天皇陛下に京都にお帰りいただく [状況と歴史]
亀井氏、天皇は江戸城より京都に 昼食会で進言
亀井静香金融担当相は27日午前のテレビ朝日番組で、24日に皇居で開かれた天皇陛下と閣僚との昼食会の際に「権力の象徴である江戸城(跡地)にお住まいになるのは立場上ふさわしくないのではないか。京都か広島にお住まいになってはどうかと、陛下に一方的に申し上げた」と述べた。
この後、亀井氏は記者団に「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で政治利用みたいな形になってしまった」と指摘。陛下は返答は避けつつ「京都は好きです」と応じたことを明かした。
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天皇に京都に帰っていただいて、
明治維新以来の歴史に終止符を打つと言うのが、
皇居美術館空想の基本でしたが、
この夢が、政治日程に入り始めました。
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大変に時間がかかりましたが、
『皇居美術館』という本が、朝日新聞出版から、3月に出版されます。
その出版記念展をやることでも、実は紆余曲折があったのですが、
ギャラリー山口で開催する事が、正式に決まりました。
画廊と会期
2010年3月15日(月)〜3月27日(土)
ギャラリー山口
104-0031 東京都中央区京橋3-5-3京栄ビル1F
展覧会名
彦坂尚嘉・五十嵐太郎・新堀学編著
『空想 皇居美術館』(朝日新聞社出版刊) 出版記念展
作家名
主催:朝日新聞出版
作家:彦坂尚嘉・五十嵐太郎・新堀学,松田達
展覧会を説明する文章
朝日新聞社出から『空想 皇居美術館』という本が、彦坂尚嘉・五十嵐太郎・新堀学の共編著で出る事になりました。
2001年に彦坂尚嘉がawという美術館の学芸員の多いメーリングリストで、この皇居美術館という構想を発表してから、10年の年月をかけてまとまった本です。
この間、リスボン建築トリエンナーレに出品され、さらにその帰国展で、政治評論家の御厨貴、歴史学者の原武史、新右翼団体「一水会」の最高顧問の鈴木邦男諸氏を迎えてのシンポジウムを経る事で、皇居美術館という空想は、大きく成長を遂げて来ています。
皇居美術館といプロジェクトは、芸術憲法の制定と言う主張を併せ持っている作品です。しかしこれは政治運動ではなくて、あくまでもコンセプチュアルな美術作品であり、建築作品なのです。アートであり、アートでしかないから、ここまで言える、ここまで構想を作れるという、空想の自由を追求した作品なのです。
閉塞し、失速し、崩壊して行く日本近代社会に対して、アートと建築からの提言であります。
この『皇居美術館』の出版を記念して、関連する美術作品、建築作品・プロジェクト等々を展示する展覧会であります。
出品作品としては、彦坂尚嘉の皇居美術館建築模型彫刻、絵画/《超1流》の日本美術、新堀学の皇居美術館構想、松田逹・彦坂尚嘉・菊田龍鵬の皇居美術館建築構想と模型などです。
同時にシンポジウムと、関連のギャラリートークを、展開いたします。ふるってご参加ご高覧をお願いする次第です。
作家略歴
彦坂尚嘉;1946年生まれ、美術家、日本建築学会会員、
立教大学大学院特任教授
五十嵐太郎;1967年生まれ、建築評論家、建築史家、東北大学教授
新堀 学:1964年生まれ、建築家・新堀アトリエ主宰、
NPO地域再創生プログラム副理事長
松田達:1975年生まれ、建築家。松田達建築設計事務所主宰。
建築系ラジオのコアメンバー。
皇居美術館の活動歴
2001年7月から、美術館学芸員の多い美術系メーリングリスト
『aw-ml』で、彦坂が皇居美術館の構想を問題提起し
