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小嶋一浩の建築 [建築]

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小嶋一浩氏の建築への、彦坂尚嘉的な簡単なメモです。

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》、《象徴界》の眼でも《第6次元 》
いかし《現実界》の眼で、《超次元》から《第41次元》まであります。

つまり《現実界》だけの建築なのです。

しかし《原建築》《建築》《反建築》はありません。
《非建築》《無建築》《世間体の建築》があります。
今日的ではありますが、建造物に過ぎないと、私には見えます。
すぐれた建築芸術とは思いません。

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香典 [日記]

最新ツイート:明日は針生一郎先生の葬式。多摩美術大学で実際には教わってはいませんが、一応恩師の中に入るでしょう。長いおつきあいであるのは確かですが、憂鬱な気分になっています。香典を持って行くのが嫌なのです。金が無い貧しさもありますが、針生一郎さんに書いてもらってもいない。香典無しで行くか!
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1円オークション [気体分子ギャラリー]

もうすぐ、マキイマサルファインアーツの山本藍子個展が終わって、
藤沢の気体分子のギャラリーでの、
日本画の初期作品の回顧を中心とした展示になります。

画像をうまくアップできなかったのは、
コンピューターの調子が悪くて、無線LANでは、
数がある画像のアップが思うようにできなくて
嫌になって、私がふて寝したせいなのです。

それと、いろいろなところが、山本藍子さんとは、
かすかにずれていて、
オークションをする気分にはならなかったというのがあります。
申し訳ありません。
コレクターのみなさんには、お詫びします。

そういう失敗の中で良く分かった事は、
オークションをするには、
かなりうまく組み合わさる作家と彦坂尚嘉が合同しないと、
出来ないという事です。

山本藍子さんは、この展覧会が決まった後に、
就職の話が来て、今時ですから断れなくて、
春から中学の美術の先生に就職してしまって、
実は作品を売る事には消極的になったのです。

山本藍子さんは、美術界という分けの分からないものの視線を
気にしているので、
《村》的であって、
《帝国》的なものを理解してくれないのです。

私自身は、《村》には興味が無いし、
《近代国家》の空間からも、遅まきながら脱出を目指したいのです。
ネグリ/ハートの『帝国』から、大きな影響を受けているのです。


ですから、山本藍子さんの気持ちは理解しますが、
その気持ちを尊重するのは良いのですが、そういう作家と
オークションを一緒にやって行くことに耐える体質が、
私にはないのです。

私にまかせると言いながら、私のつけた作品の値踏みに、
文句をつけられると、私はその抗議をはねつけはしますが、
作品を売る気分にはならなくなって、
ブログへの写真のアップをする努力に耐えられなくなる。
そしてコンピューターも動かないのを良い事に、
ふて寝をしていたのです。

嫌だという安い値段で売るわけにもいかないでしょう。

ブログを書く事も、労働としては大変ですから、
不信感ももたれれば、
そういう苦痛に耐えたく無くなるのです。

マキイマサルファインアーツも貸し画廊で、
古い体質で、それはそれで尊重はしますが、
私自身は、こういう古さとすりあわせて調整をすることは、
過去にたくさんの闘争をしてきていて、そういう記憶がじゃまして、
とても話し合う気になれないのです。

とにかく、争わないで、やり過ごしたいと言うだけなのです。

ですからマキイマサルファインアーツでは売る努力をしないで、
気体分子ギャラリーで売るというような、
こすいことを考えているのではないのです。
マキイマサルファインアーツの佐藤さんは、もしかすると、
そういう疑心暗鬼に捕われているのかもしれませんが、
そんな馬鹿げた姑息なことをする為に、彦坂尚嘉が、
気体分子ギャラリーの活動をしているのではないのです。

時代を超え、新しい可能性を切り開く為に、最後の聖戦を戦っている
のであって、理解してくれない人とは、争いもしませんが、
一緒に戦う事は誘いません。
分かれて行きます。

