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山田幸司さんと建築系ラジオ(リンクの貼り直し) [状況と歴史]

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「こたつ問題」は、「こたつ事件」という言い方になってきて、
今日のコンペティッションの問題点、
マスメディの批評の不在化、
そして建築家の危機性が、
あぶり出されて来ています。

今日の建築家は危機に見舞われているのです。
だから、美術に流れ込んで来ている傾向があるのです。

そして今回の越後妻有ツアーで、
それら建築系出品作を見ると、5つくらいの、実は弱い作品があった。
この失望が背景で、今回のこたつ事件が起きているのです。


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この「こたつ事件」は、
建築系ラジオという
新しいインターネト・メディのその生々しさを突き出したが故に、
「事件」にまでなったと言えます。

私のブログもそうですが、生々しいのです。
低俗性があると言っても良いですが、その生々しさがもつ私性こそが、
批評の依拠する場所なのです。

「批評とは何か?」という問いに対する答えを、
たとえば「批評とは - はてなキーワード」で、見てみましょう。

ある事物・事象についての、何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露(意見提示)。


上記を読んで分かるように、批評というのは、「個人的な見解の発露であり、意見提示」なのです。今日のマスメディアに批評性が無くなって来ているのは、つまりマスメディアが個人的な見解や意見を封じ込めて、公的なもので、塗り込めてしまうようになって来ているからです。

 

「建築系ラジオ」は、その意味で、コアメンバーである五十嵐太郎、山田幸司、南泰裕、松田達の肉声を発信し、個人的な見解の発露という、批評本来の性格を回復した活動を展開しています。

 

 

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個人的な見解の発露としてのメディを回復する動きは、ツイッターや、YouTubeでも、同様の機能が作動しています。

マスメディの人々から見れば、ゴミに過ぎない様なこの個人的な見解の発露が、実は批評を回復させ、現代の様々な問題を、個人が取り組んで行く契機を作り出しているのです。

 

 

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今回の「こたつ事件」に対して、山田幸司さんへの批判が出て来ています。
その代表が、大西正紀さんのもので、長文で出現して来ているのです。

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大西 正紀 Masaki Onishi

1977 大阪府和泉市生まれ。
1985-88台湾省台北市滞在。現千葉県在住。
高校時代、keyboard、accordion、ステージ構成、編曲etc...

日本大学理工学研究科建築学科 修後、渡英。
2003 Ushida FIndlay Architects(UK)勤務

Project
 「
Do+ project vol1 青山アパート」、
1999年- 
 「Puddle Puzzle 同潤会青山写真画展」開催
 青山アパートギャラリー華音留、2002年

Recture
 「青山同潤会アパート復興プロジェクトについて」
 Renovation Studies、月島、2002年
 (Director : 五十嵐太郎)

私はこうした批判の出現は、健康なことで、歓迎するものです。

ラジオには数人のメンバーが出演していて、前述の通り五十嵐さんや彦坂さんは、ここから全体(建築、批評、教育など)にある問題を見いだそうとする姿勢があった。つまり批判、批評であろうとする姿勢があった。しかし中には終始「あれひどいね〜クスクス」的な文句や嘲笑のままであるメンバーもいた。山田さんなんだけど。ご本人もこちらの意見をご存じみたいなので、書いちゃうけど。ごめんなさいね。でも山田さんの一連の発言は、放送全体の批評性を大きく下げるものだったと、私は思う。

「わざわざ名古屋から出てきたのに」「3000円も払ったのに」「東大なのに」それ、
全っ然批評じゃないです。みなさんお嫌いの「思考停止状態」そのもの。今回、彼らが東大生じゃなければこんな言われ方されなかったかしら?無料だったら?会場が近かったら?(まあ東大=最高峰なんだからおまいらちゃんとしろよ、という、東大ブランドのイメージに則った期待感はわからなくもなけど、鬼の首とったかの如くpgrしてんのは、聴いてる方としてはかえって微妙)。

