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祭りの後 [状況と歴史]


個人メールで私の作品について感想をいただきました。


彦坂様



○○です。



本日も貴重な機会をありがとうございました。



○○○は、適切なことであるのかどうか、昼まで悩んだのですが、

彦坂さんの実際の作品を見てもらいたいと思い、

あと、アートフェアなどに行くのもはじめてなので、ものは体験ということで、

一緒に行きました。


突然すみませんでした。

以後は、○○○というのは控えようと思います。

わたしが集中できないので。



○○は

「ヒコさんの作品は、実際に見るとかわいい」と言っていました。

(○○もブログを読んでいます、わたしほど熱心ではありませんが(笑))

わたしもはじめて見たとき、似たような感想を抱きました。

暖かみがあるし、人間味があるように感じるので。


今感想を聞き直しました。


「(会場で)いろいろ見てると、社会構造のしがらみを感じてげんなりしてくるけれど、

ヒコさんのは、その外側にあるものに見えた」だそうです。



ほんとにそうですね。

(それが褒めていることになるのかは分かりませんが)



あの会場の中で、わたしは吐き気を感じました。

あんなにたくさんあるのに、心が躍るような、

かすかでも元気をもらえるようなものが、ほとんどなかったですから。


でも、彦坂さんのからは、風というか、、そういうのを感じました。



ウッドペインティングの青いやつは、いつまででも見ていたい青でした。

あとは、阿修羅のが好きでした。

けれど、値段がアレなので。。。。(笑)



「ポスターでいいよ」とか「イラストじゃん」とか、「職人仕事じゃん」と

言いたくなるものがたくさんあって、ちょっと驚きました。

ああいうことになってるのですね。

現代アートの「売り物」を、あんなにたくさん見たことなかったのです。

欲望と人間関係がうずまいているようで、息苦しかったです。あの大きな空間が。


彦坂さんはああいう中で闘っていらしたんだなあ、と思いました。


でもきっと、昔は少し事情が違ったのかもしれませんね。


正直、大変だなあ、と思いました。


ああいう中で、気体分子ギャラリーをやるのは、大変だなあと思いました。


正直ですみません(笑)。


でも、逆にわたしは「温度」のある作品と、その作者さんたちに触れることができて、

幸せなんだな、と、すごく思いました。



普通の大きな美術展にばかり行っていた者の感想です。



皇居美術館のチラシもできてよかったですね。

紙が厚くて、がんばったな! と思いました(笑)。


出版が楽しみです。

早く読んでみたいです。




それでは、取り急ぎお礼と感想でした。


あと2日、体調気をつけてがんばってください。



追伸:本日、「○○○○」が届きました♪


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感想をありがとうございました。


《近代》という時代は、

2つの世界が成立していて、

自由主義圏では、純粋芸術=前衛美術が成立し、

もうひとつ社会主義圏では、社会主義リアリズム=凡庸アートが

成立していたのです。


ところが1975年にアメリカがベトナム戦争に敗れると、

純粋美術は退潮して、。ニューウエーブという形で、

《想像界》の美術が復権して、不純主義の美術が台頭します。


さらに2001年にソヴィエトが崩壊すると、

社会主義リアリズムとしてあった凡庸アートが、

世界中に広がって行くのです。


今回のアートフェア東京2010は、

この不純主義と、凡庸アートでほとんどが占められていて、

スターリンがいたら、大喜びするような分かりやすい展示と

なりました。

《第6次元 自然領域》と《第8次元 信仰領域》が大半で、

その中にかすかに《第1次元 社会的理性領域》の作品が

あったという状態でした。


一般に《第8次元 信仰領域》のものが商業主義の中では増大する

傾向があるように思います。

それはレンタルビデオ屋でも感じる事です。


しかしだからこそ、今回のアートフェア東京でも、驚くほどの大衆が

やって来て、混雑の日々となりました。

この不景気に、買いもしない人びとは、何のために来ているので

しょうか。


実は、《近代》が終わった時に、ということは

1986年ぐらいからなのですが、

巨大建築が建ち始めた時期から、文化の大衆化が、

さらに進展したのです。

文学においても、映画においても、美術においても、

スポーツにおいても、

グローバリズムと、商業主義と、そして巨大化、大衆化が、

爆発するように展開して来ます。

その中で、プライマリーギャラリーが主導した時代は終わるのです。

それは同時に批評の終焉でありました。


オークションと、アートフェアが台頭して、芸術を、大衆が決定する

ような時代に変貌したのです。

その代表的なアーティストがジェフクーンズでした。

株屋上がりのアーティストで、イメージ戦略を意識し、

大衆の理解できるイメージを、高度で大規模な技術で成立させた

作品は、グリンバーグが否定したキッチュを再評価して使用した

新しい時代のアートであったのです。

このジェフクーンズを摸倣したのがダミアン・ハーストと村上隆で

した。

こうして新しい前衛美術と社会主義リアリズムの統合された現代アート

が成立すると、実は何でもありの状況になって、

純粋芸術はあっというまに退潮したのです。


アートフェア東京2010年にあった猥雑さは、

大衆美術の猥雑さと言えます。

しかし《近代》にあった純粋美術の前衛性を知っている者にとっては

この交代劇は、ある種の必然に見えるのです。


文化も政治も、大衆凡庸主義が占拠してくる時に、

これを避ける事に、あまり私は意味を感じないのです。

つまり大衆主義から見を引き離すにしろ、貴族主義に隠遁してみても、

あまり成果が上がらないように思います。

彦坂尚嘉がめざすものは、大衆主義から身を引き離しつつ、

この大衆主義=凡庸普遍主義=自然的態度との格闘を、

試みていく事です。

つまり貴族主義と大衆主義の統合化の模索です。

それはサントーム・アートと言えます。


新国立美術館や東京都現代美術館など、美術館の巨大化は、

美術作品の巨大化を要請するとともに、集客性を要求しているのです。

もはや大衆という観客の存在を、単純に切り捨てるだけでは、

芸術を成立させ得なくなったのです。



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