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大衆普遍主義 [アート論]

糸崎公朗さんへのご返事です。

糸崎さんの思考の中には、
オルテガが言った大衆と言うか、
大衆普遍主義とも言うべきものがあって、
考えさせられます。


ずいぶん時間が経ってしまいましたが返信です。


>糸崎公朗さんの、リカちゃん人形には、
>デシャンの作品に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、
>なぞりつつ解体し、 伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、
>あざ笑うことに表現を見いだしていくという、
>複雑な摂取と解体の 流れである「バサラ」を感じます。

ぼくとしては、デュシャン作品をあざ笑っているつもりはないのです。
「あざ笑う」というと、呉智英が「サヨク」とカタカナ表記して揶揄した「大衆化した左翼思想」を想起させますが、それは彦坂さんのおっしゃる「バサラ」なのかも知れません。
しかしぼく自身は、それとは違うつもりでいるのです。

違うつもりでいらっしゃるというのも、感じられる事は
感じます。
なぜに、糸崎公朗さんや、辻 惟雄さんがひかれるのだろうか?
と考えていった時に、
ある種の共通性があるからではないかと考えます。

すでに指摘しましたが、
デュシャンを考えるのなら、聖地であるフィラデルフィア美術館に行く
しかないのですね。これには代用品がないのです。
しかし、たぶん『奇想の系譜』を書いた辻 惟雄さんも、
行っていないのではないでしょうか。

糸崎さんにしても、一生フィラデルフィア美術館には
デュシャンを見には
行かないのだろうと、かってに思っています。

それは糸崎さんにしても、辻さんにしても、
大衆普遍主義とも言うべき感覚があって、
認識のために必要な手続きをとらなくても良いという、
そういう普遍主義をもっておられるように思えるからです。

それはしかし、ご本人の気持ちや、具体性で申しあげている
のではなくて、
ある種の偏見で申しあげているだけで、
正当性のあるものではありません。

言いたいのは、たとえば藤枝 晃雄氏に、私が共感するのは、
まず、デュシャンにあこがれてアメリカに渡って、
そして失望しておられる事です。
デュシャンを見るという事は、こういう事なのです。
だからフィラデルフィア美術館という聖地に行かなければ
分からない事があるのです。

>私 自身は、こういう「バサラ」の系譜作品を多く見て来ているので、
>正 直に言って、「またか」と思ったのです。
>つまり、外国の高度な作品を、摸倣しつつおとしめて、
>低 俗な自分たちの文化に基礎づけて行く系譜なのです。

「またか」と言われると、少なくともモダンアートとしてはお終いなので、ここでぼくは反論しなくてはなりません・・・

・・・という具合に書きかけて、この調子で書いても結局は対話は双方かみ合わず、空転してしまうだろうなと思い、いろいろ考えてました。
それでたまたま読んでいた『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)に、「論争は良くない」というようなことが書かれてまして(第四、八つの詩句の章)、少なくとも「論争しないで対話を成立する必要がある」と気づいたのです。
つまり、ぼくがこの場で彦坂さんに反論し、つまり「論争」を仕掛けてしまっては「対話」が成立しないわけです。

おっしゃっていることは、分かります。
単なる論争で、お互いの正当化を主張しても、意味は無いでしょう。
前に西尾康之の絵について論争をしましたが、
私自身は、今も西尾康之の絵画は『ペンキ絵』であると思っています。
問題なのは、彼の作品を良いと考える糸崎さん的な絵画志向が、
大衆普遍主義とも言うべき、地平を持っている事です。

《大衆普遍主義》、あるいは《凡庸普遍主義》とも言うべき
感覚や確信が、日本中を浸しているのです。
だから日本は沈没するのです。
いっそのこと、世界最大の財政破綻を起こして、
この凡庸普遍主義の責任を、大衆自らが取る事態に成った方が
良いのかもしれません。
これは、彦坂さんが前回の記事の返信で書かれた「分かる」と「反省」の違いとも関連するかもしれません。
つまり論争とは、双方が自分が「分かる」ことばで語る(考える)と言うことで、それはつまり「自分の正しさ」に固執すると言うことです。
これに対し「自分の正しさ」に固執しなければ、それは「外部(他者)」に開かれると言うことで、だから「反省」という態度になるのかもしれません。
彦坂さんとの「対話」においては、ぼくは彦坂さんのおっしゃる「芸術」や「ハイアート」の意味が分からないのですから、その点を「反省」しなければいけません。
「バサラ」という指摘に対して、その対概念となる「ハイアート」を理解しないまま「自分の分かることば」で反論しても、議論は空転するだけでしょう。

ぼくとしてはまず、自分のアートについて「彦坂さんのことば」で語っていただいたことに感謝しなければいけません。
ぼくはどうも「自分の正しさ」に固執する傾向がありましたので、そうなると自分のアートについて「自分のことば」のみで語る(考える)ことになります。
しかし最近は反省し、積極的に「外部」(と認識していた人たち)とコンタクトするようになり、それで彦坂さんをはじめ、いろんなアーティストや写真家から話を聞くように心がけてます。
ただ、他人の話を聞いたり対話したりすることは案外難しく、いろいろ試してる最中なのです。

