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2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(5)

   6.目玉作品について                
 
 越後妻有トリエンナーレの目玉作品と言うと、今回のカタログの表紙は草間弥生であり、扉はアブラモヴィッチの夢の家であり、次はボルタンスキーであります。
 これらの問題点を論じる事は、いろいろな角度から可能ではありますが、ボルタンスキーの作品を例にして考えておきたいと思います。
 
 越後妻有という里山での芸術祭において、重要視したいのが「いかに調和しているか」という観点です。里山には自然があり、そこに移り住んだ人がいて、その人たちの生活空間があります。
 つまり、この場所には元々ストーリーがあり、そこでの表現活動においては、そのストーリーを前提として考えなければいけない、自室や借り切ったギャラリーなど、一種の私的空間での表現よりも、はるかに難易度が高いと思います。
 その点で、室内を私的な空間に変えてしまうだけではいけなくて、越後妻有の代表的作品と言われているクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる「最後の教室」には、異論を唱えずにいられません。
 廃校になり、子供たちがいなくなった小学校にはもの悲しいものもありますし、廃校を再利用するプロジェクト自体は素晴らしいと思います。ガイドブックには美しい写真が掲載され、評価も高いようですが、実際は蒸し暑く、干草の匂いがする真っ暗な体育館から、真っ暗な廊下を歩き、壁にかけられた額縁の中も黒い、廊下のくぼみには古着と思われる服がただ山のように積み重ねられている、2回には棺と思わせる直方体に白い布がかけてある、とにかく空恐ろしい場所でありました。
 ちょうど、校舎を出たところで20代位の女性が二人、立ち話をしていました。「自分の学校がこんなふうにされちゃったら、嫌だな」これにはまったく同感しました。かつて子供たちが走り回っていた体育館、廊下、教室、この場所にはストーリーがあります。確かに、過疎化は外側から見ると悲劇のように思われるかもしれません。しかし、忘れてならないのはこの場所に存在した息吹が、建物に、土地に残っているということです。そういう意味で調和する、という視点は大切にしてもらいたいのです。

 

 おそらくこうしたオーソドックスな調和への視点を逆転させる事で、この越後妻有トリエンナーレのかなりの部分は出来ているのです。つまり調和を避けて、不調和にする事で、芸術という名前は成立していると見えるものが多いということです。不調和にする一つの方法が、ボルタンスキーに見られる廃墟性や、崩壊性です。廃墟や崩壊が、人を引きつけるのは、確かなのですが、しかし崩壊が芸術であるとは言えないのです。もう一つは「ばさら」です。

 まず、廃墟性や崩壊性についてみてみましょう。

 今回の目玉作家の塩田千晴作品です。

 

  不調和性というのは、芸術であることを、根拠づけるものなのか? 

  越後妻有トリエンナーレの目玉の作品のとんど全部はデザイン的エンターテイメント作品であって、私には《真性の芸術》として評価することができません。長谷川裕子が言うように『アートとデザイン遺伝子を組み替える』ことが実際に行われていて、これらの目玉作品の社会的デザイン性が高い事は充分に認めますが、《真性の芸術》性は欠けているのです。

 つまり越後妻有に調和していても、不調和であっても、その問題の多くはデザイン的エンターテイメントの問題であり、そして不調和の多くの原因が「芸術の名において」(ティエリー ド・デューヴ つくられるデザイン的エンターテイメント作品の特徴なのではないでしょうか。
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作品番号 : 150 草間弥生 「花咲ける妻有」2003年

草間弥生 「花咲ける妻有」に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析
《想像界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第21次元・愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、液体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始立体》【B級美術】

 草間弥生の毒々しい花に象徴される事ですが、下品でけばけばしく不調和である事が、まるで芸術である特徴であるかのようになっているのです。
 それは芸術論的には、日本の中にある「婆娑羅」の系譜を、芸術であると錯誤する事から起きています。
 これについて詳しく論じたのは上林澄雄の「日本反文化の伝統」(エナジー叢書、1973年)です。この本は、日本社会に歴史的に存在する流行性集団舞踏狂の流を指摘し分析したものでした。上林澄雄は、大きな権力移動が起きる前に、民衆の中に狂舞が繰り返し発生してきたことを発見し、そのの分析をとおして、日本の文明構造の二元的な亀裂を明らかにしています。

 日本文化には、《文明》対《原始世界》という、重要な対立構造が潜在しているのです。外国から高度の人工的な新文明が日本に入ってきて、それを輸入し喜んで学び、支配者たちはこの《輸入文明》、例えば仏教や、あるいは西洋文化を背景にして民衆を支配するのですが、支配される民衆の中には、文明以前の、狩猟採取文化、つまり野蛮な文化が脈々と流れていて、上級の《輸入文明》に対して、常に反抗的な姿勢があるというのです。しかし問題が複雑なのは、反抗的な姿勢が屈折していることです。反抗自体が《輸入文明》に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、あざ笑うことに表現を見いだしていくという、複雑な摂取と解体の流れがあり、「ばさら」とか「かぶく」とか言われる美意識となります。

 「ばさら」「かぶく」という言葉を、辞書でひいてみると次のようにあります。

 「ばさら【婆裟羅】室町時代の流行語。①遠慮なくふるまうこと。乱暴。 ②はでに飾り立てて、いばること。だて。③しどけなく乱れること」

  「かぶく【傾く】①頭がかたむく。かしぐ。②はでで異様なふるまい・みなりをする。」(日本語大辞典 講談社 1989年)

  つまり日本の中には乱暴で、はでに飾り立てて、しどけなく乱れる表現の系譜があるのですが、これが室町時代に「ばさら」とか「かぶく」というような言葉で姿をあらわし、それはしかし不自然なものであり、異様で、派手で、エキセントリックで、《異端の系譜》の源流とも言うべきものになるのです。

 これを戦後日本美術に当てはめて、分かりやすく言えば、それは敗戦後の岡本太郎によって唱えられた縄文主義であり、対極主義であり、あのどぎつい派手な色合いの絵画であり、岡本太郎の「芸術は爆発だ」と力んでみせる歌舞伎の見栄を切るようなパフォーマンスなのです。

 この岡本太郎が反抗していたのは、実は日本の古典や近代化された日本画ではなくて、ピカソに代表されるヨーロッパの前衛美術であり、ピカソと岡本太郎の間にある反発と反抗の関係こそが、「日本の前衛」の構造なのです。

 アフリカの黒人彫刻と縄文式土器という、ピカソと岡本太郎が同じように原始美術を肯定し、そこに大きなインスピレーションを受けて絵画を描いていています。しかしピカソの絵画、たとえば「アヴィニヨンの娘たち」は、モダンアートであって、しかも《オプティカル・イルージョン》の絵画であるのです。それに対して岡本太郎の絵画は、《ペンキ絵》であって、モダンアートではなくて、むしろ色つきの劇画というべき原始美術なのです。   ジャック・ラカンの用語を使えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」は《象徴界》の芸術ですが、岡本太郎の作品は《現実界》の作品と言えます。

 敗戦後の日本の現代美術の中には、こうしたピカソをはじめとする欧米美術に刺激されつつ、これに反発して、より過激に反抗の身振りをする〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が異常繁殖しています。こうした岡本太郎的な下品な色彩が、草間弥生の毒々しい花にも引き継がれているのです。彦坂尚嘉の私見では、これは芸術ではなくて、「ばさら」なのです。

 


2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(4) [アート論]

     2000年代のアートのスペクタクル化       

 