一期一会です。

真剣に未来に賭けない人とは、浅く付き合いたいのです。

山本藍子さんの作品も、人柄も面白いので、
楽しんで展覧会をやって来ていますが、
売る努力に全力をかける気分にならなかったのです。

コレクターの人々に、全力で、作品を投げて行くという事は、
それなりに、スッキリとした自信と気分がないとやり得ないのです。

古い『芸術至上主義』に捕われている作家と争いながら、コレクターと
向き合うだけの根性が、私には無いのです。

プライマリーギャラリーの時代は終わったのであり、
古い芸術至上主義の時代は終わったのです。
今、重要なのは、村上隆さんの主張した芸術起業です。
アートビジネス至上主義が重要なのです。
それは同時にフリーアート至上主義でもあります。

アートビジネス至上主義とフリーアート至上主義は、
背中合わせです。
そしてそこに1円オークションが出現します。

もっとも、最初は、1円でオークションするのは、
原価の低い水彩やドローイングなどの紙の作品です。

紙の作品とは言っても、
1円でオークションをやり続けるのは、
根性がいります。
信じられなければ、続きません。

価格の自由。
そして批評の自由が、真剣に追求される必要があります。

未来を切り開くのは、
新しく登場して来たアートのパトロネージなのです。

コレクターを信じて、
そのコレクターに向けて、
売れても売れなくても、作品を作って投げて行く。

売れなくても、死ぬまで作品をつくり投げ続ける根性が重要なのです。

1円オークションと、
毎日オークションを実現したく思います。

毎日作品を制作し、そしてコレクターに向けて発信する。
そういうスタイルを実現したいのです。
つまり制作の現場と、オークション市場を直結するのです。

それがどんなに小さくても、
この可能性を切り開きたいのです。

ここに、絞り込む過激さを、
1円オークションとフリーアートに夢想するのです。

ですから中学校の教師で稼ぐ山本藍子さんとは、
道が違うのです。
私の求めるのは、ハングリーなアーティストです。
飢え死にを覚悟の作家だけが、
この芸術道を歩めるのです。

命をかけて作品を作るのが、
新しい芸術起業のアートビジネス至上主義なのです。

ですから、まず、彦坂尚嘉が自分の制作をして、
自分の作品を売る努力をする方が、
理解してくれない作家と争うよりも気分がいいし、
楽しいし、コレクター諸氏に責任が持ているのです。

ですから、気体分子ギャラリーが、積極的に売って行く作家というのは、
ハングリーであることと、
私との信頼関係が持てる作家に絞り込んで行きます。
そういう作家の作品には、『アートの格付け』をします。

深い信頼関係が持てない作家の展覧会も、
評価できる作品を作っていればやりますが、
それはオークションはしないで、普通の美術展にします。
『アートの格付け』もしません。
格付けをするのも労働であって、苦痛なのですから、
さぼれる所は、さぼりたいのです。

それほどにオークションをやって行く活動は、
新しいし、頑張らないと出来ないのです。

《近代》という時代は、芸術至上主義の時代であって、
作品を売らなくても良いというイデオロギーの時代でした。
それはしかし虚偽であったのです。
モダンアートにあっても、実は作品を売る事が重要であったのは、
『ギャラリーゲーム』(淡交社)という真面目な研究書が明らかに
しています。

そういうわけで、
山本藍子の日本画回顧展と同時開催で、最初の1円オークションを
いたします。
自分の作品には『アートの格付け』はします。
1円だからと言って、いい加減なものはだしません。
ふるって入札をお願いいたします。

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瞬間風速2位 [告知]

[aw-ml]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお知らせいたします。
---
美術界のみなさま

瞬間風速に過ぎませんが、
今、2010年5月30日19時43分の時点で、
アマゾンのランキングで、2位になりました。

アート・芸術のランキングで『空想皇居美術館』が2位になったのです。

その前は最高位4位を記録して、その後落ちて、上下を繰り返していて 
いました。

芸術一般のランクでも6位。
本のベストセラーで4,661位です。4桁代になったのは初めてで 
す。

タブーに触れた本ですので、嫌われるというか、避けられてしまうもの 
ですが、
10年かけて、それなりに真面目に取り組み、
不可能というのが、入校1週間前にも言われていたのが、
朝日新聞の担当者高橋伸児氏と、デザイナーの川名潤氏、そして彦坂尚 
嘉が、
1週間ほとんど眠らないで入校に滑り込んだのです。