>しかし《ローアート》で良いの ではないかと思います。

「スッタニパータ」には「自己に執着するな」というように書かれてますが、それは必ずしも自己否定を意味しないので、その意味でぼくも自分の「ローアート」であることの利点は否定はしません。
しかしたとえば、

>昨年11月最初に本島で催した展覧会「復元フォトモ糸崎公朗展 と蔵元秀彦展での
>本島の観客の反応を見て 頭を抱えた時のことを思い出す。
>本島のお年寄りから現代アートは難しいといわれるのは まあいいとして
>糸崎さんのフォトモについて、ほとんどの人がこれはいいと直接の反応を示した。
>その反応を期待して、選んだことだが、苦さを感じた。
>見え透いていて自分に吐き気がした。
http://setouchia8.ashita-sanuki.jp/d2010-03.html

という意見もあることもまた「客観的事実」として認識しなければならないわけです。
アルテさんには期待に添えず契約解除となった経緯がありますが、それだけにこのブログには正直な気持ちがあらわれて、貴重でありがたいものです。

>これは余計な話です。
>《ハイアート》の視点で言うと、
>糸崎公朗さんの作品を金属板で制作したくなります。
>現在の紙ですと楽ですが、しかし《ハイアート》と は言えません。
>金属で作るのです。
>しかし、実際にはたいへんです。

これは具体的なアドバイスで、ありがとうございました。
現在は水圧で金属をカットする技術もあるようなので、不可能ではないはずです。 
by 糸崎 (2010-03-26 10:55)  


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日本ラカン協会公認読書会『エクリ』読書会第9回目 [告知]

日本ラカン協会公認読書会『エクリ』読書会第9回目を
 以下の要領で開催いたします。ふるってご参加ください。
 【今回から、開始時刻が14:00~となります】
 
  第10回目
  日時:2010年5月23日(日) 14時00分~18時00分
  場所: 専修大学神田校舎7号館(詳細は後日お知らせいたします)
  http://www.senshu-u.ac.jp/univguide/campus_info/kanda_campus/kanda_camap.html
  「《盗まれた手紙》についてのゼミネール」読解
 講師:若森 栄樹 (獨協大学教授・日本ラカン協会理事長)
 
  テキスト:「『《盗まれた手紙》についてのゼミナール」
               Le seminaire sur La Lettre volee,in Ecrits
              邦訳:『エクリⅠ』,弘文堂,1972年所収
 ※…読解は原書をもとにすすめていくつもりです。
 
 ※当日の読解開始箇所
 Cette adresse devient la sienne propre.
 『エクリ』 1966年版 p.35. : ポケット版 p.35. ~
 
 会員参加費 無料 / 非会員 各回ごとに500円
 
 問い合わせ:日本ラカン協会事務局 
 〒 153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
 東京大学駒場キャンパス 18号館 805 原和之研究室
 E- mail:sljsecretariat@netscape.net

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超一流》の美術作品を集める皇居美術館(2) [アート論]

