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こたつ問題の真実! [制作]

こたつ問題のプロセスを示す、記事を発見しました。
もともとはブログに掲載されていた様ですが、削除された記事が、キャッシュに
残っているのを見つけたので掲載します。
制作しや大杉哲也氏と伊藤友隆氏の思考のプロセスが分かります。当初の計画が、現地の変更や、
アートフロントの側の希望で、次々に壊れて変形して行きます。特に、移動性を求められて、4つに分割し、
車をつけようとした所で、本来のコンセプトが、ほぼ完全に崩壊しているのです。
結局問題なのは、変更のプロセスの中で、その事がマイナスにしか機能して行かなかったことが、
失敗の原因と言えます。
主催:大杉哲也+伊藤友隆/pop-up-tokyo
出演:モモンガ・コンプレックス
日時:2009年9月6日(日)午前11時より日中随時開催
場所:まつだい農舞台前広場
交通案内:http://www.noubutai.com/infomation/access.html

いよいよイベント間近です。
今回は、「みんなのこたつ」の制作プロセスを紹介します。
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公募段階では特に大きさや形を定めず、このような簡単なスケッチと、集落全員が一度に座れる大きなこたつを集落のみんなで一緒に作るというコンセプト、展開するイベントについて書きました。

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公募に選ばれた後、敷地が変更になり、また商店街の再生計画と合わせて計画することを任されました。高齢化が進み、シャッターが閉まる商店街を今後どうしていけばよいのか。長期的なプランとそれを支える仕組み、地域通貨や小口債券の発行等の運営モデルなどを考えるとともに、手始めとしての商店街での今夏のイベント計画をこたつと絡めながら進めていました。


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途中予算の関係で地面を掘る事が難しくなったため、"掘りごたつ"から"こたつ"になりました。この時までは、コンクリートで天板・脚を一体化したものを設計していました。

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トリエンナーレ開始直前に商店街の計画が残念ながら全て中止になってしまい、敷地と予算の再変更が決まりました。こたつは急遽まつだい農舞台に設置することになり、すぐに動かせることと収納のしやすさが求められました。悩みましたが、こたつを割ることでステージとして自由に配置・移動できるといろいろな使い方ができていいのではないかと考え、4分割して車輪を脚につけることにしました。

このように、地域のこたつからイベントのステージへと機能が大幅に変化しているこたつですが、今度の日曜日、イベントでどのように使って頂けるのか楽しみです。
Tsumari | 01:49 |
イベント告知

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写真提供:モモンガ・コンプレックス 撮影:北川桃

 9月6日(日)に「みんなのこたつ」を舞台として、ダンスパフォーマンスグループ「モモンガ・コンプレックス」による、パフォーマンスイベントを開催致します。

 昨年横浜トリエンナーレを訪れた時に、こたつを用いたダンスをする彼女達を通りがかりに偶然拝見し、こたつ繋がりという事でこちらから声を掛け、今回のイベントが実現することになりました。早い段階から打合せをし、ステージとしての使いやすさ、強度を考慮してこたつを制作しており、今回のメインイベントです。是非、御覧下さい。


こたつ×こたつ
主催:大杉哲也+伊藤友隆/pop-up-tokyo
出演:モモンガ・コンプレックス
日時:2009年9月6日(日)午前11時より日中随時開催
場所:まつだい農舞台前広場
交通案内:http://www.noubutai.com/infomation/access.html


大地の芸術祭HP
http://www.echigo-tsumari.jp/2009/
大地の芸術祭イベント情報
http://www.echigo-tsumari.jp/2009/2009/08/pop-up-tokyo.html


◆モモンガ・コンプレックス◆
公式HP http://d.hatena.ne.jp/momonga_complex/
白神ももこ主宰。生活感にじみでるユーモラスを味としたダンス・パフォーマンス的グループ。
2005年12月、『明日、シベリアへ行くかも。』で旗揚げ。2008年度より、埼玉県・富士見市民文化会館キラリ☆ふじみを拠点に活動するキラリンク☆カンパニーとなる。
世界のはじっこにある些細な存在やできごとも価値ある愛すべき存在として捉え、ちょっとおかしな人たちが、ゆるーく微妙に笑える空間を作り出したりしている。
Tsumari | 01:14 |
はじまりました
更新が遅れましたが、ついに大地の芸術祭が始まりました。
見に来て下さった方に、好きな形に切ってもらった布を、こたつの布に貼り付けていくワークショップを週末毎にしています。
妻有には毎週末行っているのですが、先週まで3週連続!!で雨が続いたので作業がほとんどできず、今週ようやく少し増えました。参加して下さった方、どうもありがとうございます。
今夏は天気がよくないようなので、このままのペースでは、トリエンナーレが終わる頃までに布の白い部分が全部埋まるか心配です。

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Tsumari | 17:14 |
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

このブログを削除したことは、間違いです。
どうであれ、こうした制作は、公的なものですから、
今回のように批判が起きた場合、
一度公開したものは、
原則的には、削除をしない方が良いのです。

