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カメラの歴史/斉藤ちさとインタビュー(加筆1) [気体分子ギャラリー]

2009年8月 気体分子ギャラリーで個展を行ったアーティストである
斎藤ちさとのイン タビューです。



インタビューの中に出て来た
カメラの歴史が、ギリシアからはじまっていることについて、
補足をしておきます。


私たちが使っているカメラの直接の祖先は、
1824年に、ニセフォール・ニエプスというフランス人のつくった
「ヘリオグラフィ」という携帯型カメラです。

ニエプスという人は、たいへんに重要な人で、
彼が、この小型カメラと、さらに感光材料としての写真を、
初めて作り出したのです。

ニエプスは、石版画に関心を持もっていて、
カメラ・オブスクラがつくる光の像によって化学変化を起こして、
新しい印刷法を作ることをめざしました。
そこから初めての写真が生まれたのです。

ですから、ニエプスで、小型カメラと感光材料が交差していますから、
私たちは、写真とカ小型メラが別のものである事を忘れてしまっています。

しかしカメラの歴史は、実は、少なくともギリシアまでさかのぼるもので、
本当はもっと古代から知られていたのではないかと言われています。

それに対して、
写真といいう感光材料の歴史は、18世紀に、
銀とチョークの混合物に光を当てると黒くなるということを、
ヨハン・シュルツが1724年の発見して、
ここから、はじまっている新しいものなのです。

ですからカメラの歴史はその前からありました。
カメラ・オブスクラという箱形の巨大カメラが存在
していたのです。
カメラ・オブスクラというのは、ラテン語で暗い部屋という意味です。

カメラ・オブスクラを使って、15世紀のルネッサンスの画家が絵を描いていて、
レオナルド・ダ・ヴィンチはアトランティコ手稿の中で、
カメラ・オブスクラを描いています。

こういうとカメラを作ったのはヨーロッパ人であると思いますが、
そうではありません。

カメラ・オブスクラと、それに付随する科学的な光学理論を作ったのは、
アラブ人イブン・アル=ハイサムだったのです

10世紀に始まるヨーロッパによるイスラム世界への攻撃である十字軍で、
アラビアで発明されていたカメラオブスクラを、ヨーロッパ人が学んで、
一緒にイブン・アル=ハイサムの光学理論が輸入されて、
西洋遠近画法が生み出されたのです。

イブン・アル=ハイサムは10世紀の人で、
バクダットで、科学を学んでいます。

科学と言うと、私たちはヨーロッパ人が作ったと思いますが、
そうではなくてアラビアで発達したものなのです。

このアラビアの科学の源流は、
ギリシアのアリストテレスや、タレス、ヒポクラテス、ユークリッドなどの思考です。
つまりアリストテレスの『自然学』からはじまるようなギリシアの古代科学を、
直接に正統に継承して発達させたのが、
アラビアで発達した、イスラーム科学であったのです。

このアラビア科学が、9世紀から16世紀まで発達して、
これが、後のヨーロッパ科学の基礎を作ったのです。

つまりレオナルド・ダ・ヴィンチが使ったカメラオブスクラは、
アラビア科学のハイサムが作ったものであり、
さらにギリシアのアリストテレスが論じているピンホール現象に、
その光学理論に源流があるのです。

アリストテレスは、
日蝕のとき木陰になった地面に三日月形の像が浮き上がってるのを見て、
葉と葉の小さな隙間がそれを作りだしていることに気づいたというのです。

像が倒立することを、
太陽からくる円錐状の光を想定して単純に説明しています。
円錐の頂点が孔の位置にあり、それが反対側にもうひとつの円錐を作りだし、
これが太陽の像を結ぶと考えたのです。
つまりここに光の直進性などの光学的発見の基礎があるのです。

私たちが忘れてはいけない事は、
カメラの原型であるピンホール現象というものは、
古代の自然の中に、すでにあって、そこが源流である事です。



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