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《原芸術》と《社会芸術》の統合という新しいアート(改題加筆2) [アート論]

佐藤大輔さんから、コメントをもらいました。
佐藤大輔さんは、多摩美術大学絵画科油彩の4年生の学生で、
立教大学大学院の彦坂の講義を聴きに来てくれている人です。

かっこいいドローイングですね。
昔の作品よりも意識の幅が拡張されているのがわかる気がします。

質問があります。
クオリティーコントロールがより細かくなってきているように見受けられますが、超次元を3点ともに抜いているのはやはり買う人のことを意識してのことですか?

タイトルにボストンとかオレンジレンジとか入ってるのは、音楽を聴いてインスピレーションを得ているんですか?


by 佐藤大輔 (2009-12-14 22:46)  

佐藤大輔様
コメントありがとうございます。
 
 《超次元》を抜いている理由ですが、私の芸術観の根本の問題です。
 
 私自身は、《超1流》の作品が好きです。《超1流》というと、「私には関係がない」と思う人も多いとは思いますが、しかし阿修羅像は《超1流》で、しかも多くの人々に愛されています。現在のシャネルのブランドものも《超1流》です。ですから《超1流》は、多くの人々の欲望でもあるのです。私のアトリエの近くには山岸 一雄の大勝軒系のつけ麺のラーメン屋があって、そこは《超1流》ですが、毎日列ができています。
 《超次元》や、その反転した領域である《第41次元》が彦坂尚嘉は好きなのだから、《超次元》や《第41次元》だけの作品を彦坂は作るべきである、というのが、分かりやすいとは思います。しかし、そう単純には考えないのが、彦坂尚嘉の分かりずらさなのです。

 つまり《超次元》《第41次元》であれば、何でも良いのか?という疑問はあって、このブログでも、実は何回か、論争的に書いて来ています。

 私の芸術史観では、《第6次元 自然領域》の原始美術の時代を、文字という道具=リテラシーを発明する事で抑圧して、《第1次元 社会的理性領域》の芸術が生まれます。
 
 ですから芸術史的には、《第1次元》の芸術の成立が重要であって、私の私見では、《第1次元》を欠く事が出来ないのです。
 
 マティスは、ほとんどが《第1次元 社会的理性領域》の作品で、約5点程度しか《超1流》の作品はありません。日本美術史上、最高の世界評価を得ている葛飾北斎も、実に多くの《第1次元 社会的理性領域》の作品を作っています。

 全人類の歴史的に見て行くと、芸術であることの基本は、《第1次元》に有る事が観測されるのです。このオーソドックスな事実を、私は無視できないのです。

 つまり《第1次元》を欠いて、《超次元》を成立させる菊竹清訓の建築や湯浅譲二、さらには小谷元彦や籔内 佐斗司のような芸術方法には、その魅力や成果を少しは認めはしますが、根本において同意できないものを感じます。

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菊竹清訓『九州国立博物館』
《想像界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》

《原芸術》《芸術》《非芸術》《無芸術》は無い。
《反芸術》《社会芸術》の建築。

ここで、最後に出てくる《社会芸術》という概念は、
その名称からも分かりずらいのですが、《原芸術》という概念の
反対のものです。
内容的には、現在の社会性において成立する芸術であって、
歴史的な遡行性を欠いているものです。
「真昼の芸術」と言うべきもので、社会的常識に明確にはまる、
明瞭な表現です。そこには闇や、わからなさや、外部性がないのです。
芝居で言えば劇団四季のような、表現です。



湯浅譲二の実験音楽
《想像界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》だけの《真性の芸術》

《原芸術》《芸術》《非芸術》《無芸術》は無い。
《反芸術》《社会芸術》の音楽。

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小谷元彦の作品

《想像界》の眼で《超次元》だけのデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》だけのデザイン的エンターテイメント

《原芸術》《芸術》《非芸術》《無芸術》は無い。
《反芸術》《社会芸術》の音楽。



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籔内 佐斗司の作品


《想像界》の眼で《超次元》だけのデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》だけのデザイン的エンターテイメント

《原芸術》《芸術》《非芸術》《無芸術》は無い。
《反芸術》《社会芸術》の音楽。


 あるいは反対に意識的に《第1次元 社会的理性領域》を抜いて表現するスージー&バンシーズや、清志郎のようなカンターカルチャー系の芸術構造も、その成果は評価しますが、私自身は歴史家ですので、自分の作品としては取り得ません。 
 
 日本という極東の僻地で芸術を追求しようとすると、ひとつは原始美術への退化を示す婆娑羅主義なのです。岡本太郎の『重工業』(1949年)という作品から始まる敗戦後の日本現代美術の流れも、私はも否定的に見るので、そうするとむしろ《第1次元 社会的理性領域》を中心に据えて、さらにそこに《第41次元》という闇の世界を同時表示して行くことを、戦略として取ります。
 
 もうひとつの理由は、カスヤの森現代美術館に出品したのは、小さくて安い作品ですので、早く、効率よく制作しないと、赤字になってしまいます。そういう場合、《第1次元 社会的理性領域》というのは、実は早く効率よく制作できる領域なのです。それに対して《超次元》というのは、手間のかかる領域です。《超次元》までの制作は、高額の作品でないとできません。
 
 それと《第1次元 社会的理性領域》というのは、人々が愛する領域なのです。《愛》というのは《第1次元 社会的理性領域》にしかありません。人々の愛する作品を作りたければ、《第1次元 社会的理性領域》が一番重要なのです。 


