ミケランジェロと《社会芸術》(1)(校正1) [アート論]
ミケランジェロは、高校時代の友人であった画家の遠藤原三(光風会評
議員)が好きで、
かれが大著の画集を買っていて、高校の時から見ていました。
私はイタリアには3回行っていて、
代表作の実物のほとんどを見て来ています。
ミケランジェロ「サン・ピエトロのピエタ」
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の美術。
固体美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
原始立体。お人形。【B級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。
《非芸術》《無芸術》《社会芸術》である。
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《原彫刻》《彫刻》《反彫刻》は無い。
《非彫刻》《無彫刻》《社会彫刻》である。
このバチカンにあるピエタは、
《6流》のお人形にすぎなくて、彫刻になっていないのです。
若きマリアの身体にしても、布のシワは良く彫れていますが、
しかし布のシワの向こう側にあるはずのマリアの肉体は、
まったく彫れていないのです。
キリストの腰骨の構造が彫れていなくて、
下肢の付き方も不自然です。
マリアの骨盤も彫れていなくて、
トータルに見ても、マリアの腰はうまくいっていません。
人体彫刻として、基本を欠いています。
それは実物を見て、まず、感動しないという直接性で来ます。
ミケランジェロの彫刻は、ただの通俗のお人形なのです。
同様のことは、高村光太郎の彫刻にも言えて、
これも《6流》の人形に過ぎないのです。
高村光太郎「手」
《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の美術。
固体美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の美術。
原始立体。お人形。【B級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。
《非芸術》《社会芸術》である。
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《原彫刻》《彫刻》《反彫刻》《無彫刻》は無い。
《非彫刻》《社会彫刻》である。
高村光太郎のこの有名な手で、一番ひどいのは、手首です。
手首が、この彫刻では作られていない腕の部分への延長性が、
まるで作られていない。
指の肉の中にあるはずの骨の骨格関係も、まるで構造化されていなくて、
親指と、人差し指の関係もできていない。
彫刻としては、《透視立体》性を欠いていて、
《原始立体》に過ぎないのです。
ミケランジェロには《無芸術》《非芸術》《社会芸術》の
3つの芸術性がありましたが、
高村光太郎には、《無芸術》性が無くて、
《非芸術》と《社会芸術》性だけです。
つまり高村光太郎は、ミケランジェロよりも落ちるのです。
これらとの違いを明らかにするために、ドナテッロを見ておきましょう。
イタリアに旅行して感動するのは、
ドナテッロの彫刻の美しさと圧倒性です。
ドナテッロ「St. George」
《想像界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。
《シリアス・アート》《ハイアート》
シンーニュの美術。
《透視立体》。彫刻。【A級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》
《無芸術》《非芸術》《社会芸術》
のすべてがある。
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《原彫刻》《彫刻》《反彫刻》
《無彫刻》《非彫刻》《社会彫刻》
のすべてがある。
この像の足下のレリーフです。
ドナテッロの方が、ミケランジェロよりも前のひとです。
ドナテッロは、1386年 - 1466年。
ミケランジェロが、 1475年 - 1564年。
誕生年での差は89年あります。
つまりミケランジェロは、ドナテッロの影響を受けていたのです。
ドナテッロの方は、典型的な《超1流》の彫刻家で、
ミケランジェロは、典型的な《第6次元》《6流》の彫刻家です。
この差があるからこそ、ミケランジェロの方が圧倒的に有名で、
後世のさまざまな人々に大きな影響も与えているのです。
ここに芸術の秘密があります。
つまり、《社会芸術》の方が、社会的には大きな力を持っているのです。
《原芸術》
《芸術》《反芸術》
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《無芸術》《非芸術》
《社会芸術》
こういう芸術の上部構造と、下部構造があって、
社会的には、下部構造だけを満たす《第6次元》の
ミケランジェロが、社会的な勝利を納めると言う結果に
なるのです。
だから、「下部構造だけで良いのだ」と考える人は
多くいます。
私が座談会を美術手帖でやった会田誠さんもそういう
下部構造アーティストですが、
彼も社会的に勝利を収めた割には、不安があって、
芸術が分からないという不安があるのです。
芸術の秘密は、下部構造の勝利者には、理解ができないもの
なのではないでしょうか。
ミケランジェロと《社会芸術》2
これらとの違いを明らかにするために、ドナテッロを見ておきましょう。
イタリアに旅行して感動するのは、
ドナテッロの彫刻の美しさと圧倒性です。
しかしこういう批評性は、彫刻を芸術としての上部構造から
批判的に見ているのです。
反対の《社会芸術》《社会彫刻》から見れば、
実は高い評価があるのです。