山田幸司さんと建築系ラジオ(リンクの貼り直し) [状況と歴史]
ある事物・事象についての、何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露(意見提示)。
上記を読んで分かるように、批評というのは、「個人的な見解の発露であり、意見提示」なのです。今日のマスメディアに批評性が無くなって来ているのは、つまりマスメディアが個人的な見解や意見を封じ込めて、公的なもので、塗り込めてしまうようになって来ているからです。
「建築系ラジオ」は、その意味で、コアメンバーである五十嵐太郎、山田幸司、南泰裕、松田達の肉声を発信し、個人的な見解の発露という、批評本来の性格を回復した活動を展開しています。
個人的な見解の発露としてのメディを回復する動きは、ツイッターや、YouTubeでも、同様の機能が作動しています。
マスメディの人々から見れば、ゴミに過ぎない様なこの個人的な見解の発露が、実は批評を回復させ、現代の様々な問題を、個人が取り組んで行く契機を作り出しているのです。
大西 正紀 Masaki Onishi
1977 大阪府和泉市生まれ。
1985-88台湾省台北市滞在。現千葉県在住。
高校時代、keyboard、accordion、ステージ構成、編曲etc...
日本大学理工学研究科建築学科 修後、渡英。
2003 Ushida FIndlay Architects(UK)勤務
Project
「Do+ project vol1 青山アパート」、1999年-
「Puddle Puzzle 同潤会青山写真画展」開催
青山アパートギャラリー華音留、2002年
Recture
「青山同潤会アパート復興プロジェクトについて」
Renovation Studies、月島、2002年
(Director : 五十嵐太郎)
「わざわざ名古屋から出てきたのに」「3000円も払ったのに」「東大なのに」それ、全っ然批評じゃないです。みなさんお嫌いの「思考停止状態」そのもの。今回、彼らが東大生じゃなければこんな言われ方されなかったかしら?無料だったら?会場が近かったら?(まあ東大=最高峰なんだからおまいらちゃんとしろよ、という、東大ブランドのイメージに則った期待感はわからなくもなけど、鬼の首とったかの如くpgrしてんのは、聴いてる方としてはかえって微妙)。
居酒屋トーク的な本音って確かに面白いんだけど、山田さんの論調は、誰でも聴ける音声データとして一般に公表するにはどうかと思うレベルだった(番組を編集、放送している松田さんにこの話をしたところ「まあ、山田さんは悪役をかってでたんだよ」とのこと。ちょw未熟なものは後から「フェイズだった」と言えば済むとでも?元々熟考して仕組んだブックならまだしも、発信側のご都合による場当たり的な寸劇くずれなら誰も付き合わんし、そもそも要らんのです)。
とにかく私は「こたつ」という駄作よりも、ラジオの中でのこの問題の「語られ方」のほうに、ずっと大きな関心を持ったので「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になったわけです。それが狙いだったんです、裏テーマだったんです、って言われちゃいそうねw
「「こたつ問題」を如何に語るか問題」の本質は、建築クリティックの人材が少ないことだと思う。せっかく音声によるメディアが作られたのに、こたつの放送を聴く分には「この程度かよ」と思わざるを得なかった。今、日本の代表的な建築批評ってこんな感じです、って誰かに紹介するには恥ずかしい。人選、放送のプログラムといった番組制作側の問題かも知れないが、それ以上にまず、有能な批評家が少ないんだろうなと。五十嵐さんは、自分以外の書き手が足りないことを10年くらい前から問題としていたけれど、現在もその状況はあんま変わってない。
これまで建築のメディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメントしてくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。もちろん書き手側もそれでよかったんだよね、言論を発表することが建築村での大事件、大きな成果になってたから。おじさんの時代は、書き手も読み手も「難しいこと考えてます発表会」で満足できていたのかも知れない。今回の「こたつ」に関する山田さんの発言みたいなのも、悪のりです、言葉のお遊びです、で済んだのかも知れない。
そーいうおじさんのやり方を、これからも踏襲するつもりなのかどうかという点も、建築系ラジオの姿勢に問いたい。おじさんの遊び場、と割り切って付き合うしかないメディアもこれから残り続けるかも知れないけれど、「建築系ラジオ」という新しいメディアには、そこでこそできることを、して欲しい。建築を扱うメディアに関わる、自分への自戒も込めつつ。
追記:
ほんとは放送の中で、一緒に「こたつ」について話してはいるけれど、向かうベクトルが違っていることを、出演者同士で指摘し合えてたら、ぐっとクオリティが高まったと思うんだよね。ていうかそれだけで、私は恥ずかしいだのなんだのと文句言わなかった。
誰かが山田さんに、たった一言「それ批評じゃなくない?」って突っ込めてたらなあ。今日話してて、思い出した。慎也さんありがとう!