SSブログ

13本の木村静動画リポートと建築系美術ラジオ6本 [告知]


PortSide Yokohama


木村静さんの13本の動画リポートが、
ポートサイドステーションに掲載されました。

上記では5本ですが、

【YouTube画像】として、
木村静さんの13本が並んでいるのは、
なかなか壮観です。
と、思って下にペーストしたのですが、
きれいに出来なかったのと、数が多いので、
ダブりがあるかもしれません。
未確認ですみません。

このツアーについて/林剛人丸 GO FRIGHT AIRSHIP

越後妻有トリエンナーレ動画リポート#02 R&Sie建築事務所(フランス) アスファルト・スポット

越後妻有トリエンナーレ動画リポート#03 

山本想太郎 建具ノニワ

越後妻有トリエンナーレ動画リポート#04

 彦坂尚嘉 フロアーイベント2009

Echigotsumari2009_Hikosaka_Making_0

Echigotsumeri_making_Hikosaka2

Echigotsumari_making_Hikosaka3

Echigotsimari2009 HIKOSAKA

Echigotsumari italian restaurant making

越後妻有トリエンナーレ動画リポート#05 

オル・オギュイベ(ナイジェリア) いちばん長い川

Echigotsumaritour2009_06Richard Wilson(UK)

Echigotsumaritour2009_07 Anne Graham (Australia)

 158 クリスチャン・ラピ 砦61 
194 アンティエ・グメルス 内なる旅
 杉浦久子 杉浦友哉 杉浦研究室 昭和女子大学 生活環境
 112 ジャウマ・プレンサ 鳥たちの家 

 Echigotsumari2009 Anne Graham




ドキュメント映画の歴史の中でも,
こうしたショートショートの記録映像を並べて行くという手法で、
展開するのは、今までに無い事です。
YouTubeならでは、時代だといえます。

これと、建築系美術ラジオの放送も平行して発信されていますので、
今までに無い、発信のスタイルになっていると思います。
下手な鉄砲の数打てば当たるということに過ぎませんが、
関わっている本人は、面白い経験でした。
木村静さん、松田達さんに感謝です。

越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」
(MP3形式、28.7MB、41分45秒)

(MP3形式、14.4MB、20分59秒)

(MP3形式、35.8MB、52分09秒)



越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 越後妻有トリエンナーレ特集「異種格闘技戦的作品論」
(MP3形式、34.7MB、50分30秒)






nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

こたつ問題2/五十嵐太郎氏のコメントあります(加筆2) [建築]

 以前のこたつ問題のラジオに対して、不快という反応が起きていたのですが、以下にご紹介するラジオは、大変に長いものですが、25分くらいからこたつ問題が語られています。


これへの反発が起きていて、さらに強い批判をなげかける反応が来ています。その反応のメールを引用できると良いのですが、個人メールということもあるので、控えます。

  彦坂尚嘉の私見を申しあげれば、こたつ作品そのものは、非常に素朴な破綻性を持つ作品で、東京大学工学部建築学科の大学院生で、
しかも数百万の高額な懸賞金を稼いできたという風聞を聞いているカリスマ建築家である人たちのものとしては、非難されても仕方がないものであります。
 
 これに対する建築系ラジオの批評性に対する批判や、非難が起きる事自体は良いと思いますが、その中に批評の自由や、言論の自由に対する配慮が無い事が気になります。

 批評や言論と言うものは、不愉快なものなのです。
 リスナーが自分にとって不愉快なものを非難し、排除しようとする、素朴なまでのフロイトの言った快楽原則的な反応は、その素朴さそのものが、こたつ問題の本質を指し示しています。
 素朴なまでの建築性の欠如と、
 素朴なまでの批評や言論への視点の欠如であります。

 こうした素朴性への居直りは、子供であって、それは悪なのです。
 大人が子供のように振る舞うのは悪なのです。


37B: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」

|  | コメント(0) | トラックバック(0)
夏のオープンデスクで事務所に来ていた学生の最終日のお別れ会にて、二週間の研修を終えた感想や、最近の建築界で感じることなどについて、自由に語ってもらいました。オリジナルとコピーの問題から、プライベートとオフィシャルの問題まで、3人の学生とのぶっちゃけトークです。1時間を大幅に越えるこれまでで最長のコンテンツですが、議論の内容はしっかりしているので、そのまま配信します。ここまで学生が主役になったコンテンツは初めてかもしれません。25分頃から、ある問題に焦点を絞って話をしています(2009年8月30日、松田達建築設計事務所にて)。

松田事務所の日常
聴く: オープンデスク学生との本音トーク「夏のオープンデスクを終えて」
(MP3形式、38.4MB、1時間23分57秒)


