SSブログ

《超1流》の美術を集める皇居美術館(3) [アート論]

4 大きな美術=建築美術

 彦坂・さて、そもそも絵画や彫刻には大中小があります。 

 しかも単なる大きさの違いではなくて、大中小によって絵画と彫刻の起源が違うのです。

坂上・大きさによって、美術の起源が違うのですか?

彦坂・大きな絵画といのは壁画などの建築についている《建築絵画》です。そして大きな彫刻というのは、ハーバード・リードの『彫刻とは何か』によると、ピラミッドや、アンコールワットといった大きなモニュメンタルな建造物になります。

坂上・じゃ、小さな美術って、何ですか?

彦坂・小さな彫刻というのは、ハーバードリードによるとアミュレット、日本語で言うと「護符」です。具体的には土偶とか、江戸時代の根付けとか、今日のフィギュアとか、ストラップです。つまり、単に小さいというよりも、縮減効果といいますが積極的に小さくしてあるです。小さくする事で愛玩性を生み出している。

 小さな絵画というのも、同じように縮減効果による愛玩芸術なのですが、メディウム的には本の美術です。西洋だと手描きの聖書に挿絵がはいっている写本です。日本だと絵巻物ですね。他にはミニアチュール、こういうもののなかに有るイラストレーション的な絵画が、小さな美術です。そして版画も、出自的には本の美術です。それから写真というのも、実はリトグラフの開発のなかからニセフォール・ニエプスが写真を開発したのでって、写真は実は本の美術であって、小さな美術の起源に含まれるのです。実際、本に収録されている写真というのは、現実背界を小さく縮減しているのですね。

 、

坂上・ふーむ、彦坂さんの意見は、ずいぶんと常識とは違いますね。

彦坂・でも常識っていうけれども、きちんと考えていないでしょう。むしろ私の言うように、小さな美術=本の美術として、イラストレーションや、版画、写真、いっしょの起源にある縮減効果をつかった愛玩芸術であると、その基本を考える方が、まとまりが良いとおもうのですが。

坂上・わかりました。とにかく、まず、大きな美術ですね。それは絵画だと建築絵画だと言うのですね。

彦坂・まず、建築絵画ですが。ヨーロッパですとジョット・ディ・ボンドーネのヴェネツィアにあるパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂とか、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁画が《建築絵画》であって、「大きな絵画」です。

坂上・ジョットも《超一流》なのですか?

彦坂・ジョットは《第一次元 社会的理性領域》であって、《一流》の美術作品にすぎなくて、『帝国美術館』には収蔵されたくて排除されるのです。画家の中の画家という評価の高いベラスケスも、《一流》でしかないので排除されます。こういう排除は常識を超えたもので、《超一流》という基準で美術史を切断すると、違う顔をもって美術が現れてくるのです。日本美術でも、例えば尾形光琳は《一流》ですので、皇居美術館には収蔵されないのです。光琳の好きな方は多いので怒るでしょうが、そこを排除することが重要です。《一流》と《超一流》は、確然と原理が違うのです。《一流》は社会的な理性を基盤にしていますが、《超一流》というのは、その社会的な世俗の常識の外に出て、純粋に芸術史の原理に立っているのです。

坂上・光琳が排除されるというは,とんでもない考えですね。

彦坂・光琳と宗達を比較すれば、圧倒的に宗達が《超一流》ですぐれているのです。この宗達の有名な作品の多くが、大きな建築絵画、つまり障壁画なのです。

 《大きな絵画》の基本構造は建築が持っている構築的工学的な構造に強く対応している絵画なのです。つまり構図が建築的に厳密であるし、絵画空間の組み立ても建築性があるものが多いのです。そしてもうひとつ、これら建築絵画は、鑑賞芸術というものではない作品が多いのです。たとえばラファエロバチカン宮殿に『アテナイの学堂』などの壁画を描いていますが、これらは建築絵画であって、建築の装飾画ではありますが、鑑賞芸術の絵画ではないのです。同様の事は、日本の建築絵画である障壁画にも言えるものです。俵屋宗達、狩野永徳や狩野山楽の障壁画の多くは、建築美術であって、鑑賞芸術ではないのです。

坂上・大きな美術というのは、鑑賞芸術ではないのですか。では、何なのですか?

