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「価格の自由」を追求するアート・リバタリアニズム(改題加筆) [気体分子ギャラリー]

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栃原比比奈展は、無事終了して、好評をいただいて、感謝しています。
これをバネに、2010年代の実力派新人アーティストとして、
デビューに専念させたいと思います。

作品の売上も32点ということで、その面でも成功と言えますが、
重要なことは、オークションシステムが作動して、
競りが、ささやかではありますが、エキサイティングに成立した事です。

競りに参加して下さったコレクターのみなさまに、
改めて深く感謝いたします。

初めてだったので、不手際が多かったのですが、
システム的な整備を進めたいと思います。
まずは、オークション専門の別のブログを用意するつもりです。

さて、ここで書きたいのは、実務よりも、
思想上の問題です。
気体分子ギャラリーでの競りの成立の意味は、
実は「表現の自由」「制作の自由」に関わる事なのです。

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競りというのは、「価格の自由」の追求システムのひとつです。

「価格の自由」というのは、
それは「表現の自由」「創作の自由」「言論の自由」「批評の自由」
「学問の自由」「宣伝の自由」「報道の自由」「信教の自由」
そして「知る権利」等々と結びついた、
精神的自由権のひとつで、重要なものなのです。

芸術というのは、《精神的自由権》と深く結びついています。

この《精神的自由権》と、「価格の自由」は深く結びついている
のであり、
そして芸術というのは、この「価格の自由」を基盤としているのです。
それは芸術が高額になりうるとともに、
同時に《フリーアート》の成立の根拠なのです。
無料であっても、高度な芸術は存在するのです。

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しかし従来の画廊は、この「価格の自由」を否定して来たのです。

美術品の価格、つまりプライマリープライスというものを、
画廊が設定して、しかもそれを複数の画廊が協定を結んで、
価格カルテルという、独占禁止法違反の方法で、
価格でのコレクター支配をしてきたのが、
従来の画廊だったのです。

価格カルテルこそが、日本の画廊活動の基本にあったのです。

それの代表が日本画のシステムでありました。
五都会という業者の閉じた交換会システムが、
日本画の高値を維持して来たのです。
それこそ東山魁夷の10号の絵画が、3億も5億もしたのは、
この価格カルテルによって成立していたのであって、
現在のようなオークションで、村上隆の作品が16億になったという
事とは違うのです。

画廊カルテルというのは、画廊間で価格や制作数量
販売地域などを協定することでです。
このような画廊カルテルが、今まで行われて来たのです。

それは古い日本画の世界だけではありません。
現代美術の中でもそれは行われていたのであって、複数の
画廊が連合して市場を成立させることは、
例えば佐谷画廊を中心とした数件の画廊が山田正亮の作品を
押し上げて行った例などに顕著でした。
佐谷画廊、ギャラリー米津と、もう一軒あったと思うのですが、
3軒が連合したのが大きかったという記憶があります。

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私が見ていた限りですが、山田正亮の作品は、10号大で、
180万円を超えたと思いますが、その後、経歴詐称事件や、
自分の作品の贋作事件などで、交換会での価格が15万円ほどに
下落して行きました。
現在がいくらかは、確認していません。

あくまでも私の記憶の主観判断ですが、
10号の作品を最高値で買ったコレクターは、
有に100万円を超える損失を被ったと思われます。

佐谷画廊が売った山田正亮の作品数は膨大であったと推定されます。
それは山田正亮が、毎日1枚のドローイングは描いていた人で、
ドローイングの数は膨大にあったことから、作品量が多いのです。
作品もストライプの絵画が中心で、簡単なものと言う面もあって、
作品量は多い人だと思います。
だから多くのコレクターが、経済的な損失を被って、
泣き寝入りになっています。

佐谷画廊の倒産が、何によったのかは具体的には知りませんが、
(クレーの買い付けの失敗と言う風評も聞いた覚えもありますが、)
山田正亮を巡る、コレクターの損失は、無視できない影響を
佐谷画廊の倒産に対して持っていたと思います。

もっとも佐谷画廊が、ほぼ30年で倒産した事と、
ギャラリー山口が、きっちり30年で死に至ったことは、
奇妙に符合します。
1979年に自殺した志水楠男さんの画廊活動も、ほぼ30年です。
1948年頃に数寄屋橋画廊に勤務して、1979年に亡くなられている。
画廊の寿命は、30年なのか?

日系ビジネスなどの経済雑誌を読んでいると、
企業の寿命は、普通は30年であると書かれています。

つまり画廊に限らず、企業活動の限界が30年なのであって、
それを超えて活動するのは、むずかしい事なのです。

閑話休題、山田正亮に戻ります。
山田正亮を売り出した頃、それは1970年代中期ですが、
しかもこの時期は、まだオークションが、今のように市場を支配
していない時期でしたので、佐谷画廊の責任は重大なものが
あったのです。

画廊と画廊が相談をして、作家の作品価格を固定させると言う
価格カルテルは、佐谷画廊のような昔の画廊だけの話では
無いのです。

今日でも画廊の常識として生きています。
実は、私の近くでも矢野まき さんがやっているM7が、
斉藤ちさとさんの作品の価格協定をもちかけて、
今年の正月に気体分子ギャラリーのアトリエにやって来ています。

