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上戸彩(《非-実体性》を加筆1) [美人論]


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上戸彩は1985年、東京生まれの、女優、歌手です。

母親が沖縄県石垣島出身で、祖母が琉球民謡の歌手でしたから、
隔世遺伝で、
祖母の血が出現しているように見えます。

母親が、「全日本国民的美少女コンテスト」に応募を出している事や、
陰のマネージャーをしている事から、
典型的な、母娘癒着型のタレントです。

「全日本国民的美少女コンテスト」では、歴代の美少女の中では、
異質な顔立ちをしています。

ピクチャ 19.jpg


上戸彩が、やや異質な顔立ちをしていることが一番分かりやすいのは、
左右の目の大きさが違う事です。
こういうことから、上戸彩には美容整形の噂が、ほとんど無くて、
整形をしていない自然の美人ととらえられているようです。

しかし《美》というものを、人を引きつける力として考えると、
実は自然性は、人を引きつけるものではなくて、
デフォメルされた、ある種の異様さが人間を魅了し、引きつけるのです。

このことをギリシア彫刻史の中で、自然主義リアリズムへの到達が、
凡庸なものとして飽きられ、デフォルメに移行していくことを指摘して
いるBBCの美術番組があります。
How Art Made The World/芸術の罠 このシリーズの第1回目 人物像の誕生)

そういう文脈で見ると、上戸彩の顔もまた、
ある種のアンバランスがあって
この異化効果が生み出している魅力だと言えるかもしれません。

上に掲載した「全日本国民的美少女コンテスト」の中では、
小田茜が《第1次元 社会的理性領域》の美人で、後は
《3次元・コミュニケーション領域》の美人と、
《第6次元 自然領域》の美人です。

この中で上戸彩だけが、
実は《3次元・コミュニケーション領域》と《第1次元 社会的理性領域》という2領域のミックスチャー美人なのです。

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上戸彩は、2001年に出演した『3年B組金八先生』(TBS)第6シリーズで、
性同一性障害という問題を抱えた中学生を演じて、
一躍有名になります。

ここでも男と女がミックスした性同一性障害という、
デフォルメされたイメージが、
人々を魅了したのです。

このことは、情報化社会の特性ともいえるもので、
伝統的な男女の区分が解体されて、
性そのものが、子供を作ると言う生殖性を喪失し、
多形倒錯化したものとして、社会の表面をおおうという傾向の一端を、
上戸彩は体現して見せたのです。

つまり性においても、デフォルメされたものが、
人間を魅了するのです。

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《想像界》の眼で《第3次元〜第41次元》の《真性の美人》
《象徴界》の眼で《第1次元 社会的理性領域》の《真性の美人》
《現実界》の眼で《第3次元〜第41次元》の《真性の美人》

《現実界》の人格
気体人間
《シリアス人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』

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詳しく芸術分析を、《言語判定法》を使ってしてみると、
《3次元・コミュニケーション領域》〜《第41次元・崇高領域》を、
《想像界》と《現実界》で持っているという、重層的な人格をしています。

しかも《象徴界》は、《第1次元 社会的理性領域》だけをもっているという、
特異な人格を、上戸彩はしています。

《第1次元 社会的理性領域》だけというのは、
渋谷陽一の言った産業ロックの構造で、
《第1次元 社会的理性領域》だけのロックは、非常に売れるのです。
そう言う意味で、《象徴界》が《第1次元 社会的理性領域》で、
産業化している上戸彩は、社会的に成功しているのは当然なのです。

しかも《想像界》《現実界》では、
《超次元》から《第41次元》までの多様性を持っている。
なんと素晴らしい才能でしょうか!
感心します。

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もうひとつ上戸彩という美人で特徴的なのは、
《現実界》だけの人格であるということです。

《現実界》だけの人格が、実は増えて来ているように思えるのですが、
彦坂尚嘉の理論では、子供は《想像界》であって、
文字を覚え、高度の文学や哲学書を学び、社会ルールとしてのモラルを
習得することで、人間は《象徴界》を獲得するはずなのです。
そして最後に、こうした文字の知識を否定したり、
あるいは科学的思考を学んだりして、《現実界》の精神が生まれるはずなのです。
しかしこうした図式は、あくまでも想定であって、
現実を観察する必要があります。
現実は、どうも違うのです。

上戸彩の子供時代の写真を分析してみようと思います。

以下の写真の出典:整形していない芸能人の証拠画像

上戸彩は、かなり早い幼い時から、《現実界》だけの眼を持っている子供なのです。

上戸彩小学生時代03.JPG.jpeg

幼い上戸彩

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的子供
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的子供
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的子供

