SSブログ

小さな絵画/絵巻物 [アート論]

 gaki-2.jpg


  平安時代に《超1流》の優れた美術作品が出てきます。それは小さな美術です。絵画の場合の小さなものというのは、「本の絵画」です。

 

 そもそも美術には大中小があります。しかも単なる大きさの違いではなくて、大中小によって絵画の起源が違うのです。大きな絵画といのは壁画などの建築についている《建築絵画》です。ヨーロッパですとジョットのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が《建築絵画》であって、「大きな美術」です。これらの基本構造は建築が持っている構築的工学的な構造に強く対応している絵画なのです。

 日本だと障画と言われるものが建築絵画で、「大きな美術」です。狩野永徳の『檜図屏風』や『聚光院障壁画』は、その《超一流》の代表なのです。俵屋宗達の『舞樂図屏風』『風神雷神図』『松島図屏風』といった屏風絵画も《超一流》の《建築絵画》なのです。つまり屏風や襖というのは、移動壁面であって、壁画の一種類なのです。日本にはこうした移動壁画は、特に金箔地に群青・緑青・白緑そして朱や濃墨などを用いた濃彩色の障壁画である『金碧障壁画として、すぐれた《超一流》のものが数多くあります。

 中くらいな絵画というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが始めたといわれるタブロー(額の絵画)です。レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザを持って歩いて10年かかって作品を描いているのです。そして運搬できるという事は、美術市場=流通に乗るという事ですので、近代の資本主義時代のモダンペインティングの大半はこの中くらいの「額の絵画」です。

 東洋ですと、この中くらいの絵画は掛け軸です。加藤周一は、日本の禅宗が衰える、宗教が美術化して禅の美術が成立してくると書いていますが、禅宗の僧侶が床の間に掛けた風景画や。禅の先生の肖像画である頂相が、掛け軸のスタイルで、典型的な中くらいの美術であろうと思います。この中には日本美術は数多くの《超一流》の作品があります。

 そして小さな「本の絵画」というのは、西洋ですと手書きの聖書を飾った写本画と言われるものです。インドやオスマントルコの細密画(ミニアチュール)も有名です。日本では絵巻物になります。

海外にある本の美術は、15世紀フランス細密画家ジャン・フーケの写本などは《超一流》の名品ですが、しかしこれらの少数の例外を除いて、多くは《第6次元自然領域》の「普通の絵」です。それに対して日本の絵巻物には《超次元 超越領域》の傑出した「偉大な絵画」がいくつもあります。

 まず『餓鬼草紙』です。餓鬼というのは、仏教において、生前において贅沢で、強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が、死んで餓鬼道に生まれ変わったものを言います。『餓鬼草紙』には、餓鬼たちのおぞましいグロテスクな姿が赤裸々に描出されています。《超1流》の名品ですが、正確には《超1流》が反転して倒錯した《第41次元 戦争領域》の名作です。

 私事で恐縮ですが私の高校は都立駒場高校ですが、ここは普通高校とともに芸術高校が併設されていることもあって、牧野寅雄という大正時代の油彩画家の作品を所蔵した美術館もあるところです。この高校の図書館が所蔵する『日本絵巻物全集』を、高校生の私は食い入るように何回も見に行っていました。その中でも特に餓鬼草紙に強く引きつけられたのです。ここには人間存在の本質が描かれているように思います。



img_gaki2.jpg

 

photo159663-1.jpg

 

57db75dc88934cdaeddbf470ef7778b8.jpg

C0016933.jpg

 

 同じ《第41次元》の名作に『病草紙』があります。さまざまな病気という卑属な題材を扱いながら、洗練された絵画ですばらしいものです。


20081105011213.jpg

Diseases_and_deformities.jpg

eg_6.jpg

orai003b.jpg


 この他にも『随身庭騎図鑑』『寝覚物語絵巻』が《超1流》です。

 

 もちろん『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』は、日本の漫画の元祖であって、しかも《超1流》の名画なのです。

 そして良く知られている『源氏物語絵巻』も《超一流》の名品です。

 


nice!(4)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

小さな絵画/絵巻物 [アート論]

 gaki-2.jpg


  平安時代に《超1流》の優れた美術作品が出てきます。それは小さな美術です。絵画の場合の小さなものというのは、「本の絵画」です。

 

 そもそも美術には大中小があります。大きな絵画といのは壁画などの建築についている「建築の絵画」です。ヨーロッパですとジョットのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が、建築絵画であって、「大きな美術」です。

 日本だと障画と言われるものが建築絵画で、「大きな美術」です。狩野永徳の『檜図屏風』や『聚光院障壁画』は、その代表なのです。

 中くらいな絵画というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが始めたといわれるタブロー(額の絵画)です。レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザを持って歩いて10年かかって作品を描いているのです。そして運搬できるという事は、美術市場=流通に乗るという事ですので、近代の資本主義時代のモダンペインティングの大半はこの中くらいの「額の絵画」です。

 東洋ですと、この中くらいの絵画は掛け軸です。加藤周一は、日本の禅宗が衰える、宗教が美術化して禅の美術が成立してくると書いていますが、禅宗の僧侶が床の間に掛けた風景画や。禅の先生の肖像画である頂相が、掛け軸のスタイルで、典型的な中くらいの美術であろうと思います。

 そして小さな「本の絵画」というのは、西洋ですと手書きの聖書を飾った写本画と言われるものです。インドやオスマントルコの細密画(ミニアチュール)も有名です。日本では絵巻物になります。

