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入校と執筆の完成 [日記]

アートスケープ(artscape)というウエーブマガジンがあります。
すでに日記で書きましたように、
ここに私の越後妻有トリエンナーレ報告を書くように、
連絡を受けて、旅行に出たのでした。

その時の私の構想は、
木村静さんとの共同でつくることで、
YoyTubeの画像を7本くっつけた美術評論という、
新しいスタイルの形成でした。

YoyTubeの画像を、粗雑なゴミであると批判したり、
無視する事はできます。
いや、それどころかネットそのものを批判して、
従来の紙文化を評価する意見は、
根強くあります。
それが間違いではないのですが、
そう言う事を言う人々の生活態度を見て行けば分かりますが、
基本としてあるのは、自分の蛸壺にこもって、
現在の人類史的なリテラシーの変動に背を向ける動きなのです。

それはそれで、各自の選択として良いのですが、
すでに書いているように、
それはゾロアスター教に始まる2元論の伝統価値に基準をとって言えば、
悪なのです。
つまり伝統的なものを良しとして、
新しいリテラシーを無視する保守性は、
伝統的には悪であると言う、
伝統価値の反転があるのです。

つまり真に伝統を学ばずに、
伝統に依拠しても、
伝統的価値というのは、新しい文明の展開を肯定する所にあるのです。

さて、そう言うわけで、
このブログで試みている執筆を、
アートスケープというネットマガジンに入れようという
試みに、旅行から帰って全力で、
それこそ、寝食を忘れて取り組んだのです。

木村静さんも、フリーメディ活動家という貧乏生活の人なのに、
だからこそ、真剣に共同作業に加わって下さって、
画像のアップと、執筆をして下さいました。

その結果として、膨大な量に膨らみ込んで、
地獄が出現したのです。

いつもの事ですが、長過ぎる。
先が見えない。
最悪の事態は今朝で、編集者の荻原さんが整理して、
画像を抜いて文字だけにした文章だけのWordが来た段階で、
体力的にも、精神的にも破綻して、
自分自身のこの繰り返す長文執筆への懐疑に落ち込みました。
何しろ、最後の部分が書けていなくて、
全部の文章がどこに至ろうとしているのかが、
見えていなかったからです。

私は南泰裕さんが好きですが、
南泰裕さんと付き合って会議をやると、
とりとめも無い拡張になって、どこに落とし込むのかが見えてこなくて、
疲れ切って、終わると言うことを経験させられています。
この徒労感と同じものを今朝味合わされたのです。
そして自己嫌悪で眠りました。

眠ると私は驚異的に回復して、答えは眠りの中で見いだしていて、
再度の執筆に集中したのです。

だいたいいつもそうで、制作もそうですが、眠っていて答えを
見いだします。

数学者の伝記を読むと、すぐれた数学の発見が、
眠りの中でなされていると書いてあります。

眠るということが、休む事ではなくて、
思考の生産の場所として重要なのです。

というわけで、土壇場で、驚異的に展開して、
それまでの断片化していた文章は、走査されて、
一挙に、一つの結論に、全てが緻密に結びつけられ、
かなり刺激的な北川フラム論が出来上がりました。

面白いので、ぜひ、読んでいただきたいですが、
この部分はこのブログでアップする事はできません。
アートスケープでアップされたら、読んで下さい。

いま、アップしている途中段階のブログも、
ダウンさせますので、それもご了解ください。

結局、自分でも何を書こうとしているのかが分からないままに、
本能的に走って行くのですが、
その結果として、まとまった緻密な論理展開が生まれます。
つまり、ほとんどの仕事は無意識や睡眠の中で作動する作業であって、
意識した仕事ではないのです。

こうした事は私だけではなくて、
多くのすぐれた執筆者やアーティストに見られる事であります。



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