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2010年代 [状況と歴史]

佐藤大輔さんから、次のようなコメントを
いただきいました。

コメントは、「名誉毀損事件」以降多くて、
たいへん考えさせられましたが、
みなさんの、コメントを書いて下さった努力は、
たいへんありがたく、
それへのご返事も、おいおい書かせてもらいます。

アーキテクチャーとしてこのブログを再考することは、
なかなか考える事が多いのです。

その前哨戦で、
佐藤大輔さんへの返事を通して、
来年への変化を書こうと思います。


久しぶりにコメントさせていただきます。
2010年代に区切りを入れるということは、今継続中の活動を切っていくということ
になるんでしょうか?
アーティスト(他の公人にとっても)としては、意識においても実際の活動内容におい
ても、根本的に見直していくということが迫られることになるというように
お考えですか? 
by 佐藤大輔 (2009-11-01 22:18)  




佐藤大輔様コメントありがとうございます。ひとつは、時代そのものが2010年から大きく変わって行くという事です。

私自身は、1972年に『年表:現代美術の50年』という400頁に
のぼる作業を『美術手帖』(1972年4月号/5月号)でしています。

この年表の編纂に対しても、批判や誹謗中傷は、
後を立ちません。
少し前の話ですが、芸大先端研の教授である高山登氏と会う機会があって、
私はなつかしさで一緒に飲んだのですが、
高山氏は「彦坂のあの年表を含む作業はインチキだ」という
批判を始めたのです。
懐かしさから飲んでいたので、「やめろよ」と言ったのですが、
やめない。
結局、私が、高山登氏の頭を、ぽかぽかと殴るはめになったのです。

もちろん、殴るのは良く無い事で、
笑って、聞き流す事が必要なのだと思います。

ところが、たとえば、かわなかのぶひろ氏だと、
こちらが笑って流していると、サディズムが増幅して、
際限なく攻撃して来ますから、
反撃しないと、終わらないのです。


こういう事がイヤなので、昔の現代美術の関係には、
出来るだけでない事にしました。

しかし『年表:現代美術の50年』は、その後、
これに匹敵するものがない、たいへんにすぐれたものです。
この年表の成果は、広がりのある波及をしているのですが、
それを私が書いても、誇大宣伝としてしか機能しないので、
書きません。

被害も、高山氏以外からも、こそくな形を含めて受けていて、
私自身の、他者への不信感を募らせています。

もっとも私自身は、本当は能天気で、楽観的なので、
実は、どうでも良いのですが・・・。
そのへんの能天気さを、晩年は出して行きたいと思っています。

私自身の、歴史を見る目が、飛躍的に発達したのは、
この年表の編纂400頁作業を8ヶ月間の泊まり込みで、
集中的にやってからです。

特に最下段の批評の文章を引用した帯がありますが、
あれは私一人でやった作業です。
みんなが出来ないと言って中止を主張したのを、
無理矢理、私が一人でやったのです。

私自身は多摩美映画研究会に入っていて、
映画の編集技術を習得していましたから、
この批評の帯を、映画のように
作っているのです。

批評のコピーをはさみで切りながら、引用のコラージュを、
映画編集の容量で作り出したのです。

しかし他人は、こうした私の果敢な仕事を評価し無いどころか、
叩いて来て、侮辱し、差別し、無視しました。

しかし、それでも私自身は、歴史を見る目を学び、
自分自身を成長させることが出来ました。

だから、まあ、能天気に笑っているのが良いのです。
悪口を言う人が、実際には何もやらずに老いて行くのを
目の前に見ているのですから。

この様な経験から、来年からの2010年代というのは、
今までとは違う時代が始まる事を、予測できるのです。
特に、凄い予測というよりは、常識的過ぎる予測ですが・・・。

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このブログも、実は私の美術作品なのです。
このブログを出力して縦の絵巻のようにした作品も、
試作品を実現しています。
大木裕之氏の企画した「たまたま」展にささやかですが、
この試作品を数本出品しています。

気体分子ギャラリーというのも、私の作品なのです。
コンセプチュアルな作品として、ギャラリー活動をしているのです。
この2010年代の前半、つまり2015年までの5年間を
めどに、集中して、展開しようと考えています。

そのために、いくつかの整理をしています。
ひとつは2000年代は、越後妻有トリエンナーレに、
2000年の第1回から、2003年の第2回、2006年の第3回、
2009年の第4回と、すべてに参加して来ましたが、
これを,今回で終了するつもりです。

現地との関係は残っているので、
2010年代の展開が無いとは言いきれませんが、
作家としては、もはやネタ切れでして、
出来なくなっているのです。

さて、越後妻有を終了する事で、
もう少し、高度に、
私の格闘する問題を煮詰めて行きたいと考えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私自身が向き合っているのは、あくまでもブーバーの語った
《普遍的他者》であるのです。
そしてフッサールが語ったような《厳密な学としての芸術》なの
です。