海外にある本の美術は、15世紀フランス細密画家ジャン・フーケの写本などは《超一流》の名品ですが、しかしこれらの少数の例外を除いて、多くは《第6次元自然領域》の「普通の絵」です。それに対して日本の絵巻物には《超次元 超越領域》の傑出した「偉大な絵画」がいくつもあります。

 まず『餓鬼草紙』です。餓鬼というのは、仏教において、生前において贅沢で、強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が、死んで餓鬼道に生まれ変わったものを言います。『餓鬼草紙』には、餓鬼たちのおぞましいグロテスクな姿が赤裸々に描出されています。《超1流》の名品ですが、正確には《超1流》が反転して倒錯した《第41次元 戦争領域》の名作です。私の高校は都立駒場高校ですが、ここは普通高校とともに芸術孝行があって、牧野寅雄という大正時代の油彩画家の作品を所蔵した美術館もあるところです。この高校の図書館が所蔵する『日本絵巻物全集』



img_gaki2.jpg

 

photo159663-1.jpg

 

57db75dc88934cdaeddbf470ef7778b8.jpg

C0016933.jpg

 

 同じ《第41次元》の名作に『病草紙』があります。さまざまな病気という卑属な題材を扱いながら、洗練された絵画ですばらしいものです。


20081105011213.jpg

Diseases_and_deformities.jpg

eg_6.jpg

orai003b.jpg


 この他にも『随身庭騎図鑑』『寝覚物語絵巻』が《超1流》です。

 

 もちろん『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』は、日本の漫画の元祖であって、しかも《超1流》の名画なのです。

 そして良く知られている『源氏物語絵巻』です。

 この後にも雪舟の『四季山水図』など、すぐれた絵巻絵画が描かれ、これらは中国の《1流》でしかない絵巻をしのぐ傑作なのです。絵巻物という小さな絵画では、日本美術は世界に例のない高品位な芸術の国なのです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

メタル放送大学に対する五十嵐太郎氏の批判 [建築系美術ラジオ]

普段は温厚な五十嵐太郎さんが、
珍しく、先日のメタル放送大学の不手際を批判なさっている。
彦坂の視点を補足しながら、読んでいただければと思います。

*そのまま東京に移動し、横浜のZAIMにて、深夜からメタル放送大学に出演。
・が、ありえないほどの段どりの悪さに、途中から帰りたくなった。しかし、あいにく電車は動いていない。6時過ぎに解放された。下記に問題点を挙げますので、今後、参考にしてください。

五十嵐太郎さんは天才的なキュレター/プロデューサーです。

日本のシンポジウムのやり方の悪さを対象化して、それを乗り越えるシステムを

作って来ておられるのです。

それがリノベーション・スタディーズであり、

このシステムを受け継いだのが、アートスタディーズです。


まあ、五十嵐さんのご批判は正当ですが、メタル放送大学を実行した危口統之さんと

比較するのは無理です。


危口統之さんは、自分がシンポジウムを実行するのに夢中で、他人のシンポジウムを
いくつも見て、日本のシンポジウムのやり方の欠点を対象化して、陥りやすい欠点を
修正して、面白くする方法について考えるというようなプロの企画者の視点が無いのです。

・イベントに決定的に欠けていたのは、せっかく呼んだゲストから話をきこうという(当たり前の)態度だった。最初の紹介もごくわずか。そもそも、あまりしゃべるなと言われた。リスナーにとっても、出演者のキャラや立ち位置がわからない状態で始めるのは、とても不親切な番組になってしまう。

異質な複数のゲストを呼んで、その人びとの話を引き出して、複数の頭脳と複数の思考パターンが隣合っていることの面白さを、引き出すと言う、シンポジウムの妙味を作り出す事において、五十嵐太郎氏は、傑出しているのです。

5月7日に朝日新聞社出版から出版される『空想 皇居美術館』という本に収録されている新宿のオゾンでのシンポジウムは、政治評論家の御厨貴、歴史家の原武史、そして右翼の一水会の鈴木邦男の諸氏と、建築家の新堀学、そして彦坂尚嘉をからめたもので、圧倒的な面白いシンポジウムでした。

仙台で行われたカルチャータイフーンでの五十嵐太郎企画のアートスタディーズも、極めて面白いもので、これも本になって出版される予定で、作業が進んでいます。

・パネリストのぢゅんさんはキャリーバックいっぱいにアイテムを用意してたのに、紹介する機会なし。途中から本題と関係なく、隣のむっちーさんと別のはなしをしてた。僕も寄稿したハードロック関係の本数冊用意したけど、紹介する機会がなかった。藤原さんもせっかく駆けつけたのに、置いてかれた。

メタル放送大学を実行した危口統之さんは、どこかで《自己愛》性人格障害的なところがあって、他人を見つめる視野に欠けているんだろうと、思われます。
他者というものが持っている豊かさに、危口統之さんの目が向いていないのです。人間というものは、80%以上の時間が、自分の事しか考えていないと言われますが、自分しか見ていない視野では、他人の存在が抜け落ちてしまいます。他人の良さや面白さに目を向ける事が、根本的にむずかしくするのが、ナルシズムの原理なのです。ナルシズムというのは、基本的には自己防御のシステムで、自分を守るために他者を排除するのです。

ナルシズムから脱却するためには、自分を守らないで、自分を一度殺す事が重要なのですが、この自己否定をすることが、多くの人に取ってはできないのです。「自分を捨てろ」という伝統的な教えが重要なのですが、これが危口統之さんにもできないのだろうと思います。


