キース・へリングと《原芸術》 [アート論]
キース・へリングと《原芸術》
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キース・へリングは、私は好きなのです。
それもあって、グラフィティは好きです。
とは言っても、原始脳によって作られているので、
そういう下品さは強くありますが。
この頃、アメリカの地下鉄は、車両の外も、内側の天井から床まで、グラフィティに埋め尽くされて、もの凄い状態だったのです。この地下鉄に何度も乗る経験を、私はくぐっているのです。
私の『規制されたオートマティズム』という手法は、しかしグラフィティの影響で生まれたのではありません。系譜的には柏原えつとむの『ミスタX』、幸村真佐男のコンピューターアート、そして関根伸夫の位相作品シリーズの系譜という、多摩美大の先輩人脈の中から生まれて来たものです。
しかし、その根本にあるのは、ミニマリズムの内側から、《近代》を乗り越えようと刷る姿勢であって、そのことは、絵画の根源的な根拠を、いたずら描きに求めるグラフィティに通ずるものがあるのです。
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キースへリングの作品は、何回も実物を見ていますが、アメリカで回顧展的に展示されているものも見ました。回顧的に見ると、物足りないと言うか、作家の作品としては浅すぎて、辛いところがあります。
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今回、キースへリングを取り上げたのは、私の新しい概念装置である《原芸術》というのが、なかなか威力があって、作家/作品分析が驚異的に進んだのですが、その中で、キースへリングを分析してみて、驚くべき結果が出たのです。
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キースへリングの作品には、グラフィティと言っても理性脳の作品で、普通のグラフィティではありません。
《芸術》《反芸術》というモダンアート特有の構造はなくて、《非芸術》《無芸術》というポストモダンの構造があります。それだけなら驚かないのですが、何と《原芸術》があるのです。普通のグラフィティには《原芸術》はありませんから、ずいぶんと違う表現なのです。
ここから私が性急に導きだす事は、もしかすると《原芸術》の有無こそが、芸術の重要な構造ではないのだろうか? という事です。
キースへリングの《非芸術》《無芸術》と、《原芸術》の組み合わせは、刺激的な実例だと言えます。
原芸術という概念、すごく興味深いと思いました。
ひとつ質問があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のような写実的な絵画にも原芸術はあるのでしょうか?
by kar(raoyan) (2009-12-14 01:25)
kar(raoyan) 様
コメントありがとうございます。
レオナルド・ダ・ヴィンチを含めてルネッサンスのアーティストをまとめて、別のブログで分析をしてみます。
by ヒコ (2009-12-14 02:09)