初音ミク(加筆3校正1) [アート論]
《想像界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第21次元》だけの《真性の芸術》
《想像界》だけの表現
プラズマだけの表現
《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の表現
理性脳だけの表現
《芸術》は無い。
《反芸術》は無い。
《非芸術》は無い。
《無芸術》は無い。
《世間体のアート》は無い
《形骸》も無い
《炎上》である
《崩壊》では無い。
《想像界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第16次元》だけの《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
プラズマだけの表現
《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエ(記号内容)の表現
理性脳だけの表現
人を見るという事/コメント欄での応酬(加筆2) [告知]
祭りの後 [状況と歴史]
個人メールで私の作品について感想をいただきました。
彦坂様
○○です。
本日も貴重な機会をありがとうございました。
○○○は、適切なことであるのかどうか、昼まで悩んだのですが、
彦坂さんの実際の作品を見てもらいたいと思い、
あと、アートフェアなどに行くのもはじめてなので、ものは体験ということで、
一緒に行きました。
突然すみませんでした。
以後は、○○○というのは控えようと思います。
わたしが集中できないので。
○○は
「ヒコさんの作品は、実際に見るとかわいい」と言っていました。
(○○もブログを読んでいます、わたしほど熱心ではありませんが(笑))
わたしもはじめて見たとき、似たような感想を抱きました。
暖かみがあるし、人間味があるように感じるので。
今感想を聞き直しました。
「(会場で)いろいろ見てると、社会構造のしがらみを感じてげんなりしてくるけれど、
ヒコさんのは、その外側にあるものに見えた」だそうです。
ほんとにそうですね。
(それが褒めていることになるのかは分かりませんが)
あの会場の中で、わたしは吐き気を感じました。
あんなにたくさんあるのに、心が躍るような、
かすかでも元気をもらえるようなものが、ほとんどなかったですから。
でも、彦坂さんのからは、風というか、、そういうのを感じました。
ウッドペインティングの青いやつは、いつまででも見ていたい青でした。
あとは、阿修羅のが好きでした。
けれど、値段がアレなので。。。。(笑)
「ポスターでいいよ」とか「イラストじゃん」とか、「職人仕事じゃん」と
言いたくなるものがたくさんあって、ちょっと驚きました。
ああいうことになってるのですね。
現代アートの「売り物」を、あんなにたくさん見たことなかったのです。
欲望と人間関係がうずまいているようで、息苦しかったです。あの大きな空間が。
彦坂さんはああいう中で闘っていらしたんだなあ、と思いました。
でもきっと、昔は少し事情が違ったのかもしれませんね。
正直、大変だなあ、と思いました。
ああいう中で、気体分子ギャラリーをやるのは、大変だなあと思いました。
正直ですみません(笑)。
でも、逆にわたしは「温度」のある作品と、その作者さんたちに触れることができて、
幸せなんだな、と、すごく思いました。
普通の大きな美術展にばかり行っていた者の感想です。
皇居美術館のチラシもできてよかったですね。
紙が厚くて、がんばったな! と思いました(笑)。
出版が楽しみです。
早く読んでみたいです。
それでは、取り急ぎお礼と感想でした。
あと2日、体調気をつけてがんばってください。
追伸:本日、「○○○○」が届きました♪
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感想をありがとうございました。
《近代》という時代は、
2つの世界が成立していて、
自由主義圏では、純粋芸術=前衛美術が成立し、
もうひとつ社会主義圏では、社会主義リアリズム=凡庸アートが
成立していたのです。
ところが1975年にアメリカがベトナム戦争に敗れると、
純粋美術は退潮して、。ニューウエーブという形で、
《想像界》の美術が復権して、不純主義の美術が台頭します。
さらに2001年にソヴィエトが崩壊すると、
社会主義リアリズムとしてあった凡庸アートが、
世界中に広がって行くのです。
今回のアートフェア東京2010は、
この不純主義と、凡庸アートでほとんどが占められていて、
スターリンがいたら、大喜びするような分かりやすい展示と
なりました。
《第6次元 自然領域》と《第8次元 信仰領域》が大半で、
その中にかすかに《第1次元 社会的理性領域》の作品が
あったという状態でした。
一般に《第8次元 信仰領域》のものが商業主義の中では増大する
傾向があるように思います。
それはレンタルビデオ屋でも感じる事です。
しかしだからこそ、今回のアートフェア東京でも、驚くほどの大衆が
やって来て、混雑の日々となりました。
この不景気に、買いもしない人びとは、何のために来ているので
しょうか。
実は、《近代》が終わった時に、ということは
1986年ぐらいからなのですが、
巨大建築が建ち始めた時期から、文化の大衆化が、
さらに進展したのです。
文学においても、映画においても、美術においても、
スポーツにおいても、
グローバリズムと、商業主義と、そして巨大化、大衆化が、
爆発するように展開して来ます。
その中で、プライマリーギャラリーが主導した時代は終わるのです。
それは同時に批評の終焉でありました。
オークションと、アートフェアが台頭して、芸術を、大衆が決定する
ような時代に変貌したのです。
その代表的なアーティストがジェフクーンズでした。
株屋上がりのアーティストで、イメージ戦略を意識し、
大衆の理解できるイメージを、高度で大規模な技術で成立させた
作品は、グリンバーグが否定したキッチュを再評価して使用した