出版出来ただけで奇跡という本です。それほどにタブーに踏み込んで作 
る事は
大変だったのです。

明日、5月31日の毎日新聞夕刊の文化欄にささやかにですが、紹 
介されます。
これも急な話で、残念ながら私の顔写真は、私が立教大学大学院で教え 
ていて入れられず、
五十嵐太郎さんの顔写真で掲載されます。
しかし、この本が成立したのは五十嵐太郎さんをはじめとする建築の 
人々の評価と理解の
たまもので、正確には五十嵐太郎さんの本と言うべきものです。

美術界からは無視しか出来ない本ではありますが、
今日の美術状況に深く関わった本ですので、立ち見だけでもしていただ 
ければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

彦坂尚嘉
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---
なお、投稿者は本メールの送信者欄に表示されている方です。


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特集展示/岡崎乾二郎 [建築系美術ラジオ]

建築系美術ラジオ

特集展示|岡﨑乾二郎

収録日時:2010年02月21日
収録場所:東京都現代美術館/江東区
収録時間:28分25秒
ファイル形式:MP3形式
ファイルサイズ:13.0MBPLAY出演者:新堀学+栃原比比奈+田嶋奈保子+彦坂尚嘉+天内大樹

東京都現代美術館・常設展示室での「特集展示|岡﨑乾二郎」(前期:2009.10.31-2010.04.11/後期:01.26-04.11)の批評です。新堀さんは「TO邸」における建築家・長田直之さんとの「協働」に着目。海市展(NTT ICC、1997年)や奈義町現代美術館などから、文脈に介入するアーティストという岡﨑さんの特徴に言及されまます。一方「あかさかみつけ」シリーズや絵画作品において、同一の形態やタッチに異なる色彩やタイトルを施す岡﨑さんの手法に対し、装飾やインテリアを超えた「絵画としての造形」を問う美術家陣。展示会場のコントロールは美術家の戦いだという彦坂さん。「建築系美術ラジオ」第2回収録シリーズです。(D. Amanai)

*番組中思い出せなかった名前は「Atopic Site + On Camp/Off base」展(東京ビッグサイト、1996年)と、画面に白いタッチを施す画家ロバート・ライマンです。

・出演者プロフィール
新堀学(しんぼり・まなぶ)
1964年生まれ。建築家。安藤忠雄建築研究所を経て、新堀アトリエ一級建築士事務所主宰。NPO地域再創生プログラム副理事長。「明月院桂橋」「小金井K邸」 「天真館東京本部道場」「松田邸」など。著書に、『建築再生の進め方』(共編・共著、市ヶ谷出版、2008年都市住宅学会賞受賞)「リノベーション・スタディーズ」(共著、INAX出版)「リノベーションの現場」(共著、彰国社)。

田嶋奈保子(たじま・なほこ)
1982年生まれ。05年武蔵野美術大学/工芸工業デザイン学科ガラス専攻卒業。03年「メランコリア」展パフォーマンス、04年This Gray(AURORAパフォーマンスユニット)出演。同年個展「Float Dream」(Pepper's Loft Gallery)、05年「あんにゅいか」展(喫茶シントン)、08年「燃えゆる家」展(深川ラボ、個展とロングヘアーパフォーマンス)。「燃えゆる家」を主題に絵画、パフォーマンス、ガラス作品を展開。 

栃原比比奈(とちはら・ひいな)
1977年生まれ。2001年多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。2000年より中野区の知的障害者施設のスタッフとして、ダウン症や自閉症、重度の知的障害者などが絵を描くプロセスと作品を研究。2001年よりサンエックス(株)勤務、2004年退社。2010年彦坂尚嘉アトリエ(気体分子アトリエ展)、ギャラリー山口にて個展。