私は相手にしませんでした。

斉藤ちさとの価格カルテルをM7を中心に作るなどということは、
矢野まき さんは、時代錯誤も良いところで、
馬鹿げている話です。

日本を代表するJALが破産し、トヨタが崩壊して行く時代に、
価格カルテルを作ろうとするなど、愚かな経営者です。
時代を読んでいないのです。

今日進行している事は、古い産業化社会の崩壊であり、
古い資本主義、古いビジネス主義の崩壊過程なのです。

それは同時に古いギャラリーシステムの崩壊期なのです。

M7の矢野まきさんは、私よりも若いくせに、
価格カルテルという古いギャラリーシステムに
依拠しようとしているのです。

だから最後のギャラリー山口にも、見にも来ない。
死者に哀悼の意を表せないひとは、
実は死者に呪われ、連れて行かれるんです。

何故にギャラリー山口が終わったのか、その原因と終焉を、
きちんと、ともらうこともできない人は、
先に進む事ができないのです。

もっとも人はそれぞれ多忙ですから、ギャラリー山口の最後の
1週間を見られなくても、仕方がない事は、しかたがないです。
私自身も、たくさんの不義理があるし、葬式に行き損なったミスは、
いくらもあります。
ですから矢野まきさんを責める資格は無いかもしれません。

しかし価格カルテルを私に持ちかけた事は、
矢野まきさんの意思であって、その古さは、吐き気がするものです。

新しいギャラリーを始めるという事は、
新しい販売システムを構築しなければならないのです。
それは同時に新しい作品制作システムと連動していなければなりません。


気体分子ギャラリーは、オークションシステムを取っているのであって、
それは価格カルテルを破壊する意思を、
彦坂尚嘉が持っている事を示しているからです。

書くと長くなりますからはしょりますが、
東京画廊/村松画廊が、彦坂尚嘉の価格カルテルを作った時にも、
抵抗して、
その闘いをするためにギャラリー手と、影で結びついて、
自らの価格カルテルを破壊して行った作家が、彦坂尚嘉だからです。

自らが滅びようとも、自由を疎外する価格カルテルは、
認めがたいのです。
私自身は、学生時代は黒ヘルメットを冠ったアナーキストであって、
自由の追求には、命をかけるのです。
命をかけて、自由を追求する。
こういう態度の中に、販売システムが登場するのです。

それが歴史的には、「売文社」の運動です。

売文社(ばいぶんしゃ、1910年12月31日 - 1919年3月)は、赤旗事件の刑期を終えて出獄した堺利彦が、大逆事件幸徳事件)後の「社会主義冬の時代」に生活費を稼ぎ、同時に、全国の社会主義者間の連絡を維持・確保するために設立した、代筆・文章代理を業とする団体。

大杉栄荒畑寒村高畠素之山川均橋浦時雄和田久太郎などが参加した。機関誌に『へちまの花』と、それを改題した『新社会』がある。(出典;ウイキペディア)


美共闘(BIKYOTO)は、この売文社の影響があって、美術作品や文章を売るという、販売にたいする商業主義の面は、最初からあったのです。だから彦坂尚嘉は、日本の洋画商の源流をさぐる調査をして『日本洋画商史』を書いているのです。


『芸術の意味』を書いたイギリスの美術評論家ハーバート・リードは、『アナキズムの哲学』(法政大学出版局) を書いていますが、翻訳が1968年に出て、学生時代に私もバリケードの中で読んでいます。「アナキズム」という言葉は、今日では古くなって、リバタリアニズムというべきなのですが、「価格の自由」、つまり自由経済を主張して行くという意味では、両者に共通はしているのですが、それでもリバタリアンといった方が、分かりやすいかもしれません。

彦坂尚嘉は、「言論の自由」「表現の自由」を追求するとともに、
「価格の自由」を追求してきているのであって、

気体分子ギャラリーは、プライマリー画廊でありながら、
古いギャラリー価格カルテルな動きを否定して、

コレクターが価格決定に参加する、開いたシステムとして、
今日のオークションシステムを取り入れたのです。
それは同時に、美術家の作品制作のシステムの変更に連動するところまで、追求される必要があるのです。。

今日のデフレ・スパイラルの中で、
低価格・高品質の美術作品を、オークションシステムを使って、
最終的な作品評価と、最終的な価格を、
コレクター主導にゆだねるのです。

コレクター主導にゆだねる事が、
このコレクターと言う他者を介して、
作家が自らの制作の根拠を、
《近代》の個人主義的な制作の外に連れ出し、
新しい制作システムを構築する場の形成になるのです。

父権的権威的な芸術ではなくて、
芸術の消費者に開かれたアート・リバタリアニズムを追求していきたいのです。それはフリーアートの探究を含む、広範性を持つものです。

アート・リバタリアニズムとしての芸術運動を展開したく思います。

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とは言っても、気体分子ギャラリーは、弱小資本で、少人数での活動ですし、不慣れな事が多くて、まだまだ、不手際が多くて、みなさんにご迷惑をおかけしています。

事務手続きに不慣れで。

メールでのご連絡等々、あまりに不完全でした。


すでにあるアマゾンのやり方などを手本にして、

次回からの改良をしようと反省しています。


昨晩から、作品の発送を開始して、

本日、そして明日で完了するつもりです。


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