小さな絵画/絵巻物 [アート論]
そもそも美術には大中小があります。しかも単なる大きさの違いではなくて、大中小によって絵画の起源が違うのです。大きな絵画といのは壁画などの建築についている《建築絵画》です。ヨーロッパですとジョットのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が《建築絵画》であって、「大きな美術」です。これらの基本構造は建築が持っている構築的工学的な構造に強く対応している絵画なのです。
日本だと障画と言われるものが建築絵画で、「大きな美術」です。狩野永徳の『檜図屏風』や『聚光院障壁画』は、その《超一流》の代表なのです。俵屋宗達の『舞樂図屏風』『風神雷神図』『松島図屏風』といった屏風絵画も《超一流》の《建築絵画》なのです。つまり屏風や襖というのは、移動壁面であって、壁画の一種類なのです。日本にはこうした移動壁画は、特に金箔地に群青・緑青・白緑そして朱や濃墨などを用いた濃彩色の障壁画である『金碧障壁画』として、すぐれた《超一流》のものが数多くあります。
中くらいな絵画というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが始めたといわれるタブロー(額の絵画)です。レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザを持って歩いて10年かかって作品を描いているのです。そして運搬できるという事は、美術市場=流通に乗るという事ですので、近代の資本主義時代のモダンペインティングの大半はこの中くらいの「額の絵画」です。
東洋ですと、この中くらいの絵画は掛け軸です。加藤周一は、日本の禅宗が衰える、宗教が美術化して禅の美術が成立してくると書いていますが、禅宗の僧侶が床の間に掛けた風景画や。禅の先生の肖像画である頂相が、掛け軸のスタイルで、典型的な中くらいの美術であろうと思います。この中には日本美術は数多くの《超一流》の作品があります。
そして小さな「本の絵画」というのは、西洋ですと手書きの聖書を飾った写本画と言われるものです。インドやオスマントルコの細密画(ミニアチュール)も有名です。日本では絵巻物になります。
海外にある本の美術は、15世紀フランス細密画家ジャン・フーケの写本などは《超一流》の名品ですが、しかしこれらの少数の例外を除いて、多くは《第6次元自然領域》の「普通の絵」です。それに対して日本の絵巻物には《超次元 超越領域》の傑出した「偉大な絵画」がいくつもあります。
まず『餓鬼草紙』です。餓鬼というのは、仏教において、生前において贅沢で、強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が、死んで餓鬼道に生まれ変わったものを言います。『餓鬼草紙』には、餓鬼たちのおぞましいグロテスクな姿が赤裸々に描出されています。《超1流》の名品ですが、正確には《超1流》が反転して倒錯した《第41次元 戦争領域》の名作です。
私事で恐縮ですが私の高校は都立駒場高校ですが、ここは普通高校とともに芸術高校が併設されていることもあって、牧野寅雄という大正時代の油彩画家の作品を所蔵した美術館もあるところです。この高校の図書館が所蔵する『日本絵巻物全集』を、高校生の私は食い入るように何回も見に行っていました。その中でも特に餓鬼草紙に強く引きつけられたのです。ここには人間存在の本質が描かれているように思います。
同じ《第41次元》の名作に『病草紙』があります。さまざまな病気という卑属な題材を扱いながら、洗練された絵画ですばらしいものです。
もちろん『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』は、日本の漫画の元祖であって、しかも《超1流》の名画なのです。
そして良く知られている『源氏物語絵巻』も《超一流》の名品です。
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小さな絵画/絵巻物 [アート論]
そもそも美術には大中小があります。大きな絵画といのは壁画などの建築についている「建築の絵画」です。ヨーロッパですとジョットのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が、建築絵画であって、「大きな美術」です。