 2000年代は、こうして北川フラムと村上隆という2人の偉大なカリスマによって、日本美術がローカリゼーションとグローバリゼーションの両方でスペクタル化した時代であったのです。(面白いのは、この二人は交差しなかったことです。北川フラムの中には、キャラクターアートに対する否定の意識があることは、発言の中に垣間みられます。)
 従来の銀座の貸し画廊を歩き回る画廊巡りや、美術館や博物館を一人でコツコツと歩いて、ベンチの隅でお弁当を密やかに食べるといった貧乏臭い美術愛好家を、あざ笑い、時代遅れにする、圧倒的なアート現象の社会的スペクタクル化がはかられたのです。
 しかし、このことは、アートシーンで独自に起きたものではなくて、後期資本主義社会が生み出すスペクタクル化という疎外現象のアート版に過ぎないのです。
 ギ・ドゥボールが『スペクタクルの社会』(1967年)で指摘した事は、多くの人々が受動的な観客の位置に押し込められた世界に、後期資本主義社会がなったということです。映画の観客のようにただ世界を眺めることしか残されていないという状態におかれたことをスペクタクル化と言い、これが資本主義の究極の統治形態だと言うのです。
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同様の警告は、ダニエル・ブアースティンが『幻影の時代』という本で、
もっと早い1964年に指摘していた事でした。
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 私は、このダニエル・ブアースティンに大きな影響を受けた世代です。ブアースティンの指摘は、この情報化社会の幻影性を早くに指摘していたと言える。
 2000年代の背後には1995年からのアメリカで起きたインタネットバブルと、2002年からのサブプライムローン・バブルという2つの過剰消費があったのであって、このアメリカの過剰消費が作り出すスペクタクル化の波に乗る形で新幹線の乗客までもが増大しただけでなくて、アートシーンも巨大化してスペクタクルになり、観客は傍観者といてながめるだけになったのです。
 いや、それは芸術そのもの質としては長谷川裕子の主張した「アートとデザインの遺伝子を組み替える」事態となって、アートという名の元に、芸術性のひとかけらも無いデザインワークが、アートとしてもてはやされる時代になったのです。ひとかけらも無いと言うのは、言い過ぎの部分がありますが、《近代》の純粋芸術は古くなり、衰弱したのです。
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 しかし、高度消費社会の中で、資本主義そのものに対する根源的な否定意識も広がって来ています。なぜ私たちは、すべての事に対して消費者として受身でなければいけないのか? なるべくお金を使わないようにする事。ニューヨークでは、ホームレスでもない人々が、ゴミとして捨てられる食品をゴミ箱から拾って食べるまでされていると、ネットで読みました。自動車も持つ事を拒否する若者の増加。こうした高度消費社会に対する反撃の動きが次第に社会の底流に広がって行きます。
 アートという自由と信じられていたものが、勝手にデザイン化に転化され、一部の新興成金により誤読され、誤読に誤読が重ねられ、幻影の時代の中で、根拠なき熱狂の嵐が吹き荒れ、美術市場は異様に高騰し、現代アートの裸の王様化が進んでいったのが2000年代でした。村上隆の作品もしかり、現代美術としてもてはやされる作品は精巧なデザインや下品さまでも上手に取り込み、さも高尚であるかのように私たちを取り巻いて、幻影と、誤読の罠をしかけてきているように感じます。
 こうした村上隆的なキャラクター・アートという新・偶像崇拝美術に対する反撃であるかのように振る舞う形で、越後妻有トリエンナーレの北川フラムの里山に対する思いの思想は展開して行ったのですが、同時に農舞台やキョロロ、そしてキナーレという幻影の巨大建築が建設されていきました。
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農舞台です。
アートと里山を同時に楽しめるフィールドミュージアムという掛け声で
建設されたものです。

設計者はMVRDV

MVRDV (エムブイアールディーブイ) はオランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団で、1991年に設立されものです。名前の由来は事務所設立時のメンバーの三人の頭文字からとったものであるのです。

  • ヴィニー・マース(Winy Maas、1959年 - )
  • ヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs、1964年 - )
  • ナタリー・デ・フリイス(Nathalie dVries、1965年 - )

ヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスはレム・コールハースの主宰する建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)の出身です。

 レム・コールハースは、1944年生まれのオランダの建築家。代表的な作品は、シアトル中央図書館(2004年)、カーサ・ダ・ムジカ (ポルトガル、ポルト、2004)などですが、私はこの両方を見に行っています。現在、中国中央電視台本部ビル (中国、北京、2004着工)が建設中です。



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手塚貴晴設計のキョロロです。

里山と自然と文化の魅力と不思議を楽しく展示する科学館という

コンセプトで建てられました。

手塚貴晴(てづか たかはる)は、1964年生まれの建築家東京都市大学准教授。
ふじようちえん(立川市)で2008年の日本建築学会賞を受賞しています。

今回の越後妻有では、
廃屋を改造してイタリアンレストランにする仕事をしています。
北川フラムのアートディレクションで、そのイタリアンレストランに、
彦坂尚嘉のウッドペインティング・シリーズの小品5点が飾られています。
(作品番号229)
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3つめが原 広司設計のキナーレです。
着物の歴史館や和グッズを販売する和装工芸館が設けられているほか、
風呂と休憩室が揃った温泉「明石の湯」があります。

原 広司は1936年生まれの建築家。東京大学名誉教授
2001年京都駅ビルで、ブルネイ賞建築部門激励賞。

越後妻有トリエンナーレの総合ディレクターである北川フラム氏と、
建築家・原広司氏は姻戚関係があります。
北川フラム氏の人脈の大きさと厚さが、この越後妻有トリエンナーレを
巨大なものにしているわけですが、
同時にその次元は、こうした巨大建築を建設すると言う、
《近代》特有の開発主義の性格を持っているのです。

 美術館関係者からは北川フラムが、アートゼネコンと陰口をきかれたのは、単なる豪腕のアートディレクションに対する嫉妬やねたみだけとは言えないものがあります。
 越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》というのは、過疎化と少子化で衰弱化した地方と言っても、田中角栄による列島改造計画の徹底化した地域であり、過剰にまで発達した道路とトンネル建設による驚くほどよく完備した道路網が完成している近代化された地域です。近代化の地域改造が完成した時に、人々の期待した幸せの幻影は消えて、若い人々はこの地を離れて、都会に出て行ってしまったが故に、越後妻有の地は衰退したのです。
 そこで政治スケジュールに入って来たのが平成の大合併でした。つまり越後妻有トリエンナーレの根本には、6市町村の合併と言う《平成の大合併》の政治目的が潜在していたのであります。
 日本の近代史は3回の《大合併》、つまり市町村合併の歴史です。まず明治維新による変革で、1988年の《明治の大合併》です。この市町村合併によって、伝統的な村は世界は解体されます。約7万あった村が、5分の1にされて,約15000にされたのですが、この変動は以後もすすめられて、最終的には7分の1の1万台になります。2度目が、敗戦による変革で、1953年から61年にかけて《昭和の大合併》が実施されて、市町村数は約3500にまで統合されました。江戸時代の末期の20分の1にまでなったのです。そして《平成の大合併》ですが、市町村の数は1760まで減って、つまり江戸時代の40分の1の数にまでなってしまったのです。
 住民の伝統的な生活世界の小さな7万箇の村世界を解体しつくして、アメリカの様に、車が無ければ生活が出来ない広大な《大地》の形成と言う、生活世界のアメリカ化という構造変動があったのです。
 近代化による改造の極限の地域に、現代美術を移植することが、越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》であったのです。『大地の芸術祭』という題名の中の《大地》は、江戸時代までの日本の伝統的な自然とそこでの人々の生活世界を意味しているのではなかったのであって、《大地》は、アメリカナイズされた《大地》なのです。この《大地》には、もはやかつての7万個の《日本の村》は無いのです。だからこそ、小さな山村は淘汰されて、過疎化と少子化は進み、住民の個数は減り、廃村に至るのです。
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 北川フラムの根底には1960年代末のアースワーク熱狂した感性が潜在していて、平成の大合併と言う里山のアメリカ化と、北川フラムの芸術観が共振を起こして、アメリカ型のアアースワークの日本語への翻訳と言うローカリゼーションの形式が、北川フラムのアートディレクションの根底を形成していたように、彦坂尚嘉には見えます。
 つまり里山の小さな世界を、巨大空間にスペクタクル化することが北川フラムの仕事であった可能性が、越後妻有トリエンナーレにはあるのです。実際、越後妻有トリエンナーレの作品は、スペクタクル・アートであるものが多いのです。
こうした2000年代の10年間のアートのスペクタクル化の幻影を押し進めた立役者として、北川フラムと村上隆という巨人が出現したのでした。

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村上隆の顔の《言語判定法》による分析   北川フラムの顔の《言語判定法》による分析

《第13次/喜劇領域》の《社会性の高いデザイン的人格》 《第6次元/自然領域》の《社会性の高いデザイン的人格》

《想像界》の人格                   《想像界》の人格

《シリアス人間》                   《シリアス人間》
《ローアート的人間》                 《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。            シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』                     『真実の人』


彦坂尚嘉の《言語判定法》での分析で見るかぎり、二人とも社会性の高いデザイン的エンターテイメント的な人格なのです。そして《シリアス人間》で、しかも「真実の人」であるという共通性があります。アートのスペクタクル化が、実はアートのデザイン化であり、幻影化であり、それがアートの社会性の増大であったことと、この2人のカリスマの人格構造は一致していたのです。

 2000年代というのは、こうして村上隆の時代であるとともに北川フラムの越後妻有トリエンナーレの時代であったのです。この二人の背後には1995年からのアメリカ社会の過剰消費の世界中への波及による『根拠なき熱狂』があり、そしてグローバリゼーションの中の自虐的で不快なセルフ・オリエンタリズムがあり、さらに日本の《大地》のアメリカゼーションがあったのです。

