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ブルース・ナウマン [アート論]

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「ヴェネチア・ビエンナーレ」始まる。国際参加部門の最高賞はアメリカに。(6/7-11/22)
現代美術の世界的祭典「第53回ヴェネチア・ビエンナーレ」がイタリア・ヴェネチアで6月7日から始まり、一般公開に先立ち6日には開会式と授賞式が行われました。
最高賞である金獅子賞は次の通り。国際参加部門はブルース・ナウマンさんの個展を開催したアメリカ館
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ブルース・ナウマンは1941年生まれのアメリカの現代美術の作家です。
 
ナウマンのアート活動は、彫刻、写真、パフォーマンス、ヴィデオアート、インスタレーションなど、きわめて多様です。
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《想像界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術家》
《象徴界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術家》
《現実界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術家》
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な芸術家
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な芸術家
 
《シリアス・アーティスト》《ハイアーティスト》
 
シニフィアン(記号表現)の美術家
【A級美術家】

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The TrueArtist Helps the World by Revealing Mystic Truths - 「真のアーティストは、神秘的な真実をあかすことで世界を救う」と書かれたネオンサイン(1967年)。

《想像界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
 
《シリアス・アート》《ハイアート》
 
シニフィアン(記号表現)の美術
【A級美術】
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Clown Torture - ビデオ作品。拷問されている道化師が「ノー」と叫び続ける。道化師が、子供の退屈なジョークを話し続ける。金魚鉢を手に持って、落とさないようにする道化師。公衆トイレに座る道化師など。

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《想像界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》だけの《真性の芸術》
 
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
 
《シリアス・アート》《ハイアート》
 
シニフィアン(記号表現)の美術
【A級美術】

私にとって、ブルース・ナウマンは、アメリカ現代美術の中に、いつもいて、

悪いとは思わなかったですが、

良く分からない作家でした。

芸術分析をしてみると、いわゆる《1流》のアーティストです。

《超1流》ではありません。

《1流》しかないというのが、特徴です。

ロックで言うと、ジャーニーとか、ボストンとか、カーズといった

産業ロックの世界です。

ジャネット・ジャクソンも同様の《1流》だけの《真性の芸術》です。

それに対して安室奈美恵は《1流》のデザインになってしまっている。

この差が、アメリカと日本の差です。

ブルース・ナウマンも、ジャーニーも、ジャネット・ジャクソンも、

《真性の芸術》であるので、悪くは無いのですが、

《第1次元》という社会的理性の領域しかない表現なのです。

芸術産業主義になってしまっている。

社会的理性領域で、芸術が作られている。

今回画像を集めてみて、それでも、

やはり良い芸術家であると思いました。

日本にはこうした《第1次元》の作家で、しかも《真性の芸術》を

つくっている作家が、ほとんど見当たりません。

日本の場合、ほとんどが《第6次元》のデザインワークと、

やはり《第6次元》ですが、原始美術に退化した野蛮美術ばかりだからです。

この野蛮主義は岡本太郎から始まって、日本の敗戦後美術の主流になってしまった。

敗戦によって、野蛮に退化したのです。

そういう日本の《6流》のデザインと野蛮原始主義の両者が嫌な私にとっては、

ブルース・ナウマンは、《1流》の《真性の芸術家》として

輝いて見えました。


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この《1流》を容認することが、

彦坂尚嘉の悪い面とは言えますが、

しかし《1流》という《第1次元》の芸術を正統なものとして肯定しない限り、

全人類の芸術史は、構成できないのです。

私は、その意味で、あくまでも歴史家なのです。

















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まつろわぬもの(加筆2) [生きる方法]

私はアートマネージメントをする人を捜して、10年以上をついやしてきています。結論で言うと、あきらめて、自分でマネージメントをする事にしました。とは言ってもギャラリーARTEの梅谷幾代さんや、アートフロントの奥野恵さんをはじめとする優秀なマネージメントの人々に助けられて、私は存在しているのです。ついこの間までは、ギャラリー手の杉山旭さんでしたが、残念ながら閉廊して、ザ・マーケットというオークション会社の専従になってしまわれたのです。ですから、私の方もギャラリーを移籍したのです。作品そのものも含めて、奥野さんや梅谷さんの意見やアドバイスは、現在大きいものがあります。

