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バサラ・メモ(画像追加 加筆) [日記]

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糸崎公朗さんの、フォトモという作品が、
バサラであるとわかって、長年の秘密を解いた気がしています。

なぜに、ああいうペラペラの紙の小さな作品を作りえるのか?
という謎は、
高度の芸術に対するコンプレックスが強くあって、
これを摸倣しつつ、なぞり、複雑に屈折しながら、
原始的で、レベルの低い下層文化に還元して行こうと言う
情熱であったのではないでしょうか。

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それが、ある意味で正直に過激に展開されたところに、
糸崎公朗さんの魅力と人気の秘密があったと、私見ですが、
思った次第です。

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こういう視点で見ると、
例えば北野武の映画もバサラであったと思います。
バサラものは、最初には高度な文化を摸倣してなぞるので、
その段階は魅力があります。
しかし次第に低いものに還元して、
還元し切ると、エネルギーを失ってつまらなくなるのです。

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同じ事はティムバートンにも言えて、
あれもアメリカのバサラであったと思います。
最初面白いのですが、次第につまらなくなって、
見るのも嫌になってしまう。

こういう私の私見に異議を唱える方は多いと思うので、
その異議は理解できます。

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しかし北野武やティム・バートンさらにはエディ・マーフィー、
、さらにはスティヴ・マーティンなどが、次第につまらなく
なっていったという理由を説明するのには、
バサラ理論は、ひとつの回答ではあるのです。

貶める(落としメル)ことの面白さというエネルギーは、
実は限界があるのです
落としメルのには、落とすべきものの高さが必要なのですが、
その高さが、本人が成功して偉くなる事で、
次第に失われてくるのです。

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糸崎公朗さんの作品も、立派な美術館で、
デュシャンと並んで展示されると、面白くは見えてこないのでした。
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しかし、文化というものは、
そもそもがバサラの部分があって、
常に落下する喜びにあるのではないでしょうか。

しかしギャクもあるのです。
下層のものが上昇して行く喜びです。

どちらにしても下降と上昇の相矛盾するエネルギーの織りなす
不可思議な渦巻きの中で芸術は生まれ、死んで行くのです。



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