出演者:松田達+角田博由起(呉工業専門学校)+亀田浩平(新潟大学)+多田啓太郎(千葉大学)

タグ:こたつ問題
nice!(0)  コメント(15)  トラックバック(2) 
共通テーマ:アート

異種格闘技戦的作品論 [建築系美術ラジオ]

37A: 越後妻有トリエンナーレ特集「異種格闘技戦的作品論」

|  | コメント(0) | トラックバック(0)
越後妻有トリエンナーレの合同ツアー(アート・スタディーズ+建築系ラジオ)、一日目終了後のトーク。美術と建築だけでなく様々な分野のツアーメンバーが、異種格闘技戦的に訪れた作品について語りました。下記の作品について触れています。R&Sie建築事務所《アスファルト・スポット》、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所《越後妻有交流館「キナーレ」》、武蔵野大学 水谷俊博研究室《アーチの森 2009》、杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミ《雪ノウチ》、福屋粧子《森のひとかけら》、ビリ・ビジョカ《田麦の本》、彦坂尚嘉《フロアーイベント 2009》、加治瑞穂《(Re-Analemma) ←White hole→》、大久保英治《水を考える部屋》(2009年8月9日、越後妻有松之山エリア「三省ハウス」にて)。

越後妻有アートトリエンナーレ
聴く: 越後妻有トリエンナーレ特集「異種格闘技戦的作品論」
(MP3形式、34.7MB、50分30秒)

出演者:彦坂尚嘉(美術家)+原田裕規(武蔵野美術大学)+田邊寛子(まちづくりコンサルタント)+玉田俊雄(アート・コンサルタント)+太田丈夫(美術研究家)+山田英久(映画プロデューサー)+秋本珠江(美術家)+田嶋奈保子(美術家)+中川晋介(アーティスト)+小池美津貴(立教大学)+高橋勝三(映画関係)+吉川彰布(東北大学五十嵐研究室)+木村静(フリーメディア活動家)+市川紘司(東北大学五十嵐研究室)+三橋倫子(照明設計)+五十嵐太郎(建築批評家)+山田幸司(建築家)+松田達(建築家)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

アーティストと職人の違い/Skyepとアンディ・ウォーホル(改題校正2最後に加筆2) [生きる方法]

Messenger_skype.png
遅まきながら、Skyepを始めました。
ずいぶん前から、いろいろな人に言われながら、
なかなか踏み切れなかったのですが、
数人の若い人に助けられて、開通です。

無料、あるいは低額での電話がかのうということは、
驚きがあります。
昔、電話は本当に高額であったのですが、
それが現在では無料に近いものまでなってきた。

先日は、若いアーティストのAさんと、4時間を超える長電話を、
このスカイプでやりましたが、
そこで何をしゃべっているのかと言うと、
アーティストというものと、普通の市民との違いを説明する事でした。

たとえば、このソネットのブログの中で、
アートの枠組みで、常にトップを走っているROUTE616のブログです。
きれいな写真と、しゃれた文章で、多くの支持を集めていて、
ナイスが、500を超えて獲得しているのも、たびたびあります。

ピクチャ-20.jpg
ピクチャ-21.jpg
ピクチャ-22.jpg
ピクチャ-23.jpg
ピクチャ-24.jpg


ピクチャ 19.jpg

こうしたすぐれたブログを展開しているにもかかわらず、
このROUTE616の主催者のshinさんは、本名も顔写真も伏せています。

ピクチャ-19.jpg

これは彼だけでなくて、上位のブログを見て行くと、
ほとんど全部が、匿名であるのです。

1回で500ものナイスを集められるブログを書く人が、
何故に匿名で、顔写真も伏せるのか?


こうした匿名性こそが、人間の本性であって、
人間の自然性としては、こうして匿名に隠れているものなのです。
それは自然の中にいるうさぎのような小動物が、常に物陰に隠れて、
安全を確保する事が大切である事と似ています。

500ものナイスを集められるという事も、
実は、アーティストの特性ではなくて、
職人の特性なのです。
職人というのは、例えばシルクスクリーンの刷り士の場合、
きれいに刷って、誰にも「きれいだね」とほめられるように、
刷ります。

それに対して、アンディ・ウォーホルの刷は、
ムラがあって、汚いのです。

artwork_warhol_double_elvis.jpg

「こんなので良いのですか?」と聞くと、
アンディ・ウォーホルは、「良いの」と答えるのです。
作家の責任で汚くムラムラに刷っているのであって、
それを「良し」と答えるのは、
そのアンディ・ウォーホルという作家一人で責任を負う事で、
成立するのです。
つまり万人の賞賛や肯定を得ない所で、
たった一人で、《良し》とする所で成立するのです。
これがアーティストの仕事です。