議論となる。
2003年 タマダプロジェクトで開催された大きなNPOをつくる会議で、
彦坂が、皇居美術館と芸術憲法制定の提案をする。
2005年 五十嵐太郎主催のリノベーション・スタディーズで
『皇居美術館空想』がパワーポイント作品として発表される。
2005年6月 『メディアと精神科医』(批評社)に「【メディアと
アートと天皇制」という座談会が彦坂尚嘉・宮台真司、
高岡健で行われ収録される。
2005年12月 彰国社社より五十嵐太郎編著『リノベーションの現場』
が刊行され、その中に、皇居美術館空想が収録される。
、
2007年5月〜 第1回リスボン建築トリエンナーレ(ポルトガル)に
五十嵐太郎のコミッショナーで皇居美術館空想が、
新堀学との共同作品として出品される。
2007年11月 第1回リスボン建築トリエンナーレ帰国展
(リビングデザインセンターOZONE、東京新宿)で、
政治評論家の御厨貴、歴史学者の原武史、
新右翼団体「一水会」の最高顧問の鈴木邦男諸氏を
迎えてのシンポジウムが開催される。
2006年 東北大学五十嵐太郎ゼミで、皇居美術館が学生によって
2008年 カルチュラルタイフーン仙台で、皇居美術館空想が発表
2008年 日本建築学会広島大会で、皇居美術館構想を、彦坂尚嘉と、
2008年 『琴平プロジェクトこんぴらアート2008・虎丸社中』(琴平琴平公会堂)
2010年 朝日新聞出版から
iphone/彦坂尚嘉の小さな映画シリーズ(加筆3改題) [状況と歴史]
iPhoneの初代は、2007年1月に発表されたものです。
2010年代 [状況と歴史]
2010年代に区切りを入れるということは、今継続中の活動を切っていくということ
アーティスト(他の公人にとっても)としては、意識においても実際の活動内容におい
Jackson Pollock
Full Fathom Five(1947) に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析。
ポランスキー監督拘束 [状況と歴史]
ポランスキー監督拘束
32年前の13歳暴行容疑
2009年9月27日21時2分【パリ=国末憲人】映画「戦場のピアニスト」など
で知られるポーランドのロマン・ポランスキー監督(76)が訪問先の
スイスで警察当局に拘束されたと、スイスのメディアが27日伝えた。
同監督は米国で未成年者を暴行した容疑で77年に拘束されたが、
その後逃亡していた。
チューリヒからの報道によると、24日から始まったチューリヒ映画祭
で作品が回顧上映されるのを機に、同監督は26日現地入り。スイス司
法省の説明では、チューリヒ空港到着と同時に拘束された。同省は、
監督が米国に移送される可能性があると示唆した。
同監督は77年、写真撮影を名目に連れ出した13歳の少女に暴行
したとして、ロサンゼルスの当局に逮捕された。しかし、翌年欧州に
逃亡。以後、米国に足を踏み入れないまま映画製作を続け、03年には
「戦場のピアニスト」で米アカデミー監督賞を受賞した。米国は05年、
同監督を国際手配していた。
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13歳の少女に、アナルセックスによるレイプをした容疑で逮捕され、
逃亡を続けていたポランスキーが拘束されました。
私自身は、レイプをしたいという欲望を持った事もないので、
正直言って良く分からないのですが、
レイプが犯罪であり、ましてや未成年の少女をレイプする事は、
厳しく罰せられる必要があります。
ポランスキーという人物の顔を、絵画の様に見て、
《言語判定法》によって芸術分析をしてみたいと思います。
ポランスキーは、どんな顔をしているのか?