 長々と書きましたが、《第1次元 社会的理性領域》というものを忌避する人々がいる事も知っているし、そういう表現が持つ面白さや深い意味を評価はしますが、私自身は、《第1次元 社会的理性領域》を受け入れた上での《超次元》や《第41次元》の表現の自立性を追求します。
 さらにそれは《原芸術》と同時に、《原芸術》とは対極にある《社会芸術》とも言うべき自然的態度の視覚をも視野に入れる事で、この正反対の《原芸術》と《社会芸術》の統合としての情報界社会の【サントーム・アート】を、新しさとして制作して行きたいと思います。
 したがって、小さな作品ですが、芸術概念の6形態すべてを統合したものとして作品を制作しえるようになったのです。

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【彦坂尚嘉責任の芸術分析】

《原芸術》《芸術》《反芸術》
    《非芸術》《無芸術》《社会芸術》のすべてがある

 ご質問の最後の音楽の事ですが、音楽を聴いて考えるのは大好きです。オレンジレンジも、子供が聴いていたからですが、《第3次元》と《第6次元》の2種類を混ぜたバンドで、音楽的にはデザイン的エンターテイメントですが、結構真面目に聞いて分析しています。
 
 ボストンは、音楽評論家の渋谷陽一が批判した《産業ロック》を始めたバンドです。プログレッシブロックが、《第1次元 社会的理性領域》だけに特化することで、商業化するという道を切り開いたバンドです。しかし、その音楽性の高さと完成度は、決して否定する事のできないものです。私は高く評価するものです。
 

 シド・バレットは、ピンクフロイドの第一期のリーダーで、非常にすぐれている天才ミュージッシャンです。しかも後に発狂したミュージシャンです。シド・バレットが、ピンクフロイドを追放された後に2枚のソロアルバムを制作しています。そこには1980年代に先駆けて、1970年の帽子が笑う…不気味に』(原題:The Madcap Laughs)で、《第41次元》の音楽が、非常に早くに出現して来ています。私はこのアルバムが大好きです。


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カスヤの森現代美術館への出品作品(加筆1) [気体分子ギャラリー]


規制された自動記述と見立て115372.jpg


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カスヤの森現代美術館での

      彦坂尚嘉作品の販売

 

 

1      5000円、5500円、6000円の品ですが、3点小品を

 横須賀にあるカスヤの森現代美術館で開かれている、

 アートマーケットに出品しています。

 http://www.museum-haus-kasuya.com/index00.htm

2      カスヤの森現代美術館は、若江漢字さんという1970年代

アーティストがやっている美術館です。


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わかえかんじ
若江漢字
    1944年、神奈川県横須賀市に生まれる。1970年代、アムステルダム市立美術館アトリエ・ヴォルフスブルグ市立美術館アトリエの招待作家として滞在。1982~83年、文化庁芸術家在外研修員として西ドイツ・ヴッパタール総合制大学に学ぶ。カスヤの森現代美術館主宰。


若江漢字さんの、1970年代前後のバーチャルリアリズムの写真作品は、

たいへんすぐれたもので《超1流》です。私の評価は高いのです。しかし《超次元》の作家であるが故に、理解されにくい作家で、正当な評価が確立されてないように思えます。

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ボイスを尊敬している方ですが、ボイスは、彦坂尚嘉の『アートの格付け』では《5流》に過ぎなくて、若江漢字さんの方が《超1流》で格が高い作家なのですが、なかなか個性の強い人柄で屈折していて、自分の才能を素朴には展開できなかったように、私には見える人です。

そのことが、作家でありながら美術館を建設して、しかも維持して展開するという希有な活動をなさることになります。


その意味で、非常に新しい今日性を持っているアーティストなのです。

神奈川近代美術館と国際芸術センター青森で、個展をなさっています。

私としては、これをきちんとした学問的な回顧展でやって欲しかったのですが、日本の学芸員は学問的にひ弱なので、そうはならずに新作を中心とした個展形式でした。

残念!

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最近つくっているドローイングの様な作品や版画を、鎌倉ドローイングギャラリーで見ましたが、これも芸術的には《超1流》ですぐれています。

しかし無愛想で売れないだろうタイプの作品ですが、私は好きです。


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《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
               ただし《第1次元》がない。
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の芸術》

《想像界》の美術
液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

《芸術》《反芸術》である。

《原芸術》《非芸術》《無芸術》が無い。


3 


さて、私の出品作です。

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彦坂尚嘉 規制されたオートマティズム/ボストン

【彦坂尚嘉責任の芸術分析】

《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
           ただし《超次元》と2〜41次元は無い。
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
           ただし《超次元》と2〜41次元は無い。
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》             
           ただし《超次元》と2〜41次元は無い。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
              ただし《サントーム》はない。
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアンとシニフィエ(記号内容)の同時表示美術
キッチュと純粋芸術の同時表示美術
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【 A級美術】


《原芸術》《芸術》《反芸術》
    《非芸術》《無芸術》《社会芸術》のすべてがある

額付きで、5000円
オリジナルドローイング。顔料マーカ、鉛筆
紙サイズ:130×89㎜
額サイズ:161×121㎜
彦坂尚嘉責任の芸術分析が裏に貼ってあります。

ただし、額は木ですが、透明なプラスチックが入っているために
将来的に劣化します。転売をお考えの方は、早めに2ミリのガラス
にお客様自身で変更なさる事をお薦めします。

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規制された自動記述と見立て10972.jpg
彦坂尚嘉 規制されたオートマティズムと《見立て》
    /オレンジレンジ

