誤読に耐えて [日記]
彦坂様
お疲れ様です。
たびたびのメールを申し訳ありません。
昨日もツイッター更新されていたのですね。
今日になって拝読しました。
思い過ごしかもしれないけれど、「これはわたしのことかなあ」と思い、
反省をしているところです。
この誤読に対して、私は次のようにメールを返しています。
○○○まる様
まったく、違います(笑)。
「次郎物語」の1節を使いながら、
自分の娘を思い出しながら書きました。
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もうひとつは、
電話がかかってきて、
「私のことか」と聞かれたのです。
次のような文章です。
このSさんは、ギャラリー手の杉山旭さんで、
昔から、こういう言い方を良くしていた方なのです。
他にもこの手の被害者が出ていて、
考えさせられますが、
しかし、こちらの考えもしない波及なので、
具体的な対処は、私は考えません。
そもそもで言うと、コミュニケーションというものは、
誤解において成立しているので、
人間関係は誤解を避けがたいのです。
ですから、私は誤解されても、それはそのままにしておきます。
それと文章というものは、書くと回りの人間関係を傷つける
ものなのです。
これも原理的なものであって、もともと書き言葉というものが、
人工的なものであって、自然性を引き裂いて行くものなのです。
つまり無文字社会こそが、人間の自然性ですから、
文字で書かれると、多かれ少なかれ、人は傷つきます。
人間関係にあまりに配慮すると、文章は面白く無くなって
いきます。
私は、ですから、その辺は諦めています。
まったく配慮しないわけではありませんが、
できるだけ、配慮しないように努力しているのです。
ですから、傷ついた方には、お詫び申しあげますが、
その多くは、誤解です。
人間の鏡像関係というのは、
多くの妄想と誤解と恐怖を生み出すのです。
それが《想像界》なのであって、
それは逃げ切れるものではないのです。