・例えば、80年代にアメリカに住み、ミュージシャンといろいろな交友があったぢゅんさん。僕が司会なら、彼女から当時のメタル関係のコミュニティについて聞く。活字になっていない、貴重な言葉が得られる。そこから80年代のアメリカのシーンを立体的に復元できる。なのに、あ~あ、もったいない。

清水(ぢゅん)さんは、いろいろのバンドのTシャツを持って来ていて、着替えをしてくれていたのだし、私もメガデスのTシャツをきたり、頑張ったゲストがいるのに、それには目がいかなかったのが危口統之さんでした。残念でありましたが、これは根本的な精神状態の問題で、根っこの深いところで、他者の存在を排除しているのですよ。それを直す事は、いまさらできないので、言っても始まらない事なのです



・僕は自分が司会をするとき、ミニマムにしゃべるのが成功だと思っている。なるべく多く、ゲストにしゃべってもらう。昨日は完全にその逆。6時間もあれば、どんなに少なくともパネリストが10分でも好きなようにしゃべれる時間をとるべき。というか、誰が司会なのか、はっきりもしてなかった。

彦坂尚嘉は、他人の話を良く聴く人ではありますが、しかし自分でもしゃべってしまう人なので、司会者としては良く無いです。アートスタディーズでも、自分のしゃべりが多過ぎると言う欠陥は頻発していますが、それでも何とか成立しているのは、五十嵐太郎さんのつくったシンポジウムのシステムが良いからです。

そういう意味で、メタル放送大学に欠けているのは、五十嵐太郎という存在なのです(笑)。五十嵐さんと、もう一人スラッシュメタルに詳しい人が組んでメタル放送大学を組み立てれば、面白いものになると思いますが、(笑)そういうこともできないでしょう。

・せめて80年代はこれをテーマ、90年代はこれをテーマという最低限の問題提起くらい、あらかじめ用意すべき(できれば、そのテーマとパネリストを関連させるのがよい)。よほど司会がうまく、話術にすぐれているのではないかぎり、完全なフリートークは危険すぎる。

危口さんも、実は1960年代、1970年代、80年代,90年代、2000年代と各時代のテーメを決めて進行しようとしたのですが、その時代ごとのゲストスピーカーを用意しなかったのが、まず、失敗でした。危口さん自分自身で、各時代を解説しようとしたために、構造が消えてしまった。各時代ごとに、別々の報告者を決めて、その時代の概略を述べてもらって、代表的な【YouTube画像】を見せて、そういう誰にでもわかる啓蒙的な番組をつくる必要があったのです。

・ただのDJ番組なら、この曲カッコいいでしょ、でしょでしょ、で共感を強制してかまわないけど、そうでないならば、可能なかぎり、なぜ良いのかを言語化しないと、討議にはならない。そして~が大好き、ということと、言語化する能力は必ずしも一致しない。ならば、せめて事前に準備をしておくべき。

私自身が驚いたのは、危口さん自身が、メタルをそれほど高く評価していなかった事です。様式美の娯楽音楽としか見ていないような発言が最初にあって、私はそれは違うと思いました。事前に勉強会をしっかりとやって、メタルなりラウドロックの意味を、しっかりと肯定的に評価する思想を作っておかないと、こういう企画は、根本的に無理なのです。

・10選の発表も、パネリストとメール投稿が等価な扱いだったが、(平等に扱う事は出席者に失礼だった。)時間がおしていることを考えれば、前者(パネリスト)はその場の発言を引き出し、後者(投稿者)はスクリーンに10選を映しだし、簡単なコメントで次に流すべき。
 深夜にわざわざ現場に来ている(ノーギャラの善意の出席者である)パネリスト4人の扱いが低すぎる。

10メール曲を選ぶ事は、一仕事なので、ゲストをノーギャラで呼んでいながら、その扱いが失礼だった事は、致命的と言えます。ノーギャラだから、話を聞く必要も無いと言う、そういう扱いなのです。

そういう意味でノーギャラのところには、出席してはいけないという実例であったと言えます。ゲストが、それぞれに仕事を持っていて、翌日も動かなければならないという、そういう基本的な部分が欠けている。他人の時間は、実は有料なのですね。実際、私は家賃もあるので、この時間も稼いでいないと、マズいのです。

そういう意味で、五十嵐太郎さんも彦坂尚嘉も、清水じゅんさんも、優しすぎたのです。やさしいだけでなくて、メタルをそれだけ愛していて、評価しているという結果の善意でした。しかし、やはりお金を最低限でも用意できない人は、社会的にマズい人なのですね。

ノーギャラで他人を呼ぶ人は、他人の存在を軽視していると、思った方が良いということが言えると思いました。
 
・そして大変につまらないことだが、僕が選んだ10曲はひとつもかけてくれなかった。ほかの10選からは、たとえメールでも、だいたいひとつは流したのに。主催者側のお好みの曲だけをかけるのは、他者の意見をきかない姿勢に通じる。自説の披露のために、装飾としてゲストを呼ぶのは失礼だと思う。

装飾として呼んだという扱いは事実であったのです。五十嵐さんの上げた曲を一曲もかけなかったのは、明らかにマズい事で、そういう他者への配慮のなさは、ミスであるという範囲を超えているのです。危口さんに限らす、自分も含めてですが、マズい人が、凄く増えているのです。