3 工芸を含む芸術の豊かさを
彦坂・私は中学生の時から美術館回りをして、東京国立博物館にお弁当を持って行って、とにかく訳の分からないままに国宝や重要文化財を目で暗記しようとしてきたのよね。
坂上・何故に目で暗記しようとしたですか?
彦坂・なぜかと言えば、東京国立博物館に行って国宝や重要文化財になっている名品をみても、何か茶色っぽい古くさいもので、中学生の私には良いものとして理解できなかったからね。
坂上・理解できない事を、何とか乗り越えよう思って、丸暗記したのですか?
彦坂・そう、とにかく国宝や重要文化財に指定されている良いとされる美術品は、眼で丸暗記しようと考えたのね。「暗記、暗記」とお題目を唱えて、目を開き、国宝を凝視して頭に刻み付けようとしたのです。
坂上・真面目ですね。
彦坂・大学生になると京都国立博物館や、奈良の大和文華館、奈良国立博物館に、新幹線に乗って繰り返し行くようになります。なぜにそういうことをしたかといえば、昔は一ドル三六〇円の固定相場性であって、日本人は貧乏で、私の家のような中流では外国に行って本物を見られないので、海外作家の目に対抗するには、自国の最高の美術品を見る事で、芸術の善し悪しを見分ける目を作ろうと思ったのです。日本のすぐれた名品というのは、何といっても奈良や京都などの関西に集中してあるのです。ですから私の美意識を育てたのは、京都や奈良であり、日本の国立博物館であり、国宝の評価システムという伝統美的な権威主義的なものなのです。
坂上・でも、彦坂さんて、国宝で、しかも国民的な人気の長谷川等伯の「松林図」を、《六流》の『ペンキ絵』であるって言って、飲み屋で喧嘩していたではありませんか(笑)。
彦坂・しかし長谷川等伯の「松林図」に夢中になる人は、下敷きにある牧谿という中国画家も知らないという教養の無い人が、大多数なのです。イメージとしては「松林図」は良さそうではありますが、きちんとした絵画としては、松ノ木も大地にきちんと根を張っていまいし、松ノ木と松ノ木の相互の関係性も空間も描けていない。つまり《真性の芸術》ではないのです。つまり日本の重要文化財を再度自省的に、自己批判的にまで参照し検証するところまで私は、成長して来て、今回の皇居美術館と言う空想美術館のプロジェクトを始めたのです。つまり彦坂尚嘉というのは、日本美術界の権威の中で育てられて、それを内側から食い破って出現して来た鬼っ子なのよね。
坂上・確かに、鬼っ子ですね。私なんかより年寄りのくせに、若いアーティストの展覧会を作ったり、そのくせに古美術も勉強し続けて、よくもそういう風に、情報化社会の先端の流行美術と、反対の古美術を同時に追いかけられますね。
彦坂・私は中学二年のときに、講談社の『世界美術全集』と『日本近代絵画全集』というものを買っています。はじめに気がついたのは、赤の色が国によって違うという事でした。たぶん、手に入る赤の顔料が違っていて。そういう中で違いが固定されて行ったのだろうと考えました。日本の赤はやや黄色みのある朱色が主流でした。イギリスの赤はそれに比べると青みがあって、赤紫に近い赤でした。つまり日の丸の赤と、ユニオン・ジャックの赤が、おなじ赤でも色相に差があるのです。美術を見る目は、あくまでも全人類史の中で見て行かないと、芸術の本質も、日本の固有性も見えては来ないのです。
坂上・日本美術しか見ないと公言する日本美術史の専門家とか、右翼を公言する文芸評論家もいますよね。
彦坂・実は私はそういう保守的で右翼的な人たちも嫌いではないのですが(笑)、しかし全人類史の美術を広範に見る中で日本美術を見ないと、自国の美術作品の赤の色すらが理解できないと考えます。
 皇居美術館建設という主張は、これでナショナリズムを鼓舞しようとしているわけではありません。むしろローカリズムです。グローバリゼーションが拡大していくときに発生するローカリゼーション、進歩があれば退化があるという原則がありますので、グローバリゼーションが進むならローカリゼーションもある。その両方のバランスを取らないと、自分たちの個人性というか個別性を失うわけです。ですから、海外にたくさん出て行って、大きな美術館でヨーロッパ美術のいいものを見る事はいいと思います。アメリカ美術の良いものを見るのもいいし、中国に行って本物を見るのもいいのですけれども、日本国内で日本美術の優れたものを見られる場所がないという現実の冷酷で貧しい事実を忘れてしまうと、単純なアイデンティティすらも取れなくなります。根無し草のニセモノの人間になって、ただのゴミのようにしか生きられなくなる。私たちはある種の日本という言語共同体の運命の中を生きているわけです。何も好き好んで日本人に生まれたわけでもありませんし、日本という島国に生まれたわけではないのだけれども、それはひとつの運命ですから、自分の運命性みたいなものとして、日本美術の《超一流》性をきちっと、自らの足元として見て自覚する必要があるわけです。
  その自覚性を欠いてしまうとただ外に出ていってグローバリゼーションの中で翻弄されてまあ消費されて消えてしまいます。そういう事に抵抗しようとすれば、皇居美術館を建設しようと言うローカリゼーションの動きというのも、それは保守反動的な思考かもしれないですけれども、しかし無意味な欲望では無いだろうと思うわけです。
坂上・情報社会特有のローカリゼーションというものを考えてみる必要があるわけですね。
彦坂・そういう意味での皇居美術館という事を主張しているのですよ。皇居美術館に日本美術の《超一流》の名品を集めて常設展示をして、誰でもいつでも見られるようにして、そういうかたちで美術館を整備して世界に日本美術を発信していく必要があるわけです。
坂上・日本は小さい国だけれども、小さいからこそ美術は《超一流》性で優れているという事ですね。小さいものが優れているという事は、今のITの時代だからこそ言える事ですね(笑)。
彦坂・日本の美術家については、すでに述べたように中学二年生の時に買った『日本近代絵画全集』に書かれている評伝と、村松梢風の『本朝画人伝』で私は勉強したのです。中学生段階で最初に買って、それから以降も結構読んでいるのですが、そうすると私が優れていると思う美術家は中国美術の大きな影響を受けているのですよね。私一番好きだった作家のうちの一人は、靉光と言う画家で、靉川光郎、本名が石川日郎です。大正天皇が崩御して昭和という時代になった一九二六年に二科に入選というかたちでデビューして、太平洋戦争中という最悪の時代に生きて、敗戦直後に上海でマラリアとアメーバー赤痢で死んだ靉光。私は高校生の時に靉光の絵画が大好きだったのです。広島出身の画家で、原爆で靉光の多くの資料な燃えてしまっています。しかし残された油彩画やデッサンに私は深い感動をお覚えたのです。
 で、もう一人は先ほど書いた墨の豚と言われた富岡鉄斎です。富岡鉄斎は、耳が少し不自由な画家ですが「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘にして実践した偉大な画家です。
 ふたりとも中国美術の影響が強い作家です。靉光ですと宋元院体画というものに大きな影響を受けています。富岡鉄斎は中国元明時代の古書画を模写して学んだ小田海僊に教えを受けているので、元や明時代の中国絵画の影響を受けているのです。
