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宇宙エレベーター [状況と歴史]

宇宙エレベーターの事は,
私の帝国美術館を1万メートルの高さで建てるという構想があって、
どうしても必要な技術でありました。

この情報を教えてくださったのは五十嵐太郎さんだったのですが、
今日、日経ビジネスのサイトで見つけたので、ペーストしておきます。

さらに画像を付け加えておきます。


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しかし、この夢のような話は、もはやフィクションから現実へと向かって着々と進行しているのだ。
2009年7月現在、地上100キロメートル以上の宇宙空間を体験した人は、地球を回る軌道に入らない弾道飛行(準軌道飛行)を含めれば、500人を超えているという。
 これらの500人強の人が利用した乗り物は、もちろん、ロケットである。
 エレベーターで宇宙へ行こう。
 そう言われて、あっけにとられないのは、世界でもごく少数の人間に限られるだろう。
 SF作家アーサー・C・クラークの著作『楽園の泉』にも、宇宙エレベーターは登場する。クラークは、スタンリー・キューブリックが映画化した『2001年宇宙の旅』の作家であると紹介した方が、SFファン以外にはわかりやすいかもしれない。

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日本で宇宙エレベーターに取り組む中心人物のひとりが、日本大学理工学部の青木義男教授だ。
「アホなことを。そう人は言うかもしれない。でもアホなことも大切」と、青木教授はつぶやく。
 
「蜘蛛の糸」のイメージで宇宙へ
 
 エレベーターといっても、我々が一般的に考える建物の中に設置されたものとは違う。イメージとしては、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、天空から垂らされた糸を伝って昇る姿を想像した方が近い。
 では、どうやって糸を垂らすか。

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 大ざっぱに言えば、人工衛星から垂らすのである。
 地球を回る人工衛星は、地球の重力で内側に引っ張られる。が、遠心力で外側に飛び出す力と釣り合うことで、高度を維持して地球の周りを回転し続けている。これまで世界で打ち上げられた人工衛星は6000個以上、現在も3000個が旋回中だ(JAXAホームページより)。
これらの人工衛星のうち、赤道上の高度約3万6000キロを回る人工衛星は、周期が地球の自転と同じで、地上から見れば相対的に静止して見えるので「静止衛星」と呼ばれる。ここから地上に向け、頑丈なテザー(ワイヤーやリボン状の紐)を垂らす。
 テザーの重さで衛星が落ちてしまわないように、地球と反対側にも同じだけテザーを伸ばすと、衛星はバランスを維持し続けながら地球を回る。これをモノレールの線路のようにして昇降機(クライマー)を宇宙に向かって走らせるというのが、宇宙エレベーターのおおよその原理だ。


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この構想は、約50年前に既に発表されている。しかし、技術上、実現は困難とされてきた。特に、地上に垂らすテザーの強度は、計算上、鋼鉄の180倍が必要だ。
 ところが、1991年、日本のNEC筑波研究所(当時)の飯島澄男が発見したカーボンナノチューブという新素材が、その条件に見合い、一気に宇宙エレベーターの実現への難路に光が見えてきた。



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 米国の航空宇宙局(NASA)は、2000年、宇宙エレベーターの実現可能性を探り始め、「十分な軽さと強さを持つ材料が開発されれば、建設可能」という結果を得た。2005年から、その技術を探るため、宇宙エレベーター競技会も開催されている。
 そして北米以外で初めて、第一回宇宙エレベータ技術競技会(主催・社団法人宇宙エレベーター協会)が、2009年8月、千葉県で開催された。その審判席に青木教授の熱い視線があった。
 
守りから攻めへの転換点

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青木教授が「宇宙」に取り組んで、まだ1年数カ月しかたっていない。
 学者としての業績の第一歩は、強化プラスティックに関する研究だった。1981年、25歳の青木は、強化プラスティック協会論文賞を受賞する。マンションなどの共同住宅の屋上に設置された、円筒形のFRP(繊維強化プラスティック)水槽に関する論文だった。
 順風満帆に学者への道を目指してきたわけではなかった。
「オフレコにしたいけれど、高校時代は、2度も停学処分を受けたような生徒だった。修学旅行にも参加できず、自宅で反省文を書かされて(苦笑)」
「失った信頼を取り戻すのには、その何倍もの努力が必要になる」。その言葉通り、青木は、人の3倍努力することを心がけてきた。そのためには、無駄なことはさけ、馬鹿なことをいう暇も惜しんできた。
 「けれど、そろそろアホなこともやっていいかな」
 

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 第一の理由は、大学の人間として、つまり後進の研究者を育てるという視点に立てば、一心不乱に研究データを積み重ねるだけでは、いけないのではないかという思いだった。
 
