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緊急討議:レム・コールハースの現在(大幅加筆画像追加動画追加) [建築]

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ユリイカのレム・コールハース特集号の発売に関連して、
建築系ラジオの公開収録が行われたので、見に行って来ました。

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場所は神保町の南洋堂書店の4階です。
南洋堂書店というのは建築専門の本屋さんです。
小さいですが、しっかりした建築で、屋上には南泰裕(建築家)さん
たちの不思議な構造物もあります。

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緊急討議の前に山崎亮氏のインタビューをやっていて、
これを途中から聞く事が出来ましたが、
これが良かったです。
ランドスケープアーキテクトをやっておられる方で、
1973年生まれ。
住民の意見を組み上げることをされていて、
住民の意見をまとめるのに、
住民を同じ様な意見や思考性の7人以下の小グループにして、
合意を小さくとって、それを積み上げて行くと言うのです。

これは参考になりました。

越後妻有を始めとして、いくつものアートによる地域起こしに、
少しですが関わって来ていて、
非常に問題なのは、この住民の合意を作る事のむずかしさだからです。

かなりの人は、実は人間の社会関係を、理解していないのです。
それは彦坂尚嘉的に言えば、《想像界》しかない人々が10人中6人という
多くの人々としていて、彼らは正確な意味での人間の関係を形成している
言語の意味、つまり《象徴界》の意味を理解していません。

人間は社会の中に生きているのですが、しかし同時に弱肉強食の無法地帯に生きていて、「万人の万人に対する闘争」というホッブスの有名な自然状態と言うのは、かならずしも純粋に見いだされるものではありませんが、しかしかなり普通に、私の知人たちとの関係の中でも体験されて来た事です。

それは人間そのものへの反省を必要とします。
エゴイズムと偏狭さ、無理解さ、愚かさ、怯え、
そして模倣、横取り、といったものと向き合うことになるからです。

7人以下の、共通性のある小グループに割って、討議をして
合意形成をして行くと言うのは、
人間の社会関係の原初的な形成経過を、最初からやって行く方法として、
適中性があると思いました。

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続いて、緊急討議:レム・コールハースの現在

ユリイカの特集号に執筆している五十嵐太郎、南泰裕、堀井義博、
松田達氏らが短く話をしました。

最初の基調報告は、柄沢祐輔さんという建築家。

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これがむずかしかったですが、面白かったです。
コールハースは、まず体積を決めて、それを真半分で切って、
この間に公共スペースを入れて、2つのプライベート空間に挟まれた
そういう3構造を作っているといった話で、
この公共空間の差し込みが、ロシアアヴァンギャルドの建築空間だ
といったお話でした。

マンハッタンの摩天楼に象徴される垂直性の資本主義の建築と、
ロシア・アヴァンギャルドの共産主義の極限まで引き延ばされた
水平の建築が、コールハースによって折衷されていると見る見方は、
私には、非常に納得のいく論理でした。

この折衷性の持つ不純さが、コールハースの建築の壮大な
スペクタクル性と、同時に不潔さのある感覚を、
良く示しているからです。

さらに基調報告が勝矢武之(日建設計)、南後由和(建築論)、
坂牛宅(信州大学建築学科教授)、
さらにコメンテーターとして堀井義博(建築家)といった人々で続い
て、非常に専門的で抽象的な議論がされました。

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松田達氏の司会が、強引に垂直、水平というキーワードを拡張的につかって
展開され、あまりの強引さと反復性に、何回かの笑いが巻き起こり、
それが楽しい、活気のある討議の雰囲気を生み出しました。

最後に話を、司会の松田達さんが、彦坂尚嘉にも振ってくれたので、
少しですが、話しました。

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一つはロザリンド・クラウスの『彫刻とポストモダン :
 展開された場における彫刻』の話です。
これは彫刻が建築の内部から生まれて、台座彫刻になり、
モニュメントとして広場に立ち、さらに、台座を捨てて、
アースワークまで、展開したという話です。

台座の部分が、彫刻となって展開した例の代表として、
セラの4枚の鉄板をたてて支え合った作品を上げました。

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もう一つ彫刻は、アースワークまでに展開したときに、
実は台座は、地球自身になるわけです。

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この時、彫刻の台座は、地形そのものになったのです。

そうした先に、彦坂尚嘉は、建築模型彫刻という領域を想定して、
地形図を台座とする彫刻と構想する事で、
彫刻/建築の関係の歴史を、再度、蛇がシッポを噛むかの様な
円環性で結ぶ作品として、皇居美術館建築模型彫刻を生み出したのです、
という話を、手短にしました。

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私もレムコールハースの建築は
アメリカ合衆国のシアトルの中央図書館と、

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ポルトガルのポルトのカーサ・ダ・ムジカを見に行っていますが、
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このコールハースの建築が非常にすごいにも関わらず感動しない建築で、
《第21次元》であるという話をしました。

コールハースの建築が、感動をしないというのは、
実は『ユリイカ』で、南泰裕さんも書いておられて、
同感なのだったのです

言ってはいけない内容であったので、たぶん、
ラジオ放送では切られるでしょう(笑)。

《第21次元》というのは、分かりやすい所ではエロ写真や、
荒木経惟の写真、小林幸子の演歌といったものが、
ある領域で、人生の喜怒哀楽の直接性の世界です。

さらにはスケジュール管理などもこの領域です。

『錯乱のニューヨーク』というマンハッタンの分析で登場した
コールハースの本質が、たぶん《第21次元》性と深く関わっている
と言う問題なのです。

しかし、何しろ彦坂尚嘉流の視点は、あまりに突飛で、
他人と共有しにくいものです。

今回の討議の中では、水平・垂直といった用語が、
かなり飛び交ったのですが、
私の格付けというのは、実は42段階のカースト制度を思わせる
階層構造が、《第41次元》と《超次元》で、輪のようにつながっていて、
反転関係になっているのです。
つまり垂直的な関係が、水平的につながってメビウスの環のように
なっているのです。

《第1次元》と《第31次元》、
そして技術領域である《第2次元》と《第21次元》がループを
作っています。

つまりコールハースの建築が持つ《第21次元》性というのは、
実は《第2次元》という技術領域の倒錯したものなのです。

南泰裕さんがコールハースの建築について論じている中で、
コールハースの建築に斜めの柱が存在している事、
そしてその違和感のようなことを書いておられますが、
コールハースの建築というのは、
建築を建てる技術の倒錯した構造で、成立しているのです。
その倒錯は、たぶん建築を建てるということの根本の技術の
倒錯性にまで深化し、拡張されているのであって、
それがコールハースの建築設計事務所OMAと、
そのスペルの倒錯である研究機関であるAMOを作り出しているのです。

コールハースの巨大な本であるS,M,L,XL』も、
建築技術の倒錯として見るべきものです。

最後に、会場からの発言で、
リベスキンドの事務所で働いていた方が話されたが、
彼女が、コールハースには興味が無かったが、という言い方をされていて、
私には、興味深かった。
私自身も、リベスキンドを評価するのであって、
コールハースの《21流》建築は、
文明そのものの末期現象として見えるのです。

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