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読者からの質問/ベネトンの真実(加筆2改稿1写真追加3校正3) [アート論]

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さて、ベネトンです。
中野輝也さんから、次の様なコメントをいただいています。

辛辣なバッシングを受け続けても、発信を止めないでいられる人間はほんの一握りです。そのようなクリエイターの精神には「他者」を感じるし、畏怖します。バッシングを受け、社会現象になることを狙ったオリビエーロ・トスカーニの広告キャンペーンを想起しました。よろしければ、オリビエーロ・トスカーニの広告の芸術分析をお願いします。

オリビエーロ・トスカーニによるベネトンの広告 
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm

ベネトンの広告
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benetton.htm

Oliviero Toscani /
http://www.youtube.com/watch?v=gGRcy-59TAU

by 中野輝也 (2009-09-08 04:45)  



オリビエロ・トスカーニのこうした広告作品は、たいへんにすぐれたものとは思いますが、その表現の範囲を、広い視野で、考えないと、理解する事はできません。
広告としては、掲載を拒否された地域が広いので、失敗ではないか? とかんがえることも出来ますが、しかし拒否された事で、かえってその広告の存在意義は増えているので、ベネトンという会社の知名度をあげ、さらに付加価値や企業姿勢への評価を上げている効果は、通常の広告を超えるものがあったと言えると思います。

彦坂尚嘉は、あくまでもアーティストであり、芸術分析という視点で見ているので、まず、広告としての評価ではなくて、ひとつの絵画、あるいは写真作品として、このトスカニーニの作品を芸術分析してみます。
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Priest and Nun 1991
愛にタブーはないというメッセージの込められたポスター。カトリック教会から不謹慎だとして批判され、イタリアやフランスなどでは、広告の掲載拒否やポスターの撤去となった。
出典:http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm

 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》デザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》デザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》デザイン的エンターテイメント
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

 

《気晴らしアート》《ローアート》


《実体的》であるので、デザイン的エンターテイメント

 

 

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【B級美術】

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この白黒の対比の美しい作品は好きなのですが、

芸術作品としてみると、決して芸術ではなくて、デザイン的エンターテイメントであるのです。

しかし、《真性の芸術》になっている作品もあるのです。

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Bosnian Soldier 1994
ボスニア紛争で戦死した若い兵士が着ていたシャツとズボンを撮影したもの。ユーゴスラビアの内戦の激しかった時期に、国連と共同で反戦と難民の救済を呼びかけ、そのキャンペーンポスターとして使用された。出典:前出   
彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

 

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

 

《シリアス・アート》
《ハイアート》

《非-実体性》があるので、《真性の芸術》

 

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

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Newborn Baby 1991
「リアリティ」をテーマに制作されたポスター。へその緒がついたままの血まみれの新生児の映像はあまりにも生々しく、「小さな天使」「かわいい赤ちゃん」という耳になじんだ解釈を拒絶する。ポスターの中の新生児は、その生々しく壮絶な姿によって、ひとりの人間がこの世界に生まれてくるというのはどういうことなのか、この子が生まれてきたこの世界はどういう世界なのかという根源的な問いを見る者へ投げかける。また同時に、その生々しい姿はこれまで広告が描いてきたうわべだけの美しさや生身であることを感じさせない記号化された人間の存在に対して強烈な異議をとなえる。それはトスカーニが様々な場で発言してきた「人間の血は赤く、尿は黄色い、青い液体など使うべきではないし、もっと現実に目を向けるべきだ」という彼の広告制作の基本姿勢をストレートに表現するものでもある。この作品は美術的には高く評価され、オランダの美術館などで展示されることになった。また、トスカーニ自身もこれを重要な作品と考えているようで、自らの主宰する雑誌「Colors」創刊号の表紙にも使用している。その一方で、映像のあまりの生々しさから、公共の場への展示はふさわしくないと判断され、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国で、町中の看板が撤去される事態となった。撮影はもちろん母親と病院の許可を得て行われている。(出典:前出)


 

彦坂尚嘉責任による芸術分析
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

 

 

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

 

 

《シリアス・アート》
《ハイアート》

《非-実体性》があるので、《真性の芸術》

 

 

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

さて、これらトスカーニの代表作は、
すぐれていると思います。

以上、私の評価は、すでに社会的になされているものの追認という範囲をでません。

これらにおいて、トスカーニは、すぐれた芸術を制作したと思います。

ただ中野さんは、コメントの後半に次のように書かれています。

彦坂尚嘉さんの以前の記事を読むと、アンディ・ウォーホルはクオリティコントロールが一定しない美術家という印象を受けました。「クオリティコントロールが一定しない」という点に関しては、オリビエーロ・トスカーニもそのようなクリエイターであると思います。

私も、中野さんと同意見です。
トスカーニの場合、どうしても主題に頼っている所があって、
作品構造として、芸術を捉えていないのです。

ですので、ネガティブな主題を選ぶと芸術になるのですが、
そうでないと、良く出来たデザインワークということになりますし、
《第8次元 宗教領域》というべき作品も多くあります。

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芸術においても、デザインにおいても主題は重要ですが、
しかしそれだけではないのです。
主題とは違う次元の芸術構造というものがあるのです。
この場合の構造というのは、構造主義の構造と、それほどの違いはないと考えて下さっていいです。

あるいは、フォーマリズムであると、言っても様と思います。

会田誠さんとの座談会で良く理解できたことは、「ネタ」という言葉で表現される主題性だけで、芸術を考えて行く傾向が強くあるのです。トスカーニにもその傾向があります。

それに対して彦坂尚嘉の場合には、フォーマリズムの傾向が強いと言えます。
 
さて、このトスカーニの作品を彦坂尚嘉が改竄してみます。
あくまでも余興ですので、ご笑覧いただければ幸いです。

私の言う、芸術構造の一端を示すのが目的ですので、
著作権違反は知っていての確信犯ですので、
トツカーニへのオマージュですので、お許しください。

【続きはここをクリックして下さい】


タグ:ベネトン
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