 私自身は美術家として、この越後妻有トリエンナーレ第一回から全ての回に参加して、Floor Eventシリーズを4回展開してきただけに、感慨深くこの北川フラムによる10年間の魔術的な夢を振り返らざるをえません。

 Floor Event/フロアイベントというのは、自らが立つ床そのものを直視すると言うコンセプトの作品だからです。日本の《大地》がアメリカ化したという事実を直視しなければならなかったのです。



2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(3)

   4. 北川フラムのローカリゼーション                    

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開会式の記念写真、最前列下、中央の女性の右横にいるのが彦坂尚嘉  撮影:木村静

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彦坂尚嘉(左)と北川フラム(右)
第4回のオープニング式典会場で。
彦坂尚嘉と北川フラムは共に1946年生まれで、
1969年以来の40年間の交友関係がある。 
撮影:井上清仁

 越後妻有はあくまでも日本の田舎であって、現代美術を、この日本の現実に還元して行くという、そういうローカリゼーションの美術展なのです。それは同時に、現代美術の前提価値そのものを解体して行くと言う脱-構築運動であって、そのデ・コンストラクション性を評価する視点で見て行かないと、北川フラムというアートディレクターに対する正統な理解はできません。 

 ローカリゼーション (localization) というのは、情報技術においては、コンピュータ・ソフトウェアを、現地語の環境に適合させることを言います。

 外国で開発されたソフトウェアを、日本で使用できるようにするためには、日本語に翻訳する必要があります。日本語化、だけではなくて、プログラムを修正したり、プログラムのコードの、修正をしたり、ソフトウェアの仕様変更までも、が必要となります。
 したがっていわゆる「翻訳する」というだけではなくて、最終的に日本の現実に適応できるものにしなければならないので、改造が必要です。こうした広義の翻訳やシステムの変更の行為をまとめて、ソフトウェアの「現地語化」、すなわち「ローカリゼーション」と言います。

 越後妻有トリエンナーレで、北川フラムがディレクターとしてやっている仕事は、欧米生まれの現代美術を日本語に翻訳し、さらに日本の田舎の現実に適応できるように、アートの質を修正したり、アートの個人性を消して社会性を強調したデザインワークに変質させたり(実例・カバコフの作品) 、アートの高度な質を低くしたり、アートの仕様や様式の変更をしたり、アートの価値観や目的の変更を仕掛けていると言う、アート・ローカリゼーションの実践なのです。

 それは従来の芸術至上主義や、純粋芸術という価値観や、個人主義制作を解体して、組み直す作業になります。住民参加の制作による作品の展開は、この近代個人主義的制作の、解体再編運動であったのです。それは《現代美術》というものを、日本の田舎という生活世界に基礎づけて行くという、最終的な和物化/和風化運動であったのです。こうして現代美術の「現地語化」という仕事をしたのが北川フラムであって、その結果としていくつかの傑出したアートディレクション・アートが生まれました。

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大地の芸術祭2003出品作品               新田和成「ホワイトプロジェクト」
                 画像出典:越後妻有・大地の芸術祭のまわり方

 代表的なのは、2003年の代表作の1つとなった新田和成の「ホワイトプロジェクト」です。あれは新田和成一人のアーティストとしての実力だけでは到底出来ない作品で、新田和成を素材にした北川フラムが主宰するアートフロント・ギャラリーの仕掛けたアートディレクション・アートであったように、私には見えました。
 さて、彦坂尚嘉の文章を初めて読まれる読者には難解で恐縮ですが、《言語判定法》という測定法による彦坂尚嘉責任の芸術分析をやっているのです。この《言語判定法》で判定すると「ホワイトプロジェクト」は、すばらしい名作となります。何をいっているのか、すぐには分からない方も多いと思いますが精神分析のラカンの用語を流用しつつ言いますと、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界で、《超次元・超越領域》から《第41次元・崇高領域》までの多次元的な《真性の芸術》性をもっている作品と判定します。詳しい芸術分析は註をご覧ください。【註1】
 彦坂は、芸術作品を《超次元》から《第41次元》までの42段階の次元に分類して、判定をしているのですが、難解なので、分からない方は、適当に飛ばして読んで下されば良いです。
 《シリアス・アート》と《気晴らしアート》、そして《ハイアート》と《ローアート》の同時表示がこの「ホワイトプロジェクト」では成立していて、この事は情報社会のアートとしての新しさを示しています。「同時表示」ということを説明するのも、難解なのですが、白と黒とか、善と悪とかいった、2元対立の反対のものが、混じり合わないままに、同時に存在するという状態です。こうした状態が、情報化社会の新しい芸術の特徴となって来ているのです。
 作家を素材にして展開するアートディレクション・アートの成立は、情報化社会時代の現代アートの基本性格にまでなってきているとおもわれます。

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第二回大地の芸術祭プレイベント「天空散華・妻有に乱舞するチューリップ・中川幸夫『花狂』
左の立っているのが中川幸夫、座っているのが舞踏家・大野一雄

 こうした北川フラムのアートディレクションの中でも、特に際立っていて、私を驚かせたのは、新田和成の『ホワイトプロジェクト』の前年の2002年でした。 第二回大地の芸術祭プレイベントとして企画された「天空散華・妻有に乱舞するチューリップ・中川幸夫『花狂』」です。あれこそは中川一人のアーティストとしての実力だけでは到底出来ない作品で、中川幸夫を素材にした北川フラムの仕掛けたアートディレクション・アートでありました。中川幸夫の初期構想が、いかなるプロセスで北川フラムによって変形されて拡大されていったかを論述すると長くなりますので省きますが、マス・メディアの利用の見事さまで含めて、北川の驚くべき執念と巧妙さを極めたものでした。
 すでにこの「花狂」でも、《シリアス・アート》と《気晴らしアート》、そして《ハイアート》と《ローアート》の同時表示が成立していて、この事は情報社会の情報アートとしての新しさを示しています。いや、逆で、もともとこの1日だけのイベントは、越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》を成功するために、情報戦として仕掛けられた情報アートとしてのものだったのではないでしょうか。【註2】
 しかしアートフロン・ギャラリーの内部に取材して聞くと、1回目からの住民参加の制作そのものは、作家と住民の反応の自立的展開を無視できない動きであって、そのすべてを北川フラムのアートディレクションに帰するのは、事実経過としては無理があるように思いました。アートディレクション・アートの展開は、作家自身にもフィードバックされていって、相互増幅していったように思います。作家自らが、自分自身をディレクションして行く時代なのです。

 実例としては2003年の代表作家の一人であった彦坂尚嘉の場合には、本籍地変更を実行し、展示場所の田麦という山村に自らの本籍を移すという事をやっています。次の2006年の代表作家となった菊池歩の「こころの花」の制作が、現地への移住によって、その長期性の中で作られています。したがって、そのような作家の積極的な参加を引き起こすシステムを立ち上げ、作動させ得た北川フラムの豪腕は見事なものと評価するべきで、他の誰もマネの出来ない偉業であったと私は思います。

 菊池歩の作品「こころの花-あの頃へ」は大きな評判にはなって、現地の人気は非常に高いものでありました。しかし彦坂尚嘉の芸術分析では低くて、《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品と判断します。しかも絶対零度の美術という、つまり原始美術でありまして、 芸術的には【B級芸術】であったのです。【註3】

 こうして越後妻有トリエンナーレ『大地の芸術祭』で作り出された「妻有アート」とも言うべき住民参加型の作品様式は、手の込んだ手芸、あるいは工芸 とも言える作りと、奇妙に類似した構造の作品となって、しだいに固定化していきます。

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大地の芸術祭2006出品作品  日本大学芸術学科彫刻コース有志「脱皮する家」

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大地の芸術祭2006出品作品
日本大学芸術学科彫刻コース有志「脱皮する家」 Photo Kazue Kawase

 

 前回2006年に評判になった日本大学芸術学部彫刻コース有志による「脱皮する家」も、廃屋の中に展開されたオールオーバーの木彫工芸といったおもむきのものでありました。彦坂尚嘉責任の芸術分析では、《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品と判断されます。芸術ではなくて、工芸なのです。しかも菊池歩「こころの花-あの頃へ」と同様に絶対零度の美術(=原始美術)であり、《気晴らしアート》、《ローアート》なのです。【註4】
 れら大評判になった妻有様式の作品は、芸術的視点で見ると、現代美術が、「手芸」や「工芸」という《ローアート》にローカリゼーションされたとも言いえるものです。ポロック的なオールオーバーの構造の上に展開される「手芸」や「工芸」として、屋外や、廃屋の中に反復して、妻有様式がバリエーション化し、しだいにマンネリ化して、つまらないものになっていきます。飽きるのです。芸術を脅かし、淘汰するものは、結局、この人間の飽きの問題です。芸術様式の変遷を突き動かしているものは、飽きなのです。
 