批判を受けた時には、逃げないで、
正面から受け止めて、
とにかく先ず、事実や真実、そしてプロセスを、
公表する事です。

問題があるとすれば、
むしろ、こうした削除をしてしまうような、
その主体の弱さに問題の本質があるように
思います。

その弱さが、移動を求められた時に、
4つに分解してしまうという間違いを生んだのでは
ないでしょうか。

現実の中での制作は、
その意味で闘いであって、
何があっても逃げないという強い主体が
必要です。

しかし人間は弱いのです。
だからこの自分の弱さを知っていて、
だからこそ、逃げないで、
現実を切り開いて行く方法が必要なのです。

失敗や駄作というのは、避けがたいものです。
このマイナスを引き受けることをして行かないと、
制作は出来ないのです。

つまり失敗作や駄作を、
自分自身が愛する事で重要です。
だれも駄作や失敗作を愛してくれないのですから、
作家自身が愛する以外には、ないのです。
失敗作を作家自身が愛する時に、
ピンチがチャンスに反転する奇跡が生まれるのです。

今回の場合でも、
この建築系ラジオで、批判され、有名になったのですから、
この事態を引き受ける事が、
ピンチをチャンスに反転させる、
テコの支点だったのです。

このブログを削除した事が、
今回のこたつ問題の、最大の敗因の中心に位置します。


タグ:こたつ問題
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元木みゆきと山本藍子(校正1加筆1) [アート論]

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白濱雅也さん企画の、2人展を、「深川ラボ」に見に行って来ました。
18日のオープイングに行って来たのです。

以下の画像は、この展覧会だけではなくて、
ネットから拾った画像も入れて、
作家を紹介しようというものです。

先ずは山本藍子さん。
日本画家です。

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■略 歴■


2004年  武蔵野美術大学日本画科卒業
2006年  ギャラリー繭蔵(青梅・東京)
2008年  第44回神奈川県美術展 美術奨学会賞受賞
2008年 マキイマサルファインアーツ

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山本藍子作品の彦坂尚嘉責任の芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
          ただし《31次元〜超次元》が無い。
《象徴界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
          ただし《31次元〜超次元》が無い。
《現実界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
           ただし《31次元〜超次元》が無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示。
キッチュと純粋芸術の同時表示
芸術と反芸術の同時表示
【A級美術】

まだ発表して1年くらいの若い日本画家ですが、
《第41次元》の表現と、今日的な同時表示の作品を展開していて、
評価できる新人です。

続いては写真家の元木みゆきさんです。


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元木みゆき

 

1981年 千葉県生まれ

2009年 東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻

修了

[受賞歴]

2004年 第22回ひとつぼ展グランプリ受賞

2007年 第32回三木淳賞奨励賞受賞 

2008年 第8回さがみはら写真新人奨励賞受賞 

2008年 第31回写真新世紀優秀賞受賞  

]

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元木みゆき作品に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

山本藍子作品の彦坂尚嘉責任の芸術分析
《想像界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
           ただし《31次元〜超次元》が無い。
《象徴界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
           ただし《31次元〜超次元》が無い。
《現実界》の眼で《第41次元 崇高領域》の《真性の芸術》
           ただし《31次元〜超次元》が無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示。
キッチュと純粋芸術の同時表示
芸術と反芸術の同時表示
【A級美術】

白濱雅也さんのつくった2人展ですが、
芸術分析的には、同じ質の作家です。
もっと細かく芸術分析をすれば差異は見つけられるとは思いますが、
豚をテーマにして、日本画と写真という、
メディアも見た目もずいぶんと違うにもかかわらず、
良く似ている二人であります。

展覧会そのものは、「深川ラボ」という小ちゃな画廊のでの
2人展ですので、ささやかですが、
本人たちも新々人類とも言うべき新しき人々で、
印象深いオープニングパーティでありました。





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レディ・ガガとマドンナ [美人論]

忙しくて書けていないのですが、
レディ・ガガとマドンナの比較を書こうとしています。

レディ・ガガが《23次元 萌え領域》なのに対して、
マドンナのエロチカからは、《第1次元 社会的理性領域》です。

2人ともシュミレーショニズムのミージッシャンですが、
【YouTube画像】だけでも見て下さい。

レディ・ガガのトップの画像は、貼付け禁止の画像の海賊版ですので、
乱れがありますが、ご容赦ください。
レディ・ガガは、流行りですが、たいした事は無いので、頭だけ見て下さい。

マドンナのエロチカの画像は、2つとも大変にすぐれています。
ライブは、長いですが、見事なものです。










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山田幸司さんと建築系ラジオ(リンクの貼り直し) [状況と歴史]

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「こたつ問題」は、「こたつ事件」という言い方になってきて、
今日のコンペティッションの問題点、
マスメディの批評の不在化、
そして建築家の危機性が、
あぶり出されて来ています。

今日の建築家は危機に見舞われているのです。
だから、美術に流れ込んで来ている傾向があるのです。

そして今回の越後妻有ツアーで、
それら建築系出品作を見ると、5つくらいの、実は弱い作品があった。
この失望が背景で、今回のこたつ事件が起きているのです。


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この「こたつ事件」は、
建築系ラジオという
新しいインターネト・メディのその生々しさを突き出したが故に、
「事件」にまでなったと言えます。