【彦坂尚嘉責任の芸術分析】

《想像界》の眼で《第1次元》と《第3次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜41次元は無い。
《象徴界》の眼で《第1次元》と《第3次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜41次元は無い。
《現実界》の眼で《第1次元》と《第3次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜41次元は無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
              ただし《サントーム》はない。
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアンとシニフィエ(記号内容)の同時表示美術
キッチュと純粋芸術の同時表示美術
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【 A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》
    《非芸術》《無芸術》《社会芸術》のすべてがある

額付きで、5500円
オリジナルドローイング。顔料マーカ、鉛筆、色鉛筆。
紙サイズ:130×89㎜
額サイズ:161×121㎜
彦坂尚嘉責任の芸術分析が裏に貼ってあります。

ただし、額は木ですが、透明なプラスチックが入っているために
将来的に劣化します。転売をお考えの方は、早めに2ミリのガラス
にお客様自身で変更なさる事をお薦めします。

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規制された自動記述と見立て112172.jpg

 

彦坂尚嘉 規制されたオートマティズムと《見立て》
    /シド・バレット
【彦坂尚嘉責任の芸術分析】

《想像界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。
《象徴界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。
《現実界》の眼で《第1次元》と《第41次元》の《真性の芸術》
         ただし《超次元》、2、4〜31次元は無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
              ただし《サントーム》はない。
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアンとシニフィエ(記号内容)の同時表示美術
キッチュと純粋芸術の同時表示美術
《透視画面》オプティカル・イリュージョン【 A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》
    《非芸術》《無芸術》《社会芸術》のすべてがある

額付きで、6000円
オリジナルドローイング。顔料マーカ、鉛筆、鉛筆。
紙サイズ:130×89㎜
額サイズ:161×121㎜
彦坂尚嘉責任の芸術分析が裏に貼ってあります。

ただし、額は木ですが、透明なプラスチックが入っているために
将来的に劣化します。転売をお考えの方は、早めに2ミリのガラス
にお客様自身で変更なさる事をお薦めします。

以上3点の作品のご購入は、カスヤの森現代美術館にて
お願いいたします。
 

4



カスヤの森現代美術館の近くには、
神奈川県立近代美術館の葉山館や、
横須賀美術館もありますので、1度はお越し下さるように、
お願いいたします。

カスヤの森現代美術館の無料入場券付きの招待状を
お送りします。
ご希望の方は、下記に無料入場券希望と書いて、
住所をお知らせください。
hiko@ja2.so-net.ne.jp

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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ルネッサンスのアーティストと《原芸術》 [アート論]

原芸術という概念、すごく興味深いと思いました。
ひとつ質問があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のような写実的な絵画にも原芸術はあるのでしょうか?

by kar(raoyan) (2009-12-14 01:25)  

kar(raoyan) 様コメントありがとうございます。 レオナルド・ダ・ヴィンチを含めてルネッサンスのアーティストをまとめて、別のブログで分析をしてみます。



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キース・へリングと《原芸術》 [アート論]


キース・へリングと《原芸術》

 

1

キース・へリングは、私は好きなのです。

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《想像界》の眼で《第3次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン的人格
《現実界》の眼で《第3次元》の《真性の人格》

《想像界》の人格
気体人間
《気晴らし人間》
《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』

 


それもあって、グラフィティは好きです。

とは言っても、原始脳によって作られているので、

そういう下品さは強くありますが。

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《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》デザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》デザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》デザイン的エンターテイメント

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《気晴らしアート》《ローアート》

原始脳の美術

《非-実体性》の有る美術

シニフィエ(記号内容)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。
《非芸術》《無芸術》はある。


1981年〜82年にかけて、私は文化庁の在外研修員でアメリカに留学していた時に、ニューヨークの地下鉄の生に描かれているキースへリングの絵を見ています。ヴィトゲンシュタインを読んでいる落書き小僧だと聞いていました。


 

この頃、アメリカの地下鉄は、車両の外も、内側の天井から床まで、グラフィティに埋め尽くされて、もの凄い状態だったのです。この地下鉄に何度も乗る経験を、私はくぐっているのです。


私の『規制されたオートマティズム』という手法は、しかしグラフィティの影響で生まれたのではありません。系譜的には柏原えつとむの『ミスタX』、幸村真佐男のコンピューターアート、そして関根伸夫の位相作品シリーズの系譜という、多摩美大の先輩人脈の中から生まれて来たものです。


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しかし、その根本にあるのは、ミニマリズムの内側から、《近代》を乗り越えようと刷る姿勢であって、そのことは、絵画の根源的な根拠を、いたずら描きに求めるグラフィティに通ずるものがあるのです。

 2

cuar01_haring0811.jpg

 

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キースへリングの作品は、何回も実物を見ていますが、アメリカで回顧展的に展示されているものも見ました。回顧的に見ると、物足りないと言うか、作家の作品としては浅すぎて、辛いところがあります。

3

今回、キースへリングを取り上げたのは、私の新しい概念装置である《原芸術》というのが、なかなか威力があって、作家/作品分析が驚異的に進んだのですが、その中で、キースへリングを分析してみて、驚くべき結果が出たのです。

Keith_Haring3.jpg

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《想像界》の眼で《3次元・コミュニケーション領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第8次元 信仰領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で3次元・コミュニケーション領域》の《真性の芸術》

《想像界》の表現
気体美術

《気晴らしアート》《ローアート》

理性脳の美術

《非-実体性》の有る美術

シニフィエ(記号内容)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』
【B級美術】

《芸術》《反芸術》は無い。
《原芸術》はある。
《非芸術》《無芸術》はある。

 

