか、焦点が合わないで来ていました。

今は閉廊してしまいましたが、ギャラリー手の杉山旭さんからは、
格を落とすから止めろと言われながら、
何かを測定しつつ、模索して来ていたのです。

美術作品には、大中小という差があって、
大きな作品だけを良しとする作家も多くいるのですが、
実はそういうものではなくて、小さい作品というものにも重要な
意味があって、大きい作品を作るのは簡単な人でも、
小さな作品を、あるクオリティで作るのは、
むずかしいのです。

小品がいつの間にか売れてしまって、
「深川いっぷく」の白濱万亀さんから催促を受けていて、
小さな額のドローイングを、
とりあえず《第1次元 社会的理性領域》で20点制作しました。

その後、昨日、《第41次元 戦争領域》と《第1次元》の二重性で、
やはり20点制作しました。

画像撮影が追いついていないので、
全部をアップするのには、もう少し時間がいります。

《非芸術》《無芸術》をきちんと押さえて、
《芸術》《反芸術》を入れて、
4つの芸術を総合的に踏まえたものを集中的に作ったせいか、
40点もの制作というのが、かなり満足のいくものになったのです。

これを年末の気体分子ギャラリーでの、彦坂尚嘉個展として
やろうと思います。

気体分子ギャラリーは、
1月の新年冒頭から、栃原比比奈さんの個展を開催し、
ギャラリー山口の地下の小部屋ですが、1週間巡回をします。

後続けて、田嶋奈保子さん、山本藍子さん、山口俊郎さん等々
を準備しています。
3月には皇居美術館の出版記念美術展。
来年の9月には彦坂尚嘉の個展も予定しています。

作家は見つかるのですが、細かいマネージメントで、
意見がぶつかって離れる人もいるし、
準備に時間がかかることもあって、
遅れていましたが、
ようやく再スタートを出来る段階になって来ています。




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彦坂尚嘉作品/黎の家 [作品と展示]




229Tezuka+Hikosaka04_miyamoto.jpg

越後妻有アートトリエンナーレ2009 大地の芸術祭」出品作 彦坂尚嘉/黎の家作品

撮影:宮本武典+瀬野広美

 

 


229Tezuka+Hikosaka05_miyamoto.jpg

越後妻有アートトリエンナーレ2009 大地の芸術祭」出品作 彦坂尚嘉/黎の家作品

撮影:宮本武典+瀬野広美



越後妻有トリエンナーレの「黎の家」に展示した作品の画像を
アップします。

岡山のイタリア料理店「レオー二」のオーナー福武美津子が経営する
この越後妻有のイタリア料理の支店のための作品です。

つまり福武美津子さんに、作品を5点買い上げてもらっています。
売ってくれたのはアートフロント・ギャラリーです。
これとは別に、最近も一点作品をアートフロントが売ってくれていて、
ギャラリー手が閉廊した以後、
私のメインギャラリーになってくれています。


これは注文を受けて作っているので、
コミッションワークです。
とは言っても、小品5点ですので、
将来は、作品がまた、別の場所にも移動して飾られるとか、
あるいは転売されて行く事を想定して制作されています。

越後妻有トリエンナーレ2009のカタログ制作のために、
写真等の資料を整理したので、公開するものです。

彦坂尚嘉玲の家4.jpg
花のグジャグジャ君  W535×H425×D90mm


彦坂尚嘉玲の家2.jpg
アメーバーのいる水槽 W540×H540×D135mm


I彦坂尚嘉玲の家5.jpg
ウッドペインティング 怪獣の館 W435×H540×D75mm

彦坂尚嘉玲の家3.jpg
アップライト・シー(垂直の海シリーズ) W530×H530×D150mm



彦坂尚嘉例の家1.jpg
ウッドペインティング 海獣  W435×H700×D70mm


レリーフ状の支持体で、3枚パネルの組み合わせです。
この各3枚を、違う『アートの格付け』で描いて組み合わせる事が、
追求されています。
こうした試みは、やはりアートフロントが扱ってくれた作品から
始まっています。

彦坂尚嘉玲の家4.jpg

向って右パネルが《超次元 表現の自立領域》
中央パネルが《第1次元 社会的理性領域》
左パネルが《第6次元 自然領域》




彦坂尚嘉玲の家2.jpg

向って右パネルが《第1次元 社会的理性領域》
中央パネルが《3次元・コミュニケーション領域》
左パネルが《第6次元 自然領域》



I彦坂尚嘉玲の家5.jpg

向って右パネルが《第6次元 自然領域》
中央パネルが《超次元 表現の自立領域》
左パネルが《第1次元 社会的理性領域》


彦坂尚嘉玲の家3.jpg

向って右パネルが《第6次元 自然領域》
中央パネルが《超次元 表現の自立領域》
左パネルが《第6次元 自然領域》


彦坂尚嘉例の家1.jpg

向って右パネルが《超次元 表現の自立領域》
中央パネルが《第6次元 自然領域》
左パネルが《第41次元 戦争領域》


もともと『アートの格付け』は、自分の作品の制作技術として
発達して来ているのです。
最近は特にその傾向が強くて、
美術作品を、『アートの格付け』で制作すると言う、
そういう制作手法になっていると言えます。



タグ:彦坂尚嘉
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