日本だと障画と言われるものが建築絵画で、「大きな美術」です。狩野永徳の『檜図屏風』や『聚光院障壁画』は、その代表なのです。
中くらいな絵画というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが始めたといわれるタブロー(額の絵画)です。レオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザを持って歩いて10年かかって作品を描いているのです。そして運搬できるという事は、美術市場=流通に乗るという事ですので、近代の資本主義時代のモダンペインティングの大半はこの中くらいの「額の絵画」です。
東洋ですと、この中くらいの絵画は掛け軸です。加藤周一は、日本の禅宗が衰える、宗教が美術化して禅の美術が成立してくると書いていますが、禅宗の僧侶が床の間に掛けた風景画や。禅の先生の肖像画である頂相が、掛け軸のスタイルで、典型的な中くらいの美術であろうと思います。
そして小さな「本の絵画」というのは、西洋ですと手書きの聖書を飾った写本画と言われるものです。インドやオスマントルコの細密画(ミニアチュール)も有名です。日本では絵巻物になります。
海外にある本の美術は、15世紀フランス細密画家ジャン・フーケの写本などは《超一流》の名品ですが、しかしこれらの少数の例外を除いて、多くは《第6次元自然領域》の「普通の絵」です。それに対して日本の絵巻物には《超次元 超越領域》の傑出した「偉大な絵画」がいくつもあります。
まず『餓鬼草紙』です。餓鬼というのは、仏教において、生前において贅沢で、強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が、死んで餓鬼道に生まれ変わったものを言います。『餓鬼草紙』には、餓鬼たちのおぞましいグロテスクな姿が赤裸々に描出されています。《超1流》の名品ですが、正確には《超1流》が反転して倒錯した《第41次元 戦争領域》の名作です。私の高校は都立駒場高校ですが、ここは普通高校とともに芸術孝行があって、牧野寅雄という大正時代の油彩画家の作品を所蔵した美術館もあるところです。この高校の図書館が所蔵する『日本絵巻物全集』
同じ《第41次元》の名作に『病草紙』があります。さまざまな病気という卑属な題材を扱いながら、洗練された絵画ですばらしいものです。
もちろん『鳥獣戯画』『信貴山縁起』『伴大納言絵詞』は、日本の漫画の元祖であって、しかも《超1流》の名画なのです。
そして良く知られている『源氏物語絵巻』です。
この後にも雪舟の『四季山水図』など、すぐれた絵巻絵画が描かれ、これらは中国の《1流》でしかない絵巻をしのぐ傑作なのです。絵巻物という小さな絵画では、日本美術は世界に例のない高品位な芸術の国なのです。
メタル放送大学に対する五十嵐太郎氏の批判 [建築系美術ラジオ]
五十嵐太郎さんは天才的なキュレター/プロデューサーです。
日本のシンポジウムのやり方の悪さを対象化して、それを乗り越えるシステムを
作って来ておられるのです。
それがリノベーション・スタディーズであり、
このシステムを受け継いだのが、アートスタディーズです。
まあ、五十嵐さんのご批判は正当ですが、メタル放送大学を実行した危口統之さんと
比較するのは無理です。
・イベントに決定的に欠けていたのは、せっかく呼んだゲストから話をきこうという(当たり前の)態度だった。最初の紹介もごくわずか。そもそも、あまりしゃべるなと言われた。リスナーにとっても、出演者のキャラや立ち位置がわからない状態で始めるのは、とても不親切な番組になってしまう。
・例えば、80年代にアメリカに住み、ミュージシャンといろいろな交友があったぢゅんさん。僕が司会なら、彼女から当時のメタル関係のコミュニティについて聞く。活字になっていない、貴重な言葉が得られる。そこから80年代のアメリカのシーンを立体的に復元できる。なのに、あ~あ、もったいない。
清水(ぢゅん)さんは、いろいろのバンドのTシャツを持って来ていて、着替えをしてくれていたのだし、私もメガデスのTシャツをきたり、頑張ったゲストがいるのに、それには目がいかなかったのが危口統之さんでした。残念でありましたが、これは根本的な精神状態の問題で、根っこの深いところで、他者の存在を排除しているのですよ。それを直す事は、いまさらできないので、言っても始まらない事なのです。
