ベネトン再論 [アート論]
読者からの質問/ベネトンの真実(加筆2改稿1写真追加3校正3) [アート論]
オリビエーロ・トスカーニによるベネトンの広告
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm
ベネトンの広告
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benetton.htm
Oliviero Toscani /
http://www.youtube.com/watch?v=gGRcy-59TAU
愛にタブーはないというメッセージの込められたポスター。カトリック教会から不謹慎だとして批判され、イタリアやフランスなどでは、広告の掲載拒否やポスターの撤去となった。出典:http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm
《気晴らしアート》《ローアート》
ボスニア紛争で戦死した若い兵士が着ていたシャツとズボンを撮影したもの。ユーゴスラビアの内戦の激しかった時期に、国連と共同で反戦と難民の救済を呼びかけ、そのキャンペーンポスターとして使用された。出典:前出
「リアリティ」をテーマに制作されたポスター。へその緒がついたままの血まみれの新生児の映像はあまりにも生々しく、「小さな天使」「かわいい赤ちゃん」という耳になじんだ解釈を拒絶する。ポスターの中の新生児は、その生々しく壮絶な姿によって、ひとりの人間がこの世界に生まれてくるというのはどういうことなのか、この子が生まれてきたこの世界はどういう世界なのかという根源的な問いを見る者へ投げかける。また同時に、その生々しい姿はこれまで広告が描いてきたうわべだけの美しさや生身であることを感じさせない記号化された人間の存在に対して強烈な異議をとなえる。それはトスカーニが様々な場で発言してきた「人間の血は赤く、尿は黄色い、青い液体など使うべきではないし、もっと現実に目を向けるべきだ」という彼の広告制作の基本姿勢をストレートに表現するものでもある。この作品は美術的には高く評価され、オランダの美術館などで展示されることになった。また、トスカーニ自身もこれを重要な作品と考えているようで、自らの主宰する雑誌「Colors」創刊号の表紙にも使用している。その一方で、映像のあまりの生々しさから、公共の場への展示はふさわしくないと判断され、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国で、町中の看板が撤去される事態となった。撮影はもちろん母親と病院の許可を得て行われている。(出典:前出)
芸術においても、デザインにおいても主題は重要ですが、
しかしそれだけではないのです。
主題とは違う次元の芸術構造というものがあるのです。
この場合の構造というのは、構造主義の構造と、それほどの違いはないと考えて下さっていいです。
会田誠さんとの座談会で良く理解できたことは、「ネタ」という言葉で表現される主題性だけで、芸術を考えて行く傾向が強くあるのです。トスカーニにもその傾向があります。
さて、このトスカーニの作品を彦坂尚嘉が改竄してみます。
あくまでも余興ですので、ご笑覧いただければ幸いです。
著作権違反は知っていての確信犯ですので、
トツカーニへのオマージュですので、お許しください。
上戸彩(《非-実体性》を加筆1) [美人論]
幼い上戸彩
小学生時代の上戸彩
上戸彩の小学生時代
上戸彩の高校時代
こたつ問題シンポジウム [告知]
彦坂のトーク(45分くらい)+討議(70分)の形式です。
こたつ問題の徹底討論を後半やります。
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「カルチべートトーク」(第4回)
主 催:建築文化事業委員会
テーマ:アーティストの彦坂尚嘉さんと語る、
こたつ問題1970〜2009/建築と美術のあいだ
主 旨:
時流とは関係なく本当に聞きたいこと、必要とされる知識、いま聞いておかなければ聞けなくなってしまいそうな話などを、少人数でもよいからそんな文化を共有・継承したい、という主旨で始まった日本建築学会建築文化事業委員会の委員が運営するトークシリーズの4回目です。
1946年生まれの彦坂尚嘉は、1969年に美共闘を結成し、床にラテックスをまくフロアイベントや幾何学的なフレームをもつウッドペインティングなどを手がけ、ヴェネチアビエンナーレやサンパウロビエンナーレにも出品した作家である。各種の展覧会や美術論の著作などによっても、戦後日本美術史において重要な位置を与えられている。そして彦坂は、建築の分野にも強い関心を抱き、近年は皇居美術館空想のプロジェクトや越後妻有トリエンナーレを通じて、美術を越境するような活動を展開している。そこで40年の活動の軌跡を通じて、美術と建築の関係について語っていただく。