それでもなお、マネージメント全部をお願いする関係にはならない。それは彼らに限らないのですが、私の付き合って来てくれたギャラリーと言うものは、作家研究はしないのです。過去のギャラリーで言えば、カンワイラーや、日本の山中商店といった大画商さんは、作家研究をしましたが、人間は自分の事を考えるのが精一杯で、作家研究はしない。私の気体分子ギャラリーは、扱う作家の研究はします。伊東直昭さんについても、次回の斉藤ちさとさんについても、作家研究はしています。もっとも作家研究をすると嫌われると言う事もあります。なぜなら良い所も、悪い所も見つめようとするからです。そのために、声をかけても展覧会が実現しない事になる例は、いくつもあります。作家自身が、自分のことしか考えない人は、こちらも、あきらめることにしています。作家の才能は夏草のように生えてくるのであって、才能のある新人は無数にいるのです。そしてすぐに枯れる。

正確に言うと、今日の情報化社会というのはサントームの時代であって、美術作品の制作という、その制作そのものがサントームに移行しているのです。作品をセザンヌのように制作する事は、不可能になっているのです。制作した所で、作品そのものを情報化しなければ、存在しない事になるのです。情報化社会と言うのは、情報化したものだけが存在しているかの様な面があるからです。作家の才能も、自分の作品だけに集中していれば5年がピークで、すぐに凡庸になります。

サントームというのはラカンの用語ですが、人間の精神の三界・・・《想像界》《象徴界》《現実界》の関係性が崩壊すると人間は気が狂うのですが、この崩壊をつなぎ止める第4の輪がサントームです。狂気に転げ落ちる寸前の時代の中で、正気を保つつなぎがサントームで、芸術とはサントームになったのです。いかにして、狂気の渕を、狂気に転落しないで歩いて行けるのか?

ですからサントームというのは、つなぎ止める環のことです。マネージメントとか、組織化、そして管理の仕事なのです。つまり彦坂流に言うと、今日の管理社会というものが、サントームの時代と言う事です。そして芸術の制作と言うのは、実は物を作る事ではなくて、物事を関係づけて管理して行く事に移行したのです。それがシュミレーショニズムであり、シュミレーショニズム以降の作品なのです。ですからサントームとしての芸術と、時代の流れは敏感に対応しています。2002年から2007年10月までのアメリカの根拠無き熱狂と密接に関係づけられていた時代が終わった今、新しい時代が始まっているはずなのですが、これは海のものとも山のものとも分からない。混沌とした中を、現在は進んでいるのです。はっきりとするのには6年くらいの時間がかかるでしょう。

彦坂尚嘉の芸術分析や、アートの格付けと言うのは、このサントームの時代の芸術の管理技術の問題であると言うことになります。

いくら物としての作品をつくっても、それが《8流》であったり《6流》であることよりは、《1流》であったり、《超1流》であること、さらには《41流》であることの問題が大きいと言う事です。もちろん逆の事も言えて、時代にマッチしてくためには、実は《第8次元》や《第21次元》次元の方が、良いのだとも言えるのです。それはそうなのです。

問題なのは物ではなくて、そのクオリティの管理なのです。クオリティ管理を欠いた制作は意味が無い時代になって来ているのです。

アートをいかにして管理できるのか? それが重要なのです。

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むかし、ハイネッケン・ビレッジという、ビールのハイネッケンのアートメセナのスペースがあって、その最後に、私は作品を出品しています。最後と言うのは、ハイネッケンがアートの文化メセナから、撤退したからですが、その時にお会いしたのが、そのハイネッケン・ビレッジのマネージャーだった一色さんという美しい女性だったのです。一色さんは独立なさって、アートマネージメントのお仕事をなさるようになって、日本人アーティストの海外マネージメントをなさっているようであります。噂は聞きますが、直にはお付き合いできていないので、詳しくは知りません。この一色さんが出現してくる時期に、アートマネージメントを専門にやる女性たちが8人ほど出現して来て、私もそういう方にマネージメントを頼みたくなっていたのです。