4

キースへリングの作品には、グラフィティと言っても理性脳の作品で、普通のグラフィティではありません。

《芸術》《反芸術》というモダンアート特有の構造はなくて、《非芸術》《無芸術》というポストモダンの構造があります。それだけなら驚かないのですが、何と《原芸術》があるのです。普通のグラフィティには《原芸術》はありませんから、ずいぶんと違う表現なのです。

 

ここから私が性急に導きだす事は、もしかすると《原芸術》の有無こそが、芸術の重要な構造ではないのだろうか? という事です。

 

キースへリングの《非芸術》《無芸術》と、《原芸術》の組み合わせは、刺激的な実例だと言えます。

 

 


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2009-12-13


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1960年代 -現代美術の転換期


共催 東京国立近代美術館
会期 2月10日(水)~3月14日(日)
入場者数 総数 8,336人(一日平均 287人)
 日本の1960年代は、通信交通機関の急速な発達、科学技術の革新、社会の都市化現象などを反映しながら、社会、文化全体が目まぐるしく展開した時代であった。わが国の美術においても、国際的な美術動向に対応した新しい局面が次々と現われ、既成の美術概念そのものに大きな変化が生じた時期であった。この時代の動向や要素が、以後の日本の現代美術の展開に決定的な影響と方向づけを与えたともいえる。近年、世界的にも第2次大戦後の美術を再検討しようとする気運が高まっているが、本展は1960年代を日本の現代美術の転換期としてとらえ、この時期の動向を再検証するとともに、今日の美術との関連を示唆しようと試みたものであった。抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップ・アート、ミニマル・アート、キネティック・アートなどの多様な展開を示すために、その典型的作例として72作家121点の作品が展示された。会場や展示の限界などにより、60年代美術の全貌を示すことは不可能であったが、少なくとも60年代美術の動向へ、作品に則した一つの視点を提示するものであった。
 この展覧会を契機として60年代美術に対する多方面からの論議が生じたが、この時期について様々な角度からの検証を行なうことが、新たな価値観と視点を生み出すものになることが望まれる。
 なお本展は、東京国立近代美術館の昭和56年度特別展として企画されたものである。



出品目録
作家名題名制作年寸法(cm)材質・形状
田淵安一夜すぎる1961129×195.5油彩・キャンバス
今井俊満勝利1963195×114
堂本尚郎連続の熔解 64-101964162×130
田中敦子作品 631963193.5×122.5油彩・合板
白髪一雄天慧星●命三郎(水滸伝豪傑の内)1964183×274油彩・キャンバス
元永定正作品 66-11966274×424
杉全 直作品 11(眼)1960114×145
作品 5(きっこう)1961162×130
村井正誠長い脚1964183.5×227
難波田龍起コンポジション1965182×227
津高和一1961162.1×112.1
小野忠弘グリン・プリース・グラス1966120.8×196.2油彩・アクリル・合板
萩原英雄195959.7×41.7木版・紙
石の花(赤)196089.5×59
お伽の国 No.1196660.3×91
荒川修作作品(3点)196062.2×42.7×13.3セメント・布・木箱
細部としてのデュシャンの硝子のあるダイヤグラム1964230×168×57アッサンブラージュ
時間の前後1965225.8×161.9油彩・鉛筆・色鉛筆・キャンバス
出会いの図式1965100×230油彩・キャンバス
工藤哲己増殖性連鎖反応1957-58240(h)ひも・釘・木他
平面循環体に於ける融合反応1959170(h)彩色したひも・鉄
複合体のルーレット196299×99×21アッサンブラージュ
若い世代への讃歌一彌は開く1968120(h)
草間繭生ネット・アキュミレーション1958162×390油彩・キャンバス
スタンプの集積 #63196260.3×73.6コラージュ
終りなき愛1964(1981再制作)177.5×75×75布・鏡・木
白夜1980300(W)アッサンブラージュ
伊藤隆康無限空間 4-621962150×150石膏・合板
無限空間 6-62
中西夏之1959113.5×92ラッカー・エナメル・砂・合板
1960145.5×112.5
コンパクト・オブジェ(卵)(8点)196218~23(W)ポリエステル樹脂他
韻 '63(2点)196315×25×15ペイント・エナメル・石膏
洗濯バサミは攪乱行動を主張する(4点)1963(各)116.9×91アルミ・ひも・キャンバス
コンパクト・オブジェ(卵)(2点)1962(1965再制作)
高松次郎点(No.1)196117×13×10ラッカー・針金・金属板
196143×37×28ラッカー・針金
ビンの紐1962 紐・ビン
椅子にかけた男の影1965222×179ラッカー・合板
遠近法の椅子とテーブル1966-67122×210×95ラッカー・木
No.273(影)1969250×300ラッカー・合板
赤瀬川原平千円札拡大図(復讐の形態学)196390×180水性絵具・紙
三木富雄Ear 1041965200×120アクリル板・孔版・アルミ合金
1965169(h)アルミ合金
Ear-1972・WA32197272×60アルミ合金
菊畑茂久馬ルーレット1963162×112アッサンブラージュ
ルーレット No.51964107×64.5×21.6
植物図鑑1964202×134.5×22油彩・プラスティック・木
磯辺行久WORK 62-301962160.5×112油彩・大理石粉・紙・木
WORK 65-9196513,.5×91.5
パラシュート・プロジェクト1969190.5×93.5孔版・紙
吉仲太造1965193.9×130.3新聞紙・布・鎖・板
池田龍雄ドクトルD.VargueAme氏の優雅な衣裳箪笥1969193×105×57木・金属・プラスティック
関根美夫算盤1965162×260.5油彩・キャンバス
平賀 敬H氏の優雅な生活1968132.5×197.5
篠原有司男女の祭り(3枚組)1966(各)194×130.5油彩・キャンバス
小島信明無題173(h)ラッカー・ポリエステル樹脂
ボクサー167(h)
岡本信治郎「10人のインデアン」のうち2点1964190×130アクリル・キャンバス
靉嘔フィンガー・ボックス(15点)1963(各)7.5×7.5×7.5木・その他
ハンド・タクタイル・ボックス(2点)1963(各)30×30×30木・砂・スポンジ
アダムとイブ1963-67192×134.5油彩・キャンバス
レインボー北斎・ポジションA197090×135孔版・紙
宇佐美圭司メナム河畔に出現する水族館1967185×270油彩・キャンバス
加納光於半島状の! No.8V196776×167銅版・紙
池田満寿夫タエコの朝食196337.6×36
化粧する女196437.8×36.4
夏 I41×37
吉原英雄シーソー I1968100×100銅版・石版・紙
196973×104石版・紙
横尾忠則責場(3点組)1969(各)103×72.8孔版・紙
葬列 II75×113×12孔版・アクリル板
桂 ゆきゴンベとカラス1966200×130.2油彩・キャンバス
山下菊二またぐ196376.5×100.5
中村 宏飛行する蒸気機関車1969181×238
前田常作空間の秘儀1964162×130
藤松 博1964-6580.3×65.2
月と鏡とスフィンクス196580.3×65.2
馬場 彬トルソ・メタフィジック1966130×194
山口長男1968182×182油彩・合板
斎藤義重作品 131961181×121油彩・合板
ペンチ1967182×121ラッカー・合板・レリーフ
吉原治良黒地に白1965182×227.5油彩・キャンバス
菅井 汲1960146×114
ナショナル・ルート1965146×114
オノサト・トシノブ作品1962130.5×193.5
桑山忠明無題1967299×115アクリル・キャンバス
299×115
山田正亮Work C-731960180×68油彩・キャンバス
Work C-77180×68
辻 晉堂寒山196197(h)陶彫
向井良吉蟻の城196065(h)アルミ合金
建畠覚造Organ No.121965100(h)
流 政之風の姿196092.5(h)
豊福知徳作品 I1964198(h)ブロンズ
作品 II198(h)
吾妻兼治郎MU-661196633×57×18
木村賢太郎古墳の音196680(h)