宇宙へ行く? そんなのできっこない

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 ここ数年、青木にとってつらい事故が立て続けに起こった。エレベーターの事故や、ジェットコースターの事故だ。直接かかわっているわけではないが、構造力学や複合材料力学、最適構造設計などをフィールドにし、10年以上エレベーターも研究する学者として、新聞社などからコメントを求められた。

 そんな日々を経て、偶然、宇宙エレベーター協会の講演会に足を運んだのが、2008年4月のことだった。
 「地上のエレベーターの研究だって大変なのに、宇宙へ行く? そんなのできっこない」
 それが、最初の実感だ。

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 しかし、できないことをそれで片付けてよいのか。自分の目が黒いうちに実現する可能性は限りなく低い。だから放棄するのか…。
 たとえ世界が明日終わるとしても、未来を見ている。
 それが、自分にとっても学生にとっても必要な姿である。

 青木研究室に、宇宙エレベーターのクライマー開発というテーマが加わった。実験機の製作は大学院生が担当する。卒業研究テーマでも「宇宙エレベーター」が選ばれた。
 「この卒業研究には、正しい答えはない。答のない問題の答を探そう」
 ちなみに、社団法人宇宙エレベータ協会に参加した学者は、青木が最初だった。
 
0.000004%の挑戦

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 千葉県船橋市にある日本大学二和校地の2009年8月8日は晴天だった。
 宇宙ステーションの代わりに、バルーンが上空150mの高さまで上げられ、車のシートベルトがテザーとしてぶら下げられた。
 グラウンドの端では、参加8チームが簡易テントの下で着々と準備を進めていた。参戦したのは、日本大学理工学部から2チーム、神奈川大学工学部から2チーム、名古屋大学工学部、静岡大学工学部、ミュンヘン工科大学(ドイツ)、個人参加の「チーム奥澤」の8チームだ。

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いずれも手弁当で、自ら旋盤を削りつくり出したクライマーたちは、スーパーマーケットの買い物かごに入りそうな大きさである。
 競技のルールは、制限時間内での、上昇速度とほかの評価項目で競う。が、単なる記録競争ではない。各テントでは、自チームのクライマーの特徴をパネルで展示していた。このアイデアは、青木教授の提案による。互いのアイデアで、刺激し合い、さらなる技術開発を進めるという、この競技会の大きな目的はここにある。
 風にテザーがなびく。ねじれるテザーにはばまれて、クライマーが止まる。初日の午後は、強風で、テスト昇降に切り替えざるを得なかった。各チーム寝ずの最終調整でのぞんだ2日目も晴天。
 青木は、ストップウォッチを片手に、記念すべき第一回の競技を見守った。
 机上の理論や、コンピュータ内の計算では起こらない、現実が次々と起こる。
 北米以外で初めての大会とはいえ、賑やかな観客席などない。
 自分たちが製作したクライマーを、真剣に見上げ、歓声を上げる研究者たちは、何も知らない通行人から見れば、新種のラジコンで遊んでいるように見えたかもしれない。
 優勝は、2005年から開発を進め、150メートルまで上げられる実験をできると滞日4日間という強行スケジュールで来日したドイツ、ミュンヘン工科大学チームだった。このチームは、2007年米国で記録された秒速2メートルの速度を打ち破り、150メートルを52秒で上った。
 3万6000キロからすれば、150メートルはわずか0.000004%に過ぎない。
「初日にあんなに高く見えた150メートルが、もうわけなく見えてくる。来年300メートルにしても、難なくクリアできるかもしれない。いつの日か、何だ3万6000キロなんて大したことないじゃないかと」
 
「アホなこと」がやがて天空に届く
 
 機械系エンジニアの使命は、どんなに小さく粗末なものでも、理論を形にして作り上げ、見せることだと青木は言う。
「アホなこと」と自嘲気味に微笑みつつも、小さくとも一歩ずつ進む。ゼロからは何も生まれないが、150メートルの実績の種は、やがて芽を出し、天空に届く大樹となるだろう。
「もし明日、世界がなくなるとしても、何か作り続けているって素晴らしいじゃないですか。それが世界の崩壊を防ぐかもしれない」
 これまでも、これからも、未来はこうして作られる。

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選挙革命(加筆追加1) [状況と歴史]