それはそれまでに付き合って来た画廊が、箱にこだわっていて、画廊という蛸壺に潜り込んでいて、外部を見る視線を欠いていたからです。そこで、箱を持たないマネージメントの人を捜して、ずいぶんと何人もの人とおつきあいを試みましたが、駄目でした。ギャラリーARTEさんやアートフロント・ギャラリーというのは、箱に閉じこもらないから新しいのです。彼らはギャラリーとして新しいのですが、ギャラリーを持たない、完全な箱無しのマネージャーを夢想したのです。対最近も、実はそういう仕事を希望しているという女性2人と、仕事の構築を試みていたのですが、2人とも失敗しています。その時にも感じたのですが、その女性たちも、宗教心が無いというか、運命愛が無いのです。

一人の人間が、生まれて生きると言うのは、
実は自由が、極めて限られているのです。

自分は、自分の意思では親を選び得ないし、生まれる時代も選ぶことが
できません。

生まれる国も、地域も、文化も選び得ないのです。

生まれると言う事は、否応も無い受動性の中で生まれて、
自分の運命を引き受ける所から、始まるのです。

こうした自分の運命を愛する気持ちがあって、
はじめて他人と出会うことが出来るのですが、
こうした出会いに於ける運命愛が無いのです。

だからマネージメントをやりたいと言っていても、
実際に実現して行く力が無い。

物事を実現して行くのは、むずかしいのですが、
それでも何とか、少しでもやり遂げて行くのには、
こうした、ある種の決断が必要なのです。

さて、そうしていたら昨晩から今朝にかけて、
川瀬貴也の『「まつろわぬもの」とっしての宗教』という文章を
読みました。
『思想地図』(日本放送出版協会)Vol.1に収録されているものです。

医療現場の問題を透して、現代日本の宗教の位相を描き出しているのですが、その指摘が、近代という物理科学の中で、古い文化であるプレモダンの宗教を、ノイズとして排除する風潮の問題点を、極めて冷静に、今日的なライターの感覚で書いておられる。

それがアートマネージメントをしたがる女性たちの弱さをあぶり出している面があって、感銘をうけたのです。

今、私のやっている越後妻有トリエンナーレもそうですが、作品規模は号数で言うと7000号を超える大きい作品ですから、半端な精神では出来ないのです。出来ない所を切り開いて行く、冷静な認識と、具体的な方法と、そして作品として仕上げて行く落とし込み方が、重要なのですが、こうした闘いをして行く時には、川瀬貴也の指摘する「まつろわぬもの」という精神が重要なのです。

まつろわぬもの」というのは、抵抗者のことです。社会にただ順応する事ではなくて、どれほどの犠牲をはらっても、抵抗して行く何かの存在です。

その根源に運命と、宗教の本質を見る川瀬貴也の冷静な眼差しは、認識者として透徹しているものであると思いました。

日本の現実の中で美術をやって行く時に、日本社会の大勢や常識にあわせて、結局は《6流》や《8流》の凡庸なものへの同化に活路を見出し、なによりもデザインになって行くというのが多くの作家であります。これではサントームとしてのアートは成立しません。いや、逆に《第6次元》とか《第8次元》、さらには《第21次元》こそが、サントームであると言う意見もまた、真実ではあります。しかしそれは抵抗ではありません。

現在の大勢に対して、あくまでも抵抗して行くという姿勢が無いと、芸術も、真の意味で芸術としてマネージメントが成立して行かないのです。

しかし彦坂尚嘉の理論では、宗教とか、神の定義は、常識とはずいぶんと違うものであります。立教大学の大学院でも、宗教や神の言葉は出していますが、それはあくまでも全人類の歴史の中で位置づけであって、常識とはまったく違うのです。

原始社会の呪術という、《想像界》の領域を否定するものとして書き文字が出現しますが、この書き文字の出現が《象徴界》であって、それが神であって、宗教というものは、彦坂尚嘉の理論では既成宗教教団や新興宗教の教団ではなくて、あくまでも識字であります。つまり書き文字の世界が神であり、《象徴界》なのであります。

モーゼの十戒でも書き文字ですし、聖書そのものが神の言葉として書き文字として出現するのです。つまり書き文字が神であって、文字としてしか神は存在しないのです。

つまり今日の脱宗教の風潮は、実は書き文字文化の衰退であって、文字としての文化に
依拠しない非識字者の精神状態なのです。

実は、私の世代でもこういう非識字者は多いのです。

本は読んでいるのですが、その読み方が精神として読むのではない読み方で、つまり読んだフリをしていて、本質は非識字者である人が多いのです。何故に本を読みながら、本を読み得ないのか? それは書き文字が、神であると言うことを、認識できないからです。文字が神であると思わないと、文字が読めないのです。文字文化の衰退そのものは、実は今始まった事ではなくて、もっと昔から進行している非識字の事なのです。

