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《原芸術》の発見/活字と書 [アート論]

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コスース Described and Defined(1966年)

《原芸術》《芸術》《反芸術》
《非芸術》《無芸術》のすべてがある。

自己中毒の患者には、決して出来ない事があります。
それは、自分が嫌いだと思う作家について、研究できない事です。

自分が嫌いなもののなかに、世界の秘密や、
人生の秘密があります。
そして芸術の秘密もあります。

芸術とは何か?
その根源に向う遡行の旅が、ひとつ進んだのご報告をします。

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天.jpg

活字と、
書を比較するという授業を受けました。

活字は《第6次元 自然領域》です。
これを鑑賞すると、少し造形的に弱くて、つらいところがあります。

書は唐の時代のものですが、《第1次元 社会的理性領域》で、
書の方が、活字よりも美しいと言えます。

普通に言えば、左の書が美しい《第1次元 社会的理性領域》のものですが、

向って一番右は、顔真卿の書で、《超1流》のものです。


心.jpg

活字の表現は、《第6次元》であるだけでなくて、
《非芸術》と《無芸術》性を持っています。

《非芸術》というのはデザインのことで、
《無芸術》というのは装飾/性的快楽性です。

それに対して書の文字は、
《芸術》と《反芸術》性を持っていて、
《非芸術》性や《無芸術》性を持っていません。

上の心の字でも、右端の字が顔真卿で、《超1流》です。
これが素晴らしい名品なのです。
こういうものを眼で暗記することが重要です。

しかし、今の若い人は、顔真卿の書は、嫌いでしょうね?

道.jpg

デザインされた活字の発生というのは、
《近代》に大規模化されたわけですが、
そこには、《芸術》から、《非芸術》への大転換があったと言えます。

この3枚の画像と、書と活字の比較というのは、
私の立教大学大学院での授業に、ゲストで、比田井和子さんに
来ていただいて得た知識です。

これを踏まえて、彦坂尚嘉的には、確認しておきたいのは、
書の前の亀甲文字は、どうなっているかということです。

もっと始元のものを見て、根本的に考えておきたいのです。

始元のものから見て考えようというのが、哲学や芸術に固有の姿勢です。

 それに対して、表面的で、目の前の要求や満足、利益だけを考えて、
始元を無視して、盲目的に動くというのが、
「自然的な態度」デザインの一般的な姿勢です。

デザインというのは、ですから「自然的な態度」の上に築かれているのです。

それに対して哲学や芸術は、「不自然な態度」の上に築かれるのです。
「不自然な態度」とは何か?
それは「反省的な態度」です。

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この亀甲文字は、彦坂尚嘉の《言語判定法》では、
《非芸術》ではありません。

《芸術》でもありません。

これは驚きなのです。

そこで、もう一度詳細に検討してみましょう。

たとえば、「自然」という文字をいれて画像検索して、トップに
下の画像がでました。

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この稲光の画像を、彦坂尚嘉の《言語判定法》で見ると、
《非芸術》と出ます。

つまり自然は「神がつくりしデザイン」なのであって、
デザインですから《非芸術》という言葉に対応をするのです。

にもかかわらず、亀甲文字には、《非芸術》という言葉にも
《芸術》《無芸術》《反芸術》という言葉にも対応をしません。

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そこで、「元芸術」、あるいは「原芸術」という言葉を設定して、
《言語判定法》をしますと、この「原芸術」に対応します。

つまり亀甲文字は、《原芸術》であるのです。

ですので芸術という概念は、次の5つに分類されることになるのです。

《原芸術》
《芸術》
《反芸術》
《非芸術》
《無芸術》

では、新しい芸術分析をためしてみましょう。

(煩雑になるので、『アートの格付け』は省略します。)



ピカソ

ピカソの『アビニヨンの娘たち』の芸術分析です。



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《原芸術》《芸術》《反芸術》の同時表示

《非芸術》《無芸術》が無い。

次に、同じピカソの
『ゲルニカ』の芸術分析です。


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《原芸術》《芸術》《反芸術》が無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

『ゲルニカ』は有名ですが、
芸術的には、専門家の評価は低いものです。
反対に『アビニヨンの娘』たちは、一般には人気がありませんが、
専門家の評価は高いものです。

こうしたことは、《言語判定法》による芸術分析の結果でも、
見事に対比的に構造化されているのです。

『アビニヨンの娘』には、《原芸術》《芸術》《反芸術》がありますが、
『ゲルニカ』には、《原芸術》《芸術》《反芸術》は、無いのです。

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ジェフ・クーンズ

つづけてジェフ・クーンズを見てみましょう。

クーンズの初期の作品
1985年の『スリー・ボール・50/50・タンク』です。

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半分までホルムアルデヒドを満たしたガラス張りの水槽の中に
3つのバスケット・ボールを浮かべたものです。
これがダミアン・ハーストの鮫の作品の下敷きになったのです。

これは名品であったのでしょうか?

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《原芸術》《芸術》《反芸術》では無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

つまりこのジェフクーンズの作品は、単なるデザインであり、
装飾であったのです。

ではバルーン彫刻はどうでしょうか?