作家名題名制作年寸法(cm)材質・形状
新妻 実眼の城196551(h)大理石
江口 週碑 No.2196693(h)
堀内正和球の切り方197045×30×30ブロンズ
篠田守男テレションとコンプレッション T.C.3511966150(h)鉄・鋳物他
小田 襄銀回路1967120(h)ステンレス
最上寿之ダンダンダ1961180(h)
若林 奮北方金属1966120(h)
2.5mの犬1968・57×72×72・43×82×44
村岡三郎手(鉄板をもつ手)1960(1978再制作)75×35×14
しづく1967120×80×40鉄・ポリエステル
福岡道雄作品1965198(h)ラッカー・石膏・布・鉄他
多田美波周波数 373065051965200×300×30アクリル樹脂・アルミ・鉄
山口勝弘1962225(h)金属・布
風の柩180(h)
Cの関係1965170×240×100螢光灯・金属・アクリル
吉村益信クイーン・セミラミス II1967112.5×200.5×51ネオン管・プレクシグラス
反物質・ライト・オン・メビウス1968100×180×130ステンレス
河口龍夫無限空間におけるオブジェとイメージの相関関係、またはからっぽの頭部とつまったお尻196873×82×46石膏・ハーフミラー ブラックライト
宮脇愛子WORK 021960-31960120×90油彩・合板
WORK #18(光のパイプ)196748.1×38.4×45真鍮
田中信太郎ハート・モービル1967111(h)ステンレス・螢光灯
湯原和夫作品 121967~6865×61.9×71.9鉄・クロームメッキ
関根伸夫位相 No.51968200×120×90ラッカー・合板
位相-大地(写真展示)  

<新聞雑誌関係記事>
日経/12月8日(滝 悌三)
毎日/1月12日(夕)(田中幸人)
朝日/2月5日、2月27日(夕)
読売/2月10日(夕)(中原佑介) 2月18日(夕)(吉岡健二郎)
京都/2月20日(元永定正、対談)
公明/3月4日
サンケイ/2月16日
新美術新聞 No.283(三木多聞)
陶業時報 1月25日
文化庁月報 No.158
みづゑ No.921(「特集 1960年代」秋田由利、中原佑介、峯村敏明)
美術手帳 No.490(浅野 徹)No.493(今泉省彦)
季刊アート No.98(東野芳明)




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《原芸術》の発見/活字と書 [アート論]

artwork_images_140199_445134_joseph-kosuth.jpg

コスース Described and Defined(1966年)

《原芸術》《芸術》《反芸術》
《非芸術》《無芸術》のすべてがある。

自己中毒の患者には、決して出来ない事があります。
それは、自分が嫌いだと思う作家について、研究できない事です。

自分が嫌いなもののなかに、世界の秘密や、
人生の秘密があります。
そして芸術の秘密もあります。

芸術とは何か?
その根源に向う遡行の旅が、ひとつ進んだのご報告をします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