人を見ていく必要はあるのですね。危口さんにしても、努力で直る水準ではないので、五十嵐さんのやさしさを誤解している無配慮さは、おしまいというか、修復不可能なものです。

五十嵐さんは、アートスタディーズでも、建築系ラジオの活動でも、そして建築雑誌の編集活動でも、ボランティアで、多忙な中、非常に頑張って状況を変えようと努力なさっている文化人です。こういう善意に満ちたプロの文化人を、ないがしろにすると、まあ、罰があたるというか、まずいですね。

・実際、楽曲を流すと、その楽しさでなんとなく場はもってしまうのだが、それ「だけ」のイベントなら、前後が忙しいなか、僕は6+1時間も拘束されたくない。

パネリストがみな無償できているだけに、なおさら主催者だけの満足にならないよう、配慮をして欲しい。

・司会とは、ときに用意したものも捨てて、ゲストのはなしを展開すべきである。

そして客観的に場を読み、時間配分を考え、進行しなければならない。

自説の主張に固辞したり、そのためにフリーズしたりは、司会の役割ではない。

今後、イベントを考える学生は、反面教師として学んでください。

さて、そういうひどい司会の危口統之さんであったのだが、それでも私は、メタルミュージックについて考える機会を与えられて、面白かった。

椹木野衣さんが、10選の曲をあげていたが、これが古すぎて笑えた事も含めて、多くの人が、実は1991年以前を生きていて、実に後ろ向きにメタルミュージックを考えているという事も見えて、それも貴重な体験だった。

これからは、しばらく1990年代,2000年代、さらには2010年代の新しい音楽だけを、集中的に聞いてみようと思った。そういう中で、パンテラを全部聞いてみようとか思いだしたのです。とにかく、古い感性に逃げ込んでいる精神には、うんざりするのであって、今日の表現がどれほど不毛であっても、今の新しさを追いかけて見たいと、改めて思った次第です。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

「価格の自由」を追求するアート・リバタリアニズム(改題加筆) [気体分子ギャラリー]

IMG_7071展示風景1.jpg
IMG_7078展示風景2.jpg

栃原比比奈展は、無事終了して、好評をいただいて、感謝しています。
これをバネに、2010年代の実力派新人アーティストとして、
デビューに専念させたいと思います。

作品の売上も32点ということで、その面でも成功と言えますが、
重要なことは、オークションシステムが作動して、
競りが、ささやかではありますが、エキサイティングに成立した事です。

競りに参加して下さったコレクターのみなさまに、
改めて深く感謝いたします。

初めてだったので、不手際が多かったのですが、
システム的な整備を進めたいと思います。
まずは、オークション専門の別のブログを用意するつもりです。

さて、ここで書きたいのは、実務よりも、
思想上の問題です。
気体分子ギャラリーでの競りの成立の意味は、
実は「表現の自由」「制作の自由」に関わる事なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

展示風景5.jpg

IMG_7028.jpg

IMG_7122展示風景7.jpg

IMG_7026.jpg



競りというのは、「価格の自由」の追求システムのひとつです。

「価格の自由」というのは、
それは「表現の自由」「創作の自由」「言論の自由」「批評の自由」
「学問の自由」「宣伝の自由」「報道の自由」「信教の自由」
そして「知る権利」等々と結びついた、
精神的自由権のひとつで、重要なものなのです。

芸術というのは、《精神的自由権》と深く結びついています。

この《精神的自由権》と、「価格の自由」は深く結びついている
のであり、
そして芸術というのは、この「価格の自由」を基盤としているのです。
それは芸術が高額になりうるとともに、
同時に《フリーアート》の成立の根拠なのです。
無料であっても、高度な芸術は存在するのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
IMG_714展示風景4.jpg

IMG_7138展示風景3.jpg




しかし従来の画廊は、この「価格の自由」を否定して来たのです。

美術品の価格、つまりプライマリープライスというものを、
画廊が設定して、しかもそれを複数の画廊が協定を結んで、
価格カルテルという、独占禁止法違反の方法で、
価格でのコレクター支配をしてきたのが、
従来の画廊だったのです。

価格カルテルこそが、日本の画廊活動の基本にあったのです。

それの代表が日本画のシステムでありました。
五都会という業者の閉じた交換会システムが、
日本画の高値を維持して来たのです。
それこそ東山魁夷の10号の絵画が、3億も5億もしたのは、
この価格カルテルによって成立していたのであって、
現在のようなオークションで、村上隆の作品が16億になったという
事とは違うのです。

画廊カルテルというのは、画廊間で価格や制作数量
販売地域などを協定することでです。
このような画廊カルテルが、今まで行われて来たのです。

それは古い日本画の世界だけではありません。
現代美術の中でもそれは行われていたのであって、複数の
画廊が連合して市場を成立させることは、
例えば佐谷画廊を中心とした数件の画廊が山田正亮の作品を
押し上げて行った例などに顕著でした。
佐谷画廊、ギャラリー米津と、もう一軒あったと思うのですが、
3軒が連合したのが大きかったという記憶があります。

07250_big.jpg


私が見ていた限りですが、山田正亮の作品は、10号大で、
180万円を超えたと思いますが、その後、経歴詐称事件や、
自分の作品の贋作事件などで、交換会での価格が15万円ほどに
下落して行きました。
現在がいくらかは、確認していません。