私のブログもそうですが、生々しいのです。
低俗性があると言っても良いですが、その生々しさがもつ私性こそが、
批評の依拠する場所なのです。

「批評とは何か?」という問いに対する答えを、
たとえば「批評とは - はてなキーワード」で、見てみましょう。

ある事物・事象についての、何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露(意見提示)。


上記を読んで分かるように、批評というのは、「個人的な見解の発露であり、意見提示」なのです。今日のマスメディアに批評性が無くなって来ているのは、つまりマスメディアが個人的な見解や意見を封じ込めて、公的なもので、塗り込めてしまうようになって来ているからです。

 

「建築系ラジオ」は、その意味で、コアメンバーである五十嵐太郎、山田幸司、南泰裕、松田達の肉声を発信し、個人的な見解の発露という、批評本来の性格を回復した活動を展開しています。

 

 

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個人的な見解の発露としてのメディを回復する動きは、ツイッターや、YouTubeでも、同様の機能が作動しています。

マスメディの人々から見れば、ゴミに過ぎない様なこの個人的な見解の発露が、実は批評を回復させ、現代の様々な問題を、個人が取り組んで行く契機を作り出しているのです。

 

 

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今回の「こたつ事件」に対して、山田幸司さんへの批判が出て来ています。
その代表が、大西正紀さんのもので、長文で出現して来ているのです。

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大西 正紀 Masaki Onishi

1977 大阪府和泉市生まれ。
1985-88台湾省台北市滞在。現千葉県在住。
高校時代、keyboard、accordion、ステージ構成、編曲etc...

日本大学理工学研究科建築学科 修後、渡英。
2003 Ushida FIndlay Architects(UK)勤務

Project
 「
Do+ project vol1 青山アパート」、
1999年- 
 「Puddle Puzzle 同潤会青山写真画展」開催
 青山アパートギャラリー華音留、2002年

Recture
 「青山同潤会アパート復興プロジェクトについて」
 Renovation Studies、月島、2002年
 (Director : 五十嵐太郎)

私はこうした批判の出現は、健康なことで、歓迎するものです。

ラジオには数人のメンバーが出演していて、前述の通り五十嵐さんや彦坂さんは、ここから全体(建築、批評、教育など)にある問題を見いだそうとする姿勢があった。つまり批判、批評であろうとする姿勢があった。しかし中には終始「あれひどいね〜クスクス」的な文句や嘲笑のままであるメンバーもいた。山田さんなんだけど。ご本人もこちらの意見をご存じみたいなので、書いちゃうけど。ごめんなさいね。でも山田さんの一連の発言は、放送全体の批評性を大きく下げるものだったと、私は思う。

「わざわざ名古屋から出てきたのに」「3000円も払ったのに」「東大なのに」それ、
全っ然批評じゃないです。みなさんお嫌いの「思考停止状態」そのもの。今回、彼らが東大生じゃなければこんな言われ方されなかったかしら?無料だったら?会場が近かったら?(まあ東大=最高峰なんだからおまいらちゃんとしろよ、という、東大ブランドのイメージに則った期待感はわからなくもなけど、鬼の首とったかの如くpgrしてんのは、聴いてる方としてはかえって微妙)。

居酒屋トーク的な本音って確かに面白いんだけど、山田さんの論調は、誰でも聴ける音声データとして一般に公表するにはどうかと思うレベルだった(番組を編集、放送している松田さんにこの話をしたところ「まあ、山田さんは悪役をかってでたんだよ」とのこと。ちょw未熟なものは後から「フェイズだった」と言えば済むとでも?元々熟考して仕組んだブックならまだしも、発信側のご都合による場当たり的な寸劇くずれなら誰も付き合わんし、そもそも要らんのです)。

とにかく私は「こたつ」という
駄作よりも、ラジオの中でのこの問題の「語られ方」のほうに、ずっと大きな関心を持ったので「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になったわけです。それが狙いだったんです、裏テーマだったんです、って言われちゃいそうねw

「「こたつ問題」を如何に語るか問題」の本質は、建築クリティックの人材が少ないことだと思う。せっかく音声によるメディアが作られたのに、こたつの放送を聴く分には「この程度かよ」と思わざるを得なかった。今、日本の代表的な建築批評ってこんな感じです、って誰かに紹介するには恥ずかしい。人選、放送のプログラムといった番組制作側の問題かも知れないが、それ以上にまず、有能な批評家が少ないんだろうなと。五十嵐さんは、自分以外の書き手が足りないことを10年くらい前から問題としていたけれど、現在もその状況はあんま変わってない。

これまで建築のメディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメントしてくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。もちろん書き手側もそれでよかったんだよね、言論を発表することが建築村での大事件、大きな成果になってたから。おじさんの時代は、書き手も読み手も「難しいこと考えてます発表会」で満足できていたのかも知れない。今回の「こたつ」に関する山田さんの発言みたいなのも、悪のりです、言葉のお遊びです、で済んだのかも知れない。

そーいうおじさんのやり方を、これからも踏襲するつもりなのかどうかという点も、建築系ラジオの姿勢に問いたい。おじさんの遊び場、と割り切って付き合うしかないメディアもこれから残り続けるかも知れないけれど、「建築系ラジオ」という新しいメディアには、そこでこそできることを、して欲しい。建築を扱うメディアに関わる、自分への自戒も込めつつ。


追記:
ほんとは放送の中で、一緒に
「こたつ」について話してはいるけれど、向かうベクトルが違っていることを、出演者同士で指摘し合えてたら、ぐっとクオリティが高まったと思うんだよね。ていうかそれだけで、私は恥ずかしいだのなんだのと文句言わなかった。

誰かが山田さんに、たった一言「それ批評じゃなくない?」って突っ込めてたらなあ。今日話してて、思い出した。慎也さんありがとう!
出典:http://blog.mosaki.com/?eid=905277#sequel
mosaki的東京経験値
=日常から建築まで.大西正紀(masaki)+田中元子(hana)+リン(Lynn)の即効的ブログ.