しかしこのような、私の志向性自体が、間違いではないのか?
という疑いもあります。

それは美術そのものが、結局のところ《世俗》であり、
そして《いい加減さと》であるからです。

《美術とは世俗である》ということを

この事実ともっと、向き合って行く必要があるでしょう。
この認識をもっとも、過激に自覚して展開したのが、
会田誠さんです。

つまり《厳密な学としての芸術》の追求と、
会田誠的な《現実の世俗社会の中の芸術》は、違うのです。
この差を、どう捉えて行くのか?
2010年からの私の活動の根幹をなすのは、
この矛盾との格闘です。

実例を上げると、ポロックの作品です。

世俗的に評価の高いのは、下の掲載作品です。
ニュヨーク近代美術館での回顧展でも、一番売れたポスターです。
むかし読んだ記憶で、確認していませんが、確か最初にオーストラリア
に売れた作品であったともいます。これも記憶ですが、
確かポロックが描けなくなったのを、友人たちがよってたかって、
描かせた作品と言う記憶があります。(以上、確認が必要です。)


g001b_pollock_blue-poles.jpg

ackson Pollock
Blue Poles: Number 11, 1952の彦坂尚嘉責任の芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品液体美術

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《無芸術》であって、《芸術》ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

それに対して、グリンバーグが高く評価して、
ポロックの代表作と言われるのは、
「五尋の深み」(1947)(ニューヨーク近代美術館)です。

fathom.jpeg

Jackson Pollock


Full Fathom Five(1947) に対する彦坂尚嘉責任の芸術分析。


《想像界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》、《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》、《ローアート》性は無い。

シニフィアンの美術シニフィエの美術性は無い
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《芸術》であって《無芸術》《非芸術》《反芸術》性は無い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大変にすぐれた作品ですが、
この作品は、多くの人には、分かりにくいと言えます。

何故に、分かりにくいのか?
この分かりにくさというのは、
彦坂尚嘉の理論では、大脳新皮質の存在に帰結します。

脳そのものは複雑なので、
正確な脳の構造は専門家に任せますが、
図式として極度に単純化すれば、
人間の脳は、理性脳と、原始脳の2つでくみたてられえいると
整理させて下さい。

つまり生物というのは、象が鼻を長くし、キリンが首を長くして
進化したように、身体変形で進化の運動をして来ました。
進化とは、身体変形であったのです。
そして人間は脳を巨大化し、さらに大脳新皮質を発達させて、
身体変形の限界まで進化したのです。

この大脳新皮質による抑圧が、
理性を作り出していると、一応考えておきます。

つまり理性脳と、原始脳があって、
この両者で、人間の精神は作動しています。

お酒を飲むと、理性脳の働きは、有る程度麻痺して、
原始脳が解放されます。

このお酒を飲んだ様な原始脳の解放として芸術を考える人々が
います。
このような人々は、
たとえば、デルボーのような美術を、芸術として歓迎したりします。

artwork_images_107745_201238_paul-delvaux.jpg

こうしたデルボーのような絵画は、
理性脳の抑圧を取った、原始脳の解放、つまり官能性としての芸術で
あると、私は考えます。

日本近代美術に、大きな影響を与えた黒田清輝の先生である
ラファエロ・コランの作品も、ソフトポルノとも言うべき、
原始脳の絵画であるのです。
デルボーの絵画以上の恥ずかしさを感じるのは、私だけでしょうか?

Raphael_Collin_Floréal.JPG.jpeg

黒田清輝がフランスに留学していたのは、1884年から1893年です。
この時期、すでに印象派は存在していてモネは、『積みわら』から
ルーアン大聖堂』に至連作シリーズを描いています。

Claude-Monet-Screensaver_1.png

ラファエル・コランは、 1850-1916年の人です。
一方のロード・モネは、1840年から 1926年の人です。
モネの方が10歳年上で、そしてコランより10歳長生きしています。
つまり二人は、同時代の人であり、
黒田清輝は、モネに指事する事も、時代的には出来たはずですが、
しかしラファエル・コランを選んだのです。

モネとコランの絵を並べて見ましょう。

Claude-Monet-Screensaver_1のコピー.jpg

このモネの絵画の系譜が、ポロックにつながります。
ニューヨーク近代美術館は、モネとポロックを並べて展示していた
ことがあって、私はこれについて読売新聞に文章を書いたことがあり
ますが、モネとポロックは継続して行くのですが、
ラファエロ・コランは、モダンアートの歴史の中では、
傍流に止まります。

この2枚の絵画の差を、脳の問題で整理すると、
モネの絵画を芸術として評価するためには、
大脳新皮質の理性脳で鑑賞するしか無いのです。
何よりも、ラファエロコランのヌード絵画の様な、直接的な官能性が
ありません。

Claude-Monet-Screensaver_1のコピー.jpg

原始脳の絵画、          理性脳の絵画

官能の美術            禁欲的な美術

黒田清輝が、








 




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