 中国の場合、美術家には二種類あります。ひとつは士太夫といって高級官僚です。軍人と文官という普通の官僚の偉い人で、それらが文武両官で、彼らが支配者層ですが、絵を描くのです。自分たちが教養があって、偉いという事を見せつけるために、絵を描く。それが文人画といわれるものです。もう一方は、宮廷が存在しますから、当時は宮廷の美術装飾品をつくっていく画院というものが当時ありました。
坂上・画院というのは入るのに試験があって、試験に通った人が職業画家になっていったのですね。
彦坂・ヨーロッパの芸術家の場合には職業画家しかいないので、その辺が日本の常識とは違うのですよ。
坂上・日本では、画家になると言うと「好きなことが出来て良いですね」という風に趣味人と区別がつかないのですよね。
彦坂・文人画家の伝統があって、それを芸術家と信じているからです。実際には職業画家の系譜がもうひとつあって、職業人であって、労働として美術品を制作し、販売をして食べて来ているのです。「絵は賎技なり」という言葉がありますが、絵画を作る技術は画工のものであり、それは下級の卑しいもののやる事であったのです。家系的にも「庶子およびその子孫」と言われるもので、私生児で、社会的な正当性が無い者とその子孫が、美術家になって行ったのです。
 中国画家で一番有名な一人は、北宋の范寛で、范寛の山水画は超一流の絵画で、台湾の國立故宮博物院にもあって見る事ができます。
坂上・私も見に行っています。もっとも現存するのは「谿山行旅」という一枚だけですね。一作品しか残っていない作家! 一枚だけ見せられて、「どうだ、すごい画家だろう」と自慢されるのも、自慢される方は、なかなか納得のいかないものですよね。それだけすごい作家なら、もっと多くの作品を、多くの人びとが守ったはずだと思うのですけれども。
彦坂・中国は戦乱を何度も体験しているので、美術品や建築が燃えてしまっているのです。范寛は職業画家であるといわれます。范寛の絵画には多くの日本人が惹きつけられています。けれどもこういう超一流の絵画が中国には実はたいへんに少ないです。 
李成も《超一流》の風景画です。郭煕も超一流ですけども、大和文華館で、この二人が作った李郭派山水画の展覧会が開催されています。私も見にいっています。もっとも李成と郭煕は同時代人ではなくて百年ぐらいの時代差がありますので、「李郭派」というのは、日本で言えば琳派というようなものであって、《系譜的流派》なのです。
坂上・モダンアートが同時代的流派に焦点が会ったのに対して、前近代には《系譜的流派》があったのですね。
彦坂・こういう「李郭派」様式は確かに優れた超一流美術で、《超一流》の倒錯した《四十一流》性も併せ持っています。しかし同じ李郭派の中でも私が六流と判断する《第六次元 自然領域》の凡庸な絵画が結構な数あります。そしてこの時期の山水画以外には《超一流》《四十一流》の絵画が中国にはほとんどなく、多くは《一流》美術です。
 中国は政治性が非常に強い大国家で、《第一次元 社会的理性領域》というものが強いようで、美術作品も《一流》に抑制されていて、社会的理性領域を超える事がむずかしいようなのです。
坂上・日本だって《一流》は強いのではないですか。
彦坂・確かに日本も《一流》は強いのですが、中国はもっと《一流》が強いのです(笑)。もちろん《第6次元 自然領域》の凡作も多いですが、中国の絵画の名品の多くは《一流》美術にすぎません。もちろん《一流》が良いという価値観で言えば中国は大絵画がたくさんあります。しかし私のように、《一流》を超えて行って、社会的理性や常識の支持を超えた《超次元》に立って、表現として真に自立した《超一流》の絵画を優れているという価値判断に立つと、《一流》というのは社会的存在ですから、社会的規範に支えられ、社会に依存した《世間体の芸術》にすぎないものになるのです。
坂上・彦坂さんのような冷めた目で見ると、たいしたことはないのですか(笑)。彦坂・芸術の歴史である《原芸術》を原点として、社会の外に規範をとって、芸術として超出したものを見ようと思うと、中国美術にはそれが少なく、「あ、これはもしかすると日本が多いのかな」という気持ちになったわけです。芸術というのは、複雑な構造していて、しかも基準が二つあるのです。ひとつは芸術の起源から始まって、純粋に芸術の歴史を刷新して屹立してくる《原芸術》に依拠した《真性の芸術》です。もうひとつは、一般社会の中での芸術の評価を基準として成立してくる《世間体のアート》を基準とする芸術です。
坂上・《世間体のアート》って、リアルで面白い見方ですね。
彦坂・ヨーロッパでだいせいこうしたティツアーノとかミケランジェロというのは、《世間体のアート》で成立していて、《原芸術》性が無いのです。中国美術の歴史を見ると、元(十三〜十四世紀)までは《原芸術》を基準とするすぐれた作品がありますが、明(一三六八〜一六四四年)や、清(一六四四〜一九一二年)になると《世間体のアート》を基準にした美術に変化しています。つまり私のような眼からすると明や清の美術は評価できないのです。
坂上・でも日本も《世間体のアート》は強いのではないですか?
彦坂・確かに《世間体のアート》は強いですね。それでも『源氏物語絵巻』は《原芸術》性をもつ《真性の芸術》なのです。しかも《超一流》なのです。
坂上・つまり《超一流》の絵画に焦点をあわせると、日本美術は中国美術を、量と種類で圧倒的に凌駕しているというのですね。
彦坂・中国美術はすぐれていて、日本美術は《二流》であるという、小さな時から教え込まれて来た日本人の劣等感は、どうも事実に反するのではないか?と考えるようになったのです。
坂上・でも、中国の青銅器や陶磁器、そして書になると、中国の美術品は凄いですよね。夏や殷の青銅器は、ほんとうに偉大な芸術です。
彦坂・確かにそうですね。日本には青銅器の《超一流》のものは無いように思いますが、しかし日本にも鉄器というか、日本刀は《超一流》《四十一流》の鑑賞芸術性を持ったものがたくさんあります。しかも日本刀は、刀身自体が芸術的価値を発揮しているものがあって、すぐれた日本刀には《原芸術》性があって、鑑賞芸術として《真性の芸術》なのです。
坂上・日本刀の美しさは、中国人も認めていますね。
彦坂・日本刀は、日本美術の傑出した美しさの代表なのです。ただすぐれている日本刀は時代的に限られていて、平安時代後期から、せいぜい室町時代の末くらいまでが《第四十一次元》です。江戸時代になると古刀は終わってしまって、新刀になって《第八次元》の《八流》になってしまって、ただの人切り包丁に成り下がってしまいます。
 私は中学生の時から東京国立博物館で古備前派の包平の大包平(おおかねひら )などの国宝の日本刀を見て来ているから、日本刀を鑑賞する事には違和感はまったくないのです。一応日本刀の先生が私にはいて、太田丈夫さんというマニアですが、彼に教えてもらっています。しかし今日の現代アートの作家たちは、ほとんど見向きもしないのです。
坂上・「日本刀は分からない」と、現代美術の人は言います。
彦坂・しかし分かるも分からないも、そもそも彼らは見ていないのです。良い刀を見て目で覚えれば、刀の善し悪しは、次第に分かるようになります。ですからすぐれた刀、この場合は《超一流》が反転倒錯した《四十一流》のものが名刀ですが、それを常設展示して、日本人にも、海外の人にも見て欲しいですね。