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山田幸司さんを批判する気持ちも分かるし,
山田幸司さんの語りが、面白いにも関わらず、不愉快と思う気持ちも
わかります。

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しかし山田幸司さんのもつ、この生々しさこそが、
今日のマスメディが失ったものなのです。

昔の明治期の新聞には、こうした山田的な生々しさがあったのです。
たとえば、夏目漱石の書いた美術批評ですが、憎悪をこめたかの様な、
悪口が口汚く書かれていて、その生々しさは、すごいものです。

それが,いつの間にか、個人の私的な意見を削除するようになった。
日本のマスメディアの活力の喪失は、
実は山田的なものを失ったからです。


批評というのは、公的なものではなくて、個人的な意見の発露なのです。
その意味では2ちゃんねるは、批評性の原点なのです。
ただ2ちゃんねるが残念なのは、匿名であることです。

山田幸司さんは、実名で、しかも建築家であって、
自分の責任で語っているのであって、その個人的な見解は、
批評たり得ていると彦坂尚嘉は考えます。

山田幸司さんは、学生時代に学費を稼ぐためにホストクラブで
働いていたのですね。
そうした経験とキャラクターが、生々しい表現力の語りを
成立させているのです。

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建築系ラジオの果たすべき役割の中心にあるのは、
大西正紀さんが考える公的な批評性とは逆であって、
個人的な私的見解を表出させる事で、
公的性において欠如して来ている批評と議論を活性化させる事なのです。

私性をもって、欺瞞に窒息する公的言論の硬直性を撃つこと。
そこに批評があるのです。

山田幸司さんは、その意味で私の好きな語りを展開するすぐれた才能の
持ち主です。
だからこそ、殺されるかもしれませんね(笑)。
社会と言うのは、私性を持って語る現論人を憎んで、殺して来ているからです。

ソクラテス
エックハルト
・・・・・
レニーブルース
・・・・・
そして北野誠

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金粉ショー:ゴールデンファイナンス/大駱駝艦の表現の差(改稿1) [アート論]



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ゴールデンファイナンスという金粉ショーについて、ユミさんから、コメントでリクエストをいただいていました。

これらが、超一流とかの次元ではないのは、それとして、
「派遣依頼募集」とされたサイトページの文章内容には、
すばらしく琴線が震えるものがありました。

よろしければ、芸術分析をお願い申し上げます。


新世界ゴールデンファイナンス 派遣依頼募集
http://www.shinsekai-xx.com/03_dy.html

水都大阪2009他、お寺での出演予定など。
http://www.shinsekai-xx.com/02_sc.html


昨年9月、コロンボ国立博物館(スリランカ)より東京国立博物館へ駆けつけた、観世音菩薩の画像です。
http://images.google.co.jp/imglanding?imgurl=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/aa/d8/srilanka_s_history_and_buddhism/folder/664077/img_664077_10163899_0%3F1212747961&imgrefurl=http://blogs.yahoo.co.jp/srilanka_s_history_and_buddhism/10163899.html&usg=__MhpR9lP8QPcOJTXtG_Hzwy5rDIk%3D&h=640&w=480&sz=290&hl=ja&tbnid=jckVekTtwR0cQM:&tbnh=137&tbnw=103&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2582%25B3%25E3%2583%25AD%25E3%2583%25B3%25E3%2583%259C%25E5%259B%25BD%25E7%25AB%258B%25E5%258D%259A%25E7%2589%25A9%25E9%25A4%25A8%25E3%2580%2580%25E8%25A6%25B3%25E9%259F%25B3%26gbv%3D2%26hl%3Dja%26sa%3DG&q=%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%9C%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%80%80%E8%A6%B3%E9%9F%B3&gbv=2&sa=G&start=0

by ユミ (2009-08-28 15:15)  



ゴールデンファイナンスというのは、大道芸と今日では分類されている
金粉ショーのグループです。
金色への反応は基本的なものではありますが、
同時に《第41次元》性という崇高領域に、
ユミさんは魅了されたのだと思います。

ただ、ユミさんの惹き付けられたゴールデンファイナンスの【YouTube画像】は、原始的で粗野なものへ還元する婆娑羅的なものなので、あまり評価できません。

金粉ショウは金粉を身体に塗りつけてダンスなどを行うパフォーマンス
のことです。

この金粉ショーが、社会的に知られるようになったのは、
1959年には、007シリーズで『Goldfinger 』が作られて、上映されたのですが、
これが金粉ショーを広めたと言えます

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金粉を身体に塗るというのは、歴史的には、インカ帝国の時代、宗教行事として行われたというのです。

日本人の金粉ショーで、最初に有名になったのは、吾妻京子というストリッパーで、金粉ショーで一世を風靡したようです。

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吾妻京子の芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《現実界》の表現
絶液体美術の表現

