カスヤの森現代美術館への出品作品(加筆1) [気体分子ギャラリー]
カスヤの森現代美術館での
彦坂尚嘉作品の販売
1 5000円、5500円、6000円の品ですが、3点小品を
横須賀にあるカスヤの森現代美術館で開かれている、
アートマーケットに出品しています。
http://www.museum-haus-kasuya.com/index00.htm
2 カスヤの森現代美術館は、若江漢字さんという1970年代
アーティストがやっている美術館です。
わかえかんじ 若江漢字 |
若江漢字さんの、1970年代前後のバーチャルリアリズムの写真作品は、
たいへんすぐれたもので《超1流》です。私の評価は高いのです。しかし《超次元》の作家であるが故に、理解されにくい作家で、正当な評価が確立されてないように思えます。
ボイスを尊敬している方ですが、ボイスは、彦坂尚嘉の『アートの格付け』では《5流》に過ぎなくて、若江漢字さんの方が《超1流》で格が高い作家なのですが、なかなか個性の強い人柄で屈折していて、自分の才能を素朴には展開できなかったように、私には見える人です。
そのことが、作家でありながら美術館を建設して、しかも維持して展開するという希有な活動をなさることになります。
その意味で、非常に新しい今日性を持っているアーティストなのです。
神奈川近代美術館と国際芸術センター青森で、個展をなさっています。
私としては、これをきちんとした学問的な回顧展でやって欲しかったのですが、日本の学芸員は学問的にひ弱なので、そうはならずに新作を中心とした個展形式でした。
残念!
最近つくっているドローイングの様な作品や版画を、鎌倉ドローイングギャラリーで見ましたが、これも芸術的には《超1流》ですぐれています。
しかし無愛想で売れないだろうタイプの作品ですが、私は好きです。
《芸術》《反芸術》である。
《原芸術》《非芸術》《無芸術》が無い。
3
さて、私の出品作です。
額付きで、5500円
オリジナルドローイング。顔料マーカ、鉛筆、色鉛筆。
紙サイズ:130×89㎜
額サイズ:161×121㎜
ただし、額は木ですが、透明なプラスチックが入っているために
《想像界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。
《象徴界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。
《現実界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
ただし《サントーム》はない。
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアンとシニフィエ(記号内容)の同時表示美術
キッチュと純粋芸術の同時表示美術
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【 A級美術】
《原芸術》《芸術》《反芸術》
額付きで、6000円
オリジナルドローイング。顔料マーカ、鉛筆、鉛筆。
紙サイズ:130×89㎜
額サイズ:161×121㎜
お願いいたします。
4
ルネッサンスのアーティストと《原芸術》 [アート論]
ひとつ質問があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のような写実的な絵画にも原芸術はあるのでしょうか?
キース・へリングと《原芸術》 [アート論]
キース・へリングと《原芸術》
1
キース・へリングは、私は好きなのです。
それもあって、グラフィティは好きです。
とは言っても、原始脳によって作られているので、
そういう下品さは強くありますが。
この頃、アメリカの地下鉄は、車両の外も、内側の天井から床まで、グラフィティに埋め尽くされて、もの凄い状態だったのです。この地下鉄に何度も乗る経験を、私はくぐっているのです。
私の『規制されたオートマティズム』という手法は、しかしグラフィティの影響で生まれたのではありません。系譜的には柏原えつとむの『ミスタX』、幸村真佐男のコンピューターアート、そして関根伸夫の位相作品シリーズの系譜という、多摩美大の先輩人脈の中から生まれて来たものです。
しかし、その根本にあるのは、ミニマリズムの内側から、《近代》を乗り越えようと刷る姿勢であって、そのことは、絵画の根源的な根拠を、いたずら描きに求めるグラフィティに通ずるものがあるのです。
2
キースへリングの作品は、何回も実物を見ていますが、アメリカで回顧展的に展示されているものも見ました。回顧的に見ると、物足りないと言うか、作家の作品としては浅すぎて、辛いところがあります。
3
今回、キースへリングを取り上げたのは、私の新しい概念装置である《原芸術》というのが、なかなか威力があって、作家/作品分析が驚異的に進んだのですが、その中で、キースへリングを分析してみて、驚くべき結果が出たのです。
4
キースへリングの作品には、グラフィティと言っても理性脳の作品で、普通のグラフィティではありません。
《芸術》《反芸術》というモダンアート特有の構造はなくて、《非芸術》《無芸術》というポストモダンの構造があります。それだけなら驚かないのですが、何と《原芸術》があるのです。普通のグラフィティには《原芸術》はありませんから、ずいぶんと違う表現なのです。
ここから私が性急に導きだす事は、もしかすると《原芸術》の有無こそが、芸術の重要な構造ではないのだろうか? という事です。
キースへリングの《非芸術》《無芸術》と、《原芸術》の組み合わせは、刺激的な実例だと言えます。