あくまでも私の記憶の主観判断ですが、
10号の作品を最高値で買ったコレクターは、
有に100万円を超える損失を被ったと思われます。

佐谷画廊が売った山田正亮の作品数は膨大であったと推定されます。
それは山田正亮が、毎日1枚のドローイングは描いていた人で、
ドローイングの数は膨大にあったことから、作品量が多いのです。
作品もストライプの絵画が中心で、簡単なものと言う面もあって、
作品量は多い人だと思います。
だから多くのコレクターが、経済的な損失を被って、
泣き寝入りになっています。

佐谷画廊の倒産が、何によったのかは具体的には知りませんが、
(クレーの買い付けの失敗と言う風評も聞いた覚えもありますが、)
山田正亮を巡る、コレクターの損失は、無視できない影響を
佐谷画廊の倒産に対して持っていたと思います。

もっとも佐谷画廊が、ほぼ30年で倒産した事と、
ギャラリー山口が、きっちり30年で死に至ったことは、
奇妙に符合します。
1979年に自殺した志水楠男さんの画廊活動も、ほぼ30年です。
1948年頃に数寄屋橋画廊に勤務して、1979年に亡くなられている。
画廊の寿命は、30年なのか?

日系ビジネスなどの経済雑誌を読んでいると、
企業の寿命は、普通は30年であると書かれています。

つまり画廊に限らず、企業活動の限界が30年なのであって、
それを超えて活動するのは、むずかしい事なのです。

閑話休題、山田正亮に戻ります。
山田正亮を売り出した頃、それは1970年代中期ですが、
しかもこの時期は、まだオークションが、今のように市場を支配
していない時期でしたので、佐谷画廊の責任は重大なものが
あったのです。

画廊と画廊が相談をして、作家の作品価格を固定させると言う
価格カルテルは、佐谷画廊のような昔の画廊だけの話では
無いのです。

今日でも画廊の常識として生きています。
実は、私の近くでも矢野まき さんがやっているM7が、
斉藤ちさとさんの作品の価格協定をもちかけて、
今年の正月に気体分子ギャラリーのアトリエにやって来ています。

私は相手にしませんでした。

斉藤ちさとの価格カルテルをM7を中心に作るなどということは、
矢野まき さんは、時代錯誤も良いところで、
馬鹿げている話です。

日本を代表するJALが破産し、トヨタが崩壊して行く時代に、
価格カルテルを作ろうとするなど、愚かな経営者です。
時代を読んでいないのです。

今日進行している事は、古い産業化社会の崩壊であり、
古い資本主義、古いビジネス主義の崩壊過程なのです。

それは同時に古いギャラリーシステムの崩壊期なのです。

M7の矢野まきさんは、私よりも若いくせに、
価格カルテルという古いギャラリーシステムに
依拠しようとしているのです。

だから最後のギャラリー山口にも、見にも来ない。
死者に哀悼の意を表せないひとは、
実は死者に呪われ、連れて行かれるんです。

何故にギャラリー山口が終わったのか、その原因と終焉を、
きちんと、ともらうこともできない人は、
先に進む事ができないのです。

もっとも人はそれぞれ多忙ですから、ギャラリー山口の最後の
1週間を見られなくても、仕方がない事は、しかたがないです。
私自身も、たくさんの不義理があるし、葬式に行き損なったミスは、
いくらもあります。
ですから矢野まきさんを責める資格は無いかもしれません。

しかし価格カルテルを私に持ちかけた事は、
矢野まきさんの意思であって、その古さは、吐き気がするものです。

新しいギャラリーを始めるという事は、
新しい販売システムを構築しなければならないのです。
それは同時に新しい作品制作システムと連動していなければなりません。


気体分子ギャラリーは、オークションシステムを取っているのであって、
それは価格カルテルを破壊する意思を、
彦坂尚嘉が持っている事を示しているからです。

書くと長くなりますからはしょりますが、
東京画廊/村松画廊が、彦坂尚嘉の価格カルテルを作った時にも、
抵抗して、
その闘いをするためにギャラリー手と、影で結びついて、
自らの価格カルテルを破壊して行った作家が、彦坂尚嘉だからです。

自らが滅びようとも、自由を疎外する価格カルテルは、
認めがたいのです。
私自身は、学生時代は黒ヘルメットを冠ったアナーキストであって、
自由の追求には、命をかけるのです。
命をかけて、自由を追求する。
こういう態度の中に、販売システムが登場するのです。

それが歴史的には、「売文社」の運動です。

売文社(ばいぶんしゃ、1910年12月31日 - 1919年3月)は、赤旗事件の刑期を終えて出獄した堺利彦が、大逆事件幸徳事件)後の「社会主義冬の時代」に生活費を稼ぎ、同時に、全国の社会主義者間の連絡を維持・確保するために設立した、代筆・文章代理を業とする団体。

大杉栄荒畑寒村高畠素之山川均橋浦時雄和田久太郎などが参加した。機関誌に『へちまの花』と、それを改題した『新社会』がある。(出典;ウイキペディア)


美共闘(BIKYOTO)は、この売文社の影響があって、美術作品や文章を売るという、販売にたいする商業主義の面は、最初からあったのです。だから彦坂尚嘉は、日本の洋画商の源流をさぐる調査をして『日本洋画商史』を書いているのです。


『芸術の意味』を書いたイギリスの美術評論家ハーバート・リードは、『アナキズムの哲学』(法政大学出版局) を書いていますが、翻訳が1968年に出て、学生時代に私もバリケードの中で読んでいます。「アナキズム」という言葉は、今日では古くなって、リバタリアニズムというべきなのですが、「価格の自由」、つまり自由経済を主張して行くという意味では、両者に共通はしているのですが、それでもリバタリアンといった方が、分かりやすいかもしれません。