新しい時代のアートであったのです。
このジェフクーンズを摸倣したのがダミアン・ハーストと村上隆で
した。
こうして新しい前衛美術と社会主義リアリズムの統合された現代アート
が成立すると、実は何でもありの状況になって、
純粋芸術はあっというまに退潮したのです。
アートフェア東京2010年にあった猥雑さは、
大衆美術の猥雑さと言えます。
しかし《近代》にあった純粋美術の前衛性を知っている者にとっては
この交代劇は、ある種の必然に見えるのです。
文化も政治も、大衆凡庸主義が占拠してくる時に、
これを避ける事に、あまり私は意味を感じないのです。
つまり大衆主義から見を引き離すにしろ、貴族主義に隠遁してみても、
あまり成果が上がらないように思います。
彦坂尚嘉がめざすものは、大衆主義から身を引き離しつつ、
この大衆主義=凡庸普遍主義=自然的態度との格闘を、
試みていく事です。
つまり貴族主義と大衆主義の統合化の模索です。
それはサントーム・アートと言えます。
新国立美術館や東京都現代美術館など、美術館の巨大化は、
美術作品の巨大化を要請するとともに、集客性を要求しているのです。
もはや大衆という観客の存在を、単純に切り捨てるだけでは、
芸術を成立させ得なくなったのです。
安いですが6点売れました。 [日記]
《超一流》の美術作品を集める皇居美術館(2) [アート論]
皇居美術館建設という主張は、これでナショナリズムを鼓舞しようとしているわけではありません。むしろローカリズムです。グローバリゼーションが拡大していくときに発生するローカリゼーション、進歩があれば退化があるという原則がありますので、グローバリゼーションが進むならローカリゼーションもある。その両方のバランスを取らないと、自分たちの個人性というか個別性を失うわけです。ですから、海外にたくさん出て行って、大きな美術館でヨーロッパ美術のいいものを見る事はいいと思います。アメリカ美術の良いものを見るのもいいし、中国に行って本物を見るのもいいのですけれども、日本国内で日本美術の優れたものを見られる場所がないという現実の冷酷で貧しい事実を忘れてしまうと、単純なアイデンティティすらも取れなくなります。根無し草のニセモノの人間になって、ただのゴミのようにしか生きられなくなる。私たちはある種の日本という言語共同体の運命の中を生きているわけです。何も好き好んで日本人に生まれたわけでもありませんし、日本という島国に生まれたわけではないのだけれども、それはひとつの運命ですから、自分の運命性みたいなものとして、日本美術の《超一流》性をきちっと、自らの足元として見て自覚する必要があるわけです。
その自覚性を欠いてしまうとただ外に出ていってグローバリゼーションの中で翻弄されてまあ消費されて消えてしまいます。そういう事に抵抗しようとすれば、皇居美術館を建設しようと言うローカリゼーションの動きというのも、それは保守反動的な思考かもしれないですけれども、しかし無意味な欲望では無いだろうと思うわけです。
で、もう一人は先ほど書いた墨の豚と言われた富岡鉄斎です。富岡鉄斎は、耳が少し不自由な画家ですが「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘にして実践した偉大な画家です。
ふたりとも中国美術の影響が強い作家です。靉光ですと宋元院体画というものに大きな影響を受けています。富岡鉄斎は中国元明時代の古書画を模写して学んだ小田海僊に教えを受けているので、元や明時代の中国絵画の影響を受けているのです。
中国の場合、美術家には二種類あります。ひとつは士太夫といって高級官僚です。軍人と文官という普通の官僚の偉い人で、それらが文武両官で、彼らが支配者層ですが、絵を描くのです。自分たちが教養があって、偉いという事を見せつけるために、絵を描く。それが文人画といわれるものです。もう一方は、宮廷が存在しますから、当時は宮廷の美術装飾品をつくっていく画院というものが当時ありました。
中国画家で一番有名な一人は、北宋の范寛で、范寛の山水画は超一流の絵画で、台湾の國立故宮博物院にもあって見る事ができます。
李成も《超一流》の風景画です。郭煕も超一流ですけども、大和文華館で、この二人が作った李郭派山水画の展覧会が開催されています。私も見にいっています。もっとも李成と郭煕は同時代人ではなくて百年ぐらいの時代差がありますので、「李郭派」というのは、日本で言えば琳派というようなものであって、《系譜的流派》なのです。
中国は政治性が非常に強い大国家で、《第一次元 社会的理性領域》というものが強いようで、美術作品も《一流》に抑制されていて、社会的理性領域を超える事がむずかしいようなのです。
私は中学生の時から東京国立博物館で古備前派の包平の大包平(おおかねひら )などの国宝の日本刀を見て来ているから、日本刀を鑑賞する事には違和感はまったくないのです。一応日本刀の先生が私にはいて、太田丈夫さんというマニアですが、彼に教えてもらっています。しかし今日の現代アートの作家たちは、ほとんど見向きもしないのです。
刀剣 太刀 銘備前国長船兼光作 14世紀
刀剣 太刀 銘国行(山城) 東京 藤沢家 国宝
刀剣 太刀 銘奉納八幡宮御宝殿北条左京大夫平氏綱 相州住綱広 作
刀剣 太刀 銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光
刀剣 大太刀 銘備前国長船兼
刀剣 太刀 銘宝寿
刀剣 大太刀 銘備州長船法光生年三十三
刀剣 太刀 銘来国光
刀剣 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗麿上 本阿(花押) 東京国立博物館
刀剣 太刀 筑州住左
刀剣 太刀 銘備前国包平作 東京国立博物館 国宝
刀剣 刀 銘奉納接州住吉大明神御宝前 大阪 住吉大社 重文
刀剣 太刀 銘一 静岡 矢部家(矢部利雄) 国宝
刀剣 短刀 銘山城国西陣住人埋忠明寿 東京 古河家 重文
坂上・刀剣の次いでに、鎧はどうなのですか?
