宇宙エレベーター [状況と歴史]
2009年7月現在、地上100キロメートル以上の宇宙空間を体験した人は、地球を回る軌道に入らない弾道飛行(準軌道飛行)を含めれば、500人を超えているという。
これらの500人強の人が利用した乗り物は、もちろん、ロケットである。
エレベーターで宇宙へ行こう。
そう言われて、あっけにとられないのは、世界でもごく少数の人間に限られるだろう。
SF作家アーサー・C・クラークの著作『楽園の泉』にも、宇宙エレベーターは登場する。クラークは、スタンリー・キューブリックが映画化した『2001年宇宙の旅』の作家であると紹介した方が、SFファン以外にはわかりやすいかもしれない。
大ざっぱに言えば、人工衛星から垂らすのである。
地球を回る人工衛星は、地球の重力で内側に引っ張られる。が、遠心力で外側に飛び出す力と釣り合うことで、高度を維持して地球の周りを回転し続けている。これまで世界で打ち上げられた人工衛星は6000個以上、現在も3000個が旋回中だ(JAXAホームページより)。
これらの人工衛星のうち、赤道上の高度約3万6000キロを回る人工衛星は、周期が地球の自転と同じで、地上から見れば相対的に静止して見えるので「静止衛星」と呼ばれる。ここから地上に向け、頑丈なテザー(ワイヤーやリボン状の紐)を垂らす。
テザーの重さで衛星が落ちてしまわないように、地球と反対側にも同じだけテザーを伸ばすと、衛星はバランスを維持し続けながら地球を回る。これをモノレールの線路のようにして昇降機(クライマー)を宇宙に向かって走らせるというのが、宇宙エレベーターのおおよその原理だ。
宇宙へ行く? そんなのできっこない
ここ数年、青木にとってつらい事故が立て続けに起こった。エレベーターの事故や、ジェットコースターの事故だ。直接かかわっているわけではないが、構造力学や複合材料力学、最適構造設計などをフィールドにし、10年以上エレベーターも研究する学者として、新聞社などからコメントを求められた。
そんな日々を経て、偶然、宇宙エレベーター協会の講演会に足を運んだのが、2008年4月のことだった。
「地上のエレベーターの研究だって大変なのに、宇宙へ行く? そんなのできっこない」
それが、最初の実感だ。
たとえ世界が明日終わるとしても、未来を見ている。
それが、自分にとっても学生にとっても必要な姿である。
「この卒業研究には、正しい答えはない。答のない問題の答を探そう」
ちなみに、社団法人宇宙エレベータ協会に参加した学者は、青木が最初だった。
0.000004%の挑戦
千葉県船橋市にある日本大学二和校地の2009年8月8日は晴天だった。
宇宙ステーションの代わりに、バルーンが上空150mの高さまで上げられ、車のシートベルトがテザーとしてぶら下げられた。
グラウンドの端では、参加8チームが簡易テントの下で着々と準備を進めていた。参戦したのは、日本大学理工学部から2チーム、神奈川大学工学部から2チーム、名古屋大学工学部、静岡大学工学部、ミュンヘン工科大学(ドイツ)、個人参加の「チーム奥澤」の8チームだ。
いずれも手弁当で、自ら旋盤を削りつくり出したクライマーたちは、スーパーマーケットの買い物かごに入りそうな大きさである。
競技のルールは、制限時間内での、上昇速度とほかの評価項目で競う。が、単なる記録競争ではない。各テントでは、自チームのクライマーの特徴をパネルで展示していた。このアイデアは、青木教授の提案による。互いのアイデアで、刺激し合い、さらなる技術開発を進めるという、この競技会の大きな目的はここにある。
風にテザーがなびく。ねじれるテザーにはばまれて、クライマーが止まる。初日の午後は、強風で、テスト昇降に切り替えざるを得なかった。各チーム寝ずの最終調整でのぞんだ2日目も晴天。
青木は、ストップウォッチを片手に、記念すべき第一回の競技を見守った。
机上の理論や、コンピュータ内の計算では起こらない、現実が次々と起こる。
北米以外で初めての大会とはいえ、賑やかな観客席などない。
自分たちが製作したクライマーを、真剣に見上げ、歓声を上げる研究者たちは、何も知らない通行人から見れば、新種のラジコンで遊んでいるように見えたかもしれない。
