日本画出身の豚絵画/山本藍子個展(加筆2画像追加5) [気体分子ギャラリー]
Press Release
気体分子ギャラリー/彦坂尚嘉責任企画第4弾
『日本画出身の豚絵画/山本藍子新作個展+玄牝展』
ピッギー・ペインティングと初期日本画回顧展
このたび気体分子ギャラリーの彦坂尚嘉責任企画として
若手アーティスト山本藍子の個展を開催したします。
会場は2会場で、ひとつがマキイマサルファインアーツ。
もうひとつが藤沢市の六会日大前にある気体分子ギャラリーです。
新作個展;2010年5月21日(金)〜6月01日(火)
マキイマサルファインアーツ
初期日本画回顧展;2010年6月04日(金)〜6月29日(火)
気体分子ギャラリー
〒252-0813神奈川県藤沢市亀井野3-23-11
☎0466-21--8898/090-1040-1141
山本藍子の日本画は、豚の頭を描いています。
それは同時にレースを手描きで描いていくという花の絵でもあります。
花と毒の組み合わせが、新しい
日本絵画の地平を示しているのです。
たとえば新作の絵画は、
『豚さんの肖像(大阪の鶴橋商店街にて
購入した茹で豚)』という題名が示しているように、豚を描いた
絵画なのです。茹でた豚の頭のグロテスクさは、描き込まれた
レースで覆い隠されていて、不用意に見れば気がつかないもの
なのです。この豚という現実を直視しながら、しかもなお、
それをレースの美しさで覆い隠して描くというところに、
芸術というもののダブルバインド性が自覚的に展開されているのです。
つまり芸術というのは、事実を隠して、透かして見る事なのです。
茹で豚を買った「大阪の鶴橋商店街」というのは、在日朝鮮人の町として
有名なところで、しかも戦後のて土地財産の不法占拠が多発した地域です。
しかし山本藍子に、豚を描く政治的なメッセージや意図があるのか?
というと、そういうものは、まったくないのです。
むしろ在日朝鮮人や部落解放運動といった現実を絵画で覆い隠していく
ものです。あくまでも政治ではなくて芸術であり、そしてリアルな現実
ではなくて、それを覆い隠す絵画の成立なのです。
山本藍子を考える時に、重要なのは父親の山本直彰の存在です。
近代絵画が、純粋美術を追い求め、そしてそれは抽象絵画への道行きであったので、日本画の到達点もまた抽象画であったのです。山本藍子の父親である山本直彰は、抽象画を日本画で追求した異端児であり、日本画の極北を極めた画家でした。
山本直彰は1950年横浜市生まれ。1975年に愛知県立芸術大学大学院修了。創画会でデビューして、1992年には文化庁在外派遣研修生としてプラハ滞在しています。さらに2004年に練馬区立美術館で開かれた『超日本画宣言――それは、かつて日本画と呼ばれていた』に出品しています。さらに2009年には平塚市美術館で『山本直彰展 ―帰還する風景― 』を開催、そして2010年位は芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しているのです。
こうした抽象画家としての日本画家を父として生まれたのが山本藍子という日本画家なのでした。父の山本直彰が、近代日本画家であったのに対して、娘の山本藍子は、村上隆のポスト日本画を引き継ぐポスト村上隆世代の新人の日本画家なのです。
山本直彰は、現代美術の画廊であるコバヤシ画廊でたびたび発表しているので、筆者も見て来ている同時代の作家でありました。つまり筆者にとっても、山本藍子は娘の世代の画家のデビューに立ち会っている事なのです。しかもこの山本直彰の娘の藍子には、父の異端性と反骨性を引き継いだ面白さがあって、私の興味をひくのです。
例えば学生時代に描いた魚の絵があるのですが、それは海の中を泳いでいる魚の絵なのですが、その魚が干物なのです。干物が泳いでいる魚の絵というのは、どこか魚の図鑑のような若冲の絵画の系譜を感じさせるのですが、若冲の絵画が《第6次元 自然領域》でしかないのに対して、山本藍子の絵画は《第41次元 戦争領域》のまがまがしさがあるのです。つまり山本藍子には、絵画そのもののありように対する画家特有の批評性が見えるのです。
それはショートケーキを描いた絵画や、パンツを丸出しにして座るヒロミックスのような自画像や、片岡珠子の面構えのパロディのようなおひな様の絵画にも言えます。