つまり職人の刷りは、万人の賞賛と肯定を得るのが前提で
成立して、これが匿名性というものなのです。
そしてそれがデザインワークなのです。

ブログで上位を占めている人々が、ほとんど全員が匿名であるのは、
こうした職人性とデザインワークによる、
多数の支持を集めているからです。

逆に言うと、アンディ・ウォーホルのような
アーティストというのは、500人のナイスではなくて、
500人のブーイングを浴びる事を引き受けて成立するのです。
500人からのブーイングを浴びる事を覚悟する事で、
実はアーティストが成立するのです。

しかし多くの現実に存在するアーティストは、
500のブーイングを浴びる事を選択しようとはしていません。
むしろ他人にほめられて、ナイスをもらう事を目的に
作品をつくり、発表しているのです。
つまりそれは職人的であり、そしてデザインワーク的なのです。
アーティストと名乗って、本名も明らかにしているにもかかわらず、
多くのそれはデザイナーであり、職人なのです。

若い作家のAさんも、根本において、
多くの常識的な人を読み込んで、
リアルな反応を空想して、物事を決めるのです。
これはアーティストとしては間違いです。
職人であり、デザイナーの心性を示しています。

芸術の基本は、500人のナイスを獲得する所には無いのです。
500名のブーイングに芸術の基本があるのです。

自分の名前を出して、自分の顔をさらして、
万人のブーイングに身をさらして、
一人で責任をとって、腹を切って、無意味に犬死していくのが、
アーティストなのです。
アーティストが狂人や犯罪者に近いのは、こうした無意味な死に
向って行く生き方からです。
何故にこの悲惨な生き方を選べるのか?

それは不幸だからです。
普通に直接的な幸せを追って生きて行く事が出来ないからです。
だから芸術という、別の秩序/学問の厳密さの中に、
自分の満足を追って生きて行く。
それは直接的には、普通の人が肯定する結果を追いかける生き方とは、
別の基準の生き方なのです。

500人がナイスを投票するような次元というのは、
匿名性と職人性で成立する世界であって、
芸術の世界ではないのです。

このように、普通の80%の人が追いかけているナイスに結果する生活世界というものの、外の世界が存在するのです。その外の世界に芸術や、学問や、哲学や、真理が存在しているのです。このことを認めないと、人類の文明における文化そのものの巨大さは、理解できません。

見の丈という日常的リアリティの中にあるのは、500人のナイスであり、匿名の世界であり、職人の世界であるのです。それは工芸や、デザインや、手芸、そしてイラストや、漫画です。

では、その生活世界や、自然的な世界の外に出て行く事は、
いかにして可能なのでしょうか?

その基本は、ナイスをくれるような500人が生きている社会の外に、
出る事です。
裸足で、砂漠の中に出て行って、砂漠の空の向こうにあるものと出会って、
語り合って、帰ってくる事が必要です。

多くの人々が生活する街からでて、砂漠や、山岳といった、
他人のいない所に出て行くのです。
そこで自分以外の普遍的な他者に出会う必要があります。

芸術というものをささえているのは、
市井の人々の生活世界の外の、荒野のはるか彼方にある普遍的な他者です。
それは自分自身以外の普遍的な他者です。
街の人々の直接的な生活世界から出て、離れ猿になって、
普遍的な他者と出会うことが、基本なのです。

今日のアートをこのようにしては語り得ないと思われる方々が多いのは
知っていますが、
しかし離れ猿の存在は、原始時代から、今日のアンディ・ウォーホルまで、
そしてジェフクーンズに至まで、
一貫して続く普遍的他者と向き合う構造なのです。

自分の名前を名乗り、
そして職人性を捨て、
500人のナイスを拒絶して、
一人、人々と離れて、普遍性に出会って行く事。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

そして
もう一度、
人々が生きる生活世界に
戻ってくる事。

日本の現代美術が戻ってこないで、
行ったきり帰らない
神風特攻隊の様であると書いた
フランスの美術評論家がいました。

もう一度
人々の中に帰ってくる事が、芸術を成立させるのです。
そのためには、
学習が必要です。
音楽家になるためには楽譜を読んだり書いたりすることができるリテラシーが必要なように、色彩について学び、構図について学び、プロポーションを使いこなすように学び、美術史を学び、空間構造論を学び、クオリティコントロールの方法というような、さまざまなリテラシーを学ぶ必要があるのです。それは音楽や、建築や、文学と同様に、高度の専門職だからであります。美術家は、単なる精神障害者や、野蛮人ではなくて、高度な芸術学を学び使いこなせる美術リテラシーの専門職なのです。


nice!(2)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。