■1977年
-3月10日:当時43歳だったポランスキー氏が、米ハリウッド
-3月25日:少女の両親が警察に届け出る。
-4月15日:暴行やアナルセックスなどの罪で起訴されたポランスキー
-8月8日:ポランスキー氏は司法取引を行い、未成年との違法な性行為
■1978年
-2月1日:ロサンゼルス(Los Angeles)近郊にあるチノ刑務所
通常、自国民の身柄引き渡しを行わないフランスは、カリフォルニア
■1994年
-8月:ポランスキー氏が被害者の女性に慰謝料を支払うことで合意す
■2003年
-3月23日:『戦場のピアニスト(The Pianist)』でアカデミー賞監督
被害者女性はポランスキー氏を許したというコメントを出し、同氏が
■2008年
-12月2日:ポランスキー氏の弁護士が、事件に誤った処理があったと
■2009年
-5月7日:ロサンゼルスの裁判所は、起訴取り下げ請求を棄却。
-9月26日:映画祭出席のため訪れたスイス・チューリヒ(Zurich)で
アートスタディーズ第16回 [状況と歴史]
次回のアートスタディーズのゲストに、
松永康さんをお願いしたのですが、
小冊子の文章をお願いした所,
作家論を書いていただけなくて、
凡庸な状況論のなぞりだけでした。
テーマである佐々木薫論を、再度お願いした所、
辞退なさりました。
作家論というものを、理解して下さらないのです。
お会いして私はお話をしているのですが、
私の話は無視なさった文章です。
ですので、止も終えず、彦坂尚嘉がゲストを代行するつもりです。
ご参考に、その文章を読んで下さい。
題名と中身が、違うのです。
佐々木薫と名品−共時的視点から
「もの派」による一連の営みにより、イメージとしての美術を構成していた要素が
ことごとく解体された。そうした混沌状態の中で、1970年代の現代美術家たちは表現
を再構築するための手がかりを求めていた。1980年代に入り、インスタレーション、
パフォーマンス、メディアアート、ニューペインティングなどといった言葉が矢継ぎ
早に登場する。新たに導入されたこれらの枠組みは、現代美術の展開を加速させる水
路の役目を果たした。
その中のひとつの流れとして、若手女性作家の一群の動きがあった。彼らはそれま
での美術のスタイルを打ち破り、自由な発想とみずみずしい感性を発散させる作品を
発表した。そこには、生物の形態をモチーフとする、矩形の画面から離れる、アーチ
型を構成要素とする、複数の素材を組み合わせる、質感を統一させず、それぞれの材
質感を活かす、作者の容姿に訴求力があるなどの共通する特徴があった。そして彼ら
の作品の流通に伴い、世の中は大量消費時代へと突入していく。
松永康(MATSUNAGA Ko) アート・コーディネーター
1957年生まれ。埼玉県立近代美術館学芸員、国際芸術センタ−青森総括主任学芸員、
横浜美術短期大学非常勤講師、井ART画廊(上海)芸術監督を経て、現在、特定非営
利活動法人コンテンポラリーアートジャパン理事
上記の松永氏による経歴も、書き方として間違いです。
読者の読み間違いを誘発する書き方になっています。
元・埼玉県立近代美術館学芸員
元・際芸術センタ−青森総括主任学芸員
等々であって、元が抜けています。
アニリール・セルカン疑惑/《象徴界》の追跡 [状況と歴史]
東大工学系研究科建築学専攻教員
アニリール・セルカン博士の
経歴・業績に関わる疑惑の検証
(出典;http://www29.atwiki.jp/serkan_anilir/)
- アニリール・セルカン氏は「宇宙物理学者」であり11次元宇宙の研究で受賞したことになっていますが、物理学分野での論文をほぼ網羅するデータベースにも氏を著者とする物理学の論文は一編も確認できません。
- 東京大学、およびJAXAのホームページ等で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた物理学の論文も、掲載されていたとされる論文誌に掲載されていません。
- 東京大学で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた知的財産権2件については、一件は同じ番号で他人の特許が確認でき、もう一件はデータベースでも確認できません。