「選挙革命」民主大勝、

       韓国で大々的報道

 【ソウル=森千春】

韓国の有力新聞各紙は、31日、民主党の衆院選大勝を、

一面トップニュースとして報道した。


 特に中央日報は、中面7ページを衆院選の結果分析などに費やす

異例の大展開を見せた。

 各紙の一面は、「選挙革命」(朝鮮日報)、

「民心大地震」(東亜日報)などの見出しが躍り、

選挙結果は日本の歴史的な転換点と受け止めている。

 社説では、民主党主導政権が日韓関係に及ぼす影響に言及し、

中央日報が「歴史問題を超え、

新しい日韓関係を開く先頭に立ってくれることを期待する」と

エールを送るなど、おおむね好意的にとらえている。

(2009年8月31日11時02分  読売新聞)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長い間
自由民主党政権の終わりを夢見て待っていた私には、
今回の選挙は、確かに革命なのです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ポポさんから、次のようなコメントをいただいています。
彦坂様
初めまして。いつもblogを拝見させてもらっています。
以前から政治と芸術・美術の関係を漠然と考えていました。

そんな中、今回の評論の中に
>芸術は、決して政治や経済から自立はしていないのです。
の一文にすごく興味と衝撃を受けました。

自分の中では芸術は政治と自立し別の空間といいますか、
別次元で行われるべきものだと思っていました。

民主党政権が確実となりましたが、今一度この話題を深く掘り下げてもらえると嬉しく思います。


by ポポ (2009-08-30 22:21)  

芸術至上主義のイデオロギーにおいては、
芸術は政治や経済状況とは切り離されて独自に存在している事が、
自明に語られます。
しかしそれは単なる幻想=《想像界》であって、
実際の美術史=《現実界》/《象徴界》は、経済と政治の変化の中で、急速に変わって
行く事が観察されます。
日本が敗戦すれば美術は変わりますし、
1963年のキューバ危機では、アメリカの美術は大きく変わります。
1975年のアメリカのベトナム戦争敗戦で、芸術は激変しました。
したがって歴史的な変化と言われる今回の選挙革命で、
日本の1955年体制は完全に崩壊しますから、
日本の社会は激変し、美術史も劇的に変化します。
画廊の衰退や破綻が見られるようになるのは6年後の2015年が、
目安になるでしょう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
さて、ボボさんからの宿題ですが、
民主党政権とは、どういうものなのか?

歴史を学んでいれば分かる事は、
「あらゆる革命は裏切る」ということです。
民主党は、人々の希望を裏切ります。
なぜなら希望というのは《想像界》であるからです。
それに対して政権と言う国家権力が作動するのは
《現実界》だからです。
《想像界》から《現実界》への転換には、
劇的なまでの亀裂があるのです。
つまり夢=想像と、現実=政治は違うのです。

かならず裏切られるという事を知っていないと、これから
の政治経済情勢を乗り切る事は出来ないのです。
そう言う意味で、今行われている議論には、
私はあまり意味を見いだしません。

本質的な重要な事は、古い権力が崩壊したという事です。
それは古い日本社会が崩壊したという事です。
古い社会とは何か?
それは明治維新以来の日本の産業化社会です。
これが完全に崩壊した。

日本の歴史的な転換点なのです。
この崩壊にこそ意味があるのであって、
民主党政権の意味について考えるのは、
次の激変の後に可能になるのです。
本質は情報化社会へ移行するという事です。
その選択をして行くという事です。

新しい国家権力が安定するまでには時間がかかるでしょう。
それと「あらゆる革命は裏切る」というテーゼからは、
だからこそ、いかに裏切るのか?
という積極的な面で、
この新しい民主党という権力の変節を見て行かないと、
状況を読み取る事は出来ません。

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歴史の変わる日 [状況と歴史]

政治とは可能な事柄に対する技術ではない。
破滅と嫌悪との間の選択だ。

ガルブレイス


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政治に対する深い失望のせいか、
今日の選挙にも期待や興奮は無いのですが、
しかし自由民主党の政権の時代が終わるというのは、
実は流血の大革命に匹敵する大変動であると言えます。

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自由民主党の《最後の首相》として、麻生太郎は、
非常にすぐれていた政治家であると言えるのではないでしょうか。

もはや、自由民主党では駄目であると言う事を、
日本国民に、心底理解させたすぐれた政治家であったと思います。

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明治維新で江戸幕府が滅びたように、
この選挙での敗北をきっかけに、自由民主党と言う政党が消えることが、
重要です。
自由民主党が、成立したのが1955年であって、
同時にアメリカが、フランスに代わってベトナムに軍を進めます。
この年とほぼ同時期に、具体美術協会が結成されます。
政治的変動と美術は深く関連しているのです。

つまり55年体制が自由民主党であったのですが、
これが滅びることが重要です。
そのためにも惨敗することが大切です。

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繰り返しになりますが、政治的変動は美術史の変動を生み出します。
芸術は、決して政治や経済から自立はしていないのです。

