会社は頭から腐る [日記]
会社は頭から腐る
2007年7月 ダイヤモンド社
1、
上記の本を、読んでいます。顔は《第41次元》から《超次元》まであって、人格的には信じられる人です。眼が開かれる面もかなりありますが、凡庸な面もおおくあります。しかし、ある根本駅な事で、何かが読み取れる所があります。
2、
画廊を閉じてしまった、古い付き合いのギャラリストと、久しぶりに電話で話しました。かなり話して、現在の状態を聞きましたが、大枠で言えば、日本のGDPがおちてきていることと連動していて、国内の美術市場は、大幅に縮小して来ています。この事態に、有効に切り込む方法を考える事が出来ない事が、良く分かります。一方で、金を稼いで来ているディラーの話を聞いていると、そういう人の行動パターンが見えます。そのことの指し示している事と、冨山和彦の現場の感覚は連動する面があります。
3.
同様の経済面の話を、何人かの人と話しました。その中にはギャラリストもいますが、結論的には、特に方針は考えていないという事です。美術界は頭から腐って来ていると言うべきなのか、あるいはもともとそういうもものなのかは、分かりませんが、とりたてては何も考えていないのです。
4.
実感としてあるのは、自分で考えないと、駄目だという事でしょう。他人の頭脳と連携して広がる面と、他人の頭脳は腐っていて、まったく頼りにならない事の2重性があるのです。美術市場の今後ということは、実はお金の問題ではなくて、それは同時に21世紀の新しい現代アートの獲得する構造と質の問題です。これについては、誰も考えていなくて、なにかがが腐っているのです。現在の美術不況の問題の根底にあるのは、芸術論なのです。自分一人で、思考するしか無いという気がします。結論を言えば、芸術論と反芸術論あるいは、商業主義と純粋芸術主義の同時表示の追求が、唯一の方法なのです。
夏のコタツはクーラー付きで冷たい [建築]
1
すでにこのブログでも紹介しているように、
建築系ラジオで、コタツ問題というのが起きている。
大杉哲也と伊藤友隆という若手の二人の作品が、実物制作で、ひどかったのです。たしかにひどすぎて、私なんかは無視するだけで、相手にするべきものではありませんでした。建築系ラジオから大事なお知らせがあります。アート・スタディーズと建築系ラジオによる越後妻有アートトリエンナーレの合同ツアー3日目の夜、山田幸司さんによる謝罪会見がありました。そしてある問題作をめぐり、通称「こたつ問題」の欠席裁判へ。建築系ラジオが送る「出会い系カフェ問題」以降、最大の問題作。今後のアイディアコンペのあり方の是非も含め、美術系と建築系のメンバーが混じって討議します。果たしてその行方は?(2008年8月11日、越後妻有津南エリアかたくりの宿にて)。
35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」
2
越後妻有トリエンナーレには、建築系の人も、かなり出品しているのですが、その問題です。松代の農舞台のある敷地の芝生の上に、大きな正方形のパネルが4枚くみあわされて、大きなパネルになっているのですが、その3つは何とかくっついているのですが、1枚が巧く合わさらないで、かなり大きな亀裂ができているのです。この亀裂は、大きなパネルを合わせる時の、不可避的な問題なのですが、しかしそもそも水平も出ていない芝生の上に、巨大なパネルを4枚置いて、それが巧く合わさると考えこと事態が、《想像界》の思考であって、その愚かさはどうしようもないものです。とても東大工学部の学生とは思えない無知さなのです。
こたつの動画を、木村静さんが、アップしてくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=vRHOf_fnnT0
3
アイディアコンペというのが、建築にはあるのです。彼らはアイディアコンペデ、賞金数百万円のものを、いくつも取っていると言う、東大工学部建築家の大学院かなにかの、カリスマ学生で、大スターなのでした。そのいくつ家を五十嵐たろうさんに見せてもらいはしたが、《想像界》の産物で、昔のオルデンバーグの、大きくすれば現代美術的なアイディアのものでありましたが、奇妙なシニフィエ(記号内容)だけを指し示している軽さがあって、人を魅了する力があるのです。
こたつのさらなる偽造疑惑。
ツマリのHPの彼らの作品のCGは、下部がカットされています。
確かその部分には、穴があったのではないのでしょうか。
できなかったから、トリミングなんでしょうね。
http://www.echigo-tsumari.jp/2009/artworks/index.php?id=518
山田
architecture_database
http://d.hatena.ne.jp/arch-database/20090816/p1
最近のコンペの結果を見ていて、ラジオでも言及されていますように時代の流れとしてSANNAの両名や石上純也氏といった抽象的な空間が好まれてるなぁ、と思っています。アイデアコンペのような紙媒体の提出物のコンペでは表現はそこで評価されればいいと思いますが、現実に建てるものにおいてはそれがどのように実現されるのかという点まで考慮されるべきだと思います。(この点はラジオでも言及されています)
学生の努力、図面と実物の乖離、それが問題なのか?