・関連項目
東京都現代美術館
岡﨑乾二郎
長田直之

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《形骸》について [アート論]

 無線LANを使っていたのですが、一番安い機械を買ったせいか、
このブログを書く時のスピードがあまりに遅くなって苦しんでいたので
す。研究の結果、無線を止めて有線でつないだ所、スピードが回復
しました。

《形骸》について

100円ショップに売っている様な雑貨類は、《形骸》品であると言えるのでしょうか?
同じ様な問題ですが、コンビニエンスストアーのマニュアル通りのしゃべり方で「ありがとうごじました」と言われる時の腹立たしさというのも、挨拶の《形骸》化であると言えるでしょうか。

DSC02420.JPG.jpeg
 
しかし同時に、機能だけあれば良いのであって、精神や生命は要らないという主張もあるのです。
 
つまりこれらには《機能》としては、有用性があるのですが、その有用性という骨格だけであって、その中に生命や精神が欠けているのです。
 
《形骸》という言葉で、私が語って来たものが、
何であるのか、ようやく、少しより厳密になってきています。
 
昨日はフランフラン(FrancFranc) というインテリア/雑貨のショップ
に行って来たのですが、ここの美しくかわいらしい雑貨を見ていると、
この《形骸》という言葉に対応するものを見いだしたのです。

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つまり私が《形骸》という言葉で対応させていたものは、
決して「百円ショップ」に並んでいるような安物というのではなくて、
お洒落で、付加価値をもったデザイン製品も含まれることになります。
 
《形骸》化しているのは100円ショップだけの問題ではなくて、実は産業化社会の最初から、量産品にはついてきた問題でありました。
 
今日では高い品質のブランドとして信じられているシャネルにしても、シャネルの5番という香水は人工香水であって、本物の香水の《形骸》から始まったし、シャネルの宝石は、偽物の宝石から始まったのです。
 
もともと産業革命そのものが、《形骸》の発生源であったのではないのか?
 
いやそれ以上に、書き言葉を発明した文明にこそ、人間の生命を《形骸》化する起源があったのではないのか?  
少なくともこのことを老子は指摘しているのです。
 
つまり文明が進むことは、《形骸》化の進展として現れるのです。それは機能や有用性の拡大と引き換えに、本来の人間生命の意味や精神を《形骸》化して行く。さらにはその《形骸》化を引き受けることによってのみ、新しい文化を生産しえるという、こと。
 
つまり《形骸》という言葉から始まったにしろ、
他の言葉に置き換える必要さえある概念装置であると言えるのです。
そこで簡単に連想できるのは《レプリカ》とか、
《イミテーション》という言葉の連想です。
 
《形骸》という言葉を、広辞苑という辞書で引いてみると、
次のようにあります。
 
「①からだ。肉体。むくろ。生命や精神のないからだ。建物のさらされた骨格のみ。②中身が失われ外形だけのこっているもの」
 
100円ショップに並んでいるチープな雑貨類というのは、取りあえず使用する機能としては役にたつので、機能とか使用価値という面で見ると《形骸》とは言えないものであるはずですが、にもかかわらず彦坂尚嘉の《言語判定法》では、「形骸」という言葉に対応するものです。
 
つまりこの場合で言うと、《機能》という部分が広辞苑の定義にある「からだ」とか「骨格」というものに対応していると考えられます。そこで、次のように言い換える事が出来るのではないでしょうか。
 
《形骸》の拡大的意味
 
「①機能。使用価値。有用性。生命や精神のない有用性や使用機能。有用性のさらされた機能のみ。②中身が失われ機能性、有用性だけのこっているもの」
 
つまりそれはロボット的なものであるのです。「生命や精神のない有用性や使用機能」というのは、ロボットによる作業や、あるいはコンビニエンスストアーでのマニュアル通りの挨拶がもっている腹立たしさを示しているのです。
 
レストランでいうとサイゼリアの食事の様なものです。サイゼリアのメニューは驚くほどに安い値段です。食べている時は、安さの割にはましな食事に思えるのですが、終わって外に出てくると、異様なまでの軽さや空虚さにとらわれて、食事の中身が無かった事に気がつくのです。

saizeriya.jpg
 
このような《形骸》性というのは、何なのでしょうか?
 