天.jpg

活字と、
書を比較するという授業を受けました。

活字は《第6次元 自然領域》です。
これを鑑賞すると、少し造形的に弱くて、つらいところがあります。

書は唐の時代のものですが、《第1次元 社会的理性領域》で、
書の方が、活字よりも美しいと言えます。

普通に言えば、左の書が美しい《第1次元 社会的理性領域》のものですが、

向って一番右は、顔真卿の書で、《超1流》のものです。


心.jpg

活字の表現は、《第6次元》であるだけでなくて、
《非芸術》と《無芸術》性を持っています。

《非芸術》というのはデザインのことで、
《無芸術》というのは装飾/性的快楽性です。

それに対して書の文字は、
《芸術》と《反芸術》性を持っていて、
《非芸術》性や《無芸術》性を持っていません。

上の心の字でも、右端の字が顔真卿で、《超1流》です。
これが素晴らしい名品なのです。
こういうものを眼で暗記することが重要です。

しかし、今の若い人は、顔真卿の書は、嫌いでしょうね?

道.jpg

デザインされた活字の発生というのは、
《近代》に大規模化されたわけですが、
そこには、《芸術》から、《非芸術》への大転換があったと言えます。

この3枚の画像と、書と活字の比較というのは、
私の立教大学大学院での授業に、ゲストで、比田井和子さんに
来ていただいて得た知識です。

これを踏まえて、彦坂尚嘉的には、確認しておきたいのは、
書の前の亀甲文字は、どうなっているかということです。

もっと始元のものを見て、根本的に考えておきたいのです。

始元のものから見て考えようというのが、哲学や芸術に固有の姿勢です。

 それに対して、表面的で、目の前の要求や満足、利益だけを考えて、
始元を無視して、盲目的に動くというのが、
「自然的な態度」デザインの一般的な姿勢です。

デザインというのは、ですから「自然的な態度」の上に築かれているのです。

それに対して哲学や芸術は、「不自然な態度」の上に築かれるのです。
「不自然な態度」とは何か?
それは「反省的な態度」です。

kokotsu3.jpg

kokotsu4.jpg

この亀甲文字は、彦坂尚嘉の《言語判定法》では、
《非芸術》ではありません。

《芸術》でもありません。

これは驚きなのです。

そこで、もう一度詳細に検討してみましょう。

たとえば、「自然」という文字をいれて画像検索して、トップに
下の画像がでました。

9b1ade89.jpg

この稲光の画像を、彦坂尚嘉の《言語判定法》で見ると、
《非芸術》と出ます。

つまり自然は「神がつくりしデザイン」なのであって、
デザインですから《非芸術》という言葉に対応をするのです。

にもかかわらず、亀甲文字には、《非芸術》という言葉にも
《芸術》《無芸術》《反芸術》という言葉にも対応をしません。

kokotsu3.jpg

kokotsu4.jpg

そこで、「元芸術」、あるいは「原芸術」という言葉を設定して、
《言語判定法》をしますと、この「原芸術」に対応します。

つまり亀甲文字は、《原芸術》であるのです。

ですので芸術という概念は、次の5つに分類されることになるのです。

《原芸術》
《芸術》
《反芸術》
《非芸術》
《無芸術》

では、新しい芸術分析をためしてみましょう。

(煩雑になるので、『アートの格付け』は省略します。)



ピカソ

ピカソの『アビニヨンの娘たち』の芸術分析です。



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《原芸術》《芸術》《反芸術》の同時表示

《非芸術》《無芸術》が無い。

次に、同じピカソの
『ゲルニカ』の芸術分析です。


guernica.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》が無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

『ゲルニカ』は有名ですが、
芸術的には、専門家の評価は低いものです。
反対に『アビニヨンの娘』たちは、一般には人気がありませんが、
専門家の評価は高いものです。

こうしたことは、《言語判定法》による芸術分析の結果でも、
見事に対比的に構造化されているのです。

『アビニヨンの娘』には、《原芸術》《芸術》《反芸術》がありますが、
『ゲルニカ』には、《原芸術》《芸術》《反芸術》は、無いのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ジェフ・クーンズ

つづけてジェフ・クーンズを見てみましょう。

クーンズの初期の作品
1985年の『スリー・ボール・50/50・タンク』です。

koons-2261991a-f.jpg

半分までホルムアルデヒドを満たしたガラス張りの水槽の中に
3つのバスケット・ボールを浮かべたものです。
これがダミアン・ハーストの鮫の作品の下敷きになったのです。

これは名品であったのでしょうか?

koons-2261991a-f.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》では無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

つまりこのジェフクーンズの作品は、単なるデザインであり、
装飾であったのです。

ではバルーン彫刻はどうでしょうか?

0797040acd623ff28a08-L.png.jpeg

《原芸術》ではない。

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の同時表示。

《原芸術》が無いというところに、ジェフクーンズの作品の人工性が
良くでています。
キッチュを基盤において、芸術にまで高める事は、面白かったし、
豊かな成果だとは言えますが、しかし《原芸術》を欠いているところに、
ジェフクーンズの芸術の根拠の危うさと、それ故の面白さがあるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

村上隆

20021123102946.jpg

《原芸術》は無い。

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の同時表示

村上隆のこの作品は、歴史的に回顧すると、
ジェフクーンズ並のすぐれた作品であると言えます。
しかし芸術の始元の根拠である《原芸術》性は欠いているのです。

もうひとつ見てみましょう。
最近作です。

inochi_i.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

村上隆のフィギュアは、初期作品はすぐれて《芸術》《反芸術》性を
持っていたのですが、
最近作は、《非芸術》《無芸術》になってしまったのです。
村上隆は衰弱したのです。

しかし日本の現実の中では、
実は《非芸術》だけで、
すぐれた芸術作品として高い評価を得るのです。

日本は《非芸術》の国なのです。
そのいくつかの実例を、いきあたりばったりですが、
上げておきます。

河口龍夫

kawaguchitatsuo_kankeishituao84-41.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

野村仁
nomura.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

蜷川実花


19蜷川実花.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。


浅田家 浅田政志

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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《非芸術》だけで芸術作品は成立するのでしょうか?