絵画が絵画でありながら、絵画を批評し、そして絵画に毒を盛り込んだような日本画なのです。そして父親の山本直彰が、『超日本画宣言――それは、かつて日本画と呼ばれていた』に出品していたように、娘の山本藍子もまた、初期の膠と岩彩をつかった日本画から、アクリル絵の具を使ったポスト日本画へと移行して行きます。脱ー日本画は、新生の日本絵画への出発であると言えると思います。かつて加藤周一は、日本の絵画が、洋画と日本画に分裂していて、日本絵画が失われていると嘆きましたが、今日私たちが見ているのは、この分裂を克服して、統一としての日本絵画を描く新人たちの登場なのです。
今回の彦坂尚嘉のプロデュースでは、初期の日本画を気体分子ギャラリーに展示することで、現在のプラズマ化して、世界先端の絵画シーンを目指す山本藍子のピッギーペインティングの芸術的根拠を示す試みをします。
2010年代のアートシーンに重要な役割をするだろう新人日本絵画の新星を、応援して下さる事を、心からお願いする次第であります。
2004年 武蔵野美術大学日本画科卒業
2006年 ギャラリー繭蔵(青梅・東京)
2008年 第44回神奈川県美術展 美術奨学会賞受賞
2009年 Butsuzo展 (マキイマサルファインアーツ・東京)
Shock The Pig 山本藍子+元木みゆき(「深川ラボ」)
ニヒリズム以後の世界(加筆1) [状況と歴史]
1950年代以降を今と弾き比べる時代感覚の錯誤が、指摘されました。
これは、重要な指摘だと思います。
私も、1930年代こそ、今と比べるべき時代だというご指摘に、
賛成します。
しかし、それだからこそ、
1950年代に目を向けている、つもりなのです。
日本の1930年代は、いつ、終わったか。
それは、各方面でずれがあると思いますが、
少なくとも日本のキリスト教界(新教に限る)では、
1950年代に、やっと、おわります。
1950年代になるまで、
1930年代の思想を引き継いだ1940年代の指導者が、
相変わらず、平然と、日本のキリスト教界に君臨していました。
そのことを総括するのは、1950年代になってからなのです。
ニヒリズムが、1950年代の大問題でした。
それは、キリスト教以外の思想圏との連動もあります。
しかし、ニヒリズム克服の運動の中で、
1930年代を総括したことは、事実です。
文学では、椎名麟三が、新教を代表しています。
そして、椎名に連携している神学者たちが、
私の研究対象となっています。
その神学者たちは、
1940年代の顛末を振り返り、
自分たちに欠けているものを見据えます。
そして、その欠損故に起こってくる待望にこそ、
1930年代を克服する足がかりを見出したのでした。
その今、1930年代を克服しようとした1950年代に学ぶこと。
それは、まず第一に過去の失敗に学ぶことを目指すものですが、
同時にまた、「新しい生産」の可能性を模索することにも、
つながるかもしれません。
エールをいただきましたこと、ありがとうございました。
そして、もうひとつ。
原題は、虚無主義が全体を覆っている、とうのは、事実です。
しかし、私は、教師として考えます。
若者たちは、世界を見渡すことができるようになって、
皆、押し並べて、ショックを受けているようです。
それは、おっしゃる通り、
虚無主義が跋扈している現状を知って、
「こんなはずではなかった」というショックです。
私は、教養の教師ですから、
世界の実相を伝えなければならない。
その時、常に、
新しく虚無主義と向き合わされる若者たちと共に、
虚無主義と、戦わなければならない。
そうした私にとって、
1950年代に、学ぶことが多くあると思っているのです。
能面・伎樂面 [作品と展示]
能面(雪の小面)グジャグジャシリーズ
伎樂面グジャグジャシリーズ
能面や伎樂面などの仮面や、書、そして中規模の絵画の多くは、
《対話》という鑑賞構造で作られています。
能面では、何と言っても秀吉が愛した「雪の小面」が美しいですが、山本藍子 [気体分子ギャラリー]
日本画の豚絵画/山本藍子個展
Press Release
『日本画出身の豚絵画/山本藍子新作個展+玄牝展』
ピッギー・ペインティングと初期日本画回顧展
このたび気体分子ギャラリーの彦坂尚嘉責任企画として