- 「ケンブリッジ大学物理学部 特別科学賞 受賞」については記録が確認できません。また、セルカン氏は、上記のように一般の物理学者に認識される形での論文の発表がありませんので、物理学の研究によって(まともな)賞を受賞することは極めて考え難いです。
- 同様に、U.S.Technology Award受賞の記録も確認できません。
- 「American Medal of Honor」は、American Biographical Instituteが紳士録商法の一環として「発行」「販売」している賞であった可能性があります。
- 「プリンストン大学数学部講師」に就任したという記録もありません。またセルカン氏の数学分野の研究業績は全く確認できませんので、数学部講師に就任するということは非常に考え難いです。
- セルカン氏は「宇宙飛行士候補」と言うことになっていますが、NASAの宇宙飛行士候補のリストにも、宇宙飛行士のリストにも掲載されていません。
- セルカン氏の著書や氏に関する雑誌記事にある「セルカン氏が2004年に宇宙飛行士候補に選ばれた際の宇宙服写真」は、NASAロゴが1992年以前のものであるなど、捏造の疑いがあります。
- セルカン氏は、スキーの選手で1988年のカルガリー冬季オリンピックに出場したことになっていますが、同オリンピックの公式レポートの選手団および競技結果にセルカン氏の名前は見当たりません。
- セルカン氏の著書等でセルカン氏の研究の説明資料として掲載された図画に、別人によって先に発表された論文や記事にある図画に酷似したものが何点もあり、剽窃(他人の業績の盗用)の疑いがあります。
- 物理学の論文が存在しないだけでなく、その後の宇宙エレベーターやインフラフリーの研究についても図画等の剽窃が疑われるケースがあります。
山田幸司さんと建築系ラジオ(リンクの貼り直し) [状況と歴史]
ある事物・事象についての、何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露(意見提示)。
上記を読んで分かるように、批評というのは、「個人的な見解の発露であり、意見提示」なのです。今日のマスメディアに批評性が無くなって来ているのは、つまりマスメディアが個人的な見解や意見を封じ込めて、公的なもので、塗り込めてしまうようになって来ているからです。
「建築系ラジオ」は、その意味で、コアメンバーである五十嵐太郎、山田幸司、南泰裕、松田達の肉声を発信し、個人的な見解の発露という、批評本来の性格を回復した活動を展開しています。
個人的な見解の発露としてのメディを回復する動きは、ツイッターや、YouTubeでも、同様の機能が作動しています。
マスメディの人々から見れば、ゴミに過ぎない様なこの個人的な見解の発露が、実は批評を回復させ、現代の様々な問題を、個人が取り組んで行く契機を作り出しているのです。
大西 正紀 Masaki Onishi
1977 大阪府和泉市生まれ。
1985-88台湾省台北市滞在。現千葉県在住。
高校時代、keyboard、accordion、ステージ構成、編曲etc...
日本大学理工学研究科建築学科 修後、渡英。
2003 Ushida FIndlay Architects(UK)勤務
Project
「Do+ project vol1 青山アパート」、1999年-
「Puddle Puzzle 同潤会青山写真画展」開催
青山アパートギャラリー華音留、2002年
Recture
「青山同潤会アパート復興プロジェクトについて」
Renovation Studies、月島、2002年
(Director : 五十嵐太郎)
「わざわざ名古屋から出てきたのに」「3000円も払ったのに」「東大なのに」それ、全っ然批評じゃないです。みなさんお嫌いの「思考停止状態」そのもの。今回、彼らが東大生じゃなければこんな言われ方されなかったかしら?無料だったら?会場が近かったら?(まあ東大=最高峰なんだからおまいらちゃんとしろよ、という、東大ブランドのイメージに則った期待感はわからなくもなけど、鬼の首とったかの如くpgrしてんのは、聴いてる方としてはかえって微妙)。