居酒屋トーク的な本音って確かに面白いんだけど、山田さんの論調は、誰でも聴ける音声データとして一般に公表するにはどうかと思うレベルだった(番組を編集、放送している松田さんにこの話をしたところ「まあ、山田さんは悪役をかってでたんだよ」とのこと。ちょw未熟なものは後から「フェイズだった」と言えば済むとでも?元々熟考して仕組んだブックならまだしも、発信側のご都合による場当たり的な寸劇くずれなら誰も付き合わんし、そもそも要らんのです)。

とにかく私は「こたつ」という
駄作よりも、ラジオの中でのこの問題の「語られ方」のほうに、ずっと大きな関心を持ったので「「こたつ問題」を如何に語るか問題」になったわけです。それが狙いだったんです、裏テーマだったんです、って言われちゃいそうねw

「「こたつ問題」を如何に語るか問題」の本質は、建築クリティックの人材が少ないことだと思う。せっかく音声によるメディアが作られたのに、こたつの放送を聴く分には「この程度かよ」と思わざるを得なかった。今、日本の代表的な建築批評ってこんな感じです、って誰かに紹介するには恥ずかしい。人選、放送のプログラムといった番組制作側の問題かも知れないが、それ以上にまず、有能な批評家が少ないんだろうなと。五十嵐さんは、自分以外の書き手が足りないことを10年くらい前から問題としていたけれど、現在もその状況はあんま変わってない。

これまで建築のメディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメントしてくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。もちろん書き手側もそれでよかったんだよね、言論を発表することが建築村での大事件、大きな成果になってたから。おじさんの時代は、書き手も読み手も「難しいこと考えてます発表会」で満足できていたのかも知れない。今回の「こたつ」に関する山田さんの発言みたいなのも、悪のりです、言葉のお遊びです、で済んだのかも知れない。

そーいうおじさんのやり方を、これからも踏襲するつもりなのかどうかという点も、建築系ラジオの姿勢に問いたい。おじさんの遊び場、と割り切って付き合うしかないメディアもこれから残り続けるかも知れないけれど、「建築系ラジオ」という新しいメディアには、そこでこそできることを、して欲しい。建築を扱うメディアに関わる、自分への自戒も込めつつ。


追記:
ほんとは放送の中で、一緒に
「こたつ」について話してはいるけれど、向かうベクトルが違っていることを、出演者同士で指摘し合えてたら、ぐっとクオリティが高まったと思うんだよね。ていうかそれだけで、私は恥ずかしいだのなんだのと文句言わなかった。

誰かが山田さんに、たった一言「それ批評じゃなくない?」って突っ込めてたらなあ。今日話してて、思い出した。慎也さんありがとう!
出典:http://blog.mosaki.com/?eid=905277#sequel
mosaki的東京経験値
=日常から建築まで.大西正紀(masaki)+田中元子(hana)+リン(Lynn)の即効的ブログ.


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山田幸司さんを批判する気持ちも分かるし,
山田幸司さんの語りが、面白いにも関わらず、不愉快と思う気持ちも
わかります。

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しかし山田幸司さんのもつ、この生々しさこそが、
今日のマスメディが失ったものなのです。

昔の明治期の新聞には、こうした山田的な生々しさがあったのです。
たとえば、夏目漱石の書いた美術批評ですが、憎悪をこめたかの様な、
悪口が口汚く書かれていて、その生々しさは、すごいものです。

それが,いつの間にか、個人の私的な意見を削除するようになった。
日本のマスメディアの活力の喪失は、
実は山田的なものを失ったからです。


批評というのは、公的なものではなくて、個人的な意見の発露なのです。
その意味では2ちゃんねるは、批評性の原点なのです。
ただ2ちゃんねるが残念なのは、匿名であることです。

山田幸司さんは、実名で、しかも建築家であって、
自分の責任で語っているのであって、その個人的な見解は、
批評たり得ていると彦坂尚嘉は考えます。

山田幸司さんは、学生時代に学費を稼ぐためにホストクラブで
働いていたのですね。
そうした経験とキャラクターが、生々しい表現力の語りを
成立させているのです。

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建築系ラジオの果たすべき役割の中心にあるのは、
大西正紀さんが考える公的な批評性とは逆であって、
個人的な私的見解を表出させる事で、
公的性において欠如して来ている批評と議論を活性化させる事なのです。