彦坂尚嘉は、「言論の自由」「表現の自由」を追求するとともに、
「価格の自由」を追求してきているのであって、

気体分子ギャラリーは、プライマリー画廊でありながら、
古いギャラリー価格カルテルな動きを否定して、

コレクターが価格決定に参加する、開いたシステムとして、
今日のオークションシステムを取り入れたのです。
それは同時に、美術家の作品制作のシステムの変更に連動するところまで、追求される必要があるのです。。

今日のデフレ・スパイラルの中で、
低価格・高品質の美術作品を、オークションシステムを使って、
最終的な作品評価と、最終的な価格を、
コレクター主導にゆだねるのです。

コレクター主導にゆだねる事が、
このコレクターと言う他者を介して、
作家が自らの制作の根拠を、
《近代》の個人主義的な制作の外に連れ出し、
新しい制作システムを構築する場の形成になるのです。

父権的権威的な芸術ではなくて、
芸術の消費者に開かれたアート・リバタリアニズムを追求していきたいのです。それはフリーアートの探究を含む、広範性を持つものです。

アート・リバタリアニズムとしての芸術運動を展開したく思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
とは言っても、気体分子ギャラリーは、弱小資本で、少人数での活動ですし、不慣れな事が多くて、まだまだ、不手際が多くて、みなさんにご迷惑をおかけしています。

事務手続きに不慣れで。

メールでのご連絡等々、あまりに不完全でした。


すでにあるアマゾンのやり方などを手本にして、

次回からの改良をしようと反省しています。


昨晩から、作品の発送を開始して、

本日、そして明日で完了するつもりです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【続きは下記をクリックして下さい】

【続きはここをクリックして下さい】


nice!(7)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

第30回「ラカンと美術読書会」 [告知]

皆様
ラカンと美術読書会連絡係りの加藤 力と申します。
ご案内させていただきます
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
第30回「ラカンと美術読書会」のご案内

日時2月24日(水)18時30分 〜 2時間程度
場所 彦坂尚嘉アトリエ  藤沢(小田急線六会日大前)

通常読書会は立教大学で行われておりますが
授業が終了している関係で研究室の使用できないため、
藤沢(六会)の彦坂尚嘉アトリエで行われます。
ご注意下さい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ラカンと美術読書会」とは下記の2人が共催する読書会です。

彦坂尚嘉(日本ラカン協会幹事、立教大学大学院特任教授、日本建築学会会員、
美術家)
武田友孝(元・東京スタデオ、インデペンデント・キュレーター)

ラカン『無意識の形成物〈上〉』と、
月代わりで選出される美術本の読書会です。

2007年8月より月一回のペースで開かれています。
ごくごく初歩的な読書会で何方でも参加できます。
どうぞお気軽にご参加下さい。

テキスト
     ◎ラカンは『無意識の形成物〈上〉』 (岩波書店)
     ●美術はアールローラン著『セザンヌの構図』(美術出版社)

  参加費 無料(コピー代のみ実費で頂きたくお願いいたします)
     テキストは特に準備なさらなくても、こちらでコピーを用意いたします。

※ 研究会終了後、懇親会を予定しております。
 お時間に余裕のある方は、こちらの方にもご参加ください。
 なお、懇親会は、持ち寄りのパーティー形式で行いたいと思いますので、
 希望者の方は、あらかじめアルコールとつまみを
 適当に用意して来て頂ければ幸いです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
六会日大前に着いたら、電話を携帯に下さい。
車で迎えに行きます。

ちなみに徒歩で行かれる場合は、
小田急藤沢江ノ島線 六会日大前下車。
東口に出てバスターミナルを突っ切り 大通りを300メートル進み
六会日大前駅入口交差点と言う大きな交差点を右折。
300メートル進むと左手にローソンがあります。
ローソン手前の細い道を左折。T字路にぶつかるまで300メートル直進。
T字路左手が彦坂アトリエです。
徒歩12分

彦坂尚嘉アトリエ
〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
申込・問合せ先:加藤 力(美術家、臨床美術士)
メールアドレス変わりました E-mail:sp5g7d99@axel.ocn.ne.jp
                FAX:0467-48-5667

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

徹夜のメタル放送大学から東京都現代美術館/新国立美術館 [日記]

更新できなくて、すみません。

横浜のZAIMでのメタル放送大学を徹夜でやって、
なんと朝の6時半まで、8時間近くの長丁場の放送は、
さすがにくたびれたのだが、
そのまま寝ないで、東京都現代美術館に行く必要があった。