・せめて80年代はこれをテーマ、90年代はこれをテーマという最低限の問題提起くらい、あらかじめ用意すべき(できれば、そのテーマとパネリストを関連させるのがよい)。よほど司会がうまく、話術にすぐれているのではないかぎり、完全なフリートークは危険すぎる。
・ただのDJ番組なら、この曲カッコいいでしょ、でしょでしょ、で共感を強制してかまわないけど、そうでないならば、可能なかぎり、なぜ良いのかを言語化しないと、討議にはならない。そして~が大好き、ということと、言語化する能力は必ずしも一致しない。ならば、せめて事前に準備をしておくべき。
・10選の発表も、パネリストとメール投稿が等価な扱いだったが、(平等に扱う事は出席者に失礼だった。)時間がおしていることを考えれば、前者(パネリスト)はその場の発言を引き出し、後者(投稿者)はスクリーンに10選を映しだし、簡単なコメントで次に流すべき。
・そして大変につまらないことだが、僕が選んだ10曲はひとつもかけてくれなかった。ほかの10選からは、たとえメールでも、だいたいひとつは流したのに。主催者側のお好みの曲だけをかけるのは、他者の意見をきかない姿勢に通じる。自説の披露のために、装飾としてゲストを呼ぶのは失礼だと思う。
・司会とは、ときに用意したものも捨てて、ゲストのはなしを展開すべきである。
「価格の自由」を追求するアート・リバタリアニズム(改題加筆) [気体分子ギャラリー]
売文社(ばいぶんしゃ、1910年12月31日 - 1919年3月)は、赤旗事件の刑期を終えて出獄した堺利彦が、大逆事件(幸徳事件)後の「社会主義冬の時代」に生活費を稼ぎ、同時に、全国の社会主義者間の連絡を維持・確保するために設立した、代筆・文章代理を業とする団体。
大杉栄・荒畑寒村・高畠素之・山川均・橋浦時雄・和田久太郎などが参加した。機関誌に『へちまの花』と、それを改題した『新社会』がある。(出典;ウイキペディア)
美共闘(BIKYOTO)は、この売文社の影響があって、美術作品や文章を売るという、販売にたいする商業主義の面は、最初からあったのです。だから彦坂尚嘉は、日本の洋画商の源流をさぐる調査をして『日本洋画商史』を書いているのです。
事務手続きに不慣れで。
メールでのご連絡等々、あまりに不完全でした。
すでにあるアマゾンのやり方などを手本にして、
次回からの改良をしようと反省しています。
昨晩から、作品の発送を開始して、
本日、そして明日で完了するつもりです。
第30回「ラカンと美術読書会」 [告知]
ラカンと美術読書会連絡係りの加藤 力と申します。
ご案内させていただきます
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第30回「ラカンと美術読書会」のご案内
日時2月24日(水)18時30分 〜 2時間程度
場所 彦坂尚嘉アトリエ 藤沢(小田急線六会日大前)
通常読書会は立教大学で行われておりますが
授業が終了している関係で研究室の使用できないため、
藤沢(六会)の彦坂尚嘉アトリエで行われます。
ご注意下さい。
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「ラカンと美術読書会」とは下記の2人が共催する読書会です。
彦坂尚嘉(日本ラカン協会幹事、立教大学大学院特任教授、日本建築学会会員、
美術家)
武田友孝(元・東京スタデオ、インデペンデント・キュレーター)
ラカン『無意識の形成物〈上〉』と、
月代わりで選出される美術本の読書会です。
2007年8月より月一回のペースで開かれています。
ごくごく初歩的な読書会で何方でも参加できます。
どうぞお気軽にご参加下さい。
テキスト
◎ラカンは『無意識の形成物〈上〉』 (岩波書店)
●美術はアールローラン著『セザンヌの構図』(美術出版社)
参加費 無料(コピー代のみ実費で頂きたくお願いいたします)
テキストは特に準備なさらなくても、こちらでコピーを用意いたします。
※ 研究会終了後、懇親会を予定しております。
お時間に余裕のある方は、こちらの方にもご参加ください。
なお、懇親会は、持ち寄りのパーティー形式で行いたいと思いますので、
希望者の方は、あらかじめアルコールとつまみを