鎧 南蛮胴具足 栃木 日光東照宮 重文
鎧 仁王胴具足 東京国立博物館
坂上・徳川家康って、西洋鎧をきていたのですか! でも、これって芸術なのですか?
しかし、《世間体のアート》、そして《非芸術》《無芸術》といった《ローアート》も芸術として認めれば、着物や鎧も芸術として鑑賞されるのです。
実際、たとえばメトロポリタン美術間では服も西洋鎧も展示されています。同様の事は多の他の美術館でもいくらでも見られる事です。
着物 紺・緋羅紗袖替り陣羽織 山形 上杉神社 重文
着物 菊水文様小袖 国立歴史民俗博物館
着物 滝に受鉢菊文様小袖 国立歴史民俗博物館
着物 片身替鉄線扇面模様縫箔 東京国立博物館
着物 金銀欄椴子等縫合胴服 山形 上杉神社
坂上・能衣装の話が出たついでに、能面はどうですか。
面 小面 雪の小面 京都 金剛家
面 伎楽面 呉公 奈良 正倉院
面 伎楽面 冶道 東京国立博物館 重文
坂上・陶器は国宝が数点しか無いと聞きましたが。
陶磁器 色絵橘文大皿 鍋島 静岡 MOA美術館
陶磁器 本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「雨雲」 三井文庫 重文
陶磁器 本阿弥光悦 白楽茶碗 銘「不二山」 サンリツ服部美術館 国宝
そういうわけで、《超一流》と、その倒錯領域の《四十一流》の日本美術を集めてみようと考えて、それらを皇居美術館に展示しようというアンドレ・マルロー的な空想の美術館を構想したのです。
アンドレ・マルロー(1901〜1976年)というのは、フランスの作家で、政治家です。マルローは、印刷複製による画像によって、美術作品が場所や時代、そして大きさの違いを超えて、違う関連性を見せてくれる新しい知的な広がりを評価して『空想の美術館』と名づけたのです。
皇居美術館というプロジェクトは、このマルローを引き継ぎつつ、皇居に巨大美術館を建築したとする空想が見せる広がりを提示したものです。そういうわけで《超一流》の日本美術館というのが『皇居美術館』です。ですから、日本美術全集として《超一流》の画像を集めて一冊の本にしようと構想したのですが、一冊が四万円もの本になるというので、出版企画としてはこの厳しい時代には無理で、とりあえず本書のような書籍になったのです。
その世界版で、世界の美術の中から《超一流》の名品を集めた美術館=美術全集が「帝国美術館」というものです。これも基本的な複製画像は集めているのですが、これも美術全集集として編纂して出版するのは、むずかしい情勢です。
この両者は、美術の善し悪しを《超一流》を基準にして再度洗い直すと言う美術史批評的なコンセプチャルアート作品なのです。
アートフェア東京2010の初日VIP内覧会 [日記]
アートフェア東京2010への出品作品画像 [作品と展示]
彦坂尚嘉が出品します。
8号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:4.5000円
彦坂尚嘉 皇居美術館シリーズ/鳥獣戯画幻視
8号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:4.5000円
彦坂尚嘉 皇居美術館シリーズ/金閣寺幻視
8号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:4.5000円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:5万円
8
彦坂尚嘉 皇居美術館シリーズ/餓鬼草紙幻視
10号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:5万円
彦坂尚嘉 皇居美術館シリーズ/那智の瀧
10号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:5万円
10
彦坂尚嘉 皇居美術館シリーズ/雪村幻視
10号F
油性顔料系出力 顔料マーカー キャンバス(ポリエステル) 木製パネル
価格:5万円
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彦坂尚嘉 ウッドペインティング/青緑の愛
約10号F
533×425×92㎜
価格:28万円
約28号
850×728×78㎜
価格:45万円