栃原比比奈さんと横浜で待ち合わせをして「装飾」という、
東京都現代美術館のアニュアル展を見なければならなかったのだ。

さらにその後新国立現代美術館での、宮澤壮佳氏の講演を聴きに
行った。

シリーズ 美術雑誌と戦後美術 ― 創り手たちの証言
「第1回 激動と転換の60年代末 宮澤壯佳氏(元『美術手帖』編集長)」

国立新美術館が、「国立のアートセンター」として特に力を入れている活動に、
「美術に関する資料の収集と提供」があります。具体的には、過去に日本各地で
開催された展覧会のカタログや美術雑誌、単行書、記録写真などを集め、アート
ライブラリーや特別資料閲覧コーナー(事前予約制)で公開しています。
国立新美術館では、これまでもアートライブラリーの「話のたね」コーナー(資
料担当職員のお薦め本をご紹介)や、美術館ニュースの「書架のあいだから」
(資料をテーマにしたエッセイ)で、こうした資料の価値や意義、愉しみ方を発
信してきましたが、開館4年目に入るのを機にさらに一歩進み出て、資料の創り
手の側にいた方々や資料の研究者を順次お招きし、ただ見ているだけでは知りえ
ない世界をご紹介する場を設けていくことにしました。
そこでまずは、美術雑誌を何誌かシリーズで取り上げます。第1回目にあたる今
回は、1948年の創刊以来アートの最先端の動向を紹介し、次代への展開を先導す
る役割を果たしてきた雑誌『美術手帖』です。社会の変革のうねりとともに「美
術」の概念が揺らいだ60年代末に同誌の編集長を務められた宮澤壯佳氏から、当
時の編集方針やエピソードなどをうかがいたいと思います。皆様のご参加をお待
ちしています。

日時:2010年2月13日(土) 14:00〜15:30
講師:宮澤壯佳氏(元『美術手帖』編集長)
聞き手:平井章一(国立新美術館 情報資料室室長・主任研究員)
会場:国立新美術館3F 研修室 
http://www.nact.jp/
定員:50名(先着順、事前申込不要) 聴講は無料です。
聴講は無料です。 事前の申し込みは不要です。

宮澤壯佳(みやざわ・たけよし)氏略歴
1933年生まれ。1956年、美術出版社に入社し、『美術手帖』『みづゑ』編集部を
経て、1967年から『美術手帖』編集長代行、1968年1月から 1971年5月まで同誌
編集長を務める。以後、美術出版社顧問、池田満寿夫美術館館長を歴任し、現在
は池田満寿夫美術館顧問。編集企画に『池田満寿夫全版画集』(1972年)など、
著書に『池田満寿夫 流転の調書』(玲風書房、2003年)がある。ロックやジャ
ズの評論家としても著名。

さらに、そのまま森美術館の『医学と芸術展』を見た。
これも招待券をもらっていたのと、評判の良さを聞いていて、
見るしか無かった。

こう書くと、すごく元気そうだが、実際は体調はボロボロで、
重病の病人が強行軍をやっているようなもので、
自分でもあきれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

徹夜でのメタル放送大学は、
あくまでもボランティアでの参加で、交通費も出演料も出ない
企画なので、普通で言えば、私の年齢(63歳)と、
メタルロックという主題では、断るのが順当な判断だろう。

しかし断れば、ある意味で私の追いかけて来た私の運動は
終わるだろうし、私の欲望は実現しなくなるだろう。

実際、メタル放送大学に出演させてもらって、
良かったと思う。面白かったのです。

終わってから感じることは、
パンテラが大きかったという事です。
正確に言えば、1990年代の音楽を重視しなければという事です。
パンテラというのは、1980年代から1990年代に時代を越境しえた、
重要なバンドでした。
それほどに1990年代になった時の変化は大きかったのです。

このことを抜きには、ヘルメットの《第21次元》の音への共感は、
理解できない事です。

最近の彦坂尚嘉の『アートの格付け』で言えば、
《形骸》や《炎上》《崩壊》という領域に当たるのですが、
パンテラはしかし、《第21次元》ではありますが、
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》はあるのです。
さすがに《世間体のアート》はありませんが。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、東京都現代美術館の「装飾」という展覧会ですが、
大きな空間を使った展示としては巧く行っているのでしょう。

その後、さすがにくたびれて、図書館で仮眠をとって、
そのまま新国立美術館に行くはめになってしまって、
ほかのものを見損ないました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 

『医学と芸術展』は、自分の予想はあたって、
つまらなかったのですが、
多くの人には面白い美術展であるという落差が、面白いと言うか、
重要だとは思います。

お約束しておきながらまだ書けていないミケランジェロの問題なのですが、
《世間体のアート》の強さと言うか、
世間というものが、芸術の原理として作動しているという事、
そのことを改めて思いました。



nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(1) 
共通テーマ:アート

瀬戸内海の島、本島での募集 [告知]

瀬戸内海の本島で、
ギャラリーARTEさんが、活動をしています。

公募をしているので、お知らせします。






 

事業名称「アーティストイン塩飽本島~晴れに耕す、そしてアート」 
実施 SAW(瀬戸内アートウェーブ) 
事業期間 2010年4月1日~2011年3月31日参加者募集記載しました。

 

 

募集
運営に関るかた数名募集します。

 