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杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミの「雪ノウチ」 撮影:木村静

  そういう飽きの空気の中で、今回の、杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミの「雪ノウチ」という作品は、このような住民参加型の美しい手芸性を持った「妻有アート」の中でも際立つ秀作でありました。

 たいへんにフェニミンな美しさのあるデザイン作品であって、しかしフロイトがいう《退化性》という私的歴史性をもった芸術作品ではありませんが、《1流》の《ハイアート》性をもつデザイン作品であったのです。合法的表現であって、私的な表現性が見えなくて、社会的公的性だけで成立しているので、エンターテイメントではあります。そして、作品は実体的ですので、ここでもエンターテイメント作品です。【註5】だがしかし、杉浦久子の「雪ノウチ」において、彦坂尚嘉責任の芸術分析で見る限り、「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という今日的な表現の重層性が達成されている事は、非常に高く評価できる事です。この構造は、かつての古典芸術のシーニュ性が解体されてシニフィアン(記号表現)に還元されたモダンアートの限界を超える、情報化社会の芸術の新しいアート・クオリティと言えるものだからです。それは「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という構造が、決してかつてのシーニュの復活ではなくて、離婚した夫婦が、また一緒に同席して並んでいる様な、そうした非統合性において獲得される今日的なアート・クオリティだからです。

 ここにおいて、「妻有アート」がマンネリの原始美術性から脱して、次の飛躍を遂げ得る地平が示されていると言えます。

【続きはここをクリックして下さい】


2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(2)

3,越後妻有トリエンナーレの名品の数々

今回の第4回越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》では、
約370点の作品がありますが、
ルーブル美術館に膨大な作品があるのと同じであって
その大半は凡庸な作品に過ぎないし、
多くは低級な作品でしかありません。

私の組織しようとしたツアーは、
基本として《超1流》のすぐれた作品を見ようと言うものです。
しかし《超1流》の作品というのは、観客の精神が未熟であれば、
理解は出来ないのです。

芸術の鑑賞というのは、その人の人格的成熟と見合っているのであって、
人格的に低俗な人は低俗な芸術が好きだし、
人格的に成長して成熟し、高度になれば、高級な芸術が好きになるのです。

さて、そう言うわけで、私が名品と思う作品を上げて行きます。

まず、ノイシュタットの作品です。
(作品番号181)のマジックシアター。
《超1流》の名品で、パーフェクトです。
人間が作れるほぼ限界の名品だと思います。


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                    撮影:木村静

ハーマン・マイヤー・ノイシュタットに対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《超次元〜第41次元》の多次元的な《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
《芸術》と《反芸術》の同時表示
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
透視立体》【A級美術】

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続いて、リチャード・ウイルソンです。
(作品番号122)日本に向けて北を定めよ「74゜33’2””」
この作品も、私の大好きな作品です。

決して主張しすぎない淡い青の色合いに作家の環境への調和の精神が感じられます。




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                            撮影:安斎重男
リチャード・ウイルソンに対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《超次元〜第41次元》の多次元的な《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
芸術、しかし反芸術性の同時表示はない。

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
透視立体》【A級美術】

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アフリカの作家、オギュイベです。
(作品番号110)いちばん長い川
これもすばらしい作品で、大激賞です。




オギュイベ.jpg

オル・オギュイベに対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《超次元〜第41次元》の多次元的な《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
芸術と反芸術の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
透視立体》【A級美術】

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2003年の作品である(作品番号138)のアン・グラハムという
オーストラリアの女性作家の作品スネーク・パス」です。
曲がりくねった山の遊歩道にあり、通る人々に踏まれることや、生えてくる草に埋もれること、土をかぶることも計算に入れて作られていて、6年かけてその場所に馴染んだ蛇の少々お間抜けな顔には、チャーミングな温かさも感じられます。

住民参加型の、そして場所にたいしても理想的な調和性の有る作品です。

この、何でも無いモザイクの蛇のアートが、芸術的にも高度に
作られているのであって
そのことを含めて、理解して欲しいと思います。

芸術というのは、何も汚かったり、醜悪である必要も、
下品である必要も無いのです。
本当の名品は、かわいく、上品なものです。






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アン・グラハムに対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《超次元〜第41次元》の多次元的な《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
芸術と反芸術の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
透視立体》【A級美術】

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さて最後に付録ですが、クリスチャン・ラピです。
作家的には水準は、ほんの少し落ちますが上げておきます。
(作品番号158)「砦61」は、木で作られた黒い彫刻で、風雪に耐えて2000年からそこにあります。今後もどのように風化し、味わいを増していくのか楽しみです。



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クリスチャン・ラピに対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《第41次元〜第7次元》の多次元的な《真性の芸術》、《第6次元》〜《超次元》は無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示
芸術と反芸術の同時表示

シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
透視立体》【A級美術】





2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(1) [アート論]

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 2000年代日本アート論 

 越後妻有トリエンナーレを巡って 


 彦坂尚嘉+木村 静 2009年8月15日号       

彦坂尚嘉顔写真/佐々木薫撮影2.jpg

彦坂尚嘉(ひこさかなおよし)1946年生まれ。

ブロガー。立教大学大学院特認教授。
日本建築学会会員。日本ラカン協会幹事。
美術家

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木村静(きむらしずか)1980年生まれ。
フリー・メディア活動家。フリー・アナウンサー。
G8市民メディアセンター札幌実行委員会に参加。
活動テーマは、フリー・メディアによる
新しい市民コミュニケーション網の構築。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2000年に始まった越後妻有トリエンナーレは、文字通り21世紀の初頭の10年間をかざる美術展でありました。それは新潟出身の天才アート・ディレクター北川フラムによって作り出された、広大で壮大な自然と芸術の大スペクタルであったのです。この大スペクタルは、越後妻有という地域に、現代アートを還元していくローカリゼーションとして組織されたのでした。


 1.『越後妻有トリエンナーレの中の名品を求めて巡るツアー

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 今回、参加者20人で3泊4日の『越後妻有トリエンナーレ『大地の芸術祭』の中の名品を求めて巡るツアー』を組織して、コディネートして来たので、そのツアーと、その前の下見の中で見た作品を、ご報告したいと思います。

 今回の企画者の彦坂尚嘉自身が、2つの場所での作品を越後妻有トリエンナーレに出品しているので、自分自身の作品を見せるという我田引水の意図は、明確にあるのです。中立的な記事を読む事を求める読者には不快なことかもしれませんが、現実でありますので、事前にお断りをしておきます。

 なおこのツアーは、アートスタディーズという勉強会と、建築系ラジオの共同主催のものです。建築史/建築評論家の五十嵐太郎、建築家の山田幸司、松田達などの建築系の人々と、彦坂尚嘉、飯田啓子、秋元珠江、田嶋奈保子などのアーティスト、そしてギャラリストの玉田俊雄(タマダプロジェクト主宰)、さらに美術研究者やコレクター、学生、さらに田邊寛子や、木村静のような街起こしなのど地域市民運動をやっている人々も参加しています。

 『名品を求めて巡るツアー』と名付けているのは、今こそ、感覚を研ぎ澄まし、自分の身体や脳や、自らの人格と教養の蓄積をかけた全身で感じることが重要だからです。

 世間一般やマスコミを通じて空気や風聞として押し出されてくるお仕着せのアートではなく、自らの判断基準をもったアートを体感する意味で、ここで紹介する作品と向かい合いました。

 とは言っても、彦坂尚嘉が彦坂尚嘉の作品を紹介し、説明する記事の部分では、当然のように中立性を求める読者の不審や疑念を呼ぶ記事となりますので、批判的に読んでいただくことをお願い致します。私自身に対する正統な批判には、正面から誠実に向き合いたいと思います。


   2.山本想太郎と彦坂尚嘉の2つのフロアイベント      


  今回の越後妻有トリエンナーレ名品ツアーで見た作品の中で、秀作をあげるとすると、先ずに山本想太郎の建具を使ったフロアーイベントとも言うべき作品だろうと思います。

 次に紹介する彦坂尚嘉の間伐材をつかったフロアイベントと、床にものを敷くということで良く似た作品構造なのです。

  山本想太郎は、1966年生まれの建築家です。早稲田大学理工学研究科(建築専攻)修士課程修了して坂倉建築研究所を経て、独立して山本想太郎設計アトリエを主宰しています。