逆に言えば、形骸化していないものの、「生命や精神」に満ちたものとは何なのでしょうか?
 
例えば、飛行機で東京から四国に旅行に行きます。そうすると1時間ほどであまりに簡単についてしまい、どこにいるのか分からないといった空虚感にとらわれます。
 
飛行機を使わないで、新幹線で行くと、それなりの時間が使われて、四国大橋を汽車で渡って行く時の美しい風景の満足と合わさって、充実した旅行気分になるのです。
 
さらに自動車で四国まで走ったことがありますが、植物の形状が次第に変わって行くと言う変化を面白く味わう事ができて、旅行の面白みを満喫することが出来ました。
 
ですから江戸時代のように、歩いて東京から四国まで行くと、旅の面白さはもっと豊かに体験できるようになるでしょう。
 
つまり旅行の《形骸》化というのは、飛行機や鉄道といった近代的な機械の有用性によって生み出されているのです。こうしたことから敷衍して、文明そのものが、実は《形骸》化を生み出しているのではないか? という疑いになります。
 
私は子供の頃に、薪でご飯を炊いていたことがあります。薪の煙の臭い、そして炎を見つめながらご飯を炊く体験は、辛いものであって、今、繰り返したいとは思いません。私は現在の電気釜で、簡単に玄米を炊くことが出来る事を喜んでいるのです。つまり炊飯の《形骸》化を享受しているのです。
 
ですから《形骸》化の出現には両面性があって、これは生きる意味の重要な喪失であると同時に、生きる事の簡便化や、快適さも生み出しているのです。どちらを積極的に評価するかで、文明にたいする評価は変わるのです。
 
さて、こう考えてくると、芸術やアートに見られる《形骸》化も、否定的にだけではなくて、肯定的にも考えるべきなのではないか? という反省に至ります。
 
つまり現在の現代アートの《形骸》性というのは、コンピューターやインタネット、デジタル映像化、携帯電話の普及などの情報技術や、工業生産のコンピューターによる高度化などの様々な総合的な変化の結果によって生み出されて来たものであって、マイナス化もあるにしても、プラス化も大きくあると言う面を見失っての判断は、間違いではないのか?
 
鎌倉には竹をつかった塀をよく見かけるのですが、
竹を紐で編んで塀をつくるのは、職人の労賃が高くなっていることもあって、贅沢なものなのです。しかも竹はすぐに腐ってくる。したがって数年に1回、作り直して行かなければならない。そこで人工のプラスティック竹の塀が出現しています。はじめはこの《形骸》化を嫌に思ったのですが、だんだんなれてくると、しかたがないと思うようになってきています。

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さて、こう考えてくると、建築で言えば最近のプラモデルのような高層建築も良しとしなければなりません。それは単なる現状の追認なのですが、遅まきながらでもそれを追認して、現実を現実として認める必要があるのです。
 
それはしかし同時に、古い建築の価値を認める事なのです。欧米では、大学の《格》というのは、大学の校舎の古さなのです。一番高い評価の大学の校舎は、石造りです。次がレンガ作りです。コンクリートの大学は、《格》としては落ちるのです。

OxfordBuilding.JPG.jpeg

オックスフォード大学 大学設立11世紀
 
欧米の図書館でも同じ様な《格》付けがあります。グーテンベルクがつくった最初の活版印刷の本を持っている図書館が、《格》が高いのです。

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アメリカ合衆国議会図書館収蔵のグーテンベルク聖書
 
否応もなく文明化が進み、《形骸》化が進むから、古いものが《形骸》化の度合いが少ないのであって、その本来的な保存や所有が重要なのです。
 
つまり《形骸》化を避けないと同時に、本来の生命や精神の存在する美術作品の重要性は、今の情報化社会でも、変わらずに存在しているのです。しかしそれらの《真性の芸術》は、今日の流通にはなかなか乗らないという事です。世界的な流通に乗せようとすれば、芸術の《形骸》化はされなければ不可能であると言う事です。
 