今年は、『アーティスト・イン塩飽本島 ~晴れに耕す。そしてアート~』という

食とアートプロジェクトに対して、(財) 福武学術文化振興財団から活動費助成を受けて、

2010年4月1日~2011年3月31日までの期間 

今年度のアーティストインレジデンス活動を実施して行きます。

テーマ 「Wish You Were Here」-あなたがここにいてほしい-。

あなたとは、アーティストであり、ここに訪れる人々であり、本島の新しい島民です。

島外から訪れるアーティストの新鮮なまなざしと投げかけにより、本島に対する新しい発見、

異なる価値観の交流を促し、新しい発想や視点を、この小さな島にもたらしたいと思います。

本島町笠島重要伝統的建造物群保存地区は、瀬戸内の海文化の象徴的な場所です。

NPO笠島町並み保存協力会により、この地区の歴史的な町並みの保存及び公開が行われて

います。それに加えて旧小栗邸では、笠島地区で唯一の飲食を提供をする食堂が2006年ま

で運営されていました。しかし現在島の住民の高齢化が進み、お年寄りだけでは、活動が

収縮し、食堂は閉鎖しています。笠島地区を訪れる観光客へのもてなしのため、さらに地区

のお年寄りは、飲食の場を熱望していました。そこで、2009年 地区住民の協力によって、

保存地区内の一棟=屋号「あたらしや」をアート活動及び食堂として使用できるように提供

されました。2010年は、『住民への飲食の場づくり』『土産物づくり』『本島への滞在者

の誘致』などの熱い要望に応えて行こうと、アーティストの参加によるアーティスト・

イン・レジデンスを実施して行きたいと考えています。さらにこれら、一連の活動と情報を

インターネットによって配信することにより、本島という島の暮らし、島で取れる食材の

豊かさを発信し、島と県の内外をつなぐ双方向な交流をつくりだし、新たな島嶼部の

活性化に?げることを目指しています。

募集内容 

1 運営に関る人 食の開発提供 (交通費支給)

農業指導・農業従事者 (交通費支給)

2 Web制作 運営

3 レジデンス作家  別途応募用紙あり(問い合わせください。)

        
 4  SAW(瀬戸内アートウェーブ)に参加されるかた

     (A カフェスタッフ B アートプロジェクト企画・運営)募集
  SAWメンバーであること。 年会費2000円 
   A 11:30-16:30まで(休憩1時間) 

         週 2日 時給800円 + フェリー運賃のみ支給


   B  月5日以上稼動できること。

 以上 の方をそれぞれ募集します。 ご希望のかたは、

応募したい番号明記で簡単なプロフィールとともにご連絡は
メールでご応募ください。おって運営メンバーから返信します。


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

メタル放送大学 3 /スレイヤーとナパームデス、パンテラ、ヘルメット [音楽の頂点]

さて、この3回目は、今までよりもさらに聞きにくい音楽が4つです。

なぜに、こういうひどい音楽が作られ、支持する人びとがいるのか?


いろいろな理由がありますが、

ひとつは時代の温度が上がって、

H2Oの水の比喩で言えば、水は沸騰して水蒸気になって気象化した

だけでなくて、さらに温度はあがって、

水の分子は電離して、原子となって、

荷電粒子を含んだ気体であるプラズマになるのです。


プラズマ化した時代の音楽もまた、多様ではあるので、

一概にここで紹介するヘヴィーメタルだけではありませんが、

しかし、このプラズマ化した時代のひとつの局面を表しているのです。




スレイヤー『show no mercy slayer』


スレイヤーは1981年結成のアメリカのバンド。

音が《第41次元》になっているとともに、

《反音楽》のバンドであることが、大きな特徴と言えます。

スラッシュの極北に位置するバンドです。 



8、ナパームデス - Scum


デスメタルを代表するバンド。

これもライブを見ていますが、《第8次元 信仰領域》の音ですが、

凄いシリアスなインパクトに満ちています。




9、パンテラ Cowboys from Hell


1990年代を代表するヘビメタルサウンドです。



10,ヘルメット meantime


不安定なバンドですが、この《第21次元》の音の閉塞感は、

結構好きであります。。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

メタル放送大学 2 /モーターヘッドとメガデスモーターヘッドとメガデス(訂正加筆) [音楽の頂点]

5,モーターヘッド『オバーキル』


モーターヘッドは、アメリカ・イギリスのアングロサクソン軍が

ベトナム戦争に敗北した1975年に結成されたバンドです。

攻撃的でスピーディーなサウンドは、まるでグラインダーで神経を削る

ような《現実界》の音楽で、

後のスラッシュ・メタルの登場につながるものと言われています。


『オバーキル』という曲は、1979年ではありますが、

ベトナム戦争と無関係とは言えないもので、

《第16次元 崩壊領域》の音楽です。


《第16次元 崩壊領域》と《現実界》が音楽に出現する事は

ありますが、

それがバンドとして安定した不変性を持っているのは、

かなり珍しいもので、長年ファンを魅了し続けているのです。


しかしその音楽性は気体化はしていますが、

次のメガデスの様に、プラズマ化はしていなくて、

オーソドックスなロックンロールでありました。




《想像界》の耳で《第16次元 崩壊領域》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《第8次元 信仰領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の耳で《第16次元 崩壊領域》の《真性の芸術》

《現実界》だけの単一性の表現
気体音楽

《気晴らし音楽》《ローアートの音楽》

シニフィアン(記号表現)の音楽
【B級音楽】

《原芸術》《芸術》《反芸術》は無い。
《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》は有る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

メガデス

1983年のメタリカの『キムエルオール』というアルバムの登場は、
衝撃的ではあったが、その曲の6割りは、メタリカから追放された
ムステインの作曲であったのです。

メガデスとして、ムステインが登場すると、音楽はプラズム化たのです。

それに比して、メタリカの音楽は、プラズマ化していない。

メガデスの音こそが、実は《真性の芸術》でありスラッシュであったのです。



《想像界》の耳で《第41次元 戦争領域〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の耳で《超次元〜《第41次元 戦争領域》》の《真性の芸術》
《現実界》の耳で《第41次元 戦争領域〜超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現

《シリアス音楽》と《気晴らし音楽》の同時表示
《ハイアートの音楽》と《ローアートの音楽》の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示音楽
【A級音楽】と【B級音楽】の同時表示

《原芸術》《芸術》《反芸術》、
《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》のすべてが有る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。