日本社会や、日本の美術館の学芸員は、成立すると考えているように
見えます。

日本では《非芸術》だけで、成立するのです。

そういう風に考える根拠はどこにあるのでしょうか?

例えば、アフリカの黒人彫刻は、
実は《非芸術》だけで成立しているのです。
つまり日本の現代美術は、この黒人彫刻を同じ成立基盤にあるのです。

c-09c55.jpg

《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

アフリカの黒人彫刻には、《原芸術》があるように、
多くの日本人は考えていると思います。

しかし、実はアフリカの黒人彫刻や原始美術には、
《原芸術》というのは無いのです。

原始美術というのは、《非芸術》なのです。
つまり原始美術というは、自然物であり、ぞれは《非芸術》であり、
《非芸術》というのはデザインなのです。

しかし、こうした彦坂尚嘉の主張には、
ほとんどの人は賛同しないでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の多くの日本人は、子供の絵や、精神障害者の美術、
そして未開美術にこそ《原芸術》が存在していると、
確信しているのです。

しかし重要な事は、自然は芸術では無いという事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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彦坂尚嘉の小さなドローイング展 [気体分子ギャラリー]

彦坂尚嘉のドローイングです。


日本が一億総中流の時代には、
中流の人々が、アートを買わなかったという思いが、
私にはあります。

そのせいもあって、中流に対する憎しみが、私の中にはあるのです。

それは、昔に国鉄があった頃の、国労という労働組合に対する
憎しみに似ています。
国労も、労働組合貴族で、かわいく無かったのです。

さて、そういう意味で、
現在の中流解体による、日本経済の墜落、
そして世界の中で最悪の赤字財政が到達するだろう破綻への道程は、
ひどい状況ですが、しかし一億総中流のあの生温い天国よりは
ましだという思いがあります。

上流のコレクター

中流が解体される事で、上流が生まれて来ていて、
上流階級の人々は、高いものしか買いません。

それに高いランクのギャラリーでしか、作品を買いません。

ですから、私も作品を高額になるように制作しなければなりません。

しかしギャラリーを失って来ている私の現在の苦境の中では、
アートフロントで売ってもらうのが、一番良いという状態です。

来年は、制作を頑張って、より良い状態へ努力したいと思います。

自分の世代のギャラリーが、コンピューター・リテラシーを
持ち得ないで、古い世界にしがみついている以上、
自分が主催する気体分子ギャラリーで、売れても売れなくても、
高額で展開しなければならないのです。

気体分子ギャラリーというのは、
《第6次元 自然領域》の凡庸主義の作品ではなくて、
《第41次元》と《超1流》作品を売っていことを目的にしています。
それは上流階級の人々に、
高い金額で、高いクオリティの作品を提供することを
目的にしているギャラリー活動なのです。

実際、《超次元〜第41次元》のすべてを持っていて、
しかも《非芸術》《無芸術》《芸術》《反芸術》のすべてを
持っている作品制作は、手間も時間も、材料費もかかるのです。
しかもフルコースのこうした作品は、売れないでしょう。
アトリエに残して、死後の販売の可能性にかけるしかありません。

コレクターというのは、結局自分の感性に合わせて作品を選ぶので、
フルコースは無理で、より軽いものを求めるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
下流のコレクター

下層階級の貧乏な人々の中に、
アートを買うコレクターがいるのか?

常識的にいえば、貧乏人の中にコレクターはいないとは思います。

しかし歴史的には、江戸時代の浮世絵というのは鑑賞芸術であった
のですから、下層のアートコレクターというのが、
存在したのです。

下層の貧乏人の人々に、安物のアート作品をつくって売りたいという
思いが、昔からありました。
その辺で白濱万亀さんと付き合ってきたのですが、
なかなか巧く行きませんでした。

こういう事は無駄であるとも言えますが、
しかし私の中には、そういう下層への欲望があるのです。

というわけで、最下層の貧乏人の人々に向けて、
5000円、6000円の作品を作りました。
これでも高いとは言えますが、
これらは複製ではなくてオリジナルですし、
真面目に制作していますので、
購入する事に価値があるのか、無いのか、ご検討ください。

小さい作品です。
こうしたものはコレクターにしか、見えないのです。

私の方は売れても、売れなくても制作を続けて、
いろいろなところに出して行くという事をやらなければなりません。
それは過去の実例がそういう必要性を示しているからです。

全作品に、『アートの格付け』を付けます。
現在、「深川いっぷく」に並べているものが、
この『アートの格付け』のシールが間に合っていませんが、
付けますので、遅れをご了承ください。

貧乏人がアートコレクションをつくって、
貧乏人美術館を、無数に生み出すなどということは、
あり得ない事ですが、
しかしファンタジーとしては成立する事なのです。
そういう意味で、「夢想のプロジェクト」であります。



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バトルズ/Battles [若い音楽]

Battlesは、 2002年N.Y.のブルックリンで結成されています。

複雑、緻密でありながら全体のダイナミクスを損なわない、
ジャンルを超越した
ニュートラルかつ刺激的なサウンドが話題となりました。



下のものは、フジロックフェスティバル2007でのライブです。
ネット上では、ライブバンドとしての評価が高いです。



《想像界》の耳で《第6次元 》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の耳で《第6次元 》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》の耳で《第6次元 》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の音楽。
気体音楽。

《シリアス・アートの音楽》
《ハイアートの音楽》
シニフィアン(記号表現)の音楽。

《非芸術》の音楽

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

音楽的には、ミニマルミュージックの系譜で、
私の私的記憶では、
マイルス・ディビスの『オンザコーナー』を思い出しました。

《現実界》の音楽である事が、
評価を高めているのでしょうか?