1995年から2007年までのアメリカの過剰消費の恩恵で動いていた日本は、
本格的に、新しい平成維新と言うか、平成の政治的激動再編の時代に
入ります。

それは同時に、戦後日本高度成長経済の時代の
本当の終わりでありましょう。


暗い未来に向けて、新しい時代が始まるのですが、
その暗さと、貧しさと、荒廃を、新しい時代として歓迎する事が、
重要だと思います。

日本という社会は、いつのまにか、とんでもない変貌に
見舞われているのです。
そのことを、新しさとして受け止め、歓迎し、
厳しいが自由の出現として、
楽しむ事が、自らの精神のためには重要です。

こうした変動と滅亡の時代のサバイバル技術というのは、
古い習慣や常識を捨て、つまり古い時代を捨てて
多数の人々を捨て、
新しい領土へ
脱出することです。

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タグ:麻生太郎
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展示品にカビ [状況と歴史]


水と土の芸術祭:土製の展示品にカビ?−−


                                  新潟市美術館 /新潟

8月1日14時0分配信 毎日新聞

 ◇管理面で反省、収蔵品調査へ

 新潟市の「水と土の芸術祭」で、新潟市美術館(同市中央区、北川フラム館長)に展示中の土製の作品に、カビとみられるものが発生していることが分かった。市などでつくる実行委員会と作家らは31日、「今後、カビが発生する可能性は低い」として展示を続けることを決めたが、美術専門家は「水分を含んだ作品を美術館内に持ち込むのは非常識」と指摘。市では、展示収蔵する他の美術品に影響がないか、定期検査することにした。【黒田阿紗子】

 芸術祭は12月27日まで、13カ国のアーティストが制作した計71作品が市内各地に展示される。
 問題になったのは、左官職人でもある久住有生(なおき)さんの「土の一瞬」。わらと水を混ぜた土を塗った高さ2メートル、幅9メートル、厚さ60センチの土壁状の作品。館内で制作され、7月16日に完成。徐々に乾燥して壁面がひび割れていく過程も見どころだった。

 22日に同館職員が表面に白いカビのようなものを発見。翌日には最大で直径9ミリのものが20カ所以上確認された。職員が取り除いたが、その後も湿った部分や隣室の他の土製作品でも見つかった。展示室の湿度は日中、55%に保たれているが、空調を止めた夜間は梅雨の影響もあって約80%まで上がっていた。

 作品設置に立ち会った職員は「カビが生える可能性は予測できたが夜間は空調の要員を確保できず、外気を取り入れて換気する方法を取った」と説明。23日以降は空調を24時間稼働させ、業務用扇風機も使って除湿している。そのため、本来2カ月かかる乾燥が、31日の段階でほとんど終わったという。ただ、市が保健所にカビの検査を依頼したのは、29日になってからと対応が遅れた。同館はパブロ・ピカソなどの作品も展示しており、カビの発生が影響している可能性も残るため、今後はすべての展示室で定期的に空気のサンプル検査を行うことにした。

 実行委員長の篠田昭市長は「湿度への配慮が十分でなく、管理面で反省する点もあった。現在カビの発生は収まっているので、今後は適切な管理に努めたい」とコメント。

 作家の久住さんは「日本伝統の土壁による作品を国内の美術館が展示した前例はなく、市はすばらしい判断をした」と展示の意義を強調している。

 ◇常識では考えらず−−元府中市美術館長の本江邦夫・多摩美術大教授
 直接見ていないが水気のある作品を美術館内に展示すること自体、常識では考えられない。土はカビや雑菌が発生する可能性があり危険。新潟市美術館には名品が多いが飛散して腐敗につながりかねない。可能な限り現状保存するのが美術館の使命で、その根幹を揺るがす問題だ。

8月1日朝刊

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
問題そのものは、基本的な事で、美術館という保存機能の場所では、この事件を起こした作品は無理なのです。美術館人である本江邦夫さんが言っている事が正論です。

美術館が持っている保守性には、それなりの根拠があって、
そのことと、表現の追求とは齟齬が起きるのは、止む終えない事なのです。

北川フラムさんらしいミスですが、
こういう常識を破る過激さが、北川フラムという天才アートディレクターを成立させて来たのです。
北川フラム氏も偉くなって来ているので、こうした美術制度の持つ規範を受け入れて行く事が、重要な課題になります。良い意味で大人になっていただきたく思います。

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本島とサントームとしてのアーキテクチャー(写真追加,加筆1、改題) [状況と歴史]