刀剣 太刀 銘備前国長船兼光作   14世紀
刀剣 太刀 銘国行(山城)   東京 藤沢家 国宝
刀剣 太刀 銘奉納八幡宮御宝殿北条左京大夫平氏綱   相州住綱広 作
刀剣 太刀 銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
刀剣 大太刀 銘備前国長船兼
刀剣 太刀 銘宝寿
刀剣 大太刀 銘備州長船法光生年三十三
刀剣 太刀 銘来国光
刀剣 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗麿上 本阿(花押)   東京国立博物館
刀剣 太刀 筑州住左
刀剣 太刀 銘備前国包平作   東京国立博物館 国宝
刀剣 刀 銘奉納接州住吉大明神御宝前   大阪 住吉大社 重文
刀剣 太刀 銘一   静岡 矢部家(矢部利雄) 国宝
刀剣 短刀 銘山城国西陣住人埋忠明寿   東京 古河家 重文

坂上・刀剣の次いでに、鎧はどうなのですか?
彦坂・鎧って、きれいなものがたくさんあるのですが、ほとんどが《一流》なのですね。でもね例外もあって、一番すごいのは徳川家康の鎧が《超一流》なのですが、それはヨーロッパの甲冑を輸入して、改造した南蛮胴具足というものなのです。日光東照宮が持っています。もっともこうした南蛮胴具足というのは徳川家康だけでなくて、当時ははやっていた様です。

鎧 南蛮胴具足   栃木 日光東照宮 重文
鎧 仁王胴具足   東京国立博物館

坂上・徳川家康って、西洋鎧をきていたのですか! でも、これって芸術なのですか?
彦坂・芸術というものを鑑賞芸術に限定して、しかもモダンアートが追求した純粋芸術に限定すると、《原芸術》《芸術》《反芸術》の三種類の《ハイアート》しか、《真性の芸術》とは言えなくなります。
 しかし、《世間体のアート》、そして《非芸術》《無芸術》といった《ローアート》も芸術として認めれば、着物や鎧も芸術として鑑賞されるのです。
 実際、たとえばメトロポリタン美術間では服も西洋鎧も展示されています。同様の事は多の他の美術館でもいくらでも見られる事です。
坂上・着物はどうですか? 東京国立博物館には、着物も展示していますよね。
彦坂・橋本治さんの『ひらがな日本美術史』という連載が芸術新潮で十年間展開されて七冊の本になっています。その中に着物も入っているのですが、橋本さんが論じた着物というのは、能衣装なのです。能面や狂言面には《超一流》や《四十一流》のものがありますが、能衣装は全て《一流》しかありません。しかし着物の中には《超一流》のものもあるのですね。そのいくつかは布をつないで作ったパッチワークです。パッチワークというのは、コラージュですので、《一流》という社会的な常識を超える事がコラージュでできるのですね。
坂上・着物のパッチワークって、きれいですね!