私性をもって、欺瞞に窒息する公的言論の硬直性を撃つこと。
そこに批評があるのです。

山田幸司さんは、その意味で私の好きな語りを展開するすぐれた才能の
持ち主です。
だからこそ、殺されるかもしれませんね(笑)。
社会と言うのは、私性を持って語る現論人を憎んで、殺して来ているからです。

ソクラテス
エックハルト
・・・・・
レニーブルース
・・・・・
そして北野誠

【続きは下記をクリックして下さい】

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北野誠については、私も長文を書いています。


北野誠の発言も面白かったと思いますが、
批評を超えて、名誉毀損になっている事は、
私も認めています。
今回の山田幸司さんの発言で、そうした名誉毀損性は、
私には気がつきませんでした。
無かったと思います。

名誉毀損は犯罪ですが、
合法の内にある個人の実名で発している意見を、
何故に、規制できるのか?


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建築系ラジオの内容は、極めて幅の広いものです。
したがって、今回の「こたつ事件」だけで捉えるのは、
間違いです。

しかしラジオ番組の極北とも言える
タレント・北野誠(50)が司会を務める大阪・ABCラジオの
人気番組「誠のサイキック青年団」を思い起こさせる様な、
生々しさを、今回の建築系ラジオが持てたが故に、
私は、大西正紀さんが批判なさっている同じ理由で、
逆に、建築系ラジオの活動を、高く評価するのです。

お高くとまったSD等々の建築雑誌が次々と潰れてきた歴史を振り返る
とき、
今、なされるべき批評の復権とは、
実名の個人の、果敢な私的見解を発露させる事なのです。

批評とは、私性なのです。

この無力な個人の私的見解が、社会の公的意見の欺瞞と硬直を撃つのです。

社会の停滞を乗り越えるためには、私性の屹立が必要なのです。
疲弊し退廃したフランスを、ひとりの少女・ジャンヌダルクが救ったように、
個人の私性の屹立が、社会を活性化させるのです。

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しかし、しかし、ジャンヌダルクは、殺されます。
ソクラテスも殺され、
レニーブルースも、
そして北野誠も殺されたのです。
山田幸司も、
そして彦坂尚嘉も、
同じように殺される運命なのでしょう。

言論人というのは、殺される事を覚悟して立っているのです。
だからこそ、実名を名乗り、顔写真をオープンにして語っているのです。

死を覚悟した者の、私性を聞け!

さも無ければ、社会は硬直化し、日本も、日本の建築も滅びるのです。

滅亡を回避するために、
死を覚悟した者の、私性を聞け!

旧約聖書を読めば、
そこには多くの裸足の見者(ボアイアン)たちの警告が書かれています。

キリスト自身も裸足の見者(ボアイアンですが、
その言も、行動も、破壊的で、下品なのです。
そしてキリストは架刑で殺されたのです。

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人類の歴史は、こうした言論の闘いの中で展開して来ているのです。

山田幸司の発言の底に流れるものを聞き取って欲しいと思います。
それは、極めて、まっとうな建築家の魂の声なのです。


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五十嵐太郎

公開で9/28の企画会議をやります。
MOSAKIのコメントに関しては僕の日記で記しました。
http://www.cybermetric.org/50/
こたつ問題をめぐる二重化された問題については、当日、時間を節約するために、彦坂さんのレクチャーの後、僕がトピックを整理したスライドを流して、よくある質問と回答=FAQを作成しておきます。あと、建築系ラジオの配信直後に、別の越後妻有トリエンナーレの参加者から、続きがあったら是非意見を述べたいというコメントがあったので、当日、会場から意見をもらう予定です。
by 五十嵐太郎 (2009-09-19 23:09) 

ヒコ

五十嵐様
了解です。
by ヒコ (2009-09-20 10:11) 

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