優勝は、2005年から開発を進め、150メートルまで上げられる実験をできると滞日4日間という強行スケジュールで来日したドイツ、ミュンヘン工科大学チームだった。このチームは、2007年米国で記録された秒速2メートルの速度を打ち破り、150メートルを52秒で上った。
3万6000キロからすれば、150メートルはわずか0.000004%に過ぎない。
「初日にあんなに高く見えた150メートルが、もうわけなく見えてくる。来年300メートルにしても、難なくクリアできるかもしれない。いつの日か、何だ3万6000キロなんて大したことないじゃないかと」
「アホなこと」がやがて天空に届く
機械系エンジニアの使命は、どんなに小さく粗末なものでも、理論を形にして作り上げ、見せることだと青木は言う。
「アホなこと」と自嘲気味に微笑みつつも、小さくとも一歩ずつ進む。ゼロからは何も生まれないが、150メートルの実績の種は、やがて芽を出し、天空に届く大樹となるだろう。
「もし明日、世界がなくなるとしても、何か作り続けているって素晴らしいじゃないですか。それが世界の崩壊を防ぐかもしれない」
これまでも、これからも、未来はこうして作られる。
選挙革命(加筆追加1) [状況と歴史]
「選挙革命」民主大勝、
韓国で大々的報道
【ソウル=森千春】
韓国の有力新聞各紙は、31日、民主党の衆院選大勝を、
一面トップニュースとして報道した。
特に中央日報は、中面7ページを衆院選の結果分析などに費やす
異例の大展開を見せた。
各紙の一面は、「選挙革命」(朝鮮日報)、
「民心大地震」(東亜日報)などの見出しが躍り、
選挙結果は日本の歴史的な転換点と受け止めている。
社説では、民主党主導政権が日韓関係に及ぼす影響に言及し、
中央日報が「歴史問題を超え、
新しい日韓関係を開く先頭に立ってくれることを期待する」と
エールを送るなど、おおむね好意的にとらえている。
初めまして。いつもblogを拝見させてもらっています。
以前から政治と芸術・美術の関係を漠然と考えていました。
そんな中、今回の評論の中に
>芸術は、決して政治や経済から自立はしていないのです。
の一文にすごく興味と衝撃を受けました。
自分の中では芸術は政治と自立し別の空間といいますか、
別次元で行われるべきものだと思っていました。
民主党政権が確実となりましたが、今一度この話題を深く掘り下げてもらえると嬉しく思います。
歴史の変わる日 [状況と歴史]
展示品にカビ [状況と歴史]
新潟市の「水と土の芸術祭」で、新潟市美術館(同市中央区、北川フラム館長)に展示中の土製の作品に、カビとみられるものが発生していることが分かった。市などでつくる実行委員会と作家らは31日、「今後、カビが発生する可能性は低い」として展示を続けることを決めたが、美術専門家は「水分を含んだ作品を美術館内に持ち込むのは非常識」と指摘。市では、展示収蔵する他の美術品に影響がないか、定期検査することにした。【黒田阿紗子】
芸術祭は12月27日まで、13カ国のアーティストが制作した計71作品が市内各地に展示される。
問題になったのは、左官職人でもある久住有生(なおき)さんの「土の一瞬」。わらと水を混ぜた土を塗った高さ2メートル、幅9メートル、厚さ60センチの土壁状の作品。館内で制作され、7月16日に完成。徐々に乾燥して壁面がひび割れていく過程も見どころだった。
22日に同館職員が表面に白いカビのようなものを発見。翌日には最大で直径9ミリのものが20カ所以上確認された。職員が取り除いたが、その後も湿った部分や隣室の他の土製作品でも見つかった。展示室の湿度は日中、55%に保たれているが、空調を止めた夜間は梅雨の影響もあって約80%まで上がっていた。
作品設置に立ち会った職員は「カビが生える可能性は予測できたが夜間は空調の要員を確保できず、外気を取り入れて換気する方法を取った」と説明。23日以降は空調を24時間稼働させ、業務用扇風機も使って除湿している。そのため、本来2カ月かかる乾燥が、31日の段階でほとんど終わったという。ただ、市が保健所にカビの検査を依頼したのは、29日になってからと対応が遅れた。同館はパブロ・ピカソなどの作品も展示しており、カビの発生が影響している可能性も残るため、今後はすべての展示室で定期的に空気のサンプル検査を行うことにした。
実行委員長の篠田昭市長は「湿度への配慮が十分でなく、管理面で反省する点もあった。現在カビの発生は収まっているので、今後は適切な管理に努めたい」とコメント。