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丸亀市の中になのですが、
本島という島があるそうです。

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ギャラリーARTEさんが、関わっている島です。
左がARTEの梅谷幾代さん。


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こういう地域に現代アートが、どう関われるかというのは、
昨年の丸亀の金比羅様近くの虎丸旅館の経験からは、
考えられないわけではありませんが、
現代美術の常識では、むずかしいものではあります。

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本島は写真を見て、美しいので驚きました。

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保存センター内部2階物置窓_small_small_small_small.JPG
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越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》というのは、
同じ衰弱化した地方と言っても、
過剰にまで発達した道路とトンネル建設による地域の変貌と言う、
近代化による改造の極限の地域に、現代美術を移植することだったからです。

本島は、そういう近代による自然改造を大幅に受けているようには
見えなくて、
むしろ前近代のシーニュ(記号、言語)の統合性が、
そのままに残っているように見えます。

そうすると、この現代における本質的な人間疎外の多重性を理解できないでしょう。それは現代美術や現代アートの理解そのものが無理であることを示しています。

つまり近代化されていないわけで、
普通に言えば、このまま保存をしっかりとして行く事が重要に思えます。
このブログで少し触れたアーミッシュの地域とすら見なしえる地域なのです。
フィラデルフィアにあるアーミッシュの村に、現代美術や現代アートを入れる事を想像してみれば良いのですが、無理であると、私は思います。何よりも彼らの信仰の世界と、相容れないからです。

越後妻有トリエンナーレの場合には、
すでに他の記事で指摘したように、
アメリカの1995年以降の2つのバブルを背景にした時代の産物です。
インターネット・バブルと、サブプライムローン・バブルです。
ですから越後妻有に3つの巨大建築を建てているのが大地の芸術祭なのです。
北川フラムが、美術館の学芸員からはアートゼネンコンと揶揄されているのは、根拠の無い事ではなくて、実際に、日本的箱もの行政型の巨大投資を実現しつつ行われてものであったからです。
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手塚貴晴設計のキョロロです。



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設計者はMVRDVの農舞台です。

MVRDV (エムブイアールディーブイ) はオランダのロッテルダムを拠点とする建築家集団で、1991年に設立されものです。名前の由来は事務所設立時のメンバーの三人の頭文字からとったものであるのです。

  • ヴィニー・マース(Winy Maas、1959年 - )
  • ヤコブ・ファン・ライス(Jacob van Rijs、1964年 - )
  • ナタリー・デ・フリイス(Nathalie dVries、1965年 - )

ヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスはレム・コールハースの主宰する建築設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)の出身です。


 

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3つめが原 広司設計のキナーレです。
越後妻有トリエンナーレの総合ディレクターである北川フラム氏と、
建築家・原広司氏は姻戚関係があります。
北川フラム氏の人脈の大きさと厚さが、この越後妻有トリエンナーレを
巨大なものにしているわけですが、
同時にその次元は、こうした巨大建築を建設すると言う、
《近代》特有の開発主義の性格を持っているのです。

重要な事は、これらを写真ではなくて、自分の肉眼で見て、
その建築の善し悪しを判断し、現実の活動の豊かさと貧しさを、
現地調査することです。
そしてこれらの建築がどのように歴史的に評価されるべきか、
考えてみる事です。

北川フラム氏の豪腕のアートキュレーションの根底に有ると私に見える感覚は、アースワークの時代である1960年代末期の感覚です。
その意味でモダンアートから現代美術と展開して来たモダニズムの最後の地点であり、同時に脱《近代》の情報文明の入り口の感覚です。

しかしそれはすぐれてジャーナリスティックではありますが、決してポストモダンではないし、情報文明の現代アートというものではないと、私は思います。つまり、もはや古典性すら感じさせるものです。越後妻有アートの多くがオールオーバーの構造に依拠しているものが話題作に多いのも気になります。

ともあれ、日本の現代美術の枠組みを大きく超えた北川フラム氏の功績は高く評価するものですが、そろそろ古さを感じさせるものになったほどに完成して来ているのです。何よりも過剰性は飽和してきて、さらには、時代は次のステージを開けて来ているのです。問題は来年の1910年代の始まりです。現在の財政出動のカンフル剤効果が切れた時に、どうなるのか? 中国ですらが、今の状態をそのまま展開できるのか? 私の目には中国共産党帝国は、明らかに無理をしているのであって、いつか破綻するように見えます。

現在の金融危機の中で、古いギャラリーや美術関係者はとうたされて行っていますが、しかし同時にこのインターネット・バブルとサブプライムローンバブルに乗って来ていた新しい美術勢力が、なにしろ巨大化しすぎているので、これを維持して乗り切れるのか? その答えが出るのは2016年頃と予想されますが、その前に、予兆は2010年に出るのではないのか? 狼少年をやるきはありませんが、とにかく2010年には何かが起きます。