で、ラジオではこの後、このアート作品の設計者は努力したかどうかといった話につながっていくのですが、ここでは違う話に移していきます。
少なくともこれは「努力」というテーマで語られる話ではなくて、東京大学という日本の最高の大学においてでさえ建築教育ができていない、と捉えるべきなのではないかと考えます。「建築」は図面を使って表現する「人・こと」と現場にて実際に作る「人・こと」を分けていることにより成立しているわけですから、この問題は大学ではその図面と実物の間のズレがなくなるように建築教育がされていないということを表しているといえます。また、それを選んだ審査員に関しては「建築」を見る目がないと評価されてもおかしくないでしょう。もし、この作品を選んだのが建築家の方でしたら、この審査結果がその人の作品の評価にも影響を与えるはずです。五十嵐氏は「この学生は表現がうまい」「抜群に目を引く」と言っていますが、この作品のどこに応募者の「建築」に対する考えや姿勢を見出したのか、プレゼンのどの表現を建築として良いと思ったのか、その点を語るべきだと思います。
審査員としての資質とは
「みなさんこの案を一等にすることが、どういう影響を与えるかを考えてますか?」
何年か前にせんだいメディアテークで行われた卒業設計展で一等を決める会議の間にある審査員の建築家が言われた一言だったと記憶しています。この「どういう影響」というのは、もちろん今後の学生に対してということだと思いますが、その作品を一等に押すということが、その判断をくだした建築家の建築観を表しているという意味もあるはずです。
このラジオ収録は欠席裁判で、制作者たちがいないところで笑い声まじりで行われてます。おそらくその笑い声は、「自分たちは関係ない」ということを意味するのだと思いますが、僕は一番に弾劾されなければならないのはこのアートのコンペに参加した建築側の審査員でないかと思います。
ぜひ、石上純也氏や大西麻貴氏の作風に似てるということではなく、そのコンペの応募案のどこに「建築」なるものを見出したのか、その説明が行われることを期待します。
4
模倣の連鎖も指摘されています。
一番早そうなのはNY GIRLさんの指摘のプレイという美術系のグループのベンチという作品のものです。
ザ・プレイのベンチという作品、1971年です。
コンセプトも「その上で人々が出会い、 休息し、通り過ぎるための場」で、こちらは、上で楽器を演奏したりもしています。
これもやはりとても似ていると思いますし、
机の上を歩けるというものの
一番最初に出てきたものでは、
中山英之さんの2003があります。
五十嵐
僕がすぐに似ていると思った
2006年のシェルターコンペの第一位案、
大西麻貴さんの「大きな食卓」です。
みんなのこたつは、
この後ですよね。
《想像界》の持ち方が、美術系と建築系ではずいぶんと違うと言う印象を受けました。もともと建築家と美術家では、同じ制作者でもずいぶんと違うのですが、その違いが何処にあるのかが、今まで良く分からなかったのですが、今回のイメージデッサンを見て分かった事は、建築のデッサンには人形が描かれていて、人間社会との関係というのが軸でイメージされているという事でした。つまり制作する作品が描かれているというよりも、それが制作される事で、作りだされる人間の関係の仕方を描いているのです。つまり人間関係を制作していて、人間から独立した作品存在というものではないのです。
つまり作品そのものを制作すると言う、そう言う視点が、無いのかもしれないと思いました。
日当りの良い部屋/斎藤ちさとさんのM7での展示 [気体分子ギャラリー]
斎藤ちさとさんのM7での展示
1
斎藤ちさとさんの気体分子での展示を、矢野まきさんの展示スペースであるM7でやっています。きれいな空間と、矢野まきさんの感性が、ほしかったというのが、彦坂の意図でした。矢野まきさんの感性というのは、彦坂尚嘉が持っていないものなのです。それと前回の伊東直昭さんとは違う場所で開催したかったというのがあります。
http://yanomaki.jp/MAQUIARTO/E/M7.html#../images/artists/chisatoSAITO/Chisato_SAITO_1105_9920.jpg
2
M7は、「深川いっぷく」ゆ「深川ラボ」のある、東京都現代美術館への道沿いにあります。この東京都現代美術館の存在と言うのが、やはり大きな意味を、集客という意味で持っています。ここには最近赤々社という写真出版の画廊も出来ました。「深川いっぷく」「深川ラボ」そしてM7、さらに気体分子ギャラリーという4者の組み合わせが、アーキテクチャーとしての有る方向を持ちえれば面白いだろうとは思うのです。しかし、気気体分子ギャラリーそのものは、この様な場所性からも、浮遊したいとは思っています。
3決して広いスペースではありませんが、ビルの7界にあって、明るいペントハウスと言うような、ビル最上階の広がりがあります。矢野まきさんは、ロンドンのササビーズに留学をしていた方で、玉田俊雄さんのタマダプロジェクトにも勤めておられました。先日はシャネルのモバイルアートの時に、広報の仕事もしておられました。そう言う経験からも視野が違うのです。矢野さんを、買いかぶるつもりはありませんが、しかし彦坂尚嘉とは違う頭脳を持っている事が、刺激になる人です。
4この展示で、注目すべきなのは、斎藤ちさと作品のクオリティの高さと、もう一つは額縁の、作家解説と作品解説をつけた窓のある事です。額のこの作りに、実は想像以上の手間がかかって、やり直しを三回するはめになりました。それで感じたのは、これほどに大変なのなら、スタイルに也うるという事です。他人がそう簡単にはマネが出来ないからです。この苦労も、普通なら彦坂尚嘉は途中で挫折しているのですが、矢野まきさんと斎藤ちさとさんという他者がいるので、踏ん張ったのです。一つの敷居を超えたという思いがあります。それは額縁を装置としてみる見方です。