《現実界》の人格
絶対零度の人間


何故に、上戸彩は、かなり早い幼い時から、《現実界》だけの眼を持っている子供なのでしょうか? 上に掲載した写真は、心持ち憂鬱で、陰があります。

その理由は分かりませんが、家庭環境には、少しですが不自然さがあります。
上戸彩は、3人兄妹の末っ子でしたが、2歳年上と16歳年上のがいるのです。
2歳上の兄がいるのは自然ですが、16歳上の兄というのは,不自然です。この兄弟関係と、それにまつわる父母関係が、もしかすると、上戸彩の表情に陰を与えただけでなくて、《現実界》だけの人格性を付与したのかもしれません。

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この幼い上戸彩は、子供ですから自然領域の《第6次元》性を示しているのは、当然なのです。

この幼い時が、人格がデザイン的であるというのは、つまり自然であったということです。
自然は、デザインなのです。

それは「神が自然をデザインした」という言い方にも現れています。

「自然はデザインである」というのは、常識には反しているかもしれませんが、例えば、我々の目をとってみても、網膜、角膜、水晶体など、非常に高度な、少なくとも人間には創造することができそうにないほどの、機能を有する器官があります。

デイヴィッド・ヒュームという18世紀おスコットランドの経験論的な哲学者は、高度な世界を設計しデザインした高位の知性があり、それが神だという議論を問題にしました。

それは、家を設計しデザインした人がいるように、複雑で精密な自然世界を設計し、デザインしたのは神であると言う論理の吟味なのでした。

こういう自然神学的証明というものが正しいかはともかくとして、自然はデザインであり、そして家を設計する事もまたデザインであって、それは同じようにデザインと呼ぶ考えはあるのです。そして子供は、自然であり、自然であるが故に神のデザインであると、彦坂尚嘉も考えています。

上戸彩小学生時代.jpg

小学生時代の上戸彩

《想像界》の眼で《3次元・コミュニケーション領域》のデザイン的子供
《象徴界》の眼で《3次元・コミュニケーション領域》のデザイン的子供
《現実界》の眼で《3次元・コミュニケーション領域》のデザイン的子供

《現実界》の人格
固体人間

人格が成長して《3次元・コミュニケーション領域》に展開しています。
絶対零度という原始時代が終わって、固体人間=前近代人になっています。

上戸彩小学生時代02.jpg

上戸彩の小学生時代

《想像界》の眼で《3次元〜第6次元》のデザイン的子供
《象徴界》の眼で《3次元〜第6次元》のデザイン的子供
《現実界》の眼で《3次元〜第6次元》のデザイン的子供

《現実界》の人格
気体人間
《シリアス人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』


さらに人格は成長して、《3次元〜第6次元》という重層的な構造になっています。
気体人間=情報化時代の人間に飛躍しています。

上戸彩高校時代01.jpg

上戸彩の高校時代

《想像界》の眼で《3次元〜16次元》の《真性の美人》
《象徴界》の眼で《16次元〜3次元》の《真性の美人》
《現実界》の眼で《3次元〜16次元》の《真性の美人》

《現実界》の人格
気体人間
《シリアス人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』

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小さい時から、《現実界》だけの眼をもつ子供であったのが、上戸彩だったのですが、高校時代になると、《第16次元》という崩壊領域にまで、人格の重層性を増加させています。なぜ、崩壊領域までに人格を拡張させえたのか? 高校生で、ここまでに人格的に成長するというのが、特別なことなのか、どうかは、私には観察例が少なくて判断は出来ませんが、たぶん、めずらしい例だろうと思います。何かの事情で、《第16次元 崩壊領域》を獲得しているのでしょうが、その理由は、分かりません。


しかも。高校生の時点で、デザイン的な、つまり自然的な人格を脱して、
私性を持った《真性の美人》になっています。
つまり自然的な人格を卒業して、私的な自我を、
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界にわたって確立している早熟な少女であったのです。

しかし、この高校生では、
《第3次元》から《第16次元》までであって、
現在のような《第41次元》にまで至重層的な人格は形成されていませんし、
そして《象徴界》の人格も《第1次元 社会的理性領域》性になっていません。

その後,すでに述べたように、《第41次元》にまでの重層性を持つ美人になるのです。《第41次元》というのは、戦争や処刑といった領域です。こういう地獄領域までに人格を拡張させ得た理由も、興味深いものです。

以上見て来たように、上戸彩は、急速な人格的な成長があった女性なのです。
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上戸彩に見られるように、人間の人格は、成長し、多重化して行けるものなのです。決して単なる自然に過ぎない《第6次元 自然領域》に止まることが、身の丈の人生として素晴らしいのではありません。