今村創平、南泰裕らとともに建築家ネットワーック・プロスペクターをつくって活動して、前回の2006年には、このプロスペクターの作品として「コンタクト/足湯プロジェ」を 

松之山湯田温泉「ゆのしま」敷地内に、アート作品としてつくっています。
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プロスペクター作品に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品

《想像界》の表現
気体表現(=近代)

《気晴らしアート》
《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
透視立体》
【A級美術】


 今回は、グループではなくて、一人で制作した作品です。

タバコの葉を乾燥させる倉庫として使われていた建物の内部に、庭のように歩く空間を作っています。

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山本想太郎           撮影:木村 静

 前回の足湯プロジェクトで使った白く塗られた越後妻有全域から集められた木製建具約150 枚が用いられて、訪れた人は、建具の障子紙やガラスが無くなった穴の部分に足を入れて、この庭を散策しするのです。上部の空間には空中に浮遊する、建具でできた3 つの筒があって、上部から外光が入っています。
 繊細で、大胆で、そして建具の敷かれた床を歩くという作品で、新鮮で感銘を受けました。
この山本想太郎の作品は、デザイン的エンターテイメント作品ではなくて、
《真性の芸術》になっている作品です。
このこと故に、高く評価したいと思います。

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山本想太郎                 撮影:木村静

山本想太郎作品に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析

《第1次元〜第31次元》の多次元的な《真性の芸術》
  ただし《超次元》と《第41次元》が無い。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術、ただしシニフィエ(記号内容)性が無い。
透視立体》【A級美術】


 

山本想太郎の越後妻有トリエンナーレへの取り組みは、

これだけではなくて「妻有田中文男文庫」(作品番号10  2009年作品) 

さらに、「安堀雄文記念館」(作品番号10  2006年作品)

「再構築」(作品番号31  2006年作品)、

「名ヶ山写真館」(作品番号36  2006年作品)と、

全部で5つもあるのです。

この精力的な活動の熱意が背景になって、今回の傑作が生まれたと思います。


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彦坂尚嘉フロアイベント2009        撮影:武田友孝

 

さて、この山本想太郎の作品に呼応するかのように、建築の床面を、

あたかも外部の庭であるかのように反転させて、廃屋を芸術作品に

変貌させたのが彦坂尚嘉のフロアイベント2009(作品番号22)でした。

彦坂尚嘉は1946年うまれの美術家で、1970年多摩美術大学油彩科中退。

1969年に多摩美術大学の学園紛争のバリケードの中の造型作家同盟展という美術展でデビューしたアーティストです。そのときに出品したフロアイベントとウッドペインティングを、40年後の現在も展開し続けて継続制作しているという作家です。

今回の越後妻有トリエンナーレでは、田麦(作品番号22)という山村の廃屋ではフロアイベントの作品を展示し、もう一つ手塚貴晴のリノベーションしたイタリア・レストラン「黎の家」(作品番号229)の方には、ウッドペインティングの小品を5点展示しています。

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        彦坂尚嘉 ウッドペインティング・シリーズ2009    撮影:木村静

 

  前回2006年では、同じ田麦の廃屋で、自分の家である彦坂家の歴史をテーマにしたフロアイベントを展開しています。彦坂家は、宇都宮藩の家老の家で、幕末の宇都宮戦争で壊滅している家系なのです。この時は山本想太郎さんと同じように気派というグループで制作していました。
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彦坂尚嘉フロアイベント2006       撮影:後藤充



 さて、今回の展示では、一転して、間伐材をつかった作品になっています。

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                     撮影;武田友孝

 


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2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(1) [アート論]

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開会式の記念写真、最前列下、中央の女性の右横にいるのが彦坂尚嘉  撮影:木村静

 2000年代日本アート論 

 越後妻有トリエンナーレを巡って 


 彦坂尚嘉+木村 静 2009年8月15日号       

彦坂尚嘉顔写真/佐々木薫撮影2.jpg

彦坂尚嘉(ひこさかなおよし)1946年生まれ。

ブロガー。立教大学大学院特認教授。
日本建築学会会員。日本ラカン協会幹事。

木村静2.jpg

木村静(きむらしずか)1980年生まれ。
フリーTV活動家。アナウンサー。
G8市民メディアセンター札幌実行委員会に参加。
活動テーマは、フリー・メディアによる
新しい市民コミュニケーション網の構築。


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彦坂尚嘉(左)と北川フラム(右)
第4回のオープニング式典会場で。
彦坂尚嘉と北川フラムは共に1946年生まれで、
1969年以来の40年間の交友関係がある。 
撮影:井上清仁

 2000年に始まった越後妻有トリエンナーレは、文字通り21世紀の初頭の10年間をかざる美術展でありました。それは新潟出身の天才アート・ディレクター北川フラムによって作り出された、広大で壮大な自然と芸術の大スペクタルであったのです。この大スペクタルは、越後妻有という地域に、現代アートを還元していくローカリゼーションとして組織されたのでした。

   1. 北川フラムのローカリゼーション                      

 越後妻有はあくまでも日本の田舎であって、現代美術を、この日本の現実に還元して行くという、そういうローカリゼーションの美術展なのです。それは同時に、現代美術の前提価値そのものを解体して行くと言う脱-構築運動であって、そのデ・コンストラクション性を評価する視点で見て行かないと、北川フラムというアートディレクターに対する正統な理解はできません。 

 ローカリゼーション (localization) というのは、情報技術においては、コンピュータ・ソフトウェアを、現地語の環境に適合させることを言います。

 外国で開発されたソフトウェアを、日本で使用できるようにするためには、日本語に翻訳する必要があります。日本語化、だけではなくて、プログラムを修正したり、プログラムのコードの、修正をしたり、ソフトウェアの仕様変更までも、が必要となります。
 したがっていわゆる「翻訳する」というだけではなくて、最終的に日本の現実に適応できるものにしなければならないので、改造が必要です。こうした広義の翻訳やシステムの変更の行為をまとめて、ソフトウェアの「現地語化」、すなわち「ローカリゼーション」と言います。

 越後妻有トリエンナーレで、北川フラムがディレクターとしてやっている仕事は、欧米生まれの現代美術を日本語に翻訳し、さらに日本の田舎の現実に適応できるように、アートの質を修正したり、アートの個人性を消して社会性を強調したデザインワークに変質させたり(実例・カバコフの作品) 、アートの高度な質を低くしたり、アートの仕様や様式の変更をしたり、アートの価値観や目的の変更を仕掛けていると言う、アート・ローカリゼーションの実践なのです。

 それは従来の芸術至上主義や、純粋芸術という価値観や、個人主義制作を解体して、組み直す作業になります。住民参加の制作による作品の展開は、この近代個人主義的制作の、解体再編運動であったのです。それは《現代美術》というものを、日本の田舎という生活世界に基礎づけて行くという、最終的な和物化/和風化運動であったのです。こうして現代美術の「現地語化」という仕事をしたのが北川フラムであって、その結果としていくつかの傑出したアートディレクション・アートが生まれました。

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新田和成の「ホワイトプロジェクト」2003年 出典:越後妻有・大地の芸術祭のまわり方

