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第15回アート・スタディーズ [告知]

『第15回アート・スタディーズ 』へのお誘いです。

76日(月)午後6時から京橋のINAXGINZAです。

今日の経済状態を考慮して、参加費を500円に値下げ致しましたので、

ふるってご参加ください。 

              ディレクター・彦坂尚嘉

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レクチャー&シンポジウム
20
世紀日本建築・美術の名品はどこにある?
15回アート・スタディーズ 

1985年〜1994年「『85年革命』期の建築と美術」

 

1985年前後に新人類と呼ばれる著名人が登場し日本社会に旋風を巻き起こした」という主張が「85年革命」と呼ぶもの。批評では浅田彰、中森明夫など、 美術では森村泰昌、宮島達男など、建築ではポストモダン建築が流行している。文学では田中康夫、高橋源一郎、島田雅彦、小林恭二などなのだろうが、たしかに1986年のバブル経済の中で、日本の国際化も急速に進展して、19902000年代の《根拠なき熱狂》へと登り詰める出発点を形成しています。

ゲスト講師

 

【建築】テーマ 《日本のポストモダンと装飾》

   

    講師  平塚 桂(建築ライター)
        サブテーマ「高松伸とポストモダンの時代」

        

        講師  山田 幸司(建築家) 

        サブテーマ「ジャジィなポストモダン−石井和紘−」

 

【美術】テーマ 《「日本の廃虚化」を未来に見て
           

    講師  白濱 雅也(アーティスト、デザイナー)
        サブテーマ

        「雑賀雄二『軍艦島』廃墟芸術は予知夢か」

   

 

 講師  高橋 直裕(世田谷美術館学芸員)

     サブテーマ 「宮本隆司−都市の変貌と写真−」

 

『アート・スタディーズ』とは?

アート・スタディーズは多くの人の鑑賞に資する、歴史に記録
すべき《名品》を求め、20世紀日本の建築と美術を総括的、通
史的に検証、発掘する始めての試みです。先人が残してくれた
優れた芸術文化を、多くの世代の人々に楽しんで頂けるよう、
グローバルな新たな時代にふさわしい内容でレクチャー、討議いたします。
いたします。

 

◆ディレクター

彦坂尚嘉(美術家、日本ラカン協会会員、立教大学大学院特任教授)

◆プロデューサー

五十嵐太郎(建築史家、建築批評家、東北大学助教授)

◆アドバイザー

建畠晢(美術批評家、国立国際美術館館長)

◆討議パネリスト

◇五十嵐太郎(建築史、建築批評、東北大学准教授)

伊藤憲夫(元『美術手帖』編集長、多摩美術大学大学史編纂室長)

◇暮沢剛巳(文化批評、美術評論家)

◇藤原えりみ(美術ジャーナリスト)

◇橋本純(編集者)

◇南泰裕(建築家、国士舘大学准教授)

◆司会

彦坂尚嘉(アート・スタディーズ ディレクター)

◆年表作成

橘川英規(美術ドキュメンタリスト)

 

 

 

◆日時:200976日(月)

1730開場、1800開始、2100終了、終了後懇親会(別会場)

会場:INAXGINZA 7階クリエイティブスペース(前回までと異なります)

(東京都中央区京橋3618/地下鉄銀座線京橋駅2番出口徒歩2分)

(当日連絡先は 090-12124415 伊東)

◆定員:60名(申込み先着順)

◆参加費:500円(懇親会参加費は別途)

◆お申し込み・お問い合わせは

氏名、住所、所属、連絡先、予約人数を明記の上、下記e-mailアドレスへ

art_studies2004@yahoo.co.jp

 

詳細情報はこちら
http://artstudy.exblog.jp/

 

◆主催 アート・スタディーズ実行委員会

◆共催 リノベーション・スタディーズ委員会

     

◆後援 毎日新聞社

    日本建築学会

    日本美術情報センター

 

協力 ART BYXEROX  


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映像と絵画/さまざまな人と様々な考え(最後に加筆) [アート論]

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◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

様々な人がいるのは、当たり前なのですが、
それでも昔は、それほどに分裂はしていませんでした。

昔というのは1970年代の「現代美術」と言われる時代ですが、
そこでは画廊の数も少なくて、だいたい1日で、すべての画廊の発表を
見ることが出来ました。
画廊も神田地域と、銀座の数軒でした。

見終わると飲み屋で意見交換をして、
だいたい評価は落ち着いていたのです。

学芸員も評論家も、作家も、編集者も一緒に話をし、飲んでいました。

銀座にはガストロというバーがあって、
そこに批評家も学芸員も編集者も、
アーティストも集まって飲んでいました。

そういう狭い世界と言うのは、
文学で言えば文壇といったものであって、
実際に、そうした狭さで成立していた時代があったのです。

◆◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

音楽も同様で、昔はロックを聴いていると言えば、
同じアルバムを同じように聞いていて、
同一の文化の中で話が出来たのです。

今日では、ロックを聴いていると言った言い方は無理であって、
音楽も細分化が激しいのです。

それこそ、たとえばラウドロックを聞いている人でも、
実は細分化されていて、
同じアルバムを聴いているという保証はありません。
第1回めのラウドパークには私は行きましたが、
2日間の最終トリがスレイヤーでしたが、
スレイヤーが始まると、2割りくらいの人々が帰ってしまったのには、
驚きました。