《シリアス・アート》
《ローアート》

【B級美術】

小説家の坂口安吾が、金粉ショーになる前の吾妻京子のストリップについて1950年8月号の『文芸春秋』に、「坂口巷談 ストリップ罵倒」書いています。

歌舞伎の名女形おやまといわれる人の色ッぽさは彼らが舞台で女になっているからだ。ところが、ホンモノの女優は、自分が女であるから舞台で女になることを忘れがちである。だから楽屋では色ッぽい女であるが、舞台では死んだ石の女でしかないようなのがタクサンいる。ストリップとても同じことで、舞台で停止した裸体の美はない。裸体の色気というものは芸の力によって表現される世界で、今のストリップは芸を忘れた裸体の見世物、グロと因果物の領域に甚しく通じやすい退屈な見世物である。
 いくらかでも踊りがうまいと、裸体もひきたつ。私が見た中ではヒロセ元美が踊りがよいので目立った。顔は美しくないが、色気はそういうものとは別である。裸体もそう美しくはないのだが、一番色ッぽさがこもっているのは芸の力だ。吾妻京子がその次。しかし、生の裸体にたよりすぎているから、まだダメである。舞台の上の女に誕生することを知らないと、せっかくの生の裸体の美しさも死んだものでしかない。
「坂口巷談 ストリップ罵倒」http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43179_21391.html

この坂口安吾が言う芸を忘れた裸体の見世物、グロと因果物の領域に甚しく通じやすい退屈な見世物という指摘は、芸術全般に言える事で,《芸》という本質を忘れた退屈な見世物としての美術作品が、実に多いのです。
ところが、実はこの《芸》という本質を忘れた《退屈な見世物》を喝采して受け入れる風潮が、今日の世界をおおっているのです。

吾妻京子の金粉ショーは、坂口安吾の文章の後なので、1950年代の出来事と推定できるます。たぶん007よりも早いかもしれなですが、もしかすると007の影響で、吾妻京子の金粉ショーが始まったのかもしれません。そうすると、1959年以降の、1960年代前半と考えられます。


1960年代に、たぶんこの吾妻京子の影響もあって、土方巽の暗黒舞踏派唐十郎の状況劇場のメンバーが、キャバレー等でのアルバイトとして行ってと、彦坂尚嘉は推察します。

暗黒舞踏派から出て、唐十朗と一緒に状況劇場を結成した麿赤兒が、1972年に大駱駝艦を結成していますが、この大駱駝艦が、金粉ショーをやっています。

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麿赤兒は、1968年の新宿の状況劇場の『ジョンシルバー』を
見ています。
あの時の最終、テントが開け放たれ、空間が拡大し、
李礼仙を肩車した麿赤兒の威風は、見事なもので、眼に焼き付いています。

大駱駝艦は、ゴールデンファイナンスに比較すると、ずっと洗練されているので【YouTube画像】を付けますので、お時間が許せば見て下さい。
なお、この大駱駝艦の金粉ショーは、途中から女性ヌードが出てくるため、アダルト・ビデオとしての金粉AV扱いを受けている画像でもあるのです。特にひどい猥褻画像ではありませんが、不快に思う方は、頭の部分の男性の舞踏だけを見てください。


この大駱駝艦と、落ちるゴールデンファイナンス2つの金粉ショーの表現の差を、芸術分析してみたいと思います。
同じ金粉ショーでも、違いが、芸術的な差としてあるのです。
似て非なるものを見分けてかないと、芸術分析や、
趣味判断というのは、成立しないのです。



ゴールデンファイナンスの踊りは、かなりひどいもので、
これが《第6次元 自然領域》です。

それに対して大駱駝艦の舞踏はずっとましで、
踊りとしては《第1次元 社会的理性領域》です。

《第6次元 自然領域》というのには、抑制がないのです。
それに対して《第1次元 社会的理性領域》というのは、抑圧が
あって、訓練による抑制された動きがあるのです。

「芸術が分かる、分からない」という事の差は、
似ているものを比較して、その差を見分ける所にあります。

たとえば、コンビニで幕の内弁当を買っても、
それがセブンイレブンの幕の内弁当と、ミニストップの幕の内弁当では、
《第1次元 社会的理性領域》の味と、
《第6次元 自然領域》の味の差があって、
白いご飯だけの味でも、《1流》と《6流》の差がはっきりとあるのです。
この2つの味の差が分からない人は、鈍いと思って下さい。
こうした差を見分けられないと、「芸術が分かる」とは言えないのです。
まず、基本は、まともな割烹の日本食を食べて、
その味が《1流》であると覚える事です。
《1流》の味を覚えると、芸術の差の基本が見分けらる入り口に立ちます。
日本人ですから、白米の差を分かるようになって欲しいものです。

芸術の趣味判断の基礎は、味覚における差の見分けから、
歴史的に始まっているからです。
ですから基本は《6流》と《1流》の味の差を区分できるように
なる事です。
料理というのは《6流》の自然の味ではなくて、
《1流》の抑制された味を作る事を言います。

さて、ここでは金粉ショーという大道芸の表現の差の芸術分析を通して、
この似て非なるものの見分けを考えてみます。

まず、ゴールデンファイナンスの芸術分析です。

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ゴールデンファイナンスの芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第41次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の表現
絶対零度の表現

