《言語判定法》の習得の可能性 [言語判定法]
彦坂様
はじめまして、真理子と申します。
私はつい先日「松井冬子」さんの顔写真を検索してこちらに辿り着きました。
他の記事もこれからじっくり読ませていただこうと思っているのですが、その前に一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?
彦坂様のやってらっしゃる<第41次元>のものの見方は彦坂様以外の人にもできるのでしょうか?
私は歴史も芸術も音楽も狭く浅い知識しか持っていません。
私のような者でも<言語判定法>を習得できますでしょうか?
ご回答いただけると嬉しく思います。
よろしくお願いいたします。
(今回の記事に対するコメントでなくて申し訳ございません。)
はじめまして、真理子と申します。
私はつい先日「松井冬子」さんの顔写真を検索してこちらに辿り着きました。
彦坂様の記事はどれも興味深く、<第41次元>のものの見方は私にとって全く新しいものでした。
今は「顔/美人論」を読ませていただいていますが、黒木メイサさんが<超1流>美人であることには大いに納得しました。内側からにじみ出るような力強さを感じるのはやはりそうだったのかと思ったからです。
今は「顔/美人論」を読ませていただいていますが、黒木メイサさんが<超1流>美人であることには大いに納得しました。内側からにじみ出るような力強さを感じるのはやはりそうだったのかと思ったからです。
他の記事もこれからじっくり読ませていただこうと思っているのですが、その前に一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?
彦坂様のやってらっしゃる<第41次元>のものの見方は彦坂様以外の人にもできるのでしょうか?
私は歴史も芸術も音楽も狭く浅い知識しか持っていません。
私のような者でも<言語判定法>を習得できますでしょうか?
ご回答いただけると嬉しく思います。
よろしくお願いいたします。
(今回の記事に対するコメントでなくて申し訳ございません。)
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まりこ様
ご質問ありがとうございます。
《言語判定法》そのものは、原理的には、普通に習得可能なものです。
人間の言葉の機能は、
二つあります。
ひとつはコミュニケーション機能ですが、
もうひとつは、言語で、自分のまわりの環境を認識するのです。
エスキモーは、雪や氷に関する言葉をたくさん持っています。
日本人も、雨にかんする言葉を、英語に比較してたくさん持っています。
言葉の数を増やす事で、雪や氷、雨の微細な変化をとらえているのです。
こうした言葉がもつ、認識の能力を使ったのが、
《言語判定法》です。
ですから、原理的には、だれでも学習ができます。
ただ、本当に誰にも習得可能か?
と言うと、現実では、そうでもありません。
人間存在は多様なので、勉強する事が嫌いな人がいるからです。
たとえば楽譜の読めない人とか、自動車の運転を出来ない人などという
レベルの事です。
そういう意味で、《言語判定法》を使えない人は、
います。
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私自身の教育経験ですが、自分の子供に教えようとしました。
思春期前には出来たのですが、
自我が確立されてくると、出来無くなりました。
自我の確立は、同時に《世間体人格》の成立であって、
《世間体》に合わせようとすると、《言語判定法》は
使えなくなります。
私のアトリエでアシスタントをしてくれていたS君に
教えようとしましたが、言葉を発して、木霊を拾うデリケートな
感応性を発揮するところで、拒絶されました。
デリケートな識別をするということも、
実は《世間体》に合わせているとできないのです。
「赤信号みんなで渡れば怖く無い」というのが《世間体》なのです。
「みんな」に合わせる事に集中すると、《言語判定法》は使えません。
「みんな」で。赤信号を無視すると、
「みんな」はダンプカーにはねられて、
死にます。
「みんな」に合わせるというのは、
集団自殺にいたるのです。
JALが破産し、トヨタが崩壊を始め、デパートが衰退するという
乱世の時代に、「みんな」と一緒に赤信号を渡れば、
集団自殺に結果します。
日本が、軍事力の差が3000倍もあるアメリカと、
無謀な戦争をして多くの死者を出した事を、
また、繰り返すのです。
「みんな」と一緒に、赤信号を渡ってはいけないのです。
「みんな」という基準は、集団自殺に至る危ない基準なのです。
100人中の80人から、離れる事です。
「みんな」から離れる。
このことを受け入れないと、《言語判定法》は使えないのです。
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立教大学大学院で授業をとってくれているYさんは、
《言語判定法》の習得を目指していますが、出来ていません。
原因は、基本的な分離の作業ができないからです。
分離の作業というのと、高級そうですが、
彦坂尚嘉的に下品に言いますと、忍者になる努力です。
私は小さな時に、忍者が好きで、忍者の訓練をしていました。
簡単な訓練がいろいろあるのですが、
感覚をとぎすます訓練が必要なのです。
基本的な分離というのは、忍者だけでなくて、学問の基本なのですが、
日常生活をしている時の《自然的な態度》の外に出る事です。
この外に出るということができないと、
忍者になれないし、
《言語判定法》に限らず、あらゆる学問はできないのです。
まあ、ですから、普通に簡単な訓練をすれば、
《言語判定法》は使えるようになります。
馬鹿馬鹿しく見える忍者の訓練が、
しかし、あなたにできるかどうかです。
たとえば、電車に乗っている時には、
ぶら下がっている吊り革の1点を見つめ続けて、
精神集中をするという訓練をするとか、
そういうものです。
ひとつのものを、ジーと見つめると、
変わって見えて来ます。
凝視するというのは、重要な方法なのです。