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欲望の奇怪さ/美術家とコレクター [生きる方法]

ピクチャ 1.png

美術家の場合はクライアントがコレクターという事になると思いますが、
「施主」のように具体的に顔が見えない分難しいですね。
自分の中もつ観客がどのような存在なのか、如何に多くの眼差しを取り込めるかが重要なようですね。 
by 丈 (2009-12-08 14:23)  

丈様

コレクターというのは、具体的に顔が見えるのです。
私自身、何人ものコレクターを知っているし、付き合って
来ているのです。

作品を買うコレクターの全部が顔が見えるのではないのですが、
具体的に存在していて、顔は見えるのです。

分かりやすく言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチに作品を注文
していた人々は、顔が見える人々でした。

狩野永徳に作品を注文した織田信長は、顔の見える存在で、
実際に永徳は、織田信長の肖像画を描いています。

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ゴヤやティツィアーノに肖像画を注文した人々の顔も、
彼らに見えていたのです。


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レンブラントに「夜警」の絵を注文した『フランス・バニング・コック
隊長の市警団』の人々の顔も、レンブラントには見えていたのです。

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ピカソの場合にも、実はコレクターの顔が見えていたのです。
ピカソは、手紙をすべて残したのですが、
これをすべて読んだ研究書があって、
日本語に翻訳されています。
『ギャラリーゲーム』(淡交社)という本です。
これによると、ピカソは、新しいコレクターが登場すると、
その人に合わせて、作品を変えているのです。

ピカソの全レゾネというのは、私は見ていませんが、
キュービズムの時期の9年間のレゾネは買って持っています。
これを見て行くと、かなり不思議な作品展開をしているのですが、
その理由は『ギャラリーゲーム』を読むと、理解できるものになります。
コレクターとの関係で作品が変化しているのです。

メープルソープとコレクターの関係は映画になっていますが、
私はまだ見ていません。


ピクチャ 1.png

村上隆さんの発言を読んでいても、コレクターが武器商人で嫌になった
とか等々の発言があって、コレクターの顔が見えている事が分かります。

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多くの美術家は、実は作品を売りたいとは思っていないのです。
このことは重要です。
なぜなら、自分の欲望によって作品を作りたいと思っているからです。
他人の欲望を排除したいと考えているのです。
つまり自分を愛しているが故に、他者を排除したいのです。
他者を排除するが故に、コレクターはいなくなるし、
コレクターの顔も見えなくなるのです。

他者の欲望を排除したいと言うナルシズムに身をゆだねると、
他者はいなくなります。
だからコレクターの顔が見えなくなるのです。

根本にあるのは、
ナルシズムという欲望の奇怪さです。

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人間の社会は、他人が欲望を持っている事を認める事で成立しています。

他人の欲望を満たす事で、ビジネスは成立しているのです。

この他人の欲望を切り捨てて、
他者を排除する事で、純粋な芸術を成立させようとしたのが、
モダンアートであったのです。
そのことは、豊かな成果を上げたと思います。
しかし、この方法が自明化し、飽和した時に、限界に達したのです。
そして崩壊したのです。

この崩壊は、芸術上の崩壊であっただけではなくて、
軍事上の崩壊でもあったのです。
ベトナム戦争に、なぜ、圧倒的な軍事力のあるアメリカが負けたのか?
それは他者を排除して、ベトナムの人々の欲望を理解
しなかったからです。
この無理解さは、コッポラの『地獄の黙示録』に、見事なまでに
描かれています。

他者を排除し、他者への認識を失う時に、破綻がやってくるのです。

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田中日佐夫氏の名著に『日本美術の演出者―パトロンの系譜』というの
があります。
私はこの本を学生時代に読んで、大きな影響を受けています。






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