また彦坂はアーティストとしては珍しく、歴史を重視する立場をとり、歯に衣をきせぬ美術評価の物言いでも知られている。おそらく、それは10年程度のパースペクティブだけで議論を構築したり、耳障りのいい言説しか知らない若年層に対しても、破壊的な批評力をもつだろう。後半は、建築と美術が参加する越後妻有トリエンナーレ2009の出品作を素材にして、両分野の現在について検証し、批評とメディアの状況もあぶりだす。また通称「こたつ問題」と言われるトピックについても触れて、参加者からの意見もいただきながら、幅広く、討議を展開したい。彦坂のフロアイベント(1970-75)は、現代美術としては初めて畳やこたつを含む家具を用いた作品であり、会田誠のこたつ派などの事例も挙げながら、建築と美術のあいだを考えていく。
なお、今回は会場にて、Twitterを使っての議論の参加も歓迎する。
担当:建築文化事業委員会委員:五十嵐太郎
講 師:彦坂尚嘉(アーティスト)
期 日:2009年9月28日(月)
時 間:18:00~20:00
場 所:建築会館会議室(東京都港区芝5-26-20)
定 員:30名(申込先着順)
参 加 費:1000円
申込方法:E-mailで「①氏名、②所属、③連絡先電話番号、④第4回カルチベートトーク参加希望」と明記のうえ、お申込ください。
問合せ先:日本建築学会事務局 出版・普及事業グループ 鎌田
TEL 03-3456-2056 E-mail kamata@aij.or.jp
木村静と斉藤ちさと [生きる方法]
フリー・メディア・アーティストの木村静と、斉藤ちさと(写真家 /アーティスト)を、彦坂尚嘉がインタビュー。2009年9月3 日、清澄白河で、やのまき が運営するM7で収録
斉藤ちさと [気体分子ギャラリー]
2009年8月 気体分子ギャラリーで個展を行ったアーティスト斎藤ちさとのイン タビュー2 企画・制作 彦坂尚嘉(気体分子ギャラリー) 撮影・編集 木村静 2009年9月3日 清澄白河にあるギャラリー「M7」にて撮影 気体分子ギャラリー http://www.kitaibunshi.com/ MAQUIARTO(M7) http://yanomaki.jp/MAQUIART...
カメラの歴史/斉藤ちさとインタビュー(加筆1) [気体分子ギャラリー]
個展 忌野清志郎の世界 [アート論]
本人が考案したタイトルをそのままに──スト、スケッチなど、未発表作をふくむ作品(200点以上)を展示する初の個展「忌野 清志郎の世界」が、8月22日(土)から9月13日(日)までラフォーレミュージアム原 宿(ラフォーレ原宿6階)で開催される。 今年8月の開催に向けて本人と水面下で進行していた展覧会が実現多くの音楽ファンから惜しまれつつ亡くなった忌野清志郎氏が、本当に楽しみにしてい たという本展「個展 忌野清志郎の世界」。 本人が考案したタイトルとその意思を引き継いで、ロックな清志郎も、ド派手な清志郎 も、過激な清志郎も、あたたかい清志郎も、無邪気な清志郎も、「忌野清志郎の世界」 を再現するすべてが集結する。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 画像で見る限り、作品そのものは《第6次元 自然領域》の 《真性の芸術》です。 音楽は《超次元》から《第41次元》の全領域、 ただし《第1次元 社会的理性領域》は無いというもので したが、絵画は《第6次元》で、普通と言えます。 しかし《真性の芸術》であるところは、さすがです。 だがしかし、何故に《第6次元》の絵しか描けなかったのか というところに、絵画のむずかしさと言うものがあります。 芸術が、その人の人格構造であるのなら、 清志郎の絵も、《超1流》のものになったかもしれませんが、 それが《第6次元》であるのは、 絵画を学んでいないからです。 絵画と言うのは、音楽同様に、学習をしないと、高度なものは、 成立させられないのです。 音楽家で絵を描く人は多くて、 マイルスデイビスの絵画は、私も見ています。 画像検索しましたが、見つけられませんでした。 バスキアのような絵でした。 ジョニー・ミッチェルも良い作品を作っています。 ジョニー・ミッチェルは、カナダの女性歌手、画家、写真家。 これは画像を見つけられました。 ジョニー・ミッチェルも《第6次元 自然領域》で、 《真性の芸術》ですから、 清志郎と同じタイプの絵だと言えます。 たしかアートスクール出身だったはずです。 音楽にもいろいろなレベルがあるように、 美術にもいろいろなレベルがあって、 《第6次元 自然領域》の《真性の芸術》である絵画は、 その意味で、等身大の、身の丈のアートであると言えます。 |