着物 紺・緋羅紗袖替り陣羽織   山形 上杉神社 重文
着物 菊水文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 滝に受鉢菊文様小袖   国立歴史民俗博物館
着物 片身替鉄線扇面模様縫箔   東京国立博物館
着物 金銀欄椴子等縫合胴服   山形 上杉神社

坂上・能衣装の話が出たついでに、能面はどうですか。
彦坂・能面では、何と言っても秀吉が愛した「雪の小面」が美しいですが、他にも般若面や、翁面、そして狂言面に《超一流》があります。それと伎樂面にもすぐれた《超一流》の面があります。

面 小面 雪の小面   京都 金剛家
面 伎楽面 呉公   奈良 正倉院
面 伎楽面 冶道   東京国立博物館 重文

坂上・陶器は国宝が数点しか無いと聞きましたが。
彦坂・国宝指定されると、使えなくなるので、それもあって少ない様ですが、しかし前漢(紀元前206年 - 8年)から《超一流》の陶器のある中国に比べると、日本の陶器は《超次元》がすくなくて、ほとんどが《第一次元 社会的理性領域》ですね。 、それでも本阿弥光や長次郎の陶器は《超次元》で、日本の独自性があります。
陶磁器 色絵橘文大皿 鍋島   静岡 MOA美術館
陶磁器 本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「雨雲」   三井文庫 重文
陶磁器 本阿弥光悦 白楽茶碗 銘「不二山」   サンリツ服部美術館 国宝

  そういうわけで、《超一流》と、その倒錯領域の《四十一流》の日本美術を集めてみようと考えて、それらを皇居美術館に展示しようというアンドレ・マルロー的な空想の美術館を構想したのです。
 アンドレ・マルロー(1901〜1976年)というのは、フランスの作家で、政治家です。マルローは、印刷複製による画像によって、美術作品が場所や時代、そして大きさの違いを超えて、違う関連性を見せてくれる新しい知的な広がりを評価して『空想の美術館』と名づけたのです。
 皇居美術館というプロジェクトは、このマルローを引き継ぎつつ、皇居に巨大美術館を建築したとする空想が見せる広がりを提示したものです。そういうわけで《超一流》の日本美術館というのが『皇居美術館』です。ですから、日本美術全集として《超一流》の画像を集めて一冊の本にしようと構想したのですが、一冊が四万円もの本になるというので、出版企画としてはこの厳しい時代には無理で、とりあえず本書のような書籍になったのです。 
 その世界版で、世界の美術の中から《超一流》の名品を集めた美術館=美術全集が「帝国美術館」というものです。これも基本的な複製画像は集めているのですが、これも美術全集集として編纂して出版するのは、むずかしい情勢です。
 この両者は、美術の善し悪しを《超一流》を基準にして再度洗い直すと言う美術史批評的なコンセプチャルアート作品なのです。

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《超一流》の美術作品を集める皇居美術館(1) [アート論]

以下収録するのは、坂上しのぶさんとの対談である。

これは朝日新聞出版からでる『皇居美術館』の為に行われたものなの

ですが、朝日新聞出版の担当編集者の同意が得られなくて、不採用に

なったものです。

内容がマズいという事ではなくて、対談記事が多すぎるので、

彦坂尚嘉の単独執筆にして欲しいという希望での変更でした。

坂上しのぶさんへの申し訳なさと、内容の読みやすさで、

このブログで連載で掲載させていただきます。


《超一流》の美術作品を集める皇居美術館

 

彦坂尚嘉+坂上しのぶ

 

1 故宮美術館と皇居美術館

坂上・皇居美術館って、ルーブル美術館や、メトロポリタン美術館に対抗して考えたのですか?

彦坂・いや、そうじゃないのね。中国が、経済的にも政治的軍事的にも、そして文化的芸術的にも台頭してくるじゃない。こういう状況に危機感をもっているのです。

 中国の故宮美術館が、将来に台湾の台北にある国立故宮博物院と、北京の故宮博物院と、さらに瀋陽市にある瀋陽故宮博物院の三つが合体して、世界屈指の巨大美術館として出現して来るのではないか。

 中国が大国として世界を支配して日本を飲み込んでしまうだろうという被害妄想的な危機的未来に向けて、その日本的な対抗措置として考えたのね(笑)。 

坂上・確かに台湾と北京の故宮博物院が合併したら、すごいですね。ルーブル美術館やメトロポリタン美術館には、いろいろな国の美術作品があるけれど、故宮美術館って、中華文化のみの文物を展示した異色な博物館ですよね。

彦坂・そうですよ。だから、中国に対抗する日本の皇居美術館というのも、日本中から《超一流》の名品を、天皇の名において、超法規的に収集して、日本文化のみの名品を展示した巨大美術館なのですよ(笑)。

坂上・へえ、故宮美術館 VS 皇居美術館ですか!。巨大美術館で、日中戦争をやるのですね。面白いですね!