若手アーティスト山本藍子の個展を開催したします。
会場は2会場で、ひとつがマキイマサルファインアーツ。
もうひとつが藤沢市の六会日大前にある気体分子ギャラリーです。
新 作 個 展;2010年5月21日(金)〜6月01日(火)
マキイマサルファインアーツ
初期日本画回顧展;2010年6月04日(金)〜6月29日(火)
気体分子ギャラリー
〒252-0813神奈川県藤沢市亀井野3-23-11
☎0466-21--8898/090-1040-1141
山本藍子の日本画は、豚の頭を描いています。
それは同時にレースを手描きで描いていくという花の絵でもあります。
花と毒の組み合わせが、新しい
日本絵画の地平を示しているのです。
たとえば新作の絵画は、
『豚さんの肖像(大阪の鶴橋商店街にて
購入した茹で豚)』という題名が示しているように、豚を描いた
絵画なのです。茹でた豚の頭のグロテスクさは、描き込まれた
レースで覆い隠されていて、不用意に見れば気がつかないもの
なのです。この豚という現実を直視しながら、しかもなお、
それをレースの美しさで覆い隠して描くというところに、
芸術というもののダブルバインド性が自覚的に展開されているのです。
つまり芸術というのは、事実を隠して、透かして見る事なのです。
茹で豚を買った「大阪の鶴橋商店街」というのは、在日朝鮮人の町として
有名なところで、しかも戦後のて土地財産の不法占拠が多発した地域です。
しかし山本藍子に、豚を描く政治的なメッセージや意図があるのか?
というと、そういうものは、まったくないのです。
むしろ在日朝鮮人や部落解放運動といった現実を絵画で覆い隠していく
ものです。あくまでも政治ではなくて芸術であり、そしてリアルな現実
ではなくて、それを覆い隠す絵画の成立なのです。
山本藍子を考える時に、重要なのは父親の山本直彰の存在です。近代という時代の絵画が、純粋美術を追い求め、そしてそれは抽象絵画への道行きであったとすれば、近代日本画の到達点もまた抽象画としての日本画であり、そして抽象画家としての日本画家であったのです。その一人が山本藍子の父親である日本画の異端児と言われた山本直彰だったのです。
山本直彰は1950年横浜市生まれ。1975年に愛知県立芸術大学大学院修了。創画会でデビューして、1992年には文化庁在外派遣研修生としてプラハ滞在しています。さらに2004年に練馬区立美術館で開かれた『超日本画宣言――それは、かつて日本画と呼ばれていた』に出品しています。さらに2009年には平塚市美術館で『山本直彰展 ―帰還する風景― 』を開催、そして2010年位は芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しているのです。
こうした抽象画家としての日本画家を父として生まれたのが山本藍子という日本画家なのでした。父の山本直彰が、近代日本画家であったのに対して、娘の山本藍子は、村上隆のポスト日本画を引き継ぐポスト村上隆世代の新人の日本画家なのです。そしてこの娘の藍子には、父の異端性と反骨性を引き継いだ奇妙な面白さがあります。例えば学生時代に描いた魚の絵があるのですが、それは海の中を泳いでいる魚の絵なのですが、その魚が干物なのです。干物が泳いでいる魚の絵というのは、どこか魚の図鑑のような若冲の絵画の系譜を感じさせるのですが、それ以上に絵画そのもののありように対する画家特有の批評性なのです。それはショートケーキを描いた絵画や、パンツを丸出しにして座るヒロミックスのような自画像や、片岡珠子の面構えのパロディのようなおひな様の絵画にも言えます。絵画が絵画でありながら、絵画を批評し、そして絵画に毒を盛り込んだような日本画なのです。そして父親の山本直彰が、『超日本画宣言――それは、かつて日本画と呼ばれていた』に出品していたように、娘の山本藍子もまた、初期の膠と岩彩をつかった日本画から、アクリル絵の具を使ったポスト日本画へと移行してきています。
今回の彦坂尚嘉のプロデュースでは、初期の日本画を気体分子ギャラリーに展示することで、現在のプラズマ化して、世界先端の絵画シーンを目指す山本藍子のピッギーペインティングの芸術的根拠を示す試みをします。2010年代のアートシーンに重要な役割をするだろう新人日本絵画の新星を応援して下さる事を、お願いする次第であります。