作家の久住さんは「日本伝統の土壁による作品を国内の美術館が展示した前例はなく、市はすばらしい判断をした」と展示の意義を強調している。
◇常識では考えらず−−元府中市美術館長の本江邦夫・多摩美術大教授
直接見ていないが水気のある作品を美術館内に展示すること自体、常識では考えられない。土はカビや雑菌が発生する可能性があり危険。新潟市美術館には名品が多いが飛散して腐敗につながりかねない。可能な限り現状保存するのが美術館の使命で、その根幹を揺るがす問題だ。
8月1日朝刊
本島とサントームとしてのアーキテクチャー(写真追加,加筆1、改題) [状況と歴史]
MVRDV (エムブイアールディーブイ) はオランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団で、1991年に設立されものです。名前の由来は事務所設立時のメンバーの三人の頭文字からとったものであるのです。
- ヴィニー・マース(Winy Maas、1959年 - )
- ヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs、1964年 - )
- ナタリー・デ・フリイス(Nathalie de Vries、1965年 - )
ヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスはレム・コールハースの主宰する建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)の出身です。
日本経済の沈没(加筆2) [状況と歴史]
8月4日号
◇【特集】日本経済沈没
・日本経済の中長期的見通しはどう考えても暗い
鈴木 明彦
・GDP3位転落 日本のGDPは2010年に中国に抜かれる
細川 美穂子
・ISバランス 日本は十数年後、「赤字国」の道へ
熊野 英生
・潜在成長率 1%以下に低下、10年前から低かった可能性も 河野 龍太郎
・人口減少 生産年齢人口減少のマイナスをどうカバーするか 森田 京平
・外国人労働者 成長を考えればプラスだが副作用も大きい 森永 卓郎
・内需企業 キリン・サントリー統合にみる市場縮小の苦境 松崎 隆司
・個人消費 回復は長続きせず、消費不況は長期化する 永濱 利廣
・医療・介護 急速な高齢化で現役世代の家計を直撃 齊藤 哲史
・年金 制度の不備が将来不安と消費抑制を招く 白石 浩介
・資源確保 世界的な需給逼迫で高騰、争奪戦に 柴田 明夫
・雇用 二重構造を放置すると産業はますます空洞化 山田 久
ヒットラーの経済政策 [状況と歴史]
不況下の中国現代絵画(加筆2) [状況と歴史]
死亡映像がユーチューブで流れて波紋(画像の訂正と追加) [状況と歴史]
(米ニューザー 2009/06/21)
「ネダ」とだけ知られる若い女性は、父親とテヘランの抗議行動に参加し、武装組織バシジに射殺された。路上で死んだ彼女の映像はネットを通じて、瞬く間に世界に広まった
元記事:CNN
少なくとも7人が死亡しているとのこと。
1979年のイラン革命後、イラクのフセイン大統領(当時)が仕掛けて
きた戦争で、正規軍の不足を補うために創設されました。
バシジとはペルシャ語で「動員」を意味し、若者たちは愛国心に燃えて
志願し、正規軍の先兵となって地雷原を進むなど、勇敢な「人海戦術」
を対イラク戦争で展開したのでした。その数2000万人という多数に
のぼりました。
basijの都市治安部隊です。
まるで日本の暴走族ですね。
井上清仁さんからいただいた画像です。
イラク革命の指導者ホメイニ師死去後、権力を握った保守派は、
バシジを保守イデオロギーで社会を統制する道具へと変質させたのです。
現在の隊員数は120万人とされるというのです。
さて、そのバシジに射殺された女性の画像が、
YouTubeに流れて、波紋を広げています。
最初見た時には、このブログで取り上げるつもりはありませんでした。
しかし、彼女の死に顔が、目に残り、悲しみが湧いて来ました。
人の死ぬのは悲しいものです。
CNNでは、無修正で死の画像が流れています。
さらに、死ぬ前の父親と歩いている画像も流れました。
警告
以下、クリックして下さると、その画像が見えますが、
残酷な画像ですので、見たくない方は、見ないでださい。