彦坂・もちろん空想に過ぎなくて、現実的には無理ですね。現行の所有権を超えて、日本中に有る名品を皇居に集めるのは、法的にも無理だし、現在の権力構造的にも無理です。

 故宮博物院の場合には、もともとの収集が清朝という征服王朝の所蔵品なのですね。満州族後金国が立てた王朝で、一六四四年から一九一二年という二六八年間支配した王朝ですから、日本で言えば徳川幕府のようなもので、長期政権です。この王朝権力の美術品収集の結果は一九二五年段階で一一七万件を超えていたというのですからすごいです。ルーブル美術館の収蔵数が三〇万件ですから、故宮博物院の収蔵品数はルーブル美術館の約四倍もあるのです。日本の東京国立博物館は、約九万件の所蔵品しかありませんから、東京国立博物館VS 故宮博物院=1 : 13 なのです。

 しかし,アメリカ合衆国のメトロポリタン美術館になると、収蔵品数は三〇〇万件となります。したがって、東京国立博物館と比較すると、メトロポリンタン美術館の三十三分の一が、東京国立博物館なのです。

日本には世界規模の巨大美術館が無い事がわかります。だからこそ皇居美術館を巨大美術館として作る必要があるのです。

2  中国美術コンプレックスを超えて 

彦坂・私は、小学校一年生から日展の画家について。日本の画家として教育されてきたのよね。そうすると、どうしても中国美術が素晴らしく、日本美術はその影響から出てきた《二流》なのだというコンプレックスが植え付けられてきたのね。たとえば明治時代の巨匠である富岡鉄斎の絵を、中国人は墨の豚だと罵倒していたのです。「墨豚」ですって!、ひどいですよね。自分の尊敬する画家に対して、こういう悪口を言われると中国人に対して憎しみを覚えますね。

坂上・墨豚ですか。でも富岡鉄斎の絵って、けっこう墨が塗りたくられて黒いですよね。うまい事いいますね(笑)

 彦坂・ところがこの頃は、中国人が日本のインスタントラーメンを喜んで食べているというようなテレビ報道が流れるようになります。ねえ、ラーメンというもの自体が中国料理の劣化したものなのに、、中国人がラーメン食べる、しかもインスタント・ラーメンを喜んで食べるという、私の世代に人間には信じられない状況が現実になった。

坂上・一九八〇年代後半から、中国人が日本に来るようになり、日本の美術大学に留学までしてくるのですよね。

彦坂・中国人が日本で美術を勉強するというのも、信じられない!(笑)。

坂上・さらに最近ですと、中国人が日本美術を香港のササビーズなどのオークションで買って高値になるなどという、一昔前には考えられないような事態が出現して来ているんです。

彦坂・白髪一雄や平賀敬が高いそうですね。驚きますね。そういう状況の変化の中で、日本美術や世界美術を学んできた者としては、中国美術はすぐれていて、日本美術は劣っていると言うそういう先入観は、どうも違うのではないか? と思うようになったのですよ。

坂上・つまり、日本美術の《超一流》の名品を集めた皇居美術館をつくって、中国の故宮美術館よりも、日本美術は《超一流》ですごいよって、世界の観光客にアピールしようというのですか?

彦坂・美術や建築を《超一流》という基準で見ると、日本美術・建築は、中国美術を超えたものをたくさん作り出しているのです。こうした日本建築を、巨大な皇居美術館の中に収蔵しようと言うのです。地球環境は悪化していきますから、これら《超一流》の建築を、酸性雨や嵐から保護して残して行こうという提案です。

坂上・建築を美術館の中に収蔵するというのは、迫力があって良いとは思いますが、しかし室生寺の五重塔は日本最小の五重塔すから良いですけれども、興福寺五重塔って、大きいですよね? 入るんですか?

彦坂・室生寺の五重塔は、日本最小と言っても高さ十六メートルです。興福寺五重塔になると、日本で二番目の高い五重塔で高さ五〇、八メートルですから、それだけの大きさの吹き抜け空間必要です。私も心配で、一応興福寺まで言って、「入るかな?」と、何度も眺めては来ています(笑)。ただ私の構想している皇居美術館は、高さ一千メートルンの建築ですから、高さ六〇メートルのくらいの吹き抜け空間は作れます。

坂上・建築と美術って、皇居美術館の中に一緒にあるってどうなんでしょう?

彦坂・建築と美術というのは、もともと一緒のもので、たとえばゴッシック美術とか、ロココ美術という時に、ゴシック建築やロココ建築をイメージしない限り、この時代の美術史というのは把握できないのですね。建築は、大芸術であって、美術の中心に位置するものなのです。だから、皇居美術館の構想の中心を建築の収蔵が占めるのです。

坂上・でも、例えば東本願寺なんて、大きくて、いくら皇居美術館が大きくても収容できないですよね。

彦坂・東本願寺の建築って、きれいで感銘を受けますが、あれば《一流》ですから、皇居美術館には収蔵しないのです。《一流》の建築は大きすぎるものが多いのです。

  それに対して《超一流 超次元》という基準で建築を見ると、《超一流》の巨大建築というのはどこにもなくて、ほとんど全てが小さな建築です。《超一流》にするということが、手間的にも金銭的にも、そして芸術思想的にも大変である事と、《第一次元 社会的理性領域》というものを超えたところですから、社会的な権力的な威嚇的な大きさとか、威容性の外部に出ているので、例外はありますが小さな建築が多いのです。 つまり《超一流》という基準で見ると、小さな美術や建築でよくて、その《超次元》で選ぶと、日本美術/建築は世界的にも大変にすぐれているのであるという考えに私はかわって来たのですね。