なぜに、非識字者が増えるのか?
一つは近代になると物理科学が主導権を握って、書き文字を否定して、数学という形での真理を、《現実界》として切り開いたからです。これはラカンの論理とは違う説明なので、ラカンの用語を使いながら、彦坂尚嘉流の《現実界》の定義になります。彦坂尚嘉の使用法だと、《現実界》の成立は、禅の不立文字や、物理科学の数学によって切り開かれる領域となります。


近代物理学が成立すると、《象徴界》の言語としての本と言うものを真面目に読まなくなるから、彼らは祈る事も、そして神を見る事も出来ない。神と言うのは、あくまでも《象徴界》に屹立する文字でしかありませんから、この不動性において面白いのですが、このことを排除してしまう。コスースをはじめとしてコンセプチュアルアティストが、何故に書き文字を使うかと言えば、それが《象徴界》を成立させ、書き文字が神だからです。

しかし逆に言えば、宗教と向き合わないと、書き文字とも出会わないし、そして自分の運命とも出会わないと言う事になります。

数学の数式の中には、運命は存在しないのです。

自分の運命を愛し、追いかけない人というのは、数学だけを信じて、つまり《象徴界》の書き文字を読んでいない人なのかもしれません。まつろわぬもの」というのは、実は古い書き文字に依拠する者たちなのです。

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今日の情報化社会の識字と言うのが、
情報リテラシー、あるいはコンピューターリテラシーというように、
言われていて、それがどこまでを指しているのかは、
正確にはわかりません。
しかし、普通の書き文字、数学/数式/、さらにコンピューター
と言う風に、知識の基盤が変わって来ているのです。
それは作品制作の基礎教養の変化でもあるのです。


作品制作という概念そのものが、変わって来ているのです。



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分解と構築化 [日記]

分解と構築化

モダンアートの中には、分解と解体への情熱があって、
何でも壊せば、前衛であると信じる面があった。

こんな難しい事を書き出しても、
なにしろ越後妻有トリエンナーレで旅先なので、
しっかりは書けないので、
メモ程度です。

一番分かりやすい面では、
マーレヴィッチのシュプレマティズム(絶対主義)であった。

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これをもって、抽象への到達と評価するのが一般的な現代美術史だけれども、
これはデザインであって、芸術にはなっていない。

実は、こうした作品は、私も学生時代にミニマリズムのショックを受けて
制作している。
しかし延々とコンプレッサーを吹いていて、
祖母からは気が狂ったと思われるほどの苦戦をしたのであって、
こうしたデザイン化が答えにはならないのです。

しかし現実の美術史は、こうしたデザイン化で答えだと思って錯誤して
推進されてきた面ははっきりとあって、
そうした錯誤だけを見れば、美術史の意味は図式以外にはなくなる。

なぜにそういう事に結果するかと言えば、
デザインと芸術は銅貨の裏表であり、
そしてまたエンターテイメントと芸術もまた、
銅貨の裏表てなのです。

裏表という事の、もっと問題は、
この裏と表を分離したのが、《近代》なのです。
つまり裏が表を欠き、表が裏を欠いた世界。
近代というものの破壊力の凄さは、
この分離にあったと思います。
だから芸術は、デザインに還元されると同時に、
芸術それ自身に、デザイン性を欠いて、還元されていった。

厳密に言えばシーニュの解体であったのです。
シーニュというのはフランス語のsigneで、直訳すれば「記号」です。

「シニフィエ」+「シニフィアン」=「シーニュ」というのが、
記号学の基本だというのは図式に過ぎなくて、
実際には、シーニュそのものが分解していく時代が近代であったのです。

マレーヴィッチの作品も、実はシーニュは解体されて、
シニフィアンに還元される事で、象徴界の作品になっている。
シニフィアンというのは「意味するもの」という、物質的な面なのですが、
こちらに還元されるのです。
だから、デザインにもかかわらず、芸術と錯誤する認識が成立したのです。