適当に用意して来て頂ければ幸いです。
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六会日大前に着いたら、電話を携帯に下さい。
車で迎えに行きます。
ちなみに徒歩で行かれる場合は、
小田急藤沢江ノ島線 六会日大前下車。
東口に出てバスターミナルを突っ切り 大通りを300メートル進み
六会日大前駅入口交差点と言う大きな交差点を右折。
300メートル進むと左手にローソンがあります。
ローソン手前の細い道を左折。T字路にぶつかるまで300メートル直進。
T字路左手が彦坂アトリエです。
徒歩12分
彦坂尚嘉アトリエ
〒252-0813藤沢市亀井野3−23−11
電話:0466-21-8898
携帯090-1040-1445
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申込・問合せ先:加藤 力(美術家、臨床美術士)
メールアドレス変わりました E-mail:sp5g7d99@axel.ocn.ne.jp
FAX:0467-48-5667
徹夜のメタル放送大学から東京都現代美術館/新国立美術館 [日記]
「第1回 激動と転換の60年代末 宮澤壯佳氏(元『美術手帖』編集長)」
国立新美術館が、「国立のアートセンター」として特に力を入れている活動に、
「美術に関する資料の収集と提供」があります。具体的には、過去に日本各地で
開催された展覧会のカタログや美術雑誌、単行書、記録写真などを集め、アート
ライブラリーや特別資料閲覧コーナー(事前予約制)で公開しています。
国立新美術館では、これまでもアートライブラリーの「話のたね」コーナー(資
料担当職員のお薦め本をご紹介)や、美術館ニュースの「書架のあいだから」
(資料をテーマにしたエッセイ)で、こうした資料の価値や意義、愉しみ方を発
信してきましたが、開館4年目に入るのを機にさらに一歩進み出て、資料の創り
手の側にいた方々や資料の研究者を順次お招きし、ただ見ているだけでは知りえ
ない世界をご紹介する場を設けていくことにしました。
そこでまずは、美術雑誌を何誌かシリーズで取り上げます。第1回目にあたる今
回は、1948年の創刊以来アートの最先端の動向を紹介し、次代への展開を先導す
る役割を果たしてきた雑誌『美術手帖』です。社会の変革のうねりとともに「美
術」の概念が揺らいだ60年代末に同誌の編集長を務められた宮澤壯佳氏から、当
時の編集方針やエピソードなどをうかがいたいと思います。皆様のご参加をお待
ちしています。
日時:2010年2月13日(土) 14:00〜15:30
講師:宮澤壯佳氏(元『美術手帖』編集長)
聞き手:平井章一(国立新美術館 情報資料室室長・主任研究員)
会場:国立新美術館3F 研修室 http://www.nact.jp/
定員:50名(先着順、事前申込不要) 聴講は無料です。
聴講は無料です。 事前の申し込みは不要です。
宮澤壯佳(みやざわ・たけよし)氏略歴
1933年生まれ。1956年、美術出版社に入社し、『美術手帖』『みづゑ』編集部を
経て、1967年から『美術手帖』編集長代行、1968年1月から 1971年5月まで同誌
編集長を務める。以後、美術出版社顧問、池田満寿夫美術館館長を歴任し、現在
は池田満寿夫美術館顧問。編集企画に『池田満寿夫全版画集』(1972年)など、
著書に『池田満寿夫 流転の調書』(玲風書房、2003年)がある。ロックやジャ
ズの評論家としても著名。
瀬戸内海の島、本島での募集 [告知]
事業名称「アーティストイン塩飽本島~晴れに耕す、そしてアート」 実施 SAW(瀬戸内アートウェーブ) 事業期間 2010年4月1日~2011年3月31日参加者募集記載しました。
募集 運営に関るかた数名募集します。