《第6次元 自然領域》を超えて、より高次で、多層的な人格を形成して行く事が、生きる事の目的なのです。
高度な、成熟した人格に向けて成長して行く事が人生の目的であり、善なのです。

子供のままの《第6次元 自然領域》に止まり、身の丈に満足することは、原始に止まる事であり。成長の努力を放棄する怠惰であって、それは人生の意味を冒涜する悪なのです。

高度で、重層的な人格を形成して行くとき、芸術は、深い姿を現します。

人格を成長させるというのは、文明のリテラシーを認めて、自分自身を疎外し、抑圧して、苦痛に耐えて行く事なのです。この苦痛と空虚を癒し、慰めてくれるものとして、《超1流》/《41流》の芸術が立ち現れます。それは、かけがえのない、決して繰り返さない存在である私性そのものの姿を、神を超える高貴さと、痛々しさとして表現し、他者への出会いを生み出すものであるのです。

私性こそ,神と格闘し、神をねじ伏せ、死ぬものとしての自らを、はかない瞬間の輝きとして獲得する証しなのです。芸術とは私性において、神=自然というデザイナーを超えることなのです。

上戸彩に見られるように,情報化社会のタレントと、その表現は、《第7次元》〜《第41次元》という倒錯領域を含むものであって、それは人類史上、今までに無い総合性と重層性を持つものなのです。

この多様性と重層性を獲得した人格と、その歌を聞いて下さい。それは伝統的なポップスを超えて、倒錯し欺瞞を生きるしか無い人間の錯誤に満ちて輝く真実を示します。

たかがしれたポップスのように聴こえながら、《非-実体性》を持ち、それは《真性の芸術》であるのです。近代の《大文字の芸術》は終わったのですが、情報化社会では、まったく構造を変えて、《ハイアート》と《ローアート》の区別を超える《真性の芸術》の出現を、ここにも見ることが出来ます。
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こたつ問題シンポジウム [告知]

彦坂のトーク(45分くらい)+討議(70分)の形式です。


こたつ問題の徹底討論を後半やります。


 

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「カルチべートトーク」(第4回)

主 催:建築文化事業委員会

テーマ:アーティストの彦坂尚嘉さんと語る、

    こたつ問題19702009/建築と美術のあいだ

 

主 旨:

時流とは関係なく本当に聞きたいこと、必要とされる知識、いま聞いておかなければ聞けなくなってしまいそうな話などを、少人数でもよいからそんな文化を共有・継承したい、という主旨で始まった日本建築学会建築文化事業委員会の委員が運営するトークシリーズの4回目です。

 1946年生まれの彦坂尚嘉は、1969年に美共闘を結成し、床にラテックスをまくフロアイベントや幾何学的なフレームをもつウッドペインティングなどを手がけ、ヴェネチアビエンナーレやサンパウロビエンナーレにも出品した作家である。各種の展覧会や美術論の著作などによっても、戦後日本美術史において重要な位置を与えられている。そして彦坂は、建築の分野にも強い関心を抱き、近年は皇居美術館空想のプロジェクトや越後妻有トリエンナーレを通じて、美術を越境するような活動を展開している。そこで40年の活動の軌跡を通じて、美術と建築の関係について語っていただく。

 また彦坂はアーティストとしては珍しく、歴史を重視する立場をとり、歯に衣をきせぬ美術評価の物言いでも知られている。おそらく、それは10年程度のパースペクティブだけで議論を構築したり、耳障りのいい言説しか知らない若年層に対しても、破壊的な批評力をもつだろう。後半は、建築と美術が参加する越後妻有トリエンナーレ2009の出品作を素材にして、両分野の現在について検証し、批評とメディアの状況もあぶりだす。また通称「こたつ問題」と言われるトピックについても触れて、参加者からの意見もいただきながら、幅広く、討議を展開したい。彦坂のフロアイベント(1970-75)は、現代美術としては初めて畳やこたつを含む家具を用いた作品であり、会田誠のこたつ派などの事例も挙げながら、建築と美術のあいだを考えていく。

 なお、今回は会場にて、Twitterを使っての議論の参加も歓迎する。

 

担当:建築文化事業委員会委員:五十嵐太郎

 

 

講  師:彦坂尚嘉(アーティスト)

期  日:2009928日(月)

時  間:18:0020:00

場  所:建築会館会議室(東京都港区芝5-26-20

定  員:30名(申込先着順)

参 加 費:1000

申込方法:E-mailで「①氏名、②所属、③連絡先電話番号、④第4回カルチベートトーク参加希望」と明記のうえ、お申込ください。

問合せ先:日本建築学会事務局 出版・普及事業グループ 鎌田

TEL 03-3456-2056 E-mail kamata@aij.or.jp


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