その事が無意味であった訳ではなくて、
モンドリアンでは芸術は成立し、
ジャッドまでの展開は、面白かったと言えます。

情報革命が進展すると、
どこからかシニフィアンの時代は終わって、
シニフィエへの還元が、状況を席巻します。

最初が誰であるのか決定は難しいですが、
メープルソープはシニフィアンの芸術ですが、
シンディ・シャーマンになるとシニフィエの芸術になります。
リチャード・プリンスも、典型的なシニフィエの芸術です。

プリンスの作品も、デザインではなくて真性の芸術になっているところが
凄いところで、そういう実例を見ると、
日本の作家のように、デザインが跋扈しているのは、
間違いであると思わざるを得ないのです。

書こうと思った分解と構築化については、
書けませんでした。
再度挑戦します。



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再び妻有 [日記]

昨日は、朝8時に、武田友孝さんと2人で、
再び越後妻有に行くために、車で新浦安を出発。
つけたラジオから、マイケル・ジャクソンの訃報が聞こえてきた。
私自身は、このブログで書いた事もあって、
彼の体調の悪さを知っていて、予想していた事であったので、
特に驚かなかった。
ご冥福を祈る。

田麦に入って、
作業は、順調に進む。
とは言っても、作業はやり直しが多くて、武田さんにはご苦労を
かける。私の場合には、イメージをまったく持たないで制作して
いくので、そのせいもあって、はじめの部分や、
最後の部分は、やり直しが多い。

4時頃になると、疲れてミスが続出。
車でジャスコに行って、マクドナルドでコーヒーを飲む。
21流のコーヒーだ。
田舎にいながら、高度消費社会の象徴のような大規模なモールが、
この十日町市にもたくさんある。
そして旧商店街はシャッター通り化している。

高度消費社会というのは、
お金が無いと生きていけない。
その意味は、自給自足経済が衰弱したということです。
自給自足で生きていく事ができなくなってしまった。
そうした時に、マックのまずいコーヒーのような、
21次元の世界が、強力な意味として立ち現れてくる。
コールハースの建築が21次元であることが象徴的なのだが、
それは確かに建築界のマクドナルドであって、魅惑的に見える。
魅惑的に見えても、不味い事も確かなのです。

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寺川綾 [美人論]

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2009年4月に行われた日本選手権では、
寺川綾は,100m背泳ぎで59秒67と初めて1分を切り、
7年ぶり2度目の優勝を果たした。
ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。

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想像界の目で、超次元〜第6次元の真性の美人。
象徴界の目で、第8次元の真性の美人。
現実界の目で、超次元〜第6次元の真性の美人。




タグ:寺川綾
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北田暁大と上野 千鶴子の顔 [顔]

遅まきながら、『思想地図』のVol.1である
『特集・日本』を買って読みはじめたのだが、
面白い。

思想本来の力を取り戻せ!

思想はいま、本当に沈滞しているのか? 現実への性急な処方箋でもなく、イージーな人生論でもない、思想本来の力とは何か? ゼロ年代の思想を俯瞰し、来るべき10年代の知的な羅針盤を作るために、『思想地図』創刊! 創刊号の特集は「日本」。従来のイデオロギーや論壇的位置取りに捕らわれず、現代日本の課題に真摯に向き合い、新しい読者を獲得しつつある若手論客の論文を多数収載!



思想地図』(しそうちず)は、東浩紀北田暁大が編集する思想誌です。
NHK出版から2008年4月に創刊され、現在3号まで刊行されています。

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さて、東浩紀とともに編集をしている北田暁大きただ あきひろ)は、
1971年生まれ。

京大学大学院情報学環准教授。専門は理論社会学、メディア史。

では顔を見ておこう。

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北田暁大きただ あきひろの顔

《想像界》の眼で《第1〜31次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第1〜31次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《第1〜31次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な人格

《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン/シニフィエの同時表示的人間。
『真実の人』

《1流》であって、《超1流》ではないです。
《第1次元》というのは、社会的理性の領域。
この『思想地図』がNHK出版から出ているのと、
北田暁大の《第1次元》とNHKの《第1次元》と同じで、
相性が良いのでしょう。

