SSブログ

お花見 [日記]

花見①.JPG.jpeg

締め切りも間に合わない忙しいのに、
今日はこれから、お花見です。



お花見は、もともとは嫌いで、見なかったのですが、
中年になってからするようになりました。

若い時は自然が大嫌いで、
今も好きではないのですが、
それでも、そういう好き嫌いを抑制するようになったと言えます。

400t_RIMG20770~WM.jpg

鎌倉の源氏山公園に、遅まきながら行きます。
すでに夜桜は、鎌倉山の桜をドライブでは見ています。

kama44.JPG.jpeg

ソメイヨシノを愛でるという文化は、
日本的な《第1次元 社会的理性領域》的な文化で、
しかも《非-実体性》のある鑑賞花で、その美意識は優れています。

pkuzuharagaokasakura.jpg

日本庭園とか、花見に見られる日本の自然鑑賞の美意識というのは、
あくまでも《一流》性に基盤を置く《非-実体》主義のものであって、
単なる《第6次元 自然領域》讃歌の野蛮主義とか、身の丈主義、
さらには癒し系とは、実は鑑賞構造の次元が違うのです。

120789366200.jpg

高級文化を、《第6次元 自然領域》に還元していくバサラは、
喜劇の根底を作っていて、私は喜劇が大好きなので、
そういう意味では、《第6次元 自然領域》を嫌いなのではないのです。
しかし、そういうものと、花見を成立させている文化の基本は
違うと言えます。
つまり花見そのものは《第1次元 社会的理性領域》のものですが、
しかし花見で、酒を飲んで騒ぐというのは、実はバサラ化したものです。
《第6次元 自然領域》から《第1次元 社会的理性領域》へ、
そして《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》へ、
文化の基本は、この自然と文明の往還運動で成立しているのです。

DSC00047.JPG.jpeg

そこには抑圧と、解放という心理的なシステムが連動しています。
つまり自然を抑圧して文明が出来上がり、
文明の内部で、その《一流》の文明を、再度自然に還元する事で、
バサラ的な喜びを、解放として味わうのです。

nice!(2) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。