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映画『頭脳警察』など [日記]

昨日は、立教大学大学院の授業を、午後やって、
その後、学生4人と、渋谷でやっている頭脳警察の
ドキュメンタリー映画を見て来ました。

授業でしゃべるというのは、
認識そのものとしては進んでいっていて、
文章で書くよりスピードが上がるという面で、
良いのです。

昨日の皇居美術館の授業では建築を取り上げたのですが、
自分でも驚くのは、
マトリックスで書いて分析をして行くと、
《近代》建築というのは、
「流通建築」と言うべきものです。

だから建築家も、自分のつくった建築が残らないで、
壊されて行く事を認めているのです。

ですから前近代の「古典建築」というものと、
「流通建築」というのは、
同じ建築とは言えないくらいの基盤的な変動があります。
基盤的な変動というのは、材料や工法の変化だけではなくて、
基本的な概念の変動があったと考えられます。

そのことは、絵画や美術にもあったのであって、
《流通美術》というものが、《近代》美術であったのです。
この場合の《流通美術》というのは、美術市場で売って行く美術
という面だけではなくて、
時間論、あるいは歴史論として流通性があったのです。
つまり歴史を「流して」行く必要があって、
それが前のエコールを否定して、次々に新手のイズムを立てて、
美術史を形成して行ったのです。

というような、話を授業で展開しています。

さて、映画『頭脳警察』ですが、
3部作の1を見たのですが、
映画としては《8流》ですが、
パンタが、良かったです。
ロックのシンガーソングライターとして、
傑出していて《超1流》ですし、
何よりも歌がうまいのに、感銘を覚えました。

《超次元》から《第41次元》まであるのですが、
《第1次元 社会的理性領域》だけありません。

さらに《反芸術》《非芸術》《無芸術》はありますが、
《芸術》性はありません。

《第1次元》と《芸術》を欠く事で、
カウンターカルチャーとしての性格を形成しているのです。


タグ:頭脳警察
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