彦坂・大きな美術は、驚愕芸術というべきものだと思います。

坂上・驚愕芸術ですか。

彦坂・建築を見るというのは、私は好きですが、建築を見る眼差しというのは、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのような中規模サイズの絵画を鑑賞ということとは違うのですね。それを鑑賞ではなくて驚愕であると言いたいですね。「驚愕」という言葉を別の言葉に代えれば「スペクタクル」というものです。スペクタクルの語源はラテン語の"Spectaculum"で、その意味は「実際に見て壮観な」ということです。

 ラテン語の「見る」を表すspecereから、英語のSecterという言葉ができて、これが「妖怪」「思わず目をみはる、目が飛び出る」という意味であるので、私は「驚愕」という単語にしたのです。

 映画ですとスペクタクルというのは、ハリウッド映画がつくった「べン・ハー」「風とともに去りぬ」「クレオパトラ」等々の七〇ミリ映画がその代表でした。壮観な眺めの映画で、驚くような絢爛豪華なセットや衣装の史劇です。すさまじい数のエキストラが動員され、派手な天変地異や戦争のシーン、驚嘆の特撮映像等をくししたものが「スペクタクル」というもので、こうした視覚を、鑑賞芸術とは区別して、《驚愕芸術》と言います。

 こうした《驚愕芸術》の視覚は建築絵画にも言えて、建築絵画、つまり大きな絵画は、実は鑑賞芸術ではないのです。ベネチアのドゥッカーレ宮殿にティントレットの「天国」という絵画がありますが、大きさが七メートル×二十二メートルというもので世界最大の油彩画と言われるものです。パノラマであり、スペクタクルです。こういう絵画を見るとき、その眼差しは、鑑賞というものではないのです。《驚愕》を見る眼差しであると私は言いたいのです。

坂上・大きな絵画というものとしてポロックのドリッピング絵画がありますが、あれはどうですか?

彦坂・ポロックも、大きな絵画は鑑賞芸術ではないのですよ。《驚愕芸術》です。

坂上・え、本当ですかね?

彦坂・そうです。ポロックのドリッピングの大作は、《鑑賞芸術》ではなくて《驚愕芸術》です。《驚愕》という視覚で作品を作るというのは、それ以後の現代美術/現代アートには、つきまとってくるのです。たとえば会田誠の作品です。女性を犬にして手を切り取ったり、大きなミキサーに大量の女性を入れて殺しているイラストッレーションの作品が、何故に現代アートとして誤認されて評価されるかと言えば、《驚愕》という視覚が、《鑑賞》という視覚と同位であると言う誤解に因るものなのです。しかしこの《驚愕芸術》という視覚は、もともと建築美術の中に古くからあって、ストーンヘンジの環状列石にまでさかのぼるものなのです。

 障壁画は字を見てもわかるとおり、そこにある襖は、実は移動壁です。建築に付属している移動壁なのです。屏風もまた移動壁が自立して立っているのですからあれは建築なのです。つまり屏風や襖というのは、移動壁面であって、壁画の一種類なのです。そういう事実がわからず、整理を付けないまま、西洋から入ってきたキャンバス絵画だけを絵画だと思うと、日本の本来からある障壁画というものが美術として不純のように見えることになってしまう現象がおきてしまいます。ヨーロッパの中にもたくさんの壁画がありますが、壁画はもちろん美術ですから、そういう《鑑賞芸術》ではない《驚愕芸術》としての広がりがりとして、日本の障壁画を意識しないと、日本美術の優秀性が見えにくくるのです。日本にはこうした移動壁画は、金箔地に群青・緑青・白緑そして朱や濃墨などを用いた濃彩色の障壁画である『金碧障壁画』や、反対の水墨を基調とした無彩色か淡彩の障壁画の、二種類の《超一流》の《建築絵画》が数多くあります。それら《超一流》の建築絵画=驚愕芸術を、皇居美術館に集めようというのです。

坂上・宗達の風神雷神図を、鑑賞芸術ではなくて、驚愕芸術であるとしてみるというのは、たしかに考えてみるべき視点かもしれませんね。

 狩野元信 四季花鳥図   京都 大仙院(京博、東博寄託) 重文

  狩野永徳 檜図 東京国立博物館  国宝

  狩野永徳  聚光院障壁画 

  狩野山雪 梅に山鳥図襖  京都 妙心寺  重文

  俵屋宗達 舞楽図  京都 醍醐寺   重文 十七世紀前半 紙本金地著色   

  俵屋宗達 風塵雷神図   京都 醍醐寺  重文

  俵屋宗達  松島図屏風  十七世紀前半 紙本金地著色

俵屋宗達  松図襖 重文  十七世紀前半 紙本金地著色

俵屋宗達  白象図杉戸 重文  十七世紀前半 板地著色

俵屋宗達  唐獅子図杉戸 重文  十七世紀前半 板地著色

俵屋宗達  雲龍図屏風 重文  十七世紀前半 紙本金地著色

狩野山雪 梅に雉子図襖  重文  紙本金地著色 1631年 

狩野山雪 梅に山鳥図襖  重文  紙本金地著色 1631

狩野山雪 老梅図襖  重文  紙本金地著色 1647年     

狩野山雪 籬に朝顔図襖   紙本金地著色  1631

狩野山雪 蘭亭曲水図屏風   紙本金地著色 重文  十七世紀前半

狩野山雪 竹に虎図襖   紙本金地著色  1631

狩野山雪 雪汀水禽図屏風 重文   紙本金地著色  十七世紀前半

 