 代表的なのは、2003年の代表作の1つとなった新田和成の「ホワイトプロジェクト」です。あれは新田和成一人のアーティストとしての実力だけでは到底出来ない作品で、新田和成を素材にした北川フラムが主宰するアートフロント・ギャラリーの仕掛けたアートディレクション・アートであったように、私には見えました。
 さて、彦坂尚嘉の文章を初めて読まれる読者には難解で恐縮ですが、《言語判定法》という測定法による彦坂尚嘉責任の芸術分析をやっているのです。この《言語判定法》で判定すると「ホワイトプロジェクト」は、すばらしい名作となります。何をいっているのか、すぐには分からない方も多いと思いますが精神分析のラカンの用語を流用しつつ言いますと、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界で、《超次元・超越領域》から《第41次元・崇高領域》までの多次元的な《真性の芸術》性をもっている作品と判定します。詳しい芸術分析は註をご覧ください。【註1】
 彦坂は、芸術作品を《超次元》から《第41次元》までの42段階の次元に分類して、判定をしているのですが、難解なので、分からない方は、適当に飛ばして読んで下されば良いです。
 《シリアス・アート》と《気晴らしアート》、そして《ハイアート》と《ローアート》の同時表示がこの「ホワイトプロジェクト」では成立していて、この事は情報社会のアートとしての新しさを示しています。「同時表示」ということを説明するのも、難解なのですが、白と黒とか、善と悪とかいった、2元対立の反対のものが、混じり合わないままに、同時に存在するという状態です。こうした状態が、情報化社会の新しい芸術の特徴となって来ているのです。
 作家を素材にして展開するアートディレクション・アートの成立は、情報化社会時代の現代アートの基本性格にまでなってきているとおもわれます。
 こうした北川フラムのアートディレクションの中でも、特に際立っていて、私を驚かせたのは、新田和成の『ホワイトプロジェクト』の前年の2002年でした。 第二回大地の芸術祭プレイベントとして企画された「天空散華・妻有に乱舞するチューリップ・中川幸夫『花狂』」です。あれこそは中川一人のアーティストとしての実力だけでは到底出来ない作品で、中川幸夫を素材にした北川フラムの仕掛けたアートディレクション・アートでありました。中川幸夫の初期構想が、いかなるプロセスで北川フラムによって変形されて拡大されていったかを論述すると長くなりますので省きますが、マス・メディアの利用の見事さまで含めて、北川の驚くべき執念と巧妙さを極めたものでした。
 すでにこの「花狂」でも、《シリアス・アート》と《気晴らしアート》、そして《ハイアート》と《ローアート》の同時表示が成立していて、この事は情報社会の情報アートとしての新しさを示しています。いや、逆で、もともとこの1日だけのイベントは、越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》を成功するために、情報戦として仕掛けられた情報アートとしてのものだったのではないでしょうか。【註2】
 しかしアートフロン・ギャラリーの内部に取材して聞くと、1回目からの住民参加の制作そのものは、作家と住民の反応の自立的展開を無視できない動きであって、そのすべてを北川フラムのアートディレクションに帰するのは、事実経過としては無理があるように思いました。アートディレクション・アートの展開は、作家自身にもフィードバックされていって、相互増幅していったように思います。作家自らが、自分自身をディレクションして行く時代なのです。

 実例としては2003年の代表作家の一人であった彦坂尚嘉の場合には、本籍地変更を実行し、展示場所の田麦という山村に自らの本籍を移すという事をやっています。次の2006年の代表作家となった菊池歩の「こころの花」の制作が、現地への移住によって、その長期性の中で作られています。したがって、そのような作家の積極的な参加を引き起こすシステムを立ち上げ、作動させ得た北川フラムの豪腕は見事なものと評価するべきで、他の誰もマネの出来ない偉業であったと私は思います。

 菊池歩の作品は大きな評判にはなって、現地の人気は非常に高いものでありました。しかし彦坂尚嘉の芸術分析では低くて、《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品と判断します。しかも絶対零度の美術という、つまり原始美術でありまして、 芸術的には【B級芸術】であったのです。【註3】

 こうして越後妻有トリエンナーレ『大地の芸術祭』で作り出された「妻有アート」とも言うべき住民参加型の作品様式は、手の込んだ手芸、あるいは工芸 とも言える作りと、奇妙に類似した構造の作品となって、しだいに固定化していきます。

 前回2006年に評判になった日本大学芸術学部彫刻コース有志による「脱皮する家」も、廃屋の中に展開されたオールオーバーの木彫工芸といったおもむきのものでありました。彦坂尚嘉責任の芸術分析では、《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品と判断されます。芸術ではなくて、工芸なのです。しかも菊池歩と同様に絶対零度の美術(=原始美術)であり、《気晴らしアート》、《ローアート》なのです。【註4】
 れら大評判になった妻有様式の作品は、芸術的視点で見ると、現代美術が、「手芸」や「工芸」という《ローアート》にローカリゼーションされたとも言いえるものです。ポロック的なオールオーバーの構造の上に展開される「手芸」や「工芸」として、屋外や、廃屋の中に反復して、妻有様式がバリエーション化し、しだいにマンネリ化して、つまらないものになっていきます。飽きるのです。芸術を脅かし、淘汰するものは、結局、この人間の飽きの問題です。芸術様式の変遷を突き動かしているものは、飽きなのです。
 

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杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミの「雪ノウチ」 撮影:木村静

  そういう飽きの空気の中で、今回の、杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミの「雪ノウチ」という作品は、このような住民参加型の美しい手芸性を持った「妻有アート」の中でも際立つ秀作でありました。

 たいへんにフェニミンな美しさのあるデザイン作品であって、しかしフロイトがいう《退化性》という私的歴史性をもった芸術作品ではありませんが、《1流》の《ハイアート》性をもつデザイン作品であったのです。合法的表現であって、私的な表現性が見えなくて、社会的公的性だけで成立しているので、エンターテイメントではあります。そして、作品は実体的ですので、ここでもエンターテイメント作品です。【註5】だがしかし、杉浦久子の「雪ノウチ」において、彦坂尚嘉責任の芸術分析で見る限り、「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という今日的な表現の重層性が達成されている事は、非常に高く評価できる事です。この構造は、かつての古典芸術のシーニュ性が解体されてシニフィアン(記号表現)に還元されたモダンアートの限界を超える、情報化社会の芸術の新しいアート・クオリティと言えるものだからです。それは「シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)の同時表示」という構造が、決してかつてのシーニュの復活ではなくて、離婚した夫婦が、また一緒に同席して並んでいる様な、そうした非統合性において獲得される今日的なアート・クオリティだからです。

 ここにおいて、「妻有アート」がマンネリの原始美術性から脱して、次の飛躍を遂げ得る地平が示されていると言えます。

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artscape [日記]

越後妻有ツアーから帰って来たのはよいのですが、
その報告記事をartscapeというネット・マガジンから頼まれて、
書いていて、他の事がお留守になってしまっています。
今日の7時が最終締めです。

ブログに書く形で、原稿をつくっているので、
一時的にアップしますが、
最終的には、落とします。

編集者の意見もあって、
形式を少し変える事と、
画像の著作権を配慮して行きます。

相変らず、長いものになるので、
4つのブログにまたがるものになります。



2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(3)2-2 [アート論]

   4.目玉作品について           

 越後妻有トリエンナーレの目玉作品と言うと、今回のカタログの表紙は草間弥生(彦坂尚嘉の芸術分析で《第21次元 愛欲領域》のデザイン的エンターテイメント作品)であり、扉はアブラモヴィッチの夢の家(同上《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品)であり、次はボルタンスキー(同上《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品)であります。
 これらの問題点を論じる事は、いろいろな角度から可能ではありますが、ボルタンスキーの作品を例にして考えておきたいと思います。
 越後妻有という里山での芸術祭において、重要視したいのが「いかに調和しているか」という観点です。里山には自然があり、そこに移り住んだ人がいて、その人たちの生活空間があります。
 つまり、この場所には元々ストーリーがあり、そこでの表現活動においては、そのストーリーを前提として考えなければいけない、自室や借り切ったギャラリーなど、一種の私的空間での表現よりも、はるかに難易度が高いと思います。
 その点で、室内を私的な空間に変えてしまうだけではいけなくて、越後妻有の代表的作品と言われているクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる「最後の教室」には、異論を唱えずにいられません。
 廃校になり、子供たちがいなくなった小学校にはもの悲しいものもありますし、廃校を再利用するプロジェクト自体は素晴らしいと思います。ガイドブックには美しい写真が掲載され、評価も高いようですが、実際は蒸し暑く、干草の匂いがする真っ暗な体育館から、真っ暗な廊下を歩き、壁にかけられた額縁の中も黒い、廊下のくぼみには古着と思われる服がただ山のように積み重ねられている、2回には棺と思わせる直方体に白い布がかけてある、とにかく空恐ろしい場所でありました。
 ちょうど、校舎を出たところで20代位の女性が二人、立ち話をしていました。「自分の学校がこんなふうにされちゃったら、嫌だな」これにはまったく同感しました。かつて子供たちが走り回っていた体育館、廊下、教室、この場所にはストーリーがあります。確かに、過疎化は外側から見ると悲劇のように思われるかもしれません。しかし、忘れてならないのはこの場所に存在した息吹が、建物に、土地に残っているということです。そういう意味で調和する、という視点は大切にしてもらいたいのです。

 おそらくこうした調和への視点を逆転させる事で、この越後妻有トリエンナーレのかなりの部分は出来ているのです。つまり不調和にする事で成立していると見えるものが多いということです。その不調和が、芸術である故のなのか、それともデザイン的エンターテイメント作品であるゆえなのか?