しかし倒錯領域までの次元性を持っていて、
大変にすばらしい人格の思想家と言えます。

シニフィアン/シニフィエの同時表示的人間というのも、
新しいです。

読むに値する人物です。

さて、次いでに上野千鶴子の顔を見ておきます。
北田暁大は、上野千鶴子への絶対服従の姿勢で知られているからです。

【続きはここをクリックして下さい】


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ピカソとユング [顔]

ピカソの顔と、ユングの顔について、
ご質問をいただいて、見てみます。

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ピカソの顔1
《想像界》の眼で《第8次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第21次元》の人格
《現実界》の眼で《第8次元》の人格

《現実界》の人格
液体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。
『真実の人』

年齢はわかりませんが、晩年にピカソと思われる写真です。

《象徴界》は《第21次元》なので、これも驚きます。
《第21次元》は人生の愛欲の直接性の次元です。
あれだけ女性関係に固執した理由も納得のいくものです。

昔のギラギラした顔ではないので、驚きます。
しかも《想像界》と《現実界》が《第8次元》になっています。

作品で見ると1945年の第2次世界大戦後になると、
ピカソの絵画は、《第8次元》になってしまいます。

若い時、青の時代からは《超次元》になって、
キュビズムの一番抽象化する直前までは《超次元》の絵画を描いた
天才ピカソの面影は、晩年には消えています。

最近、ニューヨークのガゴシアンで、晩年のピカソの絵画展が
大規模に開催されて、晩年の絵画の評価が高まっています。

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《想像界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》

《現実界》の絵画
液体絵画

《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《現実界》の絵画であるので、
《現実界》に還元することを現代芸術と信じる評価はありますので、
その視点で見れば、現代美術として評価する人がいるのは理解できる事です。

それと《象徴界》に《第21次元》性があるので、エロ写真を見る様な生理的な快感の直接性が高いのです。それで、気持ちが悪い面が出ているのですが、それが逆に受ける所ともなります。

《想像界》《現実界》の両方が《第8次元》なので、良いと思ってみれば良く見えます。
《第8次元》というのは信仰領域ですので、信じる問題になってしまって
います。しかし青の時代や、キュビズムの時代の名品と比較すれば、
落ちるのは分かります。

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《想像界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》     《想像界》の眼で《超次元〜41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元》の《真性の芸術》    《象徴界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》     《現実界》の眼で《超次元〜41次元》の《真性の芸術》

《現実界》の絵画                   《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な絵画
液体絵画                       気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な絵画

《シリアス・アート》《ハイアート》          《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術            シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】         《透視画面》オプティカル・イリュージョン【A級美術】

cott.184.1.450のコピー.jpg

《想像界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》     《想像界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第21次元》の《真性の芸術》    《象徴界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第8次元》の《真性の芸術》     《現実界》の眼で《超次元〜6次元》の《真性の芸術》

《現実界》の絵画                   《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な絵画
液体絵画                       気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な絵画

《シリアス・アート》《ハイアート》          《シリアス・アート》《ハイアート》

シニフィアン(記号表現)の美術            シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】         《透視画面》オプティカル・イリュージョン【A級美術】



pablo-picasso1.jpg
Pablo_Picasso.jpg

ピカソの顔2
《想像界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な顔
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な顔
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
『真実の人』

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この《超1流》の時代の顔には、《第21次元》性はありません。
しかし女性との関係の固執はあったと思うので、
性的な関係の有無と、
そうした性的の関係性への固執だけになった人格の差はあるのだと
思います。

分かりにくいと思うので、
もう一度言い直すと、
人生の目的が超次元の高度性を持っていても、
人生には直接性の面はあるので、性的な事実関係はあるのです。

しかし晩年のピカソになると、《第8次元》や《第21次元》という
レベルの低い信仰世界や、愛欲の直接性だけの人格に
退廃堕落しているのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ユングの顔についても、再度の判断を求めるコメントをいただいています。

こんばんわ。以前ウィリアムズという名前で投稿をさせていただきました北村と申します。象徴界の狭さや崩壊についてblogの一連の流れをみさせていただきました。以前ラッセルという人が象徴界が崩壊していると説明されておりました。写真を見て確認し直感でその雰囲気を記憶しました。それで気になっていた事なのですが ユングの女性関係に関してはどう説明されるのか気になっておりました。ユングの顔写真に若干謎を感じました。ユングは精神分析の実験の一連の流れとはいえ患者と関係していました。人生の中盤からは愛人の助手は妻から公認されておりましたが... 不倫やスキャンダルも場合によって違うものになるのでしょうか? 
異性関係に問題があったと思える人物はblogではフリーダカ—ロ、クリントン、マイケルダグラスなどいろいろとおりましたが ユングだけは三界同時表示と説明されているので そこを詳しく教えていただけるとありがたいです。 
ユングの場合 晩年に人格が完成したのか若い時は違っていたのかも気になります 
by 北村 (2009-06-25 00:28)  