 美術作品の制作において、《形骸》化は避け得ないものであると、私は遅まきながら、現状を追認する所まで至りました。しかし《形骸》化の少ない美術作品の価値が、高いという事を、改めて強調しておきたいと思います。


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山本藍子の最高傑作!!/中規模作品をめぐって [気体分子ギャラリー]

アップが遅れてすみません。昨日の深夜にアップしたはずでしたが、
Safariというソフトが異常に遅くなってしまって、出来なくなりました。
修復と、コンピューターの掃除で時間がかかりました。
取りあえず、旧原稿をそのままアップします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


やまと彦坂尚嘉.jpg
                                撮影:糸崎公朗

マキイマサルファインアーツのある地域は、浅草橋で、
久月」や「吉徳」などの人形問屋や模型メーカー、
衣料品などの各種の問屋が集まっている古い下町の地域です。
マキイマサルファインアーツの側には、「やまと」という古い日本の
飲み屋があって、この酎ハイが白い液体で美味しいです。

山本藍子パーティ2.jpg
左からアーティストの栃原比比奈、建築家の高橋堅、
お名前不明の山本藍子の友人、アニメション作家の中川晋介、彦坂尚嘉
                          撮影:糸崎公朗

山本藍子彦坂尚嘉.jpg
山本藍子    彦坂尚嘉      撮影;糸崎公朗

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の個展で、山本藍子の作品が、大きく飛躍を遂げたのは、確かです。
前回のマキイマサルファインアーツの個展を見た人々は、
異口同音に言います。

建築家の高橋堅氏がオープニングに来て下さったのですが、
高橋堅氏と私が意見一致して高く評価する作品の第一が、次の画像の
作品「堂々としましょう」です。
これには残された画像が2つあって、ひとつは、未完成段階の、
マスキング液のゴムを取っていない段階で、山本藍子はこの状態で、
作品を描き込んでいます。

山本藍子「堂々としましょう」未完成画像.jpg
写真家・高石巧撮影の 未完成状態の「堂々としましょう」

山本藍子新作.jpg
完成した「堂々としましょう」のiPhoneでの撮影画像

iPhoneでの撮影画像ですので、写真としては不十分ですが、
実物の作品の白い線は、もっと高明度で抜けていて、
非常に傑出した作品です。
その特徴は、彦坂尚嘉の『アートの格付け』で明らかになります。
非常に高温の作品なのです。

彦坂尚嘉責任による山本藍子作品「堂々としましょう」の芸術分析
 
《想像界》の眼で《第41次元〜100次元》《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜100次元》《真性の芸術》
 
 
《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現。
プラズマ/気体/液体/固体/絶対零度の5様態をもつ多層的な表現
 
 
《シリアス・アート》だけ作品。
《ハイアート》だけの作品。
シニフィアン(記号表現)だけの作品。
理性脳だけの作品。

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》がある。
ただし《世間体のアート》が無い。

貴族の芸術

作品空間の意識の大きさが《グローバル帝国》である。

鑑賞構造がある。
鑑賞構造が《対話》である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

アーティストに限りませんが、
人間は常に、可能性に向けて脱出を目指します。


過去の偉大な人間たちが成し遂げた事を踏まえつつ、
その過去の人々の知らなかった可能性に向けて、未来を切り開こうと
するのです。

今日のアート/芸術の可能性は、いろいろあるのですが、
そのひとつが、温度の上昇化なのです。

つまり現在の状態は、H2Oという水の比喩で言うと、
産業家社会が液体の水が流れる川のような形で時代が流れていたのに
たいして、今日ではH2Oは沸騰して水蒸気になり、
さらに温度が上がって水の分子は原子に分裂してプラズマ状態に
なっているのです。