 「脱皮する家」(《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品)は、調和としては巧く行った例かもしれません。
 ディーコンの彫刻(《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント作品) と目玉作品はカタログで続いて行くのですが、申し訳ないのですが、私の芸術観では、これらカタログの目玉作品のほとんど全部はデザイン的エンターテイメント作品であって、《真性の芸術》として評価することができません。長谷川裕子が言うように『アートとデザイン遺伝子を組み替える』ことが実際に行われていて、これらの目玉作品の社会的デザイん性が高い事は充分に認めますが、《真性の芸術》性は欠けているのです。
 つまり越後妻有に調和していても、不調和であっても、その問題の多くはデザイン的エンターテイメントの問題であり、そして不調和の多くの原因が「芸術の名において」(ティエリー ド・デューヴ つくられるデザイン的エンターテイメント作品の特徴なのではないでしょうか。草間弥生の毒々しい花に象徴される事ですが、下品でけばけばしく不調和である事が、まるでで芸術である特徴であるかのようになっているのです。
 それは芸術論的には、日本の中にある「婆娑羅」の系譜を、芸術であると錯誤する事から起きています。これについて詳しく論じたのは上林澄雄の「日本反文化の伝統」(エナジー叢書、一九七三年)です。この本は、日本社会に歴史的に存在する流行性集団舞踏狂の流を指摘し分析したものでした。上林澄雄は、大きな権力移動が起きる前に、民衆の中に狂舞が繰り返し発生してきたことを発見し、そのの分析をとおして、日本の文明構造の二元的な亀裂を明らかにしています。

 日本文化には、《文明》対《原始世界》という、重要な対立構造が潜在しているのです。外国から高度の人工的な新文明が日本に入ってきて、それを輸入し喜んで学び、支配者たちはこの《輸入文明》、例えば仏教や、あるいは西洋文化を背景にして民衆を支配するのですが、支配される民衆の中には、文明以前の、狩猟採取文化、つまり野蛮な文化が脈々と流れていて、上級の《輸入文明》に対して、常に反抗的な姿勢があるというのです。しかし問題が複雑なのは、反抗的な姿勢が屈折していることです。反抗自体が《輸入文明》に触発され、反発しつつ、にもかかわらず模倣し、なぞりつつ解体し、伝統的な野蛮文化のボキャブラリーの中に還元し、あざ笑うことに表現を見いだしていくという、複雑な摂取と解体の流れがあり、「ばさら」とか「かぶく」とか言われる美意識となります。

 「ばさら」「かぶく」という言葉を、辞書でひいてみると次のようにあります。

 「ばさら【婆裟羅】室町時代の流行語。①遠慮なくふるまうこと。乱暴。 ②はでに飾り立てて、いばること。だて。③しどけなく乱れること」

  「かぶく【傾く】①頭がかたむく。かしぐ。②はでで異様なふるまい・みなりをする。」(日本語大辞典 講談社 一九八九年)

  つまり日本の中には乱暴で、はでに飾り立てて、しどけなく乱れる表現の系譜があるのですが、これが室町時代に「ばさら」とか「かぶく」というような言葉で姿をあらわし、それはしかし不自然なものであり、異様で、派手で、エキセントリックで、《異端の系譜》の源流とも言うべきものになるのです。

 これを戦後日本美術の中で分かりやすく言えば、それは敗戦後の岡本太郎によって唱えられた縄文主義であり、対極主義であり、あのどぎつい派手な色合いの絵画であり、岡本太郎の「芸術は爆発だ」と力んでみせる歌舞伎の見栄を切るようなパフォーマンスなのです。

 この岡本太郎が反抗していたのは、実は日本の古典や近代化された日本画ではなくて、ピカソに代表されるヨーロッパの前衛美術であり、ピカソと岡本太郎の間にある反発と反抗の関係こそが、「日本の前衛」の構造なのです。

 アフリカの黒人彫刻と縄文式土器という、ピカソと岡本太郎が同じように原始美術を肯定し、そこに大きなインスピレーションを受けて絵画を描いていています。しかしピカソの絵画、たとえば「アヴィニヨンの娘たち」は、モダンアートであって、しかも《オプティカル・イルージョン》の絵画であるのです。それに対して岡本太郎の絵画は、《ペンキ絵》であって、モダンアートではなくて、むしろ色つきの劇画というべき原始美術なのです。 ジャック・ラカンの用語を使えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」は《象徴界》の芸術ですが、岡本太郎の作品は《現実界》の作品と言えます。

 敗戦後の日本の現代美術の中には、こうしたピカソをはじめとする欧米美術に刺激されつつ、これに反発して、より過激に反抗の身振りをする〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が異常繁殖しています。

 『再考・近代日本の絵画』展(二〇〇四年、東京都現代美術館+東京藝術大学美術館)には、特に多く選ばれていたので、出品された作品の中で《現実界》の《ペンキ絵》の美術をピックアップすると、戦前・戦中には《現実界》の美術は一点もなくて、戦後には岡本太郎太郎作品以降次のようになります。

 岡本太郎「森の掟」(一九五〇年)

 河原温「孕んだ女」(一九五四年)

 今井俊満「東方の光」(一九五七年)

 堂本尚郎「絵画六〇ム二〇」(一九六〇年)

 工藤哲巳「X型基本体に於ける増殖性連鎖反応」(一九六〇年)

 荒川修作「Work  A」「Work  B」(一九六〇年)

 草間弥生「パシフィック・オーシャン」(一九六〇年)

 元永定正「作品」(一九六二年)

 中村正義「男女」(一九六三年)

 田中敦子「作品(たが)」(一九六三年)

 篠原有志男「思考するマルセル・デュシャン」(一九六三年)

 白髪一雄「無題(赤蟻王)」(一九六四年)

 草間弥生「トラベリング・ライフ」(一九六四年)

 菅井汲「夏のヴァカンス」(一九六五年)

 工藤哲巳「あなたの肖像六七」(一九六七年)

 大竹伸朗「家系図」(一九八六ム八八)

 山本富章「Untiled」(一九八七)

 加納光於「繁み・運動・エレメントD」(一九八八年)

 森村泰昌「美術史の娘『王女B』」(一九八九年)

 岡崎乾二郎「(左)平面ばかり・・・」(二〇〇一年)

 中村一美「死を悼みて濡れた紫の水際に立つ者」(二〇〇一ム〇二)

 

 こういうリストアップをすると、〈日本反文化の伝統〉を引き継ぐ《現実界》の《ペンキ絵》の美術が、いかに敗戦後の日本の現代美術を代表しているかが理解できます。繰り返しますと、こういう原始美術は、戦前には描かれていないのです。敗戦によって、日本の文化が原始的で野蛮なものに退化したと、私は考えます。

 こうした岡本太郎的な下品な色彩が、草間弥生の毒々しい花にも引き継がれているのです。彦坂尚嘉の私見では、これは芸術ではなくて、「ばさら」なのです。

 

 したがって、今回のツアーでも初心者がいるので回ってはいますが、私はほとんどこれら目玉のデザイン的エンターテイメント作品は無視しています。デザイン的エンターテイメント作品を、芸術の名において見ても、面白くは無いのです。

 そうは言っても今回の注目のアーティストとしてアップされている、コロード・レベック(同上《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品)、アントニー・ゴームリー(同上《第8次元 宗教領域》のデザイン的エンターテイメント作品)、塩田千晴などは見には行っています。
 その中で、ここでは塩田千晴を取り上げます。


2000年代日本現代アート論 越後妻有トリエンナーレを巡って(2)

     2000年代のアートのスペクタクル化       

 