《第一次元 社会的理性領域》という基準で見ると、巨大建築で《一流》のものが世界にはたくさんあるのですが、日本の建築は世界基準からすると格段に小さいのですね。建築評論家の五十嵐太郎さんによると、世界の建築を同じ縮尺の模型にした建築公園のようなものがあって、そこで日本の建築を見ると、小さいので驚いたそうです。島国であると言う地理的な要因もあって、アメリカや中国などの大陸国家の建築に比較すると、大きさで先ず日本建築は負けるのです。だから、基準を《一流》から《超一流》に取り換えてみる必要があるのです。超一流を重視すると、小さくてもよいですから、日本建築は惨然と、世界のトップクラスに立つのです(笑)。

坂上・自国美術を最高だと思うような考え方は、偏狭な軽蔑すべき「井の中の蛙」に過ぎないとは思いますけど・・・。

彦坂・オリンピックで、日本選手が金メダルを取ったりすると、ゲームのルールを変えられてしまって、次からは金メダルが取れなくなるっていうのがあるではないですか。美術や建築の評価というのも、アートゲームであって、評価する基準の取り方で違って見えるのですね。

 『新建築』という建築雑誌がありますが、その特集号に『日本の建築空間』(新建築200511月臨時増刊)というのがあって、監修者には、青木淳(建築家)、後藤治(建築家)、田中禎彦(建築史家)、西和夫(建築史家)、

西沢大良(建築家)という日本の建築家と建築史家の六人が関わっているのですが、選ばれている建築は《第一次元 社会的理性領域》が多くて、《超一流》建築はほとんど選ばれていないのです。つまり日本建築と言う過去のものを見る目も、見る基準によって違ってくるのです。芸術や建築の評価というのが、基準を巡るゲームであって、私の提案する《超一流》という視点も、そういう建築史を書き直す鑑賞評価ゲーム作品なのです。

 日本社会という小さな社会の内側での評価なら《一流》であることでも足りるのですが、国際競争力という意味では《一流》というのは、凡庸であるに過ぎません。今日の国際的なあらゆる面での競争に勝とうとすれば、《超一流》のものを開発して行かないと、勝ち残れないのです。むかし、ソニーがいくらウオークマンで世界を風靡しても、今日ではiPodで追い抜かれてしまったように、熾烈な国際競争社会で生き残るためには、日本社会の中でも社会的常識を超えた《超一流 超次元》の建築や美術を再評価して鑑賞して、こういう《超一流》の技術開発をする精神力を養わなければ、国民の元気が出てこないのです。

坂上・それで、《超一流》の日本建築をいくつも収蔵した皇居美術館と、故宮美術館で、日中美術館戦争やるのですか(笑)!

彦坂・そうですね、隣国関係は重要ですね。まず、中国との国際競争に勝たないと、どうしようもなりませんね。しかし本当の日中軍事衝突にならないように、皇居美術館をつくって、中国人に、しっかりと見せて、威嚇して、尊敬させておかないと駄目だと思うのです。

坂上・なるほど。皇居美術館で、国土防衛ですか(笑)

彦坂・第一回目の日中戦争は日本が侵略したのだから、現在の中国軍の増強ぶりからすれば、お話的には第二回目は、中国が日本を侵略してくるという可能性はあるのですよ(笑)。旧左翼的な人びとから見れば、日本が中国に合併されて吸収されるというのも良いかもしれませんが(笑)、しかし合併されれば中国人は日本人を差別するでしょうね。中国人の少数民族に対する差別政策/搾取政策は熾烈を極めていますから、日本人が支配されるようになると、庶民の生活も悲惨なことになる。日本を軍事的に支配下に入れた時は、中国共産党政権が天皇を処刑して天皇制を廃棄するかもしれない(笑)。何が何でも天皇制を廃棄したいと思う旧左翼易な人びとにとっては、中国の共産党政権というのが、現在での天皇制を倒す唯一の政治的軍事的な力ですから、この中国軍の軍備増強は、歓迎すべき事なのでしょう。そういう、日本の右翼が怒りそうなサイエンス・フィクション的な空想も踏まえて、先手を打って、天皇制そのものを芸術化しておこうという深慮遠望があって、私は皇居美術館と芸術憲法を提案しているのです。

坂上・ほんとうに、そういう馬鹿な事を考えているのですか?

彦坂・これは芸術作品であって、空想ですからね(笑)。疑心暗鬼になるのは危険ですが、二十一世紀のアジアの国際情勢について、軍事的面もあらゆる可能性を考えて踏まえておかないと、庶民の平和な生活を守るためにもマズいですよね。誰も考えてくれないから、私の方は、アートだから考えられるので、対中国政策として、皇居美術館と芸術憲法を、故宮博物院との対比の中で空想してみたのです。平和憲法から芸術憲法に移行して、中国とは軍事対決するのではなくて、あくまでも芸術立国と言う、アートという技術を磨いて、《超一流》の技術開発をする形で、日本の未来を豊かにして行く必要があるのです。そのための皇居美術館であり、そうした「空想の自由」を追求しているだけです。そうする事で、中国美術へのコンプレックスを克服し、世界の美術の中で、日本美術の《超一流》的突出性をアピールしたいのですね。(つづく) 


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