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《原芸術》ではない。

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の同時表示。

《原芸術》が無いというところに、ジェフクーンズの作品の人工性が
良くでています。
キッチュを基盤において、芸術にまで高める事は、面白かったし、
豊かな成果だとは言えますが、しかし《原芸術》を欠いているところに、
ジェフクーンズの芸術の根拠の危うさと、それ故の面白さがあるのです。

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村上隆

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《原芸術》は無い。

《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の同時表示

村上隆のこの作品は、歴史的に回顧すると、
ジェフクーンズ並のすぐれた作品であると言えます。
しかし芸術の始元の根拠である《原芸術》性は欠いているのです。

もうひとつ見てみましょう。
最近作です。

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《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。

《非芸術》《無芸術》の同時表示。

村上隆のフィギュアは、初期作品はすぐれて《芸術》《反芸術》性を
持っていたのですが、
最近作は、《非芸術》《無芸術》になってしまったのです。
村上隆は衰弱したのです。

しかし日本の現実の中では、
実は《非芸術》だけで、
すぐれた芸術作品として高い評価を得るのです。

日本は《非芸術》の国なのです。
そのいくつかの実例を、いきあたりばったりですが、
上げておきます。

河口龍夫

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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

野村仁
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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

蜷川実花


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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。


浅田家 浅田政志

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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。


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《非芸術》だけで芸術作品は成立するのでしょうか?

日本社会や、日本の美術館の学芸員は、成立すると考えているように
見えます。

日本では《非芸術》だけで、成立するのです。

そういう風に考える根拠はどこにあるのでしょうか?

例えば、アフリカの黒人彫刻は、
実は《非芸術》だけで成立しているのです。
つまり日本の現代美術は、この黒人彫刻を同じ成立基盤にあるのです。

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《原芸術》《芸術》《反芸術》《無芸術》は無い。

《非芸術》のみの作品。

アフリカの黒人彫刻には、《原芸術》があるように、
多くの日本人は考えていると思います。

しかし、実はアフリカの黒人彫刻や原始美術には、
《原芸術》というのは無いのです。

原始美術というのは、《非芸術》なのです。
つまり原始美術というは、自然物であり、ぞれは《非芸術》であり、
《非芸術》というのはデザインなのです。

しかし、こうした彦坂尚嘉の主張には、
ほとんどの人は賛同しないでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の多くの日本人は、子供の絵や、精神障害者の美術、
そして未開美術にこそ《原芸術》が存在していると、
確信しているのです。

しかし重要な事は、自然は芸術では無いという事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【続きは下記をクリックして下さい】


自然というのは、「世界を神がデザインした」という意味での
デザインであるのです。

ですから文盲の未開部族の美術は、自然であり、自然=デザインと
言う意味でのデザインであり、《非芸術》なのです。

日本人は、敗戦後特有の現象ですが、
敗戦ボケの中で、芸術を野蛮な未開状態の廃墟だと思うように
なったと、私は思います。

野蛮な廃墟に芸術があると、信じる新興宗教集団が、
日本の現代美術/現代アートの世界であるように、
私には思えるのです。

芸術というのは自然現象ではなくて、文明の問題なのです。

文明とは何か?
いろいろありますが、ひとつは文字の発明です。

文字が発明され、定着して農業をはじめて、古代帝国が成立
します。

そして文字を書き、読める人々が支配者となります。

この支配層こそが、未開の自然から脱した文明人であり、
この文明のなかから芸術が生まれるのです。

ですから文字を書くと言うことの中で、芸術が成立します。

亀甲文字の中にある《原芸術》というのが、
芸術の根拠を示しているのです。

東洋においては、書において最初の芸術が成立したと
言われて来たのは、こうした文明のリテラシーとしての文字に
芸術の重要な根拠が隠されていたからです。

だからこそ、ジョセフ・コスースの概念芸術には、
《原芸術》の根拠と正当性があったのです。

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コスース Described and Defined(1966年)

《原芸術》《芸術》《反芸術》
《非芸術》《無芸術》のすべてがある。 


さて、この結論で、この文章は終です。
あとは、我田引水の付録です。
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《言語判定法》は、もともと彦坂尚嘉が自分の作品を分析する目的で、
開発されたものです。

ですので、少しずつですが自己分析を積極的にやって行こうと思っています。

私の芸術分析は学問ですから、正直に真摯に行いますので、
嘘はつきません。
間違いを生じれば、謝罪と訂正を行います。

まず、先日発見した専修大学に収蔵されている
アトラクター・ペインティングです。

彦坂尚嘉専修大学.jpg

彦坂尚嘉専修大学1.jpg

彦坂尚嘉専修大学2.jpg

《原芸術》はあります。
《反芸術》もあります。

《芸術》《無芸術》《非芸術》はありません。

《想像界》の眼で《第21次元 愛欲領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元 愛欲領域》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第21次元 愛欲領域》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
              ただし《サントーム》は無い。
  
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』

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《原芸術》を獲得する事が重要であったと、
後からですが、思います。

《反芸術》で《第21次元 愛欲領域》の作品として、
うまくいっていて、自分でも感動した作品です。

ただ、この段階では、私はまだ《第31次元》や《第41次元》の
作品を作り得なかったのです。
その意味で、過程的作品でありました。



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鮎の塩焼き

若い人は嫌いでしょうね、と書かれていたので書き込みさせていただきます。年齢は21でありますのでまだまだ若いと言える人間です。

確かに顔真卿の書は少々受け入れがたいもののように感じます。向かって左のものが好ましく思うのですが、しかし心と言う字は向かって右側の顔真卿のものが一番奇麗だと思いました。

by 鮎の塩焼き (2009-12-13 00:53) 

ヒコ

鮎の塩焼き様
コメントありがとうございます。
心の字は、おっしゃるように顔真卿が、抜群ですね。
天という字に対する違和感は、私にも分かります。
by ヒコ (2009-12-13 03:10) 

丈

鴬谷の「書道博物館」で、顔真卿特集展示を開催中です。
12月23日までのようですので行かれる方はお早めに。
by (2009-12-18 21:07) 

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