この高温化を絵画作品に体現しても、まさか100次元にまで温度を
あげる作品というのは、私は予想はしていたのですが、
その実物にお目にかかるとは思っていなかったのです。

山本藍子のこの「堂々としていなさい」という作品は、
人類が作り出して来た絵画の中で、初めてと言って良いほどの
傑出した新しさを成し遂げたのです。


技法としては、マスキング液の使用にありますが、
それ以上に大きいのは、レイヤー構造です。
今日の絵画の可能性は、レイヤー構造と言う、
絵画の積層化によって生み出す絵画空間です。

もうひとつ重要なのは、意識の大きさが《グローバル帝国化》して
いる事です。

人間の意識は、《群》→《村》→《近代国家》→《グローバル帝国》

へと、変化してきていて、この格段界で、意味構造が大きく変化
します。

「堂々としましょう」という作品は、山本藍子が盲目的に、
制作の集中化の中で暴走して獲得した新しさとしての《帝国》段階
性も、実現しているのです。


《帝国》

《プラズマ化》

《レイヤー構造》

《原芸術》


1991年以降の現代アートの状態は、
何なのか?

それは《芸術》の大乗仏教化と言えると思います。
つまり仏教の歴史を比喩として言うと、
モダンアートというのは、難解な仏教哲学を展開した小乗仏教の
時代であったのです。
モダンアートを学ぶというのは、難解な仏教教典を学ぶ必要が
あって、あくまでも知的なエリートだけに許された特権だったのです。

それが1991年以降になると、
《芸術》は大衆化し、一挙に大乗仏教に変貌したのです。
そういう状態は、《世間体のアート》の台頭なのですが、
彦坂尚嘉の主張としては、あくまでも《原芸術》の重視と言う
路線の維持を主張します。

正確には《原芸術》と《世間体のアート》の同時表示を
今日的な新しい表現として設定しますが、
《原芸術》への視野をキープする事が重要だと考えるのです。

そういう中で、山本藍子の今回の「堂々としましょう」は、
高く評価できる到達点でありました。

山本藍子新作.jpg



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獅子口 [空想皇居美術館]

獅子口帝国プラズマのコピー.jpg

獅子口ブログ用オリジナル.jpg
獅子口 室町時代 15から16世紀 縦22.0×幅17.4×高10.8 国立能楽堂 
情報出典:『開場25周年記念 国立能楽堂コレクション展 能の雅 狂言の妙』カタログ 2008年 

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大喝食 [空想皇居美術館]

能面大喝食4世界帝国プラズマ.jpg

能面大喝食4.jpg
大喝食 江戸時代 19世紀 縦21.0×幅13.7×高7.6 国立能楽堂寄託 
情報出典:『開場25周年記念 国立能楽堂コレクション展 能の雅 狂言の妙』カタログ 2008年 

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針生一郎氏死去(加筆2訂正1) [訃報]

文芸・美術評論家の針生一郎さん死去=前衛芸術評論で活躍

5月26日22時13分配信 時事通信

 戦後の前衛芸術批評をリードし、原爆の図丸木美術館(埼玉県)館長としても知られる文芸・美術評論家の針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後0時2分、急性心不全のため川崎市の病院で死去した。84歳だった。仙台市出身。葬儀は6月1日午前10時30分から川崎市多摩区南生田8の1の1の春秋苑白蓮華堂で。喪主は長男徹(とおる)さん。
 東北大文学部卒業後、東大大学院で美学を学んだ。ダダイズムやシュールレアリスムなど前衛芸術への関心を高め、文芸評論家の花田清輝や美術家の岡本太郎らと交流。美術のほか文芸、社会評論で活躍し、美術評論家連盟会長も務めた。金津創作の森(福井県)館長、和光大名誉教授。著書に「修羅の画家」「戦後美術盛衰史」「三里塚の思想」など。 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
美術評論家の針生一郎氏が亡くなられました。
御三家という美術批評の時代の終わりとも言える区切り目となりました。
昨日までお元気で、今日の午前中に玄関に倒れておられたらしいとの事です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。



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