ことほど左様に、細分化は進んでいて、
そのくせ、音楽の趣味の共通性が、
人間関係を大きく規定してくるのです。

音楽の趣味が、まったく合わない人とは関係が切れやすいのです。

最近ギャラリーARTEのおつきあいで知り合った大木裕之さんとは、
オーネット・コールマンと、ジェルジ・リゲティがダブっていて、
安心したというか、
大木裕之さんの映像と絵画、ドローイングへのシンパシィが
増大したのでした。


◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私の音楽の幅は、広いので、
今回のギャラリーARTEでも、
ARTE主要メンバーは画廊主の梅谷幾代さんと
もう一人長岡まき子さんがいて、彼女が実は戦力として大きいのです。

長岡まき子さんに、トマトと茄子の加工を手伝ってもらいながら、

彼女の好きな音楽を聴かせてもらいました。

それはゲームのドラゴンクエストの音楽で、

私の聞いてこなかったタイプのものでしたが、

かなりの長時間聞きました。


他人の好きな音楽を一緒に聴くという作業は、

私には、その人を理解する技術として、たいへん重要なテクニック

なのです。


昔ですが、ミュージックマガジンで音楽批評を書いている時に、

思い知らされたのは、同じ音楽を聴いていても、

しかし別の音を聞いているという、差異の問題でした。

分かりやすく言えば、ギター奏者が音楽を聴いていると、

その音楽のギター演奏を主にして聞いていると言った調子で、

同じ音楽でも、何を聞いているかは、人によって違うのです。


それはオーディオ装置の差としても、

大きく出て来ます。

昔ですとレコードなので、カートリジの差は、大きな問題だったのです。

同じレコードでも、カートリジが違うと、音楽は違って現れるのです。


◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


現在の情報化社会になると、こうした細分化は、異様にまで進んで、

ほとんど同じ体験や、意見を持ち得なくなります。


私のように異様な分裂性を追求して、

広く浅く多様なものを追いかけていても、

他人との接点や共通性を得る事が、むずかしいのです。


◆◆5◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


こうなってくると、他者との意見の違いや認識の差というものを、

差があるままに、お互いの立場や意見の差として容認することが

重要になります。


先日のギャラリーARTEのギャラリートークで、

大木裕之さんと、私がぶつかったのは、「平面」という言葉でした。


大木裕之さんは、映像も絵画も「平面」であるという立場で語りました。

それは映像と絵画を、両方とも制作する大木裕之さんとしては

立場として必要な主張なのです。


そして映像も絵画も、平面として共通するという認識は、

世間の常識としても、通用する認識であると思います。


ですから大木裕之さんの立場の認識としては、

平面で映像と絵画を論じて、成立させる事は正しいのです。


◆◆6◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ただ、私の場合は、ある意味でモダニストでありまして、

デカルト/ソクラテス的な懐疑主義の立場を取ります。


世間で流通している認識や常識は、まず、疑ってかかるのです。


たとえば、映像は平面でしょうか?

1960年代後半のサイケデリックの時代には、

人体に映像をプロジェクションしているものはたくさんありました。


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3次元の立体や、建築物に映像をプロジェクションしている作家は

たくさんいるのです。

つまり映像を平面芸術とする事には、無理があります。


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絵画も同様です。

アルタミラの洞窟の絵画は、岩の上に描かれています。


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アフリカのロックペインティングと言われるものも、

平面とは言えないものです。


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ナスカの地上絵の中にも、山岳に描かれたものがあって、

平面とは言いにくいです。


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ギリシアの絵画には壷絵が重要なものとしてあります。


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イタリアのアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂には、

聖堂にはチマブーエジョットシモーネ・マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれていますが、これを平面と言うのには、若干無理があります。

ジョットという大画家を追っかければ、否応も無く、

こうした建築絵画ともいうべき、立体的な画面に絵画を見なければならないのです。

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同様のことはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井壁画も、

平面絵画と言うのには、無理があります。


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絵画の歴史を、全人類の中で探していくと、

実は平面を自明にする事が出来ない実例が多くあるのです。


私から考えると、絵画とか映像と言うのは、

実は平面ではないのです。


つまり次元としては2次元ではないと考えます。

それは3次元と言うだけでも不十分なものであって、

1次元、2次元、3次元、4次元、5次元・・・と多次元的に存在している

あるものなのだと、考えるのです。


つまりそれは生物の美術史や、宇宙の美術史を構想し得る広がりの中で、

捉えられるものなのです。


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