《気晴らしアート》
《ローアート》

【B級ショー】

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大駱駝艦の芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元〜第6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
芸術と反芸術の同時表示
キッチュと純粋芸術の同時表示

【A級ショー】

大駱駝艦の金粉ショーの欠点は、《象徴界》が、
従来の古さを持っていて、《第1次元〜第6次元》しか無いところに
あります。
ここを、《第41次元〜超次元》という倒錯領域を含む全領域に拡大
できれば、決定的に新しくなって、面白くなるのですが・・・・・

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タイヤのパンクと交換 [状況と歴史]

乗っている三菱のekワゴンがパンクしました。
もともとは女房の車なのですが、
自分の乗っていたブルーバードが古くなって捨ててしまってからは、
この軽自動車に乗るようになっていました。
タイヤは、すでの寿命になっていて、
交換は必要な時期でありました。
ですから、パンク自体は、
必然でありました。

ヤフーオークションで売っている安いタイヤを買って、
さらに交換をしてくれる業者を頼むということを、
井上清仁さんに、電話とメールで聞きながら実行しました。

これが一人では出来なくて、
そもそもヤフーオークションでのカテゴリーの細部の指定も、
何段階も選んで行かなければならなくて、
一人では分かりませんでした。
まず、自動車・オートバイを選ぶ。
パーツからタイヤを選ぶ。
インチのところに、155/65R13というタイヤサイズを、
車検証と一緒に入っている取扱説明書から見つけて打ち込む。

こうした検索そのものも、
知らないとなかなか出来ないものなのです。
タイヤ交換だけをしてくれる業者の存在も、
井上さんに教えられなければ知りようも無い情報です。
その結果として、費用は3割りほど安く、タイヤ交換が出来るのです。
物流や小売りの様態そのものが変化をして、
それに伴うサービスもまた、変化して来ているのです。
コンピューター・リテラシーというのもの、
想像以上にむずかしく、その複雑さは、
現在の文化そのものの変貌を指し示しています。
買い物も、コンピューターで検索して行う事自体が、
時間も知識も、根気も必要であって、
そのことに慣れるためには、
それなりの覚悟も、努力も、
そして何よりも友人の援助が必要なのです。



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徹夜で整理(加筆1) [日記]

アトリエの整理を、徹夜でやっています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加筆1

アトリエは、何しろ乱雑で、これを片付けるのは、
一仕事どころか、三仕事くらいの大変さがあります。

昨晩は徹夜でBさんが手伝ってくれて、
かなりのゴミを出しました。
今あるものを、半分にする必要があります。
実際には2割りくらいをゴミとして捨てて行くことです。

こういう整理を、私自身は苦手で、今までさぼって来ていたのです。
昨晩は、まるで作品を作るように、果敢にこの難題に挑む事に
なりました。

それはこの手伝ってくれる若い友人の存在が大きいのであって、
難題に挑む狂気があるからです。
作品もそうですが、
むずかしい事に挑んで行く狂気がないと、
先に進めません。

そういう狂気を実行する事が、何か社会的に報われるものではありませんが、
しかし、このアトリエであれば、
きれいにして、気体分子ギャラリーの展示にも使用できる状態に、
したいと思っています。

気体分子ギャラリーは、固定した画廊を持たないネットギャラリーですが、
だからこそ、現実の活動の場は、いろいろな可能性を模索して行きたいと、
思います。

しかし、それ以上に、
自分自身の習慣や悪癖を解体して行くことが、
重要だとは思います。
晩年は、きれいな空間で制作したいものであります。


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こたつ作品最終画像(改題1) [建築]

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こたつ問題は、建築会館での今月28日のシンポジウムに向って
動いています。
このシンポジウムに、こたつ問題の2人の出席を促すメールが2通、
出されているのです。

越後妻有トリエンナーレの、
正式な会期は終わりましたが、展示が続いている作品もありますが、
彦坂尚嘉は、搬出をしながら、
こたつ作品の最後の鑑賞と、写真撮影をして参りました。
撮影は武田友孝氏です。
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アップリケの数は、4面に、以前よりもかなり増えているので、
努力の後を見ることの出来るものでした。




ゴザが2カ所敷かれていました。

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ゴザにしても、もっと数を増やす事は出来るのに、
2つしかない。

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一カ所だけ、上の写真のような急須などが置かれていて、
この内容が、以前よりは充実していました。

しかし急須類にしても、もっと量を増やすとか、こたつの上に花瓶を置くとか
もっと派手にする事は出来るのですが、それがされていない。
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4枚のパネルの合わせ方は、前よりはましになっていて、
少し改善していました。
それでも隙間は、ありましたが。
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隙間に、草が1本顔を出していました。

以上写真で見ても分かるように、
若干の改善はされていたのですが、
その改良のささやかさには、正直驚かされます。


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瀬戸内海へ/武士の一分 [日記]

昨日の作品の撤去には、
このトリエンナーレのボランティア部隊の中でも
最強集団である男4人が投入されてきました。
武田さんと私を含む、男6人の果敢な作業で、ほぼ6割が終わりました。

こういう手配をしてくださる奥野恵さんという担当には、
深く感謝します。
この10年、奥野恵さんとの連携が、
一度も破綻する事無く展開されてきて、
私の作品は成立してきたのです。

彦坂の悪口を言う人々は多いのですが、
しかし、現在もそうですが、私の活動に共感し、
支えてくれる人も多くいるのです。
悪口を言う人は、このことをどう考えるのでしょうか。

越後妻有トリエンナーレの中で、私の作品は地味ではありますが、
しかしアートフロントの最初期からの幹部であり、
最強のアートディレクターの奥野恵さんとの信頼関係の中で、
10年の制作が実行されているのです。

多くの人に嫌われ、孤立し、そして誰もいなくなっても、
私は奇跡のように、優れた人に出会い、
新たな展開を遂げてきています。
それは何故なのか?