2010年代という私には暗い未来においては、日本全体が衰弱し沈没していくだろうと予想されているので、この越後妻有トリエンナーレの様な巨大開発型のアートによる地域活性化は不可能ではないだろうかと、思います。大地の芸術祭の今年の集客は頂点を迎えるでしょうが、その後の2010年代は、集客は落ちて行くのではないかと予想されます。集客数の減少が繰り返されると、維持できなくなる可能性があります。今から、対策を考えて、大地の芸術祭の恒久化を計るための象徴界の設計をしておく必要があるのです。

現在のアメリカや日本の政治展開では、結局、財政破綻が未来に起きて、世界の経済秩序は大きく変貌して、新しい暗黒の中世時代が来るという予想すらを持たざるを得ません。

こういう暗黒の見通しの中で、
では2010年代のアートの活動ないかにして可能なのかを考える必要があるのです。

ギャラリーARTEの梅谷幾代さんというギャラリストは、
たいへんにすぐれた企画力を持っている方ですが、
私見を申し上げれば、現在起きている2つのベクトルを、切り分けていないように、私には見えるのです。歴史を動かすエネルギーは、いつの時代にも進化があれば、退化があるのであって、この進化の方向性と、退化の方向性は、常に、ずれながらも同時に作動して来ます。この正反対の動きを、巧く理解して操作しないとまずいのです。そして常に退化のベクトルは行き止まり性を持っています。このことに対する見切りが無いと、正しそうに見える意見になってしまいます。重要なのは、この2つのベクトルを見切って、区別する事です。
区別しなければ、正しさの中で、停滞し、停止するのです。歴史は常に脱領土化してくのであり、盲目性の中で、進化しつづけるのです。このマルチチュード(=ウゾウムゾウ)の猥雑な動きを見失わない事が重要なのです。正しいそうに見える意見は、虚偽であり、自己欺瞞であり、停滞と停止にすぎないのです。

本島そのものの魅力は写真からみても十分すばらしいものですが、
これは歴史的名所であって、基本は保存に重点を置いた形で、
つまりヨーロッパ型の町づくりとその活性化が基本でしょう。

そこに関わるアートは、あくまでも控えめなものであって、
限界があるのではないでしょうか。
つまり求心化に向うと限界がすぐくるのであって、
逆に遠心化を目指さないと、活性化は作動しないでしょう。

2010年代の経済政治状況の中で、
いかなる遠心化を目指しえるのか?

情報化社会の中での、情報そのものの性格と、
グローバリゼーションとローカリゼーションのせめぎ合いを見ながら、
この遠心化を勝ち取る方向で、アートは機能しうると、
私は思います。

その中心にあるのは、やはりアーキテクチャーであると思います。
人類の文明開発は、常にアーキテクチャーにおいてなされたのです。
しかし敗戦後の日本は、箱ものを建築する事をアーキテクチャーと、退化的に誤解して、日本列島を改造したのです。その結果が現在の日本の衰弱化を招いたのです。

横浜トリエンナーレや、NICAFでのていたらくを見ればわかるように、敗戦後に日本人は象徴界を設計するとが《近代》アーキテクチャーであることを見失ったのです。

本島でのアートによる活性というのは、《象徴界》の設計が何よりも重視されるべきだと思いますが、それ以上にくう様なのは、《サントーム》における設計です。

本島において《サントーム》としてのアーキテクチャーを構想しえるのか? 
おそらく現在の行政の役人も、そして本島の住民も全員が、現在の情報文明の構造や質を理解できないでしょう。情報文明化という新しいリテラシーの暴力を理解できない。だからこそ地域は衰退するのです。そして暗黒の新中世に向ってずり落ちて行く。深川にも、少し関わって来ていますが、深川を活性化する事は、8割りは不可能な事です。残り2割りでいかにして反転の道筋を指し示すのか?