久隅 守景  『夕顔棚納涼図屏風』  東京国立博物館  国宝  紙本墨画淡彩 十七世紀

久隅 守景  『鍋冠祭図挿絵貼屏風』 十七世紀前半 紙本着彩

久隅 守景  『四季耕作図屏風』 石川県立美術館重要文化財 十七世紀 紙本墨画淡彩

曾我蕭白 郡仙図屏風  1764

曾我蕭白 月夜山水図屏風  近江神宮  

曾我蕭白 四季山水図屏風 手銭記念館

曾我蕭白  商山四皓図屏風 重文 1765-71 紙本墨画 

曾我蕭白 桜閣山水図屏風 ボストン美術館

曾我蕭白

彦坂・さて、「大きな美術」は《建築絵画》の他に、最初にのべたように「大きな彫刻」があります。普通に言えば、それは鎌倉大仏のような大きな彫刻であります。これは、等身大の彫刻よりもはるかに大きいことで、これを見る事は《鑑賞芸術》という見方ではない《驚愕芸術》とも言うべきスペクタクルの視覚で成立しています。

 しかし、たとえば五重塔のような建築は、大きな彫刻であると、考えられるないでしょうか? 五重塔の大きさから《驚愕芸術》のスペクタクルの視覚で見るという性格をもっているのです。

 そもそも建築を鑑賞するという事自体が、この《驚愕芸術》の視覚性から見ているのであって、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのような中規模の芸術をみる《鑑賞芸術》の視覚とは違うのです。同じ「鑑賞」という言葉を使うので、混乱を生みますが、中規模の《鑑賞芸術》の「鑑賞」ということと、大規模な《驚愕芸術》を見る「鑑賞」は、違うという事です。前者が《鑑賞》であって、後者の視覚制度は《驚愕》というスペクタクルなのです。この違いのために、多くの美術家は建築を鑑賞する事をしませんし、そしてまた建築家は、美術作品を鑑賞する事が苦手であったり、できない人が多いのです。つまり「タブロー」とか等身大の彫刻いう中規模の美術品の鑑賞と、大規模な建築や建築美術の鑑賞の間には、視覚の制度性に差異があるのです。この差異性を重視して彦坂尚嘉の私見を申しあげれば、実は《超一流》の建築というのは、「大きな彫刻」と同位であると考えられると思うのです。

 

坂上・本当ですかね? 建築は建築であって、彫刻ではないでしょう。

 

彦坂・だとするとピラミッドや、アンコールワットのような大きな構築物を、大きな彫刻であるとしたハーバードリードの彫刻論は間違っているということになります。しかしハーバードリードの彫刻論はすぐれています。私は大きな影響を受けました。だから私も、ピラミッドや、アンコールワットを建築であるとともに、大きな彫刻であるという同時表示物であると考えています。それは私の《言語判定法》を使っても、そのように判断されるからです。

 そのような《大きな彫刻》と《建築》の同時表現というのは、たとえば金閣寺のような建築にも言えるのです。彦坂尚嘉の私見で言えば、《超一流》の建築は、建築であるとともに《大きな彫刻》であって、実は《大きな美術》の起源においては、彫刻と建築は、同一であったと考えられるのです。その重要な起源としては巨石記念物があるのです。巨石記念物は世界中に分布していて、人類史の中で、重要な位置を占めています。それは単一の立石から、立石郡、環状列石、支石を数個並べ、その上に巨大な天井石を載せたドルメン(支石墓)、さらには巨石神殿まであります。こうした巨石記念物には、巨大彫刻の原形性とともに、巨大な建築の原形性が見られるのではないでしょうか。

 つまり巨大建築には、もともと、実は彫刻の性格があったのです。巨石記念物からピラミッド、日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げて建てられた聖塔であるジグラト、ギリシア神殿、そしてアンコール・ワットとつながるような建築は、実は彫刻であって、これらを見る私たちの眼は、スペクタクルな《驚愕》の視覚制で成立していたのです。

 それは今日のフランク・オーウェン・ゲーリーやダニエル・リベスキンド、レム・コールハース、ザハ・ハディッド、コープ・ヒンメルブラウ、ベルナール・チュミピーター・アイゼンマンなどのデコンストラクションの建築にも言える事だと考えています。《大きな彫刻》と《建築》は同一性を持っているのです。

【続きは下記をクリックして下さい】

【続きはここをクリックして下さい】


タグ:皇居美術館
nice!(3) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。