このことを新聞に書いたのは、
針生一郎氏でした。
それも1972年という昔の毎日新聞です。
1頁使って、フロアーイベントを書いてくれたのですが、
そこで針生一郎氏がコメントを寄せているのです。
行き詰まってつぶれると思って見ていると、
彦坂は魔法のように、切り抜けて
次の展開を切り開いていくというのです。

何故に、それができるのか。
基本としての人間としてのモラルを守ることと、
正確な認識を追究している事、
そして自分を批判し、自分を殺す事をいとわないからです。

とは言っても、常識は破るし、
とんでもない実行力を示す。

モラルも、細部では、ひどい事をする。
170キロのスピード違反で走るし、パトカーに追いかけられた事は、
数知れない。
にもかかわらず、63歳まで今のところ死んではいないし、
免許は失っていないし、
前科は無い。

基本的に善を追究しますが、
争うと成れば、犬死にもいとわない激しさで争う。

しかし基本は無私で、無欲であるのです。

まあ、この無私で無欲である事で、
多くの人に嫌われてきているのですが、
この私を嫌う気持ちはわかります。

今回も田麦の作品を見に来て、私の作品に伝言を書くということを
した小柳幹夫さんという作家は、
1971年に、私が『美術史評』という同人雑誌を立ち上げる直前に、
「止めたい」といって離脱し逃亡した男です。
こういう風に、離脱したり、裏切ったり、去っていく人を、
私は許容してきたしました。
去る者は追わないし、非難もしませんでした。

作家としては小柳氏は低迷し、
彦坂は、展開してきたのです。
私から見ると、小柳氏は、
自分のタコ壷にこもって、
自分の世界を探求し続けてきていて、
それはそれで良いと思うのです。

人間の多くは、
自分のタコ壷にこもりつづけて、死ぬのです。
自分のタコ壷が棺桶になるのです。
生まれて、動かず、自らのタコ壷を棺桶にして、
燃えて消えるのです。
その人々は、何よりも安全であるし、
良き人々なのです。

そして、タコ壷の外に出続けようとする彦坂は、
悪人であるのです。
おぞましい存在であり、
悪口を言うべき存在であるという事です。

さて、そういうわけで、
常にタコ壷から出続けようとする彦坂は、
新しい展開として瀬戸内海へ、向かいます。

今回のボランティアの中に、
瀬戸内国際芸術祭2010の香川県のお役人のAさんがいました。
このAさんは、実はお目にかかるのは3回目です。
一回目は、丸亀のこんぴらアートの打ち上げのパーティの席でした。
面白い方で、このAさんを交えて、数人の方と、真剣に話をしています。

2回目は、先日のギャラリーARTEのグループ展『明けワタシ』での
シンポジウムで、これを聞きにきてくださった。
ありがたい事です。

というわけで、このAさんとの度重なる3回の出会いも、
ご縁のあることでして、私のエネルギーになります。

自分という人間に関しては、私もうんざりとしますが、
他人との出会いは、常に新しい可能性を秘めています。

どこまでできるか分かりませんが、
越後妻有の経験を、本島という島へ、持ち込んでみたいと思っています。
ギャラリーARTEの梅谷幾代さんが、丸亀の沖にある本島に本格的に
関わってきているのです。
このブログでも紹介していますが、
本島は、超一流の美しさを持っています。

越後妻有での田麦という村は、山村でしたが、
本島は、小さな島です。
この対比の中で、日本という私の生きてきた風土を、
視点を変えて考えてみたいのです。
2010年代の10年間を、この島と、東京、
そして海外をつないで開いていくことを、
気体分子ギャラリーの活動を重ねてやってみたく思います。

上岡誠二さんの東京FATに対しては、
梅谷幾代さんも評価が高くて、興味を示しているので、
本島に参加してもらえないかと思っています。

・・・・・・・・・

今日も、これから田麦の撤去の作業をします。
今日は奥野恵さん自らと、若い女性のボランティア数人が参加して
くださいます。

そしてトラックを運転して帰って、
間伐材をおろすのを、伊東さんと山口さんが手伝ってくださいます。

このように彦坂は、
多くの人との関係と助力で動いているのであって、
単独者ではないのです。

人間は単独では生きていないのです。
単独では制作もできません。
デカルト的な《近代》個人主義は、
もはや限界を超えたのであって、
情報化社会は、気体分子状態に、個人がばらばらになっているからこそ、
マイノリティが、匂いを嗅ぎ分けて、
つながり、個人を超えた展開をしていく必要があるのです。
そのつながりは、一期一会で、はかないかもしれませんが、
だからこそ、それを真摯に誠実に生きていく。

しかし何故に彦坂は、悪口を言われるのか?