重要なことは、8割りの人々は退化の運動しか取れないでしょう。この人々は退場するしか無いのです。この適者生存の残酷な現実を直視することです。この残酷さを直視することにおいてこそ、この退化を反転させる必要と、可能性が出現するのです。アートマネージメントに要求されているのは、この残酷さからの反転の地点と道筋を示しえるのか?という問いなのです。

彦坂尚嘉流に思考すれば、この《サントーム》としてのアーキテクチャーの建設こそが、越後妻有トリエンナーレ/直島型のゼネコン型アートを乗り越える地点であると思います。そしてこの情報文明におけるアーキテクチャーの壁に、新しいアートがかかるのです。そのすべてではないですが、かなりの多くは、フリーアートになるかもしれません。


 

 


 






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日本経済の沈没(加筆2) [状況と歴史]

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週刊エコノミストが、日本経済沈没という特集を組んでいます。
日本経済の悪化は、2010年代の大きな潮流になる見通しです。

越後妻有トリエンナーレは2000年が第1回ででが、
歴史的に振り返ると、
この時期はITバブルの時期で、この後バブルがはじけて、
そして2002年から、そのテコ入れでサブプライムローンなどの
アメリカ経済の根拠無き熱狂が始まります。
それが2007年までですので、
2000年代の10年間というのは、基本的に「根拠なき熱狂の時代」
あって、これを背景に越後妻有トリエンナーレも、
そして若手の現代アートの台頭があったのです。

つまり熱狂は2つあったのです。
その前のインターネット・バブルと、根拠なき熱狂の時代」は、
実はバトンタッチをして、つながっていたのです。

1990年代後半、米国市場を中心に起ったインターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮が、インターネット・バブルです。

山本現代ギャラリーが1994年の開廊です。
小山登美夫ギャラリーの設立が1996年ですので、こうした
若手のギャラリーの台頭は、このインターネット・バブルと、根拠なき熱狂の時代」を背景にして成立していたのです。

ですから、もしも2010年代が、日本沈没時代であるとすると、
美術状況も大きく変わる可能性が予想できます。
そもそもアートで疲弊した地域の活性化などという事自体が、出来ない時代が来るのではないのか?

【加筆1】
今回の選挙で民主党が勝ったとしても、
景気回復のための財政出動を続ける公約で、日本の財政赤字はさらに悪くなるという予想が書いてあった。まあ、暗い話で、どうしようもない未来と言える。この暗さの中で、何を私たちはなし得て行けるのであろうか。

【加筆2】
だからこそ、天皇に京都に帰っていただいて、日本の産業化社会という一つの物語が終わった事を、国民に明示する必要があるのです。

芸術的には、不景気の時代というのは、良い作品が多い時代です。ですから、かならずしも悲観的になる必要なないのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

8月4日号

定価 600円
定価 600円

 ◇【特集】日本経済沈没

・日本経済の中長期的見通しはどう考えても暗い 

   鈴木 明彦

・GDP3位転落 日本のGDPは2010年に中国に抜かれる   

 細川 美穂子

・ISバランス 日本は十数年後、「赤字国」の道へ 

   熊野 英生

・潜在成長率 1%以下に低下、10年前から低かった可能性も    河野 龍太郎

・人口減少 生産年齢人口減少のマイナスをどうカバーするか    森田 京平

・外国人労働者 成長を考えればプラスだが副作用も大きい    森永 卓郎

・内需企業 キリン・サントリー統合にみる市場縮小の苦境    松崎 隆司

・個人消費 回復は長続きせず、消費不況は長期化する    永濱 利廣

・医療・介護 急速な高齢化で現役世代の家計を直撃    齊藤 哲史

・年金 制度の不備が将来不安と消費抑制を招く    白石 浩介

・資源確保 世界的な需給逼迫で高騰、争奪戦に    柴田 明夫

・雇用 二重構造を放置すると産業はますます空洞化    山田 久

 


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ヒットラーの経済政策 [状況と歴史]

『ヒットラーの経済政策』という本を読んだ。
1929年の世界大恐慌の中で、
ヒットラーの経済政策だけが成功を収めて、
2年でドイツの経済は回復する。

その基本は、最下層の貧乏な人々に
お金を回すという政策だった。

アウトバーンという高速道路の建設でも、
最下層の労働者への賃金を最初に決めて、
予算が作られた。

しかしこういう政策の成功にも関わらず、
ヒットラーが破綻の道を歩んだ原因は、
トータルなヴィジョンが、後ろ向きであったことでした。

それはドイツ経済を自給自足の昔に戻そうとすることでした。
結果としてそれは高い事になり、
経済的に破綻していきます。

昔に戻す事はできないのです。

重要な事は、この事を知りながら、
昔に戻ることを語る事です。
なぜなら、文化や人間の生活というのは、
過去においてのみ、意味を構成できるからです。

過去把握をしながら、果敢に新しさに展開していく事、
この矛盾したやり方が重要だと、私は思います。

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不況下の中国現代絵画(加筆2) [状況と歴史]

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岳敏君

ニューズウイークの最新号で、
不況下の現代アート市場について書かれています。


昨年後半から、中国の現代アートはぱったりと売れなくなったと書いています。
その代表として岳敏君が取り上げられています。

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《想像界》の眼で《第21次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第21次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第21次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、固体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】


中国現代絵画のインチキ性があらわになった事は良い事です。
こういうものを押し出そうとした画廊も淘汰されるのでしょうか?