大変に興味深いご質問で、
若いときのユングの顔を探してみました。

Carl-Jung-mod.jpg

Jung.jpg

若きユングの顔
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第21次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な顔
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な顔
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間
『真実の人』

《象徴界》が《第21次元》だけですね。
性的な問題を起こしたのは、無理からぬところがあると思います。

carl-jung-photo.jpg

成熟したユングの顔
《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な顔
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な顔
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン/シニフィエを同時表示している人格
『真実の人』

彦坂尚嘉が、考える最高の人格と言えます。
特にシーニュではなくて、
シニフィアン/シニフィエを分裂したまま同時表示している人格
というのは、凄いと思います。

だからこそ、いかがわしいとも、いえますが、
極限的な総合的視野を獲得しています。

もちろん、こうした総合的な人格成熟が、
はたして理想なのか?
という疑いはあり得ます。

ただ、私の場合には、こういうユングの到達点は、
理想に見えるのです。
それだけであって、
別の人格形成を理想とする考えもあり得ると思います。
人、それぞれであって、良いと思います。















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東国原英夫・宮崎県知事 [顔]

コメント欄でのリクエストに答えて、
女性問題で話題の東国原英夫・宮崎県知事の顔を、
《言語判定法》で分析してみます。

東国原英夫・宮崎県知事.jpg

《想像界》の眼で《第1〜31次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第21次元》のデザイン的人格
《現実界》の眼で《第1〜31次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
気体人間

《気晴らし人間》《ローアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間。

【続きはここをクリックして下さい】


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言語判定法の変化/小沢一郎の顔 [言語判定法]

ブログのコメントでもいただいている

言語判定法の変化を、小沢の顔で、

確認しておこうと思う。

まず、古い形式のものです。

ヒコ 

 

小沢一郎の顔も、私の言語判定法で見ると、

〈41流〉だ。

〈41流〉の〈超1流〉〈超1流〉

さらに判定すれば、
〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の3界を持っている。
3つを同時表示している顔は、
それほどいない。
小泉純一郎前首相も、3界同時表示の顔を持っていた。

さらに分析すると、
小泉純一郎の顔は、《固体》で、
つまり《前ー近代》の精神の人だった。

それに対して小沢一郎は、
《液体》の顔で、
つまり《近代》の精神の人だ..

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今やっている、新しいスタイルは、分析がもっと細かくなっています。

9129895.jpg

《想像界》の眼で《第41次元》〜《超次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元》〜《第6次元》の《真性の人格》
    《象徴界》の《第7次元》〜《第41次元》が無い。
《現実界》の眼で《第41次元》〜《超次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
液体人間(近代人)の人格。固体/気体人間性を欠いている。

《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
シニフィエ(記号内容)的人間ではない。

「真実の人」
『平気でうそをつく人』ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《言語判定法》での分析が、3界ごとになっていること。
さらに《超次元》〜《第41次元》までの全領域の有無を、
見ている事。

と言うわけで、より細かくなっています。
細かくなる事で、現実把握が、具体的になったと思います。

 

ヒコ 

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越後妻有トリエンナーレ報告/間伐材と住民説明会(加筆1) [制作]

ボランティア募集

間伐材の採取の仕事は終わりました。
次回からは田麦という山村で、会場の制作になります。

仕事が終わると、温泉に入ります。

越後妻有を助けてくれる、ボランティア募集しています。
金曜日に出発して、日曜日に帰って来ます。

ご連絡ください。
hiko@ja2.so-net.ne.jp


間伐材1.jpg
間伐材2.jpg
間伐材4.jpg
間伐材3.jpg
間伐材5.jpg
間伐材10.jpg
間伐材13.jpg

住民説明会の画像です。

今回は、作品とともに、
米や、トマト、茄子を売りたいと思っています。

住民説明会2.jpg

住民説明会1.jpg

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