居酒屋トーク的な本音って確かに面白いんだけど、山田さんの論調は、誰でも聴ける音声データとして一般に公表するにはどうかと思うレベルだった(番組を編集、放送している松田さんにこの話をしたところ「まあ、山田さんは悪役をかってでたんだよ」とのこと。ちょw未熟なものは後から「フェイズだった」と言えば済むとでも?元々熟考して仕組んだブックならまだしも、発信側のご都合による場当たり的な寸劇くずれなら誰も付き合わんし、そもそも要らんのです)。
とにかく私は「こたつ」という駄作よりも、ラジオの中でのこの問題の「語られ方」のほうに、ずっと大きな関心を持ったので「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になったわけです。それが狙いだったんです、裏テーマだったんです、って言われちゃいそうねw
「「こたつ問題」を如何に語るか問題」の本質は、建築クリティックの人材が少ないことだと思う。せっかく音声によるメディアが作られたのに、こたつの放送を聴く分には「この程度かよ」と思わざるを得なかった。今、日本の代表的な建築批評ってこんな感じです、って誰かに紹介するには恥ずかしい。人選、放送のプログラムといった番組制作側の問題かも知れないが、それ以上にまず、有能な批評家が少ないんだろうなと。五十嵐さんは、自分以外の書き手が足りないことを10年くらい前から問題としていたけれど、現在もその状況はあんま変わってない。
これまで建築のメディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメントしてくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。もちろん書き手側もそれでよかったんだよね、言論を発表することが建築村での大事件、大きな成果になってたから。おじさんの時代は、書き手も読み手も「難しいこと考えてます発表会」で満足できていたのかも知れない。今回の「こたつ」に関する山田さんの発言みたいなのも、悪のりです、言葉のお遊びです、で済んだのかも知れない。
そーいうおじさんのやり方を、これからも踏襲するつもりなのかどうかという点も、建築系ラジオの姿勢に問いたい。おじさんの遊び場、と割り切って付き合うしかないメディアもこれから残り続けるかも知れないけれど、「建築系ラジオ」という新しいメディアには、そこでこそできることを、して欲しい。建築を扱うメディアに関わる、自分への自戒も込めつつ。
追記:
ほんとは放送の中で、一緒に「こたつ」について話してはいるけれど、向かうベクトルが違っていることを、出演者同士で指摘し合えてたら、ぐっとクオリティが高まったと思うんだよね。ていうかそれだけで、私は恥ずかしいだのなんだのと文句言わなかった。
誰かが山田さんに、たった一言「それ批評じゃなくない?」って突っ込めてたらなあ。今日話してて、思い出した。慎也さんありがとう!
>私は、斉藤ちさとさんを誹謗する記事に賛同する筋合いは
>ありません。
>私の利益に反するのです。
>私は私の利益を守る権利があるのです。
今回の件は誹謗しているのではなく、どうかと言うことを聞いているのです。
来年の展覧会が始まる前に決着をつけた方が良いと思うのですが。
彦坂さんの判定法では、両者の作品が明らかに格付けとして違ってくると
思うのですが、同じになるのでしょうか?
とにかく、表現としてこのブログもあるのでしょうから、こたつの人たち
みたいに逃げないでがんばってください。私も、自分の名前の「こひみつ」
から「こひ」と略して書いた名前を否定されるとは思いませんでした。
これからは、フルネームで書きます。
by 小比満 (2009-10-31 10:22)
小比満様
別のブログで書きましたが、
決着もなにも、無いのです。
「盗作」問題は、《想像界》だけの人が誤読する妄想の世界なのです。
法廷に出て見れば、あなた方が見ているものが、いかに幻であるかが
分かります。
こたつの様に逃げるというような言い方も、誠に失礼であって、
私が40年間、この調子で戦った期ている事を知らない、
戯言にすぎません。
自分の見ているものが、まったく下らない幻であり、
いかにものが見えない未熟者かを、まず知りなさい。
小比満さん、お名前を書いて下さったことは、高く評価します。
面倒なので書きませんが、類似ということは怒りを呼び、
禁止されるというのは、民俗学の中でも定式化されている事です。
by ヒコ (2009-11-01 09:52)