「中国の現代アート市場は、熱にうかされてボタンを掛け違えたマーケットの典型例だ。価値ある作品かどうか見極めるには、専門家の確かな目が欠かせない。・・・・中国にはほとんどそれがなかった。」(ニューズウイーク日本版29/7/22 64頁)

確かな専門家の目がないのは、中国現代アートだけではありません。日本の現代アートの作品もまたボタンの掛け違えたものでしかなくて、専門家の目を欠いているのです。それは岡本太郎のひどい絵画を高く評価する所から始まって、日本のいわゆる戦後美術の中枢を形成している間違いアートの系譜なのです。そのボタンの掛け間違いの完成者こそが椹木野衣であり、山本現代です。そこには中国現代アートの間違いと良く似た世界が広がっているのです。

中国現代アートのように、作品の評価が下がると言う事を、
美術史は何度も体験して来ているのです。

私の学生時代、世界を席巻したのはウイーン幻想派でした。

恩師の一人に坂崎乙朗という美術評論家がいましたが、
彼が押していました。
何人かの作家を多摩美術大学の教室まで連れて来て、
作品も見せられました。

その後、坂崎乙朗先生は自殺なさいました。
その原因がウイーン幻想派の評価間違いであるとは思いません。
自殺の原因も知りません。
私にとっては良い先生でありました。


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死亡映像がユーチューブで流れて波紋(画像の訂正と追加) [状況と歴史]

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イラン女性「ネダ」の死、インターネットを席巻
(米ニューザー 2009/06/21)
「ネダ」とだけ知られる若い女性は、父親とテヘランの抗議行動に参加し、
武装組織バシジに射殺された。路上で死んだ彼女の映像はネットを通じて、瞬く間に世界に広まった
元記事:CNN

大統領選の結果をめぐる混乱が衝突に発展したイランの首都テヘラン(Tehran)で、十代の少女が胸部を銃で撃たれ死亡する映像が動画共有サイト・ユーチューブ(YouTube)に投稿され、世界に波紋を広げている。死亡したのは「ネダ(Neda)」という名前の16歳の少女で、20日にテヘランであった抗議行動の際に銃撃を受けたという。この映像に、米ロサンゼルス(Los Angels)などでは、イラン系米国人らが「イラン政府による人道と民主主義に対する罪だ」と非難の声を強めている。

写真は、動画共有サイト・ユーチューブ(YouTube)に21日投稿された、テヘランでの抗議行動の最中に胸を撃たれて負傷し、介抱される「ネダ(Neda)」という名の16歳の少女の映像(2009年6月20日撮影、21日提供)。(c)AFP/YouTube

(この16歳というのは、間違いで、27歳らしいです。) 
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朝日新聞の報道によると、この写真は間違いとの事です。

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これが本物のネダさんとのことです。

neda2.jpg



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

このデモを弾圧するは、かなりひどいものです。
6月15日の改革派デモでは、バシジの発砲で
少なくとも7人が死亡しているとのこと。

強硬派の民兵組織、バシジ(人民動員軍)は

1979年のイラン革命後、イラクのフセイン大統領(当時)が仕掛けて

きた戦争で、正規軍の不足を補うために創設されました。


バシジとはペルシャ語で「動員」を意味し、若者たちは愛国心に燃えて

志願し、正規軍の先兵となって地雷原を進むなど、勇敢な「人海戦術」

を対イラク戦争で展開したのでした。その数2000万人という多数に

のぼりました。


basijの都市治安部隊です。

まるで日本の暴走族ですね。

井上清仁さんからいただいた画像です。


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イラク革命の指導者ホメイニ師死去後、権力を握った保守派は、

バシジを保守イデオロギーで社会を統制する道具へと変質させたのです。

現在の隊員数は120万人とされるというのです。


さて、そのバシジに射殺された女性の画像が、

YouTubeに流れて、波紋を広げています。

最初見た時には、このブログで取り上げるつもりはありませんでした。

しかし、彼女の死に顔が、目に残り、悲しみが湧いて来ました。

人の死ぬのは悲しいものです。

CNNでは、無修正で死の画像が流れています。

さらに、死ぬ前の父親と歩いている画像も流れました。


警告

以下、クリックして下さると、その画像が見えますが、

残酷な画像ですので、見たくない方は、見ないでださい。


【続きはここをクリックして下さい】


タグ:Neda 樺美智子
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