 2000年代は、こうして北川フラムと村上隆という2人の偉大なカリスマによって、日本美術がローカリゼーションとグローバリゼーションの両方でスペクタル化した時代であったのです。(面白いのは、この二人は交差しなかったことです。北川フラムの中には、キャラクターアートに対する否定の意識があることは、発言の中に垣間みられます。)
 従来の銀座の貸し画廊を歩き回る画廊巡りや、美術館や博物館を一人でコツコツと歩いて、ベンチの隅でお弁当を密やかに食べるといった貧乏臭い美術愛好家を、あざ笑い、時代遅れにする、圧倒的なアート現象の社会的スペクタクル化がはかられたのです。
 しかし、このことは、アートシーンで独自に起きたものではなくて、後期資本主義社会が生み出すスペクタクル化という疎外現象のアート版に過ぎないのです。
 ギ・ドゥボールが『スペクタクルの社会』(1967年)で指摘した事は、多くの人々が受動的な観客の位置に押し込められた世界に、後期資本主義社会がなったということです。映画の観客のようにただ世界を眺めることしか残されていないという状態におかれたことをスペクタクル化と言い、これが資本主義の究極の統治形態だと言うのです。
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同様の警告は、ダニエル・ブアースティンが『幻影の時代』という本で、
1964年に指摘していた事でした。
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 私は、このダニエル・ブアースティンに大きな影響を受けた世代です。
 2000年代の背後には1995年からのアメリカで起きたインタネットバブルと、2002年からのサブプライムローン・バブルという2つの過剰消費があったのであって、このアメリカの過剰消費が作り出すスペクタクル化の波に乗る形で新幹線の乗客までもが増大しただけでなくて、アートシーンも巨大化してスペクタクルになり、観客は傍観者といてながめるだけになったのです。
 いや、それは芸術そのもの質としては長谷川裕子の主張した「アートとデザインの遺伝子を組み替える」事態となって、アートという名の元に、芸術性のひとかけらも無いデザインワークが、アートとしてもてはやされる時代になったのです。ひとかけらも無いと言うのは、言い過ぎの部分がありますが、《近代》の純粋芸術は古くなり、衰弱したのです。
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 しかし、高度消費社会の中で、資本主義そのものに対する根源的な否定意識も広がって来ています。なぜ私たちは、すべての事に対して消費者として受身でなければいけないのか? なるべくお金を使わないようにする事。ニューヨークでは、ホームレスでもない人々が、ゴミとして捨てられる食品をゴミ箱から拾って食べるまでされていると、ネットで読みました。自動車も持つ事を拒否する若者の増加。こうした高度消費社会に対する反撃の動きが次第に社会の底流に広がって行きます。
 アートという自由と信じられていたものが、勝手にデザイン化に転化され、一部の新興成金により誤読され、誤読に誤読が重ねられ、幻影の時代の中で、根拠なき熱狂の嵐が吹き荒れ、美術市場は異様に高騰し、現代アートの裸の王様化が進んでいったのが2000年代でした。村上隆の作品もしかり、現代美術としてもてはやされる作品は精巧なデザインや下品さまでも上手に取り込み、さも高尚であるかのように私たちを取り巻いて、幻影と、誤読の罠をしかけてきているように感じます。
 こうした村上隆的なキャラクター・アートという新・偶像崇拝美術に対する反撃であるかのように振る舞う形で、越後妻有トリエンナーレの北川フラムの里山に対する思いの思想は展開して行ったのですが、同時に農舞台やキョロロ、そしてキナーレという幻影の巨大建築が建設されていきました。
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農舞台です。
アートと里山を同時に楽しめるフィールドミュージアムという掛け声で
建設されたものです。

設計者はMVRDV

MVRDV (エムブイアールディーブイ) はオランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団で、1991年に設立されものです。名前の由来は事務所設立時のメンバーの三人の頭文字からとったものであるのです。

  • ヴィニー・マース(Winy Maas、1959年 - )
  • ヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs、1964年 - )
  • ナタリー・デ・フリイス(Nathalie dVries、1965年 - )

ヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスはレム・コールハースの主宰する建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)の出身です。

 レム・コールハースは、1944年生まれのオランダの建築家。代表的な作品は、シアトル中央図書館(2004年)、カーサ・ダ・ムジカ (ポルトガル、ポルト、2004)などですが、私はこの両方を見に行っています。現在、中国中央電視台本部ビル (中国、北京、2004着工)が建設中です。



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手塚貴晴設計のキョロロです。

里山と自然と文化の魅力と不思議を楽しく展示する科学館という

コンセプトで建てられました。

手塚貴晴(てづか たかはる)は、1964年生まれの建築家東京都市大学准教授。
ふじようちえん(立川市)で2008年の日本建築学会賞を受賞しています。

今回の越後妻有では、
廃屋を改造してイタリアンレストランにする仕事をしています。
北川フラムのアートディレクションで、そのイタリアンレストランに、
彦坂尚嘉のウッドペインティング・シリーズの小品5点が飾られています。
(作品番号229)
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3つめが原 広司設計のキナーレです。
着物の歴史館や和グッズを販売する和装工芸館が設けられているほか、
風呂と休憩室が揃った温泉「明石の湯」があります。

原 広司は1936年生まれの建築家。東京大学名誉教授
2001年京都駅ビルで、ブルネイ賞建築部門激励賞。

越後妻有トリエンナーレの総合ディレクターである北川フラム氏と、
建築家・原広司氏は姻戚関係があります。
北川フラム氏の人脈の大きさと厚さが、この越後妻有トリエンナーレを
巨大なものにしているわけですが、
同時にその次元は、こうした巨大建築を建設すると言う、
《近代》特有の開発主義の性格を持っているのです。

 美術館関係者からは北川フラムが、アートゼネコンと陰口をきかれたのは、単なる豪腕のアートディレクションに対する嫉妬やねたみだけとは言えないものがあります。
 越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》というのは、過疎化と少子化で衰弱化した地方と言っても、田中角栄による列島改造計画の徹底化した地域であり、過剰にまで発達した道路とトンネル建設による驚くほどよく完備した道路網が完成している近代化された地域です。近代化の地域改造が完成した時に、人々の期待した幸せの幻影は消えて、若い人々はこの地を離れて、都会に出て行ってしまったが故に、越後妻有の地は衰退したのです。
 そこで政治スケジュールに入って来たのが平成の大合併でした。つまり越後妻有トリエンナーレの根本には、6市町村の合併と言う《平成の大合併》の政治目的が潜在していたのであります。
 日本の近代史は3回の《大合併》、つまり市町村合併の歴史です。まず明治維新による変革で、1988年の《明治の大合併》です。この市町村合併によって、伝統的な村は世界は解体されます。約7万あった村が、5分の1にされて,約15000にされたのですが、この変動は以後もすすめられて、最終的には7分の1の1万台になります。2度目が、敗戦による変革で、1953年から61年にかけて《昭和の大合併》が実施されて、市町村数は約3500にまで統合されました。江戸時代の末期の20分の1にまでなったのです。そして《平成の大合併》ですが、市町村の数は1760まで減って、つまり江戸時代の40分の1の数にまでなってしまったのです。
 住民の伝統的な生活世界の小さな7万箇の村世界を解体しつくして、アメリカの様に、車が無ければ生活が出来ない広大な《大地》の形成と言う、生活世界のアメリカ化という構造変動があったのです。
 近代化による改造の極限の地域に、現代美術を移植することが、越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》であったのです。『大地の芸術祭』という題名の中の《大地》は、江戸時代までの日本の伝統的な自然とそこでの人々の生活世界を意味しているのではなかったのであって、《大地》は、アメリカナイズされた《大地》なのです。この《大地》には、もはやかつての7万個の《日本の村》は無いのです。だからこそ、小さな山村は淘汰されて、過疎化と少子化は進み、住民の個数は減り、廃村に至るのです。
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 北川フラムの根底には1960年代末のアースワーク熱狂した感性が潜在していて、平成の大合併と言う里山のアメリカ化と、北川フラムの芸術観が共振を起こして、アメリカ型のアアースワークの日本語への翻訳と言うローカリゼーションの形式が、北川フラムのアートディレクションの根底を形成していたように、彦坂尚嘉には見えます。
 つまり里山の小さな世界を、巨大空間にスペクタクル化することが北川フラムの仕事であった可能性が、越後妻有トリエンナーレにはあるのです。実際、越後妻有トリエンナーレの作品は、スペクタクル・アートであるものが多いのです。
こうした2000年代の10年間のアートのスペクタクル化の幻影を押し進めた立役者として、北川フラムと村上隆という巨人が出現したのでした。

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村上隆の顔の《言語判定法》による分析   北川フラムの顔の《言語判定法》による分析

《第13次/喜劇領域》の《社会性の高いデザイン的人格》 《第6次元/自然領域》の《社会性の高いデザイン的人格》

《想像界》の人格                   《想像界》の人格

《シリアス人間》                   《シリアス人間》
《ローアート的人間》                 《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。            シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』                     『真実の人』


彦坂尚嘉の《言語判定法》での分析で見るかぎり、二人とも社会性の高いデザイン的エンターテイメント的な人格なのです。そして《シリアス人間》で、しかも「真実の人」であるという共通性があります。アートのスペクタクル化が、実はアートのデザイン化であり、幻影化であり、それがアートの社会性の増大であったことと、この2人のカリスマの人格構造は一致していたのです。

 2000年代というのは、こうして村上隆の時代であるとともに北川フラムの越後妻有トリエンナーレの時代であったのです。この二人の背後には1995年からのアメリカ社会の過剰消費の世界中への波及による『根拠なき熱狂』があり、そしてグローバリゼーションの中の自虐的で不快なセルフ・オリエンタリズムがあり、さらに日本の《大地》のアメリカゼーションがあったのです。

 私自身は美術家として、この越後妻有トリエンナーレ第一回から全ての回に参加して、Floor Eventシリーズを4回展開してきただけに、感慨深くこの北川フラムによる10年間の魔術的な夢を振り返らざるをえません。

 Floor Event/フロアイベントというのは、自らが立つ床そのものを直視すると言うコンセプトの作品だからです。日本の《大地》がアメリカ化したという事実を直視しなければならなかったのです。



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