タグ:BATTLES
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iphone/彦坂尚嘉の小さな映画シリーズ(加筆3改題) [状況と歴史]

iphone3g_pair.jpg


アイフォンを買いました。
良く分かっていないのですが、
電話というよりも、コンピューターの端末という感じのものです。

iPhoneの初代は、2007年1月に発表されたものです。


iPhone 3G は、第2世代で2008年6月発売。

私の買ったものは、iPhone 3G Sです。

今回のアップグレードは高速化がメインということで、
Sとついているのは、SpeedSで、
すべてが最大2倍にスピードアップし、
驚きの早さになったのです。

ビデオ撮影や音声コントロールなどの新機能を搭載し、
メモリーは32GB


買ったと言っても事実上は無料に近いもので、
毎月還付金が480円という破格のものです。


iPhone 3G Sは、動画が撮れるようになったのですが、
それだけでなくて、【YouTube画像】に、
簡単にアップできるのには驚きました。

越後妻有トリエンナーレの時は木村静さんと組んで、
短い映画を20数本アップしましたが、
iPhoneを使って、小さな映画をたくさんアップして行こうと思います。
小さな映画をたくさん【YouTube画像】としてアップして、
雲状のかたまりを作り出す事を試みたいと思います。



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欲望の奇怪さ/美術家とコレクター [生きる方法]

ピクチャ 1.png

美術家の場合はクライアントがコレクターという事になると思いますが、
「施主」のように具体的に顔が見えない分難しいですね。
自分の中もつ観客がどのような存在なのか、如何に多くの眼差しを取り込めるかが重要なようですね。 
by 丈 (2009-12-08 14:23)  

丈様

コレクターというのは、具体的に顔が見えるのです。
私自身、何人ものコレクターを知っているし、付き合って
来ているのです。

作品を買うコレクターの全部が顔が見えるのではないのですが、
具体的に存在していて、顔は見えるのです。

分かりやすく言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチに作品を注文
していた人々は、顔が見える人々でした。

狩野永徳に作品を注文した織田信長は、顔の見える存在で、
実際に永徳は、織田信長の肖像画を描いています。

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ゴヤやティツィアーノに肖像画を注文した人々の顔も、
彼らに見えていたのです。


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TitianLaviniaC1560-65.jpg



レンブラントに「夜警」の絵を注文した『フランス・バニング・コック
隊長の市警団』の人々の顔も、レンブラントには見えていたのです。

120a5404.jpg


ピカソの場合にも、実はコレクターの顔が見えていたのです。
ピカソは、手紙をすべて残したのですが、
これをすべて読んだ研究書があって、
日本語に翻訳されています。
『ギャラリーゲーム』(淡交社)という本です。
これによると、ピカソは、新しいコレクターが登場すると、
その人に合わせて、作品を変えているのです。

ピカソの全レゾネというのは、私は見ていませんが、
キュービズムの時期の9年間のレゾネは買って持っています。
これを見て行くと、かなり不思議な作品展開をしているのですが、
その理由は『ギャラリーゲーム』を読むと、理解できるものになります。
コレクターとの関係で作品が変化しているのです。

メープルソープとコレクターの関係は映画になっていますが、
私はまだ見ていません。


ピクチャ 1.png

村上隆さんの発言を読んでいても、コレクターが武器商人で嫌になった
とか等々の発言があって、コレクターの顔が見えている事が分かります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

多くの美術家は、実は作品を売りたいとは思っていないのです。
このことは重要です。
なぜなら、自分の欲望によって作品を作りたいと思っているからです。
他人の欲望を排除したいと考えているのです。
つまり自分を愛しているが故に、他者を排除したいのです。
他者を排除するが故に、コレクターはいなくなるし、
コレクターの顔も見えなくなるのです。

他者の欲望を排除したいと言うナルシズムに身をゆだねると、
他者はいなくなります。
だからコレクターの顔が見えなくなるのです。

根本にあるのは、
ナルシズムという欲望の奇怪さです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人間の社会は、他人が欲望を持っている事を認める事で成立しています。

他人の欲望を満たす事で、ビジネスは成立しているのです。

この他人の欲望を切り捨てて、
他者を排除する事で、純粋な芸術を成立させようとしたのが、
モダンアートであったのです。
そのことは、豊かな成果を上げたと思います。
しかし、この方法が自明化し、飽和した時に、限界に達したのです。
そして崩壊したのです。

この崩壊は、芸術上の崩壊であっただけではなくて、
軍事上の崩壊でもあったのです。
ベトナム戦争に、なぜ、圧倒的な軍事力のあるアメリカが負けたのか?
それは他者を排除して、ベトナムの人々の欲望を理解
しなかったからです。
この無理解さは、コッポラの『地獄の黙示録』に、見事なまでに
描かれています。

他者を排除し、他者への認識を失う時に、破綻がやってくるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

田中日佐夫氏の名著に『日本美術の演出者―パトロンの系譜』というの
があります。
私はこの本を学生時代に読んで、大きな影響を受けています。






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