たとえば彦坂を嫌う代表を見てみましょう。
まず、高見沢文雄です。
1975年に私はパリ青年ビエンアーレに行きます。
この時、同室は田窪恭治でした。
田窪と1ヶ月以上同じダブルベットで寝て、話していて、
1975年という時代の日本現代美術に着いて話し合い
危機意識から、『東京GEIJUTU4』というグループを
結成しようと言う事に成ります。
この時に、田窪が選んだのが堀浩哉であり、
私が選んだのが高見沢文雄だったのです。
つまり、私が支持した作家が、彦坂の悪口を一番に言う存在に
転化していくのです。
何故か?

私が深く関わりすぎるからです。
距離をとらないのです。
真剣に他人の内部に入っていく。
高見沢の作品展開が行き詰まった時に、
私が、少し前のときわ画廊で、高見沢が、
石膏の固まりをつくって、固まる前に指でほじくった作品を
成立しました。
これを私が評価して、この作品を作る事を進めました。

この指でほじくった作品は、
1970年初頭のロバート・モリスのフィンガー・ペインティングの
作品をさらに押し進めた作品として、高見沢文雄の名作だったのです。
しかし高見沢は、自分のこの名作を理解しないで、
外に雨ざらしにして、駄目にしてしまいます。

場所をきちんと覚えていませんが、赤羽かどこかの、
喫茶店で話し記憶があります。
結果としては、この私のアドバイスの影響を受けた作品展開になるのですが
これが、高見沢を傷つけて、以後、私の天敵になったと、
私は思っています。

このアドバイスのことは、ここで初めて書いたのであって、
オープンにしたから、高見沢が私を憎んだのではありません。
高見沢の作品展開に踏み込んで、議論した事が、
高見沢を深く傷つけたと、私は思っています。

後悔として言えば、
あのパリで、田窪との話の時に高見沢を推薦した私の判断が、
間違っていたという事です。
高見沢という、おとなしい作家の存在を無視し、
黙殺しておくべきだったのです。

私は間違いを犯したのです。

なぜこういう事を書くかと言えば、
上岡誠二さんが、「彦坂さんは、あれほどに悪口を言われるのですから、
そうとうにひどい事をしてきたのでしょうね」と言ったので、
自分の懺悔録として、私の悪口を言う人々との関係を書いてみようと
思ったのです。

私の記憶や、私の思っている事と、
その私の悪口を言っている人の考えている事は違うとは思いますが、
私は私の記憶を書くしかありません。
それは一方的かもしれませんが、
私には、できるだけ正直に、そうするしかないのです。

こういう事を書くと、
高見沢は、さらに私を憎んで、悪口を言うでしょう。
もしかすると私を刺し殺すかもしれません。
私は刺し殺されても後悔はしないという事です。
犬死には覚悟しているのです。

人と人が争うのは過酷で愚かですが、
私は宇都宮藩の家老の末裔ですから、
武士の争いは、こうした愚劣さをもつ過激な行為であることを、
幕末の宇都宮戦争の結末を通して
知っているのです。

私は多くの作家のアドバイスをしてきていますが、
その事実をオープンにはしません。
それは作家へのモラルです。
アートは技術であり、そして歴史形成なのです。
作品はアンディウォウホールの例にあるように、
多くの他人のアドバイスや意見を吸収して作られていくのです。

私の最近のトマトや茄子を天井やガラスにつける作品は、
梅谷さんのアドバイスによっています。
他にも2シリーズあります。

作品には他人のアドバイスは必要なのです。
私は技術者として、無償の善意として多くのアドバイスをしてきています。
しかし、その善意を踏みつけにして、敵にまわれば、
私の記憶や思い込みを、正直に書いていく可能性があります。

不用意に私への悪口を言わない事です。

私はそういう、私の無償の善意への仇をする人には、
報復をするという事です。

ですから、悪口を言っている人は、悪口を抑制しなさい。

私は、私の体験のすべてを書く事はしませんが、
あまりひどい事をする人には、
命をかけて報復するという事です。
それが武士の武士の一分』(ぶしのいちぶん)なのです。

彦坂尚嘉は、武士なのです。
そのことを覚えておいてください。

これは、私の悪口を言い続ける人への警告です。

私は私の真実や事実を書く権利を有しているのです。
私は武士なのです。




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明日/大竹伸朗 [日記]

明日は、4時起床で、
2トンのトラックで出発。

越後妻有に搬出で行きます。

家も、壊した所を直します。

間伐材と竹を、積んで、
帰って来ます。

武田さんが付き合って下さいます。

明後日の15日に帰って来ます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

別の話です。
昨日、あるところで、大竹伸朗の大きな本を見るチャンスがありました。
全ページを見ました。
目次がありません(笑)。
最初の文章も、執筆者の名前が無い(笑)。

まあ大竹伸朗なのでしょうが、
本作りの基本の知識も精神も無い
無知の代物で、笑える大作本でした。

全編《第6次元》自然領域の作品の、万華鏡です。
本を閉じると、何も覚えていない(笑)。
《想像界》のカレッドスコープなのです。

その笑える大作本が,何と7000円代であった様です。
安い!
普通なら3万5千円はする本です。
大赤字ですね(笑)。

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