今年は、『アーティスト・イン塩飽本島 ~晴れに耕す。そしてアート~』という 食とアートプロジェクトに対して、(財) 福武学術文化振興財団から活動費助成を受けて、 2010年4月1日~2011年3月31日までの期間 今年度のアーティストインレジデンス活動を実施して行きます。 テーマ 「Wish You Were Here」-あなたがここにいてほしい-。 あなたとは、アーティストであり、ここに訪れる人々であり、本島の新しい島民です。 島外から訪れるアーティストの新鮮なまなざしと投げかけにより、本島に対する新しい発見、 異なる価値観の交流を促し、新しい発想や視点を、この小さな島にもたらしたいと思います。 本島町笠島重要伝統的建造物群保存地区は、瀬戸内の海文化の象徴的な場所です。 NPO笠島町並み保存協力会により、この地区の歴史的な町並みの保存及び公開が行われて います。それに加えて旧小栗邸では、笠島地区で唯一の飲食を提供をする食堂が2006年ま で運営されていました。しかし現在島の住民の高齢化が進み、お年寄りだけでは、活動が 収縮し、食堂は閉鎖しています。笠島地区を訪れる観光客へのもてなしのため、さらに地区 のお年寄りは、飲食の場を熱望していました。そこで、2009年 地区住民の協力によって、 保存地区内の一棟=屋号「あたらしや」をアート活動及び食堂として使用できるように提供 されました。2010年は、『住民への飲食の場づくり』『土産物づくり』『本島への滞在者 の誘致』などの熱い要望に応えて行こうと、アーティストの参加によるアーティスト・ イン・レジデンスを実施して行きたいと考えています。さらにこれら、一連の活動と情報を インターネットによって配信することにより、本島という島の暮らし、島で取れる食材の 豊かさを発信し、島と県の内外をつなぐ双方向な交流をつくりだし、新たな島嶼部の 活性化に?げることを目指しています。 募集内容 1 運営に関る人 食の開発提供 (交通費支給) 農業指導・農業従事者 (交通費支給) 2 Web制作 運営 3 レジデンス作家 別途応募用紙あり(問い合わせください。) (A カフェスタッフ B アートプロジェクト企画・運営)募集 週 2日 時給800円 + フェリー運賃のみ支給
以上 の方をそれぞれ募集します。 ご希望のかたは、 応募したい番号明記で簡単なプロフィールとともにご連絡は |
メタル放送大学 3 /スレイヤーとナパームデス、パンテラ、ヘルメット [音楽の頂点]
さて、この3回目は、今までよりもさらに聞きにくい音楽が4つです。
なぜに、こういうひどい音楽が作られ、支持する人びとがいるのか?
いろいろな理由がありますが、
ひとつは時代の温度が上がって、
H2Oの水の比喩で言えば、水は沸騰して水蒸気になって気象化した
だけでなくて、さらに温度はあがって、
水の分子は電離して、原子となって、
荷電粒子を含んだ気体であるプラズマになるのです。
プラズマ化した時代の音楽もまた、多様ではあるので、
一概にここで紹介するヘヴィーメタルだけではありませんが、
しかし、このプラズマ化した時代のひとつの局面を表しているのです。
スレイヤー『show no mercy slayer』
スレイヤーは1981年結成のアメリカのバンド。
音が《第41次元》になっているとともに、
《反音楽》のバンドであることが、大きな特徴と言えます。
スラッシュの極北に位置するバンドです。
8、ナパームデス - Scum
デスメタルを代表するバンド。
これもライブを見ていますが、《第8次元 信仰領域》の音ですが、
凄いシリアスなインパクトに満ちています。
9、パンテラ Cowboys from Hell
1990年代を代表するヘビメタルサウンドです。
10,ヘルメット meantime
不安定なバンドですが、この《第21次元》の音の閉塞感は、
結構好きであります。。
メタル放送大学 2 /モーターヘッドとメガデスモーターヘッドとメガデス(訂正加筆) [音楽の頂点]
モーターヘッドは、アメリカ・イギリスのアングロサクソン軍が
ベトナム戦争に敗北した1975年に結成されたバンドです。
攻撃的でスピーディーなサウンドは、まるでグラインダーで神経を削る
ような《現実界》の音楽で、
後のスラッシュ・メタルの登場につながるものと言われています。
『オバーキル』という曲は、1979年ではありますが、
ベトナム戦争と無関係とは言えないもので、
《第16次元 崩壊領域》の音楽です。
《第16次元 崩壊領域》と《現実界》が音楽に出現する事は
ありますが、
それがバンドとして安定した不変性を持っているのは、
かなり珍しいもので、長年ファンを魅了し続けているのです。
しかしその音楽性は気体化はしていますが、
次のメガデスの様に、プラズマ化はしていなくて、
オーソドックスなロックンロールでありました。